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Photo byima_doco

沈んだまま、漂う、そんな夜。

    やまだ めぐみ

    理不尽な出来事が身に起きたとき。

    どんなふうに自分は立ち向かうだろう。

    最近の私はいつも、そんな時でも、がんばり続けていた。自分がやらないと家事や育児が回らない。やらないとしかたない。がんばらないと子どもたちが泣いてしまう。

    ほんとうは悲しいはずなのに。

    その気持ちに蓋をし、
    「またあとでね」と、
    いつまでたっても向き合おうとしない。

    またあとでね。
    今は忙しいからね。
    やることがあるからね。
    挙句の果てに無視をする。

    そんな扱いをされたら、そりゃ「自分」だって拗ねてしまうよね。


    今日、悲しい出来事があった。

    気持ちが沈んで、しばらく立ち直れないでいた。夫に話を聞いてもらって、すこしだけ気持ちが落ち着いたけれど、夜になって、いきなり立ち上がれなくなってしまった。

    いつもだったら、それでもがんばろうとしたはずだけど。

    今日は、もう沈んだままでいようと決めた。

    沈んだまま、その気持ちの行く先を眺めていようと。


    ベッドで横になっていたら、子どもたちがかわるがわる様子を見にきて、次男は鼻にチューをし、長男はほっぺにチューをした。夫は洗い物から、子どもの世話までやってくれていた。夫の方こそ疲れているだろうに。ありがとう。


    沈んだ気持ちに、
    「またあとでね」
    と言わず、
    「悲しかったよね」と、
    自分の子どもに言うように、ちゃんと向き合ってみた。

    悲しかったよね。
    ほんとうは、こうしてほしかったよね。

    と。

    「悲しい」という感情にそっと触れてみると、ほろほろと、その出来事に紐づくように、あれやこれやと、「悲しかったんだよ」という出来事が浮かんでくる。

    その奥底まで触れてあげないと、その気持ちは成仏されない。
    表面的に撫でているだけでは、またその感情がふとした時に現れるから。

    自分を大事にできなかった過去の気持ちたち。

    気持ちは沈んだまま、ただよい続ける。

    そんな夜を過ごすのも、たまにはいいかもしれないし、これも自分を大事にすることのひとつなのかもと思う。

    さ、あたたかいお茶を飲みつつ、次はどんな気持ちがあらわれるだろう。
    川底に沈む小石に手を伸ばすように、自分の感情に出会いにいく。

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