
第10回:エピローグ:そしてわたしは物語を紡ぐ
常識をアンインストールして、生き残る
わたしはかつて、限界兼業主婦でした。
いや、過去形にする必要はありませんね。わたしは今でも限界兼業主婦だし、相変わらず知人たちに「モーレツ社畜」と揶揄される日々を送っています。
そんなわたしの生き方、そして家事への歪んだ生真面目さを根本から叩き割ってくれたのは、あの「コロナ禍」でした。
わたしの職種は、ありがたいことにリモートワークへの移行が可能なものでした。会社も在宅勤務を強力に推進してくれたおかげで、わたしは「会社に出社せずとも、会社員であり続ける」という、それまでの人生に存在しなかった新しい世界線を知ってしまったのです。
それまでの長い会社員人生の中で、「出社しない」という選択肢があるなんて、夢にも思っていませんでした。毎日満員電車に揺られ、定時にデスクに座ることだけが絶対の常識だと信じ込んでいたのです。
けれど、世界は変わった。わたしの職場は、在宅勤務がデフォルトになりました。
もしも、あのまま世界が変わっていなかったら。
育児の過酷さや、健康事情の悪化(リウマチの発症)などが重なり、今頃わたしは、とっくの昔に仕事を辞めざるを得ないところまで追い込まれていたと思います。
こんなわたしが今も退職せず、「モーレツ社畜」のままでサバイブできている理由。
それは、「会社に出勤する」という最大の常識を覆した経験から、ひとつの強力な思考法を手に入れたからです。
それは、「これまで『やるべき』と盲信していたことを、自らの意志で『やめる』と決断する」という思想でした。

罪悪感を捨て、無駄を断捨離する
とはいえ、最初から綺麗にマインドを切り替えられたわけではありません。 「家のことは、やっぱり主婦と言われる妻側が完璧にやるべきだ」 という呪いが、わたしの頭の片隅にもべっとりとこびりついていました。
けれど、子どもたちには手がかかり、自分の身体の自由はどんどん利かなくなっていく。限界を迎えた我が家では、どうしても「手放さざるを得ない家事」が雪崩のように増えていきました。
恐ろしいのは、ここからです。
家事を手放したことに「罪悪感」を持ったまま生活していると、人間の機嫌は信じられないほど悪化していきます。
「わたしはこんなにいろんなことを我慢して、身体の痛みに耐えて家を回しているのに!」 「わたしの身体が辛いときぐらい、手伝ってくれてもいいじゃないの!」 「なんで宿題やらないの! もっとちゃんとやりなさいよ!」
夜のリビングに、わたしのヒステリックな怒号が響き渡る。家庭内の空気は最悪。……完全に、本末転倒の地獄絵図でした。
ある日、ボロボロになった自分の姿を見て、ふと気がついたのです。これは、ダメだ。自分が変わらないと、家庭も回らない。ではどうしたら?もうこれ以上、無理はできない。
「それなら、これからは、1グラムの罪悪感も持つことなく、やるべきことを手放していこう」
限界でわたしの頭に閃いたのはそんなことでした。
それから。
自分の特性と、我が家の環境を冷徹にすり合わせ、「これならやらなくても死なない」と思ったものは、片端からバンバン捨てていくことに決めました。
そうして削ぎ落とした結果が、重い洗濯物を持ってベランダを往復する無駄であり、包丁でちまちまと野菜を刻む手間だったわけです。
このエッセイに書ききれなかった部分でも、「これは要らない」と判断したタスクは徹底的に排除し、家族が代行できるものは仕組み化して任せ、家事にかける時間を極限まで削減してきました。
その後、がんかもしれないという半年にわたる検査の期間を過ぎて。
当たり前のように来ると思っていた「定年後」があるかどうかはわからない。そんな未来に夢を先送りするんじゃなくて、まさに「今」夢をかなえるために動かないと、後悔するんじゃないか。
さらにそのような気付きを得たわたしは、その時手に入れつつあった「解放された時間」を「自分らしく生きる」ために使うことを決意したのです。
世界のトヨタが認めた「家事改善」
もちろん、わたしがこのエッセイに書いたハックが、すべての人にとっての正解だとは思いません。文字数の関係上、「こうすれば手間が減ります!」と大上段に構えた物言いをしてしまった部分もあります。
世の中にはいろんな人がいて、わたしが「いらない」と捨てたことでも、他の人にとっては「絶対に譲れない大切な時間」であることもあるでしょう。
例えば、経済評論家の勝間和代さんは、料理は大好きだけれど火を使う調理が嫌いで、その工程を省くため、キッチンのガスコンロ台を撤去してSHARPの「ヘルシオ ホットクック」を数台まとめて導入し、劇的に生活が楽になったとYouTubeでお話しされていました。
料理の刻むプロセスが好きなそういうタイプの方にとっては、わたしの「ハサミでチョッキン、カット野菜も使うべし」という割り切ったハックは合わないかもしれません。
でも、それでいいのです。わたしがこの連載で言いたかったことは、テクニックの真似事ではなく、ただ一点だけ。
「~せねばならない」という常識の認知バイアスから抜け出し、自分の頭で考えて、不要なものは自ら切り捨てよう。
ということです。
ビジネスにおける業務改善でも、最も最初に行うべきことは「今ある作業を半分に減らす努力」ではありません。「そもそもやらずに済むこと、無駄な作業そのものを見つけて消滅させること」です。
実はこの発想、世界に冠たるトヨタ自動車の思想から発展した世界基準の業務改善手法「Lean Six Sigma(リーンシックスシグマ)」認証資格(イエローベルト)を取得するために、受講した研修の講師の教えでした。
どうしても日本人は、タスクを温存したまま効率化をしようとする。それは違う。まず最初に「そのタスクは必要なのか」を疑うべきだ。要らないものは、大胆に消す。そうじゃないと真の効率化はできない。
タスクを消す。
そんな発想はなかったわたしは、最初はあり得ない、と思いました。
しかし、リーンシックスシグマの勉強を終え、実際にイエローベルト資格保持者として改善活動を行ってみると、確かに「不要なタスクを見つけて、消す、もしくは別の作業に代替する」というやり方が、一番業務を改善することを体験しました。
この仕事で得た業務改善の「メス裁き」を、容赦なく「我が家の家事」にも突き立ててみたのです。
このエッセイは、一人の病弱な限界兼業主婦が、業務で得た業務改善の手法をフル活用した試行錯誤の末に見つけた、「我が家にとっての最適解」の仕様書なのです。
浮いた数十分をかき集め、わたしは物語へログインする
そうやって家事をハックし、毎日空いた「数十分」というわずかな余白。
でも、その小さな時間をコツコツとかき集めた結果、わたしはこの1年間で、文庫本にして5〜6冊分に相当する膨大な「物語」を紡ぎ続けることができました。
そのうちの一つを小説投稿プラットフォームの『カクヨム』で行われる「カクヨムコンテスト11」のキャラクター文芸部門で24位フィニッシュ(最高11位)で、中間選考突破。
今では、文学フリマに出展して自分の本を並べられるほど、たくさんの愛おしい作品たちが手元に積み上がっています。
「いつかは物語を書きたい」 「定年して、人生が落ち着いたらゆっくり書こう」
かつては、わたしもそう思っていました。でも、いつかなんて、来るかどうかも分からない不確定な未来です。そんな不確かなものに期待して今をすり減らすくらいなら、今、この目の前にあるわたしの人生を、他ならぬわたし自身のために楽しもうじゃないか。そう決意したのです。
結果として、我が家はどうなったか。 「全く怒らなくなった」と言えば嘘になりますが、意味もなくイライラして家族を精神的に追い詰めることは完全にプロセスの外へ消え去りました。
家事を常識通りに無理してこなしていた暗黒期に比べたら、わたし自身も、そして家族も、今の方が肉体的にも精神的にも圧倒的にハッピーです
人間の人生は、楽しむためにあります。
決して、家事という名の苦行に耐えるために生まれてきたわけではないのです。
常識の呪いを解き放ち、無駄を排除し、それで生まれた極上の余暇時間で、自分自身の人生の今を最高に楽しみましょう!
「いつかは……」と言い訳するのはもう終わりにして、あなたも今すぐ、あなたの本当の人生に「ログイン」してみませんか?
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