
“存在していい”を少しずつ
大阪と東京を行き来する生活も、今年でもう4年目になりました。
でも最初の頃の私は、大阪があまり好きな場所ではありませんでした。
恋人の家は、いつまで経っても自宅のような感覚にはならないし、
大阪はどこか、自分にとってアウェイな街。
恋人が仕事の日は、家で帰りを待つ日々。
鍵を持って外に出ることすら、なんだか申し訳なく感じていました。
料理をするときも、
恋人が使わない調味料や野菜は買えなかった。
冷蔵庫に、
自分が生活した痕跡を残すのが怖かった。
今思うと私は、
大阪で暮らしていたというより、
“お邪魔していた”のだと思います。
そんな大阪で、
少しずつ通うようになった本屋さん。
正和堂書店 。
昔から街にある、
地元の本屋さん、という空気のお店。
天井が高いわけでも、
窓がたくさん付いているわけでもない。
開放的な空間ではないそこに、
私は、
確かに安心感を覚えました。
小説だけじゃなく、
釣りや趣味の本も並んでいて、
色んな人がこの本屋に来るんだろうな、
と思えるところも好きだった。
大阪に来て初めて、
私は本屋さんを自分の味方のように感じている
と気がつきました。
気になる本がなくても、
ただ活字に囲まれた場所がある。
それだけで、少し安心できる。
実は私、
昔、祖父と自由が丘の本屋さんに
よく行っていました。
祖父は難しそうな小説や囲碁の雑誌を見ていて、
私は漫画ばかり読んでいた。
「また漫画買うの?」
なんて言われながら、
隣で本を選ぶ時間はすごく大切でした。
でも、その本屋さんはありません。
そして、祖父ももういません。
思い出の場所がなくなるたび、
少しだけ、
自分の過去まで消えてしまう気がする。
だからなのかもしれない。
私は正和堂書店に行くと、
少し安心します。
昔の私は、
地元って、生まれ育った場所のことだと思っていました。
でも、本当は
少し違うのかもしれません。
理由もなく立ち寄りたくなる場所があって、
そこに自分がいてもいいと思える。
そんな小さな安心を、
人は少しずつ増やしながら生きているのかもしれない。
だから私は最近、
地元は“与えられるもの”じゃなく、
“増えていくもの”なのかもしれないと思えるようになりました。
