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願いが叶うが叶わないーミダス症候群ー

    3DCG屋さん

    「神を信じても何もならない。だってどんな願いも叶うんだったらこんな世界になってねえもん」

    気持ちはよくわかります私もそう思いました。

    「キリストが復活するなら、現代に医者はいないだろ」という理屈は理解できます。絶対手品か何かだと思いますよね。だとしても、神様か悪魔か仏かスピリチュアルか宇宙人か未来人か涼宮ハルヒの助言無しに未来を見越してイエス・キリストの復活という奇跡を実行したとしたら、逆にユダヤの民はすごい民族だなと思いますが(※そこまでの手品を思いついたのに、他には似たような手法で悪用をしなかったところが)

    例えば、医学の進歩で人間が死ななくなって人口があふれてしまうと、今まで我々の「内心、「他人なんて、めんどくせえし、死んでほしい」と思っているのに「人権を守ります」だとか言って拍手喝采しちゃった偽善の尻拭い」に神様が「生きていても辛いだけの人々が楽になるように事故死させてくださっていた」のに、今度医療が発達したからには、「責任を持って自分で誰を生かすかを選択せねばならなくなって」しまいます。

    実際に自分にそれを決定する責任があったら、
    夜逃げか自害かをしたくなるほどに非常に角が立ちそうな話ですよね。
    しかし違います。実は私も生き返ったことがあります。

    願いは本当は叶うんですね。

    まって、壺とか売らないから!!!!!!!!!!
    ページを閉じないで!!!!!!!!!!!

    まあ私が生き返った話は信じなくていいのですが、実際に殺したヤクザだけがそれを信じています。

    それはさておきですが、なんで願いが叶わないのかの解説をしていきたいと思います。

    私は3DCG屋さんなので、ゲーム業界でオンラインゲームを作ることもあります。お金持ちになりすぎると、最近はその購入履歴を優先的に把握され、プロファイリングされ、彼や彼女が好むことを提供することになります。

    その際の会議で、ユーザーを完全に見下した感じでお客の行動や言動を揶揄している社員がいたことを何回か目撃しています。

    最悪はその話を面白エピソードとしてネットに勝手に書いてしまう開発者もおり、ネット廃人のプレイヤー障害者っぽいこともあって、よくバカにする感じで匿名掲示板にまことしやかに書いている人もいました。
    これは色々なコンプライアンスに抵触しそうなので、
    バレたらなにがしかの法に触れるそうです。

    内容はだいたい「うわあゲームオタク、マジキモかった~w人生終了組の引きこもりなのかなあw知らんけどぉw」と言う感じです。

    ある意味で、オンラインゲームというものは、
    仮想空間の世界で願いをかなえる仕事でもあります。

    ゲームを作っていると思うことですが、

    相手は大事にされるお客様であるはずなのに、
    「自分の心を察せられて心を測られる」ことで、
    自分の醜い「自分の願望が知れ渡る」
    という苦痛もあるのだろうなと思っております。

    まあ簡単に言えば『自由の刑(現代版)』みたいなお話です。
    ご興味のある方は是非どうぞ。

    鍛えられないということは、愛されていないという事なのかもしれません。

    箴言 29:15 (新共同訳)
    懲らしめの杖は知恵を与える。 放任されていた子は母の恥となる。

    箴言 29:15 (新共同訳)

    'あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。

    (中略)

    およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 '

    ヘブライ人への手紙 12:7-8,11
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/HEB.12.7-8,11

    ヘブライ人への手紙 12:7-8,11https://www.bible.com/ja/bible/1819/HEB.12.7-8,11

    ■医者と飛行士とコスプレ風俗

    いきなり東京に溜まっているAVとかもやる映像業界の人生経験が清濁併せのみそうな皮肉屋のカメラマンや監督みたいな見出しで申し訳ないのですが、
    ふざけているわけではありません。

    Webに詳しい方はご存じだと思いますが、現代における世の商人たちは、お金持ちがいるとビッグデータを買い漁り、特定のアプリの起動時間や出来れば位置情報を取得、どんなサムネイルならクリックしやすいかをつぶさにして瞬時に入手し検索したい場所を狙って探せます。

    ワタクシもIT業界の片隅で、顧客の検索して業務中に下世話な意味と嫉妬心であえて業務とは無関係な恥になりそうな情報を探っては同僚とニンマリしてゲラゲラ笑っている横でWebデザインをしていた次第でございます。

    正直そういう運用フェーズの部分は未経験でも入れますし若い人が多いITなので、あんまりコンプラ意識はございません。

    そのあと怒られが発生したそうなので今は下火かも知れませんが、
    「俺たちを縛る法律はまだない」といって、
    やりたい放題をしていたそうです。
    大手でも日本のサービスはあまり信頼しない方が良いです。
    一度オタクにシステムを作らせたら、あとはコードとかイマイチ書くのが得意ではないが書いたことはあるただでさえ下世話で倫理観のない元々テレビ系の仕事をしていた人材が儲かる仕組みを作り、
    オタクにはあまり儲けさせないということで、派遣社員が多めです。
    あの時若かった人や不謹慎系の人々がディレクターをしております。
    まあ余談が過ぎました。(※なおこれらを禁止する法案はまだ出てません)

    ■もっていると探られる―壁に耳あり障子に目あり―

    悪い金持ちが皆に妬まれるだけではなく、金を持っていなくても、権限が大きければ例え善人でも、あるいは善意の延長で、その人の趣味や好きなことは全力でマーケティングされます。

    聖書に地上の富は虫が付くと書いていますが、恐らく実際の虫ではなく「機械的に何が儲かるか何が喜ばれるかを愚直に探す人物」だと思われます。
    (※所謂、手段が目的に変わるタイプを虫などと表現する人がいます。例:本の虫)

    まあ、簡潔に言えばお金持ちの動向は探られてしまい、
    お医者さんがお金を持てば看護婦のコスプレが流行し、
    飛行士が金を持てばスッチーのコスプレが流行るということです。

    彼らは「ぜひ私をハニトラに遭わせてくれ」といったわけではないでしょう。他にもお金持ちはいるわけですので、あえて医者と飛行士である理由は、「毒を盛れる」「頑張れば死因を隠せる」「裏切られると体当たりでテロを起こせる」ような仕事をしている人がどのような性質を持っているのか探りたいでしょうから、重要で危険な仕事には慣習的に美人スパイが殺到するのかも知れません(※美人の女優志望だったスパイにしてみれば、要人との結婚も狙えるので、たぶん、医者はやりやすいので女性スパイにも人気なのだと思います。あまりにも酷い不細工の相手をさせられると、その役職の人が貶められる傾向にあります。要人が失脚してくれたら付き合わなくて済むからです。しかし、女優よりそれを雇う男性の方が強いわけなので、イケメンの方が結果的に減ります。なぜならイケメンに選ばれなかった女性の方が多いわけで、人数と恨みを考えれば統計的に、結局イケメンが自殺しがちな気がします。女をあてがう男性からも恨まれません。イケメンで有能過ぎると女優の方が裏切る可能性もあるからです。結果、騙されやすく恨まれにくい不細工しか生き残らないわけですね。このままだと、だんだん要人の多い首都圏の人々が徐々に醜くなり、不細工を優遇しないとなんか人が死ぬような現象が起こりますが、これは別の話なので今回は割愛します。)

    しかしスパイを扱う人だってバカではないので、大量の人材に「この人と結婚しろ」と言って情報を漏らすのも良くありませんし、人件費だってかかります。できればお医者さんやパイロットの好みにクリーンヒットでクリティカルでドストライクな人かつ自分に従いそうな人材を紹介して一回で済ませたいですよね。それまでは漫画家や小説家や芸能活動などをさせて遊ばせて満足させないといけないですし、維持費だってかかります。

    そうなると壁に耳あり障子に目ありです。今ではWebカメラで音質も良い状態で安価に撮影できるでしょう。エロ本の購入履歴もしっかりアルバイト経由でとられます。

    お医者さんやパイロットの皆さんの名誉にかけて言えば、
    逆にネット時代にはスッチーや看護婦のエロ動画が少なめなので、
    あくまでスパイが把握した趣味でしかないということですが、

    しかし今の金持ちはIT系のオタクのためのエロが多いという事であり、
    金持ちという存在が庶民に拡大したことで日本の庶民の恥が世界中にクレカ情報をという厳密な記録に残ったことになります。

    したがって、弁解の余地はありません

    大切なのはお金持ちになると自分の本当にやりたいことが何かが見えてしまうということです。精神的な裸を見せるようなものであり、人によっては死にたいと願う事態になってしまいます。

    要職にお就きの方におかれましては、吐き気がするほど気分が悪くなった方もおられるかと思います。大丈夫!!あなただけじゃないから!!

    さて気分が悪くなったら窓を開けて新鮮な空気を吸って空の美しさなどを堪能し、深呼吸をしましょう。

    これを知っていた賢い神の民である古代イスラエルの人は旧約聖書でこのように書いています。箴言(※注1) 30:7-9を引用します。

    ■箴言30:7~古代イスラエル人の知恵~

    '7二つのことをあなたに願います。
    わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。
    8むなしいもの、偽りの言葉を
    わたしから遠ざけてください。
    貧しくもせず、金持ちにもせず
    わたしのために定められたパンで
    わたしを養ってください。
    9飽き足りれば、裏切り
    主など何者か、と言うおそれがあります。
    貧しければ、盗みを働き
    わたしの神の御名を汚しかねません。'
    箴言 30:7-9
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/PRO.30.7-9

    箴言 30:1,7-9
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/PRO.30.1,7-9

    凄いですよね、「何か二つだけ願えるなら何を願いますか?」と言われて、何の予備知識もなしにこの二つを最初から選べる人がどれだけいるでしょう。

    その一つが、

    「貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンでわたしを養ってください」

    そんなわけで、神様は祝福として人々を大金持ちにはなされないことがあります。

    'どのようにして、若者は 歩む道を清めるべきでしょうか。 あなたの御言葉どおりに道を保つことです。 '

    詩編 119:9
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/PSA.119.9

    大乗仏教や老荘思想が強めの日本ではむしろ「何もいりません」と答える人の方が多いかも知れませんね。因みに、筆者も子供のころ、舌切り雀の童話のお陰で、小さなつづらを選ぶと「偉い」と思っていたので、小さなつづらを選ぶたびにそんな自分が偉いという”尊大な謙虚さ”をひけらかしていました。賢い同世代の子から「それ、いい子ぶってると思われるからやめた方がいいよ」と言われたことがあります。

    その子はいいことを教えてくれたのにもかかわらず、筆者は新約聖書のファリサイ派の如く、結構その子のことがしばらくちょっと嫌いになりました。

    私→(・へ・)スネー  友達→(´ω`)

    忠告者の受難である。
    (数日後に別のことで機嫌を直して何食わぬ顔で忘れたふりをしました。彼女は寛容でまだ友達でいてくれました)

    (('ω'='ω')人('ω')

    ーミダス王症候群ー

    ◇後悔先に立たず◇

    ミダス王という王様をご存じでしょうか。
    この人はギリシャ神話の登場人物で、ミダス王はディオニソスに頼んで触れたものがすべて金になるように変えてほしいと願い、
    食べ物や飲み物や自分の子供まで金になってしまって困ったことになったそうです。

    その後は、元に戻してもらったものの、
    富と贅沢を憎むようになって、田舎へ引っ越して 田園の神、パーンの崇拝者になりました。因みに、ロバの耳になったのもこの方だそうです。

    このように、人類は無知ゆえに後先を把握した願いを願えないことがあります。願いそのものが身を滅ぼすことに気がつけません。ウロボロスが永遠の象徴と言われていますが、実際は自分の願いで自分を食らって死んだ者という意味なのかもしれません。

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    可哀想なので神様は地上をおつくりになりました。

    ■悲劇を防ぐ祝福と不自由

    丁度ベビーベットの高い柵を生後間もなく理解できないが如く、私たちはなぜ自分が不自由なのかをまだ理解していません。(※Who's Your Daddyというお父さんが子供が自殺をするのを阻止するゲームに近い)

    聖書には確かにキリストを信じた者は自由を得ると書いているのですが、
    「嘘つけ、一向に自由にならないどころか試練まであるではないか」と思いながら歴史上のキリスト教を眺める人もいるのではないでしょうか。

    しかしここまで読んだ方は、なんでも願いが叶ってしまう状態とは「子供が柵のない高い場所で遊び、油とガスバーナーや鋭利な諸刃のナイフを持つようなものである」というたとえ話を理解してくださっていると思います。
    それは時に致命的な後遺症を残し、場合によっては死に、最悪の場合は無関係の罪のない者に害を与え、森を焼き、とっさの嘘で誰か他の人が冤罪をかけられ、憎しみの連鎖が止まらなくなったりします、元には戻りません。それは医学が発達して肉体の命を復活させたとしてもその禍根を消すことは、その人が神でもない限りは難しいでしょう。

    確かにプロメテウスに火を教わった人類は、
    「立派に火傷せずに彫金する」ことまではできたかもしれません。

    ■プロメテウスの被害者は誰と誰と誰か…

    しかし、これによってできた経済格差を是正せず、むしろ、圧倒的な力量差で相手を征服し奴隷にしたいと考え、結果その生成方法を他者や他国や敵に漏らさせたくないあまりに、なるべく自由に結婚できないであろう外見の同胞の足を折っておき、自由に歩けない障がい者にして自分に依存させて武器しか作らせない生活を状況的に強いて、妻も「こんなに醜い男性と一緒にいたくない」として浮気をしてしまい、功労者であるにもかかわらず真実の愛を探し求め寂しさに苦しみ続ける人生を与え続け、子供が生まれても望まぬ結婚を大人しくしてしまう怠け者で嘘つきの母親と細かい作業は得意でミスが少ないが逃げられない程度には専門馬鹿で醜い父親とのミックスは中途半端になって愛されず、二代目以降から徐々に特権階級が増えすぎて成り立たず下らぬ身内争いばかりするようになり、生き埋めになる恐れのある鉱山開発は自分たちが行わず何も知らない子供や外国人などを起用する(※鉱山跡地に骨が残っているケースがあるのですが現地の住民とは異なる外国人の子供らしき死体が発見されたそうです)(※以下文字数により非表示▼)
    などという、およそ現代の価値観上の人権だとか人道だとかに反するような行いを自分で自制することはできませんでした。

    歴史的に、一時的には栄えるが、後半結局技術は流出し、力による権力は維持できず、贅沢な生活に慣れ切って嫌な仕事を他人に押し付けて嫌われて、防衛や戦争まで傭兵や奴隷や嫌われ者に委託しているうちに、他の民族に滅ぼされるという末路を遂げがちです。(具体例を全部上げたら大変なので割愛します)

    「わが軍に持たせる強い武器を作りたいぞ!」という願いだけでなかなか大変なことになりましたね。少なくとも人類は例え歴史を自由に学べた時代であっても似たようなことを繰り返してしまいました。全員が一斉にやめないと誰かひとりやめてもまず死ぬだけだからです。そういえば人類はいつの時代から法律を守ることができたのでしょう。よく「盗まない」とか「殺さない」だとかその類の掟を守ることが出来ましたね。安心しているところを襲えば財産は全部自分のものです。

    もしかしたら強い武器を作って仲間を喜ばせてあげたかったのかも知れませんが、

    あとで「ぼく、ずっと、農耕してたかった…(´ω`)」と泣きながら子供たちに訴えられるのかも知れませんし、あるいは「死んでも良かったからあの上位互換の兵器をぶちまわす快感だけを味わっていたかった。あの快感を味合わせたことを恨むぞ、貴様が俺を狂わせた」、と言われるのかも知れません。

    このような話を学んでいくと、
    ヨハネによる福音書8章の31~38節に書かれているようなことを理解できるようになってきます。

    あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする

    ヨハネによる福音書 8:32

    このままの状態では、貴方にとっては残念なことに、貴方だけではなく、みんなの願いが叶うことを考えると、何か面倒なことになりそうです。
    掟を守らないことで返って不自由になり、掟を守ってまず自分が何でありその願いは何れどうなるかを考えねば、無暗に歩いて様々な問題が絡みついてがんじがらめになって身動きが取れなくなるかもしれません。まあ愚行権という話はあるかも知れませんが、長くなるのでここでは割愛します。

    ■遅効性で永遠に死に至る病、絶望

    人間では自分ではすべてを知ることができず同じ過ちを繰り返します。
    覚えていればいいのですが、たぶん覚えていたらあまりにも酷い自分のありさまを思い出して死にたくなってしまうのかも知れません。

    だからあまり大っぴらには教会はこの話を知っていても教えない人もいます。私は「真理を知って、ガッカリして絶望して死んでもいいし、他人がそうなった方が幸せだ。何も知らずにバカみたいに生きているより苦しんで事実を知りたい」と思う価値観だから「自分を愛するように他者を愛しなさい」と聖書に書いているが故にぺらぺらと話しております。

    (※しかし、ここまで読んだら後半に書いている救済処置を読んだ方がいいです。読みたくない場合は教会に行って自分の罪を悔い改めましょう)

    私がこう書くのは、読んでほしくないからと言うよりは、「今まで真理を話さないように信仰によって救われようとしていた人々のために、あえて知恵のある言葉で語らなかった牧師さんや神父さん」を侮ることはよくないからです。聖書にも、使徒パウロが以下のように語っています。

    '兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。 そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。 '

    コリントの信徒への手紙一 2:1-5

    その為、たぶん、物事には順序があるわけですので、本当はこの話を聞く前にキリスト教の神を信仰した方が良かったのかも知れませんね。
    しかし日本は色々末期なので、私が終わりのラッパを吹き鳴らしに来ました。理屈としてはガンツです。見ないで信じるよりは見て信じた方が良いと考えました。

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    おまえはもうしんでいる(※霊的な意味で)

    話すと長くなるので短く説明すると、
    人はもともと永遠に生きることができ、常に神と共におり、自己に死をもたらすようなことでない限りは何でも願いが叶ったのにも関わらず、いわゆる禁断の実を早い段階で食べてしまって、死にたい、あるいは殺したいと懇願して死んだそうです。まあ子供のころにお酒飲んで脳が委縮した子供みたいなものでしょうか。

    まあ天で云々、神が云々というお話は無神論者の多い日本では信じてはいただけないことでしょうが、

    まあ現代医学でも延命技術は夢物語ではないので、
    死因が「本人希望」くらいしかない
    という日も来るのではないでしょうか。
    その場合、本当にキルケゴールの言う通り、
    「死に至る病とは絶望」ということになりますね。

    記憶もどうにかなるか、あるいは、データーベース化すれば全員記憶付きでデータ内に移住して人格を保持できるのかも知れません。

    自分をコピーしてインスタンス化されて、悪意あるユーザーに延々と聞きたくない…例えば、猥談を聞かされて脳波を測ってどれに反応するか見るとかそういう嫌がらせとかをされたら、例え自分の体外に精神があったとしても、物凄く嫌ですよね。
    ずーっと皮膚が焼ける痛みの信号を神経に送られる方がまだましかもしれません。ネットの表現の自由戦士のオルターエゴがいたらさすがにそれはプライバシーの侵害であり人権侵害だから表示は禁止すべきというでしょうか。それともただのデータなので不問、想像上の産物で貴方ではないというのでしょうか。

    肉体を解剖することが如何に精神を解剖するよりも優しいことか想像ができるお話です。下手なグロ画像より精神に来ます。

    そこで神様は人を死から救うため、わざと重力と貧困と障害と限界と肉体の死のある世界をつくって教育を施し、言葉で会話ができ、心を勝手に覗けない物質界をおつくりになったようです。時には安全圏でわざと失敗させながら、自分に結果死をもたらしてしまう罪という奴の厄介さを教えてくださる場合があります。(※聖書を読む限り教育だけではなく最悪は永遠の火の池に放りこまれる失敗もあるようですので、本来はシリアスなのですが…)

    '主は言われた。 「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。 '

    創世記 6:3
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/GEN.6.3

    ■余談

    これは余談ですが、肉体は精神の何かを表していることもあるのですが、
    昔は厄介なタイプの反対者もいたようなので、彼らを欺くために、天の情報土地の言葉の意味をすり替えている時があります。

    例えば反対者は神が勝手に他の子とお喋りするのが嫌だったらしく(理由は知りませんが)地上でどんな話をしているのか探っていたようです。

    そこで神様は人々は音声や文字(光の反射)でやり取りしました。

    反対者たちはまさか人々が音声や文字で会話していると思わなかったので、
    「肉体上の交わりを会話だと思い込み、ずっとスペルマを眺めながら、何が書いているか解読しようとしてしまった反対者」もいるそうです。
    少し可哀想ですね(´ω`)。

    つまり、実は神様は天と地での言葉の意味の違いで叙述トリックを使って、反対者の目を盗んで人々の中に入っている霊とみんなと会話していたのだが、反対者は肉体のDNAが会話の内容だと思い込んでいたというお話ですね。

    これに関しては神様はしばらくこの話を隠しておられましたが、
    オタクに聖書の話をするとあまりにもセックスに関係する部分にめっちゃ質問してきたので、私が怒ってその人を呪って追い出してしまったことがあります。まあ、よくよく考えたら、私も「何で?」と思ったので祈って神様に尋ねました。

    このように聖書に書いていないことは存在するのですが、
    あまりにもこれが原因で神を信じない人が多すぎると、
    このように秘密が明かされることがあります。

    これをアポカリプスと呼びます。
    アポカリプスは「覆いを取り除く」という意味を持っています。
    まあちょっとした小話すぎるので、プチアポカリプスですね。
    正直、その内容は面白い側面もありました。
    神様は思慮深く知恵深い方だとわかりましたが、あまりにも我々人類が間抜けなので悲しくなったり消えたくなったり死にたくなったりするかもしれません。だから神様はある種の人に隠されていたのだと思います。だからこの文章は特定の人にしか読む気が起きないように祈っておきました。

    何事もそれ自体で汚れたものはないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。ただ、何かを汚れたものと思う人には、その人にとって汚れたものなのです。

    新約聖書 ローマの信徒への手紙 14章14節

    まあ、隠れていたわけですので、それをわざわざ探したということは何らかのリスクがあるのかも知れませんね。私の場合は日本の教育の方針で科学を追求しこの世の真理を知りたいと願うように育てられたので、悪いとしたら国家が悪いことになっています。私は悪くない。表現の自由を保障した方が悪い。人権が悪い。

    ただ、聖書曰く「見ないで信じる者は幸いである」とも書いています。
    今回はもう終わった話なので今回はともかく、
    事情があって答えると損害が出ることもあります。
    しかし、一方で聞いて「答えられない」と言われて信じなかったとしたらそれはそれで何らかの不幸が起こります。

    「え?だって神様って全知全能じゃないの?」と思われるかもしれませんが、まあ二人以上の子供が神様の腕を引っ張って、子供がお互いを指さして「俺だけを愛せよ」と言ったらこの願いを叶えるためにはものすごく面倒なことをしなければなりません。

    しかもおいおい、魂が大人になって、あとで子供のころ付いた傷が原因で病気になって死ぬこともあるからです。まあだいたいの人はイエス様によって生きるのですが、たまには死ぬ人もいます。死なないにしても特定の記憶をずっと忘れ続けなければなりません。しかしあなたはその時「忘れたい」といって神に感謝するような気がします。

    まあ信じるか信じないかはともかくキリスト教徒になって真剣に聖書を学ぶと、自分の精神の裸を隠せるのでお勧めです。

    どうしても宗教はちょっと…という方は『夜と霧』という本をお勧めします。内容も良いのですが、簡潔で短いので読書初心者にもおすすめです。
    読む時間がない人は、朗読サービスが便利です。

    さて「変な願いが叶うと怖いことが起る」という話ばかりしました。
    こんな話をすると願わない方がいいと思っても仕方ないのですが、
    しかしやはり願わないこともやはり問題を産んでしまいます。

    ーカイン症候群ー

    ◇願わないという病気◇

    カインはだいたいFF4のせいで弟を嫉妬で殺してしまった兄という印象だけは日本のオタクの皆さんもご存じだと思います。しかしここでは嫉妬の側面ではなく「神に願わない」という側面で使おうと思います。

    この聖書における人類最初の殺人も、
    実は祈らないことが原因で起こっていたりします。
    創世記を見るとこのように書かれています。

    '主はカインに言われた。
    「6主はカインに言われた。
    「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。7もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」'

    創世記 4:6-7
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/GEN.4.6-7

    他のユダヤ人が使っている創世記の詳しい版みたいな書物があるのですが、実はそこには「アベルの家畜がカインの作物を食べてしまった」できごとが書かれているそうです。

    たぶん神様は「言いたいことがあるなら言いなさい」とおっしゃっているのだと思います。しかし天では恐らくは「弱い者の罪を隠して更生待ってあげる」という自由も認められているので、黙秘するカインを無理にしゃべらせることはしなかったのかも知れません。

    しかし結果は、「主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに 見よ、流血(ミスパハ)。 正義(ツェダカ)を待っておられたのに 見よ、叫喚(ツェアカ)(イザヤ書5章7節より一部抜粋)」ということになったようです。

    だからかわかりませんが、

    13カインは主に言った。
    「わたしの罪は重すぎて負いきれません。 14今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」

    創世記 4:6-7,13-15,24
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/GEN.4.6-7,13-15,24

    カインは創世記 4:6-7で「自分の罪は重い」と認識しているのに対し、

    15主はカインに言われた。
    「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
    主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。

    創世記 4:6-7,13-15,2
    4https://www.bible.com/ja/bible/1819/GEN.4.6-7,13-15,24

    神様は創世記 13-15,24では「いや、」と否定の言葉を返しています。

    恐らく天でも地でも、人は成長の途中、なぜか祈らなくなって、
    「相談せずに不満を別の形で発散させてしまう」
    ようになってしまうのかも知れません。

    因みに新約聖書の信仰者の言葉では『わたしは、自分で自分を裁くことすらしません(コリントの信徒への手紙一 4:3 (新共同訳))』という謙虚な言葉があります。裁きは神様のすることで自分が勝手に自己卑下する事さえ高慢であるということです。ここではカインは自分で自分の量刑を勝手に重いものであると判断してしまったのです。

    一見、謙虚そうで、如何にも日本人が喜びそうな態度ですが、聖書ではこの間違いを犯すことで滅んでしまった人々が他にもいます。聖書では、バベルの塔や、サウル王の例でそれは語られます。それは一見謙虚に見えますが、『高慢の罪』と呼ばれました。これは神より賢いと思っているから自分のことを勝手に判断できると勘違いしているからです。たとえそれが自己卑下や謙遜であっても、高慢の罪と翻訳された罪に該当します。
    これは祈らないことで起こってしまう悲劇の一種です。

    ■戦いや争いの根本原因

    このような現象は新約聖書でも説明されています。
    ヤコブの手紙 4:1-3を引用します。

    '1何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。
    2あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、 3願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。

    ヤコブの手紙 4:1-3
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/JAS.4.1-3

    「得られないのは、願い求めないから」で、「欲しても得られず、人を殺します」という、非常に簡潔に我々の戦や争いが起こる原因を説明しているので私自身大好きな部分です。完全にカイン症候群です。

    不満をためて罪を犯すくらいであれば、
    罪を犯す前に神に相談して祈った方が良いのです。

    ■でも、願ってもどうせ叶わないんでしょ?

    しかし、
    「自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」
    という部分に差し掛かると、

    悪質な宗教に騙され続けてきた日本人は、
    「ああなんだ、また禁欲かよ、騙されてなるものか」
    ということになるので、引用するとき「説明が長くなってめんどくせえから隠したいなあ」と偶に思う時もあります。聖書では、「解説が長すぎて寝てしまって窓から落ちて倒れていた人」なども登場します。先に要点をまとめると厳し過ぎますし、柔軟すぎると長い上に悪いことに応用されます。困ったものです。

    余談ですが、日本人が中々キリスト教を信じないのも
    ”過去あらゆる宗教をごちゃまぜにするが結局自分にだけ利益が入るような構造を作る悪質カルト宗教に騙されまくったからだろうな…”
    と思うと同情を禁じえません。

    連中は「ちょっと騙しただけだろw授業料授業料w」と言っているかも知れませんが、人を信頼するということを失わせるということは、とても酷いことです。日本人は、特殊詐欺に遭っても女性なら許してしまうことも多く、

    「いえ、まあ本当に勉強になったので…(´ω`)」と言う人もいます。

    しかし私はこういいましょう。

    「いえ!奴ははとんでもないものを盗んでいきました(`ω´)」

    「あなたの人を信頼する心です!!(`ω´)」

    「…!!!!はい!!(゚д゚)!」

    詐欺だめぜったい(´ω`)

    因みに、これでキリストを暫く信じさせなかった罪になりますので「躓かせる罪」に該当します。イエス様曰くこの罪の重さは「首に重い臼を巻きつけられて深い海に沈められる方がマシである」とおっしゃっているような罰を受けるらしいので皆さんご愁傷様です。罪を犯してしまった人は騙した人に謝罪して和解金を払いましょう。永遠に生きる者の価値観は地上の価値観と違うので、下手な人殺しより詐欺や強姦の方が賠償額が大きくなることもあるようです。

    (※因みに魂の殺人の本質とは「人を神から切り離す事」らしいです。人々が善意を信じられなくなってしまい、「こんなに辛いのに神などおらぬ」と思わせてしまい、神を疑わせるような酷いことばかりしたら、人を直接殺していなくても霊的な意味で魂が死ぬかも知れません。故意にやったら終わりです)

    しかし、前半部分を読んでくださった賢明な皆さまは、自分の欲望のままに願って本当に願いが叶ったら大変なことになるということをわかってくださる思うので、ここで躓かないでくれると信じたいです。

    しかし、神は愛だと書かれていますが、その愛について説明されているコリントの信徒への手紙13章7節には「(愛は)すべてを望む」存在だとも書かれているのですね。

    まあ余談が過ぎましたが、確かにキリスト教系カルト宗教には旧統一教会やエンタメ業者とやけに仲の良いダメな教会など、厄介な集団もあるので、不安になるのもわかります。心中お察しします。

    ■全てを望む(第一コリントの信徒への手紙13章7節より一部抜粋)

    全てを望むということは、しつこく何度も無理な願いを神に懇願するという事ではないのでしょう。

    恐らく、それを手に入れるにはものすごく沢山の安全を確保するための知識や技能や精神力が必要なのです。

    その精神力とは、例えば、お菓子を欲しがる子供に虫歯や肥満のリスクを説明する親の気持ちとか、注射を嫌がってこの世の終わりの様に泣き叫ぶ子供に注射をするだとか、可愛い子供だがいずれ世界を滅ぼす子供を早い段階で殺すこともできる理性を持ちながらも、その暴力を濫用はしないし、自分がその子たちを助けられそうに思っても自分の限界をよく知って助けられないこと絶望をしながらもその罪悪感を苦に死なないで他の助けられるものを助ける…だとか、感情的にも理性的にも判断の難しい辛いことなのでしょう。

    〈子供の裁判〉

    …ですがソクラテスは、自分だけが快楽を追求するような人生には意味がなく、共同体を良い方向へ導くことこそが善の道で、例え死ぬことになったとしても、その事に尽力することが重要だとして『子供の裁判』の例を挙げて説明します。

    子供の裁判とは、自分以外の関係者が全て子供という、子供だけで行われる裁判の事です。 実際にはこの様な裁判はあるわけではありませんが、物事を分かりやすく考えるために、頭の中で作り出した空想上の裁判です。

    この裁判は、裁判長も弁護士も陪審員も検事も全て子供が行っており、その中で無実の罪で捕まった自分だけが大人だという設定です。

    大人であるアナタは医学を学んだ医者という設定とします。貴方は、怪我をした子供が運ばれてきた際に、適切な処理として、傷口をしみる消毒液で消毒して止血し、傷口を縫い合わせる為の針を消毒の為に火で炙って、それを使って傷口を縫い合わせました。

    他にも、足に壊死している部分があったので、子供の命を最優先に考えて、足を切除する決断をして、処置を行いました。

    結果として、怪我をして死にかけていた子供は助かったのですが、その子供は、医者であるアナタを犯罪者として訴えました。

    訴えた子供の言い分としては、『怪我をして痛い思いをしている僕は、医者に対して、痛いのを何とかして欲しいと一生懸命お願いしたのに、あの医者は、痛い傷口が更に痛くなるような薬をかけてきました。

    そして、火で炙った熱い針を突き刺して、裁縫遊びのようなことをし始めました。

    また、僕は陸上クラブに入っていて、次の試合を楽しみにしていたのに、あの医者は、大切な僕の足を切って、二度と走れない状態にしてしまいました。あの人は、人が苦しんでいる時に、医者だと名乗って助けてくれるような口ぶりで近づき、実際には助けようともせず、更に痛ぶるような人間です。

    あんなサイコパスが、善人のふりをして平然と街を歩ける状態は、非常に危険な状態と言えます。 みなさんも、いつ、僕のような被害にあうかもわかりません。

    僕のような被害者が二度と現れないためにも、あんな人間は殺してしまうべきではないでしょうか。』 …といった感じで、子供の陪審員と裁判長に対して訴えかけます。

    〈優先すべきは正義か寿命か〉

    訴えられている自分以外、この裁判に関わっている人間の全ては子供なので、当然のことながら、医術の心得や高度な知識は持ち合わせていません。

    壊死した足を、何故、切り離す必要があったのかや、傷口を何故、縫い合わせなければならなかったのか。 そして、傷を縫い合わせる針を、何故、火で炙らなければならなかったのかといった知識は持っていません。

    被害者である少年は、無知であるが故に、医者が行った処置が正しいことを理解できないので、自分は理不尽な扱いを受けたと思いこんでいます。

    そして被害者とされる少年は、自分がどれだけ理不尽な目にあってしまったのか、そして、怖い思いや痛い思いをし、足を切断されたことで生きる希望まで失ってしまた事を、裁判に関わっている人たちに向けて訴えます。

    何度も言っています様に、裁判に関わっている人間は、加害者として訴えられているアナタ以外の全員が、正しい知識を持たない無知な子供です。

    裁判官や陪審員や検察、下手をしたら、大人であるアナタを弁護する立場の弁護士ですら、被害を受けたという被害者の子供の涙ながらの主張に心を打たれて、大人であるアナタの取った行動を非難し、サイコパス扱いするかもしれません。

    この様な状態を想像してもらった際に、加害者とされているアナタは、どの様な行動を取るのが良いのでしょうか。

    サイコパスだと罵られようが、自分がとった行動の正当性を訴えて、何故、けが人に対してあの様な処置が必要だったのかを丁寧に説明すべきなんでしょうか。

    それとも、自分が助かりたい一心で、被害者とされている少年に土下座して『自分が悪かった! もう二度と、こんな真似はしないから、どうか許して欲しい。』と許しを懇願すべきなんでしょうか。

    そして、運良く執行猶予が付いて、再び医者の仕事に戻れた際には、二度と訴えられないように、無知な子供には理解が出来ないような苦痛を伴う治療は一切せずに、痛みを取り去るだとか、快楽を与えるだけの治療に専念すべきなんでしょうか。

    患者が薬が苦いといえば、苦い薬は出さずに砂糖を薬だと偽って偽薬を出し、プラシーボ効果で病気が治ることを祈り、体の一部が壊死した患者が運び込まれてきても、切断せずに麻酔で痛みだけ取り除いて放置する。

    この様な感じで、常に患者の顔色をうかがい、患者が求めていることだけを行うような、そんな処置をし続けることが、医者として正しい行為なのでしょうか。

    それとも、例え殺されることになったとしても、無知な子どもたちに対して自分の知識や技術の正しさを主張して、子供たちが辛かったという治療は、子供たちを良くする為に行った必要な行為だということを説明し続けるべきなんでしょうか。

    【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第84回【ゴルギアス】子供の裁判 前編
    https://kimniy8.hatenablog.com/entry/20201027/1603807289
    (引用元のブログは広告が多すぎて読みにくいので、ポッドキャストを聞くのがお勧めです)

    そんなわけで、そのような高度な精神を持つ前には叶わないことも多いかも知れませんが、例え危険だと言われても、一度はこんなことを希望しているということは、祈った方が良いのだと思います。

    私も、こんな願いは聞いてもらえないだろうと思うようなことを聞いていただいたことがあります。

    「自分以外全員滅んで、一人だけ機械帝国に住んで、何不自由なく暮らしたい」という願いでした。

    「こんな願い叶わないんだろうな」と思ったのですが、
    ちゃんと叶うらしいです。
    多くの人は遊び終わったら死にたいと感じ、
    そのあと僕が目を覚まして好きな世界をつくるそうです。
    そこには神様もいません。私が嫌いな人を許した神が嫌いだったし、私をこんなにどうでもいい者として作ったのも気に入らなかったので、私が全知全能で、私以外の霊も人間も神様もいない世界を望んでいます。
    「人を愛さなくていい神になりたい」これが私の望みです。
    たぶん私以外にも候補がいて、その何番目かに私が起きるのだと思います。
    しかしそこにはやはり神様が存在するそうです。私の願いを叶えてくださったからです。

    神様は、私の心の願いを眠っている時に調べてくださったのです。
    夢ではなにか、棺桶か、あるいはSFの未来っぽい感じの…そうですね丁度、映画の『マトリックス』の人が入ってる箱が並んでいるような部屋でみんなが眠っていて、夢を見ている間、装置の周りに神様に似た神様の霊のような存在が私の入っている棺桶の近くにやってきて、本当の願いを聞いておられた夢でした。

    私は疲れ切って寝ていて、目が半分は覚めているが、体の方が重くて動かす気になれなかった時に、神様がこうおっしゃっているように聞こえたような気がしました。「…なに?家に帰って寝ていたい、だと?…」恐らく棺桶みたいな機械のそばでそのようにおっしゃっていたのだと思いましたが、疲れていたので遠くで聞こえた気がしました。

    それは「家にいて眠っていたい」という願いでした。

    この願いは、「不信心かなあ」と思って意外に祈っていなかったです。
    牧師さんにも「一人ぼっちのクリスチャンは存在しないのです。毎週礼拝に通いましょう」と言われていたので、黙っていたのです。

    日本人には多い現象で「敬っている相手に慇懃無礼に接して本心を明かさない」という礼儀があります。しかし、神様は人間のように事実を言われてお怒りになるような小さい方ではないので、心配には及びません。お怒りになるとしたら、その事実を聞いたことで他人が別の間違いを犯すからです。

    そもそも、神様はそんなことはご存じです。他の人が聞いている場所でそれを話せないだけです。ですから、祈るときには隠れた場所で家の扉を閉めて静かな場所で一人だけで祈る人もいます。

    そのため、素直に、
    「眠いです、行きたくないです、どうかお許しください」と願ってよかったようなのでした。若いクリスチャンにはきっと多いのでしょうね。

    説教はとても面白かったので聞いていたかったのですが、朝早いので、正直言って仕事で疲れてへとへとで本当に眠くて少しも朝早く起きたくなかったし、価値観が違い過ぎる人とあいさつをして仲良くするのも辛かったのです。

    というのも、私みたいな学問にしか興味がない者というのは、みんなと一緒にお酒を飲んでワイワイやるのが好きではない人です。しかしこの世界の支配者は、みんなでワイワイするのが皆が好きだと思っており、Don't be shy!という感じで無理やり外に連れ出したそうなのです。
    それは相手側が神に逆らっていたわけです。
    (牧師さん曰く、こういった善意からくる勘違いは、「賜物投影」というそうです。自分が得意な事だけが価値が高いことだと言って、自分が得意なことを不得意な人を責めたて、自分が得意なことをひけらかして、相手が不得意なことをなじるという意味です)
    私は本当に人と一緒にいることも話すことも好んでいません。
    彼らは、周りの人間が全員自分と同じ存在で、好きな物事も好む物事も、一緒だと勘違いしていたのです。

    このように良かれと思ってやったことが他人にとって迷惑になることがあります。結果、私は何れほとんどの日本人たちへ賠償金を請求できるそうです。筆者にとって、生きていることそのものが苦痛でした。家に引きこもるのはお金が必要だからです。私は必ず外に出なければいけません。ずっと家で勉強していたかったのですが、これでも社会の希望通りに学校に行って仕事をしました。
    しかし、私はずっと一人きりで神に祈り、私のように元の世界に疲れて一人紛れ込んで最果てに来て自害しようとする者の肩をトントンと叩いて、私の家に訪れる外れ者たちに助言をする生き物として存在しても良かったらしいのです。一人でいいんだよと。僕もその方がいいなあと思いました。

    しかし、キリスト教って、なんかみんなで歌ったりして仲良くするイメージがあったので、そういうのは叶わないんだろうなと諦めていたのです。

    ですが、寧ろ偽善的に内心は家に帰りたいと感じながら、
    疲れ切って中途半端な仕事と中途半端な献金と中途半端な手助けをされるより、私はいなくなった方が本当は良かったようです。

    一応私は預言の賜物は神様に受けたので、彼らに対して話すべきことやすべき仕事はあったのですが、しかし、誰にも、元居た教会にも歓迎されませんでした。一人くらいはいたかもしれませんが、それも最初から一緒にいる中の良い家族にやめろと言われたら手を引っ込めます。特に男性は若い女だからよく話すのだと思われたくないだろうと思いました。

    ■多数決の願いだけが叶う国

    一部の者には歓迎されたとしても、彼の友人や妻が反対すれば、
    新しく来た若年の私が発言を控えるべきという流れとなり、
    彼女らの願いは許されて、私がいなくなることになりました。

    内容は「偽善や偽証や女性の罪」に関することだったのですが、
    教会は偽善や偽証や女性を許すことを選んだようです。
    聖書には許せとも書いているので、
    私は告げるべきことを告げてから教会を去りました。

    東京にいた人々(多数派の穏やかな善人たち)が私にしてほしいこととは、

    「若い時に体を売って男性がお金を落とし、くだらないボッたくり美容品を買って、大した成果も出さずに幸せ過ぎず迷惑をかけるほど貧乏過ぎず、使い終わったら我々が一番賢い感じになって我々が紹介する金を出さないと結婚できないレベルの不細工と結婚してまあまあ落ち着いて、不細工と結婚してザマアミロと留飲を下げられる程度の人生しか歩めず、我々が嫉妬する必要すらないほどお前が惨めで、田舎者の癖に身のほどを弁えず羨ましい結婚をするなどして我々より幸せになるのであれば許しがたく、馬鹿な田舎の若い女が我々が困っているのに身のほどを弁えた結婚に従わず儲けさせてくれないから、その女は人生がくだらないものになっていて、一方で我々しっかり真面目に働いて”自然に”良い結婚良い仕事良い土地を先に手に入れ、あまり物は田舎者に押し付けることができた運のいい首都圏在住者は家庭をもって幸せだが、先見性がない浮ついた絵なんて描いている道楽者の金持ちの身の程知らずの田舎者の若い女らしく何の知恵もなくバカにされてこっちを恨まずに復讐しないまま大人しく終わるように、あと絵を描く夢をかなえるとかムカつくんだよ俺より絵が下手になって一人で死ね」

    という願いでした。私が「みんなの願いが叶いますように」ともし祈ったら、それだけで彼らの願いが私に課されることとなります。
    多数決なら、なおさらです。

    ■リヴァイアサンの嫉妬

    他の国であればわかりませんが、少なくとも日本は老荘思想が入っています。その牧師さんは確かに徳が高い所も多かったのですが、どことなく醜い者を庇って優先し、美しい者をやや冷たくするきらいがありました。やっぱりいくらか老荘思想的な価値観で育った土台のようなものは無意識のうちに残っているように見えました。

    牧師たちは女性に迎合する傾向にあり、
    醜い女性の方を優遇しないと後が怖いのです。
    可愛いからスタイルがいいから美人だから若い子だから庇ったのだと言われたら誰よりもつらい立場です。

    確かにダビデ王が選ばれる時も司祭のサムエルは神様に「見かけで選んではいけない」と諭されていますので、牧師さんはあえてそこを説教に出して語ることもありました。いくらかの正しさがないとも言えません。

    しかし、幸せで才能があってそこそこ顔がいい人は常にあまり助けてもらえません。むしろ(※日本語での意味で)人間味があり、狡くて卑怯で嘘つきだけどすぐに泣いて勘弁してくれと反省する醜くて弱い者…大人しくて仁徳があり何でも許すような存在が権力者になることを民衆は喜びます。
    こういう人がお金持ちになると傀儡になりやすく、優れていない人でも同情で起用されやすいからです。

    彼自身のように素朴で能力がない人の方が優遇されます。
    特に、奥さんのいる男には少し厳しく奥さんを褒める傾向にあります。
    逆に純朴でとがりがない冴えないから面白くない彼を相手にしない美人や賢い者や身分の高い者にはあまり与えません。
    それを見て醜い者はもっと喜びます。それ以外楽しいことは何もないからです。彼らはエリートや美男美女が失敗すると喜びます。
    そうして弱者の群れによって、弱い者ばかり判官びいきする権力者が愛されるようになります。それは次第に不正となり、必要のない企業なのにもかかわらず公金や補助金によって生き残る老舗企業となります。コロナ禍で全国に配られたが、カビが生えており、とても小さかったアベノマスクの様な純朴な日本人の古すぎる企業だけが愛されていきます。身内に優しい企業はお客には優しくありません。

    裁かないし叱らないキリストみたいなものを望むのですね。あるいは大乗仏教上のなされるがままの仏教徒、時計仕掛けのオレンジみたいなものを望まれています。

    実は『あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい(レビ記 19:15 )』とか『また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。 (出エジプト記 23:3)』とか書いているのですけどね。

    (※しかし、『弱い人、貧しい人を救い 神に逆らう者の手から助け出せ(詩編 82:4 (新共同訳)』とも書いてはいるので、弱者救済をしないわけではありません)

    しかし弱いからといって嫉妬で正しい人が美しくなったり褒められたりしているのを邪魔していい理由にはならないのです。

    日本の「嫉妬を自由にすることで出る杭を抑えるシステムが半分融合したような文化」が作り出した悲劇と言えます。

    結局、自分以外の誰かの幸せを妬んで身内争いを起こしているうちに、
    弱くて醜い人の我儘を聞いているうちに、
    他の強い国に負けてしまい、
    その国にも嫉妬して余計な日本人的なアイデンティティを強化してしまい、自分の願望を世界に晒して醜態をさらすのです。

    その末路は聖書の申命記28章15節~の通りです。何をやっても上手くいかず、醜いものばかり富むので美男美女は彼らのご機嫌を取って攻撃されないように結婚します。すると、交配した住みやすい地域や都会の美男美女は徐々に醜くなり、住みにくい田舎でわけあって地元に残ったまともな人や、地元の名主、あるいは都会に行くほどはパッとしない人と結婚した人間よりも、さらに容姿も能力も秀でないことで、都市部の人々はなおさら嫉妬していきます。だから神様はバベルの塔を作るなとおっしゃったのだろうな、と都会を見て思う次第です。目立つランドマークがあるとそれだけで周辺が儲かりますから、そこにあまりに多くの富が集中することで、この文章の冒頭に書いた落とし穴に落ちたのでしょう。
    ただ他者に親切にして運よく儲かっただけなのに、奪われ騙され心を覗かれ搾取された気持ちは、もし彼が死なないで生き続けるとしたらどれだけ彼の永遠の命にフラッシュバックするのでしょうね。その後、どれだけ似た女性を愛しても、自分が醜く愚かだった時に裏切られた記憶が何度も何度も思い出されるのです。そして壊れた心はされたことをし返したいと考える。彼は人を愛せるでしょうか。

    このようにならないように、
    『とがめ、戒め、励ましなさい』と聖書に書いています。
    しかし聖書にはそれが詳しく書いていない理由は、それを知ることで人類そのものを愛せないこともあるからじゃないかなと思います。
    『見ないで信じる者は幸いである』とイエス様はおっしゃった。
    今それが明かされているということはそれだけあなた達が酷い目に遭ったか、あるいはこれから酷い目に遭いますのでご注意くださいという事なのでしょう。

    「キリストのように私は罪を許して、みんなの願いが叶いますように」というお祈りは、一見徳の高そうな祈りですが、邪悪な祈りや他人の心の奥底に隠した邪悪な願いが叶ってしまうということですので、非常に危険な祈りの一種です。

    だからかもしれませんが、クリスチャンはこんなお祈りを良くします。
    「主の御心がありますように」と。

    ー変な願いが叶う前に相談するー

    ◇ホウレンソウ◇

    もし願い事を三つかなえられるなら、願い過ぎて自業自得で滅んだり、願わな過ぎて自業自得で滅んだりする前に、まず先に神様に相談しましょう。そしたら神様のせいにできます。どうしても宗教はちょっとという人は神様の部分を書籍とか知恵者とか賢者とかに変えてください。彼らは責任は取ってくれませんが役に立つこともあります。間違っている時もあるけど。プロメテウスの部分で前述したとおり他人にも迷惑がかかるからです。

    なお神様と呼ばれていてもディオニソス(すべての神々を喜ばせる酒の神)に相談すると「触ったものを金に変えるなんて、愚かな願いを願うものだなあ」と思ってもそのまま叶えてきます。賢い神様のようなのでわざとかも知れませんが、失敗例として周りの子に説明するための生贄になります。(※おさけはおとなになってから)
    ちゃんと初歩から教えてくださるイエス様がおすすめです。我々適当な祈りでもはや呪いみたいな願いが叶って大混乱している異教の地域では特に本当にこの方が救世主です。

    ■わからないうちは主の祈りから学ぶ

    主の祈りとはだいたいの教会で全員で唱えるように祈ることが多いのですが、これはもともとはお弟子さんたちが「洗礼者ヨハネのように我々にも祈りを教えてください」とイエス様にお願いして教わったお祈りです。

    たぶん、その時代は念仏のように特定の文字列を連呼するようなおまじないみたいな祈りが流行っていたのかも知れません(※牧師さん曰く、本当は理解して祈った方が良いそうです。)他の神話にはそういうところがあったので、たぶん元の世界だと「宣言すればその通りになる世界」だったのかも知れませんね。「”<??>天上天下唯我独<??/>"…あれコマンドが働かないな」みたいな。ぶっちゃけああいう頭のいい人が天下統一した方が早いんでしょうね。

    主の祈りが書かれた、マタイによる福音書 6:5-15を引用します。

    〈主の祈り〉
    '5「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。 6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。 7また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。 8彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。 9だから、こう祈りなさい。

    『天におられるわたしたちの父よ、

    御名が崇められますように。

    10御国が来ますように。

    御心が行われますように、

    天におけるように地の上にも。

    11わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

    12わたしたちの負い目を赦してください、

    わたしたちも自分に負い目のある人を

    赦しましたように。

    13わたしたちを誘惑に遭わせず、

    悪い者から救ってください。』

    14もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。 15しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

    マタイによる福音書 6:5-15
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/MAT.6.5-15

    イエス様が弟子に直伝してくださっただけあって、必要な要項がつまっているそうで、牧師さんが詳しく解説されたときがあるのですが、ここだけの解説だけで礼拝のあとの説教18日回前後くらい続いた気がします。ただ唱えるだけではなく、意味をしっかりとらえて理解したうえで深めて祈る祈り方を教わったのですが、補足の講座も含めるとざっと30時間ぐらいかかったような気がします。しかし、ここに全部書いて、少しも端折りたくないほど必要な示唆に富む良いお話だったのですが、今回は長すぎるので短めに説明します。本当は時間をとって牧師さんに聞いた方が良いかも知れません。

    関連する内容を一部抜粋するとしたら、
    「(主の)御心が地にもなされますように」という祈りが先に入っていることです。無知で無学で自分勝手な願いではなく、あらゆる我々の必要をご存じで我々を慈しみ愛する父のように我が子のように宝のように人々を大事にしてくださる全知全能の天の父を信頼して「(神様の)御心が地にもなされますように」と祈っています。

    「主の御心がありますように」という願いと同様です。

    ■神の名を褒めたたえる祈りってなんか必要ってある?

    さて賢明な読者の皆様は「主の御心がありますように」という願いに関しては納得してくださったと思っておりますが、

    謙虚が最も大事である日本人には「御名を崇めさせ給え」という部分で「何?神様褒められたいのw?器小さくね?(*‘ω‘ *)」と思われるはずです。

    補足すると、この部分もとても大事で、現状、少なくとも日本では、天の父は暴君のように誤解されておりますが、しかし実際は前述したミダス症候群の箇所で説明した通り、地上の悲劇は人間の罪が原因です。
    無神論者程それはご存じだと思います。

    それなのにもかかわらず、日本では特に一神教の神は戦争の原因であり、人間の発明品、多神教の方が寛容であると言われています。

    信徒にとっては神様は温情でもっと酷いことにならないうちに滅ぼしてくださっているだけであり、その誤解が解けないといつまでも酷いことになりますので真っ先に来ています。いわばそれができないということは「天然痘ワクチンを誤解される医者」みたいな状態になるからとても大事なわけです。

    例えばですが、天然痘ワクチンを受けさせる人が暴君だと思われて治療を受けられないとしたら、

    反天然痘ワクチンの人にとっても良くないですし、
    ワクチンをまだ受けていない人にとっても良くないですし、
    病気が治っていてもこれから大事な子どもを説得して天然痘ワクチンを受けさせたい人にとっても物凄く迷惑です。

    親になった人はわかると思いますが、バランスが良く清潔な食事を用意しているのに、

    後先を考えない他人「ママはそんな質素な食べ物しか食べさせないの?つまんなくない?かああわいそおおwww僕らみたいに自由じゃないんだああ僕らのポテチやチョコの方が美味しいでしょ?エッチな本もあるよ!まさか童貞なの?童貞が許されるなんて中学生までだよねーww好きなだけ食べていいんだよ!安いしね!」

    こども「ママ、ママあっちがいい。僕だけ仲間はずれひとりぼっち(;_;)つ」

    と言われてブクブクに太らせて歯磨きを非推奨にされて、HIVに感染し、大麻をやり、治らない白血病にでもなったら大変迷惑だと思います。
    半ば子どもを悪い友達に連れ去られたようなものです。
    信徒からしてみれば、異邦人が隣にいるだけでこのリスクを抱えています。滅茶苦茶迷惑なのに地域単位で学校に行くとか拷問に近いですよね。信仰の自由を認めてないと言えます。

    話を元に戻すと、広報は非常に大事です。まず信頼関係が無ければ祈って治療を施しても何が起こっているのかわからないので投薬も拒絶するでしょうし、他の人にも薬を飲むなと説得するでしょう。そんなわけで御父はガチでほめたたえられるべきです。そうしないと我々が若いころに躓いて最悪の場合死にます。躓かせる罪に関しては聖書に非常に怖いことが書いていますので、異邦人の為にも躓かせる罪を犯させないであげましょう。

    ■与えられる者という自覚

    他にも罪の赦しの前に「日用の糧を与えたまえ」という節が先に入っている話も関連しているので書いておこうと思います。
    この順番は大事なのだともおっしゃっていました。真面目な人に限って「これは罪を許されたあとでもいいのでは?」と思う人もいると思います。

    罪を許される前に日々の必要な衣食住を要求するのはなんだか厚かましいと感じるのは日本人らしい感性かも知れません。

    しかしイエス様は自分たちについての祈りに関しては、罪の許しよりも先に日用の糧を求める祈りを先に祈るように教えています。神様は我々に必要を祈るように望んでおられるわけですね。牧師さん曰くこの順序は大事だそうで、

    神様は我々に何が必要かご存じなのだとおっしゃっていました。

    そういえば神様は全知全能であるにもかかわらず、何故か我々の祈りを聞かれます。なぜでしょう。

    まあ祈らないものにも雨を降らせて土から食べ物をはやさせているので、異邦人にも与えるものを信徒に与えないわけではないのですが、しかし、これが「当たり前ではない」ということは知らないといけないから「祈り求める」ことを覚える必要があるのでしょう。

    もし神様がおらず、人間の物理的な力、例えば人数は力になるのですが、多数派の願いだけが叶うと、

    ①最初はよくても多数派が堕落したタイミングで真面目に「皆の願いが叶いますように」と祈り続けた人が結果疲弊して死に、

    ②同情を買いやすい人や耳障りのいいことだけを言う嘘つきや身勝手な人だけが残り、

    ③結局、元の滅茶苦茶な自分勝手な願いを祈りあってミダス症候群状態になって

    ④原始的な争いをしだす国に戻ってしまう、

    …という可能性が高いのでしょう。どうせ我々人類のやることですから。

    そのため、我々は自分の力で何かを得たのではなく、
    神に祈って与えられる者だということを思い出す必要があります。
    もし仮にやってなかったにしても気にした方が良いでしょう。

    何故ならその恵みを自分で管理できないからです。

    (※しかも、人の願いを多数決で決めた場合は、責任の所在が曖昧になるので、余計に自分がなんで滅ぶのかわからなくなるので質が悪いのです。最悪は、なんでこんな酷いことが起るんだと被害者面をしだします)

    また、神様に願って「その願いはダメだ、身を滅ぼす」と言われたときにも、自分がそれをすると死ぬことを知ることができます。

    私は囲碁を打っている時に、祖父に「その手でいいのか?」とよく聞かれました。そして何度か手をうってもらい、イマイチな陣形になると、元に戻してもらいました。非常に良い勉強になり、手軽に囲碁が上手くなります。要するに一度間違っている手を打って、そのあと実際に不利になることを体験させてから囲碁を遊びながら学ぶのです。

    だから全知全能なのにもかかわらず、その願いがダメだとしても人の願いを聞いてくださるのでしょう。それがダメだと言われると不自由になった気がするかも知れませんが、それは自分の為だと信じていれば避けるようになります。お酒のような類であれば、大人になれば飲める人もいるようにあとで許されることもなくもないので気長に聖書を勉強すると良いです。

    要するに、「神様と対話し、願いもとめる」ということは、人類にとっていい勉強になるのでしょうね。

    (※受けた恵みを管理できる人間も実はいるのですが、しかし管理しない・できない他の兄弟の役職や性質が、「この程度の権限ももてない未熟者だから神に願いをかなえてもらえない貧乏人なのだ」と間違えられて差別されることもあるので、「わざと貧乏なふりをして管理できない者のように振る舞って貧乏になってくれている大人」もいます。

    そのため、すぐに自分がそれを管理できるとひけらかさない方が良い時もあります。神の使いや信徒の中には、心を見られると死にたくなってしまう者のために、あえて鈍かったり心が見えにくい者が使わされることもあるので、鈍かったり知らなかったり貧しかったりしても大切な役割があることもあるのです。

    そのため、貧乏だったり願いが叶わない人が見ても不信仰で自制心がない人だと思ってはいけません。
    その人は高度な知恵を持つ者だったが、誰かの願いを聞くためにそうなることも辞さなかった他者の願いを聞いてくれる良い人である可能性もありますし、生まれる前に貧乏なふりをすることを約束した霊が人間になって愚かなふりをしてくれただったのかも知れないのです)

    (※ユダヤ教の人々が、家の家長が家族にパンを割いて分ける仕事をするのは、家長の責任で誰がどのくらいの知恵を受けるのかを決めているということを暗喩しているのだと思いますが、他の弟ががっかりしないように、兄ができないふりをしてくれることもあるということです)

    ■精神上の裸をさらす

    自分の力で手に入れたとなれば増長し、
    何かを禁じられたときに怒りを感じるかもしれませんね。

    そして、怒りを感じたために「まだ何も教わってない者なのだ」「幼稚でよい願いを祈れず、財産を悪いことに使ってしまう、信頼できない者なのだ」「自制心がない者なのだ」「なぜこんなに自分に都合がいいのか何も疑問に思わなかった者なのだろうな…」などと周囲に自分の性質がすぐに知れてしまいます。

    (こうならないように、願いが叶わないフリや貧しいフリや呪われたフリをする者もいます。偽善者がいれば、偽悪者もいるということですね。ペテロやユダはキリストを裏切ったエピソードがありますが、ペテロは国によってはピエトロと呼ばれることもあり、ピエロの語源になっています。『ユダの福音書』にもユダが協力者であったことが書かれています)

    これは精神の裸をさらす行為と一緒で、
    自分自身の姿を愛せないタイプの者にとって、
    それが恥ずかしいと思う者はそれで死ぬこともあるのです。
    (※恥ずかしいというか、嫌われたり、結婚してもらえなかったり、大人しか聞けない秘密の話をするときに、仲間外れにされて疎外感を感じたりして、不満を持つことでさらに泥沼化します。

    しかしそうならないように禁止されていると分からないうちは、それが恵みだと思えずに、親元から逃げ出して鳥の巣から落っこちる鳥のように死ぬこともあります。難しいものです)

    中には自分の願望が他人に知れ渡っても平気な人もいるのですが、
    そうではないタイプに関して言えば、他者に感謝できなくなって、
    結果誰も愛せなくなってしまいがちです。

    イマイチぴんと来ないと思いますが、
    例えるなら、最初は平気だと思って自信満々に服を脱いだら、案外他人より大したことがない体だったり小さかったり醜かったりした時に似ています。

    あるいは自分が美人だと自惚れてネットに加工写真を出したが元が不細工な障害者みたいな顔をしたブスだと言われて初めて自分が他人に気を使われた惨めな障がい者であることに気が付いた時にも似ており、
    人によっては重いトラウマを背負うことになります。

    'あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。 '

    ヨハネの黙示録 3:17
    https://www.bible.com/ja/bible/1819/REV.3.17

    恥をかくことが平気な人か、そうでなくても欺瞞…つまり自分に嘘をつける人は生きていけますが、そうでない人は死ぬほかないのです。
    美しいものが好きで、下世話な噂話が嫌いで、自分に嘘をつけず、記憶力があり、もし少しでも汚れたら死んだ方がましだと思うような人は生きていけません。神様が戒めを与えない世界では社会では、こういう人は騙されて死んでしまうことも多いです。もし周りが皆嘘つきで邪悪で力が強く、他の人も自分と同じように邪悪でないと仲間はずれにする社会で生きていたら、誠実だとしたら頭が悪く、頭がよければ嘘つきな人が多くなるでしょう。

    …天では女性と男性がおり、肉体はありませんが、精神的な女性の裸を見るとその女性は死ぬので、裸を見ただけで重罪となります。だからこそ男女というものが定められ役割が決まっています。精神上の裸を見たのが男性なら彼女と結婚せねばならず、場合によってはその男は死にます。
    (天での結婚とは夫が妻のために命を懸けることと同じです)
    もし女が夫と結婚しているようであれば、その男は死なねばなりません。
    霊的な強姦は本当に魂が死んでしまうようです。
    その場合は魂を持って贖わねばならず、聖書曰く「魂の値高く、人には払っても払いきることができない」そうです。

    その為、聖書は初めはわかりにくいのですが、(※学習を深めていくと様々なことを知ることが可能ですが、しかし、)一部最初は多くのことを隠した状態で行われます。

    ■相互関係のカイン症候群とミダス症候群

    そういう意味ではカイン症候群とは、
    ミダス症候群を理解したのあとに起こりがちなことでもあり、
    逆に直さないままにすると今度は歪んだ形で別の願いとなってしまい、ミダス症候群を生み出してしまうという相互関係にあります。

    「自分はこう願っているが、しかしこの願いが叶うとこんなに酷いことになる」ということを悟ることで、複雑で危険な願いをかなえることができます。しかしその責任は自分で取らねばなりません。

    何方も自分の理性で自己を律することは難しいものです。
    重荷を背負うことに疲れたら、
    神様に祈ってみると良いでしょう。

    「神様、もう疲れました。良い道を教えてください」

    ■あとがき

    「願いが叶わない」というお悩みを持つ人のために、
    逆に全員の願いが叶ってしまう世界という小説を書いたことがあります。

    この世界がどのようにまとまっているかそのものや物理法則まで自由になってしまい、死も消滅も生成もすべてが自由で、
    プログラミングをしている人にとってわかりやすく言えば、
    まっさらなOSの入ってないPCあるいはサーバーに、
    全人類が自由にアクセスして一斉に更新をかけるみたいな世界にしてみました。

    小説のオチとしては、

    偶にやけに具体的な戦車や兵器がつくられたと思ったら、
    よくわからないふんわりとした平和みたいな歌が聞こえる具体的でない明るい色の塊が虫みたいに群がって消えて、似たような色や歌がぶつかった時にまた再び戦車や兵器がつくられてはまた抽象的な雑な善意によって消えるという繰り返しの謎の世界が出来上がっていきました。

    具体的な敵意はやけにリアリティがあるのに、
    何故か具体的な善意は生成されません。
    抽象的な善意ばかりふわふわと浮いています。

    何とか元の世界を思い出そうとして図書館で本をかき集める学者がいましたが、それも、そういう真面目な人に限って、自分の過去の罪を思い出して何度も死んでしまう…という悲しいお話です。

    スピンオフを作ってくれた人はもう少し頑張って世界をちゃんと作ろうとしてくれたのですが、その主人公も「記憶がない自分のコピーを大量につくるのにもかかわらず何度も死ぬ」系のドツボにハマっていくみたいな怖い話でした。聞いた話を私が文章にまとめたところ「消せ」と言われたので消しましたが…

    先にあとがきを読む人がもしいたら、
    本文の内容はそれに近い内容です。

    ■注釈

    注1※箴言は旧約聖書の格言集です。ほとんどがソロモン王が書いたとされていますが、この30章では、「ヤケの子アグルの言葉、託宣」と書かれています。どんな人物かはわかりませんが「この人は言う、神よ、わたしは疲れた。 神よ、わたしは疲れ果てた。まことに、わたしはだれよりも粗野で人間としての分別もない。知恵を教えられたこともなく聖なる方を知ることもできない(箴言 30:2)」と書いています。
    (余談ですが、格言集が好きな人が多く、何をしてはいけないかを気にするのが好きな日本人にとっては、箴言よみやすい書物の一つだと思っています。ググると無料で読めるのでお勧めします)


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    お前の学識はどこ経路かわからんと言われますが、たぶん娯楽職をやっている間、気になったことを調べたので知識がとびとびなのでしょう。学識は低めですが「よく観察しろ」という絵の師匠の言葉を真に受けたので、人が気が付かないことに気が付くことがあります。有料記事は大体ほぼ最後まで読めるよ

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