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電子板

    眠れない。眠る獅子をめざめさせようとして、眠さを求めるのだが、どうにも眠れない。徒然なるままに、吐きたかった心の温度が、今は感じられない。いいや、元から感じる事ができなかったように思う。それなのに、昔は苦しくて、でも今は苦しくもないのに、ただ息も何もないような気がする。
    そうやって、ロフトのベッドでただ感じるままでいると、思考が回ってくる。あんなにも、朝に望んでいた事が、眠りたい夜に来る。逆にあんなにも望んでいない朝の重さが、今は無く、軽くぽかんとしている。
    ぐるぐる。ぐるぐる。とはいえ、ぼーっと。それなのに、思うようにいかない身体の軽さに、重みを感じる。
    恋をしたからだろうか。哲学をしたからだろうか。こんな道を選んでしまったからだろうか。削れたこの心が、アイデンティティとなる世界で生きたいと願い、心の温度を、吸って、吐き、声帯を震わす。それも、何かかけていて、振動は伝わらなくて、ただ自分の不甲斐なさに押しつぶされないように、前を見続けている。最近は、常に前を向けて、心地よい。心地よい。でも、ここの血は、思うように落ち着いてくれない。必要な落ち着きさえ奪っていく熱とは、熱がないように思えて、気持ち悪い。
    情報が溢れている。心音、ノイズ、空気の音、自分が離れられずにいる、現代病の原因でもある電子板、その電子から流れてくるショート動画。目を瞑っても、聴覚をノイズいっぱいにしても、この便利な道具のせいだろうか?哲学のせいだろうか?恋のせいだろうか?
    自分が何者で、他者が何者で、自分がどうありたいのか。いつも高尚にも頭に入れている思考がすっぽり透明になってしまったようだ。
    分からなくなる。愛の重みも、情熱も、思考も、デジタルも、スマホも、ネットの友人も、学友も、この真実か分からない虚構世界も、全てが飽和して、飽和して、切っても、切っても、ずっと流れ込んでくる。無なんてものはない。虚構だ。
    学校で習う化学と物理学、小論文のために概要を理解しようと頭に入れた相対性理論、哲学、信念、情熱、夢幻も無限も、全て虚構で、全てルールである。そんな虚構すらも虚構で、何を書きたかったのか分からなくなった。
    電子板が、ベッドから出ろだなんて言うから、色々してみた。いつもより甘いホットミルクを飲んだ。周央サンゴの朗読「檸檬/梶井基次郎」を聞いて、世界の想像をしてみた。最近久しく覚えたようで、信じられない、恋心のようなモヤモヤした暖かい記憶が邪魔をしてくる。私の世界に取り込めないのに、大好きな心や視点で溢れていて、後半は、1歩線を引いて、旅行していたような気がする。
    ドーパミン中毒の私は、途中で世界から離れる事を選んだ。親しい友人のように、ただ、徒然なるままに、細かい事は考えず、文字に起こしてみようと思った。ただ、これを公開してしまうのもノイズになるんだろう。けれど、自己の承認欲求は抑えられず、素の自己の肯定を求めて生きている。

    私に暖かいあの記憶は立派すぎて、暖かすぎて、信じられないが、少し、そんな記憶の続きを、また組み立てていこうと思う。あの静けさに隠された暖かさが大好きだ。

    私は、寝れないなんていう他愛もない愛おしい無駄すらも避け、ストイックに生きようとしているが、本当に無駄な無駄は、ドーパミン中毒にやられたこの私の、1部だ。ショート動画、何も考えずに見る茶番動画。退廃的なのに、何も考えず、何も見いだせない、消費するしかできない無駄は愛せない。
    そんな無駄を省いて、私は、もっと真に愛すべき無駄を愛して、ストイックに生きていたい。

    そうして私は、朝の7時から7時半までの短いスパンでかけた目覚ましタイマーを切った。

     
     
    歌い手やってます。表現者って言葉のがしっくりは来る。 VTuberという概念になる事を目指してます。宜しくお願いします🙏

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