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仏陀「仏教を信じるな」※マジ

    こんにちわしきトイレ

    初手のグッドギャグにより誰かを笑顔にできたと思う。

    さて今回仏教について書きます。なんで?て皆思うよね。
    なにがウケるのか研究中なのです。でも面白い話ではあるんで良かったら見てってね。

    さてさて、仏教は色々勘違いされてることがあります。
    社会の授業で教えられないことかあって結構面白いです。


    よくある勘違い

    ①仏教は信じるものではない


    仏陀はこういうことを言いました。

    ただ信じるな。

    聞いたから
    伝統だから
    経典に書かれているから
    尊敬する師が言ったから

    そんな理由で信じてはいけない。

    自分で見て、考えて、確かめて、
    これは正しい・善いと思ったことだけを実践せよ。

    カラーマ経(カラーマスッタ)

    現代風に言うなら、
    「情報を鵜呑みにせず、本当か確かめよう」
    と言ってるわけですね。

    仏陀の教えにほんとかよ!と思う疑い深い人こそ仏教の素質があるんですね。
    つまり本来仏教に信者というのは存在せず、仏陀を疑う人を世間が信者と呼んでいるケースがほとんどです。まあ例外もあるんですけど。

    信じるのではなく確かめる宗教なんですね~


    ②悟り=幸せになるではなく、完全な無

    インドでは仏陀の時代より前から、
    バラモン教(ヒンドゥーの原型)の世界観があって「欲望を断てば清らかになれる」と考えられてました。

    そこで!
    若い仏陀はこう思いました。
    「俺が一番苦しいことすればめっちゃ早く悟れるんじゃね?」

    ということで、
    ・断食
    ・息を止めて意識を飛ばす
    ・体を痛めつけてみる
    ・死にかける

    といういろいろなことを試しました。

    ある日、死にかけの仏陀が通りがかった村の女の子が「乳粥」を差し出してくれて、それを食べた瞬間あることに気が付きます。

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    そう。苦行で自分を苦しめると、ストレスに縛られてしまう。
    かといって欲のままにしてしまうと、欲に縛られてしまう。

    苦行も欲もどちらも苦しみであると仏陀は考え、どちらにも縛られない生き方を模索しました。

    これが仏教の根本思想のひとつ「中道」で、苦行を必要としません。

    最終的に幸せにはなりません!宗教なのに!
    仏教の最終ゴール=涅槃(ねはん)=無
    欲も感情もなくなる、どっかの厨二病みたいなことに。(まあ違うけど)

    悟り=幸せのイメージありましたよね。
    逆に欲を捨て去ることが真の幸せという考え方なのかも。

    知りたければ実践あるのみだね。


    ちなみに・・・

    さてさて、仏陀の中道という新たな文化が出てきた当時、とある層からかなりの反発を受けます。

    今まで苦行をガチってた宗派の中年層です。

    今でもよくありますよね。
    新たなポップカルチャーに反発する上の世代。

    上の世代が新しい文化に反発するのは「自分の生き方(信念)が否定される感覚」に対する防衛反応です。
    ”最近の若者は・・” が消えることはなさそうだな。

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    というわけで仏教の面白い話をしてみました。

    ちなみに僕は特に実践してないので
    仏教にわかのレベルにも達してないです。

    いつか暇になったら実践してみっかなーー

                     おわり

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