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毒母。



    母のことを、毒母と呼ぶようになったのは、ずいぶん大人になってからだ。
    子どもの頃は、そういう言葉を知らなかった。

    ただ、息ができなかった。

    母は優しかった。
    それが厄介だった。

    怒鳴るわけでも、叩くわけでもない。ただ、いつも「あなたのために」と言いながら、私の選択肢を一つひとつ、丁寧に消していった。

    進路も、友人も、着る服も。
    母の目には、世界が危険に見えていたのだろう。
    だから守ろうとした。

    守ることで、支配した。

    傷は見えないところにつく。

    骨折なら病院に行ける。でも「お母さんが怖い」という感覚は、どこにも持っていけない。むしろそれを言葉にした瞬間、「そんなひどい子に育てた覚えはない」という言葉が返ってくる。

    私は長い間、自分がおかしいのだと思っていた。

    あの写真の子どもを見る。

    笑っている。

    母親に向かって両手を広げて、
    走っていこうとしている。

    あの無防備さを、私はいつ失ったのだろう。
    それとも、最初から持っていなかったのだろうか。

    母は今も、私のことを愛していると思っている。
    たぶん、本当に愛しているのだろう。

    それでも私は、長い時間をかけて、その愛から距離を置くことを学んだ。

    愛されていても、傷つくことはある。
    愛しているからこそ、傷つけることもある。

    毒母、という言葉は冷たく聞こえる。

    でも私には、その言葉がはじめて「あなたは間違っていない」と言ってくれた言葉だった。

    名前がつくことで、やっと息ができた。

    一行の余白

    #創作大賞2026 #エッセイ部門


     
     
    ◻️ 吉川 ひろ ✒️ エッセイスト 日常の輪郭を、いろんな形で残していく場所。 ☕️ 記事内の紹介品にAmazonリンク等を含む場合があります。

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