
逢魔伝(おうまでん) 3-4
四
「お茶も出してくれないのね」
客間に通して、座布団を進めると、開口一番にそんなことを言われた。東堂は、サングラスを外して、それを胸ポケットに入れると、小脇に抱えていた荷物を下した。アーモンド形の瞼にふちどられた茶色い瞳が、瞬きをくり返しながら、こちらをじっと見つめてくる。
それにため息をついて、ぼりぼりと頭をかいた。「おい、カラス」と、少々苛立った調子で声を上げる。台所の方から、「はーい、ただいま持っていきます」と陽気な声が返ってきた。なんだ、もう用意していたのか。驚いて、言葉を飲み込んだ。すると目の前の女が、突然大きな声で笑い出した。
「すっかり、亭主関白が板についてるじゃない」
誰のせいだよ。と、きつく睨みつけたが、効果はない。
「何の用だ。僕は忙しい」
「そう急かさないでよ。もう少し会話を楽しみましょう」
「君と楽しむ会話なんか無いよ」
「相変わらず、冷たいわね」
「いつだって人に面倒事を押しつけてくる女に優しくできるほど、人間ができてないんだ」
東堂は、なによ、と眉をつりあげて頬をふくらませた。
本当のことだ、と煙草盆を引き寄せて煙草を一本くわえると、それに火をつけて紫煙をくゆらせた。
ちら、と小脇に抱えていた黒い包みに視線を送る。赤ん坊くらいの大きさをした包みは、ところどころ妙な凹凸をもっている。縁側から吹きこんでくる風に、時折かさり、と揺れるのを見ると、中身はそれほど重さのあるものではないようだ。
「それで?中身は何だ?骸骨でも入ってるのか」
火のついた煙草の先で、荷物を指し示した。それと同時に、部屋の襖が開く。ひょっこり、と顔をのぞかせたカラスは、先ほどとは違って、他所行きの黒い着物を着つけている。
「粗茶ですが」と言いながら、東堂のそばに正座した。盆の上からテーブルの左右に、湯呑を二つ移動させる。それじゃあ、俺はこれで、と言って早々に引きあげて行った。
はあ、と一つため息をついた。会話が中断されたため、一度灰皿の上に灰を落とす。淹れたての茶をすすっていると、ようやく東堂が口を開いた。
「態度を改めて。依頼人に失礼でしょう」
「依頼人?」僕は片方の眉を持ち上げて、湯呑をテーブルの上に置いた。
「そんなのどこにいる」
「目の前にいるじゃない」
「ふざけてるのか?」
うんざりとした声を上げると、東堂はため息をついて前髪をかきあげた。脇にどけていた包みを、畳の上で広げると、その中身を取り出して、こちらに差し出してきた。
「これは、」くわえていた煙草を灰皿の上でもみ消した。淡い桃色の花をつけた枝が、目の前で左右にゆれた。「梅の花か」
ずっしりとした重さと、ざらざらとした枝の表面に触れながら、そっと撫でる。妙だ。露にぬれているように湿っている。東堂が取り出した黒い包みに目をやったが、紙は濡れていない。どういうことだ?口を開こうとしたが、珍しく真剣な表情をしている東堂に、先を越された。
「彼女は、楊貴妃って言う八重咲きの梅よ」
「まさか、これが依頼人なのか」
「これってのは止めてよ。彼女けっこうプライドが高いの」
ふうん、と軽くうなずいて、楊貴妃を東堂に返した。ゆれる花びらの先から落ちた雫が、親指を濡らす。その冷たさに一瞬眉をしかめたが、すぐに指をこすって拭いた。
「不思議な木でね。毎年、三月と六月と十二月には、雨に濡れていなくても全身が濡れるの。しかも、その液体」東堂は、いま拭った僕の親指を指して、にやにやと笑った。「得体が知れないの。いま、うちの社員が調べてるけど、ただの水じゃないことだけは確か」
「よくもまあ、そんな得体の知れない女を連れて来てくれたものだ」
「だって、あなた得体の知れないもののプロじゃない」
「そんなこと公言した覚えはない」
ため息をついて茶をすすると、それで?と、話しの先をうながした。東堂は、広げられた黒い包み紙のうえに楊貴妃をそっと置いた。その手つきは、本気で彼女を労わっているようだった。理不尽でマイペースで自分勝手な東堂にも、そのような配慮ができるのか。素直に感心した。
「どんな面倒事を頼まれた?」
「それが、今回は本当にわたしのところに来た依頼じゃないのよ」
「どういうことだ?」
「わたしを経由しただけで、彼女、元々はあなたのところに直接行きたかったみたいよ。それだけの力は持っているはずなのに、アクシデントがあったみたいね」
「アクシデント?」
「何かわからないけど、邪魔をされたのよ。たぶん」
「たぶんって、ずいぶんいい加減だな」
「しょうがないでしょう。わたしだって詳しいことは知らない。ともかく、彼女のわたしへの依頼は、あなたのところへ連れて行くことだった。彼女はあなたに直接、頼みたいことがあるのよ。だから、最初の一言から、いっさい何も話そうとはしない」
「おい、おい、ちょっと待ってくれ」
なによ、と怪訝そうに眉をよせた東堂の顔を見ながら、息をついた。頭をぼりぼりとかきながら、口元を歪める。
「まさか、その枝が君に話しかけてきたって言うのか?」
「そうよ」
「誰かに頼まれてその枝を持ってきたのではなくて、その枝に直接お願いされてここまで来たって、そう言いたいのか?」
「ええ、その通り」
「馬鹿な」呆れた声を上げて、頬づえをついた。「寝ボケるのも大概にしてくれよ。そんな神木みたいなものの願いなんか、人に叶えられるはずないだろう」
肩をすくめて、煙草盆を引き寄せると、煙草をくわえて火をつけた。東堂は不機嫌さを隠そうともせずに、体を微かに揺すぶり出した。腕を組んで、こちらを睨みつける。
「なによそれ。あんたの身の回りで起こってることと、どう違うのよ」