
なぜ祭りは続いてきたのか?
「江戸三大祭」の筆頭であり「日本三大祭」に数えられる、日枝神社の「山王祭」。
その山王祭でも特に壮麗な行事「神幸祭」を撮影しました。🏮
その撮影を通して感じたことを綴ります。
日本三大祭の一つ、山王祭について
東京の霞が関付近に鎮座する「日枝神社」の祭りで、江戸時代から400年以上続いている東京随一の大祭です。
中でも2年に1度行われる「神幸祭」は特に
壮麗で、東京都心を約300mにわたる神幸行列が練り歩きます。


▼日枝神社 山王祭 ホームページ
祭りとは、祈りと交流の場
①祈りの場面
山王祭は歴とした神社の神事です。
特に大きな祭事である神幸祭では、1日かけて神幸行列が華やかに都心部を練り歩く途中、何度か神職や巫女による神事が執り行われます。
簡易的に設置された神棚の上にはお供え物が置かれ、神棚に向かって神職が祝詞を唱え、巫女が雅楽に合わせて舞います。
一連の神事を、周囲の人々は静かに観ていました。
耳に響くのは、祝詞を唱える厳かな声や舞の雅楽、柏手の音、風の音。都会の喧騒から切り離された空間。
神事が執り行われる現場は、神秘的な空気感が漂っていました。
神事の現場は、国立劇場前や皇居外苑の坂下門前など。そこは神社ではないけれども一度神事が始まると空気は一変、
皆がまるでそこに神がいますかのように振る舞うその言動が、空間に漂う神秘性を醸し出していたのだと思います。
天下泰平、國土安穏、聖寿無窮、万民豊楽。
山王祭で捧げられるそれらの祈りは、時代を超えて受け継がれる。
それらの祈りを込めた人の心が、国立劇場前や坂下門前を神聖な場所に変えたような気がしました。
祈りの心がなければ、神聖な空間は生まれない。
祈りの心がなければ、祭りは生まれないし、受け継がれない。
祭りの原点は、祈りの心だと思います。

②交流の場面
神幸行列を追っていると、ある光景を見ました。神幸行列の人々が沿道の人々に手を振っていたんです。
先生達と見に来た地域の園児達、
靖国神社前に集まって祭りを見ていた人々、
そんな沿道の人々と神幸行列の人々が手を振り、園児達はタッチして、皆が笑顔になっていました。
この光景を見て僕は気付きました。
「祭りを通して、地域の人々は交流している」のだと。
山王祭は神様に祈りを捧げる神事であると同時に、地域の人々が触れ合って地域の一体感を再認識する機会でもある。
山王祭は、コロナ禍で数年間中止を余儀なくされました。
それでもコロナ禍が明けたら再び祭りは再開され、今年も多くの地域住民や観光客が祭りに参加しています。
その再開の舞台裏にはきっと、祈りの心と共に「地域のために」という心もあったのだと思います。
祭りが再開されるということは、そこには人々の想いが凝縮されている。
過去400年間いくつもの苦難を乗り越え、
今も祭りが継承されていることには社会的に大きな意義がある。
その意義の一つに、人々の交流というものがあると気付かせてもらいました。


人の心が、祭りを未来へ残していく
なぜ祭りは続いてきたのか?
それは、祈りの心と、人や地域との縁を大切にする心を人々が受け継いできたからだと思います。
その心が、幾度もの困難を乗り越えて今日に至るまで祭りを継承してきたのだと思います。
日本には全国津々浦々、大小さまざまな祭りが残っています。
人口減少や過疎化による地域の衰退など様々な社会課題が全国で懸念される中で、
祭りの存在は、人々が活気ある未来を作るための大きな心の拠り所となるのではないか?
僕はそう思います。

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