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小説 「カナ地蔵」

    あらすじ
    昔むかしあるところに東のカナ村、西のがな村という対立した両極の村がありました。カナ村は片仮名(カタカナ)言語が主流、がな村は平仮名(ひらがな)が主流言語でお互い他言語を使用しない頑固な掟があった。
    もし西の村で片仮名(カタカナ)を発すれば捕らえられ罰を加えて東の村へ送りつけられるのである。東の村も同様で、村民は古くから伝わるこの事態が悪化の一途をたどるのを鎮めるべく有名な仏師を招きお地蔵さんを彫らせた。カナ村には東日本一の仏師「運慶」、ひら村には西日本一の仏師「快慶」が雇われた。しかし状況は両極の仏師を交えた事で余計に炎上。更には水火の争いへと火種は増したのであった。

    目次
    第一章 お誘い
    第二章 笠を探しに
    第三章 徹夜の大仕事
    第四章 屋敷へ侵入
    第五章 東⇆西
    第六章 お誘い②
    第七章 世の中の変遷
    第八章 旅路

    第一章 お誘い
    とある小さな農村にカナ地蔵というお地蔵さんがありました。
    何故カナ地蔵というのか?それはお地蔵さん一体一体に彫られた名前が片仮名(カタカナ)で彫られていたからである。
    小さな農村では昔、漢字を知らない人が沢山いて万人に分かりやすいように片仮名(カタカナ)文字で彫るのが普通だったらしいが、古書を調べるとそれだけではない。名前を彫る彫り師もまた学が無く漢字を知らなかったという。
    それだけ戦時中や戦後の時代は勉強をする時間も余裕がなく、日々の生活を養うだけで精一杯だった。
    この頃、東の村には片仮名(カタカナ)のカナ地蔵。西の村には平仮名(ひらがな)のがな地蔵があった。西の村も東の村同様に平仮名(ひらがな)で彫られたお地蔵さんがあり、それをがな地蔵とよんだ。お地蔵さんがに彫られたそれぞれの言語は次第に効力を増し、東の村の言語をカタカナで支配し、西の村はひらがなで支配された。よって次第に両者は譲らず他言語はご法度という掟が自然にできでしまった。
    昔むかしのとある地方の物語である。

    東の村に兵一郎という若者がいた。歳は30。この時代は30にもなって嫁もいないと野次られる歳である。
    兵一郎は毎朝畑に行く途中にカナ地蔵の前を通った。
    「エイレイ...ジゾウ...ボサツ」
    兵一郎は漢字を読めないが、ここにあるお地蔵さまの片仮名(カタカナ)は読めた。お地蔵さまの背中にはエイレイジゾウボサツと彫られてある。
    しかし兵一郎は何度もこの片仮名で書かれた文字を読むが頭には入らなかった。意味が分からないからだ。
    「お地蔵さま。今日一日が安らかでありますようお祈りします」
    兵一郎は独身。それは欲も持たずに生きてきた性格上の問題があったからだ。
     兵一郎は毎朝畑に行く途中にお地蔵さんの前を通り話しかける。願いことはただひとつ。世の中の平和だ。皆の一日が平穏であることだけを祈り生活は地味だった。畑は自分一人が食べていける分だけ。馬は持たずに自分の力だけで畑を耕す。朝から晩まで働き通し。独りで全てを賄わなければならず、他の家族数人で拵える畑とは違い全く実り大きくならなかった。このまま歳をとれば益々に食べる量も減ってしまうだろう。兵一郎はそれでも全く気にはしなかった。
     (毎日が晴れ平穏で食べ物には困らずに生きていく)
    ただそれだけを願っていた。
     夕方になり暗くなる前にまたカナ地蔵の前を通る。
     「お地蔵さま。今日も安らかな一日をありがとうございました」
     そしてお地蔵さまの背中の片仮名を読む。
     「エイレイ‥ジゾウ‥ボサツ」
     家に入る前に薪を割る。真っ暗になる前に一仕事。この一仕事が後になって大きい。冬は沢山の薪を使う。一度に割れる量は人間の力では限られている。夕飯を食べ農具の手入れをし、布団に入る。風呂は三日に一度と決めていた。
     深夜一時半から二時半。兵一郎は必ず目が覚めた。まただ。月の高さでおおよその時間がわかる。
    「毎晩この時間に目が覚める。何か気配を感じるんだ。生き物の気配とは違う。何か別の気配。シンと物音がしなくなる時間。だから余計に感じる気配‥」
     寝る前はあんなにガヤガヤと鳴いていた虫も森の中の梟もこの時間は全く音を出さない。兵一郎は知っていた。この時間は無の時間だと。音を発するとこの時間は存在を無くす。一日を一日らしく繋ぐ為には、身動きせずこの時間をやり過ごさないといけない。兵一郎は緊張した。物音を出さないように。寝返りをしないように。瞼だけを動かし周りを確認する。真っ暗で何も見えないが徐々に目は暗闇に慣れてくる。壁にかかった農具、煤が溜まった天井の梁、洗濯をして干したままの布雑巾‥。
    (今夜も大丈夫‥やり過ごせるさ)
    刻々と時間は過ぎていく。兵一郎は無音を確認して安心したのか気がつくと朝になっていた。
     日が出て薄暗い明かりの中で米を炊く。朝ご飯を食べ、昼飯用のおにぎりを握って漬物を数枚包んだ。水は湧き水がある。途中で汲んで行こう。畑に行く途中でお地蔵さまに挨拶をする。
     「お地蔵さま。今日一日も安らかでありますよう‥」
     「兵一郎よ。たまには違う願いことでも言ったらどうだ?」
     兵一郎はハッと驚いた。顔をあげる。
     「へへーん。俺です。牛太だよ。お前さん相変わらず朝が早いねぇ」
     お地蔵さまの後ろから出てきたのは夜遊び帰りの牛太だった。
     「夜中遅くまで遊んだ帰り道にあまりの夜が心地よかったもんでねぇ、そこの柿の木の根元を枕に眠ってしまったらしい。あーよく寝た」
     兵一郎は何も言わずに牛太の前を通り過ぎようとした。
     「おおーっと、ちょっくら待ってくれ。昨晩銭を少々使い過ぎてしまってな、嫁さんに渡す金がねぇ。このままだと帰れねぇ。無一文なんだ。わりぃがちょっくら銭を貸してくれねぇか?」
     一度貸すと二度借りる。人間の欲とは何故一度に限らず二度があり、倍となるのか。欲は毒とよく言ったものだが、やはりそうだった。兵一郎は二度目を渋ったが蓄えはある。この男には自分には無い家族という義理を背負って生きている。自分とは物を持つ重さが違うのだろう、と妙な解釈をして納得してしまった。チャリンと持ち手の分を渡してしまった。
     牛太は、面目ねぇと兵一郎に言い
     「お地蔵さま、ご縁をありがとうございます」
     と訳のわからない言葉をお地蔵さまに向けて走って帰っていった。
     兵一郎は朝の出来事を気にせずにその日も一日黙々と誰と話もせずに、日が暮れるまで畑仕事に意気込んだ。
     帰り道、いつものようにお地蔵さまに挨拶を交わして帰ろうとすると誰かいる。牛太だ。
     「朝は助かった。これはほんのお返しだ。受け取ってくれい」
     見るとお酒だった。
     「むむっ。おぬし、私がお酒飲めないことぐらい知っているだろう。これはどういうことだ?」
     「まぁ、そうおっしゃらずに。私からのせめてものお返しですから」
     「おぬし、そう言って銭を返さない気だな。酒はいらない。銭を返してくれたらそれでいい」
     「まぁまぁ。要は試しって言葉もあるぐらいですから。これを機にはじめてみたらどうですか?息抜きということで」
     「しつこいやつだ。もうこれっきりにしてくれ」
     お地蔵さまの前でこんなやりとりをしてしまった。兵一郎は恥ずかしくなりその場から逃げるように、足早に家へ帰った。
     いつもより時間が経過してしまった。家へ帰るとすっかり夜になっていた。牛太のせいで今日は気分が悪い。日常の薪割りも農具の手入れも夕飯の支度も億劫になり、囲炉裏の前にどっかりと座る。兵一郎は飲めない酒にうっかり手をつけてしまった。酒はすぐに回り兵一郎はそのままどうやら眠ってしまったらしい。
     いつもの時間。深夜に目を覚ました。
     (う‥む。頭が痛い。ここはどこだ?)
    板間に寝ていたせいで背中が痛かった。
     (ああ、そうか。お酒を呑んでしまったんだった‥)
     兵一郎は起き上がり布団を敷こうとした。
     「ヨッコラショ」
     と声が出て、しまった!と口を塞いだ拍子に今度は足元に置いてあった酒瓶を倒してしまった。
     ガタン!と響く深夜の闇。
    (音を立ててしまった)
    音が丑三つ時の空白を窓ガラスを割るように砕いてしまった。
     唾を音がしないようにごくりと飲む。
    そのタイミングで闇から声がした。

     「兵一郎。おお、起きたか。待っていたぞ。ほら着替えて。いくぞ」
     兵一郎は身震いした。やはりいた。この気配は声の持ち主だった。見つかってしまった。さぁどうする?しかし、いままでどうして私が起きて目を開けていたのも気がつかなかったのか。もしや。この声の持ち主は目が見えない?
     「へい。今支度してます。少々お待ちください」
     兵一郎はそう言いながらも、そっと逃げ出そうと足音を殺し家の裏口へと移動しようとした。その時、
     「ゴロゴロゴロゴロ‥」
     床が軋んだせいで先ほど転ばした酒瓶が転がってきた。
     (牛太!どこまでもしつこいやっちゃ)
     兵一郎は堪忍しその声の主へついていくことにした。深夜。シンと静まり帰った闇の中、声の主の背中を追う。兵一郎はその時はじめて顔をあげて驚いた。声の主の背中に書いてある文字‥。片仮名で書いてある。徐々に闇の中、目が慣れてきた。
     (エイレイ‥ジゾウ‥ボサツ!)
     ギョッとした。頭から足先まで震えた。
     (これは、お地蔵さま‥)
     兵一郎は怖かった。しかし徐々に頭が整理できてきた頃落ち着いた。冷静に考える。お地蔵さまなら悪いことはしない。しかし、これはどういうこと?ここからどこへ向かおうとしているのだ?兵一郎は訳が分からなかった。
     いつも歩きなれた道。それでも夜の道となると勝手が違った。
     (うむ?前方に明かりだ。こんな時間にありえない)
    青白い薄明かりがついている屋敷の前にきた。
    お地蔵さまが言う。
    「エイレイです。お客をお連れしました」
    一言発すると木製の背丈以上もある門がゴゴゴと自動で開いた。門をまたいで奥へ向かうとまたゴゴゴと自動で閉じた。
    (一体どうやってあんな大きな門を開け閉めできる?動力は何もない)
    石畳を歩き、更に奥へ進むと屋敷がある。かなり立派な屋敷だ。お地蔵さまは慣れた足つきで一歩も止まらず進んでいく。屋敷の入り口前にある階段の両脇に侍の恰好をした者が二人立っていた。どちらも顔色が悪い。その侍の前を通り過ぎようとしたときに顔色が悪い二人が話しかけてきた。
    「おいおい。客人なんて珍しいじゃないか。何十年ぶりだ?」
    「期待するな。どうせまたろくでもない奴を連れてきたんだろう」
    人を馬鹿にしたように大声で笑っている。お地蔵さまは顔も向けずに相手にしていない。慣れた足つきで階段をもあがっていく。数段をあがりきると屋敷の主殿の両戸がまた同じく自動でススっと開いた。解き放たれた開口部からは数10メートル離れた奥の座敷にどっかり座る勇ましい若武者がこちらをキリリとした眼差しで睨みつけているのが見えた。その視線は遠くにあるのにすぐ目の前で睨みつけられているかのように迫力がある。その若武者の右側左側にはずらりと侍の列が真っすぐ一列に入り口まで並んでいて、若武者を守るように八の字に配置され圧倒されるどころか逃げ出したくなる怖さが優先した。そんな緊張感のある張り詰めた陣形の中を知らずに飛び込む夏の虫のように恐る恐る侵入していく。兵一郎は怖さのあまりお地蔵さまの後ろにピタリとくっつきながら奥へと歩み若武者へ近づいた。
    若武者の前で頭をさげる。
    「清丸(キヨマル)様。お連れしました」
    「ほほう。こやつがエイレイの言ってた者か」
    ギラリと目の色を変え若武者は顔を近づけ兵一郎を物色する。あまりの迫力に若武者の目玉に吞み込まれそうになる。
    「おぬし。名を何という?」
    「はっ。名は兵一郎と申します」
    「兵一郎か。いい名前だ。わしらと同じ戦の匂いがする名前だ。おいっ、馬之助。確か同じ名前の侍がいたはず。あの侍の名は何といったか?」
    「兵太郎でございます」
    「そうだ。一ノ瀬兵太郎だ。兵太郎は勇敢な侍だった。我に一命を任すと言ってきた。それも条件付きだと。あれは笑ったな。まさか交渉してくるとはなぁ。」
    「そうです。思い出しますなぁ。あんな図々しいやつは見たことありませんでしたからねぇ。」
    「しかし条件をのんでやると素晴らしい活躍をしてくれた。交渉しただけのことはある」
    「その時の交渉事というのが・・」
    「代わりに家族を守って欲しい。と」
    「最初は断った。ほかの者にも面目が立たないからな。しかし兵太郎は我の実力と本気を示してみようぞ。とキタノカズノの首を数日後に持ってきた」
    「あの一件は大きかったですなぁ。キタノカズノを失ったカズノ城はあの一件があったから落とせた」
    「ああ。そうだ。そして兵太郎には功績として土地と建物を与えようとした。しかし兵太郎は、そんなものは要らない。いるのは約束した家族の安泰だけだと言う。頑固な奴だ。言ったとおりにしてやった」
    そう言った後で若武者は兵一郎に近づき、目の前にしゃがみこんだ。
    「どうやらお前はその一ノ瀬兵太郎の一族の生き残りらしい」
    ドキッとした。
    胸がちぎれそうなほど激しく鼓動する。太鼓の乱れ打ちだ。
    (これは夢だ。きっと夢に違いない。私は夢の中にいる・・)
    そこでお地蔵さまが話を遮る。
    「今日はここまで。時間です」

    第二章 笠を探しに
    朝。
    どうやって帰ってきたのか?あれはやはり夢だったのか?
    兵一郎は板間の上で目を覚ました。先日編んだばかりの草履は鼻緒が緩んでいる。やはり昨夜は外に出たような形跡がある。狐に化かされるというのはこんな感じなのかも知れない。半信半疑のまま兵一郎はいつものように身支度をはじめた。
     畑に行く途中にお地蔵さまに挨拶をする。
    「昨夜は楽しかったです。またあの場所へお連れください」
    兵一郎は試しにそう言ってみた。
    次もまた同じ場所へ行くことがあるなら昨夜の出来事は本当だ。
    いつものようにお地蔵さまの背中の文字を読む。
    (エイレイボサツジゾウ・・)
    深夜に目の前を歩いていたのは確かにこの背中だった。ふと、兵一郎はひとつ考えが浮かんだ。
    (お地蔵さまに笠を被せてみよう)
    俗にいう笠地蔵だ。
    兵一郎は一度家に戻り笠を持ってきてそっとお地蔵さまに笠をかけた。

     シンと静まりかえった夜。今夜は星もない暗い夜。雲が空全体を覆い今にも雨が降りそうだ。
     兵一郎はいつもの丑三つ時に目を覚ます。昨夜のように屋敷に行くなら時間は限られている。兵一郎は勇気を出しガバッと起き上がり布団をたたんだ。
    「お地蔵さま。さぁお連れなさってください」
    兵一郎が暗闇にそう語りかけると、スッとお地蔵さまは姿を現した。
    「おおそうか。なら行こうぞ」
    お地蔵さまは笠を被っていた。
    (間違いない。あれは自分が被せた笠だ)
    外は雨が降っていた。それでもお地蔵さまの足は速い。
    「兵一郎。お主、笠は無いのか?」
    「へい。眠気を覚ますためには笠なんぞ必要ありません」
    そう答えるが雨脚は強くなっている。
    「お前に申しておこう。この世には開いた(あいた)時間というものがある」
    兵一郎は聞き逃さないようにお地蔵さまの背中に近づいた。
    「この世に時間があるように、ちょっとした隙間にあの世の時間も存在する。それが開いた(あいた)時間じゃ」
    「誰もが寝静まる無音の時間。丑三つ時・・」
    「そうじゃ。その深夜1時半から2時半の1時間。その時間はあの世へと繋がっている。だからわしはこの時間にだけ動ける。死人も口を開ける。あの世へ開いた(あいた)時間だからじゃ」
    兵一郎はごくりと唾をのむ。
    「それでは、私はあの世へと導かれているのですか?」
    「だとしたらどうする?」
    「私はまだやり残したことがあります。この歳になってもまだ嫁もおりません」
    「わーはっは。誤魔化しても無駄だぞ。わしはとうに知っている。お前は欲には全く反応せん。日々安息ならそれでいいといつも申しておるではないか」
    「だからと言って私をあの世へと連れ込むとは、酷すぎやしませんか」
    「なーにを勘違いしておる。何も命を奪うとは言っておらん。まぁとりあえず着いてこいっ」
    兵一郎はだんまりと無口になり雨の中お地蔵さまに着いていった。
    お地蔵さまの足が止まり顔をあげると昨日と同じ屋敷の門の前だった。自動で開く門をくぐり屋敷の入り口の前に来ると正面の階段の両脇に侍が立っている。
    (なるほど。あの侍は神社で例えると祠前の狛犬というところか)
    「おー。エイレイ。懲りずにまた今日も来たか。早くその男を置いていけ。俺たちが遊んでやるよ」
    「おー。そうだ。若い男はよく逃げ惑う。少しは楽しめそうだよ」
    相変わらずからんでくるうるさい狛犬だ。兵一郎はお地蔵さまがするように狛犬侍には目もくれずただ黙々と階段をあがった。屋敷の主殿の両戸が開く。ずらりと並ぶ面子は昨日と同じだった。
    「おー。よく来た。さぁこちらへ」
    鋭い眼光の若武者は声が大きい。
    「それで?昨日はどの辺りまで話を進めていたかな?」
    「兵太郎の話です」
    「おおー。そうだったな」
    そう言うと若武者は立ち上がり
    「今日は剣を教えよう」
    と家来に木刀を持って来させた。
    「ほれ。これを持ってみよ。何か思い出すはずだ。お前が知らなくてもお前に流れる血がちゃんと覚えておる。自信をもて」
    八の字に配置された両列の間で誰かも分からない眼光の鋭い若武者から剣を教わる。その日はすぐに一時間が過ぎた。
    お地蔵さまが声をあげる。
    「お時間になります」
    階段を降りる背中を追うように若武者の声がした。
    「明日も来ようぞ!」
    兵一郎は振り返らなかった。
    狛犬侍の前を通る。
    「おい。エイレイ。お前いい笠被ってるな。ちょっとそれ貸せ」
    エイレイが小声で言う。
    「兵一郎よ。相手にするな。こやつらはいつもこうして時間を稼ごうとする。時間は必ず守れ!さもないと開いた(あいた)時間に取り残されるぞ」
    兵一郎はゾッとした。
    (なるほど。お地蔵さまが狛犬侍を相手にしないのはそういう事だったのか)
    お地蔵さまは笠を引き換えにして、その場をくぐり抜けた。
    「わぁーはっはぁー。お前その笠似合うじゃねーか」
    後ろからは笠ひとつで盛り上がっている狛犬侍の下品な声が聞こえた。

     朝になった。
    兵一郎は昨夜の雨で畑は作業が捗らないだろうと苦心した。
    (そうだ。今日は畑はやめて昨日の笠を探しに行ってみよう)
     朝食を頬張り、その場にいてもたっても居られなくなった。直ぐに傘を探しに行く。
     昨夜の移動したおおよその距離を歩幅で測ってみた。真っ暗闇の中どこへ移動したのかを特定する。移動途中にお地蔵さまの前を通る。いつもの挨拶をする。
    「昨夜はありがとうございました。今日はこれから笠を探しに行って参ります」
    お地蔵さまのいる場所から北へ数里、東へ数里行くとそこで昼になった。
    「なかなか見つからない。何か目印でも無いものか」
    昨日の屋敷の見取り図を思い出す。広さは三十間。この辺にそんな建物があっただろうか?
    小高い丘の上で一息つき握ってきた飯を食べた。すると1匹の野犬がこちらの握り飯を狙っている。
    「食べたいのか?やるぞ。ほらっ、こっちへ来い」
    野犬は人見知りをしている。兵一郎は距離をとり箸に握った飯を突き刺し、それを地面に突き刺した。
    「そんなに人間が怖いなら何故顔を見せる?お主の期待はこちらは察しているぞ。さぁ食え」
    野犬は地面から箸を抜き出しそのまま箸ごと飯を咥えて去っていった。
    (ほほう。なんて賢い犬だ)
    兵一郎はその野犬が向かった先を追ってみたくなった。
    (うむ?ちょっと待て)
    来た距離とこれから進む距離もどうせなら測ってみよう。
     野犬が向かった先に大人ふたりが並んで歩けるぐらいの林道を見つけた。
    (ここがもし屋敷のある場所だとしたら、この先あと一里という距離かな)
    その先に向かうと茂みには隠れているがはっきりとそれとわかる狛犬を見つけた。
    もう一方もあるはず、と周辺の草木をかき分ける。
    「あった!」
    なんと昨日お地蔵さまに持ち出した笠がそのまま狛犬に被せてある。これには兵一郎も驚いた。
    (するとこの場所が昨夜来た場所‥)
    「しかし建物は?屋敷があるはずだ」
    建物はどこにも無い。兵一郎は木の棒を拾いその建物と同じ大きさぐらいの線を引いた。
    (こんなイメージだよな)
    兵一郎はその建物があったらしい引いた線の範囲を散策し何か手掛かりは無いものか?と異片など探してみた。その周辺をふた回りほどしても何も見つからなかった。
    (もし何かしらのものがあったとしてもこの歳月の中で塵に埋まってしまったのだろう・・。ん?埋もれる??)
    兵一郎はとっさの思いつきで屋敷の想定範囲内を掘り出した。土面は固く中々深くは掘れない。それでも兵一郎は手を止めなかった。確証はない。どこかで野犬が吠えている。一度手を止めそちらの方向へ行ってみると草むらに錆びたシャベルが放置されていた。GOODやはり賢い犬だ。
     シャベルを持った兵一郎は鬼に金棒だ。要領よく掘り進める。いつもの畑仕事と同じ。こんなのは朝飯前だ。無我夢中で掘った。そして夕暮れになる。
    「カチン・・(!!)」
    何かに当たった音がした。さらに堀り返すと一部分が露出した。
    「これは、屋敷だ!屋敷の屋根だ」
    屋根の一部分を掘り出すと、ひとり入れるぐらいのスペースができた。
    「入れそうだ。よし。入ってみるぞ」
    そう思ったが踏みとどまった。明かりが無い。
     今日はここまで。と続きを残して帰ることにした。掘り返した場所は蔦や葉を敷いてその上に土を被せて分からないようにした。
    (誰もこんな森の中までは来ないだろう)
    そう思っていたが、その一部始終を見ていた者がいた。牛太である。
    牛太は夜の街に行く時にこの森の中を近道で通る。今まさに兵一郎の不審な行動を目撃していた。

     兵一郎は自宅までの帰り道に畑の近くを流れる湧き水で土だらけの手足と顔を洗った。ふと背中に気配。振り返ると握り飯を与えた野犬がついてきていた。
    「なーんだ、お前。もう腹が空いたか。そんな小さい体して食いしん坊じゃ
    」
    野犬が懐いたので家の中へ入れてやった。
    「ああ、今日は疲れたわい」
    暖を取りながらつくった汁物だけを口にして横になった。兵一郎はそのまま眠ってしまった。
     その夜。兵一郎は夢をみた。
    戦の中を采配を振って駆ける。背後には大勢の兵士。叫び打ち合うのはこちらが有利だ。気分がいい。生きている実感がする。戦とはこんなにも気分がいいものなのか。
     目を覚ますと丑三つ時の時間だ。今夜もいざ参るとお地蔵さまについていく。向かう場所はわかっている。お地蔵さまの後ろから徐々にペースをあげて並行して歩く。ふたりの背後には野犬がついてきた。無事帰ったら名前をつけてやろう。

     狛犬侍は今夜はおとなしかった。
    「やい。この間の笠はどこへやった?」
    とこちらから問い詰める。
    「そんなものは知らん。風で飛んで行ったか、そこの野犬が咥えて持っていったんじゃねぇのか」
    狛犬侍の前で野犬がウーと唸る。
    「そんな時は無くしてすまん。と言うもんじゃ。わかったか」
    何も言い返さない。狛犬侍は犬が苦手のようだった。
    屋敷にあがる。
    「おお。きたか。今夜は野犬も一緒か。こやつにも我らが見えるらしい。わしも以前は番犬がいてな。思い出すなぁ。犬は鼻が効く。重宝したよ」
    一時間みっちりと若武者から戦い方を教わる。昨夜みた夢は若武者の記憶だったのだろうか。
     兵一郎はこうして毎日丑三つ時の時間に屋敷で稽古を重ねるようになった。身体の動きの他に座学。漢字の読みから戦の攻め方、守り方。引き際の判断、地形の読み方、活かし方。天候の操作、部下の従わせ方。武将は学ぶことが多かった。知識は戦い方を有利にする。経験ばかりじゃない。勝ちにも法則があるのを知った。
    シンとした音が無い時間。お地蔵さまと兵一郎は足音を転がしながら家路に向かう。
    「お地蔵さま。いつも若武者を取り囲み列をなしている武士らはやはり有名な方々なのですか?」
    「ああ。皆名の知れた立派な方々である」
    「今度会った時に名前を聞いてもいいかな。歴史は後世へ伝える義務がある。後世へ誇らしく名を残してやりたい」
    「随分と張り切っているな。あまりでしゃばるな。目立つことをすれば、この狭い田舎のこと。我が身に災いが降りかかることもある。気をつけよ」


    第三章 徹夜の出来事
     朝になると兵一郎は布団の中だった。毎度家へ帰ってきた時の記憶がない。布団をいつ敷き服をいつ着替えたのか思い出せなかった。横では野犬も一緒に寝ている。犬の足を掴み爪の中に土が入っているのを確認して、これはやはりあの屋敷のある場所の黒土に間違いないと断定する。
    (昨夜の出来事は間違いない)
    いつもそうだ。夢から目を覚ますと昨夜の実感がない。眠ると現実味がなくなる。
    (よし。それでは眠らなければいい。一日中起きていればどうだろう)
    外へ出ると朝の新鮮な空気がおいしかった。
    秋になり朝もだいぶ日がのぼるのが遅くなった。薄明かりの中、兵一郎はふと振るのにはちょうど良さげな木の枝を見つけ昨夜若武者に教わった通りの振り方で木の枝を振ってみた。
    「ビシュッルル」
    空気が切れる音がする。
    「ビシュッ、ビッシュルル」
    何度も繰り返す。鋭い振りだ。これは夢ではない。明らかに違う。自分の身体の動きと違う。見違えている。兵一郎は畑へ出る前に屋敷に寄り道してみようと思った。直ぐに家を出る。
    「昨夜もお世話になりました」
    お地蔵さまの前を通る。野犬は相変わらずべったりついてくる。
    (そうだ野犬の名前をワンとつけよう)
    屋敷に着くと野犬が走り出した。何かを見つけたようだ。
    (うむ?隠していたはずの入り口が剥き出しになっている)
    よく見ると兵一郎が掘り出した時よりも更に深く土が掘られ身体ひとつ分どころかふたつ分の入れる具合になっていた。
    (中に誰かいる)
    それは間違いない。さてこれからどうする?兵一郎は考えた。
    (中にはひとりとは限らない。こちらは自分と野犬1匹。中に3人いたら敵わない。この時点で中に入るという選択肢は無い。ではどうする?
    そうだ。ここで待とう。ここで待ち穴から這い上がってきた者を1人ずつ叩き落とすモグラ叩きの戦略だ)
     朝から昼になり昼から夕暮れになった。穴の中は静かだった。待っても待っても穴からは誰も出てこない。兵一郎は流石に飽きてしまった。
    (1日を無為に過ごしてしまった。しかし誰かがここへ来たのは間違いない。そして中に入った形跡がある。判断に間違いはない)
    と自分を正当化する。ここまできたら粘るしかない。と腹を括る。
    兵一郎は根気強く穴の側を離れなかった。
    日は落ち夜になり深夜になった。兵一郎は起きたままその時をむかえる。野犬のワンの耳がピンと立つ。
    何かに反応したようだ。すっくと立ちあがって屋敷の穴から数メートル離れ距離をとりこちらを見てワンと吠える。
    (動きがあったようだ)
    兵一郎も立ち上がり野犬のワンの方に移動する。その時だ・・
    ゴゴゴゴゴゴ、ゴンゴンゴン・・
    なんと丑三つ時になったと同時に屋敷全体が埋もれた土の中からせりあがってくる。屋敷の入り口を守る狛犬柱も絡まった蔦や弾かれた色味が綺麗に拭われていく。屋敷に正面を向き右手が口の開いた阿形(あぎょう)。左手が口を閉じた吽形(うんぎょう)。始まりと終わりを意味するその二体は狛犬侍へと姿を変えた。目の前は深夜に訪れた屋敷の景観そのままにすり替わった。
    「これは驚いた!まるでからくり小屋だ」
    兵一郎はその迫力に圧倒される。後ろから声がした。
    「兵一郎。ここにおったか」
    「お地蔵さま。私は毎晩ここへ来るのは夢が見せる幻かと思っておりました。しかし違った。この通りでございます」
    「これが現実とは誰もが思わないだろう。お地蔵さまが歩いたり死んだはずの若武者や武士たちがこの時間だけ生き返る・・なんて」
    「時間が戻っているのでしょうか?それともこの時間だけがずっと生き続け、時間の針は止まったまま?」
    「まぁ、どちらでもないでしょう。説明すれば、魂の名残りとでも言いましょうか。強い魂の名残りはその場所に留まり再度人間の姿、形をつくりあげる。タイムリミットは丑三つ時の一時間だけ」
    「こんな巨大な屋敷までも再現できるのですか?」
    「実はな、この屋敷は現存している。形は見えなくなっているが屋敷の裏にある山が崩れて埋もれてしまった。今も地中の中に現存している。掘り出すのが困難な為にそのままになっているが、形はあるから未だにこうして出現できるようだ」
    「魂の名残り・・。よほどこの世に未練があったのでしょう」
    「あの時代の魂は未練だらけじゃ。皆若くして命を落としていった。戦が全てを変えた。人の心、世の中を。だから丑三つ時の時間は皆にとって大切なやり直しの時間なんじゃ。たった一時間でも、今の時間に生きられる。お前にもわかるだろ?皆楽しそうだ」
    「そうですね。しかしなぜ、お地蔵さまは私をここへ連れてこようと思ったのですか?」
    「おぬしなら理解してくれるのではないかと思ってな。この世のもうひとつの時間。そしてわしはずっと何十年も考えていた。どうやったらこの人たちの名残を成仏してあげられるのかを」
    「なるほど。魂の名残りとはそういうことですか?そうですね。あの人たちも本当はそれを望んでいるはず。私も成仏させるお手伝いならならいくらでもしましょう」
    「ありがとう。どうやら私ひとりの力ではできないようだ。現実に生きている人間の力が必要なのです」
    その時屋敷の中から大きな怒鳴り声が聞こえた。
    「誰だ!お前、何をする!」
    急いで屋敷の中に降りてみる。すると牛太がいる。牛太が刀を相手方の鞘から抜き出し身構えている。
    「それは私の刀だ!返せ」
    若武者もそこへ駆けつけた。状況を察する。
    「なんだ、この騒ぎは!」
    家来のひとりが言う。
    「はっ、この者は侵入者であります。どこかへ隠れていたのでしょう。不覚に刀を取られてしまいました」
    「(笑)へっへっへぇ。お前が大将か。話が早い。その首いただくぞ、おいらだって手柄が欲しい。その首さえあれば土地をもらい城をもらえる。これはおいらにとってチャンスだ」
    「やめろ!牛太、お前が敵う相手じゃない!」
    「あん?お前、何を言っている?兵一郎か・・。さてはお前、お前も土地が欲しいのか?そうだろ!だからお前もここへ来た。」
    「牛太!何を言っている」
    「あの者は憑りつかれているぞ」
    お地蔵さまはボソリと言った。
    「お前が何を言ったって俺はやるぞ!」
    牛太は不器用に刀を突き立て若武者に向かっていった。
    「ドツン」
    鈍い音がした。若武者は牛太の刃物を避けず、鎧もないその身体で受け止めた。
    「やはりな。これでも成仏できん」
    震える牛太。若武者からは血が噴き出し牛太はその血を顔面に浴びる。牛太の視界は真っ赤に染まると牛太はその血を見て気絶してしまった。
    「これだけの血を噴き出しても明日にはまた同じ。いつものようにここに現われる」
    そう言い若武者はしゃがみ込み前方に屈んだ。
     牛太を背中に抱いて屋敷を出た。若武者の血が兵一郎の背中にも張り付く。
    「お地蔵さま。どうにかして若武者やその他の者を成仏させてあげたいものですね」
    「そうじゃのう」
    丑三つ時から朝の気配へと空気は変わりお地蔵さまはいつもの場所へ落ち着き兵一郎が家に着いた頃には牛太が浴びた血は何事も無かったように消えていた。背中から牛太を降ろし寝床に寝かせる。
    (なぜ彼は屋敷に身を潜めていたのだろう)

    第四章 屋敷のなかへ
    兵一郎は朝食を準備して牛太が起きるのを待った。
    「あれ?兵一郎。なぜだ?なぜ俺はここで寝ている?」
    「何も知らぬか?」
    「うむ。さっぱりわからん」
    兵一郎は昨夜の出来事を細かく牛太に伝えた。
    「そうか。そんなことがあったのか」
    「なぜあの屋敷にいた?どこから入った?」
    「夕方にいつもように夜の街へくりだそうとあそこを通った。あの通りは暗くて物騒だが街へは近い。いつも通り抜けに使っていたんだ。そしたらお前が懸命に土を掘っているのを見かけた。最初は可笑しかったよ。気でも狂っちまったのか、と。しばらく俺は見入っていた。あまりに兵一郎が一生懸命に掘っているもんだから何か出るのかも知れないと。そしてお前はとうとう見つけた。地中に埋まった屋敷を。俺は非常に興味を持ってしまってねぇ。夜の街なんかどうでもよくなった。きっと屋敷の中にはお宝がある。お前が居なくなるのを待って屋敷の一部から潜入したんだ。しかし俺の記憶はそこまで。潜入後の記憶は全く思い出せない」
    「えっ、記憶が無い?」
    「そうだ。気が付いたら今ここにいる。昨夜の話も驚きだな。信じられないよ」
    「おまえ、何かに取り憑かれていたのかも知れん。昨夜の出来事も牛太が潜入してから数日が経っている」
    「いったい何に取り憑かれるっていうんだい」
    「これは確かめねば。よし。今日は早めに仕事を切り上げて屋敷に潜入しよう」
    「ええー?また潜入するのかよ。なんだか嫌だなぁ」
    「大丈夫。私がついてます。それにもしあなたが襲われそうになったら私も戦います。少しは腕をあげたんですから」
    「腕をあげたってねぇ。相手は正体すらまだわからないじゃないか」
    「まぁそれもそうですね。よしそれなら万が一の逃げ道をつくっておきましょう。もしふたりに危険があるようなら飛び込む抜け穴を」
    「うまくいくか_!そんなもん」
     ふたりは明るいうちから屋敷に潜入した。降り口の穴から入り屋根軒桁部に足をかけると無数に蜘蛛の糸が張られている。兵一郎が先に入るとその蜘蛛の糸が顔に巻き付いた。
    「暗いなぁ。灯りをつけよう」
    持ってきた提灯に火をつけると、ボワっと周囲が明るくなった。今にも昨夜会った侍たちが現れそうだ。野犬のワンは入り口で門番として待機。まるで狛犬だ。
    「牛太よ。この間はどうやってここへ入ったんだ?灯りも持たずに」
    牛太は何も思い出せない。と言った。屋根から降り梁へ渡り胴差しから筋違いを滑るようにした床へ降りた。
    「縄梯子があればもっと楽に降りられるな」
    床に降りたと同時にゾワッとした寒気がした。うむ?何かの気配。身体の一方からじゃない360度取り囲むようにして感じる寒気。既に寒気は自分の身体全体を包囲している。
    (金縛り?いやそれとは違う。これは無数に向けられた視線。いつでも何かの合図で飛びかかってきそうなピンと糸を張ったような緊張感もある)
    兵一郎は身構えた。太刀がなくても若武者から教わった体術がある。
    (さぁ来い)
    その時牛太が叫んだ。
    「来る!噛まれるぞ!」
    (噛む?)
    兵一郎はそれを聞いて咄嗟に着物の袖に拳を入れた。
    「ムギャ・・ムギャギャ」
    カサカサと何かがひとつの合図を機にこちらへ向かってくる。
    「牛太気をつけろ!」
    「・・・」
    (返事が無い)
    「牛太!返事をしろっ」
    兵一郎が振り返るとガバッと牛太が拳を振り上げてきた。咄嗟に交わす。
    「へへへお前を殺しこの土地と屋敷をいただくっ」
    「何言ってんだ!目を覚ませ」
    (これはあの時と同じだ。完全に心を奪われている。何かに操られている)
    牛太はしつこく振り上げる手を止めない。暴れまわるその一手に咄嗟に反応してしまった。兵一郎は柔術を使って牛太を投げ飛ばしてしまった。牛太は気を失ったのか動かない。牛太に気を取られ気が付かなかったが何かに取り囲まれた。カサッカサカサと無数の足音が360度四方から迫っていた。
    (何なんだこの不気味な足音は。そしてその数。やばいかもしれない)
    その時声がした。
    その声はどこから聞こえたのか?懐かしく心強い声だった・・。
    「兵一郎・・兵一郎・・聞こえるか?」
    「聞こえますっ。あなたは誰ですか?」
    「兵一郎よ、立派になったなぁ。俺は兵太郎だ。若武者殿が言っていたように君の祖先だ。いいか、これから私の言いうことをよく聞くんだ。今お前を取り囲んで食おうとしている正体は絡新婦(じょろうぐも)という妖怪だ。兵一郎が毎晩会っていた侍たちを襲い食ったのもこの絡新婦(じょろうぐも)だ。みんな武家一味はこやつにやられた。若武者の無念はこやつのなかにある。こやつが生きている限り若武者の未練は晴れない。成仏できないのだ。いいか。お前の手でこやつをしとめるのだ。我や若武者殿を成仏させてくれ!」
    「兵太郎殿!そんなことを言われても一体どうやって戦えというのですか!それも相手は妖怪??ですって?」
    「ワァーハッハァー(笑)大丈夫じゃ。何もひとりきりで戦えとは言っておらん。我らみなも一緒に戦う。それに訓練したろう。若武者直々に!今のお前なら鬼に金棒じゃ。それっ。床をめくれっ。お前の足元に武器を隠してある。それを使うんだ!」
    兵一郎は言われるままに床をめくり武器を手に取った。
    その武器は見た事もない刃は眩しいくらいに光を放ち、握りの部分から上下に刃が反り立っている不気味に特殊な刀だった。
    「妖刀じゃ。名をソハヤノツルキという。この刀は我や若武者殿、家臣たちその一族の魂が形になっている。我らはお前が来るのを百年待った。我らは魂になり、死んでもなお絡新婦(じょろうぐも)をこの屋敷に閉じこめる事だけを考えてきた。屋敷の外へ出さないようにな。結界をはるぐらいのことはできたからな。やつを倒せるのは生身の人間だけ。お前は我らに選ばれた。あとはたのむぞ!」
    「僕にできるのでしょうか?」
    「大丈夫だ。目を閉じよ。視覚は恐れを生む」
    「わかりました(兵一郎は目をとじた)」
    「よし。次に眉間に力を込めろ」
    「こうですか?」
    「そうだ。もっとだ。もっともっと」
    「むむむ」
    「いいぞ。もうすこしだ」
    兵一郎は気が付いていないが、この時兵一郎の眉間からひとつ目玉がボコンと浮き出ていた。この目は兵太郎の目だった。
    「絡新婦は八つの目を持っていてそれぞれの目が独立して人間の動きを読み取る。牛太はこの八つの目に操作されてしまった。やつの目を見るな」
    その数20~30体、個体は1M以上ある。じりじりと近づき、一度にとびかかってきた。
    (きた!)
    兵一郎はバッサバッサととびかかってきた絡新婦を斬っていく。動きに無駄はない。無意識に両刃は絡新婦(じょろうぐも)を一刀で捌いていく。何かの液体が顔面を汚すが気にしない。舌で舐めると鉄の味がした。ソハヤノツルキは妖怪の血を欲している。真っ二つに割れ落ちた塊りは煙のように姿は消えていった。
    あっという間に数が半分ほどになった。すると絡新婦(じょろうぐも)は一旦身を引くと屋敷の奥座敷の一角に焦るように集まりだした。兵一郎はすぐに追う。絡新婦(じょろうぐも)はその一角で重なり合うように巨大化している。
    兵一郎は何かに気づきギュツと足を止める。
    目の前にダラダラの液体を浸した蜘蛛の糸が張られている。危うくトラップに引っかかるところだった。
    兵一郎は屋敷の襖を数枚外し蜘蛛の糸に張り付けていくと渡橋のようなものができた。そこを渡り絡新婦(じょろうぐも)へ近づいた。
    絡新婦(じょろうぐも)は既に巨大化を完成させていた。蜘蛛の糸は時間稼ぎだったようだ。巨大化は兵一郎の身体の10倍はある大きさになっていた。両者の足が止まるとシンとした静寂がおとずれた。間合いが遠い。じわりじわりと摺り足で間合いを詰める兵一郎。目を開けなくともわかる目の前にある凄絶な姿。張り詰めた空気と汚臭。
    その時、巨大化した絡新婦(じょろうぐも)の開いた口から大きな涎が一滴床を汚した。ビチャン!
    その合図で両者が動いた。巨大化した絡新婦(じょろうぐも)が粘着力のある太い糸を何本も吹き付けてきた。兵一郎は予測していたかのように既に絡新婦(じょろうぐも)」の懐から真上に飛び跳ね絡新婦(じょろうぐも)の下半身から上半身へソハヤノツルキの一刀が斬りつけている。
    「いまこそ無念の百魂が成敗する。覚悟!!」
    絡新婦(じょろうぐも)の頭の真上まで飛び跳ねた兵一郎は身体と刃を逆さに捻り落ちる速度と回転の勢いをつけて二度目の一刀を頭から足先まで一直線に斬りつけた。
    ズドン!と美しい切れ目の半身が二枚。屋敷の中は黒い煙に包まれた。
    「おのれぇ人間めぇ」
    絡新婦(じょろうぐも)が叫ぶ。
    「ああそうさ。百年分の恨みが形になった人間さ」

    兵一郎は静まり返った屋敷の中央にポツンと仁王立ちになっている。
    ゴゴゴゴゴ
    屋敷が浮き上がる。丑三つ時の時間。
    屋敷は地面の上に姿を現した。
    犬のワンとお地蔵さまが見守っていた。
    「やはりここでしたね」
    犬のワンは屋敷の中に転がっている牛太の顔をぺろぺろと舐めっている。
    お地蔵さまには何かが見えるらしい。
    「とうとうやりましたね。みんなが感謝しているようですよ」
    兵一郎は若武者がいつも座っていた上座に向き直し名刀ソハヤノツルキをそこに置いて両手を合わせた。
    (あなたたちの意志をここに叶えました。もう安心してください)
    そう言うと名刀ソハヤノツルキがあたたかい光を放ち魂がひとつひとつそこから虹のように舞い出て、人の姿へと変わっていった。
    若武者や家来、一族の者たちや屋敷の使用人もだ。一気に屋敷がにぎやかに彩られた。
    若武者が兵一郎の前に寄る。
    「兵一郎よ、よくやってくれた。ありがとう。これでいよいよ我らは成仏できる。長かったよ」
    「剣術をおしえていただきありがとうございました」
    「兵一郎よ、これからの世の中をよろしく頼む。そこにいるエイレイもご苦労であった」
    「ううっ・・」
    どうやら牛太が意識を取り戻したようだ。兵一郎のところへ歩み寄ってくると若武者が声をかけた。
    「牛太よ。お前が私にしたことを覚えておるか?」
    若武者は以前刺された腹の箇所をわざとたたく。
    「はい。兵一郎から聞きました。申しございません」
    「よってお主はわしらと一緒に連れていくぞ」
    「ええー、それは勘弁してください。私はまだ生きたい」
    「なんべんも死に損なったくせにか(笑)」
    一同は大笑い。
    「本当にそう思うか?なら心を入れ替えよ。いいかよく聞け。お前には文才がある。今夜の出来事を本に書け。わしらの話を世の中に語り後世に残してくれ。もしそれをやると言うならお前をここへ置いていこう」
    「ははは、、ありがたいお言葉。必ずそう致します」
    「よろしく頼むぞ」
    平家一族はみんな笑顔で笑い、その場に安堵が漂ったかと思うと徐々にその姿は透けていき、次第に屋敷の中は誰もいなくなりもとの暗闇のなかに戻った。
    屋敷の外へ出ると月明かりが足元を照らした。見上げると満月だ。
    美しい満月が丑三つ時の無音な夜を柔らかい光で包んでいた。兵一郎はお地蔵さまに
    「成仏したものは、あの月へ導かれるのでしょうか?」
    と尋ね、お地蔵さまは
    「そうかもしれない」
    と断定せずに経を読み上げた。
    「我祈先人尽未来際 我弟子等願従今身 帰依仏両足尊・・」
    「お、お地蔵さまっ」
    お地蔵さまは枕経を唱えながら自らも平家一族と共にいくのだろう。徐々に姿が透けていった。
    「兵一郎よ。我の役目は終わった。さらばじゃ」
    兵一郎は今夜の偶然な満月の夜を導きとして理解しようとした。
    野犬のワンもひとつだけワンと吠えた。満月へ向かっていく一団の姿を見たのだろうか。

    第五章 東から西へ
     数日たち兵一郎は若武者から教わった知識を皆にも伝えようと寺子屋を自宅で開いた。最初は数人しかいなかったが徐々に評判が広がり寺子屋は繁盛した。人が増えるにつれ小さな自宅も窮屈になり、隣にもう一棟建物を増やした。人がいれば建物もたつ。増築した建物は門下生の力を借りて建てた。
     木を加工して組み上げる。若い力というのはいつの時代も頼りになる。
     寺子屋の評判はよりおおきくなり、村外からも訪問者が訪れた。門下生のひとりに牛太がいた。牛太は寺子屋のなかで平家物語外伝を約束通りに書き、語り継いでいた。語りついでに歴史を学びその後、兵一郎と共に門下生の指導者となった。寺子屋はいつからか学校と呼ばれるようになる。これが学校のはじまりである。
    時代は戦の面影を残しながらも学問の世の中へ期待していた。武器を持つ手はやがて筆になり鉛筆へと持ち物は変わっていった。こうして兵一郎たちの順風満帆な日は過ぎていった。
    そんなある日、兵一郎は先祖の兵太郎が言った言葉を思い出していた。
    (西のがな地蔵の所へ行け)
    それはあの日絡新婦(じょろうぐも)との決戦前に兵太郎から受け取っていた言葉だった。 
    東を守るお地蔵さまのエイレイジゾウボサツは何年もずっと兵一郎の側に現れ結局は平家一族の無念を晴らす案内役となった。そして西にも同じように西を守るお地蔵さんがあるという。そこに行けば更に先祖の為のお役に立てるだろうと言う言葉だった。
    あれから数年が経ったが兵一郎はどうしても西へ行く気がしなかった。それはまた絡新婦(じょろうぐも)のような摩訶不思議なものとの対峙がある気配を察していたというのもある。
    (西へ行けば同じようなことがあるかもしれぬ)
    兵一郎は寺子屋の運営も任せるぐらいの門下生が育ったというのもありようやく西行きの気持ちに踏ん切りが立った。
    牛太に事情を説明する。
    「とうとうその時がきたか」
    牛太は留守番は任せろと言い兵一郎は安心して西へと旅立った。
    西の村へ入って直ぐの所に西来訪(セイライボウ)という名前の宿があり兵一郎はそこに一泊した。西来訪(セイライボウ)は古いが頑丈で長い歴史がありどこか西洋の雰囲気を印象づけた。部屋には一枚必ず誰が描いたのかわからない作者不遇の絵画が飾ってあったがもしかしたら絵画がそう思わせているのかも知れない。
    西の宿と言ったら数は限られる。西へ向かう客人はおおよその人がここへ泊まるはずだ。
    宿は繁盛していた。殆どの部屋がうまっている。
    兵一郎は受付の順番を待つ間中庭が見える席に座りおそらく今開いたばかりの黄色い花を鑑賞しながら一句を考えていた。
    (こんなゆっくりとした時間は久しぶりだ)
    忙しそうに廊下を歩く女中をつかまえて尋ねてみた。
    「この辺にお地蔵さんはいらっしゃいますか?」
    「ええ。ありますわ。遠くありません。この先の右手にのぼる丘をあがると途中にがな(ひらがな)地蔵があります。水子のお地蔵さんですからそりゃ可愛いお顔をしてらっしゃいます」
    と聞いた。
    (思ったより早くお地蔵さんが見つかった) 
    早速兵一郎は次の日の朝にその場所へ向かった。

    西の里は朝が遅い。いつも通りに起きるが外はまだ暗かった。手持ち無沙汰になりしばらく部屋の中をうろつくが腹が空くのでそれをやめた。
    (そうだ)
    と中庭の見える椅子の席へ移動した。うっすらと昨日咲いていた黄色い花を鑑賞する。薄暗くてもその発色がいい黄色の色ははっきりと鮮やかさを強調していた。
    (あの花は何という花か?そう思いながらも一句をとなえる。
    「西宿のつらき想いも黄色かな」
    すんなりと出た。今日はなんだか良い一日になりそうな気がした。外はほのかに明るくなりガラガラと一番戸を開ける。
    「いってきます」
    と誰もいない宿の玄関を後にした。
    斜度がある丘もすんなりと上れた。昨日の女中の言った通りだった。丘を登り切る一歩手前。そこにお地蔵さまがある。
    兵一郎はいつも通りのようにお地蔵さまの背中に書いてある文字を読む。
    (こやすじぞう)
    意味がわからず、首をかしげるが、とりあえず両手を合わせて拝む
    「おはようございます」
    1人の若い女性が現れた。美しい若い子だった。会釈だけをして帰ろうとしたときに、若い女性が手にしている。黄色い花が目についた。
    (あれは薄あかりの早朝に見た。宿の中庭にあった花と同じ?)
    思わず声に出して話しかけてしまった。
    「その発色が鮮やかな黄色い花は何と言う花でしょうか?」
    「ハマカンゾウと言います。花言葉は”悲しみを忘れる”こんなにも鮮やかではっきりした黄色い花は珍しいです」
    「ハマカンゾウ‥。まるで人の名前のようだ。もし同じ名前の人と出会うことがあれば、やはりこの花のように人を魅了するような明るい人なのでしょうね。」
    クスクスと若い女性は笑い、”それでは”とお地蔵さんの元へ参りハマカンゾウをお地蔵さんの両脇に飾りつけた。
    宿までの帰り道は、お地蔵さんの事はすっかり忘れ、若い娘のことばかりで頭がいっぱいになった。こりゃいかんと朝の誰も起きていない。静かな玄関をそっと開けた。
    (風呂だ。風呂)
    と、気分をごまかそうとする。宿の朝風呂につかりながら。ハマカンゾウと若い娘と、早朝の清々しさを1句唱えようとしたが、やはり若い子の顔ばかりが、ぐるぐると空回りした。
    (こりゃいかん)
    咲いた花ほど存在感が大きい、とはよく言ったものだ。
    お湯の中に顔をつけてぶくぶくと遊ぶ。ここの湯は相性が良く、長風呂になってしまった。

    女将の所へ行き、今晩も1部屋空いているのか?と聞くと、同じ部屋を工面してくれた。ゆっくりとした時間はお金で買えるのをこの時実感した。この宿気に入った。心の中では、宿が決めてと言うより、明日の朝が待ち遠しいのだろう。?と自分を問いただすがそこは責めない。宿が良いからだと言うことにしておこう。
     時間が豊富にあるので、宿の中で働く人たちを見ていた。人の働く姿はなぜこんなにも美しいのだろう。西の山や海の景色よりも人の働く姿の方が美しい。人が建物を活気づかせ、人が山や海を美しくする。働くこととは美しさを作ることかもしれない。兵一郎は寺子屋の方は今どうしているのだろう?とこの場所とは対照的に寺子屋で待つ門下生のことを考えると寂しくなった。

    次の日の朝。1番戸を開けようとすると女将がやってきた。
    「まぁお早いこと。ちょいとお願いがありますが、よろしくて?」
    「まぁ良いですが、要件によります」
    「散歩ならこの先の丘を登ると景色が良いのでお勧めです。もしそこへ行くなら丘の登り切る1つ手前にひらがなで文字を書かれた、がな地蔵さんがいらっしゃいます。そこによく拝みに来る若い娘がおりまして、もしいたらこれを渡して欲しいのです」
    見るとおはぎである。
    「今日が命日ですから、きっといらっしゃるはず。お供え物があったほうがお子もきっと喜ぶでしょう。」
    兵一郎は話に興味があったが、顔に出さずに分りましたと一言で承諾してしまった。
    (命日?お子様?そしてなぜおはぎ疑問に問いた方が頭がスッキリしたのに)
    期待に胸膨らましてがな地蔵さんをめがけて走るように歩いた。
    丘へ登ると彼女だ。
    お地蔵さんの前に彼女がいる。女将に言われた通りにおはぎを黙って渡すと、彼女は思いを吐き出すように喋りだした。
    「もう5年になります。こうやって来れる時はここへ拝みに来ております。おはぎはなくなった旦那の好物でした。」
    語り出した話の内容は、お子を授かったが戦で旦那を失い、そのショックでお子を流産してしまったと言う。ここにあるお地蔵さんは、亡くなった。小さい子供の霊を供養し、新しい命に再生する水子地蔵だ。娘は隣村からこの数日か拝みに来ている。私と同じ宿に泊まっているらしい。名はおりん。兵一郎は何故かこの女にどこか近しいものを感じていた。
    (この女性とこの先どこか一緒になる気配のようなものを察する)
    それにしても辛い話だ。兵一郎は話をそらすように
    「そのハマカンゾウの花はどこから持ってきたんだい?」
    と、聞くと、隣村の実家から歩いて、すぐの浜から摘んできたと言った。
    「ハマカンゾウが浜風になびく姿を見てみたいものです」
    と、思いつきで言うと
    「それでは見に行きましょうか?」
    と言う答えが返ってきた。思いがけない返事に胸が踊った、2人揃って宿に戻る新と静まり帰った玄関をそっと開けると女将が現れた。
    「お帰りなさい」
    丁寧な挨拶気持ちが良い。この宿はこんな女将のおもてなしがあるから良い宿と言われるのだろう。気の計らい、人へのおもてなし。それは心のおもてなしなのだ。
    「あお二人一緒だったのですね。良いお天気で何よりです。さぞ拝まれた方も喜んでいらっしゃるでしょう。」
    「今頃おはぎを召し上がってますわ。いつもありがとう。」
    朝から頬が上がる会話だ。2人はすっかり顔なじみのようだった。
    私たちは身支度をし、女将に別れを告げ、宿を出た。
    休み休み半刻ほど歩くと隣村へ入った。村の西側には、海がある。村へ入ると、独特な浜の香りがした。海に近づくにつれ、風が向かってくる。あまり嗅いだことがない香りなのに、どこか懐かしく感じるのは、自分の体のどこかに、海の記憶を隠し持っているからなのだろう。
    海に出た。
    今朝見た太陽が海へ向かって落ちていくようだ。
    「こちらよ」
    緑の天然芝を歩き、岩場の近くへ移動する。
    「これは美しい」
    ハマカンゾウの鮮やかな黄色の群衆が、風になきその一帯を明るく鮮明に彩っていた。
    海の深い青、ハマカンゾウの黄色、そして緑の絨毯。風に揺れ動くハマカンゾウの黄色が海面を泳いでいるように見え、それが波のしぶきと相まって、圧倒的な華やかさがあった。
    「ここは天国ですか?」
    彼女はクスクスと笑って答える。
    「何をおっしゃいますかご覧なさい。私たちには動く手と足がある。ここにちゃんと生きてますよ。」
    兵一郎は彼女の言う通りに手と足を動かした。この目の前の光景と横で笑っている。彼女は確かに夢じゃない。そう実感したときにツツッと目から涙が溢れた。生まれて、はじめての嬉し泣きだ。兵一郎は目一杯幸せを感じたのである。
    おりんが手ぬぐいを貸してくれた。
    大粒の涙が手ぬぐいを湿らせた。水玉模様の手ぬぐいだ。私はこの瞬間を海と風とハマカンゾウの香りを一生忘れない。

    第6章 お誘い
    数日が経ったある日、兵一郎がいる寺子屋へ馬に乗った一隊が現れた。
    「何事ぞ!」
    兵一郎は急いで外へ出た。
    籠から品の良いご隠居が降りる。
    「兵一郎という者はおるか?」
    「私ですが」
    と言うと、もう一つの別の籠から、先日の娘が着飾った格好で姿を見せた。
    「おりん!おりんなのか?」
    (揚げ帽子に振袖。これはどうしたことか)
    ポカーンと状況が読めない兵一郎。
    「お前はこの娘を好こうか?」
    「何を突拍子に」
    「はっきり言えい!娘を好こうか?」
    「好きや!」
    兵一郎はみんなの前で恥ずかしかったが、美しい目の前の娘にしっかりと向き合っていった。
    ご隠居はにったり笑い、自分の素性を明かし屋敷へ来いと言った。
    それだけ言い放つと兵一郎は理解ができず、呆然とし一隊が目の前から消えていくまで、ただ立ち尽くし、いつまでも彼らを見送っていた。
    その夜は、寺子屋で集会が開かれた。
    「兵一郎さん本当にかれるのですか?」
    「お前騙されているのではないか?」
    「ここの寺子屋はどうするのですか?」
    口口に意見が飛び交う。
    「いやいやい。お前らいいかこれはなぁ。初めから決まっていたことなんだ。私は知っている。あれはまだ兵一郎が若く私の心は進んでいたときの出来事だ」
    牛太が割り込んで説明する。
    「またそれですか。その話は何度も何度も聞かされてますし、現にこうやって本にもなっている。そうじゃなくて、我々が言いたいのは兵一郎さんがいない寺子屋なんて、先々不安でしかないんですよ」
    兵一郎は豪快に笑った。面白くて、しょうがない。
    「お前たちもまだまだだなぁ。特に平八。お前だ。いいかよく聞け。寺子屋は学ぶところとばかり思っているようだが、それは違うぞ。みんなで学びを集め、それを深めてみんなで教え合う場。それが我らの寺子屋だ。平八。お前はもう大丈夫だ。学ぶのはもう充分。いい加減その知識を皆に伝えよ。蛹は蝶に。セミは夏に泣くように皆に伝えよ。これからの世の中を頼むぞ。」
    「おい。俺にはないのかよ。そんな言葉」
    「牛太は大丈夫。皆認めている。お前もいつまでも私に頼ってないで自分を出せ。お前には書の素質がある。もっと書け。戯作者になるのだ。すぐに寺子屋の今までの記録と、これからの記録を世に出すのだ。」
     兵一郎の心は決まっていた。あの子が忘れられない。ハマカンゾウの香りがいとおしくてたまらなかった。
    「これから兵一郎さんはどうするのですか?」
    平八が聞いてきた。
    「より大きな高みへ向かうよ。ご隠居からもっと人が幸せになる。世の中の作り方を教わり、世の中を変えて見せるよ。」
    おおー。と部屋中に歓声かおきる。

     早速兵一郎は西の御隠居へ返事をするために移動した。その日のうちにご隠居へ返事をすると歓迎された。荷物をまとめてすぐに来いと言ってくれた。気持ちは嬉しく、心は軽かったが東の村を出ていよいよ西の人間になってしまうのを想像すると、心のどこかが引っかかる。足取りは重くなった。生まれた故郷を出ると言う事は少々の不安もつきまとう。それはしょうがないこと。何より寺子屋の仲間と離れるのが今になって辛くなった。
     その夜は、西の宿「西来訪(せいらいぼう)」へ1泊することにした女将に、これから私は西の人間になりますと言う話をしたら、自分のことのように喜んでくれた。祝いにおはぎを握ってくれると言う。ここにいる女将も、また幼くして、この宿で働き、ひらがなでしか読み書きができなかった。少しずつでいい。漢字を教えてくれと頼まれた。
    それぐらいたやすいです。と答えた。
    西に住むものも、こうして少しずつ自分を頼り、学問に対して前向きな気持ちになってくれたら、不安なく長くやっていきそうだと思うことができた。

     その夜兵一郎はなかなか寝付けなかった。ご隠居や東の仲間たちにあー行ったもの。これでよかったのだろうか?
    兵一郎はあの日の夜を思い出していた。
    丑三つ刻の夜、若武者に教わった数々の行い。作法、剣術、学問、人間の怖さと喜び、そして家族。絡新婦(じょろうぐも)を含め魂を成仏させてからは丑三つ刻に目を覚ますことは無かった。あの夜は特別な夜だった。そして今夜も。‥。
    兵一郎は何年ぶりかに寝付けずにいた。今夜は満月。兵一郎は思いついたように、布団から起き出し、女将がこしらえてくれたおはぎをしばらく眺めた。月明かりの仄かな明かりの中、小豆の独特な赤みがかった色合いが美しい。
    (今夜は月を見ておはぎを食べよう。祝の宴だ。)
    そんな粋なことを想像しながら、徐々に夜も深くなり、とうとう丑三つ刻の時間になってしまった。音と言う音が消え、現実はあの世とつながる開いた時間となる。ふと何か気配を感じた。
    あの時と何か似ている。おはぎを抱え外へ出てみる。雲の切れ間から、月の光がチラチラと兵一郎の影をつくった。月夜の丑三つ刻。。

    「準備はいいかい?」
    驚き振り返ると、いつの間にか、がな地蔵がそこにいた。可愛らしいお顔でこんなことを言う。
    「準備はいいかい?」
    兵一郎は何のことを言っているのかわからずに聞いた。
    「準備とは何のことですか?」
    すると
    「ふたりのお子のことよ」
    聞くとおりんは結婚し子供ができると言う。
    「なぜ2人なんだ?」
    「ひとりは水の子。もうひとりはお前たちの子だ。」
    「その子らはどうなる?」
    「お前たちの子が水の子と引き換えに成仏となるだろう」
    「何を!なぜ私たちの子を連れて行く?」
    「毎年毎年命日に現れ、生き返ってほしいと拝まれたらそりゃあ生き返すことが地蔵の宿命だろ。この機会に願いを叶えてやろうじゃないか。去った命と新しい命、その重さは同じ。」
    「だめだ。新しい命を奪うな!」
    「それなら契約しろ。新しい命とお前と女。どちらかの命と交換だ。」
    「ちくしょう。。どうしてそうなるんだ!」
    「これはなぁ全て決まっていることなんだ。お前が彼女と出会ったのも絡新婦(じょろうぐも)を成仏させたのも」
    「なぜそれを知っている?道は決まっているだと?それなら新しい道はできぬものなのか!」
    「戦乱の世が終わらぬ限り、これは全て決まっていることなのだ。お前たち人間は殺し合うことをやめない。だから、私どもが全て道筋を決めてやらないといけない。これは運命なのだ。」
    「何が運命だ。戦乱の世でも必死で生きようとするものがいる。誰が命を粗末にするものか。戦を産むものはいつも上役の人間たちではないか。何も不自由しないものに戦をらせたのは、お前たちではないのか?貧しいものは戦でさらに貧しくなる。矛盾している。何もかもが矛盾している。これがもしあなたたちの作る運命だとしたら、私は今まで何のために生きてきたのだろう。ただの道具扱いじゃありませんか。成仏した若武者殿は言っていました。生きると言うのは、必死に自分の道を探すことじゃないんですこの道を歩むと言う事は、人の道から逸れないということだ。と」
    「ムフフ。ぶれないですね。さすが兵太郎の子孫。だが、そうはいかぬ。ここで打ち止めだ。これ以上、お前たちの血筋を残されると、我らの居場所がなくなる。」
    がな地蔵はその姿を大きく変える。本来の姿は化蜘蛛(バクモ)だ。
    「何っ!お主、まだ生きておったか!」
    「兵一郎!覚えておらぬか!あの時、お前が絡新婦(じょろうぐも)を討ち取った夜のことだ。
    お前と牛太が屋敷へ侵入する時にお前たちが屋敷の入り口で蜘蛛の糸を拭い払ったあの時の蜘蛛を!」
    「まさか!あの時に外へ逃げ出したというのか?」
    「ああ。そうだ。あれから数年間こうしてひっそりと地蔵に化けて人間に悪さをしている。さあ、お前が身代わりになれ!」
    兵一郎は数年前を思い出す。
    (確か目を見るな!心を奪われる。だつたな)
    「へへへ。悪いがあの時とは違うぞ。丑三つ刻はこちらが有利なんだ。開いた時間はこちら側のもの」
    「お前をあの世へ引きずりこむ。さぁ連れていくぞ。あの世へ」

    #創作大賞2026
    #ホラー小説部門










     「おっ。イマさん。これから宜しくお願いします。
    カナ側の兵士には戦場の戦い方や人の使い方を学び
    寺子屋のようなものを時代に設立。
    しまいには平仮名太子のところへ行け、という。
    そこには平仮名文字を彫るカナ地蔵彫り師がいた。
    そこは恋愛の神様。兵一郎は平方文字を毎日見届けにくる一人の女の子と知り合った。そしてその娘は大富豪の娘。
    兵一郎はそれからというもの夫婦でのんびりと晩年を過ごしそうです。二万文字!!


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