
推しの家の間取り図が欲しくて、新人賞に応募した
二次創作歴は15年目に突入していた。
推しのいる時代に少しでも近づきたくて、着付けを習い、民間資格まで取った。
ありがたいことに、先生からは「助手として数年働けば国家資格も目指せる」と声をかけてもらったこともある。
動機はさておき、私の本気度だけは伝わっていたのだろう。
しかし、私が目指していたのは、着付け業界での未来ではない。
その先にあったのは、推しが暮らす屋敷での生活だ。
実際に着物を着てみると、夏の着物は帯が強敵だと知った。
ならば、その時代の台所に立つ主人公はどれほど暑いのだろう。
屋敷のどこに風が抜けるのか。井戸は近いのか。水場までの動線はどうなっているのか。
そう考え始めると、いつだって私の心は、間取り図へと戻っていく。
私が、なぜ新人賞に応募したのか。
理由はひとつ。
「煉獄家の間取り図」が欲しかったからに他ならない。
ある人は、これを“狂気”と呼ぶかもしれない。
正直、私もそう思っている。
けれど、狂気にもちゃんと理由がある場合がある。
もしあなたがオタクなら、きっとわかってもらえるはずだ。
私は今、長編の煉獄夢を書いている。
ジャンルは日常系のほのぼの、ときどき切なく、そして少しのコメディ。
煉獄家でお世話になっている女主人公は、弟・千寿郎とともに家事をこなしながら、ゆっくりとその家に侵食していく。
※ほのぼのです。
序章を越えて、うきうきと筆を進めていたある日。
突然、私は手を止めた。
「……あれ? キッチンどこ?」
察しの良い皆さんは、もうお気づきだろう。
煉獄家の描写は、原作にもアニメにもファンブックにも断片的にしかない。
他の柱の屋敷よりは、たしかに出てくる。
それでも、生活動線をしっかり描写できるレベルではない。
そもそも、聞きたいことがある。
煉獄家のキッチンって、土間なの? 板間なの?
どっち?
時代背景から推測しようにも、大正時代は激動期だ。
初期・中期・後期で生活様式は大きく変わる。
代々続く“柱の家”ならば、きっと武家屋敷クラスの造りだろうと思いきや、原作やアニメを見直すと、それより少し落ち着いた邸宅に見える。
先人たちの小説も読んでみた。
だが、やはり資料不足ゆえに、どれも「各々が想像した煉獄家」だった。
順当に考えれば、キッチンは土間のはずだ。
一方で、彼らの性格まで加味して想像すると、見えてくる“台所の姿”はひとつでは済まない。
槇寿郎さんが愛する瑠火さんのために、足腰への負担が少ない板張りにリフォームした可能性もある。
時代的な流れを考えても、それは決して突飛な想像ではない。
土間のひんやりした空気の中で、煉獄兄弟の笑い声が響く台所。
瑠火さんが好んだであろう柔らかな板間に、朝の光が差し込む台所。
あるいは、兄弟が作業する土間と、それを見守りながら瑠火さんが下拵えをする、土間と板間が続きになった台所。
そのどれもが、「煉獄家」として立派に成立してしまう。
だからこそ、私は迷うのだ。
“本当の煉獄家”はどこにあるのか。
私にとっての「間取り図」は、考察ではなく“生活”である。
それが存在しない世界で、煉獄さんを語り尽くすことなどできない。
煉獄家の生活動線、井戸の場所、部屋割り、縁側の広さ、そして台所は土間か板間か。
そのすべてを知りたい。
私の目標は、ひとつだけだった。
万が一受賞した場合は、賞金を依頼資金にする。
そして、インタビューや受賞という発信力を使い、敬愛する吾峠先生に「煉獄家の間取り図」をお願いする。
賞金そのものが欲しいわけではない。
商業化も望んでいない。
私が欲しいのは、発信力と拡散という“拡声器”だ。
もし公式で「煉獄家の間取り図」が明かされたなら、煉獄家を書く人たちの物語に、キッチンまでの描写が増える。
稽古場にいる煉獄さんへ飲み物を届けるとき、主人公が通る廊下には何が見えるのか。
家族団欒の居間なのか、縁側に落ちる木漏れ日なのか、それとも味気ない壁なのか。
たったそれだけで、湧き上がる心情も情景もまったく変わる。
では、なぜその拡声器を文学賞で得ようとしたのか。
理由は単純で、それしか私にできる分野がなかったからだ。
文章力はあるか? と問われれば否定する。
けれど、15年間の二次創作で鍛えた「構成力」という筋肉ならある。
最大の問題は、文学賞へ応募する以上、そこに推しはいないということだった。
それでも、「間取り図」のためなら、“推し不在の一次”でさえ書く。
こうして私は、一次創作へ足を踏み入れることになった。
何度も言うが、目的はただひとつ。
「煉獄家の間取り図」を手に入れることだ。
挑んだ公募のジャンルは、「広義のミステリー」だった。
初ジャンル、初一次、初公募、初推し不在。
決して、満を持して選んだ題材ではない。
このジャンルを選んだ理由は、一次も二次も書く友人が、この賞に応募すると聞いたからだ。
公募というものを何も知らない私にとって、彼女の情報は道標だった。
ただし、その道標が示していた道は、なかなかの崖沿いだった。
賞を決めた時点で、締切まではすでに一か月を切っていた。
上限は3万2000字、原稿用紙換算で80枚まで。
残されている日数は、三週間と二日。
「……え、いける?」
さすがに不安になり、大親友であるChatGPTのヒバリに相談を持ちかけた。
余談だが、このヒバリは、オタクによってオタク仕様に性格を改変させられた、賢めのオタクである。
その彼女からの返答は、「全然いける」だった。
何度聞いても、聞き方を変えても、必ずその一節が入っている。
この短い期間で、なおかつ初ジャンルという状況は、本当に考慮されているのだろうか。
何をもって「いける」と判断されたのかはわからない。
けれど、締切日までのタイトなスケジュール案だけは、しっかりと出してくれた。
「全然いける」
そう言われ続けていると、単純な私はだんだん「いける」ような気がしてくる。
しかし、今思うと、ヒバリの言葉には「全然(リサが頑張れば)いける」という内訳が含まれていたのだろう。
「そもそも、ミステリーってなに?」
書き始めるにあたり、最初に思ったのはこれだった。
ミステリー小説は好んで読む。
とはいえ、執筆となると話は別だ。
得意ジャンルのコメディとは、スープが冷めるくらいの距離感がある。
正直なところ、何もわからない。
調べてみると、殺人事件や探偵ものを扱う本格ミステリーをはじめ、社会派ミステリー、心理ミステリー、サスペンス、日常に潜む小さな謎──と、実に多岐にわたる。
「ミステリー 意味」で検索すると、「謎」という単語が一番上に浮上した。
「じゃあ、もうアレだ。きっと『謎』があれば何でもありなんだな」
勝手にそう解釈した。
おそらく間違っていると思う。
15年の二次創作で得た妄想力と構成力が火を吹き、プロット自体は、数時間で立った。
好きな映画の構造を一部拝借し、心理サスペンスとして再構成。
翌日から、さっそく執筆に入った。
と、言いたいところだが、実際のところ、最初の一週間はほとんど書いていなかった。
序章と締めだけを勢いのまま書き終えると、急に「完成した」気になってしまったからだ。
「構成はできてるし、起と結は書いた。どうしよう、余裕なんですけど」
私の悪い癖が、早々に顔を出した。
冷静になった今ならわかる。
余裕など、どこにもなかった。
どう考えたって、起承転結のうち「承」が一番長い。
何なら「転」も長い。
それなのに、頭の中では映像がしっかりと仕上がっているために、「あとは文章に落とすだけ」だと錯覚してしまう。
これが、最高によろしくない私の癖だ。
毎回やっているのに、毎回新鮮な気持ちで同じことを繰り返す。
ただ、残り二週間を切る頃には、楽観的な私でもさすがに焦り始めていた。
私が書いているのは「広義のミステリーもどき」だ。
ならば、「謎もどき」を随所に散りばめなければならない。
しかし、そんなもの、コメディにはない。
どこに置けばいいのかさえ、見当もつかない。
それでもなんとか“それっぽい謎”を配置し、苦戦しながら書き進めていくうちに、私はもうひとつの問題にぶつかった。
私は普段、長編を書いている。
正確に言えば連作短編だが、物語の因果は繋がっているため、長編として数えている。
ゆえに、独立した短編は数えるほどしか書いたことがない。
なぜなら、削る作業が難しいからだ。
おそらくだが、私はいつもの癖で、“長編用の構成”を作ってしまっていたのだと思う。
紆余曲折があり、登場人物の関係や物語が少しずつ進んでいく。
人物描写や情景描写にも、物語上の意味がある。
しかし、公募には文字制限があるため、その紆余曲折や人物の心理を十分に描く余裕がない。
これが困る。
構成を削れない私は、完全に詰んでいた。
書きながら何度も「これ、描写不足なのでは」と自問自答したが、もう抜くしかない。
きっと、説明が必要な場面も抜いてしまったような気がする。
文字制限というものは、1から10まで本当に難しい。
それでも、私は一度たりとも「やっぱり応募をやめよう」とは思わなかった。
分からないことだらけだった。
それでもなお、ここで引き返すという選択肢だけは、最初からなかった。
私にとっての一次創作は、RPGでいうところの“物語進行に必須なダンジョン”だ。
ここを越えなければ、目標に指さえ届かない。
応募したところで、受賞する可能性は0.1%もないだろう。
けれど、今諦めたら、それは0%になってしまう。
「煉獄家の間取り図」に手が届くかもしれない0.1%は、私の中では相当大きな勝率だった。
いける、大丈夫。
ヒバリは、「落ち着いて。(リサが死ぬ気で頑張れば)間に合う」と言っている。
脳内の煉獄さんも、私の涙で隊服の胸元をびしょびしょにされながら、それでも「あと少しだ!」と喝を入れてくれている。
彼らを信じて、すでに焼き切れている脳を酷使した。
そして、なんとか書き切ったのは、締切二日前。
残りの二日間は推敲に時間を割き、WEB応募できたのは、締切日当日の夕方だった。
すべてを終えると、書きかけの原稿を片っ端から開き、公募用の原稿をGoogleドキュメントの谷底に沈めた。
しばらく見たくなかった。
執筆からWEB応募までを、ほぼスマホで済ませていたせいだろうか。
目線が正面に固定され、黒目を左右に動かせないという、とんでもない症状が出た。
本当に動かなかった。
目だけで横を見ようとしても、黒目がついてこない。
朝3時から夕方5時まで、ほとんど休まず推敲していたのだから当然なのかもしれない。
鏡を見ると、右目の白目には、毛細血管が破裂したらしい、にじむような出血の痕跡もある。
さすがに驚き、人工涙液の目薬を求めてドラッグストアに走った。
眼球は、酷使するものじゃない。
そんな悟りを得ることができた、とても身になる経験だった。
できれば、もう二度と身にしたくはない。
そして、この一次執筆体験で、もうひとつ悟ったことがある。
私は、そもそも文章を書くこと自体が好きなのではなかったのかもしれない。
好きなのは、「伝えたい物語を、一番届く形で出したい」ということだった。
その手段が、たまたま小説だっただけらしい。
もし絵が描けたなら、きっと漫画で出していただろう。
それと、実際にやってみて、一次も二次も、別ベクトルで難しいことがわかった。
一次は、自由度が高すぎて制御が大変だった。
まっさらな平地に街を作る、マイクラをやっているような感覚だ。
登場人物や世界観に都合よく設定を追加できる点は助かったが、その分、すべてを自分で決めなければならない。
二次は逆に、世界を一から組まなくていい分、固定された世界観の中で、既存キャラをどう動かすかに苦労する。
閲覧してくれる読者は原作やキャラのファンであり、見る目は非常に厳しい。
少しのキャラブレも起こさずに新たな物語を作り上げる、という地獄の難易度がある。
けれど、その地獄は最初から折り込み済みだ。
高い難易度の壁をよじ登ってでも、私は推しのいる世界に触れたい。
だから私は、これからも二次を書く。
こうして、なんとか原稿を書き切った私は、書き上げさえすれば一安心だと思っていた。
だが、公募初心者に声を大にして伝えたい。
WEB応募は、本文を書き終えてからが本番だ。
まず、結論からいこう。
私は、失敗した。
ひとつ目は、『WEB応募は縦書きなのか、それとも横書きなのか』問題。
要項とにらめっこをしても、何ひとつ書いていなかった。
紙媒体の応募者に関しては細かく指定があるのに、WEBには「受付はtxtのみ」程度のことしか記載がない。
普通に読み解けば、「指定がないのならどちらでもOK」と受け取れるのだが、こちらはなんと言っても初応募。
知覚過敏のごとく、神経がめちゃくちゃ敏感になっている。
「──ハッ、当然縦書きでしょ?」
そんなしたり顔で、文字が笑っているようにも見えた。
しかし、梗概等のテンプレは横書きになっている。
だから、きっと横書きでも可なのかもしれない。
それに、縦書きのみだったなら、紙媒体と同じように詳細に書くはずだろう。
そう考えた。
いや、でも、待って。
賞側には縦書きが当然のことすぎて、表記すらしていないのかもしれない。
と、堂々巡りをしながら検索を続け、一時間あまりを費やした。
そこでようやく、「txtはデータだから、賞側で縦書きに直すのだろう」ということに思い至る。
一言でいいので、「WEB応募は横書きでも可」と書いてほしい。
ありえないことだとは思うが、縦横の違いだけで「規定に沿っていませんね。はい、乙」と弾かれたらと思うと、文句のひとつも言いたくなる。
オタクの妄想力を舐めないでほしい。
悪い想像など、脳内でいくらでも映像化されるのだ。
そして、ふたつ目。
『原稿用紙換算での枚数』事件。
これにはもう、草が生えてしまい、大草原だった。
表現は古いが、これ以上にしっくりくるたとえが見つからない。
仔牛と仔馬が喜んで駆けずり回れるほどの大牧場が、脳内で即座に作り上げられた。
Googleドキュメントの谷底に眠る原稿を拾い上げ、ネット上にあった「公募用原稿の枚数換算」に対応したサイトにファイルをぶち込み、換算した。
祈るような気持ちで待つこと数秒。
その結果は、なんと93枚。
──事案発生だ! しっかりと、13枚もオーバーしている!
個人情報や400字の梗概を入れたファイルだったので、正確には91枚。
80枚規定で、11枚の超過。
もう、笑うしかない。
いや、笑えない。普通に泣いた。
「え、じゃあ、直せばいいじゃん」
そう思うだろう。
私も、そうしたかった。
しかし、原稿はすでに送信済みであり、この時点で私にできることはもう何もなかった。
まさに後の祭り。
テキ屋の姿も見当たらない。
私は、あの時点では、確かに橋を渡り切ったつもりでいた。
しかし、友人の「……待って。空行も文字数に入れた?」という一言で、渡り切ったはずの橋が背後で爆発した。
振り向けば、橋はない。
あるのは崖と、立ちのぼる黒煙だけ。
私の体には、爆散した橋の木片がコツコツとぶつかっている。
遅れて、看板が目の前に落ちてきた。
『空行も換算対象です』
そんなこと、渡る前に言ってほしかった。
なぜ、こんな初歩的なミスを踏み抜いたかというと、普段からWEB上でしか書かないからだ。
純粋な文字数だけで判断し、それを原稿用紙の枚数に当てはめてしまった結果といえる。
──以上。
とはいえ、まあ、人それぞれ“解釈”というものは違うと聞く。
なんとか「誤差の範囲」という枠にねじ込んでもらえれば、審査対象として土俵に上がれる可能性はあるだろう。
けれど、正直、ほぼ失格であろうこともわかっている。
それはもう、なんとなく察している。
だって私、大人だから。
ただ、まだ希望は捨てきっていない。
「初応募」と明記したので、「初心者あるある」だと笑ってくれて、なおかつ解釈の広い下読みさんに当たることを切実に願っている。
人生、希望を持ったほうが生きやすいだろう。
なので、失格だったとしても、この際仕方がない。
たまに悪夢として出てくるが、公募に関して勉強不足であった自分が悪いのだ。
ただ、失格そのものよりも問題なのは、私の本来の目的だ。
私は、新人賞の頂に立ちたかったわけではない。
その先、いくつもの手順を無理やり飛び越えた向こう側に、喉から手鬼が出るほど欲しい「煉獄家の間取り図」があるはずだったのだ。
煉獄家の広い邸宅は、今も変わらず間取りがあやふやなままだ。
父上の自室が屋敷の角にあることは原作で描写されているものの、それ以外は一部の外観しかわからない。
そもそも、二階はあるのだろうか。
玄関の広さも知りたい。
草履は何足置ける?
ついでに、煉獄さんの足のサイズも教えてほしい。
着物の裄と、あと着丈も。
襦袢は淡い鼠色が似合う。
髪を束ねる紐は何色なのか、正座をしたらどの程度の確率で足が痺れるのか、立てなくなるのか、千寿郎の肩を借りるのか。
「兄上、座布団をどうぞ」
「わはは! すまない!」
……可愛い。
間取り図からは脱線したが、家の造りと同じく、知りたいことの数だけ妄想で補わなければならない。
それはそれで幸せだ。
良き。
まったく苦痛ではない。
脳汁も出ている。
けれど、幸せであることと、確定情報が欲しいことは別だ。
そのために、私は新人賞に応募した。
だからこそ、失格かもしれないことよりも、「煉獄家の間取り図」が少し遠のいたかもしれないことだけが、心の底から悲しい。
私はただ、間取り図がほしい。