
奇跡の家
私は今、ドイツ西部、それもオランダの国境にかすりそうなほど西のはずれにあるシュトラーレンという町で、世界最古かつ最大の「翻訳者の家」に滞在している。
奇跡などという安っぽい言葉は使いたくないけれど、いろいろな意味で、ここは奇跡としか形容できない場所だ。
一部は17世紀までさかのぼる古い建物のなかには23室の居室がある。それぞれ20~40平方メートルほどの広さがあり、少なくとも1面は壁いっぱい書棚になっていて、ドイツ語をはじめ150以上の言語・方言で書かれた本がぎっしりと並んでいる。
室内には高さが調整できる大きな電動デスクとエルゴノミックチェア、原書と翻訳原稿のファイルを並べて表示できる大型のディスプレイにデスクトップパソコン、読書にぴったりのカウチにテーブル、ベッド、専用のシャワーとトイレがある。

仕事中に疲れてふと目をあげれば、窓の外には驚くほど大きな木が茂り、その先の公園で子どもをブランコで遊ばせる親の姿が見える。翻訳者の家のすぐ裏には大きな教会があり、なぜか午後0時3分とか、午後6時3分とか微妙にずれた時間に鐘の音が響いてくる。

デスクの足元にはフットレスト、クローゼットの中にはヨガマットと、長時間デスクワークをする翻訳家が身体への負担をやわらげ、コンディションを維持できるようにという細やかな配慮が感じられる。各部屋1台の自転車も確保され、仕事の合間にサイクリングまで楽しめる。至れり尽くせりだ。
この理想の仕事場に滞在する費用が1日3ユーロ。タイプミスではない、3ユーロだ。円安の今でも550円。食事は自腹だが、それでも格安だ。最大3カ月まで滞在できる。
なぜこんなことがあり得るのか。
それはシュトラーレンの町、そしてシュトラーレンの属するノルトライン・ヴェストファーレン州が運営費をまかなってくれるからだ。世界中から年間700人を超える翻訳者がやってきて、常にほぼ満室というこの施設の年間の運営費用はおよそ45万ユーロ(約8300万円)。このうち85%を州が、残りを町の予算や他団体からの助成金、翻訳者の家がワークショップなどの運営を代行して得る収入でまかなう。
いくらノルトライン・ヴェストファーレン州がデュッセルドルフやケルンを擁する人口・経済面でドイツ最大級の州とはいえ、それなりに重い支出だろう。なにより驚くのは、人口わずか1万6000人のシュトラーレンが年間約5万5000ユーロ(1000万円)の運営費を負担していることだ。しかも建物は町が買い取り、翻訳者の家を運営する非営利団体「ヨーロッパ翻訳センター」に年間5000ユーロという格安な家賃で貸し出している。
それだけではない。翻訳者の家はこのほど3年間にわたる全館改修を終えたばかりだが、そのための費用は連邦政府と州が250万ユーロ(4億6000万円)ずつ、そしてシュトラーレンの町が100万ユーロ(1億8400万円)を負担したという。
人口1万6000人と言えば、日本でいえば軽井沢町(2万人)より少なく、筆者の住む東京都中央区の10分の1以下だ。そんなちっぽけな自治体が、地元住民への直接的恩恵などなさそうなこんな施設に毎年1000万円も拠出しつづけるなんて、それもかれこれ50年近くそれを続けているなんて、ちょっと信じられない話だ。住民はおそろしく心が広い方々なのだろうか。

翻訳者の家のスタッフであるフィリップに尋ねると、この家があることがシュトラーレンの町のパブリシティになるからだという。たとえばドイツの歴代の連邦大統領が国際協調のシンボルであるこの施設を訪れ、その意義を語ってきたという。この家を訪れた翻訳者自身が母国で話題にしたり、海外のメディアに取りあげられたりすることも少なくない。そのたびにシュトラーレンという田舎町の名前が広く知られるようになる。フィリップは世界のどこかで記事が出たと知るたびに、せっせと集めて州や町に報告するのだという。
パブリシティ。そんなふわっとした恩恵でいいの?
ドイツの州や町がお金に緩いわけではない。支給される運営費は、施設のメンテナンスや翻訳者の仕事に必要なパソコンなどの購入は使えるが、コーヒーや調味料など翻訳者が消費するモノは購入してはいけないなど用途が細かく制限されている。そして50ユーロ(9200円)を超える支出については理事会の承認が必要で、それも3つの選択肢を示して最も安価なものを選ばなければならない。
そんな厳格な管理をしつつ、年間45万ユーロもの資金を出してくれるのだから、州も町もそれだけこの施設の存在意義を評価してくれているということなのだろう。
この施設は2人の翻訳家の思いから生まれた。1人はシュトラーレン出身で、ノーベル賞作家サミュエル・ベケットの翻訳家として知られたエルマー・トープホーフェン、もう1人は当時ドイツ文学翻訳者協会会長を務めていたクラウス・ビルケンハウアーだ。
2人の念頭にあったのは中世のスペイン・トレドに存在した翻訳者のコミュニティだ。当時アラビア語でしか残っていなかった古代ギリシャの古典を、ラテン語に翻訳しようという試みで、翻訳者たちは複数のチームに分かれて複数の作品の翻訳にとりかかったという。それぞれ異なる作品に取り組んでいたとはいえ、互いの気づきを共有しあい、また互いの作品を読みあうことで翻訳の質は高まっていったという。
そんな翻訳の叡智を集める施設を、現代に再現できないか。そんな思いを抱え、2人は1978年に受け皿となる団体(ヨーロッパ翻訳センター)を設立し、まずデュッセルドルフなど大都市で物件を探した。だが、なかなかこれといった物件にめぐり合わない。そんななかトープホーフェンの故郷シュトラーレンで手ごろな物件が見つかった。
わずか6部屋しかないその家で、翻訳者の家の運営が始まったのは1980年8月。もとは5軒の家だったものをつなぎ合わせた現在の建物に移転したのは1985年のことだ。1992年に隣接する6軒目の家をつないで現在の姿になった。
2013年には480人だった年間滞在者は、コロナ禍前最後の通年営業となった2019年には765人になっていた。このうち地元ドイツの翻訳者は50%ほど、それ以外は国外の翻訳者だ。ドイツ語から外国語、もしくは外国語からドイツ語に翻訳する翻訳者には助成金が支給されるが、私のようなそれ以外の言語の翻訳者も1泊3ユーロで泊まれるのだから助成金をもらっているようなものだ。
ヨーロッパにはここ以外にも各地に翻訳者の家があるが、滞在できる対象者をその国の言語に関わる翻訳者に限定しているところが多い。ここシュトラーレンの施設でもドイツ語の翻訳者だけに絞ればいいという議論もたびたび持ち上がってきたが、ドイツ語圏に限らず翻訳者が交流することが大切という信念から、あらゆる翻訳者に門戸を開放するという方針を貫いているという。2冊の翻訳書を出版した実績と、新たな本の契約書さえ提出すれば、誰でも滞在できる。
ここで生み出された翻訳書はすでに3万冊を超えた。
驚くのは、このご時世に翻訳者の家がさらなる拡大を目指していることだ。フィリップは7軒目の家の目星はすでについているという。
インターネットやスマホの普及で読書離れが進んでいるといわれる。一方でAIの進化により、翻訳という作業に人間が必要なくなる日も近いのかもしれない。本の市場の縮小に、AIという手ごわいライバルの登場。翻訳者である私自身が将来を信じられないのに、翻訳者の家の人々はそれを信じてくれる。
これから先も人間が本を翻訳しつづける未来があると、信じてくれる。そして私たちの居場所をつくろうとしてくれている。それが私にとって最大の奇跡だ。
「僕は2017年から翻訳者の家に勤めているけれど、それ以前より今のほうがずっと翻訳の未来に希望を抱けるようになった」とフィリップは語る。翻訳者は世界で一番素敵な人たちだ。謙虚で異文化にオープンで、世界をつなぐ役割を果たしている、と。
「この施設の近くには移民局がある。そこでは移民とドイツ人が対立している。町の議会でも人と人が対立している。でもこの施設は協調というモデルが実現可能だと証明しているんだ」
そう信じてくれる人たちがこの家に、町に、州にいるからこそ、翻訳者の家は続いてきたし、これからもきっと続いていくのだろう。

昼間の翻訳者の家は静まりかえっている。人の気配がほぼない。みんな自分の部屋にこもって翻訳という孤独な作業に没頭している。まるで修道院だ。
午後7時を過ぎたあたりから仕事に疲れた滞在者が三々五々共用キッチンには集まってきて、それぞれの夕食をつくる。
ポーランド人のテディオスはドイツ語からポーランド語に翻訳をしている。最近、あるドイツ人作家の作品を翻訳し、ポーランド語版の序文を書いたという。すると作家がそれを読みたがり、自らAIを使ってドイツ語に翻訳したという。
「そのドイツ語訳を見せてもらったら完璧でね。言葉遊びのところはいまいちだったけれど、他は見事だった。こんなことが編集者に知られたら、こちらの仕事がなくなってしまうね」と彼は冗談交じりに言った。ほんとだ、いつまで続けられるかね、この仕事、と私は応じる。
ギリシャ人の夫婦はパートナーとして翻訳に取り組む。「僕らは共同作業をするんだ。妻が編集者として僕の翻訳を確認することもある」と夫のテオが言うので、思わず「仕事とプライベートの境目がなくて大変じゃない?」と小説家でもある妻のアレクサンドラに聞いてしまった。
「境目はないわ」とアレックスは笑った。たしかに私もないな。起きている時間はずっと仕事している気がする。
「昨日フィリップと話していたとき、過去18年で65冊翻訳したと言ったら『君にLife(生きる時間)はあるの?』と聞かれちゃった」と私が言うと、「本がLifeよね」とアレックスは言った。
通じるな、と思った。言語やジャンルが違っても翻訳者だから。
「Lifeがないと言いつつ、キミはとても幸せそうだね」とテオが言った。
「ここにいるからだよ」と私は答えた。
翻訳に打ち込める環境と、翻訳者の孤独や悲哀や不安や喜びを分かちあえる仲間がいるからだ。奇跡という言葉は使いたくないが、ここにいられる幸運をほかにどんな言葉で表現したらいいかわからない。