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シアトル留孊日蚘 「シアトルの女」

    二〇䞀六幎䞀月から䞉月たで、私はアメリカ・ワシントン州のシアトルにいた。

    いわゆる短期留孊である。

    圓時、私は日本で塟の英語講垫をしおいた。だからシアトルぞ行った目的も、䞀応は英語の勉匷だ。

    䞀応は、ず曞いたのは、今になっお思い出すこずが英語の授業ばかりではないからである。

    もちろん、授業は受けた。宿題も出た。クラスメむトずも話した。成瞟優秀者ずしお衚地されたくらいだから、たぶん、真面目に勉匷しおいたず思う。

    ただ、十幎経っおも劙に芚えおいるのは、そういう立掟な堎面ではない。

    バスの窓から芋た雚の街。
    倧雚の日に運転垭で寝おいたホストファザヌ。
    友人が攟った「君たちにずっお〇〇ずは䜕なのか」ずいう劙な問い。
    そしお、䞭囜人の女の子に突劂倧声で話しかけられた日のこずだ。

    シアトルでその子から声をかけられた理由は、「お茶」だった。

    ある日、語孊孊校の教宀で、䞭囜人のクラスメむトAがこちらぞやっお来た。

    「ねぇねぇねぇそこの日本人のお兄さん」

    海倖で「日本人のお兄さん」ず呌ばれるこずがあるずは思っおいなかった。私はずりあえず、自分のこずだろうず刀断しお振り向いた。

    「やぁ、どうしたんだい」

    私がそう蚀うず、Aは手に䜕かを持っおいた。

    「これっお䜕のお茶か分かる 日本のお茶だず思うんだけど」

    芋せられたのは、ほうじ茶だった。

    シアトルにはチャむナタりンがあり、そこには日本の補品がたくさん䞊ぶスヌパヌがある。おそらくそこで買ったのだろう。

    「あ、そうだね、これは『ほうじ茶』っお蚀うんだ。僕も日本では毎日のように飲んでいたよ」

    そう英語で䌝えるず、Aは党力の笑顔で、

    「そうなのね、ありがずう」

    ず蚀いながら手を振っお去っお行った。

    幞い、私の地元は県内ではお茶どころずしお有名であり、
    特に栜培に関䞎しおいない私でも、コップに入った茶色の液䜓が䞀䜓䜕なのか、すぐにわかった。
    生たれお初めお、「家の四方を茶畑に囲たれおいる」こずのメリットを感じた。

    翌日から、私はAず毎日のように話すようになった。

    クラスメむトぞの自己玹介で、私が日本で英語を教えおいるず担圓の先生であるスコットにバラされるず、Aは毎時間のように文法の説明を求めおきた。

    「ねぇ、なんでここはwillがないの」

    「ねぇ、こっちにはwillを入れないのにどうしおここには入っおるの」

    圓たり前のように隣に座り、圓たり前のように質問しおくる。

    「いや、俺も生埒なんだけど」

    そう蚀いたかったが、人に教えるこずほど英語が身に぀くこずはない。英語力を磚く倧チャンスだず思い、Aにたくさん英語を教えた。

    Aは背が高かった。おそらく癟八十センチ近くあったず思う。すらっずしおいお、教宀の䞭でもよく目立぀女性だった。声も倧きい。距離の詰め方も早い。初察面に近い盞手ぞ向かっお、助走なしで話しかけおくるタむプである。

    あたりの勢いに戞惑いながらも、正盎悪い気はしなかった。英語でコミュニケヌションが取れるし、英語を教えるこずで自分でも理解が深たるし。
    私にずっお、これ以䞊いいこずはなかった。

    孊校からホヌムステむ先に戻っおも、Aからの連絡は絶えない。Facebook圓時はむンスタがほずんど普及しおいなかったのメッセンゞャヌで、どんどん質問が送られおくる。私は「英䜜文の緎習ができお嬉しい」ず思いながらせっせず返信した。

    そんなこずが二週間ほど続き、ある日曜日の倜。
    私は友人ず街で遊び、バスで垰宅する途䞭だった。
    するず、聞き芚えのある声で「My darling」ず聞こえた。

    その盎埌、背の高い女性が私の隣に座る。

    Aだった。どうやら䞀緒に乗っおいた友人に、私のこずを玹介しおいたのである。

    今、My darlingっお蚀った 蚀っおないよね 気のせいだよね

    䜕を蚀っおるんだあい぀は。そう思ったが、ここで「いや、darlingではない」ず蚂正するのも、それはそれで野暮な気がした。その堎のノリで蚀っおしたっただけかもしれないし。私はそれ以䞊、䜕も蚀わなかった。私の英語力アップを担うAを、私の倉な䞀蚀で倱いたくなかったからである。

    「ハヌむ、先生。こんなずころで䌚うなんお偶然ね。今日はどこぞ行っおたの」

    䞀緒に来おいた友人は完党に攟眮だった。なぜか私が申し蚳ない気持ちになったが、Aのマシンガントヌクが始たるず、申し蚳なさを抱えおいる䜙裕などなくなった。繰り返すが、私ずしおは英語のスピヌキングの緎習盞手が芋぀かっおよかったずしか思っおいなかった。
    ちなみに、Aの友人は同じ語孊孊校に通っおいるず翌日に分かり、その子ずも仲良くなった。
    友達の茪である。孊生っぜい゚ピ゜ヌドだ。

    そしお、䞀月の最終授業の日。

    十二段階あるレベルの関係で、翌月からAずはクラスが離れるこずになっおいた。

    「最終日は毎回課倖孊習」ずいうのが決たっおいるらしく、私たちのクラスはアりトドア専門店ぞ行き、キャンプ甚品などの説明を店䞻から英語で聞くずいう「実地蚓緎」を受けた。
    店䞻の話自䜓の蚘憶はあたりない。しかしはっきり芚えおいるこずがある。
    教宀に戻る際、い぀の間にかAが私の隣にいたのだ。私は最初、サりゞアラビア出身の男友達ず話しながら歩いおいたはずなのに、なぜそうなったのか、たったく分からない。圌ず䞀緒に垰っおいる぀もりだったのに、い぀の間にか隣にはAだけがいたのだ。

    「ハヌむ、先生。先生っお、日本のどこ出身なの」

    「ああ、たぁ、倧阪の近蟺だよ。君は」

    「私はTianjinよ」

    「挢字では『倩接』っお曞くんだよね」

    「あら 䞭囜の文字が曞けるのね 自分の囜じゃないのに 玠敵 かっこいい」

    Aは日本でも挢字を䜿うずいうこずを知らなかったらしく、たいそう驚いおいた。そしおその目は、異様に茝いおいた。

    孊校に戻るたでの二十分間、Aずは色々な話をした。

    バスケが奜きなこず、日本では小孊生や䞭孊生を教えおいたこず、い぀日本に垰るのかなど。

    その間、Aは䞀床も私の顔から目を背けなかった。顔面をずっず芋぀められおいた。
    Aは䜕床か䜕もないずころで぀たずき、「俺の顔より前を芋ろよ」ず思ったが、残念ながらそれを衚珟できる英語力は私にはなかった。

    もう䞀人、Xずいう䞭囜の女の子もいお、圌女はなんず、件のサりゞアラビア出身の男友達にたずわり぀いおAの数倍倧きな声で猛アタックしおいた。私たちが歩く数十メヌトル先で。
    行方䞍明の友人は、君のせいだったのか。

    埌からXに聞いたが、Aは私のこずが倧奜きだったらしい。

    「たぁ、そうだろうな」

    そこだけは、さすがに私にも分かった。
    そういったこずに鈍感な私でも勘づいたほどの、Aのパワヌず勢い。ずんでもない熱量だ。

    クラス替え前の最埌の䞀日、片想いする男子ず楜しく過ごしたいずいう気持ちは䞇囜共通なのだろうか。

    「お囜柄」ずたずめおしたうのは良くないが、少なくずも、私の呚りにいた䞭囜の女の子たちは、かなり積極的だった。
    Aの描写が匷すぎお倱瀌になっおいないか、実は投皿の盎前たで悩んだ。しかし、Aの態床もそこそこ倱瀌な気がしおいるので、これでようやくむヌブンだろう。

    私はシアトルぞ英語を孊びに行った。
    䞀月の終わりに䞀番よく芚えおいたのは、文法でも発音でもなく、ほうじ茶をきっかけに隣ぞ座るようになった䞭囜人の女の子の勢いだった。

     
     
    圹に立たないこずを堂々ず扱いたす。 「読んだ人の衚情が、少し戻るような文章」を。 職業は塟講垫。 家族、仕事、コヌヒヌ、バスケ、昔の思い出など、 どこにでもある日垞の䞭から、少し倉で、少し笑えるこずを曞いおいたす。 ゚ッセむず、時々小説。

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