メインコンテンツへスキップ
見出し画像

散歩の帰り道。

    昔の私は、
    散歩があまり好きじゃなかった。

    暑いし、
    寒いし、
    抱っこになるし。

    帰ってきたら洗濯物を畳んで、
    夕飯を作って、
    お風呂に入れて。

    歩いている時間があるなら、
    家事を一つでも終わらせたい。

    そんなふうに思っていた。

    娘は、
    じゅんこ先生と散歩へ行く。
    先生はもう七十を越えているだろうに、
    とても元気だ。

    帰ってくるまで、
    一時間くらいかかることもある。

    「今日は何してきたんですか?」
    そう聞くと、
    先生は少し笑って言う。

    「今日は田んぼまで行ったの。」
    「カエルがいたよ。」
    「ミミズもいた。」
    「おじいさんもいたね。」

    娘は、
    「みて!」
    と言って、
    葉っぱを一枚差し出す。
    私は、その葉っぱの名前を知らない。

    またある日は、
    「今日はくるまを見てきたよ。」
    娘は嬉しそうに、
    「ここは車さんの道だよ!」
    と車道を指して、話す。

    お兄さんが通るから、
    壁にぺったんしたんだよ。
    そう教えてもらったらしい。

    私が知らないことを、
    娘は毎日、
    少しずつ覚えて帰ってくる。

    先生と話していると、
    特別な話はしない。

    「あそこの紫陽花、
    きれいだったね。」
    「今日は何食べようか。」
    「山菜もらったから、
    天ぷらかな。」

    「朝は卵を食べると元気出るよ。」
    そんな話ばかりだ。

    次の日、
    私は目玉焼きを焼いた。
    最近はパンだけだった朝ごはんに、
    卵を一つ足した。

    それだけなのに、
    なんだか少し元気が出た。

    先生は、
    一度も、
    「自然の中で遊んだほうがいいよ。」
    とは言わなかった。

    「お母さんも散歩したら?」
    とも言わなかった。

    「もっとゆっくり暮らしたら?」
    とも言わなかった。
    何も教えようとはしなかった。

    ただ、
    毎日を楽しそうに生きていた。 

    花が咲けば立ち止まり、
    野菜が育てば喜び、
    犬と、遠くまで歩いて、
    居酒屋へ行って笑う。

    困っている人がいれば、
    「助けなくちゃ。」
    と言う。

    頼られると、
    「うれしいことなんだよ。」
    と言う。

    そんなふうに、
    毎日を慈しむように暮らしていた。

    私は、
    人が少し苦手だった。

    近づけば、
    傷つくこともある。
    だから、
    ほどほどの距離で生きていけたらいい。

    そんなふうに思っていた。
    でも、
    先生を見ていると、

    少しずつ、
    考えが変わっていった。

    ある日、
    娘と散歩へ出かけた。
    田んぼの横を歩く。

    「あ。」
    娘がしゃがみ込む。
    小さなカエルだった。

    少し歩くと、
    紫陽花が咲いていた。
    風が吹く。
    娘が笑う。

    私は、
    ふと思った。
    家にいたら、
    もったいなかったな。

    先生は、
    何も教えなかった。

    それなのに、
    私は、
    散歩が好きになった。
    朝は卵を焼くようになった。

    花を見るようになった。
    立ち止まるようになった。

    人は、
    言葉で変わるんじゃない。
    誰かが楽しそうに生きている姿を見て、
    少しずつ、
    変わっていくのかもしれない。

    娘は今日も、
    散歩の帰り道、
    小さな葉っぱを拾って帰ってくる。
    私はその葉っぱを受け取りながら、
    思う。

    変わったのは、
    娘だけじゃなかった。
    散歩の帰り道、
    少しずつ育っていたのは、
    私のほうだった。

    先生は、一度も、
    「こう生きなさい。」と言わなかった。

    ただ、楽しそうに生きていた。

    気づいたら、私も、
    散歩へ行きたくなっていた。

    あなたへのおすすめ