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絵がうまくなっていく妻、ずっと下手な僕

    僕はフリーランスとしていろいろな仕事をしていて、その中には「マンガ」や「イラスト」といった絵に関するものもある。

    でも、僕の絵は下手だ。

    たとえば、僕は何年経っても椅子に座っている人を正面から描くことができない。「太ももの太さ」「骨盤」「股関節」を表現できないとへんな感じになる。それはどんなにデフォルメした絵でもそうだ。

    そんな僕の妻が、絵画教室に通うようになった。もう3か月くらいになるだろうか。

    「今日はどんな絵を描いたの?」と聞くと「スーパーマリオのフィギュアをいろんな角度から描いた」とか「複雑な衣装を着たファンタジーキャラの模写をした」などと言う。

    絵を描いている時間はぜんぜん楽しくないらしい。スーパーマリオのフィギュアも、ファンタジーキャラを描くのも苦痛だと。でも、こういう修行をこなすと、確実にうまくなるという実感があって、それが楽しいという。

    妻が絵画教室で描いている絵は見たことがない。でも、妻が絵がうまくなっているのはよくわかる。

    この間、妻が4歳の子供とのお絵かき遊びに付き合っていた。ちょっとした女の子や動物を描いているんだけど、妻の上達具合が漏れ出てくる。
    「うまいな……」
    と、子供の絵そっちのけで感心してしまう。
    「やっぱり私、うまくなったよねぇ……」
    と妻は反応する。
    ほめられてうれしい、みたいな雰囲気はなく「最近、よく雨が降るよねぇ……」みたいなテンションである。

    僕の仕事部屋にはでかい液タブがある。妻と子供のお絵かき遊びをしばし見た後に、それで仕事の絵を描くわけだ。やっぱり下手だ。


    小学校の頃は絵を描くのが好きで、「うまい人」ということになっていた。

    しかし、僕の一番仲のいい友達は、クラスで一番絵がうまかった。なんせ悟空もピッコロもなにも見ずに完璧に描ける。しかも、サラッと描く。これが最高にカッコいい。

    中学になると、そいつはヤンキーになっていた。茶髪にして、学ランのボタンを全部外して、時々ケンカをして、ちゃんとヤンキーやっている。

    でも絵が一番うまいのは変わらない。僕と一番仲が良いのも。ヤンキーと一緒にノートに鉛筆でリレー形式でマンガを描くことにした。タイトルは『ドレゴアボールZ』だったと思う。

    連載を開始するときに、僕はそいつに「あんまり描くのが難しいキャラにすんなよ! おれが描けないからな」と注文を付けたら、二頭身のゆるキャラみたいな主人公にしてくれた。優しいんだよな。

    お互いに、主人公が死ぬ! みたいなところで相手に渡す無茶振りを楽しんでいた。そして『ドレゴアボールZ』はクラス全員に回し読みされるという大ヒット作となった。

    ヤンキーには「マンガ家になればいい」と言ったが、興味がなさそうだ。
    「早く高校に行って、授業中に花札やりてぇんだよなァ……。高校は授業抜け出してもいいんだってよ!」
    と言っていた。


    高校では美術部に入った。そこでは一番絵が下手だった。高校生なんてもう精神は大人なので、自分の下手さは受け入れている。

    高校1年の時に、うまいと感心されるような絵じゃなくて、見た人が笑っちゃうような絵を描こうと思ったことがある。
    そこで「夜のお花畑の真ん中で、ムキムキのマッチョがポージングをしていて、頭上ではUFOがそれを眺めている」という絵を描いた。A1くらいの大きさのキャンバスにアクリルで描いたんじゃないかな。制作期間は2か月くらい。

    描き上げて、こういうのは、本当に絵がうまくないと笑ってもらえないということを理解した。難しいんだな。


    高校2年に、美術部で部長になった。顧問から「とにかくでかい絵を描け、絵ってのはデカい方がうまく見えるから!」と言われて、自分の身長くらいあるキャンバスに油絵を描いた。

    そうめんの入ったガラスの器が置いてあって、それを2匹の蛙が見ているという絵だ。難しいモチーフであり、うまく表現できていないと思う。ただ、ここまでデカいと「デカいなー」という感想が先に立って、出来の悪さがあまり気にならない。顧問、ナイスアドバイスである。

    文化祭で展示をしたら、僕の絵の前で動かずにじっと見ていた女生徒がいた。動かないんじゃなくて、動けなくなっているようにも見えた。
    他の部員が
    「女の子だよ! 『この絵の作者です』って声かけた方がいいよ~!」
    なんてからかってくる。
    頼む、邪魔しないでくれ! 僕はこの人が動けなくなっている様子をもっと見たいんだ。


    美術部の同期に美大受験をするやつが出てきた。そいつは、僕が蛙とそうめんの油絵を描いている横で、蜘蛛の絵を描いていた。

    美大受験をすると聞いて
    「本当にこいつが美大に……? そして絵のプロに……?」
    と思ってしまったものだ。だって、その蜘蛛の絵は、僕の絵よりもほんのちょっとだけうまいくらいだったから。

    しかし、顧問と予備校にしごかれ、めきめきと上達していった。その過程すべてが怖ろしい。なんというか、自分を更地にしているようだ。


    顧問に「自分は下手で情けない」という話をしたことがある。顧問はコーヒーを飲み干すと(美術準備室で自分と気に入った女生徒にだけコーヒーを淹れている)、本棚から雑誌を取り出した。

    「こういう絵、お前は描けると思うか?」
    グニャグニャの線で単純なイラストが描かれている。ハイセンスな絵にも見えるが、ここまでグニャグニャなら……
    「描けるような気がします」
    「そうだろ。ヘタクソな絵だよな! でもこいつは日比野克彦っつてな、芸大で教授をしている。ヘタクソなお前もこういう絵を描けばいいんだよ。できるだろ!」

    ハア? 芸大の教授? じゃあやっぱり計算しつくされたグニャグニャだろうが! 僕がマネしたらぜんぜん別物だろ。こんな話をして損した!

    その後、顧問は女生徒たちと校内で酒盛りしていたのがバレ、学校をクビになった。


    大学での一般教養の中に美学という講義があった。シラバスによると「美しいとは何か」を考える学問だという。そんなことを大学で教えてくれるんだ。超知りたいやつだ。

    講義に出てみると、白髪に白髭の教授がルネサンス期の芸術家の話をしているだけで「美しいとは何か」に関わるような話は一向に出てこない。歴史の講義ならそうといってくれや。

    テストは簡単な穴埋め形式の文章題が出ただけだった。ラクして単位を取れたという意味では、悪くなかった。


    社会人2年目の頃、会社でのストレスに耐えかねて「原宿の路上で即興で4コママンガを描き通行人に手渡す」という活動をしていた。なんでその活動が仕事のストレスを癒やすことになるんだ。まったく説明がつかない。

    しかし、このとき描いていたマンガは、いま読んでもおもしろい。「ものを考え悩むコップ」とか「感情を持った山が隣の山に恋をする」とか、そんな内容である。

    印象に残っているのは、「ぜんぜんおもしろくないよ、こんなのはダメだ」と言い放った後に3,000円くれた人がいたことだ。どういうつもりだったんだろ。


    この4コマ活動は意外な方向に進展した。数年後、僕が会社を辞めたタイミングで、イラスト入りの記事を書くライターになれたのだ。

    最初はライターとして文章と写真のみの記事を納品した。すると、編集長から「次から斎藤さんはイラストを入れるのはどうでしょう。4コママンガとか描いていたわけだし」という提案があった。

    そのメールの文面を見たときに、身体全体がジャンプスケアを喰らったときのようにビクッと反応してしまった。絵が仕事になってしまうじゃないか。「それは望外の喜びです!」
    と返信した。
    望外、なんて言葉を使ったのはこのときが最初で最後である。


    イラスト入りの記事を数年間作り続けていたら、イラスト単体での仕事がときどき来るようになった。

    僕ってひょっとしたらけっこうイケるのかもしれない。この勢いに乗じて、プロのマンガ家になろうとした。大手出版社のコミックエッセイの賞に応募する。

    描いているときに、「この内容なら大賞はとれなくても、落とされることはないだろう」という確信があった。思惑通り、小さな賞に引っかかった。担当がついて、連載用のネーム制作が始まる。しかし、そこからがうまくいかない。

    僕の足を引っ張っていたのは明らかに絵だ。マンガはストーリーを絵で展開していくものである。おもしろい着想があっても、絵が下手だとネームの時点で大きな制約がかかる。たとえば椅子に座っている人が描けないと、いろいろなことが進まないのはわかってもらえるだろう。登場人物、立ちっぱなしである。

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    ただ、世の中には絵の下手なマンガ家もいる。子供の頃に『ちびまる子ちゃん』の第1話や『落第忍者乱太郎』の第1話を読んだが、子供にもわかるくらいハッキリと下手だった記憶がある。

    あの絵でどんなふうにおもしろくしていたんだっけ? 改めて買って確かめてみる。ゾッとした。マンガ家志望の目で見ると、どっちも「下手なはずなのに、まったく下手じゃない」のである。頭がおかしくなりそうだ。


    そこから数年。ようやくいまさら、社会人のためのデッサン短期講習に行くことにした。

    ここは、絵の修行をしないまま、絵に携わる仕事に就いてしまい、行き詰まりを感じている――そんな人たちのための教室だという。つまり、僕みたいな人が一定数世の中にいるわけだ。

    あらかじめ講師には「ふだん描いている絵」をメールで送っている。たんにデッサンするだけでなく、絵の悩みについて、アドバイスをしてくれるらしい。

    デッサンの短期講習を行うアトリエは、高校の頃の美術室とそっくりなにおいがした。20年以上経っているのに、ちゃんとわかるんだな。

    授業が始まる前に、講師があらわれて受講者ひとりひとりと短い会話を交わしている。僕のところに来ると
    「あなたの絵を見ました。まったく問題がありません。だから自信を付けて」
    と素早く囁くような声で言った。
    「えっ?」
    と聞き直したときには、講師はすでに次の受講者のところに行ってしまった。


    イラストレーター向けのウェブメディアの編集者になった。

    そこで知ったのは、この世にはたくさんのうまいイラストレーターがいて、うまいのに仕事が獲得できないという現実だった。そこで僕はいろいろな売れっ子イラストレーターに「どうしたら仕事が獲得できるのか」をインタビューする企画を立てた。

    ある著名イラストレーター(恐らく、日本で暮らしていてこの人の絵を見たことのない人はいない)にインタビューしたときのことである。自分の絵の評をお願いした。「下手だけどこれはこれでアリ」「こんな絵は話にならない」どちらの返答が来ても記事がおもしろくなると思ったのだ。

    しかし、その著名イラストレーターは僕の絵をしばし見た後に
    「君はこれ以上うまくなってはいけない!」
    とキッパリ言い放った。

    ほめているのではない。イラストレーターの生存戦略としての冷徹なアドバイスである。聞いたその瞬間は衝撃的に感じた。著名イラストレーターが僕の指針をたしかにしてくれたのだから。

    ただ、時間をおいてからよく考えると、なんだかずっと前から知っていたことのような気もする。


    妻が
    「人を椅子に座らせんのって、難しすぎるんだけど!」
    と言っていた。
    絵を描き始めて3か月でその問題意識があるなら、すぐに克服しそうだ。

    「どうしてそんなに描き続けられるの?」
    と聞いてみた。
    「絵って描いていればうまくなるじゃない。いや、うまくなるっていってもさ、大したことなくて、新人マンガ家の人が最初のページと最後のページで絵が違う、くらいの違いだよ。でも、それがおもしろい」
    「おれは全然うまくないからさ。眩しく見えるんだよな~」

    妻の言うとおり、新人マンガ家の最初のページと最後のページで絵が違うのって、あるあるだと思う。

    ん?じゃあ自分の絵も違っているんだろうか?

    笑っちゃうよなー。
    見返すと、たしかに違ってはいるから。

    でも、椅子に座っている人はやっぱり描けない。






    シリーズ

    このnoteは「下手でもいいじゃん!」をテーマにした連作エッセイ集のひとつです。よかったら他のも読んでみてください。

    おしらせ

    『生きることがラクになる これからのフリーランス』(光文社)という本が出ています。実用書の雰囲気ですが、エッセイ本です。よかったら読んでみてね。


     
     
    暮らしの中で「あれ?」と思ったことを文章やマンガでかいています。エッセイ、コラム、観察ベースの記事制作など、仕事のご相談はお気軽にください。 連絡はこちらから。なんでもいいですよ。仕事の話じゃなくてもいいです。https://saitomitsuhiro.com/

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