
家を売る男
男は四十二歳だった。
住宅メーカーの営業をしている。
土曜日。
展示場には、
若い夫婦が来る。
まだ小さい子ども。
ベビーカー。
抱っこ紐。
夫婦は、
少し疲れた顔をしている。
男は、
笑顔でコーヒーを出す。
「最近、
かなり動いてます」
「資材高騰、
止まらなくて」
「金利も、
今後どうなるかわからないので」
男は、
慣れた声で言う。
半分は本当だった。
木材は高い。
人件費も上がっている。
土地も上がった。
でも、
半分は営業だった。
“今決めないと損”
という空気を作る。
それが仕事だった。
夫婦は、
真剣な顔で頷く。
妻が聞く。
「やっぱり、
今買った方がいいですか?」
男は、
一瞬だけ黙る。
営業としての正解は、
決まっていた。
今です。
早い方がいいです。
家賃がもったいないです。
資産になります。
でも、
最近、
少しだけ思う。
人生って、
そんな単純だっただろうか。
男は、
住宅ローンの資料を開く。
三十五年。
変動金利。
繰り上げ返済。
夫婦は、
真剣に聞いている。
たぶん、
人生で一番高い買い物だ。
でも最近、
家を売る仕事は、
“夢”
を売る仕事じゃなくなった。
“不安”
を売る仕事になった。
今買わないと損。
遅れる。
なくなる。
値上がりする。
住宅業界だけではない。
NISA。
転職。
脱毛。
教育。
全部、
少しずつ同じだった。
“いま動け”
と、
社会全体が急かしている。
男も、
昔はもっと熱かった。
いい家を作りたい、
と思っていた。
でも、
数字がある。
契約数。
着工数。
月末。
上司。
展示場には、
今日も、
白くて綺麗な家が並んでいる。
ナチュラルモダン。
アイランドキッチン。
間接照明。
リネンのカーテン。
生活感はない。
でも、
本当に人が住み始めると、
そこへ、
子どもの靴下が落ちる。
麦茶をこぼす。
プリントが増える。
洗濯物が積まれる。
本当の生活は、
もっと雑多だ。
男は、
時々、
そのことを忘れそうになる。
妻が、
小さな声で言う。
「でも、
焦って決めるのも怖くて」
男は、
その顔を見る。
疲れていた。
たぶん、
家だけじゃない。
育児。
仕事。
お金。
将来。
色んな不安を抱えて、
ここへ来ている。
男は、
少しだけ笑う。
営業としては、
失格かもしれなかった。
「妥協して買うのが、
一番しんどいと思います」
夫婦が、
顔を上げる。
展示場の窓から、
夕方の光が入っている。
白くて綺麗な部屋だった。
でもその時、
男は、
契約より先に、
この人たちが、
ちゃんと帰りたくなる家を、
作れたらいい、
と思った。