
Shooting Star|ながれぼしきらきら
2月に左目が網膜剥離した。
予兆はあった。
昨年の7月に眼の中にぴかっと光が走って、そこから飛蚊症が始まった。
眼科へ行くと、
「老化現象ですね、硝子体が老化で弾力を失ってクシャっとなった時に、網膜を引っ張って光が見えます。今まさに目の老化が始まったってことですね」
腕は確かなのだがちょっと口の悪い主治医は、そう説明してくれた。
――何だよ、3回も老化、って言わなくたっていいじゃないか、と思いながら、そこから定期的に診察は受けていた。
今年になって冬、1月も小正月を過ぎた辺りから、目の中に大玉の流れ星が尾を引くようになった。何というか、火の玉の幽々とした飛び方ではなく、シューっと、まるで「君の名は。」の流れ星が地上へ降り注ぐように、「見えた」。
でも1月中はいろいろあり過ぎて眼科へ行けなくて、2月、長女の志望校もようやく定まって久しぶりに眼科を受診したら、
「何でもっと早く来なかったんですか。いつ失明してもおかしくなかったですよ。大きい病院に紹介状を書きますから、明日朝いちで行って手術してもらってください」
と怒られた。
「だって、長女の受験と夫が持ち込んだ溶連菌からの謎の体調不良で、動けなかったんです…」
と言い訳したが、
「失明と溶連菌とどっちが大事なんですか。視力に決まってるでしょ」
と返された。
紹介状と会計を待ちながら、病院の外のベンチで職場へ電話を架けながら、私は途方に暮れていた。ちょっと、泣いたかもしれない。もっと働きたいのに、私の心身はいつも付いていけなくなる。思い入れのある職場だったから、なおさらだった。
*
それから4カ月弱経った。今は6月だ。
こうして数えてみると、4カ月しか経っていないのに、あれから途方もない時間を過ごしたような感覚がある。
手術は成功し、左目の視力は残った。
でも、術式上、網膜剥離の直接の手術である「硝子体手術」と同時に行われた「白内障手術」によって眼内レンズが入り、左目の視力だけが回復した。右眼との視力差は、屈折率にして-9.00ディオプタ―あり、眼鏡で矯正できる-2.00の範囲を大きく上回ってしまった。
3月に年度更新の特別支援学校講師の仕事は、「見え」の見通しがつかず一度提出した志願書を辞退した。
視力差のある新しい「見え」に脳の処理が追い付かず、元々もっている発達障害傾向が強くなった。こだわりなどの自閉傾向が、明らかに強く出る。家に居るのに、一日の終わりには疲れ果てて、脳のフィルター機能がうまく働かなくなって感覚過敏が顕著になった。そこに家事などの何らかの負荷が加わると、癇癪発作を起こした。
それが原因で夫婦喧嘩みたいになり、夫に警察を呼ばれて騒動になった。私はがっかりしたし、警戒モードになって女性相談などに行って本気で別居と離婚に向けて頭をめぐらせた。何より身近な人が分かってくれないという事実が、悲しかった。
こんな騒動になるのは私も望んでいないから、自分の特性に向き合ういい機会だと思った。以前通っていた心療内科では大人の発達障害の確定診断はできません、と言われていたので、別のメンタルクリニックに紹介状を書いてもらった。夫婦のいざこざもあって睡眠が怪しくなっていたし、不同視(左右の視力差のある見えの状態)があって神経が割かれている現状では、投薬をした方がいいということになり、ちょっとだけど服薬を開始した。
自立支援と障害者手帳申請用に、診断書をもらった。
社会人になって以来20年弱、ここまで来ないと支援にアクセスできなかったのは、何でだろう?
こんな体調だが、いつ別居するのがいいか占って欲しくて、タロットと星読みの門を叩いた。結果、私は今いる場所を楽園にしたいというのを今生の課題としており、人の世話をしたり人を育てたりするのが性だ、ということがストンと肚落ちした。
私は、戦は、望んでいない。(し、そんな体力もない)
夫婦喧嘩はお互いが折れ、停戦となった。
流れ星きらきら、再び。
同時並行で、視力の左右差を埋める手立てを求めて奔走した。
眼科に3件、両眼視トレーニングを提唱する(推しのインド映画俳優がお世話になっていた)アメリカの眼科医のzoomコール1件、眼鏡店に3件足を運んで一度は「ICL手術を受ける」という結論を出した。
その結論で行くぞ、となって事前検査を勧めていた矢先、今度は右眼の飛蚊症が突然、ひどくなった。間を置かず光視症も始まり、私は内心恐れおののいた。
「もう片方も、剥離してしまうのではないか?」
この2週間で4回ほど眼底検査を受け、ひとまず今は目立った剥離の兆候はないとのことだったが、手術については再考を迫られることとなった。複数の眼科医の見解を総合すると、
「ICLレンズを入れることは、網膜剥離の可能性が他の人よりも高い私の右眼にとってはリスクが高い」
という結論に至った。
ICL手術は自由診療であり、剥離に対する硝子体手術等は保険診療である。そのため、両者を同時にやることはできないので、ICLを当該病院で取った後で、硝子体手術を別途、別の大きな病院でやる必要がある――これは、剥離してしまった場合の失明のリスクをだいぶ上げることになる。
わたしは、おばーちゃんになってもこの世界を両目で見ていたい。だから、私の目にICLは、なし、という結論だ。
視力をそろえるだけなら「白内障手術を右眼も受ける」が一番手っ取り早いのだけれど、それは右眼に残っている調節機能を放棄することになる。眼内レンズは、天然の水晶体と違って調節機能がないのだ。まだ、白内障でも老眼でもない目に、それはもったいない。
手術をしないでできるだけ脳の負荷を下げられる方法を、コンタクトと眼鏡の併用で模索するかたちで、落ち着いた。言ってみたら日和見だ。でも、まだ大丈夫な機能は自分のものを使いたい。これから老いてゆくからだのどの部分にしても、私はそう考えて扱ってゆくだろう。
☆彡
現在も、私の右眼の視野には、時折流れ星が見える。
それは、暗いところでは顕著で、右上の端からパキッと細かなヒビが入るようにして、一瞬だけ光を放つ。きっと昼間も起こっているのだろうけれど、明るければ見えたのに気づかない程度のやつだ。それは、2月の剥離の時の前々前世がかかちゃいそうな大きな流れ星とは、一応形態上は違うように、見える。
今晩、暗くなってから散歩して、時折流星が走るその景色に、憧憬と、そして押し流されるようだった怒涛の上半期が走馬灯の始まりのように私の脳裏をつついて、思わず書き始めてしまった。
この、流れ星を讃えた目は、明日からの未来に、何をどんなふうに目にしてゆくのだろう。
あなたの目には流れ星、見えますか?