
【思い出しエッセイ】余白の人。
8年経った今でも、忘れられない人がいる。
元恋人ではない。
好きだった人、と言い切れるのかも分からない。
それでも時々ふと思い出す。
閉店後の店内を走り回っていた、
10歳ほど年上の店長のこと。
同じ店で働いていた。
けれど所属は別だった。
毎日のように顔を合わせていたけれど、
直属の上司でもなければ同僚でもない。
その曖昧な距離感は、
今思えばちょうど良かったのだと思う。
店長は変な人だった。
朝が弱いと言うくせに、
小声であいさつをした数分後、
なぜか私には朝からヘッドロックをしてくる。
肩を組んできたり、
耳元で話しかけてきたりする。
そのくせ、
駅からの通勤路では無言で追い抜かされる。
店の中と外で別人だった。
閉店後には店内を走り回る。
小学生みたいないたずらをする。
営業中には店内BGMで遊ぶ。
いつも洋楽が流れているはずなのに、
突然クリスマスソングになったかと思えば嵐が流れ出す。
「ああ、店長だな。」
すぐに分かった。
あとで聞くと、
「バレた?」
と笑っていた。
店員が、出張先のホテルから
わざわざ持ち帰ったペットボトルの水を
私たちの作業スペースの真ん中に置き、
反応を観察されていたこともある。
ラベルには某有名ホテルの女社長の顔。
そんなことばかりしているのに、
不思議と仕事はきちんとしていた。
小さな変更や新商品が出ると、
事細かく仕事がやりにくくないかと確認してくる。
あんなに私たち目線な店長は他にいなかった。
毎日シワのないワイシャツで、
替えの制服や折りたたみ傘も用意している。
なのに会議になるとボールペンを持ってこない。
「貸して。」が毎回で、
会議後にはあれこれ確認してくる。
本当にどんな人なのか
最後までよく分からなかった。
でも、嫌いな人は一人もいなかったと思う。
気づけば私は毎日店長と話していた。
私が店長にあだ名で呼ばれはじめると、
いつの間にか、
パートさん達からもそう呼ばれていた。
それまでの私は、人との距離を取る方だった。
自分から輪の中へ入るのも得意ではなかった。
どこかでいつも、
「私なんか」
と思っていた気がする。
だから店長みたいな人は衝撃だった。
ある時、私は大きなミスをした。
お客様へのお釣りを返し忘れたのだ。
8,000円だった。
ちょうどその頃、元彼との関係にも悩んでいた。
気を抜くと涙が出るような時期だった。
必要な報告を終えたあと、更衣室へ逃げ込んだ。
事務スペースとは簡単な仕切りで区切られているだけで、きっと店長にも聞こえていたと思う。
私は泣いた。
驚くほど泣いた。
やっと少し落ち着いて、更衣室から出た。
「...お疲れ様です。お先に失礼します。」
そう言って帰ろうとした時だった。
ふわっと。
店長の左手が、私の右肩を包んだ。
肩を掴まれたわけでもない。
抱き寄せられたわけでもない。
ただ、そこに手があった。
だけど、背中にはちゃんとあたたかさを感じる。
いつものヘッドロックとも、
肩を組んでくる感じとも違う。
空気も力加減も違った。
私は一瞬だけ思った。
寄りかかりたい。
でも寄りかからなかった。
寄りかかれなかった、の方が近いかもしれない。
私はその手の中からするりと抜け出した。
顔も見られなかった。
会釈だけして帰った。
空気が違ったことに驚いて、
足早に館内を出た。
その後はあまり覚えていない。
翌日はいつも通りだった。
その後私は退職した。
店長から箱入りのチョコレートをもらい、
それまでは社用の連絡先だったけれど、
個人の方の連絡先を聞かれて、交換した。
少し経って、久しぶりにお店に立ち寄った。
店長は変わらなかった。
時間なんて経っていないみたいに、
普通に肩を組んで、さらにはご飯に誘われた。
正直、行ってみたかった。
でも予定が合わなかった。
数年後、
店長が遠くの店舗へ異動だと元同僚から聞いた。
久しぶりにLINEを送ってみた。
「遠いけど来いよ」
店長らしい返事だった。
その直後、
「そっち帰ったらまた店寄って」
と続いた。
退職の時にもらったパートさんからの手紙には、
「店長といい感じなのかと思っていました」
と書いてあった。
そう見えていたんだ。
私自身、その時は深く考えなかった。
今なら少し分かる。
店長といる時、
たぶん私は、素だったのだと思う。
だから、
今となってはあの距離の異常な近さは、
私を輪の中に馴染ませるための策略だったのでは?とも思えてくる。
でも確かに揺さぶられたのは事実なのだ。
私が忘れられないのは、バックハグだけじゃない。
店長が私をどう思っていたのか、でもない。
一緒に過ごした時間の中で、
「私なんか」
が少しだけ薄れたことだ。
巻き込まれること。
人と笑うこと。
自分から近づくこと。
そんなものを、
私はあの人から教わった気がする。
店長には店長のままでいてほしい。
閉店後を走り回っていてほしい。
有線で遊んでいてほしい。
そして願わくば。
「あいつ、面白かったな。」
そんなふうに、
私のことを少しだけ覚えていてくれたらうれしい。
8年経った今でも、
思い出すたびに考えてしまう。
私の中で店長は今も、
余白の人だ。
本日も読んで頂きありがとうございます。
夢に店長が出てきたので書きました。
長かった。。。
本当に読んで頂きありがとうございました!!