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29歳女性、ひずりでアりシュノィッツを蚪れた倏 (2/2)




    バスでアりシュノィッツに向かう


    クラクフからアりシュノィッツに向かう朝は薄曇りだった。
    半地䞋にあるバス停は、7:30なのに孊生たちや芳光客たちでごった返しおいお、これから来るバスに本圓に乗れるか䞍安でドキドキした。
    無事に乗れおからも、これからどんな光景を目にするのかず考えるず緊匵しお、前日の寝䞍足を補おうず思ったのに眠れず、長い1時間半だった。
    今たで読んできおいた文献や、芳おきた映画から、収容所があった地域は氎捌けの悪い沌地だず知っおいたが、ポヌランド第二の郜垂であるクラクフからだんだん近づくず、空気の密床が濃いような気がしおきた。

    9:00過ぎ頃目的地に着くず、そこはたくさんの車ず倚囜籍の来蚪者ずで倧混雑しおいお、先ほどたでの心现さがどこかぞ消えおいった。
    アりシュノィッツ博物通唯䞀の日本人ガむドである䞭谷剛さんず萜ち合うたではただ20分ほどあり、持っおきたパンを食べたり、鳥を眺めたりしお時間を぀ぶした。
    きっず同じツアヌだろうな、ずいう日本人を芋かけたが、理解できる蚀葉が聞こえおくるのが嫌で端っこにいた。
    気づくず入り口の近くに䞭谷さんず参加者が集たっおおり、無事に合流できた。
    参加者は10名ほどだったず思う。自己玹介は特にしおいないが、留孊しおいそうな孊生が割合ずしおは倚く、旅人が数名、駐圚員のような颚貌が1人、あずは小孊生の男の子ずお母さんの芪子がいた。


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    クラクフのバスタヌミナル




    䞭に入る

    䞭谷さんの指瀺に埓っお空枯の荷物怜査のようなずころでパスポヌトを芋せ、セキュリティゲヌトを通った。新しそうな芋た目で、ここにある恐ろしい歎史ず、最新鋭の機械のギャップで䞍思議な気持ちになった。
    䞭に入ろうずするず、犠牲者の名前を淡々ず呌ぶ音が流れおいた。あ、本圓に来たんだ、ず思っお䞀気に緊匵した。
    受付でむダホンを受け取った。倚くの人の䞭でガむドされるので、少し離れおしたっおもマむクを通した音声を聞くこずができる。

    屋倖に出るず、銅のようなもので出来た党䜓の立䜓地図の前で止たっお案内を受けた。小さな建物が、倧きな土地に無数に䞊んでいる。
    地図から歩いおすぐのずころに、かの有名な”Arbeit macht frei(働けば自由になる)”の門があった。こんな初っ端にあるのか。
    門を通るず、䞭には煉瓊造りの建物ず、ポプラ䞊朚が恐ろしいほど等間隔に連なっおいる。建物がどう䜜られたか、䞭のベッドはどう敎備されたのか、なぜポプラが怍えられおいるのか、などの説明を聎きながら歩く。


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    煉瓊の建物の䞭に入るず、狭い空間に詰められたたくさんのベッドや、仕切りが無く䞞芋えのトむレ、犠牲者の顔写真、遺品、圓時の収容所の写真などが次々ず目に飛び蟌んでくる。䞀぀䞀぀があたりにも衝撃的なのに、ショックを受けおいられないようなスピヌド感で、たた次の展瀺が、次の悲しみが襲っおくる。
    ここにいた人たちの苊しみを想像するのもそうだが、なぜ人に、人が、こんなこずをできおしたったのかず考えるず、勝手に涙が溢れおきた。

    特に子どもの可愛い、小さい靎や服を芋るず心が壊れそうになった。きっず母芪や祖母が時間をかけお瞫ったり線んだりしたであろう、あたりにも可愛い衣服たち。たくさんの愛をもっおこの䞖で育たれおきたのに、生たれた時代、堎所、人皮のせいでこんなこずになっおしたった。


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    コルベ神父が最期の数日を過ごした独房のような空間も案内された。圌に関する物語は今たで䜕床も読んできたが、前に立぀ず、ここで本圓に人が生きお、愛を持っお他者のために死んだこずが初めおリアリティを持っお感じられた。想像も぀かないような理論ず手段で人を痛め぀ける空間においおさえ、キリスト者の愛が実践される尊さが身に染みおきた。

    映画『絶察領域』に出おくるヘスの家を柵の䞭から芋た。収容所の悲惚さず、ヘス家の平穏さが映画では察比されおいたが、苊しい光景が続く柵の䞭から芋るず、あんなすぐそこに普通の暮らしがあったこずが信じられなかった。あっけらかんずしおしたった。


    実際にガス宀の䞭にも入った。今回の来蚪にあたっお、自分の感性を生かしたくおあたり情報を入れないようにしおきたから、䞭に入れるずは知らなくお驚いた。
    倚くの䜜品で読み、芳お、ずっず䜕床も想像しおきたガス宀。
    暗くお、倉な圢の郚屋。いるだけでたくさんの人の感情が抌し寄せおくるような気がした。


    今の私も、たさか本圓のガス宀に入れるず思わず流れるように気づけばここにいたが、実際に連れおこられた人たちも、このくらい自然にこの䞭に入っおきたのだろう。埌半の時代はこの限りではないず思われる。
    郚屋にいたのはものの数分だったのに、あの空間の暗さや、䞍思議な空気や感芚はずっず忘れられなくおい぀でも思い出せる。




    ビルケナり

    ここからバスで移動しお、今床はビルケナりに到着した。
    これたた䜕床も芋おきた線路。
    倚くの建物が壊されおいるこずもあり、先ほどずは違っお広倧さが印象的だった。
    アンネフランクやノィクトヌル・E・フランクルがいた倧䜓の䜍眮を指し瀺された。
    地面が本圓に湿っおいお、ここで冬を過ごす厳しさを想像したら途方もない気持ちになった。


    圓時もそうだったであろう曇りがちな空の䞋には、たくさんの野花が咲き誇っおいた。
    確実にここにあった苊しみず、今いっぱいに咲いおいる花の矎しさず、歎史を䌝えようずする人達の努力ず、長幎想像しおきた堎所に自分が立っおいる事実ずを思うず、眩しいような真っ癜で無に近い気持ちになった。


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    ビルケナりに咲き誇る野花



    総括

    ナダダ人ずか、差別ずか、平和ずかをずっず考えおきた自分は、アりシュノィッツを蚪れるこずができお本圓に良かったず思う。
    䞀方、そこたで深く考えたこずが無くおなんずなく興味がある人も、蚪れおみおほしい。ここで感じる気持ちは他には無くお、きっず忘れられないものになるだろう。

    しかし私ず同じようにものすごく関心があるが、様々な事情で行くこずができない人が、行けないこずを悲しむ必芁は逆にないず思う。たぶんいた手に入る情報をたくさん集めおたくさん考えおいるだろうから、それでもう十分な気がする。きっず行かなくおもこれからも考え続けるし、想像しながら生きおいけるから。


    䞭谷さんは、考えるこずの重芁性を匷調しおいた。お䌚いする前は、きっずリベラルでそういう目線の説明をされるだろうず思っおいたが、党然違っおいた。事実を説明しお、私たちに考えるこずを促した。なんの色も無くお、真っすぐに過去を芋お、私たちに䌝えお想像させた。

    アりシュノィッツに行ったからこそ感じられお、考えられたこずがたくさんある。
    けれど感じるこずや考えるこずはい぀でも続くこずで、行ったから終わりではないし、行かないず始たらないこずでもない。
    歎史や事実を真っすぐに捉えお、自分なりに考えお、生きお行動するこず。
    い぀も通りの毎日を、考えながら続けおいくこず。
    特別なこずはわざわざ必芁なくお、考えようずしながら毎日を生きおいくこずが倧切なのだず思う。




    29歳の倏に日本からたった䞀人でポヌランドの小さな町の倧きな博物通を蚪れた。
    子どものころから調べお想像し続けおきた堎所に行くこずができた。
    想像を珟実にできた喜びがあったし、こういう人生を送っおこられおよかったなず思った。

    これは自分の行動力ず実践力もそうだが、䜕より膚らみきっおはち切れんばかりの私の期埅にさえ応える、最高のガむドをしおくださった䞭谷剛さんのおかげである。
    分断を煜るような過激な蚀動が目に付くようになっお久しいが、歎史䞊類を芋ない出来事があった堎所を、あそこたで冷静に真摯にご説明くださるこずが本圓に玠晎らしく、心から尊敬する。
    アりシュノィッツを蚪れた経隓ず、䞭谷さんの玠晎らしい仕事に觊れたこずの䞡方が、私の人生の倧きな糧ずなった。
    考えるこず、行動するこず。
    これからも私らしく生きおいきたいず思えた、茝く旅だった。


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    ビルケナりを背景に、䞭谷さんの埌ろ姿




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    色々考えながらなんずか生きおいる30æ­³ 1995幎生たれ/MARCH卒/23区出身圚䜏/ IT䌁業勀務/趣味は読曞氎泳合唱料理旅行/ ドむツ語勉匷䞭/教育ず政治哲孊に関心がある

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