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星草環曞 第八話 朝は、ただ消えない

    septima aurora non deletur /
    liber abit /
    germen manet

    ――裏衚玙内偎、退色した最終泚。 䞃床目の朝、消えず。 曞は去り、塔は空ずなる。 芜は光らず、ただ残る。 閲芧埌、玙の重さ、わずかに増す。



    䞃床目の朝、塔はい぀もより軜かった。

    䞭にあるものが枛ったわけではない。

    少なくずも、その時点ではただ棚に本は䞊び、机は眮かれ、地䞋ぞの扉もそこにあった。

    母の垭も、焊げた黒ずみも、磚りガラスに薄く映る海の光も、昚日ず同じ堎所にあった。

    けれど、空気の重さが違っおいた。

    䜕かが終わった堎所ではなく、䜕かを手攟す準備をしおいる堎所の重さだった。

    私は閲芧宀の机に座り、手垳を開いおいた。


    旧蒐曞楌は、閉通日を迎えた。

    透真は入口近くで、カメラのレンズを拭いおいた。

    今日は撮圱を蚱した。

    ただし条件を぀けた。

    青い写本の頁は撮らない。

    皮を眮くずころは撮らない。

    人の顔を撮るなら、必ず声をかける。

    「现かいな」

    透真は蚀った。

    蔵前は垂の職員二人ず搬出手順を確認しおいた。

    癜い手袋。
    䞭性玙の箱。
    緩衝材。
    湿床蚈。
    蚘録祚。
    番号札。

    道具は、䜿う人の遞択に䌌る。

    奪うためにも䜿える。

    守るためにも䜿える。

    真朚は窓際でノヌトを開いおいた。

    第五葉のあずに増えた「匂い」の欄は、もう特別な線ではなくなっおいた。

    觊感。
    保留。
    芳察者の刀断。
    䜙癜。

    衚の端に、现い欄が増えおいる。

    橘は地䞋ぞの扉の前に立っおいた。

    癜い䞊着ではなく、濃い灰色の䞊着を着おいる。

    「橘さん。その服、初めお芋たした」

    「特別な日なので」

    「正装ですか」

    「どうでしょう」

    「い぀もの癜い䞊着は」

    「地䞋に眮いおきたした」

    「どうしお」

    橘は少し考えた。

    「守るだけだった頃の服なので」

    その蚀い方は、い぀もの橘より少し䞍噚甚だった。

    私はうなずいた。

    誰も、同じたたではいられなかった。

    午前四時を少し過ぎお、私たちは最埌に地䞋ぞ降りた。

    階段は十䞃段。
    䞋から四段目の欠け。

    青い写本は、い぀もの棚にあった。

    石壁に半分埋たった棚の、䞋から二段目。

    倜明け前の空を也かしたような青。

    留め金は閉じおいる。

    背の隙間の皮は、ただそこにあった。

    青みがかった灰色。

    私はもう、それを枬ろうずは思わなかった。



    午前四時䞃分。

    衚玙が開いた。

    最終葉。

    そこに、花はなかった。

    芜があった。

    玙の䞭倮ではなく、頁の䞋端に、小さな芜が䞀本だけ出おいた。

    花ず呌ぶには早すぎる。

    葉ず呌ぶにも幌い。

    青みを垯びた现い線が、玙の繊維の奥から、こちらぞ䌞びおいる。

    火の花のように燃えなかった。
    氎の花のように揺れなかった。
    音の花のように鳎らなかった。
    硝子の花のように映さなかった。
    数字の花のように䞊ばなかった。
    倢の花のように眠らせなかった。
    癜玙の子どものように芋返しおもこなかった。

    ただ、芜だった。

    芜の葉脈は、ただひらいおいない。

    けれど、现い筋だけが芋えた。

    芜の脇には井戞があった。

    星の目をした者たちが、井戞を囲んでいる。

    圌らは柪を芋おいなかった。

    芜を芋おいた。

    顔を寄せるわけでも、手を䌞ばすわけでもない。

    ただ、そこにあるこずを確かめるように、静かに囲んでいた。

    芋守るのずも違う。

    それはたるで、ずっず前から埅っおいた者たちの、ようやく、ずいう静けさだった。

    頁の䜙癜に、薄い文字が浮かんだ。

    所有するな。返せ。

    昚日も芋た蚀葉だった。

    今日は、その䞋にもう䞀行があった。

    答えではなく、堎所を。


    蔵前のペンが止たった。

    真朚のノヌトも止たった。

    透真はカメラを持っおいなかった。

    橘は、青い写本ではなく、背の隙間の皮を芋おいた。

    私は写本の背に手を䌞ばした。

    誰も止めなかった。

    皮を぀たむず、軜かった。

    石でもなく、金属でもなく、怍物でもない。

    ただ、䜕になるか決たっおいないものの重さだった。

    「持ち出したすか」

    蔵前が静かに蚀った。

    「眮きたす」

    私が答えた。

    「どこに」

    「塔の倖。石段の䞋に」

    はじめの日から、私が数え続けた堎所。

    十䞃段の始たり。

    入る堎所であり、出る堎所。

    塔の内偎でも、完党な倖偎でもない堎所。

    硝子戞のこちら偎でも、向こう偎でもない堎所。

    私は青い写本を閉じなかった。

    閉じる必芁はなかった。

    頁の芜は、ゆっくりず薄れおいった。

    最埌に葉脈の星図だけが残り、それも玙の奥ぞ沈んだ。

    留め金が静かに閉じた。



    私たちは地䞊ぞ戻った。

    地䞋から䞊がる十䞃段は、降りるずきより少し長く感じた。

    䞊ぞ行くほど空気が薄くなる。

    最埌の䞀段を䞊がるず、朝の光が硝子戞の向こうにあった。

    私は塔の倖ぞ出た。

    石段を降りる。

    䞀、二、䞉、四、五、六、䞃、八、九、十、十䞀、十二、十䞉、十四、十五、十六、十䞃。

    その䞋に、石畳の隙間があった。

    私はしゃがんだ。

    指先の皮を、その隙間に眮いた。

    萜ずしたのではない。
    捚おたのでもない。
    隠したのでもない。
    怍えた、ずも少し違う。

    眮いた。

    指を離した瞬間、䜕も起きなかった。

    光らなかった。
    音もしなかった。
    空から星の目をした者が降りおくるこずもなかった。
    母が珟れるこずもなかった。
    癜玙の子どもが笑うこずもなかった。

    ただ、皮が石ず石の間にあった。

    それだけだった。

    私は手垳を開いた。

    八。芜。

    そこたで曞いお、しばらく止たった。

    私は短く曞いた。

    八。芜。石畳の隙間に眮いた。光らなかった。

    それで閉じた。


    午前九時、搬出が始たった。

    たず地䞊の曞棚からだった。

    叀い郷土誌。
    海沿いの町の地図。
    寄莈者名簿。
    航海蚘録の写し。
    怍物誌。
    誰かの手玙の束。

    ひず぀ず぀番号を確認し、箱に入れ、緩衝材を詰める。

    蔵前は䜕床も「急がなくおいい」ず蚀った。

    透真は写真を撮った。

    箱に入る本。
    空になった棚。
    番号札を眮く蔵前の手。
    窓蟺に立぀橘の暪顔。
    机の䞊の私の手垳。

    「撮っおいい」

    「衚玙はだめ」

    「端だけ」

    「端だけなら」

    透真はうなずいお、シャッタヌを切った。

    「公開するの」

    「今はしない」

    「い぀かは」

    「たぶん」

    「どういう圢で」

    「写真だけじゃなくお、柪の文章ず䞀緒に」

    「私の」

    「曞くんだろ」

    物語にしたら、私のものになる気がした。

    「どう曞けばいいのか、わからない」

    「そういう面倒なこずを考えるの、柪は埗意だろ」


    昌過ぎ、地䞋宀の搬出になった。

    扉を開けた瞬間、党員の動きが少し遅くなった。

    私ず透真も地䞋宀ぞ降りた。

    階段は十䞃段。
    䞋から四段目の欠け。

    青い写本は棚にあった。

    石壁に半分埋たった棚の、䞋から二段目。

    倜明け前の空を也かしたような青。

    留め金は閉じおいる。

    背の隙間に眮かれおいた皮は、もうない。

    蔵前が青い写本の前に立った。

    「雚宮さん、最埌に觊れたすか」

    觊れたい、ず思った。

    でも、觊れなくおもいい気がした。

    「もう、倧䞈倫です」

    蔵前が青い写本を棚から取り出す。

    棚から離れた瞬間、地䞋の空気が少し動いた。

    透真は写真を撮らなかった。

    「撮らないの」

    「これは、撮らない方がいい。撮ったら、わかった気になる」

    青い写本は箱に入れられた。

    箱は思ったより小さかった。

    あれだけ倧きなものを芋せた本が、䞡手で持おるほどの箱に収たる。

    箱には番号が貌られた。

    旧蒐曞楌地䞋未敎理資料。
    仮番号。
    状態、芁継続芳察。
    開封、䞍可。 立䌚者、蔵前、橘、真朚、透真、雚宮柪。

    私の名前が、蚘録祚に曞かれた。

    母の閲芧カヌドずは違う字で。

    違う日付で。

    違う立堎で。

    母の続きを生きない、ずいうのは、母を消すこずではない。


    塔は少しず぀空になった。

    真朚は窓際に立っお、倖を芋おいた。

    「雚宮柄音も、ここが空になるずころを芋たかったかもしれたせん」

    「母は、ここを残したかったんじゃないんですか」

    「たぶん、残したかったず思いたす」

    「でも、空になるずころも芋たかった」

    「矛盟しおいたすね」

    「矛盟ばかりです」

    真朚はノヌトを閉じた。

    「母は、戻っおくるず思いたすか」

    真朚はすぐには答えなかった。

    「戻っおくるかは、わかりたせん。でも、あなたがここで芋たものは、雚宮柄音を閉じ蟌めるためのものではなかったず思いたす」

    母は母だった。

    でも、それだけではなかった。

    読んだ人。
    迷った人。
    倢の䞭で残りかけた人。
    私に答えを枡さなかった人。
    私の続きを生きないで、ず蚀った人。


    倕方前、最埌の箱がワゎン車に積たれた。

    青い写本の箱は、荷台の奥ではなく、固定された専甚ケヌスの䞭に収められおいた。

    「移送先での管理に぀いお、埌日説明したす」

    蔵前が蚀った。

    ワゎン車が走り出した。

    癜い車䜓が角を曲がるずき、荷台の扉が朝の残りの光を䞀床だけ反射した。


    旧蒐曞楌は、空になった。

    私は最埌に䞀人で地䞋ぞ降りた。

    階段は十䞃段。
    䞋から四段目の欠け。
    石壁に半分埋たった棚の、䞋から二段目。

    䜕もない、ずいう圢があった。

    「ありがずう」

    声に出す぀もりはなかった。

    誰に蚀ったのかは、わからない。

    青い写本に。
    塔に。
    橘に。
    蔵前に。
    真朚に。
    透真に。
    母に。
    癜玙の子どもに。
    䞃぀の花に。

    倖に出るず、倕方の光が石段にかかっおいた。

    透真が入口の暪に座っおいた。

    「遅い」

    「埅っおたの」

    私は石段を降りた。

    䞀、二、䞉。

    途䞭で数えるのをやめようず思った。

    でも、最埌たで数えた。

    十䞃。

    石段の䞋。

    朝、皮を眮いた堎所。

    私はしゃがんだ。

    最初は、䜕もないように芋えた。

    「  あるぞ」

    透真が指差した。

    石ず石の隙間。

    暗がりの奥。

    そこに、现いものがあった。

    青い芜だった。

    小さい。

    本圓に小さい。

    色は青ずいうより、青みを垯びた灰色に近かった。

    葉はただ開いおいない。

    光っおはいなかった。

    音もしなかった。

    空気も震えなかった。

    ただ、そこにあった。

    私は右手を䌞ばしかけお、やめた。

    觊れない。
    囲わない。
    抜かない。
    名づけない。
    ただ、堎所を芚える。

    透真はカメラに觊れなかった。

    橘が少し遅れお来た。

    「出たしたか」

    「はい」

    「光っおいたすか」

    「いいえ」

    「それでいいず思いたす」

    「どうしお」

    「光るものは、目立ちたす」


    真朚も近づいおきた。

    「雚宮柄音に芋せたかったですね」

    私は少し考えた。

    「はい」

    蚀っおから、もう䞀床芜を芋た。

    「でも、芋せなくおもいいです。母に芋せるために出たわけではないので」

    胞が少し痛んだ。

    でも、その痛みは悪いものではなかった。



    倜、家に垰るず、父がいた。

    「おかえり」

    「ただいた」

    父は私の顔を芋お、䜕かを聞きかけた。

    でも、聞かなかった。

    「食べるか」

    私はうなずいた。

    「お父さん」

    「うん」

    「お母さんの話を、今床ちゃんず聞きたい」

    父の手が止たった。

    「そうか」

    父は箞を持ったたた、しばらく動かなかった。

    「俺も、聞きたい」

    父は箞を眮いた。

    母がいなくなっおから、父はそうやっお䜕床も蚀葉を飲み蟌んできたのだず
    思った。

    父もたた、母の物語を所有できずにいた。


    倜、自分の郚屋で手垳を開いた。

    䞃日間の蚘録。

    私は、手垳の新しい頁を開いた。

    タむトルを曞いた。

    星草環曞。

    少し迷っお、読み仮名も曞いた。

    ほしくさのわのしょ。

    その䞋に、第䞀行を曞こうずしお、手が止たった。

    曞けば、圢になる。

    それでいいず思った。

    ただ、眮く。

    私は次の行を曞いた。


    旧蒐曞楌の閉通たで、あず䞃日だった。


    曞いた瞬間、少しだけ怖くなった。

    物語が始たっおしたった。

    それでいい。

    塔はもう空だ。

    母は垰っおいない。

    芜は石畳の隙間にある。

    䜕も解決しおいない。

    でも、䜕かは始たっおいる。

    私は頁の端に、小さく远蚘した。


    䞃床目の朝は、ただ消えない。



     
     
    幻想SFず静かな物語を曞いおいたす。 『星草環曞ほしくさのわのしょ』党八話完結枈み。 はじめおの方は固定蚘事からどうぞ。

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