祖父が孫に語る中学受験勉強を始める前に:日本史の基本的流れを知ろう (3)
受験の参考書には維新の三傑は出てくる。しかし、日本の明治維新の場合、傑出した3人が連携して維新を起こしたような単純な流れではない。迫り来る欧米列強の植民地化の流れに抵抗した国民の意思として明治国家の独立があり得た。明治政府には明確な方向性もなく、政策も場当たり的だった。大政奉還、明治新政府の成立ののちに、明治時代の初期の流れを規定する重要な歴史的イベントが複数回あったっとおじいちゃんは理解している。
明治6年、10年、14年に大きな事件があったとおじいちゃんはみている。明治6年は征韓論にまつわる西郷隆盛の下野である。新政府樹立に大功のあった西郷隆盛が、政府を支えた土佐、肥前などの有力者とともに明治政府を去ったのが明治6年であった。新政府の実権は大久保利通が握った。長州の伊藤博文、井上馨、肥前の大隈重信が大久保とともに政権の中枢を担うことなった。漠然として流れに任せよう的な西郷から、内務省を作って国民を締め上げようとの大久保に主人公が変わった。新政府の方向性は自由、民主主義、民権主義、諸事勝手にやれ系から、国権的、締め付け重視の方向に転換された。おじいちゃんは自由主義者である。細かいところまで丁寧な大久保の時代よりも、おおまかで自由主義的な西郷の時代の方がおじいちゃんにはよかったと思う。薩摩に戻った西郷さんは本人は政治を超越した存在だったと思う。私学校党をうまく押さえていたが、明治10年には押さえきれず暴発して西南戦争が起こる
明治10年に西郷さん率いる私学校党が放棄する。おじいちゃんのおじいちゃんは西郷さんの戦争を西南戦争と言っていた。単に、薩摩藩が背いただけだけど明治政府にとっては累卵の危機であった。陸軍、海軍の全力をあげて討伐した。鹿児島から熊本に出ていた西郷軍は熊本城を抜けぬまま、鹿児島に帰って征伐されることになった。明治政府の権力は統制好きの大久保が一気に握ることになった。
日本史の教科書では重視されていないが、おじいちゃんの感覚では明治14年の政変は明治6年、明治10年の方向転換に匹敵する明治政府の大きな政策転換であった。基本は大久保亡き後の伊藤博文と大隈重信の主導権争いである。ここでも伊藤は統制派、大隈は自由派と色分けして良いと思う。自由主義者のおじいちゃんが応援する方は大事なところで大抵負けてしまうのが問題である。
明治14年の政変は陰謀臭い。民権主義者の福沢諭吉と三菱の岩崎弥太郎が大隈側について、伊藤側の明治政府の転覆運動をしたというのが政変のきっかけである。福沢、岩崎、大隈は交流はあったと思われるが、福沢、岩崎は民間人である。政府転覆運動の立役者にするには無理がある。大隈を政府から追い出し、権力を握った伊藤は福沢につながる慶應門下生などを全て政府から追い払った。日本における役人に東大などの官学が進出きっかけになり、官尊民卑の風潮を作り上げた。明治6年、10年、14年の政変により明治政府の方向性は民権というより国権重視、自由というより統制重視に変化した。現在の日本政府の源流にもつながっている。君たちは、明治初期のこれら3つの大きな政変の詳細を学ぶと良い。
