
「未来の自分、これ喜ぶかな」_自分と協力して生きていく
「自分で自分の機嫌をとる」
「自分を喜ばせる」
よく聞く言葉たち。
それが簡単に出来るなら苦労してない。
些細なことも大きなタスクみたいに感じて、
「やらなきゃ」が頭の中を埋めていく。
娯楽も休息も、
どこか窮屈に感じることが多かった。
したいことですら、
いつの間にか「やらなきゃ」に変わっていた。
好きで始めたことも、
自分のための時間も、
「自己肯定感を上げるために」
「ちゃんとした自分になるために」
と、目的がズレていっていた気がする。
だからずっと、
何をしていても自由じゃなかった。
昨日、
一旦「やらなきゃ」から離れたいと思い、
平日だけれど実家に避難した。
今朝は、母の方が家を出る時間が早かったけれど、
野菜スープを用意してくれていた。
急に帰ってきたし、
いろいろしてもらっているし、
少しくらいは、という気持ちももちろんあった。
でも、それだけじゃなかった。
帰ってきたお母さんが、
少しでも嬉しくなるように。
少しでもラクできるように。
そんな気持ちで、
布団を整えて、
お皿を洗って、
少し片付けをして家を出た。
もしお礼を言われなかったとしても、
(母はきっと言ってくれるけれど)
その行動をした時点で、
なんだか気持ちがよかった。
その時に気がついた。
「ああ、これを自分にもしてあげたらいいんだ」
と。
やるべきことをすることも、
お茶を飲むことも、
片付けることも、
好きなものを見ることも、
ゆっくり寝ることも、
「自分を管理するため」じゃなくて、
“自分に心地よくいてほしいからやる”
お母さんに自然に向けられた優しさを、
「未来の自分」にも向けてみる。
「このあと少しラクになるかな」
「帰ってきた時うれしいかな」
「朝の自分、助かるかな」
そのくらいの温度感。
それは、
“自分を改善する”じゃなくて、
“自分と協力する”ということではないかと。
「これをしたら未来の自分、喜ぶかな」
そうやって動いてみる。
そして、
未来の自分が嬉しくなれたら、
過去の自分に
「ありがとう」って言ってあげる。
大袈裟かもしれないけれど、
今回の気づきってそういうこと。
今までみたいに、
「過去の自分のせいで苦しい」
じゃなくて、
「過去の自分が助けてくれた」
なんて素敵な体験、これからしていきたい。
そしてこの生まれた思いと、
両親からの愛を改めて感じて、
「自分を好きにならなきゃ」
じゃなくて、
「好きでいたい」
そう思えたことも、
私の中では大きかった。
“好きにならなきゃ”は義務だけど、
“好きでいたい”は願いだから。
無理やりじゃなく、
ちゃんと自分の中から出てきた気持ちな気がした。
自分を責めないようにしよう、
味方になろう、
って言葉で無理やり変えようとしていた時よりも、
今のほうがずっと自然だった。
言い聞かせることさえ義務化していたから。
これからは自分を変えようとするより、
まずは自分を助けるように生きていきたい。
未来の自分が、
少しでもラクに、
少しでも心地よく過ごせるように。
大切な人に向ける優しさを、
これからは自分にも向けていけたらいい。
そしていつか、
未来の自分が自然に、
「あの時の私、ありがとう」
と思える関係性でありたい。
その先の未来の自分をもっと
喜ばせたくなっているはず。
その繰り返しで、
少しずつ少しずつ
自分との関係を育てていけたらいいな。