自信はどうやったらつくのだろうか
初めて「note質問箱」へのお答えを記事にしてみようと思います。
頂いたご質問はコチラです。
そもそも「自信」ってなんだろう。改めて考える機会を有難うございます。
まず、僕は「自信」と呼ぶ感覚は、あるのだろうか。
振り返ってみると、自信を感じる対象と、感じない対象があります。
自信を感じないもの。
それは、「ネ申(妻)」から頼まれたことを、ちゃんとこなすことです。
頼まれごとを、すっからかんに忘れたり、失敗したりするのです。
「オマエは本当に信用ならない」とお言葉を頂くのですが、
僕も「オレも、自分を信用できないw」と、他人事のようにゲラゲラ笑ってしまうのです。
無職のくせに、頼んだことができない。それをゲラゲラ笑っている。
文字にしてみると最低最悪です。
一体全体、どうなっているんでしょう。困ったものです。
一方で、自信を感じるものもあります。
それは、自分の使命(命の使う方角)に対しては、一定の「この方角で良い」と、自分を信用できると感じられます。
自分が本当に手にしたいものへ、向かえているという実感を持ちながら、進めている。そう感じられています。
それが「自信」と呼ぶ感覚を起こしてくれています。
自信というものは、「自分を信じられる」状態ですが、それは、期待と違うことに出くわしたり、想定外のことが起きても、受容できる状態のことをいうように感じています。
逆説的なのですが、自信を得ていくには、期待が外れたり、想定外の出来事にぶつかりながら、「ひとまず信じる方に進んでいく」ことが有効だと思うのです。
ひとまず「こっちかな?」と進んでみる。すると、時に期待通りだと、自信がつく。期待と違うと、自信を失う。
そうした試行錯誤が増えるほどに「方角に対する感度」は確からしくなっていく。
その方角に、一定の確からしさを感じながら進んでいくほどに「この方角で良い」と、自分を信用できる感覚 — 自信とよぶもの —が起きていく。
どこに進んでも「違った」という状態が続くと、自信は枯渇していくので、”道しるべ”があると頼りになるもの(僕にとっての”仏道”は、まさに僕にとって正しい方角の”道しるべ”になってます)。
そして、他人からの”励まし”も追い風のようで頼りになる。
一方で、気をつけたいのは、他人からの”評価”は、必ずしも、アテにならない。(励ましは追い風になって有難いけど)
「(その方角が)正しい/間違ってる」という見立ては、その方の感覚。
自分にとって、どう感じるかは、また別の問題。
他人の評価ばかりを頼って道を進むと、自分で「この方角で良いか」の感覚が育ちにくくなり、自分にとって「間違ってない」という実感が生まれにくい。
その方角へと自分で勇気を出して足を進める体験を通してしか、「この方角で良い」という実感は起きにくいものだと思います。
つまり、自信は、ひとまず進めば、育ちやすい。「方角の正しさ」を自分で確認してさえいれば。
そんなふうに考えてます。
今回、初めて「note質問箱」の質問を記事にしてみたのも、やったことがなかったので「ひとまずやってみた」のです。自信が欲しかったのです。
僕などのお答えでよろしければ、下記ご自由にご活用ください。
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今日もお付き合い頂き、有難うございました。
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