メインコンテンツへスキップ
見出し画像

出雲大社で失った「えん」と得た納得。

     「恥の多い生涯を送って来ました。」
     という一文を目にする度、
     「私の方がもっと恥かいてるぞ」
     と思う恥知らずだった。

     これまでに残してきた大恥エピソードは、塵も積もればマウンテンどころか連峰となり、ふとした瞬間に嫌に冷たいトラウマを乗せた風を吹き降ろしてくれる。その度に「あーー!!!!」と叫んで誤魔化してきた。私はこれを絶叫キャンセルと呼んでいた。

     絶叫キャンセル界隈な私も社会人となり、赤面するような失敗は少なくなった。しかし、それは上手く誤魔化すことを覚えただけで、心の隙を突かれればいとも容易く瓦解するハリボテの鎧なのだった。

     例えば、旅行先。
     かき捨てられない恥の話がある。

     生きている間に一度は行ってみたい場所。
     私の中では、出雲大社もその一つだった。
     日本中の神々が集まって、鞄の底から発掘したイヤフォンみたいにこんがらがった赤い糸をああでもない、こうでもないと揉みくちゃにしながら良縁として送り出しているという、あの場所。

     「結局、こういうのって縁ですから」という言葉に対して、「他人に言われることじゃねぇ〜!!」と思う偏屈な私も、縁を信じているのだった。

     捻くれ者だって、良縁が欲しい。
     この小指に人生という迷宮から脱出できるアリアドネの糸が結ばれてるって信じていた。

     まだ少し肌寒い2月の末、打算的な信心を胸に、出雲大社に行くことだけ決めて、私は特急やくもに乗り込んだ。いざ行かん、島根。

    画像

     ホテルを取っていた松江から1時間ほどワンマン列車に揺られて出雲大社前へ。車窓からは帯となった水光が揺れる宍道湖が見えて退屈しなかった。湖を見る度、「もう海じゃん」と思うのは、私が海無し県で生まれ育ったからだろうか。

    画像

     小学校の頃、遠足で乗ったバス。車窓から海が見えた一瞬、車内が静かになったことを覚えている。それから歓声が上がった。大袈裟だと笑うかもしれないけれど、ただ生きていて海を見る機会が無い場所に産まれると、海は神聖性を伴うと言っても過言では無いのだった。

     私にはiPhoneのマップがあって、インターネットで検索すれば宍道湖が海では無いことは明らかになるだろう。

     でも、もしも何も無かったら?

     宍道湖の周りをすっかり歩いてしまうまで、湖なのか海なのか判断できないだろう。宍道湖は淡水と海水が混じっているし、波打ち際にはシジミがズラリと並ぶ。ちょろっと舐めて見たとしても分からない。

     今の私が「ここは海ではない」と言い切れるのは昔の誰かが歩いてみたからだ。その人も空と湖の美しい青のコントラストを眺めたのだろうか。海の計り知れないスケールに感じる畏怖とは違う、把握できる大きさだからこそ感じる神秘性のようなものが湖には、少なくとも私の中にはあるのだった。

     車両の中にいる人は大体観光客で、皆時折窓の外を見て、宍道湖に見惚れていた。光と水の調和はただあるだけで美しく、巨大な芸術作品が目の前に鎮座しているようだった。

     目を奪われている内、電車は内陸へと入り、野山に分け入った様な車窓になり、程なく出雲大社前駅へと到着した。

     出雲大社駅から出ると、少し急な登り坂があり、それがそのまま参道へと繋がっている。

    画像

     視界の先に見える鳥居を目指している人はグループばかりだった。家族、恋人、大学生、ツアー、インバウンド、みんな誰かと出雲大社にやって来ている。その中に私は一人、ぽつねんといる。話す相手もおらず、ただ黙々と鳥居を目指して歩いて行く。

     周りに皆いるのに一人。この居心地の悪さは、高校1年の頃を思い起こさせた。贔屓目に言っても友達が多いタイプではなく、「時代は狭く、深く。」というキャッチコピーを自分に言い聞かせてきた人間だったから、よく話す友人が休んだ日は休み時間の過ごし方に困った。席で本を読んだり、時間を稼ぐためにトイレに行ったりしてみる。すると今度は私の席に誰かが座っていてますます戻れなくなる、みたいな。

     あの時も、周りには人が沢山いるのに、私は一人。違う国のどこに向かうかも分からない電車に乗っているみたいだった。

    画像

     鳥居の前には横断歩道があって、赤信号を待っていると景気の良い声が聞こえて来た。音のする方、丁度対岸に宝くじ売り場が建っていた。金の法被を着たお兄さんが人生安泰といった感じの声音で呼び込みをして、参拝を終えた人達が次々に吸い込まれていく。

     出雲大社の前に立つ売り場、そこで買う宝くじ。旅行先だし、記念にね。射幸心が終盤のジェンガくらいぐらぐら揺れる。

     宝くじを自発的に買うことは無く、せいぜい友人に誘われてスクラッチをする位の私だって財布を取り出しかけた。

     しかし、私はまだ参拝前。「宝くじ当たったら何しようかなぁ」なんて呆けた顔で神様にお願いする訳にはいかなかった。もしかしたら、あの宝くじ売り場は神様による試しの門だったのかもしれない。そう考えると、法被のお兄さんも恵比寿様みたいなにこやかな笑顔だったような気もしてくる。……なんて、酸っぱい葡萄的思考をしないと振り切れない程、宝くじの誘惑は強いのだった。

     恐るべし、出雲大社。
     恐るべし、ドリームジャンボ5億円。

     鳥居を潜ると、参道の賑やかさが嘘のように空気が静謐さを纏った。すっと降りながら伸びていく丁寧に敷き詰められた石畳と、両側に並び立つ濃緑の木々達によって、自然と出雲大社の奥へと視線が誘導される。心なしか、周りを歩いている人たちも表情の端々に真剣さのようなものが滲んでいた。

     これは……勝てない。一歩踏み入れただけでも、出雲大社のスケールが伝わってくる。物理的な広さもあるだろうけど、一つの個として、出雲大社と私のスケールが違い過ぎて、まるごと吞まれてしまうような感覚があった。

     大学の卒業旅行でタイに行ってトラを触った。成人男性と同じくらいの大きなトラ。そっとお尻を触ると、硬質な毛の先に鉄の塊があった。実際には筋肉なのだろうが、人間のポップな尻とは違う、野性の尻。そのトラ尻を触ったとき、「勝てない」と思った。黄色と黒の警戒色な見た目でも、鋭い爪や牙、凜とした瞳でもなく、尻だった。つまるところ、密度が違うのだ。この尻になるまでに苦難の日々があったのだろう、虎ケツに入らずんば虎児を得ず、それだけの経験の差を感じさせた。

    画像

     高校の頃に『山月記』を読んだ時、「いや、文系の秀才がトラになるのは無理がありませんか……?」と思っていたけれど、違うのだ。苦難と成長の数だけ尻は硬くなり、それはすなわちトラになるということなのだ。

     出雲大社に尻はない。私が知らないだけである可能性はある。もしあるのなら、それはきっと硬いだろう。トラよりも。

     一人でいると妄想のジャングルから帰ってこられないものだ。そういえば家にある人生ゲームの海外マップは途中でジャングルで遭難するマスがあったなぁ、と考えている内、下り坂は終わり、石橋が伸びていた。叩いて渡るまでもなく堅牢そうだ。橋の向こう側には松に囲まれた参道が延びている。この橋を渡れば、元の世界に戻れないかもしれない。そんな風に考えるのは、私が境界好きだからかもしれない。

     高校の頃、国語の授業で『千と千尋の神隠し』を見た。その時、先生は何気なく登場するトンネルや橋といったモチーフを「この世界と別の世界を繋ぐ境界」と呼んでいた。

     それを私は今もずっと覚えていて、石橋、鉄橋、歩道橋、あらゆる橋を渡る時、思い出すのだった。橋を渡っている最中の私は、どこにもいないし、どこにもいけないけれど、どこにだっていける。私にとって橋はそんな場所だった。

     だから、出雲大社の空気も相まって少々気後れしてしまったけれど、えいやっ、と橋を踏みしめ渡った。橋はびくともせず、びくびくしていたのは私だけだった。

     松の参道は中央に3本の参道があり、その周りは見渡しきれないほどの広場になっていた。他の寺社と違うのは、やけにウサギの銅像、それもデフォルメされた像が多いことだった。

     日本酒を造る職人ウサギがいるかと思えば、

    画像

     麻呂眉でおじゃるなウサギもいたりする。

    画像

     このウサギ達は子ども達に大人気であり、家族連れがこぞって写真を撮っていた。

     私もその邪魔をしないように写真を撮っていたのだが、それにしても可愛い。神社にある動物の像って、もっとリアルでナショナルジオグラフィックみたいな見た目じゃなかっただろうか。こんな京都アニメーション的な作画だったっけ。

     出雲大社ってもっと厳格なイメージがあったので、拍子抜けで、「こういうウサギの像があったらいいよね」「可愛いね」みたいな会話が本部の人の間で為されていたかと思うと和むのだった。

     やがて銅色の鳥居とその向こうに拝殿が見えた所で、右手に巨大な銅像が現れた。

     髪を頭の両側で結った男性が波の上で輝く黄金の球体を諸手を上げて迎えている。近寄って立て看板を読んで見ると、「ムスビの御神像」と書かれていた。どうやら、出雲大社で祀られている大国主大神が海の神から幸魂奇魂を受け取る場面らしい。さきみたまくしみたま。神の力を宿したそれはそれは素晴らしい光る魂なのだとか。

    画像

     ブランドの卵みたいな名前なのに、凄いんだなぁと俗なことを考えながら銅像を後にして、拝殿の前に立った。

     本殿は更に奥にあるらしいが、まずはこの拝殿でご挨拶をするのが礼儀らしく、私も人の流れに沿って真ん中の列に並んだ。この賽銭箱の前に立つまでの間は、不思議といつも何も考えることがない。神様の前だからだろうか、背中にピンと糸が通っているような、心地の良い緊張感があるのだ。やっとあと1組。前にいた家族連れが賽銭を入れ、2礼して、手を叩いた。

    パン パン パン パン

     そして、祈った後、一礼して去っていった。
     そうそう二礼四拍手一礼…………え?

     いやいや、二礼二拍手一礼でしょ。
     パン×2が余計じゃないか? 春のパン祭りのシールって、今年から音のパンも対象になったのか。そういえば、並んでいた人みんな4回叩いていたような気がしてきた。

     ドギマギしながら私の番がやってきた。そういえば、空知先生の漫画『銀魂』でこんな回があったっけ。知人の葬式に来たけど皆作法が分からなくて適当かまして、大惨事になるやつ。しかし、私は郷にいれば郷に従う者、A CHI CHI A CHI 燃えてるんだろうかである。隣の人より若干遅く賽銭を入れ、礼も出来る限りゆっくりとして、両手を構える。隣の人が少し速く手を叩く。

    パン パン

     ここ、2回目の終わりから、私も拍手を始めた。隣の人がそこで手を合わせたままなら私も2回、3回目を叩くようなら、私も四拍手するつもりだった。やけに丁寧な所作で手を叩く私、その耳に乾いた音が届いた。

    パン

     3回目だ!

    パン

     4回目、やはり四拍手だった。
     私も何食わぬ顔で四拍手して手を合わせた。
     拍手に熱中し過ぎて、お祈りしたい内容が全く出てこなかったので、「お見苦しい所をお見せしました!」と全力で謝罪した。

     拝殿を出てゆるりと歩くと、そこかしこに二礼四拍手一礼の作法が書かれた看板が立っていることに気がついた。あまりにも身に染みついた作法はどこでも共通だと疑わないものだと、気が引き締まる思いだった。私が拝殿を去る間も、澱みない四拍手が聞こえてくる。

     私が神様だったら、四拍手を知らない奴を絶対にマークするだろう。神様がそんなに暇じゃないことを祈りつつ、本殿へと向かった。

     私にとって誤算だったのは、出雲大社が想像以上に広い事だった。本殿での参拝を終えた人達がぞろぞろと更に奥へと向かうので、ついて行くと小さな社があるのが見えた。

    画像

     よく見ると、参拝を終えた人には2通りあることに気がついた。第一に参拝後すぐに左側から帰路につく人。これが3割くらい。そして第二に右側からぐるりと社の周りを回って何かしてから左側から帰路につく人。これが7割くらいいる。経典を回すと修行の代わりになったり、御百度参りだってぐるぐる回るものだ。でも、そのどれとも違う。皆、何かを手に持って帰っていく。

     これが世界ふしぎ発見!なら、ここでクエスチョンになっていただろう。お札みたいなものを受け取っているのか……?自信なさげに私はひとし君人形を賭けた。その時、前に並んでいたご夫婦の話し声が聞こえてきた。

    「甲子園みたいだね」

     夫の方が言う。甲子園?野球?
     同じ疑問を聞いていた妻の方が迷いを含んだ声で応える。

    「甲子園って……あぁ、砂集めるから?」

     甲子園では春夏と高校野球の大会が行われ、最早『甲子園』という名前自体がそれを示すと言っても過言ではない。その甲子園では、敗退した選手たちが土を袋に詰めて持って帰るというしきたりがあるのだ。どうやら、夫さんはそのことを言いたかったらしい。2人が視線を向ける先、社に向かう階段脇には立て札と小さな小屋があり、そこには「お急ぎの方はこちらで砂をお納めいただけます。」小屋にはこんもりと盛られた白い砂があった。

     さっきと同じだ。何か、私の知らないルールのようなものが流通している。それを皆、承知しているから、当然のように振る舞っている。知らないのは私だけだ。嫌な汗が背中を流れる。テスト用紙が配られ、開始の合図と共に見た一問目が全く分からない時のような焦りがあった。

     誰かに聴く勇気もない。これが幸魂奇魂の時代ならゲームオーバーだっただろう。だかしかし。私の手にはスマホがあった。そそくさと調べると、どうやら2キロ先の浜の砂を持って参拝することで、その砂と交換に社下で清められた砂を持ち帰ることができるらしい。2キロ先、ということは往復で4キロ。実は島根旅行1泊目に35キロ歩いていた私は、2泊目はほどほどにしようと決めていた。決めていた、のだが。

     気付けば私は長蛇の列を抜け、元来た道を引き返し、宝くじ売り場の前、つまりは正面の鳥居まで戻ってきていた。スッと伸びる参道、その向こうに聳える鳥居。あの向こうに浜が広がっているのだ。

    画像

     これが誰かと来ていたとしたら、きっと諦めていただろう。砂を持ち帰るためには、浜の砂が必要なんて、RPGで言うところの負けイベントである。参道の土産物屋で店主に話しかけたりしたら、「ご利益の砂を得るには、浜の砂が必要じゃったような……」みたいなtipsを得られたのかもしれない。このまま参拝することもできる。

     しかし、今の私は1人。誰かの顔色を伺わなくたって、どこへだって行ける。行ってやろうじゃあないか、浜。

     昔から、「こうしよう」と決めた事はやってみないと気が済まない性格だった。蛇行するコンクリートの道路と枯れ色の草木が生える原を見ながら20分ほど歩き、私は海に突き当たった。コンクリートの堤防の先、砂浜に荒々しい波が次々に打ちつけている。砂を取って良い浜は少し先だ、しばらく海に沿って歩いた。

    画像

     海は地域や海岸によって、その表情が変わる。休日は海に行き、波音を録音しながら、波打ち際を歩く。波の勢いや打ち付けるのが砂か岩か、その角度によっても違う。

     島根の海はやや野生的な海だった。原初の、歴史的な壮大さ、私的に言うなら、尻が硬そうだ。

     やがて砂を取って良い浜に着き、度肝を抜かれた。集まる人々の視線の先にあった岩だ。いや、岩壁というべきかもしれない。4分の1ホールケーキみたいな形で切り落とされた岩壁が波打ち際に屹立していた。その頂上には小さな鳥居が立っていた。真鍮色の鳥居だ。

    画像

     その岩壁の前には小さな賽銭箱があり、皆はそこに賽銭を入れ、なむなむ祈りを捧げていた。私も郷に従い、二礼四拍手一礼。手を合わせ、目を閉じると波音が聞こえてくる。不思議な感覚だ。海辺の寺社仏閣だと、江ノ島や広島とかあるけれど、ここまで剥き出しの荒々しさを持った場所は初めてだった。

     目を開けると、眩しい陽に照らされた波がミルフィーユみたいに重なって順々に砂浜を濡らしていた。この先の、どこかの国から来た波、私を知らない波、私を知って、私を知らない誰かの元へと行く波。絶え間なく届くのに、同じ波はきっとない。繰り返しなのに、繰り返しじゃない。思考も堂々巡りしているようで、頑なだった心が解けていくような、波間と同化していくような、そんな気がした。

     それから砂を少しだけポリ袋に入れて、2キロの道のりを歩いて戻り、拝殿で参り、本殿に参り、最奥まで戻ってきた。

    画像

     今度は後ろの家族が甲子園の話をしていた。やはり砂を集めるといえば、甲子園。というか、甲子園以外で砂を持ち帰る、というのは見た事がない。本来は逆なのかもしれない。神聖な場所で砂を集める、というイメージが寺社仏閣から広がり、高校球児にとっての神聖な場、甲子園でも砂を集めることが行われるようになったのかもしれない。

     適当な推測を立てている間に、私の番が来た。お賽銭を入れ、二礼四拍手一礼。きっちりこなして、いざ砂納めへ。社の周り、正面を除く三方には砂が入った長方形の箱があった。そこに白と茶、2色の砂が混ざり合って入っていた。茶色の砂はしっとりとしていて、白い砂は真新しい、というかさっき見た砂だ。周りの人を盗み見ると、持ってきた砂を箱に入れ、置いてあるおもちゃのスコップで砂を掘り出し、袋に入れていく。

    ……え?

     浜から持ってきた砂を入れる箱と持っていく箱が同じ? ということはつまり。二つの砂は全く同じものである可能性が高い。少し、呆気に取られ、まぁ神域でお清めされる訳だし、と納得させ、でもちょっとモヤっとした。

     モヤっとはしつつ、砂は頂戴し、最後に神楽殿へと向かった。神楽殿は異様に大きいしめ縄でお馴染み、テレビで映るのも大体ここな気がする。

    画像

     神楽殿に並ぶ人は多く、長蛇の列を成していた。チャリンと賽銭と箱の木がぶつかる音、四拍手、トランペットにピアノも入って即興のジャズが始まってもおかしくない。

     列が進み、最前に近くなった頃、私は賽銭を取り出そうと財布を開いた。財布は音もなく開いた。いつもはチャカリと音がするのに。それはつまり、小銭が無いことを示していた。小銭入れには、御守りとして入れている1ポンドしか無かった。1円だって無かった。 

     理由は明白だった。出雲大社のあらゆる賽銭箱に小銭を入れ、本殿に至っては500円を入れたからだ。ペイペイ!の一言が人々を電子の海に駆り立てた、世はまさに大キャッシュレス時代! の余波を受け、元より現金を持ち歩かない私にとって大量の賽銭箱は相性が悪いのだった。

     1ポンドは手放したくない、でも、と思う私の指が財布の縁に触れた。賽銭箱の前でこちらは開けないものだから、忘れていた。財布の札入れを開くと、そこに一枚だけ千円札があった。こちらを覗く北里柴三郎が救世主に見えた。

     じゃあ、これを両替すれば良い。
     御神籤や御守りが買える所で頼めば替えてもらえることは知っていた。あるいは、そこで御守りを買ったって良い。

     だがしかし。 
     「千円はちょっとな……」と思って両替した賽銭ってご利益あるのだろうか。私が神様なら、「おいおい、北里柴三郎に会わせてくれよ」 と思わなくもない。神様は当然私より器が広いとしても、私の中で願いのグレードが下がるような気がしてしまっていた。

     私の番が来た。
     涙を呑んで、震える手で、千円札を取り出し、賽銭箱にそっと差し入れた。北里柴三郎が残像を残して視界から消え、トンッと紙が底にぶつかる軽い音がした。

     もう、後戻りはできない。
     さらば、私の全財産!!

     千円入れただけなのに心臓がドクドク鳴るのを感じながら、私は礼をして、拍手をした。

     パンッ パンッ 

     2回。
     手を合わせ、願いを言うフェーズに入った私の耳に、隣の列から3回、4回と拍手する音が聞こえた。

     そうだ。出雲大社はルールが違ったんだ。願いを伝えつつ、私の後ろにずらりと続く列を思い出している私もいた。今頃、後ろの人達は「あの人2回だったな…」とか思っているのだろうか。自意識過剰ではあるものの、参拝場所の多い出雲大社ではそれほど四拍手のリズムが浸透しており、それだけに2回だけと言うのは違和感しか無いのだった。

     ルールを間違えました!!すみません!! と謝りつつ、礼をして、ほてる顔を押さえながら、足早に神楽殿を去った。

     縁結びの社でポンド残して円を失い、神様と衆人環視の場で大恥をかいてしまった。気合いの籠った千円札だったのに。身の丈に合わないことをするべきで無いと言う教訓だろうか。

     でも、「まぁいいか」と思う自分もいた。往復4キロ近くの道のりを歩き、少しばかりいただいた砂がこの手の中にある。道中は自分の願い事を反芻したり、これまでの人生を振り返ったりしていた。さっきはモヤっとしたけれど、「たとえ徒労かもしれなくても全力を尽くす」という姿勢そのものが、自分の願い事への向き合い方にも現れてくるのではないか。そんな「納得」を掴む為に、人は信仰と共に歩くのかもしれない。

     そんな小難しい理屈を考えたのはその日のホテルであり、松江への帰路では酷く巻きついた羞恥心の糸を解くので精一杯だった。

     すっからかんの財布にはもう円は無かった。
     でも願わくば、私に良縁を。














    この記事が参加している募集

     
     
    かぐらもりしほ。日記を書いている社会人。 実家のような既視感を貴方に。

    あなたへのおすすめ