メインコンテンツへスキップ
見出し画像

パラレルワールドにやって来た。

    はじめに

    #創作大賞2026
    #エッセイ部門

    お昼は化学プラントの設計会社と夜は飲み屋を経営してるロックベーシスト&アコースティックインスタギタリスト&Jazzシンガーの裏千家で講師をしている後もう少しで70台が出そうで出なくてなかなかシングルプレイヤーになれないオッサンゴルファーが、ある日突然。天使に一撃喰らわされたお話です。 
    ちなみに、エッセイなのでもちろんノンフィクションです!





    第1章『左に傾いた朝』

    2024年4月のある日の朝、それは突然やってきた。
    その日、朝風呂に入ってた。そろそろ出るかと浴槽の中で立ち上がった時、なぜか体が左に傾く気がした。なんか変な感じだが浴槽から出て立ってても左側の壁にドンともたれ掛かってしまう。
    何かわからないまま風呂から出て体を拭いて軽く髪の毛を整え着替えをした。
    仕事柄服装はスーツ姿だ。
    なぜか左足の靴下が履きにくい。
    何か自分の体に不思議な不自然さを感じたまま革靴を履こうとするが左足の靴も履きにくい。
    そろそろ自分の体の左手、左足が上手く動かない事にハッキリと気が付いてきたけど
    とりあえずマンション4階の自宅を出た。
    普段から鞄はレトロで小さめのドクターバッグを愛用してる。
    この鞄は茶色くて分厚い革製なので結構重たい。
    だからなのか普段通り左手で持つと握力不足で落としそうになる。
    このままでは車を運転して会社に向かえない気がしてきたので同じマンションの2階でヘアーサロンを経営している奥さんの店の前まで行きスマホから電話をかけた。
    後で聞いたのだがこの時の喋りも変だったらしい。
    不思議そうに出てきた奥さんに「あかんカバンが持ってられへんねん!」と訴えた私を見たその視線をそのままマンション下にある内科のクリニックへ移した様をみた私は「いやそこじゃないわ」と言ったらしい。
    この後、発熱するような病気と言うより脳の異変だと気付き急ぎ救急車を呼んでくれた。
    この後、30年ほど前に母親がくも膜下出血で手術したのと同じJ病院に運ばれた。お風呂からここまでの記憶は途切れ途切れだが次に覚えてるのは手術前に看護師さんが「尿道カテーテル入れますね」と言ったセリフを最後に次の記憶のスタートは病院のICUだった。


    第2章『せん妄』

    せん妄とは『高齢者や身体的ストレス(手術、感染症、脱水など)を抱える患者に一時的に現れる、急激な意識の混乱状態です』とAIの説明。
    集中治療室(ICU)で目覚めた時に覚えているのは救急車で運ばれてきた事とか手術した事とかではなく
    ただただ腹立たしくイラついていたって事だ。
    なぜか?
    今になって思えば、多分目が覚める前の記憶でハッキリ残っていたのは、朝風呂から出て身支度し、車を運転して早く会社に行こうとしていた事。
    ICUで目覚めた時の周りにいる人達(医者や看護師さん)が揃って早く出社しないといけない私を阻もうとしているようにしか見えていなかったのだと思う。
    これも後から聞いたことだが看護師さんに「急ぎ連絡しないといけないことがあるからスマホを出してくれ!」と執拗に懇願していたらしい。
    これまた後に奥さんに聞いたのだが『ご主人、手術後のせん妄で”怒りん坊”になってるようなので落ち着かせるためにもスマホを渡しますがICUの中はマズいのでとりあえず一時的に部屋の外に出します』と言われたらしい。
    この時この状況を知らせるために自分の経営してるバーのスタッフやらその日ランチの約束をしていた元スタッフに日本語になってない言葉で電話をしていたらしい(^^;)
    今となっては笑い話だ。
    そしてこの後普通の病室に移されたのだがそこで大胆な事をやらかした。








    第3章『ストーリーズ』

    無事手術が終わり翌日、集中治療室(ICU)から病室に移動させられたベッドの上にて
    手術の為に丸坊主にされた頭にガーゼが張り付けられ横たわってる状態をスマホで自撮りしてその写真をインスタのストーリーズに意味不明なコメントを添えて投稿した。
    この意味不明なコメントだが「脳内出血」「手術」「入院」この単語と写真の状況で見ている人には十分どんな事になっているのかは伝わったようだ。
    それが証拠に奥さんや弟に問合わせが殺到して友達同士でも連絡が飛び交ったようだ。後に奥さんが『まだ誰にも知らせてないのに何でみんな知ってんの?』って戸惑ったらしい(^^;)
    まさか昨日開頭手術した旦那が自撮り写真をストーリーズにあげてるなんて思いもよらず(>_<)
    その時の記憶は本当に微か~に残ってる程度だけれどきっと「ええネタが出来たわ」くらいに思っててこの時の自撮り写真は所謂”インスタ映えする写真” そう『バエル写真』だと思ってたに違いない!
    確かに今となっては自分のインスタページに残っているので良いか悪いかは別として思い出にはなっている(o^^o)
    過去、30才くらいの時に扁桃腺切除と睡眠時無呼吸症候群による気道拡大手術を経験したことがありこの時は一週間程度の入院だったが術後、患部は痛かった。けど今回の手術は開頭してるんやからなんかもっと凄い手術やったんやろうはずやけど大して頭が痛いわけでもなく、確かに患部は昔のように縫わずホッチキスで止めてたので見た目には痛そうだが大して痛くなかった。
    だけど、なんか左手と左足が思うように動かない。
    まだ手術して間もないのでなんかボーっとしてて手足が不自由なのも大して気にならなかった。
    病院や奥さんから、脳内出血の説明や手術内容、その結果などを聞かされちゃんと理解はしたけど如何せん実感が沸いてこない。
    ただハッキリしていたのは、しばらく入院してないとダメだって事と尿道にカテーテルが刺さったままで薄手のオムツを履かされててベッドか車椅子の上の生活を強いられている事。
    トイレへ行く時は、まずナースコールで看護師さんを呼ぶ。
    そして車椅子へ移乗し、押してもらいながらトイレへ向かう。
    個室に入ったら自分で立つが薄手のオムツは下げられ便座へ自分で座る。この時、これらの動作は全てどの程度出来るか確認されてたようだ。これは大便の時で小便はカテーテルが刺さってるのでトイレに行く必要はなかった。
    次はお風呂だ。
    術後初のお風呂はなんとベッドに寝たままデカいシャワー室?いやお風呂か?に入っていってベッドの上で寝たまま服を脱がされた(^^;)


    第4章『お風呂用ストレッチャー?』

    お風呂へは病室からベッドごとゴロゴロ転がして運び出されお風呂に向かう。
    そして別のストレッチャーに数人の看護師か介護士さん達に「せーの!」で移され裸にされて寝転んだままシャワーされる。初めての体験だがこの感じ悪くない(o^^o)
    専用のストレッチャーだろうけど転んでる分にはベッドに寝たままシャワーされてる感じだ!
    日常生活ではまずあり得ないシチュエーションだ。
    ヘアーサロンでシャンプーしてもらうあれを裸で全身やってもらう感じ…とも違うなぁ
    う~ん…例えようがない。
    体も洗ってもらい気持ちがいい!
    だがしかしここでも尿道に刺さったままのカテーテルが気になる。
    気になると言うより何かにつけてサオが動かされる度に痛いのだ。(T_T)
    このカテーテル、トイレにも行けてるのになんでいつまでも刺したままなんだ?
    なので一応担当の看護師さんには痛いからカテーテルを抜いてほしい旨は伝えておいた。
    次は食事についてだ。
    ここの病院は病室のある階の真ん中あたりにナースステーションとデイルーム(テレビや自販機がある談話室的な部屋)なるものがある。
    このデイルームにご飯を運んでもらいここで食事することが出来た。
    さてこのデイルームから外の眺めがまずまずで、ほんの1kmほど離れたところを新幹線が走っており真下は国道のバイパス(片側3車線ほどある自動車専用道路?)が走っている。
    この景観を楽しみながら食事が出来るのだ。
    なので私はこの病院に滞在中......
    いや、”入院中”は食事の時間を含め朝から晩までほとんどこのデイルームで過ごしていた。





    第5章『夜景でディナー』

    入院経験のない人でも見聞きしてなんとなく想像できると思うけど、ご想像通り病院のご飯は美味しいものではない。
    かと言って首から下の内蔵系の病気でもないので味のないクソ不味い食事でもない。が「案外美味しいで!」とも言い難い(T_T)
    前回話したデイルームだが、閉塞感のある病室よりここはガラス張りで広々とした明るい感じの部屋で4階からの見晴らしはなかなか良い。
    だからここで食べるのはなかなか良いものだ(o^^o)
    この時期、世界を騒然とさせた”コ○ナV”は既に収束していたが病院はお見舞いについてもまだまだ制約が凄くて親族以外はお見舞いどころか院内に入ることすら難しかった。
    なので入院生活はリハビリしてるとき以外『退屈』だった。
    頭の血管が切れて、手術後入院して、麻痺した左半身を少しでも元の状態に近付ける為にリハビリを頑張らないとダメな時に『退屈』ってのも変な話だが、実際それ以外することがないのでやっぱり『退屈』だった。(^^;)
    自分で言うのもなんだけど、元来好奇心旺盛で目新しいものには何でも飛びつく性格なので『リハビリ』も例に漏れず単語や意味は知ってたが興味津々で取り組んだ。
    けど、リハビリの話はまたにしよう。
    さてさて、脳卒中の術後入院してるので当然外出なんて出来るわけもなく、退屈な毎日を嘆く暇もなく何かしら楽しいことを探してたからか朝から晩までデイルームに入り浸ってた(^^;)
    たまに病室に居てスマホでYouTubeを観てたのでデイルームに居ないと後で看護師さんに『居ないからどこに行ったのか心配してました』って病室で大人しくしてたのに心配してとか…(^^;)
    このデイルームだが結構近くに新幹線が走ってるので鉄ちゃん……って言い方、今もするんかな?(^^;)でもない僕でも楽しく眺めてた(o^^o)
    知り合いから『○時○分頃ハローキティー新幹線が姫路辺り走るからそっちは○分頃に見れると思うで』とか情報を貰ったりドクターイエローが通るのを待ってみたりと地味に楽しんでた。
    そしてこのデイルーム、夜になると下を走る国道バイパスの水銀灯が綺麗に整列し南側には国内でも有名な大手の工場夜景が見える。南東の遥か向こうにはライトが点灯した明石大橋も見える。そう、なかなかの夜景なのだ(^^)v
    ここで食べる『夕食は夜景を見ながら頂くディナー』とまるでどこかのホテルのレストランのキャッチコピーになりそうなシチュエーションだった。
    と、まぁつまらない入院生活を目一杯楽しめるよう努めた。
    幕末、長州藩の高杉晋作が残した辞世の句、
    「おもしろき こともなき世を おもしろく」。まさにこれ!
    ちなみに僕は死ななかったので辞世の句はない(^^;)


    第6章『急性期病院でのリハビリ』

    生まれて初めて病院で受けるリハビリ。
    30年程前、母が”くも膜下出血”で倒れ、手術後しばらく入院してた経験はあった。その時、先生から手術内容、術前術後の説明を一通り聞いた事があったので脳内出血についてはそれなりに理解しているつもりだった。
    だからなのか今の自分の状態がイマイチはっきりしてなくて、脳卒中なのはわかってるけど母が言ってたような発病時に頭を鉄鎚で殴られたかのような激痛もなく、ただ単に左の手足に力が入りにくいだけで病院に運ばれると手術され手術後もどこかが我慢できないくらい痛いとかもない。(後に母と同じ膜下出血経験者数人聞いたのだがやはり皆頭が激痛に襲われたと聞いた)
    僕は脳の深部にある「被殻」で出血した”被殻出血”だったので出血した箇所が違ってた。
    母が患った”くも膜下出血”は、脳の表面の血管(主に動脈瘤)が破裂する脳出血でこれは発症すると激痛を伴うらしい。
    母は術後お見舞いに行った時、手をピクピク動かしながら「動かすつもりはないのに勝手にピクピク動いてまうねん」と”後遺症”みたいに言ってたが僕の場合はそんな症状もなく単に左手足がほとんど動かなくなってただけだった(これはこれで大事なのだが)
    さてそんなこんなでピクピクや頭痛はなかったが動かしにくくなった手足を元に戻すためのリハビリが始まった。
    ちゅーか、手術したばっかりやのにもうリハビリするん?てな感じやけど
    急性期のリハビリは、寝たきりによる筋力低下や関節の硬化を防ぐため、手術後すぐ始まるらしい。
    PT、OT、STと呼ばれる人達が、それぞれ足、手、言葉や記憶などを担当していた。
    てことでリハビリが始まった。
    歩けるようになるために下肢(足)のリハビリをしてくれるPT、
    上肢(手)を使えるようにリハビリしてくれるOT、
    そして人によって症状は違うが脳にダメージを受けたことにより喋りや記憶力や感情のコントロールや諸々に出た障害をリハビリしてくれるST。
    まずこのSTだがSTさんは僕と同じくらいかな?くらいの年齢の男性だった。
    僕の場合このリハビリは簡単な記憶力クイズみたいなクイズをしたりIQテストみたいなテストや世間話をしたりと『リハビリ』をしてる感じは皆無だったのでなんでこんな事してんのかな?って感じだった。
    後にこの後転院するリハビリ病院での診察結果などでわかったのは僕の場合高次脳機能障害はほとんどなかったのでこの時点でのSTさんのリハビリに謎を感じていたんだろうと思う。
    後に知ったのだが、記憶や注意力、言葉などに障害が出る『高次脳機能障害』は、僕にはほとんど出てなかったらしい。
    次は手のリハビリをしてくれるOTさん。OTさんは若い女性で助手にインターン学生を連れていました。
    このリハビリは単純に麻痺手でグーパーしてみたりテーブルに座って前方に何かしら物を置いてそれを麻痺手で取りに行くというものとか、なんだこれ?というようなリハビリだが動かしたい手が動かないなど経験したことがない感覚なので少しイラつく(^^;)
    テーブルの上にコップのようなものを置いて「これを取って下さい」時間をかけて『うーん!』てな感じで力を出して必死で目の前のコップを取りに行く。すると今度は少し置いてる位置を左右にズラして「じゃあ次はこれを取って下さい」 同じくまた『うーーーん!!』とまるで念力で物を動かすのか?のように腕を動かして取りに行く!
    するとOTさんが『えっ?取りに動かせてますね!凄い凄いどうやってんの?』みたいにおだてられて「超能力でモノを動かす要領で力を出して動かしてます」と得意げに答えたりすると『ふぅ~ん。。じゃあ上肢は3かな』と何かメモしてる。
    この数字の3の意味は後にわかるのだがその話はまた今度。
    次は足のリハビリをしてくれるPTさん。PTさんは僕より20才くらい若い男性だった。
    リハビリ室のベッドに転んで足をマッサージしてもらったり自力で曲げたりひざを立てて保持したりと最初のはそれくらいだったがそのうちリハビリ室の平行棒の端で車椅子から立ち上がり平行棒中で非麻痺側の手で棒を持って立ち上がったり歩いたり次は装具を麻痺側の足に装着して歩いたり(歩くときは勿論PTさんに介助されて)。
    そのうちPTさんに介助されながら杖をついて歩いたり。
    そしていよいよ車椅子でリハビリ室の外に出て院内の廊下(廊下には必ず壁に手摺がついてる)を介助されながら歩くリハビリにどんどん進んでいった。この頃は杖をつきながら歩くのが滅茶苦茶嬉しかったし楽しかった。
    ナースステーションの横を歩いてる時など顔見知りの看護師が居ると声に出す余裕はないが「おーい見てくれ!」って気分だった(^-^)
    兎に角、気分良かった。

    第7章『転院』

    ここ、手術した急性期病院では毎日STさん、OTさん、PTさんとリハビリに励んでいた。それ以外はほとんどデイルームで過ごした。今思い返しても毎日デイルームで何をやってたのか思い出せない(^^;)
    ただ景色を眺めたりご飯を食べたりテーブルの上に朝、昼、夜の食事をお盆ごと置いてもらい車椅子のまま食べる。そしてそのお盆を片づけてもらい今度はマグカップに水と歯磨き粉と歯ブラシを渡される。
    さっき食べたそのテーブルで車椅子に座ったまま歯磨きをしてマグカップに入った水でクチュクチュペッで水受けに吐き出す。
    まぁこういうとこが入院患者たらしめる行為なんよな~
    この頃は、自分が置かれている状況については理解していた。
    ただ、あまり深く考えてはいなかった。
    先の事も、ほとんど考えてなかった気がする。
    それより、
    「早く退院して会社に行かなアカン」
    そんな事ばかり考えていた。
    会社の方は放ったままの事務処理。
    今月の請求。
    店の方は開けないと困るスタッフ達。
    何も出来ない状態なのに、妙に焦っていた。
    夜の店の営業では新しい企画を考えてどうやって実行するかとかそんな事も考えまくってた…
    現実味はないのに(^^;)
    そんなとき転院の話が出てきた。転院?ああ、八方塞がりのこの状況から抜け出せるかも!くらいに思ってたのだが、どうやら今居る急性期病院にはずっと居れないらしい。ひと月くらい経ったこの頃、この後リハビリ病院に移ってリハビリするらしい。
    で、どこの病院にするか?2、3の候補の中からリハビリするには一番人気らしい病院に移る事に決まった。
    そんな時、看護師で同級生のKFさんからタイムリーなLINEが来た。
    「そろそろ転院するんやろ?どこに行くか決まった?」って。
    『うん。○○リハビリテーション病院になったわ』
    「えっ!そこって私が勤めてる病院やで!」
    実は彼女その病院の看護部長なのだ。
    「いつ来るか決まったの?」
    『うん。GW開けに行くから。』
    この後彼女は担当医、その他関係者を調べてくれて「自分の幼なじみが転院してくるからよろしく」って伝えてくれた。
    そしてなんかハッキリ状況がわからないまま、なすがままに転院していった。
    急性期病院も綺麗な中堅の総合病院だったが今度は公立のもっと大きなリハビリ病院だった。この病院は市民病院のような色んな科の外来があるような病院ではなくリハビリがメインの大きなリハビリ病院だった。
    過去僕の叔母さんがここにリハビリ入院してた事がありその時お見舞に来たことがあるので初めて来る病院ではなかったが10年以上前の事なのでもこんなとこやったかな?って感じだった。
    4人病室に案内された。そしてここでもデイルームに案内されたが当たり前に前の病院とは景色が違う。
    なんと新幹線がもっと目の前を走ってる!がこの頃にはもう外の景色にあまり興味がいかなかった。それより同じ様な理由で入院してる歳の近い人達が多かったので他の患者にも関心が向いた。今度のデイルームでは朝、昼、夜と食事に来てる人は大勢いた。





    第8章『回復期病院でのリハビリ』

    転院してきた回復期病院でのリハビリが始まった。
    この頃になるとだいぶ頭もハッキリしてきて今於かれている状況やこの先どうなるかなどもハッキリわかるようになっていた。
    あと、前に居た病院より周りに同じくリハビリ入院している患者さんが多く居てある意味社会性も取り戻しつつあった。
    この病院でのリハビリは
    病棟2階のST(言語聴覚士:Speech-Language-Hearing Therapist)さんがリハビリをしてくれるST室。
    1階はPT(理学療法士:Physical Therapist)さんがリハビリをしてくれるPT室。同じくOT(作業療法士:Occupational Therapist)がリハビリをしてくれるOT室。
    それぞれにセラピストさんも多く在籍しており時間帯によってはセラピストや患者で溢れかえってた。
    そしてリハビリは午前中から夕方まで土日も含め毎日プログラムが組まれてた。
    前回も書いたように『リハビリ』って痛くて辛いイメージがあったけど全くそんな事はなく中学校時代、強豪校で野球をしており時代柄それはまるで軍隊のごとく地獄のような目にあった経験があるからかリハビリは毎日ストレッチしてる程度にしか感じなくて『おい~おい~もっとハードにやってくれへんかったら治らへんがな』くらいに思いながら毎日こなしてた。
    足のリハビリ担当は50才くらいの男性でPTのKさんて気のよい明るい人だった。
    PT室は学校の体育館のような広い部屋の中央に70cmくらいの高さのマットがズラリと並び周りには平行棒や木製で訓練用の階段やエアロバイクやらと色々置いてあった。
    5階の病室から看護士かセラピストさんに車椅子を押してもらい1階のPT室へ降りて行きます。そしてまずはPTさんに中央のマットの上でマッサージをしてもらったり自分で出来る筋トレのレクチャーを受けたりして、その後PTさんに介助してもらいながら平行棒の中を歩いてみたりとだいたい45分くらいのリハビリをしてもらってまた看護士さんがPT室まで迎えに来てくれます。
    プログラムにより次は同じ様にOT室へ手のリハビリを受けに行きます。
    手のリハビリは35才くらいの女性で2児の母でもある優しい感じのOTのHさん。
    OT室はPT室ほど広くはないけどゴチャゴチャと色んな設備が置いてあります。
    ここでもまずはマットに転んでOTさんにマッサージや麻痺手を支えてもらって色んな方向に動かしてもらったりとかしてもらいます。
    そして手を動かす為の色んなリハビリを受けます。
    テーブルにタオルを敷き、その上で両手を滑らせてテーブルを拭くような動きをする。
    次は布製のお手玉。
    麻痺した手をガバッと開いて掴み、横へ移動させる。
    手の小指くらいの太さ長さの”ペグ”と呼ばれる短い棒を麻痺してる手で動かしたりとそしてやっぱり45分くらいで終了。
    次はST室で言語のリハビリをしてくれるのは若くてまだまだ新人ぽい20代女性のSTのOさん。
    僕はたまたま高次脳機能障害は軽くて記憶障害は後遺症なのか年齢のせいなのかわからない程度で失語症もなく聴覚は元々悪かったのであんまり脳卒中は関係ないと思う。
    だからかSTでのリハビリは定期的に行う軽い記憶力テストみたいなこと以外はSTさんとトランプをしたりオセロをしたりとまるで年寄りが暇潰しの相手をしてもらってるような感じだった。
    そんな日々を送って居てふと気付いた事があって、それは僕はいつもリハビリ室まで車椅子を押してもらって送迎されてるけど周りを見てたら自分で車椅子を漕いで来てる患者さんも多く見かける。
    「あれ?もしかしてエレベーターを使って5階から1階のリハビリ室まで行くのに迷わないように送り迎えしてくれてたのかな?」と思い、「それならもう余裕で行き帰り出来るで!ほな次は自力で行ってみよ」と思い早速決行してみた。
    よく考えてみたらこの病院に来てから自分1人で車椅子に乗ったまま1階まで下りて行った事がなかった。
    かと言って長い人生生きてきて当たり前だがエレベーターに何度も乗ってきたから乗り方がわからないはずはないしなんの心配もなかった。が、強いて言えば時間的にエレベーターはリハビリ渋滞するので少し早めに向かった方がいいかな?くらいだった。
    そして、初の自力移動はPT室へ。
    当然ながら何の問題もなく到着したのは良いが早く出過ぎたせいかまだセラピストさんが来ていない。
    このPT室は入口に大きめのインフォメーションみたいなテーブルがあってそこに座ってる人に『すいません5西(5階西病棟の略)の清水ですけど○○時からのリハビリに来たんですけどPTのKさんはどちらですか?』「ああ、ちょっとお待ち下さい」
    そしてKさんが呼び出されてやってきた。「あれ?さっき病室まで迎えに行ったのに清水さん自分で来たの?それに自力で1階までの車椅子移動の許可は出てたの?」
    え?なになに?それって許可がいるの?
    そう。自力で病室のフロア以外に車椅子で移動出来るようになるには看護士さんの許可を貰わないと駄目だったらしい。そして許可がおりると車椅子の後ろになにやらしるしが入るみたいだだ。
    そうとわかれば早速担当看護士さんにその旨を伝えると「じゃあ清水さん2、3日テスト期間設けて判断させてもらいますね」とその日から判定テストが始まった。



    第9章『車椅子移動の許可』

    僕の病室は5階の西病棟だ。
    病棟の真ん中あたりには、4基のエレベーターが2基ずつ向かい合わせに並ぶエレベーターホールがある。
    その隣には、学校の教室2部屋分くらいの広さのデイルーム。
    そしてそこを境に、東側が東病棟、西側が西病棟になっている。
    食事の時間になると、東西両病棟の患者がデイルームに集まって食べる。
    それはさておき、前回書いた“院内を車椅子で自由に移動しても良い認定”の評価が始まった。
    評価と言っても、エレベーターに一緒に乗って、
    ・上下ボタンの操作
    ・広めのエレベーター内での車椅子の方向転換
    ・他の車椅子と上手く並べるか
    などを見られる程度で、問題点や改善点があればその場で指摘される。
    これを2〜3日続けて、最終的に合否判定が下される。
    正直、普通に常識的なモラルがあれば
    『なんのテストやねん!』
    と言いたくなるような内容だ。
    ただ、前回も書いたように、脳卒中の後遺症には“高次脳機能障害”というものがある。
    本人は気付いていなくても、周囲から見ると
    「性格が変わってしまった?」
    と感じられる患者さんも少なくない。
    日本では40〜50代で脳卒中を発症する確率は数パーセント程度。
    ようするに、
    『よりによって、なんで私が!?』
    と思うような数字だ。
    その強烈な絶望感。
    そして後遺症。
    そういうものが重なって、“人が変わった”ように見えてしまうのかもしれない。
    ちなみに幸いにも、僕は元来かなり楽天的な性格だったことと、高次脳機能障害が比較的軽かったこともあり、自分ではあまり変わっていないと思っている。
    念のため、たまに会う友人たちにもそれとなく聞いてみた。
    すると返ってくるのは、
    『は? なんのこっちゃ。なんやったら、もうちょっとカシコなっとったら良かったのぉ』
    なんて言葉ばかり。
    どうやら、やはりあまり変わっていないらしい。
    ……と、“ちなみに”が長くなって話が横道にそれたので、エレベーター操作の話に戻ろう。
    リハビリ病棟のエレベーターは、車椅子利用者が多いためかなり広い。
    車椅子なら4台くらい同時に乗れる。
    そこへ立っている人も加わると、かなりの人数になる。
    そんな中でパネル操作をする時、
    ・周囲をちゃんと見ているか
    ・他の人に配慮できるか
    ・焦らず行動できるか
    そんなところも、どうやら判定基準になっていたようだ。
    とはいえ求められているのは、特別なことではなく“普通に”できるかどうか。
    そして3日後――結果は合格だった。
    これからは時間を確認しながら、自力でリハビリへ向かうことになった。
    小さなことかもしれないが、僕にとっては確かな前進だった。
    入院した頃、看護師さんに言われたことの一つに、
    『病室の外の廊下で、壁の手すりを持って“立ち座り”を毎日してください』
    というものがあった。
    その時の僕は、
    「なんだそれ? それのどこがリハビリやねん」
    くらいに思っていた。
    だが後になって、これが驚くほど大きな意味を持つことになる。
    ……その話は、もう少し先で。

    第10章『自主トレ』

    最初の頃、一日のリハビリスケジュールはセラピストさんが朝一で病室まで持ってきてくれた。
    そしてめでたく自分で車椅子を漕いで各リハビリ室まで行けるようになった僕は少し時間に余裕を持たせて意気揚々とエレベーターホールに向かった。
    エレベーターは”4基も”ある。
    そしてリハビリが始まる時間はだいたいみんな同じだ。
    なのにエレベーターは”4基しかない”。当然エレベータホールは車椅子や立ってる人で溢れかえる。
    だいたい皆が向かう各リハビリ室は1階か2階なのでどのエレベーターも下向きボタンが押されている。
    さぁ一番早く来るエレベーターはどれか?それぞれ今どの階に停まっているか?各エレベーターの前で何人くらい待ってるか?など瞬時に見極め判断して車椅子でエレベーターの前に並ぶ。
    健常者の頃は誰でも当たり前に気にもせずやってたこんな事も元の世界に戻るための訓練なのかのもしれない。
    けどここ病院では決してレアではない車椅子も何かとちゃんと優先して扱われる。なので比較的スムーズにエレベーターにも乗り降り出来る。
    そんなこんなで各ハビリ室へは送迎を待つ手間が省けてひとつお手軽感が増した。少し余裕が出てくると今まで気付かなかった小さな謎が目について気になってくる。それがこれだ。
    PT室でもOT室でもセラピストさんが就かずに独りでリハビリしてる人がちらほらと目に付きだした。
    そう言えばさっき顔見知りの人がセラピストさんにリハビリしてもらってたのに今はひとりでリハビリしてる。しかもさっきプログラムは終わってる筈なのに病室に戻らずまだやってる。あとであの人にこの謎を質問してみよう。
    そしてランチタイム。
    デイルームで、顔見知りのMKさんに聞いてみた。
    「MKさん、さっきPT室でリハビリ終わったあとも残ってやってましたけど、プログラム延長してもらってるんですか?」
    すると失語症の後遺症があるMKさんは、一言だけ答えた。
    『自主トレ』と。
    自主トレってなんや?もしかしてプログラムとプログラムの間は1時間程時間が空くことが多いので勝手にリハビリ室でリハビリしてるのかな?
    そこで僕の担当PTのKさんに聞いてみた。「自主トレって勝手に好きな時やって良いんですか?」するとKさんが『お~自主トレか~誰かに聞いたんかな?そやな~ほなこの後OTですよね?それまで少し時間あるからここ終わったら病室に戻らずここの平行棒の中で歩行訓練してて良いですよ』と。
    なるほど空いてる時間でやれば良いけど勝手にやっちゃダメって事か!
    言われた通り平行棒で歩行訓練した後次のOTで同じくHさんにその旨伝えるとやっぱりHさんも同じく『それじゃ清水さんこの部屋のいつもの棚からタオルとお手玉を取り出して車椅子に座った膝の上に載せてあそこのテーブルまで移動して自分でいつもやってる通りやっって下さんね』こちらは特に時間指定がなかったので毎回OTのプログラムが始まる10~15分前に来てプログラム前にやることにした。
    エレベーターホールでのプログラムラッシュを避けれるので一石二鳥だった。ちなみに僕の場合STの自主トレはなかった。






    第11章『お見舞い』

    ここに転院してくる前に居たJ病院でもそうだったように巷とは違って病院ではまだまだ新型○ロナの余韻が色濃く残っている。
    入院している病室まで来れるのは限られた親族のみ。僕の場合、許可が下りてたのは奥さんだけだった。それ以外の親族はデイルームでの面会のみ。
    ところが有り難い事に、夜職の同業者や店のお客さん達から頻繁に連絡が来る。
    『お見舞いに行きたいから病院の場所を教えてくれ』と。
    その度に僕は、
    「一応、親族以外はアカンねん。来た時に受付で“親戚”って書いて入ってきて」
    ……と説明していた。

    但し、小中学校からの同級生たちについては少し事情が違ってた。
    同じく同級生のKFさんは、この病院の看護部長だった。
    いわば看護師のトップである。

    その友達が病院のルールを守らなかったら立場がなくなるやろって事で病院のルールに従ってお見舞を控えた。う~ん大人やな。
    ところがどっこい。
    早速小1の時から友達のテツヤが来てくれた。
    彼も同級生だが、付き合いはもう50年以上になる。
    もはや親戚みたいなもんである。

    彼は特別扱いだ。と言うかこいつに至ってはもはや親戚同然。
    そしてうちの店のスタッフ達も次々に来てくれて、やはりみんな受付で『親戚』と書いて入ってきた。そのうち店のお客さん達や同業者も次々お見舞いに来てくれたがやはり『親戚』と書いて入ってきた。看護師さん達もきっとオカシイと思ってるやろなぁ…。
    『どんだけ親戚がおるねん!絶対ちゃうやろ!』きっとそう思ってるはず。
    同じ病棟の他の患者さんには『清水さん色んな人が訪ねて来ますけどクラブかラウンジ経営してたんでしょ?』ってなんか憶測で妙な噂にもなってたみたいだ。
    幸い看護師さんをはじめ病院側からは何も言われなかった。
    看護部長のKFの手前こんな事書いてもええのかな?とも思ったがもう1年半も前の事やしもうとっくに退院してるし時効やろうって事で.......。




    第12章『差し入れ』

    ”塀の向こう”に入ってる受刑者が甘いものを欲するシーン。
    映画やドラマでよく見かけるあのシーン。まさにあれだった!
    元から好き嫌いはない。苦手な味も食材もない。が、しかし僕の場合それって好物もないって事だ。人並程度に甘いものは好きだが人に頼んで買ってきてもらうほどではなかったのに......。お見舞いに来てくれる人に『何か欲しいものある?』と聞かれる度に「甘いものが食べたい。片手でも簡単に開封できて片手でちぎらず口に運べるもの。」と、書いてるとまるでナゾナゾのようだが片麻痺で片手しか使えないのでそれは切実な注文だった。と、これまた書いてて大げさやなと思うが本当にこの頃は真剣だった。
    『甘いものって例えば?』と聞かれて
    「コンビニに売ってるやつでええからベルギーワッフル!味はメイプルで!」色々頼んでたがこのリクエストが一番多かった。あと、BOSSのペットボトルブラックコーヒー。銘柄指定だ。差し入れてもらったワッフルやあんドーナツ(これも多かった)、羊羹、一口バームクーヘンとかは病室のベッド横にあるサイドテーブルの引き出しに隠してた。
    僕は元々、血中コレステロールが高めだった。
    そのせいで、糖質よりむしろ脂質を控えるよう言われていた。
    ところが甘いお菓子というのは、大抵脂質も高い。
    結局、
    「甘いものは控えろ」
    という話になってしまう。
    この時知ったのだが羊羹は脂質がほとんどないから気にせず食べれた。医者に控えろと言われたけど直接脳卒中に関係ないなろ?
    なのになぜそんなに気にするのか?
    定期的に血液検査をするのでコレステロール値が上がるとコッソリ食べてる事がバレるかもしれないからだ。
    エエ歳こいたオッサンが医者の言う事を聞かずにしかも甘いものをコッソリ食べてるなんて格好悪いではないか!ちなみに退院するまでに何度か血液検査は受けたがその都度担当医からは『血液検査の結果は、あ~数値も良くなってますよ~良いですね』だって。なんで?まぁ結局自由に甘いもの買って好きな時に好きなだけ食べれるわけでもなくコソコソ食べてただけだからどうもなかったんだろう。だがこの後退院してからも「あれ?俺こんなに甘いもの好きやったかな?」って思うくらい甘いもの好きになってしまってる。これって依存症かもしれない。けど、”甘党”な訳ではない。なぜなら辛い、すっぱい、苦いは全部好きだし昔から相変わらず塩ラーだからだ。
    世間では、
    「塩分の摂りすぎは高血圧の原因」
    と言われる。
    脳卒中になったら神経質になりそうなもんだが、僕は相変わらず塩ラーである。


    第13章『入浴』

    入浴は週に2回だけだ。
    ここに入院したのがGW明けの5月上旬。
    病院内での服装は短パンにTシャツ。春から夏、秋へ……と11月1日に退院するまでずっとその服装だった。
    さすがに院内は季節に関係なくずっと一定の温度湿度を保ってる。
    要するに暑さ寒さを全く感じない。
    夏の時期などは外からお見舞いに来た人達が口を揃えて「暑い!暑い!」と嘆いてた。けど、入院してる僕達は汗ひとつかかない。そんなだからお風呂が週二回でも平気だったのだろう。
    さて、入浴だがなんとこれが厄介な時間だった。
    前日、看護助手さんが病室まで来て棚にある着替えやタオルを出して用意してくれる。この時看護助手さんが「お洋服どれにされます?」『上はこのシャツで下はこのパンツで。あとバスタオルはこれとこれをお願いします。』
    バスタオルは車椅子の座面に敷くのと体を拭くのと2枚持って行く。
    という感じで明日の入浴準備は完了。
    そして当日、入浴時間10分前くらいになると看護助手さんが迎えに来て「ほなそろそろお風呂行きましょうか」と車椅子を押して連れて行ってくれる。
    お風呂は病室から少し離れた場所にある。車椅子を押してもらいながら右に左に曲がりながら距離にして100mくらい移動する。
    到着してまずは脱衣所へ入場。
    脱衣所の入口は狭くて車椅子が一台通れるくらいの狭さだ。
    脱衣所自体も6畳くらいの広さで壁沿いに木製で扉のない棚が上下二段で据え付けてある。
    その棚の前に車椅子を停めてもらう。
    まずは車椅子にブレーキを掛ける。(これ凄く大切!)
    そして靴と靴下を脱いで裸足になる。
    この要領で素っ裸になるまで自分で脱いでいく。最後は立ち上がって看護助手さんが車椅子の座面にバスタオルを敷いてくれる。そこに座って車椅子ごと浴室の中まで押してもらう。
    中に入ったら壁沿いに並んだシャワーの前に止まる。(ここでまたブレーキを掛ける!)
    そこで立ち上がって待機してると車椅子とシャワーチェアーが取り替えられる。
    ここから先は麻痺してない右手を上手く使って頭と体を洗う。背中は看護助手さんに頼んでゴシゴシしてもらう。最後立ち上がって右手で全身にシャワーしてすすぎ完了。
    すると看護助手さんが「湯船に浸かりますか?」と聞いてくれる。
    浴室内は家にある普通の浴槽が5つくらい少しづつ離して並べてある。
    お湯に浸かる場合、浴槽に腰掛け用のデカいまな板みたいな板を置いてもらう。そしてそこに腰掛けて介助されながら上手く湯船に浸かる。説明が長くなったが要するに結構大仕事だ!
    院内は汗をかかないくらい快適で寒くもないので湯船に浸かるのはずっとお断りしてた。
    こんな入浴工程を何度かこなしてしばらくすると、お風呂へは自分で車椅子を漕いで行くようになって浴槽へも頻繁に浸かるようになった。
    お風呂から病室へ戻る途中ナースステーションで声をかけて看護師さんにドライヤーで髪の毛を乾かしてもらったりもした。
    この頃よく「お風呂に入るのメチャクチャ大変になってもたけど退院して家で風呂に入る時どないなんやろ?」って心配してた。
    後々わかるが、これに限らずこの頃色々心配してた事って全然問題ない事ばっかりやったな。(o^^o)




    第14章『院内感染』

    一時期猛威を振るった例の奴がこの時期また性懲りもなくチラホラ出だしてた。
    大流行してた頃からネットなどで得た情報により自己判断でワクチン接種はしていなかったが、それまで一度も感染していなかったので、自分では妙な自信があった。そして世間じゃマスクもしなくてもよくなってた。
    そんな時4人部屋で同室の1人のベッドが綺麗さっぱりなくなって突然居なくなった。あれ?退院した?えらい急やな…。と思いきや他の人が『○○さんコロナで隔離されたわ』……って、
    はーーー?コロナってまだ移んの?
    なんて驚いてる場合じゃなく同室の僕等まで濃厚接触で準隔離処置……って。
    おいおい頼むでーー!!いつも開けっ放しの病室入り口のドアは閉めきられ…、車椅子で出入りする僕等にとっては開けっ放しておいてほしいのに。トイレも決められたら場所しか使えない。洗面所まで決められた場所しか使えない。やめてくれこの準隔離っちゅーやつ!
    そしてなにやら畳2枚分くらいのデカいパネル型サーキュレーターを窓際に置かれた。僕のベッドは窓際だったのでベッドの横にこのデカいヤツが鎮座した!コイツは夜中エアコンの効いた室内を更に寒くした!なんならこいつのせいで風邪をひきそうだった!!
    そうこうしてるとまた1人同室の人に陽性反応が出て残るは僕を合わせてあと2人部屋。そんなことより1人感染する事に準隔離期間がどんどん延ばされていく!もうやめてくれー!ちゅーか頼むからこれ以上感染せんといてくれ!!そして願いも虚しくまた陽性反応!部屋は僕1人になってしまった!俺は感染してないのになんでいつまでもこんな隔離されとるねん!
    などと嘆いている時、朝の検温で看護師が『あれ?清水さん少し熱ありますね!』「え?全くどうもないけど?微熱ですか?」『いや38度ありますよ?フラフラしませんか?』「全く自覚症状ないですよ?」『そうですか~一応後で検査してみますね』で、例の鼻に突っ込まれてツーンて痛いあれをやられて、めでたく陽性!時代遅れのダサい奴になった気分(^^;)
    そんなことより今度は本気の隔離!部屋の中にトイレも風呂も付いてる個室に移された。トイレにいちいち部屋を出なくてよいのはナイス!寝る時は誰に気を使うこともなくイヤフォンせずに音を出してYouTubeを観ながら寝れるとかナイスな特典もあった。しかも僕の場合少し喉が痛いかな?くらいでほとんど無症状だったのでコロナの苦痛もなかった。そんな時看護師さんが『清水さんお手伝いするのでお風呂入りますか?』って子供の時から「熱ある時に風呂入ったらアカンって育ってるんですけど?」てなもんで断った。
    最後に、この一件で僕の退院は予定より約一か月延びることになった。……で締めておく。





    第15章『病み上がり』

    同じ病室の最初の1人が新型コロナに感染してから、約1か月が経った。
    丁度その頃、やっと僕の隔離期間が終わった。
    もうこれで今まで通りの入院生活に戻れる。
    病気で入院してるのにそこで別の病気になるってなんか変な事だけど…。
    せいぜいマスクしてる程度の無防備な大勢が一カ所に集まってる入院生活だからこそ感染拡大の勢いは凄まじかった!
    そんな中、感染せずに頑張ってたのに……。
    誰もいなくなった最後の最後で、自分が感染するとか~なんでやねん!(^^;)
    これぞホンマ大トリやな!
    ぜんぜん嬉しくない!
    一応決められた隔離期間を満了したのはええけど…はい元通りとはいかなかった(>_<)
    のどの痛みは少し残ったけどそんなもん屁でもない。そんな事より『なんやこれ!』って、くらいの倦怠感(>_<)
    それはそれはもうな~んにもやる気がなくなってしもて(>_<)
    長いことまともにやれてなかったリハビリ。早速再開してなんなら休んでた分取り戻さないとアカンくらいやのに(^^;)
    もうなんにもする気が起こらない(>_<)
    それでも沈んだ気分に鞭打って1階のリハビリ室に向かう!
    行く途中や着いてからもすれ違う人やらリハビリしてくれるセラピストさん達みんな口を揃えて『大変でしたね清水さん!やっと解放されて良かったですね~!』って皆病棟に居なかったのに良く知ってるな~(^^;)
    担当看護師、担当PT、OT、STとそれぞれの担当は密に連絡取ってるから知ってて当たり前なんだけど(^^;)なんか有名人になった気分だった(^_^)ノ
    けどやっぱり強烈な倦怠感!
    コロナに感染すると後遺症で味がなくなるとか喉がガラスでも刺さったかのようにイガイガするとか色々あるみたいだけど僕のは倦怠感だった。
    こんな感覚は初めてだったのでちょっと不思議な経験だった(^^;)
    けど一週間も続かずどんどん回復していった。さぁまたリハビリ再開だ!
    本当はそろそろ退院の時期なんだけどコ○ナのせいでひと月延びて11月1日に退院する事が決まった。
    今風に云うところの『リスケ』ってやつだ!
    この単語ちょっと使ってみたかっただけ(`_´)


    第16章『ADLその1』

    ADLとは「Activities of Daily Living(日常生活動作)」の略で、食事や排泄、移動、入浴、着替えなど、私たちが生きていくために最低限必要な日常的基本動作を指します。
    ……こんな説明入れると知的な感じになるんで入れてみただけです!www
    退院まで残り1カ月。そろそろ退院後の生活に備えたリハビリが始まった。
    まずはPT室にて足の方の『ADL訓練』。
    外の世界では普通にある信号のある横断歩道。
    片側2車線の4車線道路くらいからはなかなかの広さになってくる。健常者だと『え?どこが?』って話だが片麻痺で慣れない杖歩行してる人や慣れない車椅子の人達にとってはなかなかの横断距離になる。
    僕の場合それを想定して杖歩行のスピードアップ訓練。(勿論転倒しないよう安全確保の為PTさんが着きっきりで)
    今の僕が当時の僕の横を並んで歩いて、『心配せんでもこれくらいのスピードで歩けるようになるぞ!』と当時の僕に見せつけてやりたいwww。
    他には自分で想定したが杖歩行で階段の昇降。これはPT室の中に練習用の木製の手摺付き階段でシミュレーションしてもらった。2mくらいの高さだったから丁度家で二階に上がり下りする感じか?いや、もうちょい低いかな?
    それとPT室の外に中庭があって、この中庭、小さな公園みたいに真ん中が芝生広場でその周りをタータンの遊歩道が一周してた。ここをグルグル歩いたりもした。そのうちこれらがルーティーン化してまずは体育館のようなPT室内をストップウォッチで測りながら数周、からの階段昇降、からの外にでて中庭1周。のような訓練になっていった。
    さて次は手の方。こちらは具体的にOTさんに相談することがいくつもあった。この長い入院生活ではずっと半袖半ズボンで過ごしてた。今なら「そんな事?」って思うかもしれないけど、生まれて初めて左手足が不自由になり思うように動かせなくなってたこの頃。不安だったのは片手で長袖の服をどうやって着ればよいのか?長ズボンのウエストのボタンはどうやって?いや、それどころかベルトなどもう締めれないのでは?考えれば考えるほどヤバい気がしてくる。子供の頃から当たり前すぎて、はたして誰かにやり方を教わったのかどうかすらわからないほど当たり前の行為だ。それが晩年になってズボンを履く時にどうやってベルトを締めるのか?脳みそをフル回転させて頭の中で何度シミュレーションしても答えが見えてこない…(>_<)
    いよいよ諦めてOTのHさんに聞いてみた。「Hさん教えて欲しい事があるんですけど」
    『ん?何ですか?』
    「あのね…かくかくしかじか…。」
    『ああ、なるほど。ウエストがゴムのズボン履けばいいじゃないですか!』
    この答えを聞いた時おそらく僕の頭の上に電球がポン!と出てたのではないだろうか?www それと併せてついでに聞いていた答えも頂いた。
    『長袖はね、麻痺手に袖を先に通してそれから頭、最後に利き手の順に着ると上手く着れますよ。』とその場で練習用の長袖トレーナーを渡され実践してみると……「ホンマや!なんや簡単やん!」てな具合で一気に解決。けど少しスッキリしなかったのは「長袖の上はええけどズボンはゴムウエストしか履けんって…(^^;)」
    ちなみにこの時から一年半ほど経った今現在、いつかは絶対!と捨てずに持ってたGパン全部勿論ベルトを締めて
    履けてます(^^)v
    あとOTのHさんにはもう一つ今思えばマヌケな質問をしてた(^^;)
    「僕これから先もう立ってオシッコ出来ないんですかね?」(>_<)
    『え?ああ、う~ん…清水さんの手の感じなら大丈夫ですよ!まず、左手はこうやって右手はこうすれば出来るんじゃないですかね?』
    「ああ、なるほど後で早速試してみます!」と、この後トイレに行って試してみると、「ホンマや!出来るやん!」よかった~(o^^o)
    今時、男でも座ってオシッコするのが当たり前になりつつある現代社会ではあるけど時代に逆らって『男子の小便は立位にて!』に拘りたかった(>_<)
    ちなみに僕は今、家では座ってオシッコしてるwww




    第17章『ADLその2』

    少し書き足したいのでもう少し書きます。
    OT室にはADL室があった。(こんな名前やったかな?)そこはまるで誰かの家の中のようだった。
    玄関、トイレ、お風呂、短い階段、デカいダイニングキッチン、リビング、寝室、和室、縁側、小さな庭、部屋境には各種段差など。なかなかのセットだった。セットと言ってもお芝居舞台のハリボテセットではない。ちゃんとした部屋だった。
    さて、ここへはどこか外から家に帰って来たかのようなシミュレーションをセラピストさんに付き添ってもらいながらやる。
    まずは玄関前に立つ。
    ここは少しオプション設定があって《余所の家へお邪魔するの巻!》風もやってみる。
    玄関ドアの横にあるピンポンを押す。オプションとしてやるのは単純にこれだけ(^^;)
    そこからは自分ちの玄関を開けて入るていでシミュレーションは進む。
    玄関を入ると暗いのですぐ横にあるスイッチで電気をつけて「ただいま~」てか感じで廊下をズンズン進む。(靴を脱いでないが決して欧米仕様のシミュレーションをしているわけではなく玄関で靴を脱ぐ工程を省略してるだけです。)そしてなぜか最初に寝室へ向かう。(一応ノックはします。)ここでベッドに腰掛けて一休みします(^-^)
    続いてこの部屋から出るのはさっき入ってきたドアとは別の掃き出しの出口から出て行く。但し、ここからは出るのは土間に下りるのを想定したような高さだ。
    こうやって階段2段分くらいの段差から下りる時の手筈を教わる。
    (ちなみに下りる面に杖をつく→先に麻痺側の足を下ろす→健側の足を下ろす。の順番で下ります。)
    更に進むと今度は庭から縁側に腰掛けて和室に入る、てな感じの設定。
    今度は座ったまま靴を脱ぎ座った状態のまま這いながら畳の和室に入る。ここでまたまた次のオプションが登場!
    そのオプションは『地べたに座った状態から立ち上がる方法!』
    なんじゃそれ?!って思うでしょ?
    左右どちらか片方の手足が思うように動かないと床に尻餅ついた状態からどうやって立ち上がって良いのかわからないんです。
    これを読んでくれてるあなた!今少し想像してみて下さい。その状態から立ち上がる時ってどうやってますか?
    どうですか………?
    立ち上がり方、当たり前すぎてわからないでしょ?
    きっと手足が不自由な体になってみないと想像すら難しいと思います(^^;)
    でもね、ちゃんと方法があるんですよ!
    話を少し戻すと、今和室でしょ?ちゃぶ台があるんですよ。やり方の細かい説明してたらめちゃくちゃ長くなるのでここでは割愛します(^^;)
    それではサクッと簡単に、まず座り方はしっかり足を組まずにあぐらをかいたような形で。使える右手はちゃぶ台を上から抑えつけたように置き、悪い左足は頑張って膝を立てた状態にする。この形から一気によっこらしょ!と立ち上がる!
    これを読んでくれてるあなた!きっと今すぐ書いてある通り試したくなったでしょ?どうぞやって下さい(^^)v
    ちなみにちゃぶ台がない場合は床に右手をついた形でやります。
    この立ち上がり形の練習は凄く重要なんです。なぜなら外で転倒した時、慌てず立ち上がれるようにするためです!それにこれ、家で床に転んでストレッチした後立ち上がる時、役に立ってます(^^)v
    さて、脳内出血してから約2年経った今現在まで、まだ一度も外で転倒してません(^^)v
    だけど、油断大敵怪我一生!ってもう一生モンの病気しとるがな!……と、ひとりボケひとりツッコミしたところで締めたいと思います。その1その2とここまで長々読んでいただきありがとうございます(^_^)ノ
    が、しかしまだまだ続きますよ~このエッセイ(o^^o)



    第18章『退院に向けて』

    いよいよ退院に向けて色んな準備を始めます。治癒する怪我や病気と違って障害者になってしまってる。
    なので退院しても今までとは生活の勝手が色々違ってしまってる。だから障害の程度によっては家の中を少し改築しなきゃダメな場合もある。例えば退院してもずっと車椅子で生活するなら家をバリアフリーにする必要がある。
    トイレや浴室に手摺を付けたり、病室と同じように電動でリクライニングするベッドにしたりと、人によって症状や程度もまちまちなので改築度合いも人によってまちまちだ。
    僕の場合は家の中を改築までする必要はなかった。
    ここのリハビリ病院に入院した当初、担当医に許可をもらって放置したままだった事務処理をしに弟に送迎を頼んで自分の会社に行った。
    その時は車椅子を車のトランクに積んで行ったが事務所内は車椅子で動き回るほど広くもないし極力杖で歩くようにして事務所に入って行った。その日はなんとかやることはやって病院に帰ったが後で思った事が、これはもう事務所で今までのように動きまわって仕事は出来ひんな…。夜も店には立てへんな…。世間じゃもう2,3年で退職する年齢やしな…。僕はサラリーマンではないし昼の会社の社長も夜の店のオーナーもどっちも僕やから倒れるまで仕事は辞めへんぞ!ってイキってたのにホンマに倒れてもたがな(^^;)
    あ~あ~仕事は好きやったんやけどなぁ~。
    こんな体になってもて、片手しか使えん。
    片足も不自由じゃ、今までみたいにテキパキ動けへん…。そろそろ潮時…っちゅーかいきなり終了…。やっぱりしみじみと潮時を迎えたかったなぁ(>_<)
    いや、きっとこんな体になってなかったらいつまでも辞めてなかったやろな~。だって仕事って言うより好きな事やってただけやからそりゃ辞めてないわ(^^;)  僕は何かを作り出すのが好きだから、昼は形のある物を設計して夜は形のない空間や時間を設計してた。と、しんみりしてきたところで話を戻そう(^^;)
    要するに入院中外出して元の世界に少しだけ戻ってみて思ったのは「車椅子なんか乗ってたら不便でしゃーない!こんなもん早く降りてせめて杖で歩けるようにならんとアカンわ!」って事。だから退院する時は病院に車椅子を置いて杖歩行で帰ろうって事。
    いやいや、車椅子は病院の借り物やから置いて帰るのって当たり前やがな!(^^;)
    あと車の運転!昔は脳卒中になっても本人が運転出来るなら乗ってれば良かったみたいだけど、それで事故して脳卒中になったのに運転して事故したって事で保険がおりなかった事があったらしく、それからは公安委員会で運転再開の許可を貰ってからでないと運転は出来ない事になったみたいだ。なのでその手続きをして運転免許証を復活させる準備を始める。
    入院中はOT室で運転シミュレーターで何度か運転してみて、最後に同リハビリセンター内にある教習コースで実際に運転評価をしてもらう。この評価の結果は後に担当医に診断書を書いて貰う時の参考用だ。運転評価をする職員は元自動車教習所の教官だ。運転テストの内容は「こんなこと普通の人でも出来ひんのちゃう?」みたいな無理難題運転をやらされたが僕はなんとかA評価を貰ってめでたしめでたし(^_^)ノ
    この時はまだ入院中だったので乗車する時など運転席の横まで車椅子で行ってそこで立ち上がって杖で乗り込む。みたいな状態だった。これ以降の手続きは退院してからで家の近くが免許更新センターだったので公安まで直接行ってそこでの評価テストや書類手続きはすんなり進んで免許証の裏に『AT限定』とか『原付なし』の制約スタンプを押され一応免許証復活!晴れて元通り車の運転は出来ます。
    けれど僕の車は維持するのに結構お金が掛かります。これから社会的にご隠居状態なるのに相応しい車とは言えません(^^;) それに今までのようにすぐそこまで移動するのにいちいち車を使うより長らく利用してなかった電車やバスを使ってどんどん自分の足で歩いた方がリハビリにもなる(^^)v 元来僕は好奇心旺盛な人間なので初体験でなくとも長らくご無沙汰だった行為に対してはメラメラと冒険心が沸いてくる!なので今でも車はたまに運転するけど率先して公共交通機関を利用してる。それにこんな体になってしまったからこその嬉しい副産物もあるし…いや、便利な副産物…いや、(この表現は不謹慎やな)ありがたい副産物…いやいや、(不謹慎なんはそこやない!)神戸市にはありがたい制度があって市営地下鉄や市内を走るバスは全てタダで利用出来るのだ!そんな制度も相まって今では電車やバスをガンガン使ってる(^_^)ノ
    ちゅーか、おいおい、調子良くどんどん書いてたらいつの間にか退院後のような話ぶりになってるけどこの回はまだ入院中やった(^^;)
    と、こんな風に退院後の心配の一つは片付いた。
    他にも、退院した後リハビリはどうするのか?
    脳卒中の発症後、医療保険を使って集中的にリハビリを受けれる期間は、原則として発症日から180日間とお国の規定で決まってます。
    もし病院の外来でリハビリを受けるなら自費医療になります。
    もしくは医療保険ではなく介護保険で訪問リハビリを受けるか。後者の場合障害者手帳に書かれてる等級によって
    受けれる回数とかは決まってる。当然、障害が軽ければ回数は少ない。
    うちの場合、家にミニチュアシュナウザーが居るので知らない人が来ると大騒ぎになる。なので出来るなら訪問リハビリは避けたいとこだが、そんな事言ってられないしなぁ~…なんて悩んでる時に、病院の地域連携課から名案を頂いた!
    この病院があるリハビリセンター内には『自立生活訓練センター』なる施設もある。施設名のままで自立生活が出来るように訓練する施設だ。
    ここの存在は結構前から知ってはいた。ここは入所して部屋をあてがわれる。基本、入居してリハビリプログラムをこなすようだ。病院のセラピストさん達曰わく『訓練課(略してこう呼ばれてます)はここのリハビリと違って厳しいで~杖歩行も介助なしやしな~』みたいに何故かビビらされてた。
    ところが”頂いた名案”とは『この訓練課は入所しなくても通いで自主リハビリも出来る』って情報!それなら家で自分で自主リハしてるより断然良いではないか!早速その案で申し込んだ!
    てな締め方でこの回のお話はおしまい。次回、いよいよ退院します!
    next coming soon!(次回は近日公開予定!)
    (翻訳)とか親切でしょ?(o^^o)
    『そんなもん誰もわかるわい!』って聞こえた気がしました(^^;)
    ほなまた(^_^)ノ




    第19章『いよいよ退院』

    前回の最後に出てきた『訓練課』。
    退院後はここへ通う事になるのだが、退院する前に見学に行く事になった。実は前回書いた教習コースで実車運転したのはここにある教習コースの事でした。なので来るのは初めてでもなかった。建物の中へは1階のロビーまでは入った事があったけど中を見学させてもらうのは初めてだったから少し楽しみではあった。さて、ここで初めて登場するけどかれこれ30年ほど前から付き合いのあるT氏がこの訓練課に入所していた。実は彼、僕が倒れる半年ほど前に同じく脳卒中で倒れて入院からの訓練課に入所してた。彼が倒れた当時、お互い、それぞれお客(彼)と設計業者(僕)って立場で一緒に仕事をしていた。それがある日突然連絡が取れなくなり会社に電話して彼の上司に話を聞いても『事情があって、こちらも連絡がとれない』との事で「なんで?何があった?おいおい仕事が止まってまうぞ?」で彼の会社まで行きこの状況をどうするのか?を話し合った。そうこうしてると彼の奥様から彼のスマホを使ってLINEが来てやっと状況を把握出来た。仕事となんとか出来た。「そやけどT氏も大変やな~どないするんやろ?会社もう辞めるんかな?」当然だけどこの時なんて”脳卒中”ってどんな病気かくらいは知ってたけどどんな状況で入院してるのか?とか後遺症がある事やそれはどんなもんか?とか全く知らなかった。だから漠然と「T氏大丈夫かな?また一緒にゴルフ出来るかな?」くらいの事しか考えてなかった。
    そして半年後、まさか自分が同じ事になろうとは(>_<)
    それはさておき退院後は通所で訓練課に通う事をT氏に伝えてあったので『見学”はいつの何時ころ来るの?』と聞かれてた。
    結局見学は退院する当日の午前中に行く事になりその旨、T氏には伝えてた。
    そして退院する2024年11月1日。奥さんに同伴してもらい車椅子を漕いで訓練課まで行った。訓練課からはサビ管(サービス管理責任者)が出て来て順に案内してくれた。
    通いの人用の控え室(通所部屋)、PTリハビリ室とOTリハビリ室が一緒になった(訓練室)、屋内でフリーウォーキングする時に使うスポーツ交流館(体育館)、タータンの中庭には1階から3階まで続くスロープ、みんながご飯を食べる(食堂)等々。これら1階から3階まであっち行きこっち行きと上下の移動はエレベーターだが横の移動は車椅子を漕いで行く。これがまた途中上り下りの軽いスロープ状の通路もあり、入院時、軽くてもスロープを車椅子を漕いで進んだ事もないので結構大変だった! ん?けど待てよ、退院したらもう車椅子じゃなくなるから平気か!
    けど杖歩行でもスロープ歩行なんてほとんどしたことないぞ(^^;)
    けどまぁゆっくり歩けばなんとかなるか!と結構ポジティブになってる。
    そうそう、そう言えば見学途中、体育館で床にヨガマットのようなものを敷いてストレッチをしてたT氏と会った。その時『いつから入所するか決まった?』と聞かれたが入所じゃなく通いで来る事といつからかはこの後話し合う事を伝えて「また後でLINEするわ」と言ってその場を離れた。
    最後に体育館の3階にあるジムも見学した。ここは障害者も多く利用してるジムで使いやすそうだ。
    一通り見学が済んだところでサビ管と最後の打合せ。ここで発覚したのが訓練課と契約するために必要なものに「障害者手帳」があった。ところが!役所に申請中でまだ貰ってない。なので障害者手帳が届いたら改めて通い出す日を決定することになった。
    さて、ここで終わるとこの日のメインイベントがまるで訓練課見学になってしまう(^^;)
    てことで、いよいよ退院です。ナースステーションに行って一通り挨拶を済ませ、エレベーターで一階に下りてセラピストさん達にも挨拶を済ませた。約半年間、長らくお世話になった病院の入口で車椅子を返して病院を出た。この日は奥さんが運転する車に乗って帰る。退院前に『退院した日は何が食べたい?』と聞かれたが入院中食べに行きたいと思ってた外食は車椅子を降りたばかりの杖歩行がまだまだ不安な僕にはハードルが高くてキビシい…行きたかった中でも家で食べれるのは焼き肉やな。って事でこの界隈では有名でちょっとだけハイソなYスーパーに肉を買いに行った。スーパーならカートがあるから歩行器代わりになるかも!って想像してたので実際に歩行器代わりにもカートを使ってみると…杖で歩いてる方が断然楽だった!
    なんや入院してる時は色々不安やったけどいざやってみるとなんて事はなかった!足元の不安なんかより久しぶりな娑婆の空気感にウキウキで心配してたことなんて綺麗さっぱり忘れてた(^^)v
    そんな中店内をうろついてると僕の好きなラム肉が売ってたので迷わず奥さんに「ラムにしよ!」ついでに赤ワインもと言いたかったが、お酒は飲んでも良いが医者に飲める量を決められてるので初日のそれは諦めた。
    そう言えばこれを書くのを忘れてたが、先月引っ越しした。
    このエッセイの初回に書いた自宅のマンションの4階は引き払い明石大橋がベランダから近くで綺麗に見える高台のマンションに奥さんとシュナウザーのギンと引っ越してきた。
    ちなみにこのミニチュアシュナウザーは本名ギブソン。略してギン。(^^;)
    せめて『ギブ』にしてやれば良かったかな?と今更思っても後の祭で本人は自分の名前はギンだと認識してる。
    その話はまた今度で。
    家に帰ってまず、半年ぶりに会ったギン。大丈夫、忘れられてませんでした。てことで買ってきたラム肉を『煙が出ない』がキャッチコピーのロースターで焼いて食べた!いや~美味かった(o^^o)出来ればこれに赤ワインがあれば完璧なんやけど、(実は家には店から持ち帰ったワインセラーがあるのでさっきのスーパーで売ってたワインより遥かに良いワインがいっぱい入ってるが)それはまた今度の機会にしよう(o^^o)
    てことでやっと帰ってきました。
    それではおやすみなさい(^_^)ノ
    see you !

    番外編①『ネットショッピング』

    手術をした後のJ病院での話です。
    病室ではスマホでYouTubeの動画をよく観ていた。
    基本、病室でTVやスマホで動画など観るなら必ずイヤフォンをしないとダメって、ルールでした。(当然やな(^^;))
    病院の売店にもイヤフォンは売ってたけど今時のワイヤレスイヤフォンではなく、病室でTV用のジャックを差し込むタイプしか売ってなかった。
    ワイヤレスイヤフォンは持ってたけど誰かに頼むにしても面倒くさいところに保管してたので持ってきてくれるよう頼むのも億劫で楽天かアマゾンで買う事にした。
    ところがだ!よ~く考えなくてもここは病院。僕は入院患者。う~ん……やれるかな?よっしゃ、やってみよっと。そう、品物の送り先をこの病院にしてみた。
    楽天で良さげなワイヤレスイヤフォンをポチっとして送り先の住所を病院にする。住所の最後は病室のある階と部屋番号を書いた。品物を送る方にすればちゃんと住所も電話番号も書いてあるから普通に送ってくるはずだ!
    そして何日か経ったある日、いつものようにデイルームでボーッとしてたら病院の事務の人が近寄ってきて『あの~清水さんですか?』
    「あ、はい」
    『これ届いてました』
    と、箱と伝票のようなものを渡してきた。
    ピンと来たので病室に持って行って箱を開けるとワイヤレスイヤフォンが届いた(^^)v
    「うまいこといったがな!入院しててもネットショッピング出来るねんな~」
    そんなに難しい事ではないがこの頃スマホとBluetoothでペアリング設定とか不自由な手でよくやれたな(^^;) と、我ながら感心する。けどこの一連の出来事って自主リハビリやな!そっか、この頃からもう自主リハビリしてたんやなオレ!(^-^)
    これに味を占めた僕は次々ポチりだした!
     
     
    急性期のリハビリで杖歩行の練習をしててセラピストさんに「この杖って病院のですよね?いつかは自前の杖になるんですか?」
    『そうですよ』
    ほっほ~楽天で杖とか売ってんのかな?まぁええわ、後で見てみよっと。
     
    そして病室に帰ってから検索してみると、出るわ出るわ。めっちゃ色んな杖がある!リハビリの時に使ってる病院の借り物は色気もクソもないシンプルなザ・杖って感じだけど楽天で検索してみるとカッコイいのがいっぱいある!その中でも杖の先端のゴムの部分が絵に描いたサクラの花びらの様な形で少し広く広がってて手を離しても軽く自立するようになってる。なるほどな~って感心しながら色は好きなワインレッドを選んでポチった。
    するとこれまた数日で届いた。なんだか嬉しくなってきてもう一本気になってた杖があって、、これは先が四つ足に分かれててシッカリ自立する杖で病院の借り物杖にも同じものがある。そう、使った事はなかったけどこれも気にはなってた杖だ。これまたワインレッドを選んでポチった!
    そしてまた届いたがそろそろ病院の事務の人が首を傾げだした。『清水さんこの大きい箱ってなんなんですか?』
    「ああ、杖ですよ」後に分かる事だが杖はこの後転院するリハビリ病院でリハビリを受けながらセラピストさんと一緒にどんな杖にするか相談して買うものだったようだ。
    そんな事は知らないから先走って次々ポチった。(^^;)
    不自由極まりない入院生活の中で手にした小さな自由だった!(いやいや、ちょと待て!ICUから出てきて間もない奴が病院からネット通販してるとか、小さい事ちゃうぞ!)
     
    そしてとうとう病院の事務の人が来た。『あの~清水さんネットで買い物して病院に届けるの辞めてもらっていいですか?』そらそーやろ(^^;)
    「わかりました、すいません。」
    てことで入院中のネットでポチるのは辞めました。ちゃんちゃん。
    けどこの時担当看護師さんが『病院からネットで買い物出来るんですね!こんな事する患者さん初めてですよ(^^;)』だって。もしかしたらJ病院で入院ショッピングの先駆者になったかも!んなわけないか(^^;)
    てことでこの話はエッセイの流れの中では横道それた馬鹿話だったけどどうしても書きたかったので番外編①として入れました。また何か思い出したら番外編②として入れるかも?しれません。 おしまい (o^^o)
     


    あなたへのおすすめ