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#007_文化は「モノ」じゃない、「コト」だと言いながら、全部ズレてる話 ~ ハセガワゴイチの、一人暮らしの独り言(文化構造論 思想編)

いや、最近よく聞きません?「これからはモノからコトの時代です」うん、正しい。めちゃくちゃ正しい。でもね、現場から言わせてもらうと、 “言ってるだけで、全然できてない”、これが実態です。


■モノとコトの違い、ちゃんと理解してます?

まず整理するとこう。モノの文化とは、「ホールを建てる」、「作品を展示する」、「有名アーティストを呼ぶ」。つまり、「いいものを用意したから見に来てね」。
一方で、コトの文化とは、「体験する」、「参加する」、「関係性が生まれる」。つまり、「あなたもこの文化の一部になってね」。この違い、めちゃくちゃデカい。でも、ここで問題が起きる。でも、ここでだいたい事故る。

■“コトの時代”と言いながら、やってることはモノ

例えば、「ワークショップやりました!」、「体験型イベントです!」、「交流が生まれました!」と、言いながら、、、なんだかだんで、単発で終わる、はい、終了。これ、コトじゃないです。 “モノっぽいコト”なんですよ。本当のコトって何かというと、つまり『関係性が継続すること』。なんですよね。



■そして出てくる“あの言葉”

ここで、とある人たちのあるある。私も何度も聞かされたが、全く落ちていないあの魔法の言葉、、、「それ、属人的だよね」。出ました。この一言で、だいたい全部壊れる。

■属人的って、本当に悪なのか?

これ、かなり誤解されているんだけど、文化の現場って基本こうなんです。『属人的であるほど強い』。なぜか?答えはシンプル。文化は“人の熱量”でしか動かないからなんです。“あの人がいるから集まる”、“あの人がいるから続く”、“あの人がいるから面白い”。これがまさに文化です。逆に言うと、「誰がやっても同じ」になった瞬間に終わる。。。

■やらかしている最大のミス

ここで致命的な取り違いが起きる。《属人的=悪、専門的人材=再現可能》、と考えてしまう。でも現実はこう。専門性こそ、めちゃくちゃ属人的なんですよ。例えば、【優れたプロデューサー】、【場を作れるキュレーター】、【人を巻き込むディレクター】これ、全部“再現不能スキル”。なのにこうする。「マニュアル化しよう」、「誰でもできるようにしよう」。結果どうなるか。全部、薄まる。



■人材育成が失敗する理由

で、ここが一番ヤバい。 “専門性を潰して、均一化する”、これが起きる。《尖った人材は扱いづらい》、《熱量が高い人は浮く》、《構造を読める人は煙たがられる》。結果、 “ちょうどいい人材”だけが残る。そして文化はこうなる。無難、平均的、誰も語らない。はい、終わりです。



■現場で見えているリアル

これ、完全に体感なんだけど、文化事業って結局こうなんです。人>仕組みなんです。【優秀な人がいると回る】、【いなくなると止まる】。だから本来やるべきはこれ。「人を育てる」、「人を守る」、「人に任せる」。でも実際は逆。「人を均す」、「リスクを潰す」、「権限を与えない」。そりゃ、文化育たない。

■結論:コトの時代とは“人の時代”

最後にまとめるとこう。『モノ → 再現できる』、『コト → 人に依存する』。だから、【コトの時代=属人性の時代】なんですよ。ここを理解しない限り、どれだけ「コトの時代」と言っても、中身は全部モノのまま。



■あとがき

文化ってね、効率化した瞬間に死ぬんですよ。だから本当はこう言うべき。「非効率を許容できるか?」これが、文化政策の本質。もしこれができたら、そのまちはたぶん、“文化があるまち”になる。




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〔このシリーズをまとめて読む〕


このnoteについて、「ここは何をする場所か」を書きました。
初めての方はこちらから→#0「ようこそ、火傷する場所へ。」




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