
タンポポの綿毛に導かれて
私が小学生の頃の「推し」は、ピアニストのエフゲニー・キーシンだった。周りの友達が、アイドルにキラキラした目を向ける中、私は、北の広大な地で音を紡ぐ、神童と呼ばれる少年の音に耳を澄ませていた。
とにかく彼の音が聴きたくて、親に頼み込んでレコードを2枚買ってもらい、彼の弾くショパンのピアノ協奏曲に耳を傾けた。レコードからカセットテープに録音して、何度も何度も繰り返し聞いた。彼が間違える箇所も、その間違えかたも全部誦じて、演奏に合わせて口ずさんでいた。
私とそんなに歳は違わないのに、こんな大曲を、なんでこんなに素敵に弾けるんだろう、と、レコードのジャケットの、タンポポの綿毛のようと称されていた彼の頭を眺めながら聴いていた。広い世界とちっぽけな自分、どうしたって埋められないその彼我の差を、なんとなく理解し始めた年頃でもあった。
そのうち、私の家にもCDプレイヤーが導入されることになり、ちょうどその頃、キーシンの新譜が出るとの情報を得た。どんな作品を演奏しているかなどは何も気にせず、彼が弾いているCDならば是非、と注文した。
到着を指折り数えて待ったと思う。そして、手元に届いたのは、レコードに比べてしっかりした小ぶりの包みだった。そうか、ジャケットの写真も小さいんだ、と開封してみて、当たり前のことに驚いた。
その初めてのCDは、キーシンの弾くヨーゼフ・ハイドンのピアノ協奏曲だった。そのほかもよく知らないハイドンの作品ばかり。
キーシンはピアノ協奏曲にしか登場しないのが、私にとっては残念だった。
ディスクをトレイにセットして、再生ボタンを押した。オーケストラの音に続き、キーシンのピアノの音が、部屋いっぱいにふわっと広がる。澄んだ音がスピーカーから次々と放たれるのを、その前にぺたっと座り込んで聴いていた。
しばらく聴いたものの、そのときの私は、ショパンほどは好きになれなかった。期待が大きかったうえに、キーシンの音がすっかり落ち着き、精彩に欠けているように感じたのだと思う。
でも、折角買ったCDだし…と数ヶ月間聴き続けた。キーシンの演奏だけを聴くつもりが、プレイヤーの扱いに慣れていなかった私は、面倒臭さもあって、その先の曲もただ再生されるがままにしていた。
そうこうしているうちに、私は徐々にプレイヤーの扱いにも慣れ、特定のトラックだけを取り出して繰り返し聴くようになっていた。
そのとき聴いていたのは、ハイドンのヴァイオリン協奏曲第1番。キーシンが弾くピアノ協奏曲の次に収められていたものだ。
弦楽器が描く端正な背景の中、ヴァイオリンのソロの爽やかな筆捌きが映える作品である。特に1楽章の途中で、それまでとは打って変わって、ソロがすすり泣く場面があり、そこに至り、解決されるまでのドラマが聴きたくて、家族に呆れられるほど何度も何度も繰り返した。
私の中で、ハイドンの協奏曲と言えば、有名なチェロのものではなく、トランペットでもなく、ダントツでこのヴァイオリンなのだった。
後に、大人になってからコントラバスを始め、オーケストラでも弾くようになって、いつかこの作品を自分でも演奏してみたいと思いつつ、まだその夢は実現できないでいる。
そして、そもそもハイドン自体にそれほどピンときていなかった私が、今こうして、ハイドンの作品を意欲的に取り上げるオーケストラに参加して、日々彼の音楽と向き合うようになるとは、なんとも不思議な縁としか言いようがない。