
毒母。
母のことを、毒母と呼ぶようになったのは、ずいぶん大人になってからだ。
子どもの頃は、そういう言葉を知らなかった。
ただ、息ができなかった。
母は優しかった。
それが厄介だった。
怒鳴るわけでも、叩くわけでもない。ただ、いつも「あなたのために」と言いながら、私の選択肢を一つひとつ、丁寧に消していった。
進路も、友人も、着る服も。
母の目には、世界が危険に見えていたのだろう。
だから守ろうとした。
守ることで、支配した。
傷は見えないところにつく。
骨折なら病院に行ける。でも「お母さんが怖い」という感覚は、どこにも持っていけない。むしろそれを言葉にした瞬間、「そんなひどい子に育てた覚えはない」という言葉が返ってくる。
私は長い間、自分がおかしいのだと思っていた。
あの写真の子どもを見る。
笑っている。
母親に向かって両手を広げて、
走っていこうとしている。
あの無防備さを、私はいつ失ったのだろう。
それとも、最初から持っていなかったのだろうか。
母は今も、私のことを愛していると思っている。
たぶん、本当に愛しているのだろう。
それでも私は、長い時間をかけて、その愛から距離を置くことを学んだ。
愛されていても、傷つくことはある。
愛しているからこそ、傷つけることもある。
毒母、という言葉は冷たく聞こえる。
でも私には、その言葉がはじめて「あなたは間違っていない」と言ってくれた言葉だった。
名前がつくことで、やっと息ができた。
一行の余白