
道具が減るほど、味は深まる。自作の「山椒のすりこぎ」と二つのぬか床。
龍安寺のほど近く、塔ノ下の底冷えが足元から忍び寄る夕暮れ。私はまず、台所の換気扇を回す。低く唸る回転音は、外の世界の喧騒を吸い込み、家の空気を私だけの時間へと入れ替えるための、ささやかな儀式だ。

京の冬の湿り気を帯びた空気の中で、二つのぬか床が静かに眠っている。私は一日おきに彼らを使い分け、交代で休息を与えるようにしている。菌も生き物だ。毎日野菜を出し入れしては疲れてしまうだろう。片方が働いている間、もう片方はゆっくりと呼吸を整える。そんな「一日ずつの歩幅」が、今の私にはちょうどいい。
棚から取り出したのは、北山を歩いた折に拾った山椒の枝から削り出した、自作のすりこぎだ。かつて小刀で節を落とし、手のひらに馴染むまで磨き上げた。最初は無骨だったその木肌も、数え切れないほど胡麻を摺り、薬味を叩くうちに、私の指先に吸い付くような滑らかさを帯びてきた。

この棒で胡麻を摺ると、不思議なことが起きる。硬い山椒の木が具材と擦れ合い、ほんのわずか、木そのものが香りと共に料理の中へと溶け込んでいくのだ。道具が減っていく代わりに、私たちが作る味に深みが加わる。道具を育てるということは、その命を少しずつ分けてもらうことなのかもしれない。この等価交換の清々しさが、右京の静寂によく似合う。
今夜はぬか床を休ませ、一夜漬け専用の壺に、塩と昆布、そしてわずかな山椒の香りを閉じ込めることにした。
重石をのせ、役目を終えた換気扇を止める。
静まり返った台所で、大根は昆布の旨みを吸い込み、ゆっくりと自分の呼吸を整えていく。
翌朝、重い蓋を持ち上げ、透き通った一片を口に運ぶ。
そこには、削られた山椒枝が、私の一部となって溶け込んでいる。効率や速さが追い越していく世の中で、私はこの小さな壺やぬか床の前で、立ち止まることを恐れずにいたい。
道具が減り、味が深まり、私が形作られる。
新しい朝の光が差し込む台所で、私はまた、一歩ずつの確かな歩みを始めていく。
著者:換気扇
京都・右京区にて、台所の「空気」と「循環」を綴る。