「あの人の彼女」になりたくない
私は、恋人はいないほうがかっこいいと思っている。
昔からかっこつけることが大好きで、幼稚園生のころの夢は消防車、小学生のころの夢は忍者だった。
好きなおもちゃは、ラジコン、NARF、プラスチックと吸盤の弓。妖怪ウォッチなんか、本気で痺れていた。まず、時計って時点でカッコイイ。そのうえ、妖怪を照らすための部品がビー玉。粋すぎる。小学生の私はビー玉をたくさん集めていた。
100均で10個くらいまとめて売られているものは、なんか必然的な気がしてイヤだった、だから、駄菓子屋でラムネを買って、瓶を割って、中のビー玉を取り出していた。
小学生にしてはかなり良い感性をしていたと思う。
真夏の午後3時。庭のアスファルトに瓶を叩きつけて、太陽にかざし、傷のない球体を見つめた。光を透かしたビー玉は世界の核みたいに見えた。妖怪が見えたことは一度もなかったけど。
とにかく、そういう趣味で生きてきた。だから今でも、恋人はいない方がかっこいいと思って生きているし、SUPER YURA CHANとかいうふざけた名前で音楽活動をしている。
恋人は、私を説明する要素になってしまう。誰かと付き合った瞬間、「あの人の彼女」というレッテルが、自分に張り付く気がする。それが嫌だ。せっかく一人で磨いてきた輪郭を、他人に侵食されたくない。
たとえ相手がかっこいい人であっても、人間だから、その人のカッコ悪さがいつ露呈するか分からない。花火の動画を、知りもしない曲を添えてストーリーにあげるような人かも知れないし、そういうまだ見ぬ誰かのだらしなさや浅ましさに、自分の輪郭を引っ張られるわけにいかない。
あと、「私という存在をたった一人が選ぶことを許した」感じも、なんか嫌だ。すごくかっこわるい。
私は私だけのものであり、当たり前だけど、週に一回ベーグルを食べることや喜怒哀楽の一切は、私主体で決める。
ところで、私の好きな人は本当にかっこいい人なので、私のような人のことを好きにはならない。
もし仮に、その人が私を好きになったとしたら、「私を好きになった」という事実によって、その人はかっこ悪くなる。
FRUITS ZIPPERなら、「自販機の前で小銭をぶちまける人も、NEW KAKKOIIと思います!」とか言って、許してくれるのかも知れないが、私にはずっと磨いていた自分だけの美学があるので、そういうわけにはいかない。
だから私は、真夏のアスファルトに瓶を叩きつけて、光に透かしたあの球体のことをまだ信じているし、
「誰のものでもないかっこよさ」を追い求める。
これは恋愛観というより、美意識の形成史なのだと思う。