メインコンテンツへスキップ

silent letter ④黯然

    仰向けで見た空は鈍色に覆われている

    走り去る車の姿が霞んで見える

    横断歩道の白線が赤く滲んでいる

    それを溶かすように雨が降り始める

    止まない動揺が意識を朦朧とさせる

    遠くから救急車の音が聞こえてからの記憶がない

    長い夢を見ていたような気持ちで目が覚める

    隣のベッドで横になる姉は医療機器に囲まれている

    あれは夢ではなかったと胸を突き刺される

    現実から逃げ出したくて瞳を閉じる

    それでも朝を迎えることは避けられない

    少年は転んだ際に頭部に傷を負ったらしい

    異常がないかを検査するために入院することになっている

    花瓶の横には形の崩れた苺大福が置いてある

    お返しが何もできていない

    お礼さえ何も伝えられていない

    結ばれたミサンガを見つめる

    いつか肩を並べられる日が訪れることを願ったはずなのに

    鮮やかな花びらが人知れず落ちている

    明日の世界を見ることはできないのだろう

    散った姿に生まれてきた儚さを見てしまう

    姉は意識が戻らずに眠ったままである

    少年は目覚める度に姉に声を掛けてみる

    聞こえない返事に涙を流しながら目を瞑る

    それを繰り返すだけの絶望の毎日が続く

    この病室で過ごす間に高校の入学式が終わっていた

    始業式にも間に合うか分からないと医師から聞かされる

    どうなっても少年は構わない

    道標となる光を失ったのだから

    自分には明日を迎える資格なんてない

    願わくは病院に閉じ込められていたい

    そんな気持ちとは裏腹に入院生活の終わりを迎える

    検査の結果は異状なしと診断される

    始業式の前日には退院できると言われる

    朝食を食べ終えた頃に父が迎えに来る

    母は持ってきた花を丁寧に挿している

    その隣にはある苺大福は賞味期限が切れてしまっている

    今日から姉は別の部屋に移動するらしい

    新しい病室の場所を看護師に聞く

    これから欠かさず見舞いに来るつもりだ

    少年は病院に別れを告げてから車に乗り込む

    明日の始業式は午前中で終わる予定である

    下校してから帰り道に寄れば面会時間に間に合う

    天気予報によると来週は晴れが続くらしい

    帰路に就く車の窓から外の景色を眺める

    久し振りの風景から季節が進んでいることを感じる

    玄関から見えていた桜の姿がない

    帰宅してから真っ先に自室に入る

    机の上には先生からの手紙と合格と書かれた饅頭がある

    一口で頬張ってみても味がしない

    同じ高校を目指さなければよかった

    憧れの存在を追いかけようと思わなければよかった

    合格なんてしなかったらよかった

    姉に報告するのは家に帰ってからにすればよかった

    あのとき横断歩道を渡らなければよかった

    そしたら姉は今も隣の部屋にいるはずなのに

    願いの届かないミサンガなんて必要ない

    そう思いながら鋏を手に取ると涙が溢れてくる

    一思いに切ってしまおうと心に決めた時に着信音が鳴る

    自分の携帯電話から音楽は流れていない

    自室から出た少年は姉の部屋に入ってみる

    机の上で揺れている携帯電話がある

    勝手に電話に出ることはできない

    大切な連絡が来ている可能性もある

    誰からの着信なのかだけ確認させてもらうことにしよう

    迷いながらも点灯している画面を覗き込んでみる

    そこに映っている名前を見た少年は混乱する

    どれだけ考えても理解が追いつかない

    しばらく思考が停止したまま動けなくなる

    そんな人が存在するはずがない

    姉のことが分からなくなる

    少年は忘れないように電話番号を手の甲に書く

    姉の携帯電話に連絡してきた人の名前は妹と表示されていた

     
     
     

    ユキ

     
     
    silent letter ①〜㉝

    あなたへのおすすめ