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父とマッチ箱


    「それでね。百貨店の通用口に向かっていたら、後ろから『おはようございます!』って声かけられたの。誰だろう? まだ異動してきたばっかりなのに、って振り向いたら、いきなりマッチ箱を渡されたのよ」

     何度も聞かされた、父と母の出会いのエピソードだ。
     父が死んでから、母は父の話をたくさんする。
     何度も同じ話をするのだけど、そのたびに知らない父が出てくる。


    *

     
     ママは当時、下着メーカー勤めていて、銀座の百貨店に配属されたばかりだったという。
    「さっき、知らない男の人に手紙の入ったマッチ箱渡されたんだけど」
     なんとママは、その手紙を職場のみんなに見せたのだった。売場にいた女性陣は興味津々で集まってきた。

     手紙には、喫茶店の地図と明日の何時に来て欲しいという内容が書かれていた。
    「やだぁ! これ、外商のノッポさんじゃない!」(ママに名前は出さないでとお願いされたので、パパの名前を仮にノッポさんとする)
     ここで、マッチ箱を渡した人物が、ママの勤める百貨店の社員だということが判明した。
     ナンパの小道具にマッチ箱。シチュエーション的にはちょっと心躍るかもしれない。映画のワンシーンにありそうだ。

    「それで? そのマッチ箱は?」
    「そんなの、すぐに捨てちゃったわよ」
     ぐわぁ、見たかったよ、そのマッチ箱。こんなロマンチックな思い出の品をあっさりと捨ててしまうなんて。
    「ママねぇ、結構いろんな男性に声かけられていたから、あまりなんとも思わなかったのよ」
     かなりモテていたようなことを、さらりと(しかしドヤ顔で)言う。
    「それで、その喫茶店には行ったんだよね?」
    「あまり気が進まなかったんだけどねぇ……同じ売場のE子ちゃんが『行こうよ! 私がついていってあげるわよ!』っていうから一緒に行ったのよ」
    「で? なに話したの?」
    「パパが一方的に自己紹介して、会話はほとんどなかったわねぇ」
     パパは、素敵な女性を電車で見かけて後をつけたら、自分の勤め先の百貨店に入って行ったと言ったらしい。
    「電車で見かけて、『なんて千鳥格子のコートが似合うんだ! 絶対この人と付き合いたい!』と思って、その日のうちに手紙を書いたんだって」
     一目惚れからラブレターを書いて渡すまで、恐ろしいまでの行動力だ。
    「変わった人だなぁ。千鳥格子のコートが良いなら誰にでも着せたらいいのに、って思って聞いてたのよ」
     まぁ、電車で目立つぐらいだから、ママはかなりおしゃれな人だったのだろう。そういえば若い頃のママの写真を見たことがあるが、ツィッギーみたいなミニスカートに真っ赤なパンプスを履いていたなぁ。
     ママは、少し考えさせて下さいと言って、友人とともに電車に乗り、乗り換えの高田馬場駅で降りたそうだ。
    「そうしたら、高田馬場の駅の改札にもうパパがいるんだもん。驚いたわよ!」
    「えぇ? その喫茶店の帰りに?」
    「そうよ」
     なんだ、それ。テレポーテーションか?
    「それで、次の日も仕事の帰りにパパが高田馬場の改札に立ってたのよ。びっくりして、『あの、今日は約束してませんよね?』って聞いたら、『はい。少しお茶でもしませんか? 嫌ですか?』って」
     ママは「モテて、困っちゃう」という感じで話しているが、一歩間違えたらストーカーだよ。私ならヤバいなコイツと逃げるだろう。
     しかしママは至って呑気というか、そんなパパに対して全く引いたりしていないのだった。
     その日から、毎日高田馬場駅でママを待ち伏せしていたそうだ。

     しかし意外だ。
     パパには強引なイメージは全くなく、どちらかというと物静かで上品な人だった。朝私が目を覚ますと、パパの頭はいつでもオールバックに整っていて、パジャマ姿でだらしなくしているのを一度も見たことがない。
     ドリフターズの下ネタにゲラゲラ笑ったりするところはあったが、基本、真面目で百貨店の外商にしては押しが弱そうというのが私の思うパパだ。
     それに比べてママはおおらかというか、お腹が苦しいと言ってスボンのボタンを外して家の中をウロウロするような、あまり物事を気にしないおっとりした人だ。

     実は、パパに告白された時、ママには前の職場にいた時から3年近く付き合っていた彼氏がいたそうだ。
    「その人は熱心で良い人だったんだけど、見た目はパパみたいにカッコ良くはないのよ。身長も高くないし、平凡な顔。どこにもいそうな。でも、スーツはなかなか仕立ての良いもの着ていたわ」
    「平凡な顔って。ひどいなぁ」
     私は呆れて笑う。
     ママは、昔から草刈正雄とかモデル風のイケメンが好きなのだった。
     結局、その付き合っていた彼とは、お母さん(私の祖母)から話をしてもらい、別れたらしい。

     ママはいつも、パパに熱心に口説かれて仕方なく結婚した、という体で話す。でも3年も付き合った人と別れて結婚したのだ。本当は、惹かれていたのだろうと思う。

    「そこからはもうパパは、行動が早くて。私の知らないうちに、銀座の時計店で婚約指輪を作って、銀座のホテルで式場も予約してたのよ」
    「え? ママになんの相談もなしに?」
    「な〜んにもないのよ。
     結納もね、私が仕事に行っている間に、お義母さんと一緒に結納金と結納セットを持ってきたらしく、私が仕事から家に帰ってきた時には、全部床の間に置いてあったのよ」
    「へぇ……結納ってお嫁さんがいなくても成立するんだね……」
     いや、ないな。私なら絶対に怒ってる。

     強引にも程があるが、それを「なんだか、いないうちに結納終わってたのよねぇ」と人ごとのように言うママも相当変だ。
    「新居もねぇ。いつもの間にか、新しくできた郊外の団地に申し込んでたみたいで、それが当たっていたの。ラッキーよねぇ」
     勝手に住む場所まで決められて、ラッキーで済ませてしまうところがこの人の良いところでもあり、悪いところでもある。
     そうして、出会ってから1年もしないでパパとママは結婚したのだった。

    「ほら、パパは初めてじゃないから、慣れてるのよ」
     そういう問題か!
     そう、パパはママで3度目の結婚だった。
     そしてパパはママより14歳も年上なのだった。

    「例えば、旅行に行くでしょ。歳が離れているから、旅館の人に家族ですか? ご兄弟ですか? とか聞かれるじゃない。そういう時パパはすぐに『僕のワイフです!』って答えるのよ。おかしいでしょ。今時『ワイフ』っていう人なんかいないよ」
     ママは屈託なく笑う。
     パパは、「奥様、お若いですね」と言われると、「そうなんです。14歳も離れているんです」と嬉しそうにしていたらしい。

     一度だけ、パパに壁にぶっ飛ぶまで叩かれたことがある。
     私が高校生の頃、ママが思い詰めた顔で相談? してきた。
    「パパの背広のポケットに女の人からの手紙が入っていて、浮気しているんじゃないかと思うの……」

     その数日後、パパに当時付き合っていた彼氏とのことで怒られた。言い合いになった勢いでパパに向かって「浮気しているくせに!」と言い返してしまった。
     その瞬間、パパは見たことのない恐い顔になっていきなり平手打ちをしてきた。
     ものすごい衝撃で私は壁に飛ぶ勢いだった。
     パニックで大泣きする私を、ママが何も言わずに部屋の隅でじっと見ていてたのを覚えている。
     パパが無言で私の部屋を出ていくと、ママは側に来て「パパにあんなこと言っちゃダメじゃない」と言った。
     ママから浮気の話をしてきたのに、知らないふりをして私が叩かれるのをただ見ているなんてズルいなと思った。

     パパが亡くなってから、ママがその時の話をしたことがある。
    「あの時、パパの顔色が変わって怒り出したのを見て、あぁ、やっぱり浮気してたんだ、と思ったのよ」
     私が平手打ちされている間、ママはそんなことを考えていたのかと驚いた。ママは母親である前にやっぱり女なのだなと愕然とする。
     ママの記憶によると、パパは、私を叩いてからダーッと階段を駆け下りてき、後を追いかけると1階の和室に正座して、真っ青な顔でブルブル震えていたそうだ。

    「彼女と一泊して、お別れしてきたの?」
    「だって、向こうが僕のことを好きだというから」
    「好きだと言われたら、どんな女性とも一泊するの? 私と別れるの?」
    「別れない」

     知らぬ間にそんなやりとりがあったらしい。
    「パパは何回も一生懸命謝っていたけれど、知らんぷりしたの」
     正直、夫婦の生々しい話は、あんまり聞きたくなかったなぁと思う。
     同時に、結婚二十数年の私は夫婦とはなんぞやとも思う。
     ママは裏切られたと言っていたが、必ず「あれ一回限りだけどね」と付け加えた。

    「どうしてなんだろうねぇ」
     パパが亡くなってからしばらく、ママはよくこの言葉を口にしていた。
     パパはいわゆる血液のガンだった。
     家族の健康に人一倍気を遣っていたママは、なんでパパが血液のガンになったのかをずっと気にしていたように思う。
    「どうしてなんだろうねぇ」と何度も言った。

     それで、ママはいつもパパの病気が発見された当時の記憶に戻るのだ。
     実家に行くたびに、何度この話をされたかわからない。
     パパは、実家の隣にある歯科医に虫歯の治療で通っていた。担当医は女性だった。
     歯が痛くて柔らかいものしか食べられない日が続き、ママも食事の支度に苦慮していた。
     ちっとも症状が良くならないので、「レントゲンは撮ってもらったの?」とパパに聞くと、撮っていないと言う。それを聞いてママは怒り、診察に行くパパに「今日は、ちゃんとレントゲン撮って診てもらってね」と念押しした。
     だが、きっと言えないと踏んだのであろう。ママは、パパが診察に行っている時間に合わせて歯科医院へ電話をして、担当の女性の歯科医ではなく院長に直訴したのだ。
     「痛みがひどくて全然良くならないのに、なぜずっとレントゲンを撮らないんですか?」

     ママは、私が電話したからやっとレントゲンを撮ってくれたと何度も強調する。
    「その日、パパが口腔外科の紹介状もらって帰ってきたのよ」
     かなりひどい状態だったのがわかり、総合病院の口腔外科に行くことになったのだ。
    「なんでこんなになるまでレントゲンを撮ってもらわなかったの? ちゃんと言わないとダメじゃない」と怒ると、パパは「だって、あんまり強くいうと先生が可哀想じゃないか」と言ったらしい。
    「パパは女性に弱いから」
     ママは小さくため息をつく。

     その後、口腔外科で手術のために血液検査をしたところ、これは歯の手術どころではない、すぐに血液内科のある専門の病院へ行きなさいとなり、病気が発覚した。

    「血液内科の先生に、『あと半年です』って言われたのよ」

     ママは、「どうして?」と思っただろう。

    「そういう時でも、パパは『先生が悪いわけじゃない。あんまり言ったら可哀想じゃないか』って言うのよ。でもね、可哀想なのは歯医者さんじゃないの。本当に可哀想なのはこっちの方よ! そんなこともわからないおんたんちんなのよ!」
     ママは「可哀想なのは、こっち」と繰り返す。

    「あ〜あ、あんたに今こうやって話してると、よくあんな人にずっとついてきたと改めて思うよ。そう思わない?」
    「う〜ん、ははは」
     私はそうだねとも違うとも言えず、笑って誤魔化す。ママは不満そうだ。
    「あんたはパパっ子だったからね。よ〜し、まだまだ恨んでやろう!」
     ママは元気よく、そう言ったかと思うと、今度は気弱げに
    「今年の誕生日が過ぎたら、迎えにきてもらうからね」という。
     パパが亡くなってから、ママは時々死をちらつかせるが、私は平静を装って聞く。
    「なんで、今年なの?」
    「パパと病室で話したのよ。いつ頃迎えに来るの? って。そしたら『80歳過ぎた頃かな』って言ってたから」
     なんだ。いつの間にか二人でそんな約束をしていたのか。仲良しじゃん。

     病気になる少し前、夕飯の支度をしているママを、パパが「ちょっと」と呼んだそうだ。
     マンションの3階のリビング。夕方になると窓から夕陽が差すあのリビング。
    「『僕は生まれ変わったら、またママに結婚を申し込むよ』っていうから、『へえ』とか『はあ』とか適当に答えていたら、『ふざけているんじゃなくて真面目に話してるつもりだ』っていうのよ」
     真剣なパパに対して、素直になれないママの姿が目に浮かぶ。
    「ママは来世も僕と一緒になりたいと思わないの? って聞くから『全然』って答えたの」
    「それは、ひどいね」
     私はなんとも言えない気持ちになる。それじゃあ、私も妹も生まれてこないよ。
    「男の人にはそれぐらいの方がいいんだよ。ずっと思われていた方がいいじゃない。ヒヤヒヤドキドキさせて」
     この言い草には、笑ってしまった。

     こんな熱烈に2度目のプロポーズを受けておきながら、ママはパパが死んだ後、「死ぬ前に結婚して良かったと言ってくれなかった。私と結婚して良かったと思ってなかったのかしら」と怒っていた。
     どうやらママは、まだまだ納得したくないらしい。

     実家に行くと、ママは線香にライターで火をつけて、私の手土産のお菓子をパパに供える。それから、お茶とお菓子を出して、いつものようにリビングの椅子に座る。
     パパの悪口を言った後に、こうして年金で暮らしていけるのはパパのお陰よねぇとしみじみ感謝する。かと思うと、今度はパパの浮気の話をして腹を立てる。

    * 


     何度も同じ話をするのに、そのたびに少し違う父が出てくる。
     死んでから、父は何度も生き返る。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門


     
     

    むう

     
     
    書いたり読んだりする骸骨。本と舞台と音楽と昆虫が好き。電子書籍のショートショートマガジン「ベリショーズ」編集。そるとばたあ@ことばの遊び人のファンクラブ会長&マネ

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