
私は私を手に入れた。
人生には自分が自分と向き合うことでしか
解決しない抜けられない
どうしようもない時期があると思っています。
誰かからみたら意味がない時間に見えるかもしれない
「人生有限、時間は有限
あれやってこれやって
それでも足りないぐらいだよ?
立ち止まってる時間なんて
無駄以外何物でもない
人生を停滞させてるだけで意味ない。」
そう思われ自分の停滞を軽く扱われこともある。
正しいと思う、理屈はわかる。
私もそう思う。
無意味。空っぽ。
でも
自分が本当に空っぽに辿り着くことに
私は意味があると思ってる。
そこまでいってようやく自分がみえてくる
わかってくる。
上辺だけで自分を動かすことが私にはできない
自分が納得できなければどんなにいい言葉も全く頭に入らずただ流れていくだけだった。
自分を空っぽにする作業は孤独で苦しい。
明確な終わりが見えない
わかりやすく変化しない日々や時間が
自分を責めてくる、自分に問いかけてくる
答えがでない毎日がただただ苦しい。
私は私という人間が何を考えていて
本当は何が欲しいのかを知らなかった
知っていたつもりなだけだった
人生はもっと淡々とスムーズに進むと思っていた。少なくとも20代のころはそれが当然のように思っていた。
それが予想していたものを遥かに大きく超えた。外れた、といった方が私にとっては正しいのかもしれない。
あたりまえのようにいわゆる普通の幸せが当然自分にも用意されてると思っていた
30代にスムーズにいかない自分の人生に自分で闘いを挑み撃沈した、
40代になりただただ停滞した日々を送った
はじめて
わたしはわたしと向き合った、
なにももつことができなかった自分と
50がもうすぐみえてきた今、ようやく自分を扱うことになれてきた気がする、結局私は一人だ。それでもそんな自分に自分でOKを出せてる気がする
今やっと心は凪にように静かになり。自分を許せている気がする。
わたしは、なんで他の人は普通に結婚してるのにどうして私だけが?なんで私なの?と苛立ち途方に暮れた。そんなのおかしい、私だけ損してる、そんなの割にあわない、いつもそう考えていた。
普通の人が手にしている幸せを遅れてでもなんとか取り返してもとをとらないと不条理だと思っていた。
今考えるととんでもなく傲慢だった
でも、そう考えてしまうそのときの自分もまた
正直な自分でもあったと思う。
割にあわないこともまた自分の人生。
とふっと思えたとき、楽になれた気がした。
私だけ損してる、あれを手に入れないと納得できない、私だけなんで?
が頭から消えたとき私の心は静かになった。
別にいま、自分の人生を諦めたわけじゃない
わたしはわたしになっただけなんだと思う。
ただそれだけのことを時間をかけて
ようやくわかり、
いま、はじめてわたしはわたしになれた
きっとそれだけのことなんだと思う。
1人で家に向かう帰り道に
心の中でふと思う
「一人でもまあいいかな、
でも誰かみつかったらいいな。」
このぐらいの感覚でいられる
いまの自分の人生は最高とは言えないけど
きっとほどほどに幸せでそして気楽だ。
家に向かう足取りは今はそんなに重くはない。