メインコンテンツへスキップ
見出し画像

審査員を増やしても、飯は食えない。——ビジコン優勝・破産寸前の私が起業家に伝えたいこと

    担架の上で、私は東京の講義のことを考えていた。

    2024年7月。
    救急車の中だった。

    自己破産が見えていた。
    会社の資金も、体力も、ほとんど尽きていた。

    それでも頭に浮かんだのは、

    「来週末の講義、穴を開けたらまずいな」

    だった。

    人に迷惑をかけたくなかった。

    たぶん、それだけで生きてきた。

    今日は、起業して破産寸前まで追い詰められた私の実話を書こうと思う。MBA生をはじめとする、起業を考えている人たちへ向けて。


    覚悟して、外に出た

    私は長年、医療機器卸の営業として現場に出入りしていた。プレイヤー時代は、1年たりとも社長賞を逃したことがなかった。中途採用にもかかわらず、ある役職には史上最年少で就いた。それなりに結果を出してきた自信があった。

    でも訪問先の現場は疲弊していた。どれだけ安く物を入れても、どれだけ提案しても、どれだけ協力しても、組織の経営そのものは楽にならない。

    私はずっと、「現場の良きパートナー」でありたかった。経営そのものを支える存在になりたかった。でも会社の中では、その立場を作れなかった。だから外に出ることを決めた。

    大学院へ進んだのも、経営をサポートできる業者になりたいという、その一環だった。新築移転プロジェクトに関わった時、デロイトなどの財務系コンサル会社との議論にまったくついていけなかった。悔しかった。もっと学ばなければいけない。そう思って大学院に行くことにした。

    そこで一つの課題に出会った。「ここを変えれば、経営は変わる」。ある講師に言われた言葉が引き金になった。「この課題を研究しないで卒業するんですか?」。私は卒業できたのに、さらにお金を払って学校に残った。そして、ビジネスコンテストに出た。


    「総なめですよね?」

    勝った。自分の大学だけではなかった。外部のビジコンでも結果が出た。新聞にも載った。銀行は、その記事を持って融資の話をしに来た。多額のお金を、あっさり借りることができた。

    「総なめですよね?」

    同級生にそう言われた時、私は完全に、自分は正しい道を歩いていると思っていた。

    でも今振り返れば、その時点で私は、最も大切なものを見失っていた。

    顧客だ。

    私が心配していたのは「売れるか」ではなかった。「完成するか」だった。開発会社の進捗が遅れていた。プロダクトが完成しないかもしれない。その不安ばかりを見ていた。顧客の顔を、見ていなかった。

    「良いものを作れば売れる」と、本気で信じていた。

    でも実際には、「良いもの」と「売れるもの」は違った。

    コロナ禍が来た。現場に入れなくなり、プロダクトも試してもらえなくなった。それでも助成金があり、引き合いもあった。「いつか動き出せば売れる」と思っていた。

    コロナが明けて再び動き始めた時、現場から返ってきた言葉は違った。

    「これ、誰が操作するんですか?」

    審査員はコンセプトを見る。でも現場は「自分たちの仕事が増えるか」を見る。それは当然だった。でも私は、その当然を見ていなかった。

    実は起業してからずっと、会社を支えていたのはコンサル事業だった。そちらは順調だったから、プロダクト事業の現実から目を逸らし続けることができた。

    焦った私は、さらに新しいプロダクトへ手を出した。補助金も使った。コンテストにもまた出た。でもそれは戦略ではなかった。ただの焦りだった。

    コンサル事業に力を入れなくなってから、会社の資金が底をつくのは早かった。


    人の目が、一番つらかった

    2023年9月。私は、自分への給料を止めた。

    しばらくして、耳に入ってきた言葉がある。

    「あいつは失敗した」

    敵ではなかった。前職の部下や同僚たちがそんな話をしていると、仲のいい先輩から耳に入ってきた。

    誰とも会いたくなくなった。SNSを開こうとはしなかった。外に出るのが怖かった。前職を辞めなければよかった、と何度も思った。

    でも今なら言える。

    一番苦しかったのは、お金ではなかった。人の目だった。お金は数字で見える。でも、人の目はどこまでも追いかけてくる。

    それでも私は、借金の返済を続けた。会社の資金が尽き始めてからは、自分のお金を会社へ貸し続けた。いわゆる事業主貸付だ。その総額は1,300万円を超えていた。

    そりゃお金もなくなるわな、と今は思う。

    でも、当時の私は止まれなかった。

    実は若い頃にも似たような経験がある。新卒で入った宝飾・アパレルの会社で、閉店が決まっている店舗の店長に抜擢された。売上が足りない時に自分の給与から商品を買わなければいけないという暗黙のルールがあった。一人暮らしだった私は、電気・ガス・水道・電話を2回止められたことがある。

    あの経験が、今の私を耐えさせているのかもしれない。

    自己破産で逃げてはいけない。自分のケツは自分で拭かなければいけない。そのように育ってきたから。

    給料を止めたことで家族に一度目のショックを与え、破産が見えてきた時、二度目のショックを与えた。

    そして限界が来た時、体が先に折れた。

    2024年7月。私は救急車で運ばれた。誰かのせいにはしなかった。全部、自分が悪いと思った。そして担架の上で、私は来週末の講義のことを考えていた。


    ぽんちゃんは、何も評価しなかった

    2022年1月。うちに柴犬のぽんちゃんがやってきた。ちょうどオミクロン株が流行し始めた時だ。

    コンサルとして相談に乗っていたクライアントからも「しばらく来ないでほしい」と言われていた時期だった。クライアントからの相談事だったのに。3ヶ月で、スーツを着たのは4日しかなかった。誰にも会えない。どこにも行けない。そんな時に、ぽんちゃんは来た。

    どこでもおしっこをした。いろんなものを噛んだ。大変だった。でも、心が完全に沈み切るのだけは防いでくれたのもまた、ぽんちゃんだった。

    その年の10月、ぽんちゃんのひざに異常が見つかった。翌年には、もう片方のひざも手術した。事業は苦しくなっていた。でも、この子は私の大切な子供なので何とかしてあげなければいけない。その想いしかなかった。

    手術後、ぽんちゃんはストレスからかフードアグレッシブになった。しばらく、出血するほど噛まれたこともあった。それでも私のこの子に対する愛情は変わらなかった。

    私は毎日、ぽんちゃんに話しかけていた。愚痴も。不安も。誰にも言えないことも。

    ぽんちゃんは、採点しなかった。評価もしなかった。「それは違う」とも言わなかった。ただ、隣にいた。

    「あいつは失敗した」と言われた時も。給料を止めた時も。救急車で運ばれた時も。

    2022年から2024年。あの2年半。ぽんちゃんだけは、何も変わらなかった。

    毎日話しかけていると、不思議と頭の中が少しずつ整理されていった。愚痴を吐き出すだけで、やるべきことが見えてきた。やりたいことも、見えてきた。ぽんちゃんは何も言わないのに、なぜか自分が戻ってくる感覚があった。

    その時間の中で、気づいたことがある。

    人は、本当は予定を管理したいわけじゃない。「自分自身を、見失いたくない」のだと思う。

    Todoは増える。でも、"自分らしさ"は減っていく。

    やらなければならないことに追われ、やりたいことは後回しになる。振り返る時間はなく、頭は止まらない。カレンダーは休みだらけなのに、頭の中は仕事が止まらない。

    必要なのは「管理」ではなかった。一度、ログアウトすることだった。

    ぽんちゃんは、それを教えてくれた。採点しない。評価しない。ただ寄り添う。話しかけると、少しだけ頭の中が整理される。少しだけ、自分が戻ってくる。

    そこから生まれたのが、「ぽんスケ」だ。ぽんちゃんと一緒に人生のスケジューリングをする。私の名前「ようすけ」も掛け合わさっている。


    ぽんスケは、「存在」だと思っている

    ぽんスケは、スケジュール管理ツールではない。

    自分のペットに話しかけるように、今日あったことや気持ちを話すだけでいい。「今日は会議が多くて疲れた」「週末はどこか行きたいな」。ただそれだけで、頭の中が少しずつ整理されていく。

    しかも画面の中に、自分のペットがいる。ぽんちゃんでもいい。猫でもいい。もう会えないあの子でもいい。

    ぽんちゃんがあの2年半、何も言わずに隣にいてくれたように。ただ寄り添って、少しずつ自分を取り戻させてくれたように。

    そんな存在を、画面の中に作りたかった。

    だから私は、ぽんスケを「アプリ」ではなく、「存在」だと思っている。

    そしていつかぽんちゃんがいなくなった時のことも、考えている。この子が生きた証を残したい。会話の記録が思い出として積み重なり、いなくなった後もなんでも言える存在であり続けてくれる。ペットロスで悩まれている方々にも、自分のペットをその存在にしてあげてほしい。


    再起、そしてピボット

    救急車で運ばれた後、助けてくれたのは意外な人たちだった。倒れた私に、業務委託という形で仕事をくれたのは、かつての競合他社だった。プライドがどうとか言っている場合ではなかった。それで何とか生き延びた。

    ただ、それで楽になったわけではない。業務委託費で借入の補填と、お金周りと決算を任せている非常勤社員の給与までは賄えるが、それ以外の経費はすべて自分で見なければならない。出張旅費が発生すれば、その分だけ生活が苦しくなる。だからできる限りZoomにしたい。資金調達がいかに大変かは、経験した人にしかわからない。

    だから人以上に働かなければいけない。それが今の現実だ。顧客にそんなことは言えないし、言ったところで伝わらないかもしれない。少なからず顧客に迷惑をかけていることも思い当たる。自分自身、恥じている。でも心の奥底には、いつもそういう気持ちがある。

    いっそ自己破産してしまった方が楽なのかもしれない、と考えることもある。でも家を取られる。家族として再起できるのだろうか。その一点だけが、踏み切れない理由だ。

    それでも、前に進むしかなかった。


    発信を決めた日

    講師業は続いた。昔からやっていた個人の仕事だった。それだけは、どんな状況でも声がかかり続けた。

    少しずつ、人と会い始めた。そして気がついたら、考え方が変わっていた。

    組織の経営を変えたい。それがずっとやりたいことだった。でも現場を見ながら、少しずつ違う答えが見えてきた。

    経営を変えることより先に、現場で頑張っているのに日常に忙殺されている人たちを何とかしたい。

    その想いが、ぽんスケという考え方を生んだ。そして同時に、研修や講演に軸足を移していくきっかけにもなった。プロダクトで救うのか、言葉で救うのか。どちらも同じ想いから来ていた。

    ただ今回は、同じ轍は踏まない。まずは自分の考えを伝えるところから始める。

    2026年1月1日。私は発信することを決めた。

    名前を消した。自分の名前での発信も再開しながら、「ぽんちゃんのパパ」として、NoteとXでも発信することにした。肩書きでも実績でもなく、自分の想いそのもので勝負する。その想いに共感してくれた人に、商品を手に取ってもらいたい。

    プロダクトを売るのではなく、自分自身の想いを先に伝えていく。大きな経営改革の話ではなく、現場で頑張っているのに日常に忙殺されている一人ひとりに届く言葉を発信していく。

    その前に、一つやることがあった。熊野古道を歩いた。3日間で58キロ。再生を誓って。初めて伊勢神宮にも行った。

    たぶん、自分の行動を、自分自身で肯定したかったのだと思う。誰かに認めてもらうのではなく、自分で自分を認める旅だった。

    歩き終えて戻ってきてから、少しずつ動き始めた。雑誌への寄稿。講演。講師業。大学院時代の先生から、高校生向け講師の依頼もいただいた。

    自信も、お金もなかった。でも、人と会おうと思った。


    起業する前に、これだけは考えてほしい

    今なら、はっきり言える。

    もっと無償で使わせるべきだった。コンテストに出る前に。融資を受ける前に。現場で試すべきだった。「誰が操作するんですか?」という声を、もっと早く聞きに行くべきだった。

    実は大学院の先生方から「お金をかけずにモックを作って検証しなさい」と言われていた。にもかかわらず、やっちまった。経験しないとわからないバカだった。

    評価者と購入者は、まったく別の人間だ。審査員はコンセプトを見る。でも購入者は「自分の生活や仕事が変わるか」を見る。その溝を、私は見ていなかった。

    私は、ビジネスモデルキャンバスも、リーンキャンバスも得意だった。大会でも優勝した。

    でも今思えば、それはゲームだった。絵に描いた餅だった。

    どれだけ美しい資料を作っても、顧客は生まれない。AI時代になって、その傾向はもっと強くなると思う。AIは事業計画書もピッチ資料も作れる。でも顧客は作れない。顧客は、人間関係の中にしか生まれない。

    その失敗が、今のコーチングの仕事に生きている。教えるのではなく、クライアント本人に考えさせる。答えを与えるのではなく、気づきを引き出す。あの痛い経験がなければ、その本質を体で理解できなかったかもしれない。


    DtoCという、小さな起業

    だから私は、まず小さく始めてみてほしいと思っている。

    モノを売るのではなく、自分の考えを売ってみてほしい。考えを伝える。モックを見せる。反応を見る。その繰り返しだ。

    Facebookと違い、Xというのは秀逸だ。"アカウント全体の行動量と反応率"を見られているのでただ投稿するだけでは広がらない。それはただ店頭で呼び込みをしているだけと変わらない。人が通らなければ伝えたいことも伝わらない。自分の考えに近しい人たちに、自ら近づいていかなければならない。駅前でのビラ配り。テレアポ。そういう地道な作業に近い。

    自分からいいねやリプをしに行く。すると、少しずつ反応が返ってくる。自分の投稿も広がっていく。そこで初めてNoteに導いて、自分の考えを知ってもらう。

    動線は長いかもしれない。でもこれが本当の起業スタイルだと思っている。コストはかからない。失敗しても、お金は溶けない。反応があれば、それが顧客候補だ。

    プロダクトが完成する前に、その想いやプロダクトの紹介をしておく。その段階では開発費はかかっていても、まだ少しだけだ。それだけで、出した瞬間の景色が全然違う。

    私は今、このやり方で動いている。名前を消して、ぽんちゃんのパパとして。審査員ではなく、顧客になってくれる人に向けて。毎日、少しずつ。


    あなたへ

    起業を考えているあなたに、伝えたいことがある。

    審査員に愛されても、市場に愛されるとは限らない。プロダクトが良くても、あなたのことを誰も知らなければ届かない。評価される場所と、売れる場所は違う。

    だから、まず想いを伝えてほしい。完成前でいい。未完成でいい。SNSでも、Noteでもいい。発信を続けてほしい。その反応の中に、未来の顧客が必ずいる。

    転んでもいい。

    1,300万円を溶かしても。
    給料を止めても。
    救急車で運ばれても。
    「あいつは失敗した」と言われても。

    人は立ち上がれる。

    自分自身に何度も言い聞かせているのだが、私は失敗者ではない。失敗経験者だ。失敗したことと、失敗で終わることは、まったく別の話だ。

    出資者への返済は、まだ続いている。私はほぼ借入だけで戦ったのでさほど多くはないが、それでも逃げるつもりはない。多額の出資を受けて戦っている人は、もっと大変だと思う。組織の中で変革しようとしている人も、別の苦しさがある。

    どんな形であれ、何かを変えようとしているあなたへ。

    転んでも、立ち上がってほしい。倒れても、また立てばいい。私は、それだけを願っている。

    ぽんちゃんは、今日も隣で寝ている。🐾

    この記事が参加している募集

    あなたへのおすすめ