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Photo byishi99

散歩道§53、日本的なゆるい宗教規範「脱宗教観」がいい

    石田五十六

    脱宗教=無宗教ではない。
    現に、私は無宗教者ではないが、宗教が生活の大事な一部ではない。言葉で言えば「脱宗教」なのである。宗教や宗旨などは、時に「ああ、そうだな」と思えれば十分なのである。

    歴史を振り返れば、狭い日本列島内で、「和を以って尊しとなす」でやってきたからといって、「無」宗教でやれる訳がない。ただ、ある宗旨を絶対視すると、諍いが絶えなくなることを知って和の方を優先し、そこを万事程々で上手くやってきたということである。物心両面で、それで良かったのである。飢饉・天災・流行り病等で、宗教にすがる時期・時代があったにしろ、いつも温帯の季節は巡り、庶民層が「ベタ宗教」になることなく、列島の歴史は紡がれてきている。
    西欧のキリシタンバテレン宣教師の目には、特定規範のみを有難がらない、列島のこの人間風景は、布教の立場としては恐らく難しく映ったに相違ない。結果論であるが、キリスト教禁教により、支配欲・領土欲を持つキリスト教圏の欲望の対象にならなかったのは、幸いであった。

    現在時点で言えば、諸宗教に対し高みの見物を決め込み、「いいとこどり」をすればいいだけの話である。馬鹿げた宗旨の馬鹿げたタブーなど「クソくらえ」でいいのである。
    最高指導者とか宗派トップとかは、すれっからしの庶民に徹して有難がらず、豚肉もかたつむりも蛙も犬も全部食べてしまい、しぶとく生き抜こうではないか。

     
     
     
    生粋の飛騨人。サラリーマンとして44都道府県に足を踏み入れ、帰郷後、飛騨と越前の交配品種そば「飛越1号」を農水省に品種登録、「奥飛騨朴念そば」の商標名でそば製品を広く提供中。著書:そば読本(中日新聞社)オケラの戯言365話(幻冬舎)ダメンズの独り言百八話(CASA出版)