メインコンテンツへスキップ
見出し画像

誰かラオコーン現象(仮名)とか言う名前を付けてくれφ

    ■前置き

    ところで皆さんはこの像をご存じでしょうか。

    画像
    ラオコーン像

    この像はバチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像です。
    ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にしています。

    「バチカンにあるんじゃ見たことないよ」という方もいるかもしれませんが、複製の銅像もあるので、日本の美術館にもいくつか展示されているはずです。私は、たぶん、秋田の県立近代美術館で真っ黒い銅像を一度見たことがあった気がするのですが、3DCGデザイナーとして、「どこから見てもシルエットが美しいポーズを作るべき」と教わっていたので、まさにそのお手本の如き躍動感のすばらしいどこから見ても美しい作品だったので、くるくると見て回りながら参考にしたのを覚えています。すげえどこにも隙がねえ。滅茶苦茶格好いいと思っていました。(※確か見たと思ったのですが、今検索したらなかったのでなんか別の海の王とかそういう似ている像だったかもしれません)

    因みに、これは、丁度、ラオコーンさんがトロイの木馬について「それ罠なんじゃね?」と大当たりの見解を呈したところ、アテナの怒りを買い、両目を潰され蛇に襲われてしまったという大変気の毒な様子を表しています。

    大衆は「木馬を疑ったせいで神の罰が当たったのだ」と誤解し、彼を見捨て、彼の意見を退けてしまったそうです。

    まあここではアテナが悪いのですが、私がこの話にかこつけて説明したいのは、仮にですが、同じことを日本で他の国のスパイがやったら大変困りますよねという話です。

    ■本題(現代日本版)

    ■例えば、現代で応用してみたらどうなるか

    例えば、フェンタニルの製造は格好いいことだと印象を持たせるためにアヘンなどで成り上がる漫画を執筆することで、闇バイトで大麻を栽培する敷居が低くなってしまうかもしれません。

    エンタメの面白い仕事を餌にされると日本人は案外プロパガンダ作品をネットに乗せてしまいます。例えば「マネーロンダリングをしろ」とは書きませんが、「消費税を完全になくそう」と書くのは何だか簡単ですよね。

    「フェンタニルを製造して金儲けしろ」とは言いませんが、「多様性を認めて他の国で自由になっていることを規制する政府は横暴だ。基本的には極力危険がないことについて自由にするべきだ」くらいは表現規制反対派の流れにのまれれば、言うことは難しくなくなります。

    あとは『注文の多い料理店』という絵本のように、ミルクを塗り込んで塩でもめばばっちりです。

    邪魔したら多様性や愚行権を認めないことに関して、「不寛容だ、オヤジは古い、あいつらは正義を振りかざしているが実質は才能がないから選ばれてない愛されてなさそうなブスオバサンの暇つぶしの嫉妬だ」といって、変な風習や孤立する人を増やして社会から隔絶したが故に仲間に引き入れようとする人もいるかもしれません。

    …ところで、最近日本人がやって楽しい遊びみたいな仕事を餌に特定の政治家を潰したり、スパイを引き入れたり、警察や自衛官が冤罪をかけたり、違法調査を警察権限で行ったり、天下りしたり、市役所などの人物が重要な機密を横流しして記録を誤魔化したり、ちょっと叱られただけで同僚が自殺したことにして有能そうだが庶民にデザイン費用をばらまかない知事を降板させようとしたり、特定企業の人々が経済制裁を加えている状況になるとさらに悪化します。まるで傾国の美女に取りつかれたかのようにみんながクリエイティブ職に取りつかれているので、私はこの現象を『傾国のクリエイティブ』と呼んでいました。

    そして、それに気が付いて警告する人を潰す傾向にあります。
    そうですね、例えば「正しさを振りかざす暴力」「学問は貧乏人の暇つぶし」などといって忠告する人そのものを貶めるかもしれません。

    気が付かれたら天下りが台無しですから、勘のいい人だけ先に死んでいくことになります。

    これを「ラオコーン現象」という名前を付けたら手軽にハッシュタグとかにできて、この逸話で単細胞のアホにも「同じことになったらやべえ」と思ってもらえるのではないかと考えました。

    父親がまともでも「お前のオヤジが余計なことを言うから、俺たちに面白い漫画の仕事が来なかったんだ、いい子ぶりやがって、偽善で俺達の夢を潰した裏切り者だ。時代は民主主義なのにお前みたいな奴がいるから戦争が起こるんだってパパも言ってた。そういうのを監視するのが立派な仕事だって」と言ってその子供をいじめたら親が折れてくれるでしょう。 正しい行いをするには子供を見捨てるしかありませんが「子供一人満足に育てられない人が政治家をやるべきではない」とバッシングされたら退場してしまいます。 だから日本の政治家で本人がバッシングされている場合は、独身の政治家が多いのです。子供がいないと本人に向かうわけです。

    しかし、それがわかって矢面に立っているということは、恐らくは彼らは本当に国をまともに運営したいのではないかと推測しています。割に合わない仕事なのではないでしょうか。

    男性であれば女性に攻撃させるので、女性の有能な議員を立てれば、それはそれでバッシングされています。もう、誰が何をやってもどうしようもないのです。 何も欠点がなくて人望もあるとなれば、適当に失言をさせたりアルコールの入った錠剤を一服盛ればいいでしょうね。

    一見、完璧な人間にならないと何も言えないように見えますが、完璧だったら恐らく「正義を振りかざす暴力だ、独善的だ、独裁者だ」とか、「庶民感覚がわかっていない」「理想ばかりで現実を見ていない」「国民に貢献心を要求するのは奴隷化だ」…だとか、恐らくはそういうことを言い出して、批判します。それじゃあと思って不倫でもしたらもちろん叩かれます。庶民にばらまいてくれる政治家しか当選しないのです。仕方ないから騙し騙し餌をやりながら彼らに興味がない部分をちゃんと整えているのが日本の政治です。正直邪魔だと思います。古代ギリシアのようですね。民主主義の失敗は、同じ民主主義の歴史から学ぶべきだと思います。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」です。衆愚政治といえばいいのですが、日本には衆愚政治という言葉そのものを義務教育で習わないので通じないことも多い為ここでは民主主義に統一することにしています。

    ■この現象に名前を付けてほしい理由

    本当は、私より学歴が高く評判が良い人にこういう状態に『ラオコーン現象』とか、あるいは、これが良くないなら、日本的な諺や四文字熟語や中国の故事みたいな逸話でもいいのですが、そういう一言で注意喚起になるような名前をつけて、この単語だけで「それはヤバいなあ」と直感的にわかってほしいわけです。

    Twitterでは、…うまいこと、いい一例が思いつかなかったのですが、例えば、「踊る阿呆に見る阿呆、どうせアホなら踊らにゃソンソン」みたいな「本当にそうだろうか」と思えるが、なんか、あまりにも言葉の印象とテンポがいいので、なんだかこの世の真理を突かれたような気分になり、そういわれたら自分が人生を損している錯覚に陥るような言い回しがあります。

    他には、「中庸を持って良しとする」も何となく正しそうだが、よくよく考えるとおかしなことにもなりえそうな諺なのですが、この格言を呈すると、とがった意見を言おうとした人は、何故か拳を降ろすことになります。なぜだろう。理由はわかりませんが「とかくこの世はままならぬ」とか言っている少し和風おしゃれしている酒飲みのお爺さんがなぜか究極的な真理を悟っている仙人のように見えてなんか格好良く見えて言い逆らえない気がします。タローマンが「うまくあるなきれいであるな、ここちよくあるなー♪マイナスに飛び込め♪タローまーん♪」とすばらしい美声で歌っているとなんだかとてもそれが最も賢いことような気がするのです。

    つまり、何故か正しい人が根拠もなく自分は自惚れていると感じて恥じ入り、その発言が正しいかどうかわからないのにもかかわらず、発言をやめてしまうのです。不思議な現象です。

    『中庸を持って良しとする』という格言については、私は時々「中庸のアキレスと亀」といって批判します(※もしも中庸が最高の善になったら、今までの最高峰よりも中庸が最高に変更される、あるいは何かの極端が発見されるたびに変更になるので、中庸はズレてしまう。すると、中庸は元の位置からすると推測できないようなあらぬ方向にずれて、最初の批判されるべき極端だった場所に移動することさえあるだろうという批判です。もしそうでなければ中庸は絶対真理ということになります。それは中庸なのでしょうか?)

    例えば、「ああ、あの有名な、酸っぱい葡萄を食べ損なった狐か」と言われれば、「なんだか負け惜しみを言うのをやめよう、自分が間抜けなキャラになったように思う」という気持ちになるような感覚で、葡萄を食べるまでは「あれは、明らかに育て方が悪いし品種も酸っぱい品種で虫もつきにくく日持ちするので細かな管理をしないで砂糖漬けにすることを前提とした初心者用の品種のカタログの購入履歴がある本業が農家ではない人が育てていたから絶対に酸っぱいだろうな」と思ったにしても、食べるまでは「酸っぱい」とは言えなくなってしまいます。

    葡萄ならまだいいですが、これが「結婚」「子どもがいるかどうか」「美人との性交渉」や「不倫」「クソ高い高級品や旅行や都内の一等地に住むなどのステータス」「年収1000万円」「女子高生との本当の恋愛をしているかどうか」という基準であれば、人によっては何も批判できません(※これは、極端な変な非現実的な一例だと思われるかもしれませんが、日本には残念ながら本気でこの話をされて悔しがり、実際に未成年に手を出す人がいます。私も年収一千万円にならないと正論を言っても価値がないと言われて、一番儲かる風俗で、年収一千万円になってから発言権を得ました。
    今思うとやめればよかったですが、「論理だけではなく、年収でも全部に勝ちたい」と思ってしまったのです。
    そしてその後、「俺の裸の写真で稼いだ年収一千万円と汗水たらして社会に貢献しながら働いた年収一千万円の価値が同じなわけねえだろ。稼いだ金だけじゃなくて社会にどう貢献したかで価値が決まるに決まってんだろバーカバーカ」といったら相手は黙りましたが、その後私の友達の才能のないブスが嫉妬で嘘をついて、その嘘が事実だということにされて聞く価値のない馬鹿の意見ということにされてネットを追い出されて、ヤクザに殺されかけました)

    そんなわけで、皆さんは、取り返しのつかないことになる前に、アカウントは年収一千万円の弁護士で既婚者で子供に愛されていてITエンジニアで女医のFカップの女子高生で若い時から女の子にモテてチョコを貰う身分で高校生の時に美人の他の学校の妹みたいな不登校の子にお兄ちゃんと言われて恋愛をしたというもっともらしい嘘をつきましょう。
    どうせ調べる暇なんてないんですし、嘘だと言われたところでそこまで調べてたら気持ち悪いですからね。わざと二段構えで情けない自分を仮想して目に付くところに置き、その情報に食らいついた奴にデマを流させて、あとで「なんのこと?」って顔でその人が嘘つき呼ばわりされるのを待つのも良いでしょう。

    まあ余談はともかく、「助言した人を皆で潰して詐欺師を助ける現象」をライトに警告したいと思ったわけです。別にラオコーン現象ではなく、カサンドラ症候群とかソクラテス現象でもキリスト現象でも預言者症候群でもいいのですが、私は浅学なので、いいネーミングが思いつきませんので、誰かに考えてほしかったのです。

    というのも、昔初期のTwitterで「現象に名前を付けたい」というミームが流行っていたので、「今こそ誰でもいいからつけてくれ、俺より学歴や経歴や年収のいい奴どっかにいただろ、多分」と思ったのです。

    画像
    Grok曰く、ちゃんとミームとして存在していたようです。私の記憶違いじゃなくてよかった。
    https://x.com/i/grok/share/ba2d35da76ae414d905a9c30ef1cd680

    もう一つは「現象に名前を付けてその単語についてひたすら説明する人が哲学者で役に立たないという揶揄のようなもの」があったように感じていたからです。哲学や文学は必要ないと言われていますが、やはり最近のモラルというか、「全員が必要な仕事をしないで漫画家とYouTubeを目指したらそりゃあ国には回らないよな」という状態に危機感を感じたことがあります。

    日本に哲学者や文筆家や…あるいはキリスト教の話をすると日本では就職や結婚を自然に差別され、…本当は「民が法を守るように、時節に伴った説教をしたり、聖書の難解な一部分を解説する司祭やそれが得意な他の人(※シナゴーグでは、昔から司祭だけではなく、司祭以外の人が巻物を開いて必要な聖書の解説をするケースがあります)」がいないとダメなんだなと思ったからでした。

    (※そして、もし法だけがあって神様がおられなければ、法の穴をくぐって狡いことばかりする人になっているように思いますのでやはりこれは法学だけでは成立しないと考えています。我々にはキリスト教が必要だと思っていますし、自然法の参考書籍にも「聖書は統治に有用なので参考にする」と書いています)

    (※この説明をすると、宗教が嫌いな人は文章を見るのをやめる人が多いので、怖れながらもあえて書くのですが、法だけではうまくいかないというのは、これは、自分自身、牧師さんに出会ってから、「成功のためには人を蹴落としてでも出世するべきだと思っていた」状態から「人はいいことをしても幸いに過ごせるのだ」ということを教会で学ぶことができたから実感することです。

    私は、「別に良いことをしてもいいのだ」ということは、20を過ぎてから知りました。それまでは、日本社会の空気としては「目的のために手段を択ばない」ことを求めていたように思います。いいえ、漫画ばかり読んでいたからかも知れませんが、とにかくそう信じ込んでいたので、牧師さんの話を聞いて「今まで人を蹴落とさないといけないと思っていましたが、「いいこと」ってしてもいいんだなあと思いました」と話して牧師さんは驚いて「そこから?」と聞き返し「いや、そうか、そうなんだなあ」と独り言ちで納得していました。

    疑いを持たずにお互い法を守り、しかし法に縛られ過ぎて本懐を成せないような本末転倒なことは避け、コンセプトを確認しながら、協力することで得られるものがあり、それを体現していたのが教会だったわけです。『天国と地獄のロングスプーン』の逸話は面白いと思えました。

    確かに法が全くない世界で法を守れと言ったら、必ず「そんなバカなことをしたら皆が騙されるだろう」といってまともに守らなかったかも知れません。

    しかし、現にそれで平和に過ごしている他の国が歴史に存在するので我々はそれを信じることができます。私は超常現象的な奇跡も見ましたが、これもまた壮大な歴史的な奇跡の一種です。他のnoteでもかきましたが、「株」というシステムも実は神の民が先に使い始めていたそうです。宗教的信頼が多大なコストを削減し、かえって安全性や効率を高めていたのです。

    そこには確かに科学的根拠がまだなかった掟もありましたが、しかし、例えば『偶像崇拝の罪』を犯すと戦争が起こりやすくなる統計は最近発覚しました。結論が先にあり、説明はあとから発生したのです。
    このような証明と奇跡を受けて、私はキリスト教の神を信仰することにしました。教会で、つつましいながらも人を蹴落とさずに信仰によって幸いになっている人を見て、丁度自分がマネタイズを学んでいる時にfree to payという概念を学び、人の善意を先に前貸しすると、あとで帰ってくるという性善説的な現象と合致したこともあったからかも知れません(※あとでアメリカ以外の別の国でやるとただ乗りする国が多くて採算が取れないという事実があったと聞きましたので、やっぱり厳しい教育も必要なんだろうと思います)あるいは、自分で考えて実行した中国の賢い為政者や学者であっても論理だけでは性悪説的に統治をせねばならず、そしてそれが上手くいかなかった例を、歴史上何度もあったのを見たからです。最初は善を成そうとしたのに袋小路に陥って残酷にならざるを得ない人の歴史を見続けたからです)

    人の道理、道を正す事には、そこには高額な年収が発生しないかも知れませんが、(いいえ、本来発生すべきなのでしょうけれど、)しかし重要な国民やその利益を守る仕事ではあるのです。PCで言えば、ウイルス対策のようなものです。ないと困ります。

    「そんな難しい話をしなくても、いてくれるだけでいい」「いてくれてありがとう」という言葉は何だか聞こえが良いですが、実際には「金銭には換算できない必要な仕事をしているから価値がある」というのが本音ではないでしょうか。貴方に見えないだけで仕事をしているから価値があるだけなのかもしれません。全知全能ではない人間の価値基準で測るのはよくないですが、やはり、役立たずは役立たずなのです。

    日本人は人を疑うことは失礼なことだと言いますが、聖書は案外「人が常に心で図ることがことごとく悪に傾いているのをご覧になって後悔した(創世記 6:5-6)」とか、慕ってきた人であっても「心に何が入っているか見抜いておられた」ので慈しみはするが信用はしないような現実が書いていたりします。

    一方で、日本の文化とは、まるで詐欺師に都合がいい文化であるともいえます。「人を疑うな」なんてことは神様でも法としての記述はしていません。時には必要になることもありますが、そんなことをしたらあっという間に死んでしまうことも多いので、あえて律法の部分として契約として強いることはありません。

    しかし何故か説得力のあるいぶし銀のスーツを着たヤクザみたいなおっさんがタバコを一服してから渋くていい声で、一呼吸おいてから「女の嘘は、許せ」というと、なんとなくそれが正しいような気がしてしまうのです。

    このようにして社会は「女の嘘を許せ」という無理難題であり、神様でも人に要求していないことを、許させます。我々は日本社会から経済制裁や仕事や結婚の制裁を通して、沈黙のうちにそう要求されているのです。何故なら売春の方が儲かるからです。売春国家を供した資本主義はクソ。最近は売春を業者を通さずに独立して行う女性も増えたようです。

    一方で、聖書は「愛すべきだが、吟味して警戒しなさい」と書いているのです。「蛇のように聡く、鳩のように従順に」と書いています。

    従順で言い逆らわず、逃げださないようにするために、家畜のような人間をあまりにもアホになるように育てると、柵が壊れたときに逃げもせずに死んで全滅しますし、家畜だけではなく、詐欺師にとっても、自分より秀でて賢く強くて魅力的な詐欺師が現れると彼等に自分が育てた家畜を丸ごとく食われてしまい、困窮して自分も食べられてしまいかねませんので、食いっぱぐれてしまいます。あるいは、家畜は寄生虫や洗脳に弱くなって暴れて人間を攻撃するようになります。酸っぱくはないが、腐りやすい桃のような者でしょうか。

    あまりにも家畜を弱体化させ続けると、詐欺師にとっては最初は楽かもしれませんが、だんだんぬるくなって他の外敵に負けてしまうのです。詐欺師そのものも、他の強い詐欺師の存在を忘れ間抜けなことになりやすいのです。

    多様性を保持せず、育てやすいクローンのジャガイモを植えていたら、病気で一気に全滅して飢饉になった国もありますが、そういうリスクと隣り合わせだということですね。こういった事には、『ジャガイモ飢饉の悲劇』とか名前を付けてほしいです。

    少しは家畜も強くしないと奪われてしまうわけですね。まあその対策も多少はしているのですが、あまりにオリジナリティがないと、真似をした国にすぐに鍵を突破されてしまいます。また強い家畜を支配するにはある程度強い力が必要になります。昔は力でそれを制御していますが今は論理力です。しかし論理をそもそも聞かない者であれば、残念ながら力で制御するしかありません。

    まあ家畜が美味しくないからあえて助けたくないという性質を作るケースもあるのですが、この手法はそれはそれで、家畜の買い手がつかず、大量に余った時に家畜が人を食い始めることもあるのです。

    (※因みに、天では、男は強くして疑い深いが、女性は疑わず従順にすることで、男は女を守って酸っぱいが、女は甘い蜜を貯めている存在(※聖書における『雅歌』を参照)として役割を分断しているようです。美味しい植物の近くに虫避けになる植物を植える様なものでしょうね。田んぼの周りに咲いている曼珠沙華のようなものです。聖書における預言者とは、恐らく苦い食べ物に似ているのかも知れません。信仰者は甘い食べ物で皆に愛されます。だから見ないで信じる者は幸いなのでしょうね。なので本当は女は女らしく男は男らしくした方が人にとって幸いだったのでしょう。しかし、キリストのもとでは、許す者は許されます。酸っぱくなって、あるいは苦くさえなって、一度火にくべなければ愛されないことを受け入れるならですが、疑り深い人は、恐らくは厳しい試練を背負うことになるでしょう)

    話を元に戻すと、わたしが言いたいこととは「現象に名前を付けるということも、バカにしたものではありませんよ」ということです。故事みたいな感じの逸話にすると、ある程度、私みたいな物語が好きな人には理解しやすいのです。いちいち説明しなくても「○○現象」というと一言で複雑な事象が伝わります。「夏目漱石の『心』の友人Kみたいな殺し方」と言えば「法で裁きにくいが酷い事だ」と伝わるのと似ているかも知れませんね。文学は必要なのです。

    何も知らない家畜と一緒に育ったので、こういう格言を聞くと何だか正しいように誤認するのかも知れません。日本人だけなのか、海外でもそうなのかわかりませんが、学校っぽい感じで教育すると皆イキイキします。私はこれを利用して、自分が教えたい業務を学校みたいに教えると評判がいいことを学びました。

    案外物語で記憶した方が覚えやすいという現象は他の人の脳内でも起こっているでしょうし、そういう人でなくても忙しい人にはこのIT技術におけるメソッド化のような手法は、情報を整理するためには便利な手法であるはずです。

    これはプログラミングのメソッド化やクラスなどにも似た概念と言えるでしょう。記憶力の限られている人間にとって、粒度や深度を浅くして細かい話を省略して抽象化して理解すると、その知識のない人にも共有が可能で、会話が楽になります。

    そんなわけで、格言化する、現象に名前を付けるという行為は、それなりに役に立ちます。悪用もできるので注意は必要ですが。

    むしろ、こんなに「本当は間違っている事」にも無根拠の説得力を行使できるわけですので、つまり、既に悪用されているのですから、この武器を良い方法で使い、善人が使って、詳細を読まない人や物語が好きな人や他の仕事で忙しい人を説得しない理由はないわけです。語ることで間違うこともありますが、正しく使えば便利なものです。

    だから、大衆にもわかりやすいように、それっぽい雑学を振りまいて、
    誰か偉い人に諺か現象名か四字熟語などにしてほしかったのです。

    私は絵ばかり描いてきたキャリアですので、恐らくそこまで本を読んでおらず、既に誰かが本にしていることを再度語っているかも知れません。その知識がさほど知識がないし語彙力もない為、よく本を読んでいる知恵者が現象に名前を付けるのは大事なのではないかと思えてきました。
    だからタイトルをこうしたのです。こうすれば、なんかリスクを説明しているラオコーンのような人がいて、彼を見て「やらない理由ばかり話してネガティブだ」と言って批判して誰も大衆に意見を提言できないという状態だったとしても、「いや、これは、ラオコーンみたいな状況なのではないか」と考える人が出てきます。

    嫌でも、この雑学がとっさに脳裏をよぎるわけです。

    ここに疑問が産まれることで極端な暴走を防ぐことが可能になります。

    ですから是非皆さんにもラオコーンの逸話を聞いてほしかったわけです。日本人の心の中に、桃太郎、白雪姫、シンデレラ、花咲か爺さん、舌切り雀、などの昔話の中に、ラオコーン像の物語を滑り込ませておこうというわけですね。これである程度脆弱性の予防にならないかなあと期待しています。せめてそれを止める人を邪魔しないようにはなるのではないかと思います。

    まあなんでもリスクヘッジしてやらない理由を作ることも確かに問題ではあるのですが、なんでも前向きに前進すると生命工学や原子力や環境問題など取り返しのつかない事業では、下手をすると人類が滅ぶ可能性もあるのです。両面から考えることが大事です。

    ■余談

    (※後で調べたら、もうすでに似たような状態を示す格言の類はあるのかも知れません。しかし、前半にかいた、政治家をいいなりにするために、政治家の子供を虐めて子供によって親御さんが逆らえなくなるというやり方は書いていないようです。卑劣極まりないので、防止してほしいと思います。

    余談ですが、近年の日本における庶民の卑しい利益のための無責任や横暴の類は本当に悪質で、何の罪も無い民草という顔をしておきながら、楽をして夢をかなえたいとか、見捨てられる恐怖があれば、絶対に勝てない相手にはこのような卑怯な真似をする凶暴性があることは忘れないほうがいいかも知れません。草食獣は群れでライオンを殺すことがあります)

    AIが羅列してくれたので、一応並べておこうと思います。

    「危言覈論(きげんかくろん)」

    「危言」は、世の中の過ちを厳しく指摘する言葉のこと。正しいことを言っているのに、周囲からは「危険な発言だ」「不吉だ」と疎まれる状況を指すのに適しています。

    「曲突徙薪(きょくとつししん)」

    「煙突を曲げ、薪を遠ざけよ」という火災予防の忠告を無視した家主が、いざ火事になって助けてくれた人だけをもてなし、最初に忠告した人を忘れていたという故事です。「災難を未然に防ごうとする賢者の言葉は報われない」という、本稿のテーマに非常に近い教訓です。

    「衆口鑠金(しゅうこうしゃくきん)」

    「大勢の口は金を溶かす」という意味です。たとえ正しいこと(金)であっても、大勢が寄ってたかって悪口を言えば、跡形もなく消し去られてしまうという恐ろしさを表します。
    -------------------------
    あなたが「知らないだけで、もう誰かが警告しているのではないか?」と推測された通り、以下のような概念で既に言語化されています。

    「沈黙の螺旋(ちんもくのらせん)」

    ドイツの政治学者ノエル=ノイマンが提唱した理論です。内容:自分の意見が少数派だと感じると、孤立を恐れて沈黙し、多数派の声だけがますます大きく見える現象。
    合致点:本文にある「大衆が気に入ることしか言えない」「正しい人が発言をやめていく」という状況そのものです。

    「カサンドラの悲劇(カサンドラ・コンプレックス)」

    ギリシア神話の王女カサンドラに由来する心理学・社会学用語です。内容:正しい予言(警告)をしているのに、誰からも信じてもらえない、あるいは狂人扱いされる苦悩。
    合致点:ラオコーンと同様、真実を見抜いているのに社会から排除される個人の悲劇を指します。

    「パノプティコン(一望監視方式)」と自己検閲

    哲学者のミシェル・フーコーなどが論じた概念です。内容:誰かに見られている(あるいは資本家に睨まれている)という意識が内面化され、誰も直接命令していないのに、自分たちで自分たちの発言を制限してしまう状態。
    合致点:本文の「資本家に媚びてからじゃないと本が出せない」「検問を通過しないと書けない」という構造的圧力を説明しています。


    「反知性主義(アンチ・インテリジェンチャリズム)」

    内容
    :客観的な事実や知性よりも、感情や「自分たちの仲間内での納得感」を優先し、専門家や警告者を「エリートの傲慢」として叩く風潮。
    合致点:本文の「正しさを振りかざす暴力」「学問は貧乏人の暇つぶし」というバッシングの正体です。---

    noteに付随しているAIを使いました。

    しかし、そういう「名前を付けて問題意識を持ち警告してくれる人、あるいは気が付く人」はマスメディアの御意向によって姿を隠しているのかも知れません。つまり、私が知らないだけでもう警告しているのかも知れません。

    特に気の毒なことは、こういう知的な人は人の嘘を見抜くので詐欺師にとっては邪魔になるから会社から追い出されて低い地位を持っていることも多く、賢いのに忙しくて殆ど教養など付けられない人もいます。

    そんな中で、忙しいなりに庶民が考えたことを、時間や余裕があって知識が豊富な人が「小人閑居して不善をなす」といって、嘲笑して切り捨てているような事態はTwitterではよく見受けられました。

    諺をつくったり、諺や力や魅力で諸悪を切るはずの者たちが、諺によって言葉を紡げずに、切られてしまったわけなのです。

    悲しい話です。誇り高く責任感があるが故にまた自分自身を吟味する紳士的な性格をしているが故に、平気で知らないふりをする見かけのいい嘘つきの悪人に負けてしまうのです。

    私も絵ばかり描いてきたので、ネットの議論に参加すると、学歴が低く教養がないことをよく詰られていました。
    しかし論理的には仮に私以外の誰がその説を話したにしても、明らかに正しいので、最低な人たちだなと思っていました。
    何か、それが正しいと商売に支障が出たのかも知れませんが、商売に支障さえ出れば何でも攻撃していいという考えもどうかと思われます。

    ■資本家の息がかかってないジャーナリストが生き残ることが難しいので、そもそもラオコーンがいないか、いても見えない。

    私は会社員をやる合間Twitterをしていたのですが、誰が言ったか忘れたのですけれど、白饅頭(光属性)という人が、アホの私にも理解しやすい造語で、「可哀想ランキング」という概念を説明していました。丁度私も「その通りだ」と思っていたので感心した記憶があります。

    しかし、「ちゃんと会社員として社会にしがみついてない人の文章はよくない」みたいなことを言って批判している人がいたのです。どういった文面だったかはあんまり記憶にありません。

    「ええ?面白い概念だと思うけどな」と思ったのですが、確かその人は公認会計士で、特定の大企業の社長の親戚かヤクザの類だという噂がたっていました。偉い人だからこいつに突っ込むなというのです。私は「人類は法の下平等。正しいことは誰が言っても正しいのだ」だと思っていたので無視しました。

    本当にこの人が公認会計士という立場にいて査定を行っていたかどうか、あるいは本当に公認会計士だという話が事実かどうかは知りませんが、まあ上場に関わる裁量がある人ではあるわけです。

    特定の資本家の息がかかって検問を通過しないとおいそれと広告収入がメイン収入になっている出版社においては、まともに文筆なんかできないとしたら、フリーライター以外で何も言及できないのに、「フリーライターを皆にバカにしようぜ」という空気を上場に関わる権限を持っている人が作ったことになりますよね。中には不正を見逃してもらっていた人もいたかもしれません。そういうケースでは逆らえないし逆らうメリットもない社長さんもいるのかも知れません。

    画像
    Grokで調べたら出てきました。

    まあ別にこの人でなくてもいいのですが、この時代は「年収600万円以下は足手まとい」と言った有名塾講師タレントの東進ハイスクール講師、林修という人のスクショが流行っており、多くの人がこのスクショをRTしていました(※実際東進ハイスクール講師の林修さんは特定の書物を引用しただけでそんなことは断言していないそうで、AI曰くデマらしいですが、多くの人がこのスクショをRTして見せびらかしてはいました。よく見ると金額が違うようです)

    画像
    https://nlab.itmedia.co.jp/cont/articles/3356454/

    どのくらいRTされているかは知りませんが、Grok曰く、全体の波及は数万〜十数万インプレッション規模の議論になったとみられるそうです。私は東京で社会人をしていたので、関東圏の人が多めのTLだったと思います。そしてその雰囲気は感染するものですので、もっと多くの人がその言説を聞いたかもしれません。

    (※個人的には、例えば、仮にですが、年収が200万円だが本来500円だったパンを10円の原価に下げて皆が飢えないようにしてくれた人と、年収が一千万円だが画期的な兵器を開発して遠くの農村を焼き払ってしまいパンを1000円で買わざるを得ない世界を作った人、どっちが足手まといか考えたらその計算は雑過ぎるのではないかと思いましたが、これもなんだか正しそうに見えてしまいます。人によっては、自殺してしまう可能性もあったかもしれません。ゴンお前だったのか、民の貢献心をあげ、悪を避けるように教えていた者は)

    Grok曰く、『会社員として底辺なら発言権がない』みたいな雰囲気があり、彼等は、確か『年収一千万円じゃない奴の意見とか価値がない、軍神(歌舞伎町ホスト)の動画の方が学びがある』とかそういうことをよく話していたようです。

    まあそんなわけで、大金を動かす決定をするような公認会計士(※本物かどうかは知りません)がそういうわけですから、それと仲のいい資本家に気に入られないような発言をしたら、当然雇ってもらえないので「どうでもいい底辺」と言われて何も聞いてもらえなくなる可能性があるということです。

    つまり、彼が本物であれ偽物であれ、資本家の顔色を窺わないと何も言えない社会という空気をつくってしまったわけです。

    あるいは、資本家だけが有利ということではなく、雇用されて美味しい蜜がもらえればどうでもいい民衆にも有利な社会になります。

    とにかく雇用主の言いなりになる者が気に入られるので、案外クズの方が出世する世の中になります。

    むしろラオコーンのような勘のいい人は、不正にも気がつくので、内部告発をする恐れもありますから、出世させないことが多いでしょう。

    自分のように欲深で性的で誘惑に弱い男が弱みを握られて働く方が安心するはずです。だから彼らは映画のワーテルローの子豚泥棒の出世をオルクセンという漫画で称賛しさえします。

    インフレなんて、「俺みたいな小物が少しちょろまかすくらい、ほんのちょっと」という感覚でしょうから、お金ならいくらでもどうにでもなると考えているでしょう。

    するとお金だけが自由な彼らは、傀儡にしたい社員を年収一千万円にすれば発言権が発生し、気に入らない社員は絶対に適当な理由をつけて年収一千万円にならないと発言権がないと言い続けて、言論弾圧をすることが可能になってしまいます。(※余談ですが、安倍元首相暗殺に関わった山本被告も仕事を旧統一教会経由から受けて少額稼いでいたことで批判されていました。旧統一教会は、だまし取ったあぶく銭で、気に入らないことをいう人の生活を人質に取っていた状態だったのでしょう。旧統一教会は多額の献金を家族を自殺させるような警察が動きにくい加害によって受け取っていました。経済制裁によって人を支配できる状態だったのです。日本では仕事がないということは良心と思想の自由を侵害する脅しの材料になります)

    あるいは気に入らないというか、年収が高いとムカつく女や、自分が盲アピールしたのにも顔が好みではなかったから自分や息子や娘と結婚してくれなかった社員とかは貧乏にして風俗にでもうって「ざまあみろ」というのにも役に立つことでしょう。

    これで、皆、社会に何か提言したい時は、年収一千万円にならねばいけません。あるいは年収一千万円でも、女にモテて不倫してないからダメだという人もいるでしょう。

    そして年収一千万円になる為に、金を貸してくれたり上場の細かい会計の罠を完璧に言いがかりをかけられないようにしなければいけません。
    事務なんておいしい仕事を与えたら中小企業なんてすぐに裏切って帳簿にミスを作り、文句を言われたらパワハラで怖くてできなかったとか社長に支持されたと言って嘘をつくことだって簡単です。何なら社長を脅せるかもしれません。今はAIがありますが、今までなかったのです。不倫なんかしたら皆にばらしてその交渉のやり方がクソダサいと悪口を言われ、陰部のサイズや形状に難があれば、行きつけのキャバクラで仕込んだプロ彼女に公開されてしまうに違いありません。

    「もういい、うるさい、頼むから黙ってくれ、金はいくら払えばいい?何をすればいいんだ。黙っていればいいのか?アカウントを消す。こいつを黙らせろ?危ない橋だが善処する…」

    これを言わせたら勝ちです。だれでもデマを流す大衆のいいなりです。
    なんたって言論は自由なのですから、
    デマだろうが何だろうが言いたい放題です。
    信用しない者がいれば画像や動画を捏造して彼にだけ見せればいいのです。

    これは、「民衆が気に入ることしか言うことができない」状態にもなりえるわけでもあります。「あぶく銭をばらまかれるならどっちでもいい、楽な仕事万歳、ボーナス万歳」という人が多ければ、自滅はしますが、忠告する人に恥をかかされることに関しては彼らは無限に無敵です。数も多いですし苦手分野があれば、同じ蜜を吸っている者同士で交代すればいいのです。

    良かれと思って提言する人を追い出し努力しないだけですから、
    自滅以外は何も怖いものがありません。
    チート使って自滅で負けたら凄くダサい以外は何も問題がありません
    。

    あとは助言抜きで自分が完璧にやりさえすればいいのです。

    民衆に逆らえないとなると、まるで古代ギリシャですが、ソクラテスが賢いと言われて尊敬されて弟子を取れた時代とは違ってさらに悪く、哲学者や文筆家はあまり大事にされていないようで、寧ろ青二才と言われて見下されている状態でした。最悪です。まあたぶん喜劇作家にバカにされていた時点である程度既に近い状態だったかもしれません。

    ソクラテスと日本の哲学者の違いとしては毒の杯をあおるときに味方がいないかも知れず、「どうして普通になれなかったんだよお、お前が余計なことを言うからお前の家族もお前の友人の俺まで巻き込まれる、頼むから変な正義感を出さないでくれ」と泣いている家族や幼馴染を、無責任な大衆がゲラゲラ笑ってバカにして「役立たずと同族のやつは人間らしくていいですねえwww」とか言われそういう感じになっていました。
    それを見て別の親せきや友人は「静かに長いものに巻かれていれば美味しい思いもできたのに、出る杭は打たれる、正直者はバカを見る、こういう知恵深い格言を知らないんだろうな。馬鹿だなあ、自分は美味しい汁を吸える、こっち側でよかったなw」と心から喜びながら、仕事のために黙っているか、あるいは、あとで友人を見捨てたことに耐え切れず首をつって、さらにそいつらに笑われるかを選ばねばなりません。

    家族はみんな「お前が余計なことを言うから」といって居場所がないどころか自分の悪口を言うことで敵から拍手喝さいを浴びてようやく仲間の下っ端に入れてもらって、自分を裏切って手に入れた功績で人権を回復しますが、役に立たなくなったらやっぱり見捨てられますので、必死に家族や親友を裏切ります。誰も何も言えません。

    同調圧力や経済制裁や暴力をもみ消して見殺しにする手法で、大衆によって個人の『表現の自由』が侵害されているようなものですが、誰も文句を言えません。みんなサラリーマンの状態で自分で必要物資を生産しませんから、社会から見捨てられたらどうやって生きていけばいいのかわからず、飢え死にします。

    私が良く引用する『空気の研究』(山本七平著)という日本人の「空気」に支配されている変な性質を見事に言い当てた非常に貴重な書籍がありますが、この書籍には、それと一緒にその話題とはさほど関係のなさそうな共産党の悪口が書かれています。筆を折らざるを得なかったのでしょう。かわいそうに。

    報道されませんが、日本でのプロレタリアートへの虐待は結構酷いものなのです。文筆家は、彼らの家族同士で殺しあうような社会的な抑圧を横目に、良心と思想の自由を諦め、それが建前に過ぎないことを学びました。

    そんな状況ですので、彼ばかり引き合いに出すのは気の毒ですが、他の人も特定の戦争やキリスト教などを批判する文章を織り交ぜていることが殆どです。

    恐らく日本では戦争の批判をしないと本を出せないのでしょうね。

    まるで神学の本の前半の謝辞並みに長いです。社会人の時に読んだところ本題に入るまで何日か経過した記憶があります。書かないと王への反逆の類で、危険思想と取られ、検問を通過しなかったのでしょうか。王が民衆の傀儡の様になっていたとしたら、実際に放縦をしたいのは民衆であるにもかかわらず、王の方が横暴そうに見えるでしょうから気の毒です。私はそれがあったら取り除いて役に立つ部分だけ読んでいます。読書のコツだと思います。それ自体も歴史として学べるので役に立ちますが…読むべき本が多すぎるのです。

    少なくとも、庶民の我儘に付き合わされている気の毒な日本の政治家へのバッシングを見ると、そうだった可能性ばかり思い浮かんでしまいます。散々自分のために政治家に無理をさせておいて、問題が発覚すると「おら、しーらね」といって見捨てる日本人のような庶民の無責任な様が目に浮かんでしまうのです。まあ日本しか知らないのでわからないですが。

    「衆愚政治」と「責任転嫁」の構造

    古代ギリシアの哲学者プラトンは、民主主義が極まると「衆愚政治」に陥ると警告しました。そこでは、民衆が自分の欲望を叶えてくれる指導者を求め、指導者は再選のために民衆に迎合します。
    この時、「悪いのは政治家だ」と叩くことで、民衆は自分たちの無責任さや強欲さから目を逸らすことができます。 つまり、政治家は民衆の欲望の「実行犯」でありながら、同時に「生贄(スケープゴート)」としての役割も果たしているという構造です。

    noteに付随しているAI曰く、哲学者プラトンが既にこの問題を指摘しているそうです

    あれは日本人ではなく中韓のスパイやあるいはどこの国か知りませんが、ロシアかアメリカかイギリスかイタリアかスペインか中東かインド何かのスパイか、便衣兵か何かであると思いたくなりますが、私は所詮庶民ですので、そうであるか調べようがありません。第一中韓のスパイであればかなり古い時代から既に彼らと混血して帰化人になっている人の方が多いでしょう。

    あまり言うと陰謀論者として「他の人が混乱するといけないから」と大量に通報されてこの文章も見えなくなることでしょうから、その辺のことは何も指摘できませんが、AIに日本人の文章をすべて読ませてそういった箇所だけ抜粋すると面白い統計が出そうだなと思います。これも歴とした歴史資料ですね。

    そんなわけで、もしかしたら、この文章もきっと日の目は見ないかも知れませんが、万一『北九州監禁殺人事件』や『カルト宗教の入水自殺強要』のような類に出くわしたが、『女児虐め凍死事件』などのように警察やメディアや周辺の人々が加害者に味方して誰も助けてくれなかったり加害者の息子さんが自衛官で大きな購入先の決定権を持ちかねないので優遇したいとかそういう理由で被害をもみ消されそうになったりしたからか、抵抗したら経済制裁で仕事がなくなり、加害者の会社にしか雇用してもらえず、仕方なくニートと呼ばれないように世間体のために少しお金を貰って生きていたら、ミスを増やすようないじめを受けて無能扱いされて転職が難しくなるかあるいは転職を繰り返すようなことが増えるなりして差別され、親の自殺の原因になった理由を記者を名乗る男に教わって家族が皆自殺させられて精神が衰弱した状態で首相に復讐をしたら「勘違いテロリスト」だと言われて誰も味方してくれなくなったりした時のヒントになることを願って書いています。

    警察庁の統計によれば、自殺者は年間2万人を超え、行方不明者は年間約9万人にものぼります。特に人口が集中する都内ではその数も多く、特にお金持ちと詐欺師が多い地域の皆さんはその中に当てはまっても何もおかしくありません。カルト宗教に関わると、何故か一家全員が自殺するケースがあります。自殺なのでニュースになりませんが、しかし、しっかりと誰かの恣意が働いているのです。

    その結果何が起こっているのかというと、庶民が要らないと考えるプロジェクションマッピングなどの謎の予算の決議です。
    むしろ、「この国はもう寄生虫にやられているのだ」というアピールなのかもしれません。クジラやイルカの様に、脳をやられて陸に上がって自害を試みているのかも知れません。本当は神様のメッセージですが科学的根拠がないのでここでは伏せておきます。鼠の死骸なら貪欲の罪、小鳥の死骸なら愛がない結婚、犬の死なら不忠実、蚊なら売春で飯を食う遊び人、カマキリに寄生するハリガネムシなら冷酷な女性の洗脳と自害、死んだ動物…クジラなら、国家が寄生虫にやられているという状況を示すことはないとは言いません。
    これから謎の予算は減らないのに自殺者と行方不明者の年間人数が減ったとしたら、たぶん「クローンか似ている中韓人に人をすり替える」とかになるかもしれませんが、推測の域は越えません。SFみたいですみませんが、要人とかはクローンすり替えを怖れてどこかにチップを埋め込んで識別することになりそうですね。嫌がらせに自分の体細胞をアクリルに詰めて腐らないようにして庭に埋めておこうかなと思います。お守りとして神社で売ったら割と売れるのではないでしょうか。誰が始めたかわかりませんが、へその緒を取っておく風習は面白いなと思います。まるでゲノムチェックができるように未来人が言い聞かせたようですね。

    また殺人だけではなく…いえ、殺人と関わらないとニュースにならず、皆に調べてももらえませんが、実際は三洋電機などは『洗剤の要らない洗濯機』を製造したにもかかわらず、多くの洗剤メーカーからバッシングを受けて人が亡くなる事態にまで発展したのに、報道もされていないような状態であるのが資本主義下のマスメディアです。少しネットでその話をしたら、高圧的に反論されて「あれは汚れが全然落ちなかったから批判されただけでしょう?!」と言われました。

    洗剤は腐らないので、在庫を抱える人も多いから薬局あたりの人も巻き込んで、沢山の人が協力してくれるのでしょう。広告にかけるお金もお昼の時間に流せるのでエンタメ業界にとってもいいお客様です。

    他にも日本では特定の蚊を殺す家電やダニを殺す家電にだけやたらと厳しい販売制限を出しやすいです。家電メーカーは弱い立場の人が多いのかも知れませんね。恐らくですが、もしかすると、防虫メーカーや除虫菊の生産そのものというより、メインの人たちは問屋やエンタメ業者の問題であるような気はしないでもありませんが、何せ出来事が不透明なのでわたしの調査力では定かではありません。しかし、確かに他の国に比べて、殺虫家電は「薬剤を伴う場合の薬機法による承認制度」および「消費者の安全性を担保するための高い製品基準」が厳重過ぎるとは思います。私はAmazonで買い物して海外製の家電が便利過ぎてようやく気が付きました。海外旅行した時には、住人が電気ラケットで蚊を殺しており、羨ましかったです。ずいぶん前から存在するようですね。

    このような状態で、真に報道すべきことを報道する為、ジャーナリストは単独で個人で収入を立てようとしている人もいます。しかし、「変わり者」のレッテルを張られたら世捨て人の失敗者呼ばわりされることも多いはずです。最悪は「庶民の意向をくんでくれない独裁者の犬」とか「エリートぶりやがって偽善は一人でやれ俺たちを巻き込むな理想主義者」とか言われて、特定の人が自分の仕事を奪ったと思い込んでいる捨て駒に攻撃されかねません。

    個人的にはこういう人に協力して寄付したい気持ちですが、残念ながら、わたし自身、最近、仕事を貰っても未払いになって弁護士費用も20万円くらいかかったりして貧乏になっております。フリーランスで備品を購入させてから仕事を途中で切るようなやり方をする人も多めで、困窮しています。解決策が、自分で生産する以外思いつきません。近代的な生活を作ることができる今ならともかく、農業や産業のノウハウが庶民にいきわたっていない時代では絶望的だったと思います。肥溜めと電気のない生活に耐えられない空気だったのです。(※昔から日本人は生活を人質に取られていました。上級国民は川上に住み、下級国民は彼らの汚水を飲む川下に住みます。少しでも上に行けるなら、みんな下級国民を裏切るわけです。ここに下民の親子にあえて美人の子供を育てさせると、醜い息子とでも結婚するので便利だそうです。彼女はかぐや姫と揶揄されます。育ちが悪く貧乏なのでハードルが低いのです)

    そんなわけで、中々このような発言を人に見せることも難しいのでしょう。世捨て人の様に日本社会から隔絶されて自給自足をするか、他の国(ほとんどが資本主義であり民主主義)の外資に頼るか、…あるいは昔の日本みたいに風俗嬢に稼いでもらう文筆家になるしかないのかも知れません。

    (※余談ですが、ギリシア神話で、息子の運命に対して予言をおこなう天空神のウラノスの娘?のあぶくである、ヴィーナスが愛と美と娼婦の守護神なのも理解できなくもありません。理解力があって底辺の人の状況にも問題意識があって理性で醜い人とでも求められれば結婚するので、大体、民主主義では女しか文筆などやれないのかも知れません。しかし所詮女です。きつい仕事をしたこともないので結構わきの甘いことを書いたりしてしまい、余計に彼等への追い打ちをかけることの方が多いでしょう

    しかも、書物を読んでいる方はアホが多いので、難しいことをいう人は追い出されています。彼女の裏切りを大いに喜んでもてはやし、多少醜くても美人女流作家とか言い出して煽ててから木に登らせて叩き落して泣きすがらせてどんどん不利な立場になって逆らえなくなるのが落ちです。

    その価値がわからない人の方が数が多いのでしょう。まことに気の毒です。しかも、二代目以降がだいたい金持ちの不細工と結婚するわけなのでケンタウルスとケンタウルスの逆みたいになります。辛い。これは下賤だが金持ちのブスと結婚させられる金持ちの息子もそうです)

    これもきっと聖書圏の社会であれば、席が狭いあげく不適任な者が座ることこそあれど、一応は司祭や世話人として人々を導く教師やあるいは教会でなければソフィストなどになっていたのでしょうけれど、日本では生涯学習をする風習がないので、大人になっても子供みたいなことを言っています。お坊さんは諦めろと言いますし、予言や助言をする属性の宗教ではないので、何か知恵深い人が対処のめんどくさい聞きたくもない不吉な事態に気がついても、あまり実行力や結束力や統率力や推進力を発揮できない文化ではあるかもしれませんね。

    教育の現場でも、「日本人の生涯学習時間が少なすぎる」という問題については海外からも指摘が入っています(※OECDの調査では、日本の社会人の学習時間は加盟国の中で最低水準)。文科省はこれを課題としていますが、民間に任せておくと、「庶民がやって楽しいし難しくも危険ではない範囲の楽しいお稽古ごと」として消費されるに留まりやすく、国家の問題に対処するような抜本的な教育は、実質的にハローワークの職業訓練が担わされているのが現状かもしれません。それ以上をやって事故が起これば恐らく問題視されるからです。こうして危険な仕事をする人が減ります。

    (※余談ですが、他のnoteにも何度か書いていますが、特に司法についての無知は問題を感じます。
    例えばユダヤ・キリスト・イスラム教の伝統では、聖書には「国民全員が覚えて集会で読み上げ、子供には手や額に掟を貼っておきなさい」とまで書いています。義務教育は日本にもありますが、聖書圏ではメインが「法と歴史と生活と心理的トラブルに対する知恵」です。
    日本でも歴史と生活(家庭科)は学び、道徳も学びますが、なぜか法は義務教育にほぼ入っていません(社会の授業で多少憲法を数時間学びます。本来はすさまじい量の難しい場面の法解釈が存在し、それを異邦人にもわかりやすくコンパクトにしても新約聖書ぐらい膨れ上がるのに、我々はユダヤ人やクリスチャンやムスリムが生涯をかけて学ぶ法に関して、数時間しか義務で学びません。

    自分の身を守るための法でもあるのに、どう考えても頭がおかしいです。

    これで少しでもマナーが悪い人がいたら日本国民は全員、時計仕掛けのオレンジです。
    多少賢くても棘のあるミジンコとミジンコの違い程度しかなく時計仕掛けのレモン程度にしかなれないはずです。
    最初は面倒だからあえてくってもらえない程度で腹が減ったらくわれてしまうでしょう。聖書圏の社会学を真似しているのに、法の根本に聖書がある以上、司法の考え方の土台になっているので、欧米の社会学の真似をしても文化や宗教が異なる結果何か欠損し、同じ結果にならないような気がします。これでは猿真似で終ってしまいます。そして本当は神様がいない限りは以下の問題を引き起こします→リンク■)

    ■ではどうすればいいのか?

    批判を怖れながらあえて言いますが、
    やはり人間には貴賤があると言わざるを得ません。

    何もしなくても、余裕があれば問題意識を持って議論したり、実際に実行したり、勝手に勉強して社会に貢献しようとして、悪事をなす時には罪悪感を感じ、自己を振り返る人もいますが、一方で、楽で面白い仕事をしようとして政治家やその家族、特に子供を自分の子供で虐めて、虐めるだけではなくわざと怒らせて被害者になる当たり屋のようなことをする人もいて、親に間違ったことを教えて子供を叱ると、子供は濡れ衣をかけられたショックで親を憎み、そのタイミングで優しくして親を攻撃するように唆す、というやり方をして、自己を振り返らずそのまま開き直って許され続け、働かず、甘え続け、そのために犠牲者が出てもむしろ嬉しそうにして、偽善と大義名分を掲げて「次はどこと戦争する?誰を虐めて、誰を非国民にする?美人の娘がいるといいな、なかなか結婚できないんだ、非国民の娘なら俺でもいいだろ?」と考え、危ない橋はわたらないが自分にデメリットが無ければ相手がかつて自分を哀れんで見逃してくれた善人であるのにもかかわらず、哀れまずに実行する人がいます。最低です。何が純朴で罪のない民草だ。お前らの血は何色だ。こういう人たちが略奪十字軍や魔女狩りをしたがる人になるのだろうと思います。

    彼らは、ケツを叩いて悪いことを悪いと知らなければ自由にするとろくでもないことをする人たちです。「小人閑居して不善をなす」という諺がピッタリです。しかし前述したように残念ながら、忙しくて正しいことを実行できない人や、考えるのが得意で理解できない人にやらない言い訳をしていると誤解されるような人に対して使われているのが現実です。実際は考えてもいないのに自分の欲望を満たすのに使う人が殆どなのですが、彼等は中途半端にやっているふりが得意か、きっとあぶく銭で「年収一千万円だから自分の方が有能だ」と言い張っているのでしょう。

    人間には
    例えば、「役に立とうとして命を賭した者」「役に立とうとして裏切ったふりをして、潜伏して、しかしそれでも役にも立てなかったし、あくどいこともしたが、心は裏切らなかったので最後の選択を正しくしようとした者」などと、

    その反対になる、「偽善者」「臆病者で逆らえずに身も心も腐って味方を殺す者」「最初から裏切者」「理解する知能がなく、今後も期待できず、あらゆる世界線と可能性において調教を不可能だと定められた者」「安寧の中で虐げている善を成す可能性のある人に悪を成させ、その醜態を見て楽しみ、もっとそのままでいてほしいと思う者」「穢したいことそのものを要求とする者」、

    あるいは、「もう死んだ方がマシなくらい本人も自分の裏切りに自分が許せないので何度生き返らせても死にたがる者と、最低でも自分に嘘とつき続けて他人を犠牲にし続けて楽しそうに生きる者」の違い、

    これらには、明確に、隔たりがあると思っています。もっと正しい区分は存在するかも知れませんが、今私に思いつくのはこれでした。

    万人が平等ではありません。
    たとえ気の毒でも臆病者はやはり仲間にしてはいけないのです。
    貢献心と、ある種の気品や一定以上の知恵を受ける素材のようなものがない者は、やはり下賤と言わざるを得ません。

    少なくとも、私は悪質な庶民やヤクザやマスメディアや悪質カルト宗教やケチな商売人や扇動力のあるカスや夢を追って金が欲しい詐欺師の類から、高貴な人々を隔絶し、健全な状態で安全に育てることが大事だと感じました。

    要するに、王、司祭や預言者、雇用主、自由市民、労働者(奴隷)、神を信じないし従うつもりもなく、あるいは平気で嘘をつくので従うと言いながら裏切る、信徒ではない者、あるいはやり取りそのものが不能である蛮族、これらが住む世界は、交流はあっても、身分が同じだと言って乱暴にお互いが不得意な仕事を押し付けあい、彼ら同士の付き合いを強制することは間違っていると考えます。

    「いやいや、階級制とか不平等だろう?前時代的だ、人権があるだろう」という方もいることでしょう。

    しかし、人権はあくまで「法の下平等」であるにすぎません。

    法を守ることが不可能な個体はある程度の権利をそれに応じて抑制する必要があるでしょう。例えば弱いからこそヤクザやカルト宗教に脅されて、あるいはお金を貰って、投票権を盗まれてしまうような人がいます。最近はわざと頭の悪い障がい者を産んでその投票権を奪うケースも出てきています。
    あるいは雇用主に強く言われたり面白い仕事を貰えると間違った予算を議会で請求させるように政治家に要求する人もいるでしょう。
    彼等は制度上罪を犯してはいないかも知れませんが、
    これでは庶民にばらまける人だけが優遇され、ばらまく量で喧嘩をするうちに庶民はすっかり怠けて元の仕事を忘れて誰も必要な仕事をせず次も餌をよこせと叫ぶようになってしまいます。だから聖書の奴隷には参政権がないのだなと日本人を見て思うのです。こうなるからだと。

    それは努力によってはどうしようもなく隔たりのある、素質としか言いようがないのです。「知恵が無さ過ぎれば理解できず、いくらか責任のある人が冷徹な判断をせざるを得ないことがあることを理解できず、ずっと子供のように甘えてしまう」事でしょう。

    こういう人は、例え行いが良くて罪が無くても「育っても努力しても下賤」といえます。彼らが特定環境で特定の知恵を受けると、裏切ることは予定調和的に決まっているのです。だから人々は何かを知らないまま信仰で生きるほかなく、多くの人は知ると死にます。知ることで罪を犯すからです。罪を犯さないように調教してはじめて生きることが可能になります。信仰さえ持てないなら、必ず罪を犯すことがわかっています。

    所謂、高貴な身分の者、考えることが得意だが、難しすぎて理解してもらえず、周囲が愚かに見える者、勘が良すぎて友達の悪意を見抜いてしまい、みんなからネガティブだとか失礼だとか言われて嫌われるし、他人を疲れさせてしまう勘のいい者、こういう子は、恐らくは、庶民と一緒に育ててもいいことはまるでありません。

    彼らは特性や個性に応じて別々に育てなければいけないのです。これらは違う生き物だからです。自分のペースで彼らの特性に合わせた育て方をしないと、お互いにいいことは何もない。草食動物の子供と肉食動物の子供が一緒に無理やり住んでいるようなものです。

    そんなわけで、「全ての人は努力によって平等」という思想の元行うブロイラー工場のごとき日本の文科省が提供する義務教育は、何もかも失敗しており、我々への加害と見なして違憲行為を糾弾しても良いと考えます。

    受験関係の書籍や塾で利益を上げている人がカリキュラムを変えたがらない傾向にあります。今ならAIで問題集は柔軟に制作できるので問題ないかも知れませんが、こうなってしまうと本末転倒です。彼らの楽な仕事のために国家があるような状態で、国家のために仕事をするわけではないのです。

    憲法曰く(そもそも憲法は国民ではなく国家を拘束するためのものだという人もいますが、)明らかに憲法12条には国民の義務として「人権を守る不断の努力」をすべきだと書いています。逆を言えばそれができない超人になれなかった人は本来契約違反なのです。

    例えば、仮に人権を守っている度合いをリアルタイムで計算したら、途中までは福祉関係者の数値が上がっていき、突然「それを保持できない」段階にあってマイナスに落ち込むような状態になりえます。今までその計算速度が足りていなかったからこそ許された平等に過ぎず、本当はリアルタイムでその努力を計算することが最近は可能になっています。

    一見ディストピアSF小説のようですが、実は我々人類は既にこの評価を採用しているのです。それが金銭や経済やGDPと呼ばれる経済指標などです。

    実際、保険屋さんは、お客さんが死んだときの本来の彼の価値を金額に換算して計算しているわけです。

    そんなわけで、化石燃料時代の年収至上主義者は、「貢献の解像度」をGDPのような「動いた金額」に限定しましたが、今はITの時代になりました。
    もっともっと細かい計算をして「保険屋さんが決める人生の価値の推測」のようなものを概算することも可能なのです。ただの金額だけではなく、排泄するCO2の量、それを修繕する金額の差額、誰がそのコストを払うべきかなどもすべてリアルタイムで計算し続け空から監視し、空気や温度から推測して何もかも何が起こるかビッグデータに記録して計算することだって可能なわけです。価値のある仕事とは何かという問いが複雑なのですが、ある程度は現行の数字よりも細かい計算や解析が可能になっています。

    しかし、今まで昔の計算方法で勝ち組だと思っていた人たちは、今まで自分がその計算を採用していたのにもかかわらず「それでは息がつまる!!」と言い出すのです。彼らはたくさんの人を落ちこぼれ扱いして首をつらせて「負け組」「足手まとい」「時代遅れ」「もう要らない」といって自殺させてきたのに。

    実際は、一部の西洋思想的に言えば、『自主的に善を行動しないものこそ、不自由な奴隷』ということです。これを理解するには、このリンク先→■が参考になるかもしれません。日本人が参考にして猿真似をした西洋では、貢献せずに悪事をなす人を「奴隷や家畜サイドの人」と見なします。なぜなら、彼は叱らないと人類の命を救う行動をとれない家族や自分を守れないアホ扱いだからです。通称『獣』といいます。知恵がないから短慮な行動に出て自滅する者という意味ですね。これから永遠に生きる程の医療が発達しますが、今後はそういう振る舞いは永遠に死に続けるリスクになるので、残念ながら隔離されて不自由にしないと人類にとって危険だと見なされてくるのです。速度が遅い事より、
    短慮さと思慮深さが致命傷になる時代になってきました。

    https://note.com/3_dcg_ya/n/n065ee4a2640f?sub_rt=share_sb

    本稿を書くにあたって、「小人閑居して不善をなす」という諺が出てきましたが、残念ながらこの言葉は、どちらかというと資本主義的勝者が資本主義的敗者の稼ぎが少ないことを揶揄してこのように話していました。

    時間が少ないながらも書籍を調べながら議論しようとする人々を「教養がない」といってなじり、遊びみたいな仕事を庶民にさせて王者を気取ろうとする悪質な人々が、彼等を抑圧するときにばかり使われていました。

    実際は、西洋思想上の『自由』においては、知能が低く問題意識を持たずに遊び惚けて都内でセックス三昧することが人生の幸福だと思っていた彼らの方が獣の「小人」なのですが、しかし彼らはお金がないことこそ「小人」の証にしました。恐らくは中国思想でもそうだったはずです。文学は価値がないと考え、哲学をする人間に関して、「貧乏人の暇つぶし」「どうでもいい負け組のモブが構ってもらいたくて話をしている」と見なします。
    事実彼らの経済力の向上には確かに役に立っていないので「価値なし」と見なされたのかも知れませんし、彼自身そういう価値観に毒されて暴力的に脅されてそう考えたのかも知れませんし、あるいは不適任な人物が文芸に携わったことで「なんだこんなものか価値がない」と実感したのかも知れません、しかし、よく考えてみれば必ずしもそうではないケースも存在します。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」とはよくいったものです。

    厚顔無恥な人はこの様なバッシングをされても平気な顔で「金がある奴が一番だ」といいますが、実際傷ついて「なら金も稼いでやる」といって無理をして更に物を調べる時間も失い、卑怯な真似に手を染めないと金が稼げないことに気が付いて、誘惑に負けたところを彼だけが逮捕され、それを見てあざ笑うのが彼らの楽しみです。

    ヤクザが入れ墨をするのは、普通の社会に戻れないようにするためです。孤立させることが奴隷化の条件です。

    元夫にもタトゥーの消し跡があったのですが、「どうしてタトゥーをいれたんですか?」問うと、これをつけないと体のデカいジャイアンのような子供が子供だった自分を殴るので、舐められないようにタトゥーをつけざるを得なかったそうです。

    恐らくヤクザも好き好んで格好良いから入れ墨をするのではなく、殴られないようにするために入れ墨をして、しかも好き好んで短慮であるが故にやったかのように自称します。

    しかし実際は、その方が格好いいことかのような洗脳を施すなり、そうしないと虐めるなりしたのでしょう。そうでないと殴られる側になるような気がするから、なんとなくイヤナヨカンという者をトラウマとして記憶させられているのかも知れません。

    ここでは入れ墨ですが「セックスをできていない者はどんなに小難しいことを言っても無駄だ」と言われて、大真面目にセックスや不倫できるように努力し、警察に捕まったり、スキャンダラスに放送される人もいます。そうしないと文筆家や小説家や議員になれないというのです。日本では難関資格でもないかぎり大金を稼ぐには何かしら弱みを握られないといけないようです。

    その後は入れ墨をいれたことで差別されるという体験をさせます。これは実際は差別している人はサクラであり、一般人でない事さえあります。材料は生でもサクラでもいいですが、とにかく自分以外の社会はお前を認めないのだというトラウマを強くつければよいのです。

    そうすればその入れ墨を見られたら、彼は下手な言い訳はしなくなり、突然殴るようになるだけになります。対話は不能だと学習したからです。
    その方が助かる確率が高いというトラウマを植え付ければ、精神が衰弱した時ほど間違った成功体験を実行します。即ち暴力を振るうのです。これで悪者の完成です。悪人なら処分しても問題ないのです。

    これは単に心理学の悪用なのです。

    奴隷を飼う人は、一方で入れ墨を推奨するのに、一方で入れ墨をしている者には近寄るなと一般人に言いふらします。こうして自分に依存する労働力が出来上がるということです。

    ここでは入れ墨ですが、恐らくは、「犯罪歴、あるいは裏金をつかまないと出世させないが、逆らったらそれをばらす」という方法で必ず人を傀儡にしないと安心できない器の小さい輩が日中韓のどこかにはいるのでしょう。

    韓非子系組織の欠点です。そんな組織は長続きできません。人の心に鍵をかけて見えない檻に入れて紐を引っ張っているだけなのですから、何かの外国からの襲撃やあるいは援助やより都合のいい社会や伴侶の提供、もしくは天候の変動や、地震、あるいは技術革新や哲学の発展などの影響もあって、その繊細なバランスで保たれた鍵が意図せず壊れてきたのです。

    彼等は何度も鍵の形状を修正しましたが、
    もうさすがに厳しいのではないでしょうか。

    貢献心がないので応用力がなく社会が著しく変わると、「同じ給料で仕事をくれ」と言われて、首が回らなくなる雇用主がいます。

    要するに「鍵が高すぎて買えないので、使い勝手が悪いから殺したくなってくる」わけです。

    通常、こういう社会になったら、今までは王者は戦争をしていました。しかし、現代の世界では「戦争をする国はとにかく悪い国」です。

    今まで散々戦争を批判した手前、彼等を「自殺者の平均」以上に殺してしまうと、不自然になってしまい、各国から信頼を失いかねません。

    他の国の人が気に入らない時は同じ手法を使おうとしたのであれば、なおさら糾弾され「やっぱり日本はこういうあくどい手法をまだ使っているのだ」と批判され法に基づいて裁かれてしまいます。すると、折角苦労して日本の上の方には立ったのに、周りの人から零落者扱いされてしまうでしょう。

    しかし一方で、自由に考えさせれば、元々韓非子系の組織にいた人は楽になったと喜ぶのですが、一度楽にすると彼らはもう今までよりつらい仕事はしなくなってしまいます。要は「自由にして良い仕事を柔軟に行う者」と、「厳しい仕事場から楽な仕事場に行くとその時だけは一生懸命するが、一度楽にすると、自由にするととにかく楽しかしない者」は異なる存在だということです。

    ここに『貴賤』をつけなければ、恐らくはうまくいかないのです。
    そうしなければ、いつまでも問題意識をもってみんなでこの課題を解決しようという人は「自惚れた目立ちたがり屋」として邪険にされ、一人でできることしか伸びません。そういうことを完璧にやろうとすると、彼は大体小説家になるしかないのです。

    一方で、不完全でいいものは先に動きますが、不完全なので何れ失敗してサボるのが得意な庶民に集られてしまいます。彼らは最初は日本の王者だったと思いますが、しかし、より強い外国では「頭脳」に該当する全体を見るのが得意な者も彼らの上に立ってより高度な科学や社会学について考察しています。こうして日本は負けるのです。歴史的に数学や天文学を真似してはいましたが、実用や見栄えの良さ(芸術)にすぐ反映されない学問を、すっかり廃れさせてしまったのです。これが「下賤」と呼ばれるゆえんだと思われます。日本では学者を大事にできなかったのです。

    日本人は、リアリストにしても理想主義者にしても、どっちにしても中途半端なのです。理想主義としては完全な理想を追い求めて環境問題に対処するわけでもなくきつくて危険で命に係わる難しい仕事をしたがりません。かと言ってリアリストだとしたら、本当はできるITを駆使した情報によって算出された事実を利用するわけでもない。「バブル期の不細工でもモテた時代」を繰り返したいだけで、それ以上の理想を描く力がありません。だから「下賤」なのです。夢が雇われ人の上りでしかなく、国家全体、あるいは弱い人や遠くの人についての試案がまるでない。半径2m程度の人間関係しか大切にしないから我田引水する。そうして家族ごと「何でこんな奴だけ優遇されるのだ」と言われて嫌われて滅んでいきます。

    周りには「何でこんな気前と羽振りのいい人が」と言われるかもしれませんが、世界中から暗君として見下されます。今回日本では政治家としてではなく、それを脅して身を隠していましたが、それでも彼は見えないとしてもこの国の最高権力者、半径2m弱の民衆に愛された王でした。恐らく銀行か何か金融に関わるお仕事か、それを脅せる詐欺師、あるいはそれが警察官だとしたら最悪なのですが、それらのどれかをしているのではないかと思います。まあ彼が何であるかはもはやどうでもいいことですが、
    結論としては、少なくとも、彼は『金の配り方』を間違えたのです。

    実際、世論扇動にバラマキをし過ぎて、インフレが起こったり、部下が分裂したり、同じ待遇を欲しがって新しい仕事をしなくなったり、
    より賢い海外マフィアにまんまと騙されてしまいました。

    愚かで、ものの見えない者たち。黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか

    マタイの福音書 23章17節

    人を信用しないと言いながら推定無罪を主張し、許されておきながら許さず、誰にも寛容にせず目ざとく欠点を探るのに他人の不寛容を詰る。その中間の落としどころに腐った肉とウジ虫がわいたような中途半端さです。

    これを是正するには、この様な自分を自分で顧みることができない、他罰的だが優しくあるように要求する挙句、知恵もない人たちを「下賤」として差別するか、あるいは厳しく鍛える以外にないと結論せざるを得ませんでした。器ではない。そうとしか言えません。

    正しいことを指摘されて、逆切れしてデマを流していつも通りのあぶく銭を貰おうとするクズは、同じ有益な民草として扱うべきではありません。彼らは明確に「下賤」なのです。よくて叱って更生させるか、それすら自由を侵害しているというなら、もう差別対象にするほかありません。

    『人が自由にして自然に善を成す』『衣食住を保証すれば民衆は勝手に善い経済活動をする』というアブラハム・マズロー的な欲求段階説的な性善説過ぎる見解は、キリスト教徒の多いアメリカでだけ通用するのであり、文化の異なる日本では通用しないのです。

    それらの詳しい説明については詳しくはこちら→■をご覧ください。

    ■リアリストとしては特定の人へだけ発揮できず、理想主義者としてはあまりにも資本主義的で残酷

    要するに、日本人は、トロッコ問題は残酷だといって解かないのに、特定のところでは冷酷なのです。

    人には才能という者があります。「最高の笛は最高の演奏者に与えられるべきだ」というフレーズが日本でも有名になりました。

    家柄のよさや美しさは笛を吹く能力よりも大きな善かもしれない。全体的に見れば、そうした善を持つ人がそれらの資質において笛吹きに勝る度合いは、笛吹きが演奏で彼らに勝る度合いよりも大きいかもしれない。だが、それでも、笛吹きこそが彼らよりよい笛を手にするべきという事実は変わらない。

    https://fu-rai-bo.blogspot.com/2014/05/blog-post.html

    ところがこれは日本のTwitterでは批判の的になっていました。
    努力や人格や一緒に仕事をしたい人であるかどうかの方が大事だという言説が多かったように見えます。先に努力で勝ったのだから私の椅子だという話です。

    これはこのフレーズを流行させたサンデル氏も警鐘を鳴らし、私が話すより正しい見解を出しているので引用します。

    勝者と敗者の分断(第1章)
    能力主義社会では、高学歴エリート(勝者)が成功を「自分の努力と才能の成果」と信じ、労働者階級(敗者)を見下す。トランプ支持層などのポピュリストの怒りは、このエリートへの反発から生まれた。成功者は「自分は努力したから当然」と自負し、敗者は「努力が足りなかった」と屈辱を感じる。

    能力の道徳の歴史(第2章)
    能力主義の思想的背景を辿る。プロテスタントの「召命(calling)」や清教徒の思想が、成功を「神の恩寵の証」として道徳化した流れを指摘。現代の世俗版が「努力と才能が成功を正当化する」という考え方。

    出世のレトリック(第3章)
    「誰でも努力すれば這い上がれる」というアメリカンドリームの物語が、実際の不平等を隠蔽。グローバル化・技術進化で勝者総取りが進む中、このレトリックが敗者の怒りを増幅。

    学歴偏重主義(Credentialism、第4章)
    大学学位が「能力の証明」として過大評価され、社会的選別の道具化。名門大学(ハーバードなど)の学生は上位所得層の子女が圧倒的に多い。裏口入学スキャンダルなども象徴。

    成功の倫理学(第5章)
    ここが核心。完全な能力主義(機会の平等が徹底された理想状態)ですら問題だと論じる。
    才能・IQ・努力意欲の多くは遺伝や生育環境(運)の産物。
    成功は「個人の手柄」ではなく、共同体・幸運・公共財(良い教育制度、安定した社会など)のおかげ。
    これを無視すると、勝者は「傲慢(hubris)」、敗者は「屈辱(humiliation)」に陥る。
    「完璧なメリトクラシーは贈り物(gift)や恩寵(grace)の感覚を消し去り、共通の運命意識を損なう」。

    選別装置としての大学(第6章)
    大学が入学試験で人を「選別」する機械化。提案の一つとして、一定の学力基準を満たした合格者からくじ引きで入学を決めることを挙げる(多様性確保と運の役割の認識のため)。

    労働の尊厳を認める(第7章)
    すべての労働に尊厳があり、共通善(common good)に貢献していることを認めるべき。学歴のない仕事(製造業、介護など)を軽視する風潮を批判。具体的政策として、労働者減税、金融取引課税強化などで所得格差是正を提案。


    サンデルの核心メッセージ

    能力主義の「暴政(Tyranny)」:機会の平等を目指したはずが、結果の不平等を「正当化」するイデオロギーになった。勝者は謙虚さを失い、敗者は政治的疎外感を抱く → 民主主義の危機(ポピュリズムの台頭)。
    解決の方向性:
    謙虚さ(humility):成功を「自分の手柄」ではなく「運と他者の恩恵」と認める。
    共通善の回復:経済的分配だけでなく、労働の社会的尊敬・貢献の多様性を認める。
    純粋な「機会の平等」だけでは不十分。運の役割を認め、勝者敗者の二元論を超える。

    Grokのまとめ

    日本ではこのエリートの部分を先に攻撃し過ぎて、エリートがうまく仕事ができないように細工をしたりしました。

    「学歴偏重主義(Credentialism、第4章)にまとめられるように、
    『大学学位が「能力の証明」として過大評価され、社会的選別の道具化。名門大学(ハーバードなど)の学生は上位所得層の子女が圧倒的に多い。裏口入学スキャンダルなども象徴』
    という状態です。

    単に世襲を批判するだけで、適任がそこに座ったわけでもないのに、同じ遺伝をもって賢くノウハウも親の背中を見て学んだ者が多かったのにもかかわらず、「ライバルを減らすために受験前にゲームや漫画や夢のある音楽の仕事やスポーツを勧め、そうしないと虐める、あるいはそうすることでいじめをやめる」などの手法で学歴を作らせないようなことを日本の庶民は行いました。

    印刷など儲かるけどあまり頭が良くなくてもできるような、いわゆるエンタメに近い仕事をしている人がこの様な対策をしていたと思います。

    まあ確かに「誘惑に負けた」ともいえるのかも知れませんが、誘惑に負けるというよりは、「そうしないと虐められるから仕方なくスポーツをした」とか「ずーっといじめられていたのにそのゲームの話題さえすれば虐められなくて済んだ」といったような状態だったのです。

    一見、「誘惑に負けたかのような既成事実」を庶民が作ってしまったとも言えます。

    先にそういう批判が飛んでくるのがわかってうまい事マスメディアが誤魔化しやすいように状況をずらしてしまうのが日本人の特徴です。

    これが「神様がおられて自分の姿を見ている」とは思ってない民族の特徴なのでしょう。

    「他人が見ている自分が自分」なので、必死に自分を取り繕い、大量の「証言」に埋もれて、自分のアイデンティティを壊された可哀想な犠牲者や遺伝が優秀なエリートの子供たちは「自分は最低だ」と思って若年であるのにもかかわらず自害してしまうこともあります。

    ■海蛇の犠牲者であるラオコーンの息子たち

    「他人が見ている自分が自分」なので、必死に自分を取り繕い、大量の「証言」に埋もれて、自分のアイデンティティを壊された可哀想な犠牲者や遺伝が優秀なエリートの子供たちは「自分は最低だ」と思って若年であるのにもかかわらず自害してしまうこともあります。

    日本は先進国(G7)の中で唯一、15歳〜34歳の死因の第1位が「自殺」である国です。

    折角、親の優秀な遺伝を引き継いだ息子さんを、あえて寄ってたかって攻撃し、蛇から救い出しもしなかった大衆はいくらか彼らに嫉妬していたのではないかと疑ってしまうのは私だけでしょうか。

    勘のいい子供は嫌われがちです。大人と違ってそれなりに直ぐ話してしまうかも知れませんし、あるいは、嫌いな子を貶めるのにも案外使えます。「お前さえいなければ、お前さえ見逃してくれれば」と言われれば恨みも買う事でしょう。

    勘の悪い人たちにとってしてみれば、片方には第三の目があるのに、片方にはぼーっと生きていてそれが見えないのです。気持ちが悪いと思う人もいるでしょう。あるいは気が付いたことを口にして、皆に嫌われて喋らなくなる人もいるかもしれません。

    角に機会を平等にし過ぎて、どうしても絶対に勝てないご家庭の人が、特定の美しい人や才能のある人にルール違反と思われる卑怯な手段を使っているのを正直見ています。これは彼らの名誉にもかかわるのであまり書きたくはありません。ただ子供のうちから潰したり、あるいは子供をすり替えてわざと知能の高い人をちゃんと育てずに比べてやっぱりダメだというのが好きな人は一定数いる、というと陰謀論になるでしょうか。日本では「才能より努力」という話を好む人が一定数います。

    このまま科学が発展し、医療が人を死ななくて済むことによって、今まで我々が神に尻拭いをしてもらっていた「誰を殺すか」という決断を自分でしなければいけなくなるかもしれません。もっと効率を上げるために、脳波を測ってどのような心理作用があれば必ず成功率を上げるかも、案外宇宙の外や海底に行くよりは遙かに簡単に調べ上げられてしまう事でしょう。

    しかし何故かリアリストで自らの努力だけで社会を運営しようという日本人に限って、そのようなことは調べないのです。非常に中途半端です。
    そんなことを調べるのは「失礼で可哀想」なのです。

    結局、特定の人にだけ有利に「自分が一番成功者で幸せである」といえるような状況を作る日本教という宗教なのでしょう。

    しかし受験戦争で子供が自害するのは止めません。政治家をバッシングするときに虐めに耐えかねて相手を殴った子供を執拗に攻めて「子どもも育てられない人が国の運営なんかできるか!」といって親の仕事を失わせた子供が自害しても「ざまあみろ、俺より幸せそうにするからだ、お前らのせいで俺は夢破れ結婚できず子供も産めなかったのだ」と手を叩いて喜ぶ人が日本には残念ながらいます。そこは「庶民の自分がエリートにやるのだから無罪」なのです。それどころか社会を監視したヒーローだとか思っているのかも知れません。そしてその証拠も残らないのです。だから殺人ではなく「自害」なのです。

    昔は一部のセレブにだけ使っていたようですが、最近はネットでいろんな人が特定の漫画家の才能がないように指摘するので、どうやら最近は一般人にも同じ手法で家族同士がお互いを責めあって家族を壊し、全員が自害して妹だけが残って結婚するがすぐに死んで相続が婿にわたるようなことが起こっています。カルト宗教に関わるとそうなるようですが、根元にはテレビ系のエンタメ業界とのつながりがあるようです。

    ■最低最悪で、残酷な決断

    こういう人たちをどうしたらいいのか。本来はこのような働きは禁止するべきですが、『言論の自由』と強く言われれば地位の高い人は『横暴』であらぬために、我慢し続けたのでした。ネットが出てきて、ようやく私のような庶民でも、彼らの苦しみを理解できるようになりました。

    私には政治がわかりませんでしたが、この様な非道は許しがたいと感じます。むしろ、こんなクズ庶民は是が非でも国家権力かフリーメイソンか何かで影で殺してくれてよかったなあと思う次第です。もちろんそんなことできなかったのでしょうが。

    ところが彼らをぶち殺そうとテロを起こすにも、あまりにも虫のように数が多いのでどうしようもありません。

    そこで私はここで彼らにスポットライトを当てて「ああいうやつ、クズだよね、庇わなくていいよ」といっているわけです。
    そして、彼等に抑圧されて耐えかねて相手を殴ったにしても、この事実をなんとか「違法行為」にしてほしいと願っています。

    私自身入水自殺強要を受けて殺されかけましたが、恐らくそれを決行した人も何らかの弱みを握られているような気もしないでもない、あるいは弱みというよりは美味しい仕事のポストを与えられて市民権を得るだとかそういう理由で動いているようにも見えました。いくらかの同情のようなものが彼らにあったからこそたぶんまだ生きているのかも知れない、と思ったのです。

    彼等の呪縛が解け、これらの脅しの効果を失い、お互いが縄を解いて、お互いが自分を見下すように見下す仕組みを終わらせていくことが大事なのだろうと思います。今までは被害者は全体の本の数%、多分全校生徒の割合の中で難関大学に行くような割合くらいで羨ましい人が亡くなって「どうして自分だけ」と思っていたと思いますが、今はネット時代で「とにかく幸せそうな奴全員殺してやる」という流れみたいなものができました。だから皆さんだけではなく、他の人もボロボロなのです。

    殺したくなる価値のある人物だと思って大手を振って生きてみましょう。世界は広いですしああいう業者も大きく動くと、行きたくない地域にまではあまりついてこないようです。

    彼らの欲しいものは承認欲求や楽な仕事、あるいは隠したい前科など社会的名誉などもあるようです。脅しの効果がなくなれば恐らく沈静化はするでしょう。

    しかしそれをほどく時間がない場合は恐らくは「民族粛清」をするほかなかったのだと思います。みんなもう普通の仕事で飯を食いたいとは思っていない人が多く、一度楽な仕事を貰うと、次もその仕事しかしたくなくなるようです。特に自分が犠牲者になった後は「自分が最後になるのだけは嫌だ次のどうでもいい犠牲者を作りたい」という感覚になるようです。

    本当は神様がやったように火と硫黄で滅ぼすべきだったのでしょうが、人権のお陰で私は動きませんでした。そこまでこの国を愛していなかったですしただのテロリストとして数えられるだけだからです。

    だから私は非常に残酷なことに彼等を殺してあげませんでした。かわいそうですね。神様は善い方です。

     
     
    お前の学識はどこ経路かわからんと言われますが、たぶん娯楽職をやっている間、気になったことを調べたので知識がとびとびなのでしょう。学識は低めですが「よく観察しろ」という絵の師匠の言葉を真に受けたので、人が気が付かないことに気が付くことがあります。有料記事は大体ほぼ最後まで読めるよ

    あなたへのおすすめ