見出し画像

背中の翼

記憶は砂のようです。
握った手からチリチリと落ちていきます。
そうして、何気に掌を開いてみると、砂の粒が残っていたりするものです。
手相の曲線に挟まった、砂つぶがありました。それは、私に笑いかけてきます。
「なにか、忘れていませんか」
その砂つぶの問いに、額の真ん中をトンと突かれました。

その小突きは、高校の頃の私を呼び覚ましました。
私は一人、暗くした部屋で寝ていました。窓からの夜風が肌の僅かな汗をすっと拭っていきます。
ラジオをつけ、目を閉じて待っていました。
「遥かなる雲海の上、、、、」
深い声が響きます。
「ジェトストリーム」、夜間飛行の機長の声でした。
私の体は、星空へ泳ぎ出していきます。
回転したり、くるりと仰向けになったり、星々の間をすり抜けました。
南の島の効果音、聴いたことのない音楽、ナレーションが切り替わります。その替わり目には、優しさがありました。引く波が寄せる波を思い、砂浜の跡を消して去るのに似ていました。

実際、私はその頃、飛行機に乗ったことも、南の島へ行ったこともありませんでした。
私は、ラジオを聴きながら、小さな旅人になりました。背には、生えたばかりの翼があります。それは、未だ濡れて毛羽立っていました。声に導かれ、音楽に笑み、その翼を広げるのです。滑空し、見知らぬ土地を彷徨いました。
良い気分でいても、
番組の結びと共に、私の旅は終わってしまいます。
私は布団で何度か寝返りをし、両つま先をこすり合わせて、眠りについたものです。

私は不思議に思います。
どうして、あの時、ラジオを聴き始めたのだろう。

少しずつ、思い出してきました。
それは、学校へ行く朝のことでした。
いつものように、私は父と並んで歩いていました。車道側を歩く父が、反抗期の娘の沈黙を持て余していました。やたらと質問してきます。
「宿題をやったか?」
「テストは大丈夫か?」
「忘れ物、ないか?」
その度に、私は舌打ちしそうな顔つきで「ああ」と顎を突き出します。生意気盛りです。
しばらく間を置いて
「ラジオって面白いんだぞ」
背の高い父は、私に横顔を見せたまま言いました。私は、一瞬、父の横顔に見惚れたのを覚えています。

そうです。
あの時でした。
父のコトバがずっと、私の心に衣料用タグのようにぶら下がっていました。
そうして、私は夜、ラジオを聴き始めたのです。

日常は、見えない歯車の連鎖からなります。
大小の歯車が、幾つもかみ合い、互いにジリリと回わしあいます。
そうして、私とラジオは出会いました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集