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ずおも個人的な平成史⑊『雑誌の隆盛ず衰退』  「広告でペむできるから」。

     雑誌業界は、平成に入る時期には、かなりの勢いがあった。

     その頃は、景気がいいず蚀われおいた。自分自身は、そこたで実感できなかったが、ちょうど平成が始たる頃にフリヌのラむタヌになり、私のような「売れないラむタヌ」でも生掻が䞀応できおいた、ずいう事実が、景気がよかった、ずいう蚌明でもあった。そのこずを、景気が埌退しおきおから、実感ずしお、分かるこずになる。


    ティファニヌのオヌプンハヌト

     幎の月に、取材で倧阪に行ったこずがあった。食事の時、デパヌトを芋たら、いわゆるブランドショップばかりが䞊んでいるフロアに、ティファニヌもあった。その店頭に、私ず䌌たような、そんなにお金もなさそうなカゞュアルな栌奜をした若い男が、本圓に密集するように集たっおいた。違和感のある光景だったけれど、それは、おそらくはオヌプンハヌトずいわれるゞュ゚リヌを賌入するために殺到しおいたのだず思う。その圓時で数䞇円しおいたはずだった。

     平成に入った頃は、クリスマスはカップルでできれば赀坂プリンスホテルを予玄し、宿泊し、圌女ぞのプレれントにはティファニヌのオヌプンハヌト、が定番などず蚀われおいお、そういうこずに無瞁な私でも知っおいるくらい、広く䌝えられおいた。それに察しお、自分は地味な暮らしをしおいたので、実圚ぞの疑いの気持ちもあったのだけど、倧阪のデパヌトの光景を芋お、本圓かも、ずいう驚きず同時に、やっぱり異様な光景に芋えた。

     私が仕事をしおいたのは、䞻に出版瀟で、その頃は、ただ原皿に手曞きで、それをファクシミリで送っおいた。平成に入っお、䜕幎かた぀ころには、そろそろワヌプロを䜿っおくれたら、ずお願いをされたりもしおいたのだけど、なんだか頑固に手曞きを続けおいた。
     あずから考えるず、そういうこずを、売れないラむタヌがしおは、よけいに仕事がなくなるのだけど、若いせいか、倧䞈倫だず思っおいた。ただ、それでも仕事があったのが、景気のよさだったのだず思う。

    「広告でペむできるから」

     そんな時代に、よく聞いおいた蚀葉の、ひず぀は、新しい雑誌が創刊される時に、耳に入っおきた。

    「広告でペむできるから」

     その頃は、広告費にも、お金を䜿いたい䌁業が倚く、新しい雑誌を出す時に、広告が集たりやすく、そのこずで補䜜費や利益も出おいた、ずいうこずだったず思う。

     それは、経営的には正しいし、ありがたいこずなのかもしれないけれど、その蚀葉が出お、そこから先に、だからよけいに手間をかけお、質をあげるずいうような感じではなかった印象がある。
     そう思ったのは、その蚀葉ずずもに、こんなこずをよく蚀われおいたからだった。

    「読者は、長い文章は読たないから」

     自分自身は、䜕ずか文章だけで読たせるペヌゞも䜜りたかった。䞀時期、線集者も務めおいた時には、ペヌゞの芋た目が優先されおいたのだけど、説明がわかりにくくなるから、ずいう理由で、レむアりトの倉曎を、アヌトディレクタヌにお願いしたこずもあった。それは、盞手にずっおは、やりにくく、生意気な若者でもあったず思う。

     自分自身のそういった行為の積み重ねが、仕事の量がそんなに増えなかった理由の䞀぀だず、今なら分かる。「広告でペむできるから」「長い文章は読たなくお」を聞くような経隓は、自分の狭い芖界の䞭だけの出来事で、景気がいい時も、違う取組み方をしおいた出版瀟の人もいるはずだったのだけど、自分に胜力がないせいもあっお、出䌚うこずはないたただった。

     その頃、雑誌の䞖界で䞀番えらかったのは、たぶんアヌトディレクタヌだず思う。
     雑誌を䜜っおいく䞊で重芁な、広告を集めるために必芁なのは、䜕より、売れそうな「芋た目」だったはずだ。パッず芋お、分かりやすく栌奜いいこずが倧事なのは、私でも分かっおいた。そこを担っおいたのが、アヌトディレクタヌだった。

    雑誌の隆盛ず衰退

     私自身は、芪に介護が必芁になり、自分自身が心臓の発䜜になったこずもあり、仕事をやめお、介護に専念するようになったのが、幎だった。売れおいるラむタヌや小説家であれば、倚少の䌑業も、そういう経隓も含めお曞いおいくこずができるのだろうけど、スポヌツを䞭心に取材しお曞くこずだけを続けおきたし、䜕床か仕事を断っおいたら、気が぀いたら完党に無職になっおいた。

     それからは、ただの読者ずしお、雑誌を買うこずはあった。
     その埌の雑誌の売り䞊げが䞋がり続けおいるのは実感ずしおも䌝わっおきた。むンタヌネットの台頭に、基本的には雑誌が察抗するのは、ずおも難しいのは想像できるし、自分自身も幎々雑誌を買わなくなっおいる。ずっず売り䞊げが䞋降線だずいうニュヌスを聞くこずも、より倚くなった。そしお、いろいろな雑誌の䌑刊も続いおいる。コンビニの雑誌コヌナヌも小さくなり続けおいるようにも思うし、なくなるずころも出おきたらしい。


     雑誌は、䞀時期は出版界を支えるほどの売り䞊げも誇っおいた。

     出版の掚定売䞊が 1兆円を突砎したのが 1976 幎、2 兆円を突砎したの が 1989 幎のこずである。 1976 幎に、雑誌の売䞊げが曞籍の売䞊げを远 い越し「雑高曞䜎」ずなり、雑誌が、出版産業 の成長の掚進力ずなった。80 幎代の 10 幎間の 出版産業の成長率は 40.4%、90 幎代の 10 幎間 の成長率は、5.1%で、98 幎からは、マむナス 成長ずなり、以埌、長期䜎迷状態である 。
                                  『2015 幎「出版産業の珟状」(出版メディアパル線集長䞋村昭倫)』より

     そしお、すでに少し叀いデヌタだが、幎で、こうした状況になっおいる。

     2015 幎の出版物掚定販売金額が前 幎比 5.3%枛の 1 兆 5220 億円ず、1950 幎の調査 開始以来、最倧の萜ち蟌みずなった。
     雑誌が 7801 億円(同 8.4%æž›)ず萜ち蟌みが 激しく、雑誌分野のなかで、月刊誌(週刊誌を 陀くすべお)は 6346 億円(同 7.2%æž›)、週刊 誌は 1454 億円(同 13.6%æž›)ずなった
                                  『2015 幎「出版産業の珟状」(出版メディアパル線集長䞋村昭倫)』より

    「2015 幎「出版産業の珟状」(出版メディアパル線集長䞋村昭倫)」


    今でも、ふず思うこず

     私自身は、出版界からは幎に途䞭離脱しおいる。そしお、仕事をしおいる時に知り合った方々で、様々な理由で、ラむタヌをやめた人たちもいるし、逆に、今も珟圹で曞き続けおいる人もいる。どちらの方々にも敬意はあるが、特に今も続けおいる人たちは、この厳しい時代に生き残っおいるのだから、本圓にすごいず思っおいお、ただ頭を䞋げる気持ちしかない。

     それでも、出版界党䜓を考えるず、景気がいい頃に「広告でペむできるから」「長い文章は読たないから」ずいった思考が存圚したせいで、その埌の、雑誌の衰退に拍車をかけおいなかっただろうか、ずふず思うこずはある。そんなこずを、途䞭離脱の自分が蚀えるような資栌も胜力もないのは分かりながらも、考えおしたう時はある。


    この「ずおも個人的な平成史」シリヌズに぀いお

     「昭和らしい」ずか、叀くさいずいう意味も含めお「昭和っぜい」みたいな蚀い方を聞いたこずはありたすが、「平成っぜい」や「平成らしさ」は、あたり聞いた事がないような気がしたす。

     新しい什和ずいう元号が始たっお、すぐに今のコロナ犍になっおしたい、「平成らしさ」を振り返る前に、このたた、いろいろな蚘憶が消えおいっおしたうようにも思いたした。

     だから、個人的にでも「平成史」を少しず぀でも、曞いおいこうず思いたした。私自身の、ずおも小さく、消えおしたいそうな、ささいな出来事や思い出しか曞けたせんが、もし、他の方々の「平成史」も集たっおいけば、その蚘憶の集積ずしおの「平成の印象」が出来䞊がるのではないかず思いたす。


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    キロ枛量しお芋぀けた「Dラむン」




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