ピラニア温泉
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客室の広縁の向こうは出窓になっていて、広縁に置かれた籐椅子に腰掛けながら私は外の渓谷の緑に目をやっていた。窓の向こうでは何匹ものピラニアが宙を泳いでいて、時折私は窓から手を伸ばしてはそれらの一匹を掴み取ってむしゃむしゃと食い散らした。やや泥臭いのを除けば、ピラニアはタラのような味がした。
昼になると私は浴場へ行った。脱衣所に数人のカップルがおり、情事に耽っていた。時計と財布、スマートフォンをロッカーにしまうと、私は浴室へ入っていった。石敷きの室内には湯気がもうもうと立ち込め、私は滑らないように注意して進んだ。石囲いの浴槽は黄色い湯で満たされており、かけ流しだった。窓の方の樋からは真っ黄色な湯がどぼどぼと吐き出されていた。湯に入っているものは誰もいなかった。右足から入れると黄色い湯は浴槽全体をゆっくりと波立たせて揺蕩った。肩まで浸かると私は「はあっ」と一息吐いてから手に掬った湯を一口飲み干した。しょっぱい味がした。10分ほども浸かっていると、顔が汗だらけになり、緑色の汗が目に滲みて痛かった。それでも浸かり続けたのは、20分浸からなければ効果がないという入り口の高札を見たからだった。効能が書いてなかったので温泉が何に効くのかはわからなかったが、とにかく効くらしいというので、私はそれに従っていた。 窓の外は相変わらず渓谷だった。だが今度は階が下がったので、見える角度はだいぶ違っていた。風景は緑よりも灰色の石が多くなり、河原にごろごろと転がっていた。河原には水遊びする人々の姿も見えた。夏だ。短パンにTシャツ、中には麦藁帽を被った女児の姿もあった。父親らしき若い男性にふざけて水を掛けられてはきゃっきゃと騒いでいる様子だった。母親らしき女性の、短パンの裾から伸びた両脚が妙に艶めかしかった。彼らの頭上には相変わらずピラニアが泳いでいる。
映画館を出るような気持ちで私は大浴場を後にした。室に戻ると、そこには膳と布団が用意されていた。まずは膳の前に座って火の収まりかけた鍋の蓋を布巾を宛がいながら取ると、葱なんかの野菜やシイタケなどと一緒にピラニアが現れた。ピラニアの眼は真っ白に濁り、口は半開きで、小さな牙が露わになっていた。箸でほぐしながら身をつつくと、今度は下処理がきちんとされているからか、泥臭い臭いは殆どなかった。養殖なのかもしれない。温泉場なので温かい水には不自由しないのだろう。そういえば近くには小さい地熱発電所もあった。地熱で町おこし、ピラニアが名物なのだろう。
膳を下げてもらい、日の沈んだ後の薄暗い河原を窓から眺めていた。ピラニアたちはもう塒へ帰ったのか、一匹も泳いではいなかった。ただ私の足元には、昼間私が食い散らかしたピラニアの身のかけらが散乱していた。仲居はこんなところにまでは目が届かなかったのだろう。 ピラニアたちはどこへ帰ったのだろうと、木々の影の隙間から見える河原を見下ろしながらぼんやりと考えていると、ふと、あの地熱発電所かも知れない、と思い付いた。明日、行って確かめてみよう。出窓と広縁の障子を開け放したまま、私は床に就いた。