なぜか行かなければいけないと思った。夜行バスで向かった待乳山聖天
東南アジアを旅していた頃、私は夜行バスが大好きだった。
夜のうちに移動して、朝目覚めると新しい街に着いている。移動と睡眠を兼ね揃え、ホテル代も浮く。これぞ「旅の醍醐味」だと思っていた。
けれど日本に帰国すると、どういうわけか夜行バスに対する感覚が少し変わる。
新幹線ではなく、あえてバスを選ぶこと。そこに「安さのため」「節約のため」というレッテルを貼り、どこか「貧乏臭い」と感じてしまっていたのだ。
……でも、これっておかしな話じゃないか?
海外ではあんなにワクワク楽しんでいた移動を、日本国内というだけで「節約旅行」に格下げしてしまうなんて。それなら一度、日本でもあの旅人の心を取り戻して乗ってみよう。
そう思い立った。
目的地は東京。
名古屋駅を22時30分に出発する便のチケットは、2,353円だった。
「2,000円台で東京まで一人旅ができる」
そう思った瞬間、自分の中で夜行バスへの偏見が少しだけ揺らいだ。
今回の目的は、浅草にある
「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」への参拝だ。
YouTubeなどで「願いが叶う寺」として知ってはいたけれど、それだけなら愛知からわざわざ向かうほどではなかったと思う。
きっかけは先週、大阪で再会した沖縄の友人だった。
「2年前にあそこを訪れてから、人生の流れがガラッと変わったんだよね」
その言葉を聞いたとき、単に「行ってみたい」ではなく、「あ、行かなければいけない」と直感した。
理由はわからない。数日前まで東京に行く予定なんて1ミリもなかったのに、気がつけば夜行バスを予約し、名古屋駅のバスターミナルに立っていた。
旅慣れているし、バスに乗ればすぐ眠れるタイプだと思っていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
かつてラオスからベトナムまで29時間バスに揺られた経験と比べれば、東京までの時間はあっという間のはずだ。それなのに、想像以上に体に響いた。
重く響く走行音、倒しきれないリクライニングシート。全身を伸ばせる海外のスリーピングバスとは違い、固まった姿勢のままジワジワと身体が痛み出す。
「……やっぱり過酷だな」苦笑しながら、夜の暗闇に耐えた。
東京駅に到着したのは、
朝5時30分。
バスを降りると、小雨が降っていて、肌を刺すような冷気につつまれた。

そのまま浅草方面へと向かう。
まだ人通りもない浅草寺にたどり着いた。店はどこも閉まり、小雨が降っているけど、静寂に包まれた朝の参道を歩くのは、驚くほど心地がよかった。

こういう予定外の寄り道がふらっとできるのも、一人旅の醍醐味だ。
目的地の待乳山聖天へ着くと、ちょうど毎月1日〜7日に開催されている「朝まいり会」のタイミングだった。

今日から10月。迷わず参加することにした。
普段から毎朝マントラを唱えている私にとって、「朝からみんなでお経を唱える」という文化には少し親近感があった。
いざ本堂に入ると、想像以上の人が集まっていた。
私は「願いが叶うと聞いてやってきた」いわば観光客だ。
しかし、そこにいた地元の人たちは違った。日常の営みの中に聖天様があり、毎朝当たり前のように手を合わせている。そこには深く、強い信仰の息づかいがあった。
一人でお参りしていたら、複雑な作法やお経の順番に惑わされていたかもしれない。けれど、周りの人たちの声に重なるように一緒にお経を唱えているうちに、不思議と「その場の空気」にすっと溶け込んでいくような一体感を覚えた。
そしてもう一つ、面白い気づきがあった。
ここ待乳山聖天の聖天様は、ルーツを辿ればヒンドゥー教の神様「ガネーシャ」に行き着く。
普段インド由来のサンスクリット語マントラを唱えている私が、今こうして日本のお寺で、ガネーシャの系譜である神様に向かい、みんなと日本語のお経を唱えている。
導かれたような、点の線がつながるような不思議な感覚。

名物の「大根」をお供えする独特の風習にも触れ、無事にすべての参拝を終えて外へ出た。
境内を出て空を見上げると、目を見張った。
到着したときの暗く冷たい小雨が嘘のように吹き飛び、頭上には澄み渡るような青空が広がっていたのだ。

10月1日。
奇しくも「ここから新しい流れを始めたい」と心の中で切望していた日。
単なる天気の変化かもしれない。それでも、その瞬間の青空は、私にとって小さな奇跡のように思えた。
数日前まで行く予定すら見えなかった場所へ、夜行バスに揺られてやってきて、朝からお経を唱えている。
この参拝で願いが叶うかどうかは、まだわからない。
けれど、自分の足で動いたことで、確実に人生の「何か」が動き始めた感覚がある。
この先にどんな未来が待っているのか。
答え合わせは、もう少し先のお楽しみだ。
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