
「来世では幸せに」| エッセイ
深夜3時。ベッドの上でなんとなく夜と一緒に起きていた。寝る気もなければ早起きするモチベーションもないわたしは、なんとなくスマホでYouTubeを流していた。
照明は消した。掃除もろくにできていないワンルームを、ブルーライトだけが照らしている。
画面を見る気力すらなかった。神聖かまってちゃんの「るるちゃんの自殺配信」を流しながら、天井をただ見つめる。
正直、わたしはこの時間が嫌いじゃなかった。
わたしは不幸に酔っていた。抑うつ。希死念慮。将来への不安。すべてを抱えて、暗い音楽を聴いて、そんな「かわいそうなわたし」に浸っていた。
曲が終わった。空白が怖くて、また鬱に襲われる気がして、あわてて再生ボタンを押そうとしたところで、指が止まった。
関連動画に、自殺配信をして亡くなった女の子についての動画があった。吸い込まれるようにタップする。
その女の子がアップしていた自撮りが、音楽に合わせて流れていく。この子はもうこの世にはいないんだ、不思議な感覚。
コメント欄をスクロールしていく。
「ご冥福をお祈りします」「つらかったね」「来世では幸せになってほしい」
そんな生暖かい言葉たち。
わたしもそう思えたらよかった。けど、無理だった。
祈りの代わりに湧き上がってきたのは、呆れと苛立ちだった。
彼女が生きている間に、その優しい言葉を投げかけた人はどれほどいたんだろうか。お前ら誰も、この子を救えなかったくせに。死んだ後に慌てて優しくしても遅いんだよ。そんな苛立ち。
その時聴いていた「るるちゃんの自殺配信」にも、「反抗期じゃないのよママ聞いて」という歌詞がある。必死のSOS。「反抗」なんて薄っぺらい2文字で片づけないでほしい。そういう意味だと思う。
わたしにできることなんて、ないのかもしれない。わたしはインフルエンサーでもアーティストでもない。わたしは、自分自身すら救うことができない。
それでも、生きてるうちに気づきたい。生きてるうちに気づいてほしい。
生きてるうちに救いたい。生きてるうちに救われたい。