
私にとっての鑑定会は、一夜限りの花火大会
いつの間にか書くことが日課になり、様々なジャンルでnoteを書いています。
普段は文章を書いたりコンテンツを作ったりと、基本的には一人作業が多く、自分の頭の中だけで完結する世界に生きています。だからこそ、私にとって「人と関わること」によって得られる何かは、とても貴重で特別なものなのです。
「大切な記憶」を書き残す理由
他人との関わりが頻繁で、人間関係が円滑で上手な方には、あまりピンとこない感覚かもしれません。私は人間関係においてかなりのコンプレックスを抱えて生きてきました。だからこそ、人との触れ合いの中で温かい気持ちをいただいた経験は、私の中に「過度なほど大切な記憶」として残ります。ある意味では、その記憶を風化させずに残しておくために、私はこうしてnoteを書いているのかもしれないな、と思います。
当たり前ではない、お客様からの温かいお気遣い
先日、リアルでの対面鑑定にお越しくださったお客様がいました。 その方は以前、私がやっていたクレープ店にも来てくださった方です。

鑑定の際、足を置いていた台を壊してしまったことをとても気に病まれていました。(と言っても、元から少し弱くなっていた椅子だったのですが…)
ちょうど、足がむくむときがあるので、新しく頑丈な椅子を活用させていただくことにしました。

のせていると足がとても楽で、本当にありがたいです。
こういうことを書くと、今の時代「自慢話」のように受け取られてしまうこともあるかもしれません。でも、シンプルに「お気遣いに感謝する」という言葉しか思いつかないほど、感謝でいっぱいなのです。

今のこのご時世、お土産を用意するだけでも、思いやりの気持ちがなければなかなかできないことだと思います。ましてや、こちらはすでに鑑定料をいただいている身です。その上で、さらにこうした過分なお気遣いをいただくことは、日頃普通に過ごしていたら、当たり前ではないです。
ただ、掲載すると「持ってこないといけない」みたいには思わないでほしいです。もちろん、手ぶらでいらしてください!
他にも…冷凍しちゃったんですけど、、、



様々なお客様のたくさんのお気遣いに感謝しています。
だからこそ、つい忘れがちになってしまうこうした温かさを「文字にして残していく作業」は、私にとってはとても大切です。
ふと、以前書いた「白紙」という自己紹介のnoteを読み返してみました。 当時の私は、クレープのお店を廃業したばかり。SNSを一歩引いた目で見ていて、「文章をちゃんと読んでくれる方がいる媒体で書こう!」と、必要な方に届けられそうな場所を探してnoteを始めました。自分の枠は「真っ白な白紙」で、すべてをゼロにするような気持ちだったのを覚えています。

私にとっての鑑定会は、一夜限りの「花火大会」
自分の枠を超えたオレンジとグリーンの場所に、かつては私の好きなものだけを詰め込んだ(私の枠の少し外の世界)がありました。

でも、その外側にはもっともっと、色とりどりな人たちがいたのです。
その人たちが、私のところに少しずつ近づいてきてくださるからこそ、いろんな色が混ざり合い、1日の中に「特別な日」が生まれる。まるで、夏の限られたイベントの日時だけに花火が上がるような感覚です。
お客様は、私のアドバイスや星読みの鑑定を求めて、予約をしてくださいます。ですが、私の方こそ「誰かに必要とされている」という経験に、救われているのです。
「必要とされない」暗闇があったから、今がある

かつて雇われて働いていた頃、私は過度なあがり症で「必要とされない」「仕事がもらえない」という経験を何度もしてきました。
仕事をもらえないということは、誰からも必要とされていないような感覚。上司や先輩から声がかかるのを待ち続け、、、午前中のわずかな仕事を終えると、昼から何も頼まれることがないまま椅子に座り続ける。
その時間は、思っている以上に苦痛で、自己価値を下げ、自尊心を深く傷つけられるものでした。
だからこそ、今こうして少しでも「必要とされる経験」ができることは、私にとって本当に貴重なのです。
それはまるで、1年に1回しか上がらない花火を見るような感覚です。 暑い中で浴衣を着て出かけて、花火が上がるまでは人混みや準備が面倒に感じられることもある…。
それは決してイヤだという意味ではなく、私の中にある心地よい「緊張感」のことです。
その緊張感のあと、夜空に花火が上がって「ドン」とお腹に響くような花火の音。と共に日常にはない美しい光景。 あの、何とも言えない不思議な感動。 私にとっての鑑定会は、まさにあの花火大会のようなものなのだと思います。今回添えた画像は、そうした事を考えながら作りました。
以下の画像だけは、上の二つの画像を見せたら、AIが作ってくれました。

これまで私は、縦の枠を軸に自分の世界を「白紙」だと捉えていました。 ですが、それを一度横にしてみて、視点を変えてゆっくりと見つめ直してみると、そこにはまた全く違う新しい世界が広がっていたのです。生まれ育った環境や立場などは関係なく、「占星術という星の世界を好む」という共通項を持つ人たちとの関わりの中に、その世界はありました。
もしもあの時、恩師からの「アルバイトに来ない?」という誘いを断っていたら。 そして、「もっと技術を高めて見返してやり〜」という主人の言葉を無視して、占星術の知識を高めようとしていなかったら。
今のお客様の中には、決して出会うことも、お話しすることもなかっただろうと思う方たちがたくさんいます。
実は私は、まだ知識が浅い段階で占いの仕事のチャンスが舞い込んできたため、学びを深めきれていない面がありました。それに加えて、性格的な抜けもあり、当時はそこを厳しく叩かれていた時期があったのです。 主人は私と違って勉強好きで、もともと地頭(じあたま)?が良い人だと感じるので、彼からたくさんのことを教わることもできました。
それに、昔は「占いは当たるか当たらないか」が重要視される時代でもありました。だからこそ、「お客様に失礼のないように」と、本業として走り始めた頃から、少しずつ「もっと知識を高めよう」という意識に変わっていったのを思い出します。
午後からは椅子に座って待つだけ「新入社員時代」
今でこそ、こうして自分の看板で仕事をしていますが、私には根底に「他人と関わることを恐れる自分」がいるのかもしれません。「相手に失礼をしていないだろうか」と、異様なほど気にしすぎてしまう一面もあります。
その根っこには、やはり高校を卒業してすぐに入った会社員時代の苦い記憶があります。 その後も私は、何度も「必要とされない」「仕事がもらえない」という経験をしてきました。
当時は、ただただ辛く…。
けれど、時が経った今なら、少しだけ違う視点で見ることができます。 あの頃は分からなかったけれど、私に仕事をくれなかった先輩も、実は「自分の仕事を失う恐怖感」と戦っていたのかもしれないな、と。そして私自身も、当時はまだどこか鈍いタイプで、知らず知らずのうちに周りに失礼を働いていたからこそ、仕事を任せてもらえなかったのかもしれません。
上司がわざわざ私の自宅まで謝罪に来てくださったことがありました。 けれど、その時の私はすでに精神的にひどく病んでしまっていたのか、どうしても怖くて、インターホンが鳴っても玄関に出ることができませんでした。
傷つくリスクを背負ってでも、自営業が良い
そんな風に、社会の片隅で心を閉ざしていた時期があるからこそ、私にとって自分の知恵がそのまま形になる起業家のスタイルは、リスクがあり、ダイレクトに傷つくことも多いですが、一番しっくりときています。上司や先輩、同僚の顔色をうかがいながら過ごす毎日は、私にとって何より大きな負担だったからです。
傷つくリスクを背負ってでも、自営業が良い。 そう思えるのは、私の星読みを必要とし、わざわざ予約をして、細やかなお気遣いまで持って会いに来てくださるお客様がいるからです。
暗闇にいた私の世界に、彩りを添え、特別な花火を上げてくれるお客様への感謝を。 日々の暮らしの中で見落としてしまいそうな温かい光を、私はこれからも、このnoteに書き残していけたら幸せです。