
「女」に憧れ「女」になりたかったわたしへ。
noteの記事を書こうとする。そうすると【思いのまま書いてみよう。】って書き出す背中を押してくれる。書きたいことがたくさんある。こんなことを書いていいのだろうか。主語がでかくないか。あまりにも自分の固まった目線すぎないか。自分の書いた言葉のトゲを丸くしようとして言葉が喉の奥にたまる。
「普通はさ、」と心の中で思うとき、思わず言葉に発してしまうとき、ふつうってわたしの価値観なんだよなって、毎回立ち止まる。自己評価すら他者評価とギャップがないか、俯瞰の自分がいて「おいおい偏ってるぞ」と突っ込んでるくから 立ち止まり続けて何も話せなくなるんだ。でも、それじゃよくないって最近自分に語り掛けてる。偏ってても自分の考えなんだからさ、って。
今日はそんな私の偏った発言をしよう。私の凝り固まった【ふつう】のものがたりなので、すみません。これはあくまで私個人の感覚のはなし。
学生時代ずっと「女」になりたかった。いわゆる、男から選ばれるモテる人。「女」になって恋愛がしたかったんだ。
その憧れはたぶん少女漫画がだいすきだったから、そういうところからきてる。ディズニーチャンネルも大好きだったし、zanessaに憧れたし。
そういう「女」の子たちは私の学校にも存在していた。スクールカーストの一軍として立ち振る舞っていたし、その中でわたしは一軍に属するかわいくない側だった(1.5軍)。わたしの女友達たち自他ともに認める一軍だったし、男の子の基準で「かわいい」方に割り当てられた子たちだった。駄弁るテーマもずっと恋愛の話だった。
学生を終えて社会人になったけど、わたしの立ち位置は一軍に属するかわいくない側から変わらなった。(体育会系の営業会社/新卒優遇/出世には社内人脈も超重要)一軍女子たちは腰が軽くて社内飲み会にいつだって参加していたしお酌もしていた。
学校を卒業しても会社に所属しても立ち位置が変わらなさ過ぎて世界はこれだけなんだと思っていた。
友達たちが恋愛トークをしているときも、お酌をしているときも、わたしはそこにいたけれどはっきりと「めんどくせえ」と思っていた。「アンナは最近どう?」なんて話を振られても「なにもない」と答えてぶった切っていた。嫉妬とかではなくて本当に興味がなかった。交際報告も結婚報告も。ごめんだけど興味がなくて結婚式の参列を断り続けていたら、当時の友達はいなくなった。自分で感じていることを今より早く心の真ん中にもってきて世界を変えたらよかった。自分のいる場所と持ってる感覚がチグハグでマッチングしていないことをなんだかようやく気付いた気がする。
「かわいい女」に憧れ続ける「かわいくない側」として数十年。かわいくない側の自認も持ち続けたまま。今思えばもっと早く男の子基準のかわいい「女」になりたいという憧れを捨てて、自分の好きなことを軸に人間関係を形成していればよかった。または、上坂あゆ美さんのように「うちこのビジュアルを選んでねーし。魂と箱はそれぞれべつもんだし。」と早期に割り切れる頭があればよかった。そうすれば周辺情報(ビジュアル)はおまけになることも、人間性のぶつかり合いで恋愛ができることにも、その自己否定感が私の最大悪だということ早く気づけたのに。
は~書いてて皮肉で湿っぽくてきもちわるい。
・かわいい女でいたら恋愛ができて結婚してしあわせになれる
・女の味方は女(だって直接傷つけてこないしお世辞でも褒めてくれる)
ずっと間違ってるって頭で理解しながらもずっと信じてきてしまったこと。そんなのぜんぶ全然【ふつう】なんかじゃないと今はっきり言える。
いままで自分が生きてきた学生時代、社会人(体育会系営業会社所属)時代に所属してきたコミュニティが画一的だったことに今気づけたことはとってもよかった。
きっかけは友達との雑談だった。
学生時代のポジション取りの話(一軍に所属していたこと/その中でうすうすかわいくないやつと判定されていることに気づいていたこと)をしていたら、友達の所属している学校では一軍二軍もなく趣味ごとにグループが形成されていたしカーストもなかったときいた。だから自分の容姿に悩まなかったと。そんな世界があるんだと驚いた。
大人になってから好きなことで繋がったひとたちは、外見なんて通り越して内面・人間性で会話ができるよねというはなしに心当たりがあったこと(つい最近よりすな合コンに参加して思った)
わたしは目の前の人の人間性に共鳴したい。世の中の人間がみんな透明人間かオーラか何かだったらいいのに。そう願うのはわたしがまだ外見にも判断を引っ張られているからだと思う。
人間だからみんな透明にもオーラにもならないけど、揺り戻されながら魂の震える大切な人たちと出会って関係性を構築していきたい。(急にロック)皆々様、こんな人間ですが魂の対戦よろしくおねがいします。