
コンビニの時短って本当にいいこと?
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■ 10%が消えた、深夜の景色
最近、夜の街を歩いていると、ふと違和感を感じることがあるんだ。 かつては「24時間、明かりを消さないこと」がコンビニにとっての絶対的な規律であり、誇りでもあった。でも今、体感で10%くらいの店が、深夜にシャッターを下ろしているイメージがあるんだよね。夜中の12時から朝の5時くらいまで、パタリと明かりが消えている。
かつて組織の中で、その「100%」を守らせるために奔走していた俺からすれば、この光景はどこか奇妙で、それでいてひどく現実的な「現場の限界」を突きつけてくるんだ。
■ 深夜は「接客」のためだけじゃない
世間では「深夜に客が来ないから店を閉めるのは合理的だ」なんて簡単に言うけれど、現場の裏側を知っている人間からすれば、そんなに単純な話じゃないことはすぐに分かる。 コンビニの深夜帯っていうのは、単にレジの前に立っているだけの時間じゃないんだよね。清掃、商品の搬入、膨大な品出し、フライヤーやコーヒーマシンのメンテナンス、そして翌日以降の発注……。店を正常に動かすための「心臓部」の作業が、実はこの時間に集中している。
店を閉めたところで、結局は誰かが中でその作業をしなきゃいけないんだよね。たった5時間分、レジに立つ人件費を削るためだけに店を閉めるなんて、経営的な効率だけで考えれば、実はあまり得策じゃないはずなんだ。
■ 綻びの正体は、オーナーの限界
じゃあ、なぜ店を閉めるのか。その本当の理由は、人件費削減なんて綺麗な話じゃなくて、「オーナーの限界」なんだと思う。 アルバイトがどうしても集まらない。募集をかけても誰も来ない。そうなると、結局オーナー自身が深夜のシフトを埋めるしかなくなる。そのまま不眠不休で昼間の業務をこなし、本部との会議に出る。そんな生活が何年も続いて、もう身体も心も限界を超えてしまった。
あの「10%の時短」という数字は、本部のルールというマクロの論理が、現場のオーナーの命というミクロの限界に、ようやく一歩譲った「悲鳴の結果」なんじゃないかな。
■ 効率化がもたらす「再戦」の合図
でもね、俺はこれが「人間らしい社会への進歩」だなんて、手放しで喜ぶ気にはなれないんだ。 もし将来、技術革新で深夜の作業が劇的に効率化されたらどうなるだろう?無人レジや品出しロボットが当たり前になって、コストをかけずに深夜業務を回せるようになったら……。企業は迷わず、また「24時間営業」という看板を掲げ直すと思うんだよね。他社との売上戦争に勝つために、またあの看板に火を灯し続ける「24時間戦争」が再開される。今はただの「一時休戦」に過ぎないんだ。
■ 最後に困るのは、誰なんだろう
ただ、ここで一つ怖いのは、一度失った「信頼」のことなんだ。 一回でも「あの店は深夜に閉まっている」と認識した店には、僕らはもうその時間には行かなくなるよね。どれだけ効率化が進んでも、最後にお客さんを呼ぶのは「あそこに行けば必ず開いている」という、しんどい時に守り抜いた信頼だったりする。
技術がすべてを解決したとき、かつて店を閉めていた事実が「選ばれない理由」になってしまうかもしれない。目先の限界を守るために閉めるのか、未来の信頼のために無理をしてでも開けるのか。後に困るのは、果たして誰なんだろう。 それは、誰にも分からない。まさに「神のみぞ知る」だね。
■ さいごに
今日も最後まで読んでくれて、本当にありがとう。 元マネージャーとしての冷めた視点かもしれないけれど、こうやって現場の裏側にある「体温」を君と共有できることが、俺にとっての救いになっています。正解なんてない問いかもしれないけれど、一緒に考えてくれて感謝しています。
また明日も、この街のどこかで灯っている明かりを見つめながら、言葉を綴っていこうと思う。
また明日。