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幸平 時代短編小説集

    幸平(こうへい)時代短編小説集 
    あらすじ
        林又一郎と原三郎左衛門は木下藤吉郎にかつて仕えていた。その元主人が関白に出世したのを幸いに、遊女屋を願い出て許される。太閤亡き後、又一郎は、かねて関わった歩き巫女のイチの手引きで、出雲の阿国を知る。「かぶき」の魅力に目覚めた又一郎は、遊女たちによる「女かぶき」を立ち上げるが。忘れられた今一人の「歌舞伎」功労者の生きざまを描く「慶長ダンス」。平安前期に地方豪族の家に生まれた青年が、なにゆえ仏道を志し、後に真言密教の開祖となったのか。若い日の空海の姿を描く「海と空の果てに」。戦国初期、太田道灌に歌の道を教えられた若き領主とその妻の悲恋を描く「武蔵野ものがたり」。「師父の碑」は九州小倉にある宮本武蔵の石碑を手掛かりに、武蔵の養子、伊織の目を通して描く不世出の剣豪の姿と伊織の生涯。吉原伝説の名妓「高尾太夫」と仙台藩主伊達綱宗との有名な逸話をもとに、花魁道中の歩き方「外八文字」の創始者勝山大夫らをからめた悲恋「仙台高尾の恋」。「遠い太鼓」と「羅生門の女」。前作は、討ち入り後の堀部安兵衛とお預け先の伊予松山藩江戸屋敷に詰める若い武士とのささやかな交流を通して描く侍の生きざま。赤穂浪士の中の最年少であった矢頭右衛門七と、思わぬ出会いから彼に心を奪われた吉原の最下級の遊女磯野の悲劇を描いた後作。二編の忠臣蔵外伝。「馬と猿」は、思わぬきっかけで夫婦となった、猿とあだ名される青年武士と藩重臣の美しい娘との愛の物語。そこに藩を私物化する奸臣らの悪行を暴くための馬術の試合がからむ。

      幸平 時代短編小説集

    慶長ダンス(けいちょうだんす)

    「おぬしとかように酌み交わすのも久しいことよの」
     言いつつ、男は声を立てて笑う。すると、ひげ面が崩れかけの塀のようになる。勧められるままに、かわらけの盃に注がれた酒を飲み干した。
     眼前のこの男の名は、原三郎左衛門という。かつてはともに戦場を駆け巡ったこともある仲であった。
     「いやはや古いつきあいになるのぉ。何と申しても、あのお方さまの恩顧を受けたもの同士。さても、あのままお仕えしておれば、われらはどうなっておったであろうか、なっ」
     確かに、どうであったろうか。うまくすれば一国一城の主であったかもしれぬ。だが、とうにどこかで命を失っていたやもしれない。それは、天が知るのみ。そう心の中で呟きながら、さらに注がれた酒をあおる。
     「そこでのう、わしと深い縁のある林又一郎どのを見込んで一つ頼みがあるのだが」
     なるほど。やはりそう来たかと思う。この男は、いつもなにやかやと事を持ち込んできた。そのたびごと、始末に苦心を強いられたものだった。
     「面倒はもう御免だぞ」
     「容易い話さ。どうじゃ、又一郎、わしと遊女屋をやらんか」
     思いもかけぬ申し出に、盃を持った手が止まる。
     「覚えておろう。あの一件を。あれを片付けたおぬしだからこそできること」
    又一郎の頭の中に、かつての出来事が蘇ってきた。
     
    織田信長上洛の鍵ともなった近江の六角氏との戦では、松明を使って敵の度肝を抜く夜襲をかけ、堅守の箕作城を攻め落としたのが、原と林の主人である木下藤吉郎であった。
    その余勢をかった織田軍団を前に、名ばかりの将軍家の頭越しで京を牛耳っていた三好三人衆は、ほとんど矛を交えることもなく逃げ去る始末だった。
    そして、その主なき都の新たな差配を、明智光秀、佐久間信盛、丹羽長秀、村井貞勝、明院良政に加えて、彼らの主もまた、任された。末席とはいえ、名だたる重臣らと並んで選ばれた奉行という要職である。
    原は、その新奉行の厩番として、馬をひきつつそば近くに供奉し、時には御用なども承る役回りだった。

     「ここにいたか。探したぞ」
     又一郎は、四条河原に立ったまま、ぼんやりと水の流れを見つめていた。その声に振り向くと、渋い顔をした原三郎左衛門が近寄ってくるのをみとめた。少しばかり嫌な予感もする。
     「ああ、何か用か」
     「決まっておろう。あればこそ、よ。実はな」
     
     原はその用向きを語り始めた。
    信長公の御下命であるという。
    兵たちの京での乱暴狼藉は一切許さぬ。背けば斬首。通りがかりの女に戯れかかる程度でもまかりならぬというから、どうにも厳しいものである。その裏にあったのは、さかのぼる昔のこと。平家を襲って入京した木曽義仲の一件ゆえである。
     義仲軍は、金品を奪い、女を犯し、非道の限りを働いた。「朝日将軍」ともてはやされたのも束の間、京わらべは、義仲を山猿と陰で罵り、その軍兵を蛇蝎の如くに忌み嫌った。
     義仲の挙兵が結局は不首尾に終わったのも、その軍紀の乱れゆえというのが信長公の思し召しであったという。そこで、ために下された沙汰ではある。だが、それを徹底するとなればなかなかに難しい。その最たるものは。

     「女よ、女」

     金や酒なら何とでもなる。だが明日も知れぬ身の雑兵たちに、女なしで辛抱しろとは、とてもではないが、いかな無理なことである。
     「町家の女たちに襲い掛かるような真似だけはさせられぬ。下手人が首をはねられるだけではすまんからな」
     その責めは、おそらくは奉行にも及ぶことであろう。
     そこで、主が、原の前に持ち出したのが、女を集めろという、下知であるという。
     「ともかく女を。な、女を集めねばならん。その女たちを囲って兵たちに与える。それがお考えよ」
     なるほど。流石に織田家中第一の出世頭と評されるご仁である。人の欲をただやみくもに禁じるのではなく、それを散じる場を作って暴発を防ごうというのであるか。又一郎はうなった。
    「とはいえ、どうしたものかと。この面では女を集める前に逃げ出されかねん」
     確かに、この男の面構えでは、くだんの仕事には不向きかもしれぬ。
    「そこでおぬしの出番というわけよ」
     さて始まった。いつものことだ。何かといえば、困った尻を持ち込んでくる。又一郎のやり切れぬ思いも、うすうす感づいてはいるのだろうが、そ知らぬふりで、彼は話を続ける。
     「ぬしのその顔であれば、向こうも怪しむまい。なにせ、見間違えられるほどのいい男じゃからな。わしからすれば妬ましい限りよ」 
    「それは、どうでもよかろう」
     こちらの少し気色ばんだ口調に、目の前の土塀がゆがむ。ただ、にやりと笑みを浮かべただけにすぎぬのだが。
     「ともあれ、ご指図には従うまでよ」
     仕方なく、その土壁に向かい吐き捨てた。
     
     物心ついた時から、おなごのように可愛いと言われ、長じては、女と間違うほどの見目麗しさよ、と噂された。中には、何とも知れぬ露わな目つきでうかがい、時にちょっかいを出してくる輩も出る始末。それが、どうにも腹立たしく、そんな奴らは完膚なきまで叩きのめした。そのために必死で武芸の技も磨いた。わずかな土地にしがみついて、戦の度に蹴散らされ、右往左往せずともよい侍として、今ここにあるのも、そのおかげであろう。だが、何かが違うような思い。とりわけ、今の主の姿を、さまざまな折で知ることになって、その思いはより強くなるばかりであった。
     かのお方は天賦の才の持ち主であろう。それを利してどこまで突き進まれるのか。その運否次第では、考えも及ばぬほどの所かもしれない。この後もあの主に付き従っていけば、自分もまた違うものを見ることができるかもしれない。が同時に、自らの器量もわかっている。そして、何よりも、実のところやるべきことすら、まだわからぬ。いや、自らのやりたきことすら判然とせぬのだ。

     「いかがでこざります。御祓いなさりませぬか」
     後ろから声を掛けられ、はっとして振り返った。白装束の女である。歩き巫女と呼ばれる連中の一人であろうか。歩き巫女とは、諸国を渡り歩き、その帰依する神の功徳を説いて回る女たちのことである。諏訪や熊野、飯綱などから出て各地を遍歴し、お祓いや、時に神を下ろしての口寄せなども行う。まれに卜占をよくするものもあった。だが、多くは、色を売り春を鬻ぐことで生きる方便としていた。
    いつもの又一郎であれば、知らぬ顔をするか、付きまとわれても、いくばくかの小銭を与えて立去るのだが、ふと、その気が変わった。
     「少し話をしたいのだが。どうだ」
     女は、うっすらと笑みを浮かべて、頷いた。
     
     すっかり日も落ちてしまった。河原から少し離れた、ムシロがけの掘っ建て小屋の中には、灯もかねた小さな火が燃えている。
     「さて、旦那様。何をおのぞみでございます」
     「そうか、わしに、その気がないと、なぜわかる」
     「言われずとも知る、それも、また習いでございますさ」
     女はイチと名乗った。
     「どこぞの神を背負うておるのだ」
    すると、女は薄く笑う。
     「お相手次第で。しいて申せば八百万の御柱でございましょうかね」
     「なるほど。だが、主は神だけではあるまいがな」
     「いえ、ただの歩き巫女でございますよ。ですが、そちら様のお役に立つことがあるやもしれませぬ」
     「然様か。では、その折あらば、いかにすればよい」
     原からは相当な金を託されていた。そこから女に一掴みして渡す。
     「ほかの者にわが名をお伝えくだされば」
    「歩き巫女に、か」
     「そのほかの者でも。洛中に巣食う怪しき生業の輩は、みな仲間でございますれば」

    イチの伝手もあって、くだんの女集めも容易く済んだ。その手並みに原も感に堪えぬ様子だった。だが、それも又一郎の手柄ではない。だが、それは言わずもがなのこと。ともあれ何とかお役目を果たすことはできた。だが、その後の事の成り行きはわからぬまま、又一郎たちは主従ともども京を去ることになったからだ。

    それからは、越前の朝倉征伐と近江の浅井長政謀反、将軍足利義昭追放と足利幕府滅亡、朝倉・浅井に対する壮絶な報復による両家の滅亡と、さまざまな出来事が続いた。
    中でも、後日「金ケ崎の退き口」と言われることになった戦いは、又一郎も死を思ったほどである。朝倉攻めの只なかで、長政の謀反により袋のネズミとなった織田軍は、急ぎ京に逃げ帰ろうとする。そしてその最後尾となる「殿(しんがり)」に加わったのが、主の藤吉郎であった。古来、敵の追尾を受けながらの戦いに利のないことは知られている。全滅のおそれとてある。又一郎は、ここが先途であろうと覚悟を決めた。
    だが、同時に心の隅を奇妙な思いが占めてもいた。それは、主の藤吉郎も自分も決して死ぬことはないだろうという一念である。
    「じゃか、かの御運が尽きたようには思えんが」
    とはいえ、まだ主人に運があるとしても、郎党である自分の命が救われるとは限るまい。にもかかわらず理由のないままに、そうなる、と又一郎は信じ込んでいた。神仏への信心もかくやというばかりに、である。
    その信心は見事に実を結び、主従ともに命を拾った。戦いの論功行賞によって、主は北近江三郡を所領として頂戴する。さらに、浅井長政の居城だった小谷城も頂き、名実ともに一国一城の主となった。当然のところ従の方にも、それなりの余禄がなかったわけではない。だが、又一郎は迷っていた。このままこの主に付き従っていくのだろうか。確かに、主のますますのご出世あれば、従のこの身も、生命あらばとまれまずは安泰であろう。しかし、本当にそれでよいのか。
    あの時、一時でも死を覚悟した。その時に、ふとかすめた疑い。このまま死ぬのか。やり残したものはないのか。万が一、生き残ることができれば、今の奉公を辞してでも、なすべきことを、なすべきではないのか。

    新たな城下町長浜での暮らしは、ささやかながらも、まずは落ち着いたものであった。だが、それだけに又一郎の思いは余計にさ迷う。
    その折も折、原が病のため退身することとなり、今こそしかるべき時節かもと、又一郎も併せて暇を乞うた。それが思いがけずに許されたために、ともに京へ戻ることにした。何かのあてがあるわけではない。だが、京師ならば、何かのぞむものが見つかるかもしれぬとの、一抹の希みをかけてのことだ。

     「思わぬ奉公ぶりを嘉されたのかな。過分なお手当もいただいた。しばらくはのんびりと暮らせそうだ。ぬしもそうだろう」
     ご支配より、主からの言葉を伝えられ金を下された。その金高が思いのほかであったためだ。
     「そうよの」
     いったい、主からそこまでの手厚いはからいを頂戴したのか、原には実のところ見当もついておるまい。真の狙いは別。原にはその余禄が回ってきたという格好である。
     暇を願うにあたって、一人だけ内密で、目通りを許された。そこでズシリと重い金袋とともに、ある役目を持ち掛けられた。
    京の巷でささやかれる噂話や伝え聞、人々の消息や動静などを集め調べ報せるようにとのものである。
     なにゆえに、その仕事をこの身が果たせると主は思召されたのか。又一郎は怪訝な思いで頭を上げ、顔をうかがう。そしてその口から出た名に、驚きとともに、やはりと納得したのである。
     なるほど、イチはこのお方の息がかかった者であるというわけか。
    あの初めての出会いから間もないうちに契りをかわした。その後も、何かにつけて女は姿を見せてくる。そこでの折節の寝物語が、浅井や朝倉の領内の話、中国や西国の様子に九州の動きなど、耳を疑うようなものばかりであった。
    やはり、最初に会った時から只者ではないと思っていた。やはり、忍びではないのか。いや、それもただの忍びではなかろう。もっと得体のしれない怪しきものかもしれぬ。勿論、それを問い質すことはないだろう。いや何者であろうといっこう構いはせぬと、又一郎は腹を決めていた。たとえ、この女のために身を亡ぼすことになろうとも悔いはせぬと思い、ただ、女の持つとらえどころのなさにおぼれていた。だが、自らの暇を考え始めたころから、なぜか、女の姿が目の前から消えたのであった。
    そして、今、思わぬところで、その名を聞くことになったのである。
    命を受ければ、イチとの関わりが続くかもしれない。そうであれば決まっている。
    「お役目、承知いたしました」

    黒谷の金戒光明寺傍を住処に定めた。口の利けぬ爺を下男がわりに雇い入れる。この屋で何を見ても他に口外できぬところが重宝という思いからだ。
    住みなして数日、やはり、あの女が忍んできた。爺に酒と肴を用意させて一人酌んでいたところに、影のように現れる。巫女姿ではない。女官のような衣装をまとう。禁裏から今抜け出してきたといった趣だ。
    「やんごとなき筋の探りのついでか」
    答えはない。
    「それより、渇いておるのだ。一杯、くれぬか」
    手にしていた盃を渡し、酒を注ぐ。
    一息で飲み干すと、こちらをじっと見つめてくる。
    「あの御仁は、まだまだ大きくなられるはずさ」
    「ああ。織田様の天下もかくまで確かとなれば、ますますそうよの」
    すると、奇妙な笑いを浮かべた。
    「先のことなど誰にも知れぬ。何が起きるか、わからぬものさ」
    そんな台詞を捨て置いて、気づけば、女は、後朝の別れを残しもせずに、いつの間にか消えてしまっていた。

    やがて、世の中は、目まぐるしく動いていく。
    一向一揆、長篠の戦い、石山本願寺攻めに比叡山焼き討ちなどを経て、織田家に反旗を翻す輩は段々と駆逐されていく。信長公は豪壮華美な安土城を築き、天下平定のために着々と地歩を固められていた。又一郎らの元の主も、織田家を支える重臣の一人としてその傍らにあり、ついには、直面する最大の敵である毛利が支配する中国攻めの総大将にも任じられたほどである。
    その間、京の巷は、平穏な日常が続いている。戦乱は今や遠くの話。そのことを洛中洛外の万人に知らしめたのが「御馬揃え」であった。
    内裏の東側に帝のご来駕を仰ぎ、柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀ら織田家の重臣ら、継嗣ら連枝衆に公家たちまでが騎馬姿で一堂に会した。強大な織田軍の力を誇示するその壮観。これには、なまなかの虚仮脅しには驚かぬ京の雀たちも、流石に呆然というありさまであった。その晴れがましき場に、又一郎のかつての主の姿はない。中国攻めの只なかにあるためだ。さぞかし残念至極と歯噛みなされておろうか。その顔が目に見えるようにも思えた。

    旗印の天下布武に盤石の構え。織田家の行く末に障りなし。と誰もが思ったに違いない。武家だけでなく、公家も、いや帝ですらも、そうであったろう。

    しかし、だが、そんな絶頂の中で、事は起きた。

    明智日向守殿謀反。飛び込んできたのは信じられぬ報せである。
    水無月二日の朝まだき、中国援軍に向かうはずの明智光秀軍が本能寺に襲い掛かる。狙うは毛利ではなく、自らの主君である信長の首であった。明智軍は同時に織田信忠のいる二条城をも急襲する。
    再び、都が戦乱の巷と化すのだろうか。京師の人々は恐れおののいた。
    それに加えて、又一郎は元の主の身を案じた。中国での戦いの最中にあるのでは、この変事も伝わってはおるまい。だが知ったとしても、敵前にあれば、なすすべもないであろう。かの変事に天祐あるべしと敵軍は勢いづく。まだ諸所に残る反信長の将たちがそれに呼応すれば、もはや逃げ場はない。
    「もしやここに御運もお尽きなされたか」
    又一郎は嘆息した。
    だが、それは杞憂であった、と後に思い知らされることとなる。

    世に「中国大返し」と称される疾風の帰還である。四万ともいわれる大軍が京を目指して怒涛の転進を図る。そして。本能寺の辺からわずか十日余り、摂津と山城の境である山崎で戦いは始まる。ここ一番の天王山の帰趨は、そして、明智軍の敗退で決着した。

    それからは、あれよあれよと流れるように事が進んでいった。主君の遺髪を継ぐには最大の敵手となる柴田勝家を倒したかと思えば、石山本願寺跡に豪壮無比な大坂城を築く。徳川・織田連合との戦いと和議を経て、ついに天下の大半をその手になされた。本能寺の変からわずかな間で、とうとう関白殿にまで上り詰められる。人がましき身ですらなかった者が人臣を極めたのである。
    まさかここまでのご出世とは、又一郎も信じられぬ思いであった。

    原が酒を抱えて訪ねてきたのは、ちょうどそのような折であった。

    「あのお方、つまり関白殿にお願い出ようと考えておるのさ。遊女屋をな」
    又一郎は、酒を吹き出しそうになる。
    「何故、わしに声をかける」
    「余人があろうか。以前の一件が上手くいったのもおぬしあればこそではないか」
     
    原の話を一蹴することができなかったわけでもない。だが、もうかなり前から、密命一件の役目も終わっていた。また、それと時を同じくするかのように、イチもまったく姿を見せなくなっている。
    話に乗ってみるか。気がむかねば、やめてしまえばよいさ。そう思い、首を縦に振った。

    万里小路二条に遊女屋を作ることは、思いのほかあっさりと許された。
    お言葉こそはなかったものの、我らがことはどこか御心の片隅にでも残っておられたやもしれぬ。そう推し量りもした。
    与えられた地は南北三丁ほど、あたりには人の家もなく、大路には柳が並び植えられていた。それは伐って造作にも供したが、残った柳にちなんで、ここが二条柳町と呼ばれるようになる。 
    お許しに併せて、お調べもあり、洛中洛外に遊女は二百三十人ほどとわかった。あのお方は、それでは足るまい、千人まではさし許すと仰せられたと聞いた。市中のあちこちで商売をしていた連中が女たちとともに続々と集まってきた。

    一所に多勢の女をまとめ置き、男たちの相手をさせる。この遊楽の場を、京の世人は新屋敷とも呼んだ。嘘かまことか、聚楽第の主が姿を変えて様子をうかがいに来たともいわれるほどに、賑わいをみせたものだ。
    だが、新屋敷の賑わいも、また、かのお方の盛運もそれが最天井であったやもしれぬ。満ちた月が欠けていくように、その形は変わっていく。光が、闇に、消えていくように飲み込まれていく。
    関白を退かれ、かのお方は、太閤殿下と呼ばれるようになる。それからであった。無残至極な事が次々に出来した。寵愛あった茶人千利休殿が罪を得て死を賜る。首は一条戻橋に晒された。さらに一時は豊臣宗家を継ぐと目された甥の秀次様に切腹の沙汰が下されたのである。幽閉先の高野山で自裁なされたが、事はこれで終わらなかった。それから半月余りのち、三条河原に秀次様の首が晒され、その前で、四人の幼い若君と姫君、愛妾に侍女や乳母に至るまで数十人が斬首された。その余りの地獄絵図に物見がてらに来た京の町衆も後悔したとも聞く。その仕置きの酷さには、又一郎も言葉がなかった。
    そして、やがて。今度は京師の大地が激しく震えた。家々は倒れ、数多の命が失われた。方広寺の大仏様も崩れ、太閤様が「わが身すら守れぬのか」と仏の眉間に矢を放ったとの不敬極まる噂も流れたほど。それも、世上に蠢く不穏なるもののせいでもあったろうか。
    極めつけは「唐入り」であった。天下がようやく治まったなかで、海の向こうへ戦を仕掛けに行くなど、いかなる沙汰か。「ご乱心めされたか」と又一郎は嘆いた。
    やがて、太閤様がお隠れになったと聞こえてきたが、反面で京の町衆を安堵させたことも確かであった。おかげで海の向こうの戦も終わる。そして、世の中は、三つ葉葵のもとに再び治まろうとしつつあった。

    遊女屋以外なかった二条柳町の地も、徳川様のご威光で、商家なども増えていった。そこで、開けていく町の障りになると、遊女屋を開いて十三年後の慶長七年に、六条坊門の南、西洞院の東にある方二丁の地に移された。中に通りが三つあったことから、ここは六条三筋町と言われることになる。その頃には、又一郎は、もはやこのまま遊女屋の亭主として生き、そして死ぬしかないのだろうと思いなしていた。だがそれでも、心の片隅にどうにも満たされぬ間隙のあることが、時に気をふさがせてもいた。

    ふと目が覚める。部屋に何者かの気配を感じ、床に半身を起こす。
    「達者のようだね」 
    懐かしい声が聞こえてきた。
    女の様子は、以前とまったく変わらぬ。こちらがすっかり年寄りに成り下がったというのに、いまだ若く妖しく、むせかえるような色香を漂わせている。
    又一郎は、一瞬息を飲んだ。そして一言零す。
     「生きていたのか」
    「ご挨拶だね」
    「長いこと無沙汰であったからな」
    「すまないね。少し遠くに出かけていたものでさ」
    「北か、それとも南か」
    「いや、この国の外、海の向こうさね」

    朝鮮国を経て大明帝国にも足を運んだという。
    「広い国だよ。どこまで続いているのかと思ったほどさ」
    いずれ戦端を開くための探りということであったのか。だが、イチはそのまま戻らなかったという。
    「見てみたくなったのさ。もっと先、もっと遠くを」
    思いに突き動かされるようにさすらう間に、いつしか時が流れた。
    「何を見てきた。神か、それとも仏か」
    「人だけ。表の姿に違いはあっても、中身はこちらと毫も変わらぬ人、人だけさ」
    「人はどこでも同じだとでも」
    「そうさ、その人が神にも仏にも、そして、時に鬼にもなる。それも同じこと」
    「そして、わしは遊女屋の亭主になったというわけか」
    「それもある定めゆえ。だがこれで終わりではなかろうよ」
    またも、イチは奇妙なことを言い残して消えた。
    だが、それから時を置かずに、今度は、真昼間に店の前に姿を現した。巫女姿で、北野のお社から遣わされてきたとの触れ込みである。
    「明日、是非に参詣なされよ」
    店の者たちは、最初は驚いたようだが、すぐに追い払おうとした。だが、女の舞い踊るような身のこなしに弄ばれるだけ。中には情けなくも息の上がってしまった者もいる。
    「もうよい」
    その騒ぎを止めて、イチの前に立つ。素知らぬ顔で恭しく
    「神のお召とあらば参りましょう」
    「殊勝である。では待っておるぞ」

    北野天神社の境内は、大勢の人で賑わっている。聞けば、出雲の阿国という女が、「かぶき踊り」なる芸を披露するというのだ。阿国とは何者か。たまたま傍らにいた男に尋ねたところ、思いがけずに詳しいことが聞けた。
    阿国はもともと「ややこ踊り」の舞い手であったという。「ややこ」というから、大人になり切っていない者たちの踊りということか。年若い女たちが群れて踊る芸をそう言っていたとも。だが、阿国はそれに「念仏踊り」を取り入れるなどし、新たな「かぶき踊り」を始めた。「かぶき」とは、阿国が男の遊客に扮し、男の踊り手が女装するなどしたところから、変わり者をも意味する「傾奇者」から名付けられたともいう。

    急ごしらえの板敷には、裃姿の囃子方が居並んでいる。三味線が勢いよくかき鳴らされた。そこに、若い女が男の恰好をして登場した。この女が阿国であろう。
    羽織姿で鉢巻をきりりと締め、大刀を肩に掲げて、飛ぶように足を運ぶ。すると、浮かれ女の衣装をつけた男の踊り手が現れた。旋風のように回りながら、体を入れ替える二人。絡み合う二人。動きが決まると、見物人から地鳴りのような喝采が上がった。
    踊りに引き込まれていく。今までに感じたことのない悦びが体中に満ち溢れてくる。又一郎は震えた。
    「これは、いったい、これはどうしたというのか」
    そうつぶやいた時、すっと誰かに腕を抱かれた。
    「いかがでんす」
    イチである。さらにこう囁く。
    「これこそお前さまの求めるものやも」

    連れられるようにして、どこをどう歩いたのか。ふとわれに返れば、又一郎はどことも知れぬ廃屋の中にいた。イチが竹筒に入った水を渡してくる。
    「ああ、すまぬ。だが、ここはどこだ」
    「仲間の住処のひとつよ。案ずるには及ばぬ」
    「いや、だが。何を、どうしようと」
    「間もなくわかろうよ」
    表に気配がある。やがて人影がみえた。
    「あねさま、阿国でございます」

    阿国と会い、時を忘れ、話し続けた。そのことで、自らが求めていたものに、ようやく気づかされたのである。幼い頃に見た光景。霧の中にかすんだように浮かぶ舞の動きとかすかに聞こえてくる楽の音。忘れてしまっていた景色が甦ってきた。それが何であったのか。
    夢か、うつつか。今となっては知れぬ。だが、それが又一郎の心の奥深くに秘められていたものではあった。
    イチは人の心のうちを読むことに長けた女である。又一郎の閉じ込められていた思いを、その力で感じ取ったのであろう。   
    だが確かにこれこそが、それであった。
    しかし、なんと長い道であったのか。ここに至って、であるのか。せめて、今少し前であれば。イチに零すように又一郎の口惜しげな言葉が続く、
    イチは、薄く笑う。
    「あのお二人とは違う。お前さまは、まだこの世にあるではないか」
    織田様はやり残し、太閤様はやり過ぎなされた。そう、イチは続けた。
    「それを取り戻すことは、もうお二人にはできぬ。だが、お前さまにはできる」
    確かに命あれば、あとは、やるだけでよいのだ。まだ、時はある。死ぬまで行けばよい、進めばよい。目指すべき先に。

    豊国大明神という名で祀られた方の七回忌にあわせ、大祭が開かれるという。京に住まいする、われこそは名手なり、と腕を撫す面々は、こぞって、そのための風流踊りに乗り出した。その人出は数多知れず、世に「大風流」と呼ばれる絢爛たる景色が町中で繰り広げられた。
    阿国たちも、これにならい、馴染みの北野境内で一世一代とでもいうべき「かぶき踊り」を演じる。それこそ、京の人士も、これまで目にしたことのないものであった。

     
    又一郎は、動き始めた。「かぶき踊り」こそが、自らに与えられたもの。だからこそ、阿国の踊りに目くるめくような喜悦を覚え、身の震えを感じたのだ。
    これを、国中に広めなければならない。「かぶき」という神から与えられたこのものを。
    その又一郎の頭に浮かんだのは、まず遊女たちであった。そして大風流で見た、群れをなして踊りまわる人々の姿である。その二つの絵が頭の中で、まるで踊るように回り始めた。やがて、その乱舞が一つに集まり大輪の花のように開き始める。

    四条河原に多くの職人が集まっている。又一郎の指図で建屋を作るためだ。
    「屋根は切妻で、高床にな。派手な飾りはいらぬ。よろしく頼む」
    いよいよ、思いが形になる。このために、自分は永らえてきたのだ。命をつないできたのだ。何が始まっているのかと物見高い連中も河原に足を運んできた。

    能舞台にも神楽殿にも見える。その建屋の回りを人々が取り巻く。さて何が始まるのか、集まった見物衆は固唾を飲んで待つ。そして、繰り広げられた花絵巻にみな酔いしれた。数十人の若く美しい女たちが、群れをなして舞い踊る様には感嘆の声が地鳴りのように響いた。
    「又一大かぶき、見事、見事」
    あちこちから飛び交い、聞こえてくる声。
    これでいい。これを続けていこう。又一郎は、ともあれ胸をなでおろす。
    傍らに、すいと女が近寄ってきた、イチである。
    「おやりなさいましたね。ですが、これからが」
    「ならば、どうだ。わしを介てはくれぬか」
    「いえ、また参ろうかと思いましてね」
    「どこにだ」
    「海の向こうのもっと向こう」
    「帰ってくるのか」
    返事はないままに、いつものように姿が消えた。

    それからは、年に数回、四条河原で披露するとともに、諸所に出かけても、踊りを見せて回った。だが、やがて御上からの目に厳しさが見え隠れするようになる。
    もう、これは許されなくなるのだろうか。女たちのより美しい姿を、より麗しい様を披露するだけではないか。色を売ることを表に出さずともよい。いやまったくやめようとて構わぬ。だが、やはりそれでも、やがて御法度となるのは避けられぬであろう。しかし、はっきりとそうなる前に、出きる限りのことはしたい。これが、そして最後となるやもしれぬ、と常に思いなしながら。

    「肥前よ。よいかな。そなたが此度の花ゆえにな。いわずもではあるが、しっかりと頼むぞ」
    その花が、無言のまま、ゆっくりと首を振る。肥前は又一郎の店で天職と呼ばれる最上格の遊女である。同時に、此度の熱田社で行うこの「かぶき」の主たる演者でもあった。
    禿の林弥が、肥前の様子を心配気な顔で見つめている。まだ九つでしかない。ついこの間、店で預かったばかりだ。大仏裏に住む松田何某という牢人の娘で名は徳子といった。家祖は藤原秀郷、つまり俵藤太だという。
    林弥は、まだ双葉にもなるかならぬかでありながら、すでに芳しき香りを漂わせている。末頼もしき逸材である。肥前も、その愛らしい禿を目のなかに入れてもというほどの情をかけ、手をかけている。林弥も、その美しい庇護者を女神のように敬い慕っていた。

    名古屋築城にあたっての一興として、自分たちを呼ぼうとしたのは、実は虎之助ではないのかと又一郎は思っていた。今や肥後の国主である加藤清正殿であるが、人に聞かれぬところであれば、陰でそう呼ぶのは許されてよかろうと苦笑いする。何分にも、そう呼ばれていた幼い頃より見知っているからだ。

    いよいよだ。糸が振え、笛が鳴き、太鼓が騒ぐ。口上に続いて、まず前踊りが披露される。それからが、肥前を中心に据えての茶屋遊びの場である。美しく装い艶やかな肥前が舞台に向かう。その後ろ姿を林弥が見送る。
    遠からず、この林弥が天職を継ぐことになるだろう。だが、その時に、この「かぶき」はどうなっているのか。林弥は、はてさてどうなることか。
    どよめきが上がる。
    「かぶき」の始まりであった。
    又一郎は一瞬、はるか遠くを見るような顔つきをした。

    それから間もなく、遊女に限らず女による「かぶき」は、幕府によりすべて禁じられた。以降は野郎歌舞伎という名の、男だけですべてを演じるものとなる。歌舞伎だけでなく演劇の世界から女の姿は消えてしまった。
    林弥は長じて、二代目の吉野太夫を名乗る。そして青史に残る名妓として、その伝説は長く語り継がれることになる。

    京都市左京区黒谷町にある浄土宗大本山「金戒光明寺」。
    法然上人が初めて草庵を結ばれた地である。だが、幕末に京都守護職を任じられた会津藩が、この寺に本陣を置いたこともあり、「新選組誕生」の地ともいわれる。
    その境内の片隅に、一つの石碑がある。高さは二メートル足らず、正面の幅は八十センチほどのものだ。
    その題額は「林又一郎顕彰碑」である。
    建立日は昭和十六年二月一日、建立者の名は白井松次郎。碑文は、劇作家で演劇評論家でもあった伊原敏郎氏が、筆名の青々園という名で撰している。
    「歌舞伎の鼻祖たる出雲於国の事は衆人悉くこれを記す 同時に歌舞伎を経営し且つ各地に伝播せし林又一郎の事は世間稀にこれを知るのみ」。
    さらに碑文は、林家の後史に及ぶ。上方歌舞伎の名優として明治から昭和にかけ活躍した初代の成駒屋こと中村鴈次郎こそが、林又一郎の係累であるというのだ。
    当時、上方歌舞伎の興行元松竹の創業者であった白井松次郎氏が、初代中村鴈次郎の七回忌追善のためこの碑を建立したという。
    初代鴈次郎は、歌舞伎役者中村翫雀の長男。母は大阪の妓楼扇屋の娘で妙という。その扇屋こそ林家が京から移った後に開いた店である。
    初代の二人の息子のうち、名跡は次男が継ぎ、それは今も続く。長男は林又一郎を名乗った。それは、忘れられつつあった今ひとりの歌舞伎の功労者の名を残したいがためではあったろう。それゆえにあえて二代目を称した。
    また、娘の一人は弟子の林長二郎に嫁ぎ、のちに離別したが二人の子をなす。元夫は長谷川一夫と改名して日本を代表する銀幕の二枚目スターとなり、その二子もまた俳優となった。
                                      了

            空と海の果てに(そらとうみのはてに)

     若者は京での暮らしに、ほとほと嫌気がさしている。表向きは大学寮での勉学に飽き足らない思いがあるためだ。京に上り、入寮する以前、高名な学者としても知られていた母方の叔父から、四書五経を始めとする学問を厳しく叩き込まれた。その彼にとって、寮での日常は何とも微温湯のようなものにしか思えない。

     「家を立てるには、まずは学問じゃ。。幸いお前には天分があるが、より励まねばならぬ。よいな」
     そういいながらも、阿刀大足は、この甥の才には舌を巻いていた。乾いた海綿が水を吸い込むように知識を習得していく。彼こそが、一族に与えられた神の賜物ではないのか、と、大足は、自ら果たせなかった夢を、望みを、この若者にかけ、持てる知識をすべて与え続けた。彼とて桓武帝の皇子伊予親王の侍講をつとめたほどのものである。だが所詮、学者は学者でしかない。政事に与るには、学問はもちろんのことだが、人としての器量も必要なことは、否応なく思い知らされてきた。しかし、その点でも、この甥には天性のものがあるように思えてならない。
     大足が驚いたのは、彼と初めて会った時の、その瞳の輝きであった。じっと見つめられると、こちらの心底まで見透かされるような思いにたじろいだものだ。
     奴婢たちも、この主筋の若者の持つ、犯しがたい佇まいに畏怖の念を抱いているようでもある。
    長年仕える老爺が、大足に感に堪えぬように告げたことがあった。
     「恐ろしゅうなる時がございます。こちらの心のうちなどもすべてお見通しなされているようで」
     そのくせ、奴婢たちは、この若者を心から慕っているふしもうかがえるから不思議だ。
     「何しろ、お心根がお優しいのでございますよ。実はこんなことがございました」
     どこから迷ってきたのか、一匹の猛り狂った犬が、裏庭にいた奴婢たちに襲いかかってきた。
    逃げ遅れた幼い女童が、恐怖にへたりこみ泣き叫ぶ。犬が、飛びかかろうとした時である。駆けつけた若者が、その児を抱きかかえ、犬と対峙した。涎をたらし、うなり続ける犬を彼は無言で眺めている。やがて、犬はうなりを止め、ゆっくりと座り込んだ。子どもを駆け寄ってきた婢女に渡すと、彼は犬に近寄り、優しく頭を撫でた。いつか犬はすっかり落ち着き、甘えるような声を上げ始めた。
     「よしよし、元のところに戻りなさい」
     その若者の言葉に、犬は文字通り、尻尾を巻いて去って行こうとする。
     「みな、大事なかったか」
     若者が微笑みながら、言葉をかける。その時、一人の男が鞭を片手に姿を現した。
     「とんだ邪魔をしおって。おかげで面白いものを見損なったわ」
     男の名は巨麻呂、やはり若者の親族に連なるものであった。
    若者の顔が曇る。
     「あなたでしたか。こんなことをなされたのは」
     「そうよ、オレよ。狩に使う犬の器量をみたくてな」
     犬以上に獰猛な表情で言い募る。
     「もし、けが人でも出たら、いかがなさるおつもりだったのか」
     「知らんわ、そのようなこと。ああつまらん、つまらん」
     巨麻呂は傍にいた犬を蹴り飛ばす。犬は怯えたような声を立てると走り去った。その犬にかわって巨麻呂が吠えた。
     「真魚、相も変わらず、役にも立たぬ学問三昧か」
     真魚、とは若者の名である。讃岐国多度郡の豪族、佐伯直田公と阿刀家の娘、玉依との間に生まれた彼は、幼い時から聡く賢く、一族の期待をあつめていた。父の田公は彼を京において出世をさせることを望み、大足に、その身を託したのである。
     おかげで、十七歳で大学寮の明経道に無事入ることを許された。だが、当初はともかく学べば学ぶほど、真魚の迷いは深くなる。
    このまま、京にいるべきなのか。さらに、この巨麻呂の存在も、京に対する真魚の思いを耐え難いものにしている理由の一つでもあった。
     二つほど年長の巨麻呂は、親類中の鼻つまみといってもいいだろう。酒色に溺れ、博打と狩にうつつを抜かす、親を親とも思わず、一族の年長者に礼も尽くさぬ。真魚も、この男の奔放さにどちらかといえば嫌悪の念を抱いている。男を密かに「蛭牙公子」と名づけているほどだ。兎の角や亀の毛であれば、意味のない、役立たず程度ですむだろう。だが、蛭だけでも嫌われ者、それに牙となれば迷惑このうえない。
     「役に立つか立たぬか、まだわたくしにはわかりませぬ。ですが、何も学ばぬよりは」
     「けっ、世迷言を。学問なぞ糞の役にも立たぬわ」
     その言葉に反論しようとして、真魚は一瞬口ごもった。確かにそうであるかもしれない。孔孟の教えも老荘の知恵も、果たして、学び終えて何か得るものがあるのだろうか。
     「それよりも、どうだ、オレにつきあわぬか。いい女を抱かしてやるぞ」
     「結構ですございます。放っておいていただきましょう」
     「そうか、では、一人で行くとするか」
     巨麻呂は、薄笑みを浮かべ、肩を怒らせながら歩み去った。

     老爺は、大足に語り終えるとため息をついた。大足も苦い顔で吐き捨てた。
     「上智と下愚とは移らず、というがまことだわ。賢いものも愚かなものも生まれつき。変わりはせん。まったく、巨麻呂にも困ったものよ」
     それにしても、かくも質の違う二人はあるまい。だが、巨麻呂とて以前からああではなかったようにも思う。いつのころからか悪い仲間に誘われ、遊びを覚え、一族の厄介者扱いをされるようになっている。責めはすべて当人にあるとはいえ、一時は学問の面倒を見た覚えもある大足にとって忸怩たる思いがないわけではない。
     「そういえば、真魚が訪ねてくるように聞いていたが」
     それに応えるかのように表で声がした。奴婢の子どもたちの笑いがあがる。
     「お見えになったようでございます。あの方がお顔をお出しになると、いつも童どもがつきまとうて。ご迷惑なので叱りおるのですが」
     「何ゆえに童どもがのお」
     「はて、そうおっしゃれば何ゆえにございましょうや」
     「真魚さま、真魚さま」
     子どもたちが、笑顔でまとわりついてくる。
     「ねえ、お話してくだされ」
    「おはなし、おはなし」
     何とも喧しい。彼らがいう「おはなし」とは何なのか。それは、真魚が学んできた漢籍から、子どもたちのために、易しく言い換えて折節に語るものをさすようだ。
     「また呉の戴淵の話、してくだされ」
     「そうか、そうか」
     戴淵の話とは、「世説新語」にある話である。戴淵は後に征西将軍となったほどの人物であったが、若い時分は遊侠な生活を送り、長江などを通る商船を手下の少年たちに襲わせ、金品を奪う悪事を繰り返していたという。
    ある時、陸機将軍が都に帰らんとする船団が物資を満載していることに目をつけ襲いかかった。その指揮があまりにも鮮やかなことから、陸機は、「それだけの才がありながら何ゆえに盗賊の真似をする」と諭したという。その言の切々たる情に戴淵は泣いて剣を投げ出し帰伏したという説話である。
     真魚は、この話を子どもらに、陸機の弟の陸雲が笑い上戸で水に落ちたことなども交えながら、面白おかしく話し聞かせたりしていたようだ。
    「話術」の才も彼の優れた天分の一つといえるかもしれない。
     「オレも将軍になる。なあ、真魚さま、なれようか」
     子どもの一人がそういって肩をいからせた。
     「そうよの、努めればなれようぞ」
     だが、真魚はそれが果たせぬ夢であることを承知している。奴婢の子は死ぬまで奴婢でしかない。さすがに主の大足の人柄もあり、彼らも、彼らの親も他所に比べれば、はるかにましな扱いを受けている。だが、それでも奴婢の身分を抜けることはなかなかにかなわぬことだろう。
    この子らの明日を考えると、真魚の心は暗く沈む。
     彼らにとって聖賢の説く忠孝が、いったいどのような力を持つというのだろう。さらに、この子らよりもはるかに過酷な暮らしを強いられている者たちもいる。飢餓と病に打ちひしがれ、ただその日だけを生き伸びられればよいとする人間たちを相手に、「その身正しければ」と自ら律したとしても、彼らの行いまで変えることができるのだろうか。「衣食」にあえぐ者たちもなお、救う法とは、果たしてこの世にあるのか。
    そうした悩みに一筋の光のように差し込んだのが、ある教えであった。彼の中で、いまや、その教えを極めたいとする思いが、日増しに大きく膨らんでいる。
     「わかった、わかった。だが、きょうは忙しいでな。今度はまた別の話をしてやろう」
     やがて、真魚が部屋に入ってきた。大足の相好が崩れる。
     「いかがじゃ。学問のほうは」
     「実は、本日伺いましたのは、その学問についてでございます」
     真魚は、大足の前に座り、その顔を見つめながら口を開いた。
     「なんじゃ、何かわからぬことでもあるのか」
     「はい、わからぬといえばわからぬことだらけでございます」
     「はて、もう既にお前の力は、そこらの者をしのいでおろう。いや、わしとてもう敵わぬかもしれん」
     まさに駿馬よ、と大学寮の博士である岡田牛養が大足に語ったことがある。
     「一を聞いて十を知る、というが、それどころではないな」
     牛養は、大学寮で「春秋左氏伝」の講義を受け持っている。孔子が編纂した伝えられる歴史書「春秋」の左丘明による注釈書であり、左氏伝、あるいは左伝ともいう。
     「大足殿の仕込みがよいのじゃろう。左伝では教えるものもない」
     牛養は、そういって目を細めた。彼もまた、同じ讃岐の出である若者の将来を楽しみにしている一人でもある。自慢の甥を誉められ、大足とて嬉しくないわけはないが、そこは、奥ゆかしく、まだまだというように首を振ってみせた。
    もともと佐伯氏は、日本武尊に従って蝦夷攻略に武功のあった健日命を祖とする名門の家柄ではある。その功をもち讃岐の国造、つまり直に任じられたが、本家筋の大伴氏とともに、度々政争に巻き込まれ、家勢は衰え、大化の改新で国造としての権威も失われてしまい、実のともなわぬ旧家という存在に過ぎなくなっている。そうした中での真魚の天才ぶりが、再興への希望を抱かせたのは当然とはいえようか。
     その佐伯氏と縁戚となった阿刀氏も、帰化人の末ともいわれる、当時としては知識人の家系とはいえ、所詮傍流でしかない。それだけに真魚への期待は、佐伯家以上といっていい。
     
     その自慢の甥を迎えた大足の笑顔が、ある一言で凍りついた。
     「わたくし、大学寮を去ろうと考えております」
     「ど、どういうことじゃ」
     大足は悲鳴に近い声で難詰する。だが、納得できる理由が甥の口から語られることはない。
     「このままではいかぬ、と。どうしてもそれが頭から離れませぬ」
     「お前が名をあげ、身を立てることだけを願っている父母に何というつもりだ」
     大足が、かき口説くものの、意志を翻すには至らない。決意に満ちた若き甥は、軽く頭を下げると茫然自失の態の叔父を残し、その場を去った。
     彼が、一大決心をした陰には、一人の沙門との出会いがある。三論宗の僧で、名は勤操という。どのような経緯で、勤操と彼が出会ったのか、はっきりとはしていない。だが、大学寮で教えられる学問に飽き足りぬ思いを抱き続けていた彼が、かの僧の評判を聞き、そのもとを尋ねたであろうことは、十分考えられる。
     その勤操が、真魚に示したのが虚空蔵聞持の法であった。この法は、インドの僧で後に中国で仏法を教えた善無畏が伝えたもので、その門人が三論宗の高僧道慈に、さらに弟子の善議から勤操に伝わったとされる。
     この法を説く、「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼経」によれば、「この法に則って真言を百万遍誦すれば、一切の教法の意味を知り、暗記することができる」としている。究極の記憶術といっていいかもしれない。
    その真言とは「南牟・阿迦捨・掲婆耶・唵阿唎迦・麼唎慕唎・莎嚩訶」である。
    だが、これを百万回唱えるとなれば、恐らく不眠不休で行ったとしても、とてつもない時間が必要だろう。実際は、ある種の呼吸法とともに、一心に同じ真言を誦すことで、意識の集中と空白を作り、その状態で知識なりを記憶するというものであるかもしれない。
     ともかく、この法を示された真魚は、すぐさま試したことだろう。そして、その効験が見られたことで、仏の教えそのものに深く傾斜していったであろうことは想像にかたくない。
     叔父を失望させたことに自責を感じつつも、同時に一種の解放感も感じていた。
    庭に出ると、子どもたちが再び駆け寄ってくる。しばらくは、この子らの顔をみることもできまい。そう考えると、さびしさもある。
     「実はな、わたしはしばらく都を離れるつもりでいる。みなとはお別れじゃ」
     「えっ、真魚さま。まことか」
     「いやじゃ、いやじゃ」
     子どもらが騒ぎはじめる。それをなだめながら、彼はこう言い残した。
     「いずれまた会えようぞ。それと、わたしが教えたあの歌を忘れずにな」
     子どもらが、ひとりひとり、こくり、こくりと首を振る。
     そして、みなが声をそろえて、その歌を口にしだした。
     「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」
     この四十八文字の歌は、彼が、日々の勉学の合間に戯れに作ったのだ。だが、仮名を使ったことが、子どもらの役に立つのではと思い、教えたものだ。「仮名を乞う児」への彼の贈り物とでもいえようか。
     名残惜しそうに、門前まで追い続ける子どもらに後ろ髪を引かれながらも、彼は前を見つめたまま立ち去っていった。

     大足の屋敷を後にした彼が、新しい道に踏み出す希望と不安に思いをいたしながら、都大路を歩いていた時である。背後から声がかかった。振り向くと、巨麻呂の姿があった。門出の日によりにもよって嫌な男と出会ったものである。
     できる限り平静な風を装いながら、会釈して立ち去ろうとしたが、いきなり袖を取られた。
     「えらく他人行儀ではないか。仮にも縁者であろうに」
     そうまで言われれば詮もない。
     「何かご用でしょうか。先を急いでおるのですが」
     「そう邪険にすることもないだろう。実はな、ぬしに聞いてもらいたいことがある。付き合ってはくれぬか」
     いつもであれば、そんな言葉に耳を貸すものではなかったが、その日は、ある種の高揚もあったのだろう。巨麻呂の申し出にふと心を動かされた。
     連れて行かれたのは、得体の知れない賎の屋とでもいうべき小屋が立ち並ぶ場所であった。眉をひそめ周りをうかがうと、その一軒に巨麻呂が誘う。
     「知る辺のところよ。このあたりはな、食いつめた者や土地を追われた者などが身を隠すように住んでいるのさ」
     豪族の子として生まれ育ち、都で学生として恵まれた暮らしを送る身の上である。こうした下賎の者たちの住む場所に足を踏み入れたことがあろうはずもない。だが、巨麻呂とて同じような立場であるはず、何ゆえにかような場所に出入りしているのであろうか。
     「蛇の道は蛇よ。悪い仲間がいると、かようなところとも縁ができてくる」
     ここの者たちは、生きるためには何でもする連中ばかりだという。物乞いなどは日常、時には盗みなど悪行にも手を染める。見栄えのよい女は春を鬻ぐ。
     面白いものを見せてやろう、彼はそういうと手を一つ叩く。怪しげな男が、裏口のムシロを掻き揚げて入ってきた。頭からすっぽりと薄汚い頭巾のようなものを被っている。
     「見せてやれ」
     男か頭巾をとる。そこに現れた異形に、真魚は息を吞んだ。耳が削がれ、右目が潰されている。
     「こいつがこんな姿になったのも今の世のせいさ」
     巨麻呂にうながされ、男は、ぽつりぽつりと語り始めた。
    男は吉備の国の奥で妻と子とともに貧しいが幸せな暮らしをしていたという。だが、それが、ある年の凶作により租が滞ったことで一変する。里の他の人間たちからも信を置かれていた彼が、里長との交渉役に推された。だが、それが怒りを買い、見せしめのために里長による私刑をこうむってしまった。
    「ですが、そのようなこと許されないはず」
    「そうよ、表向きはな。だが、現にそうしたことがある。力のあるものは、ないものをどのように踏みつけにしようと許されてしまう」
    そういうと、巨麻呂は堰を切ったようにまくし立て始めた。聖賢の教えが世に出て、気の遠くなるような時が流れたにもかかわらず、何一つ変わっていないではないかと。孔子とて、魯国さえ思うに任せず、聖獣の出現に呆然としたのはなぜだと。

    孔子は、その史書「春秋」に「十有四年春、西に狩して麟を獲たり」と書き、本来、太平の世に現れるはずの聖獣である麒麟が捕われたことに、大きな衝撃をうけ、「春秋」の筆を折ったと伝えられている。真魚も確かに、そこに疑念を覚え、孔門の学が孕む限界を感じる一つの理由ともなっていた。それを、この巨麻呂に指し示されたことで、彼は言葉を失った。
    硬い顔つきで沈み込む真魚の姿に、気をよくしたように、巨麻呂は言葉を続けた。
    「だから、オレは好きに生きてやろうと思ったのよ。ここにいる連中たちと違い、オレはいくらかの気ままさを許される立場にある。力もある。それをせいぜい使わせてもらう。その果てに何が待っていようと構わぬことさ」
    真魚は、彼の話を聞きながら、ますますやり切れない思いに打ちひしがれていた。その言葉通りではないのかと。今の自分には、その巨麻呂の傲岸たる考えを否定するものを持ちえていない。以前の自分が学問に志した理由に、独善的なものがなかったかといわれれば、そうではないと言い切れぬからだ。学問で身を立て、世に出ることで、親も親類縁者も喜ばせることができる。それは、孝であり、また、政事に与る立場となれば、世の人のために尽くすことができる。それは忠となろう。そのことで仁を実現できれば、それに過ぎたことはない。しかし、それはただの独りよがりではないのか。
    無言のまま、目を閉じ考え込む。
    「どうだ、真魚。オレと一緒に面白おかしく世を送ってみようと思わんか」
    巨麻呂は卑しげな笑いを浮かべ、再び手を叩く。現れた男に何事かをささやいた。しばらくして、二人の若い女が入ってきた。そして、巨麻呂と真魚の隣に腰を下ろす。
    「ぬしはまだ女を知らんだろ。どうだ。だまされたと思って一度味わってみろ」
    そう言うと、彼は隣の女と狎れ始めた。女が淫らな声を立てる。真魚は息をのんだ。彼とても男女の事の知識は持っている。だが、まだ、行為そのものは知らない。学問に打ち込んでいる間は、そうした思いを押さえつけるまでもなく、膨大な知識の海を泳ぐことで精一杯であったこともある。さらにいえば、時に身内から突き上げてくるような熱いものに抗うことが、学問へのより強い意欲に変わる感じもあったからである。
    何か柔らかなものが、彼の方に伸びてきた。女の手である。指先が頬に触れた。
    「こちらも、なぁ」
    甘い囁きが耳元をくすぐる。真魚は横を向き、その囁きの主の顔を眺めた。ほのかに白い顔かたちは、かつて見た観世音菩薩の像にも似た面差しである。朱唇がなにか語りかけるように開く。その時だった。赤い舌がズルリと伸びた、ように思えた。たちまち、女の顔が異様なものに変化した。真魚は思わず、その身体を突き放すと、外に飛び出す。
    賤の屋の中から女たちの笑い声が響いてきた。すると、巨麻呂が薄ら笑いを浮かべ、続いて出てくる。
    「どうした。あの女では気にいらぬか。ああ見えても、かなりいい値の女だぞ」
    「いえ、これにて。もはや、ここにいることはできませぬ。わたくしにはなさねばならぬことがあります」
    「自らの内にある欲に従うことも、人として然るべきことでないか。ぬしとてわかっておろうが」
    再び引き込もうとする手を払い、真魚は駆けるようにして目指す場所に向かった。彼の心の中には、いまやはっきりと進むべき道が見えている。
    わかったぞ、わかった。これだ、これに違いない。走りながら、言葉にならぬ言葉を心の中で繰り返す。

    和泉国に向かう山中で木陰に腰を下ろし、しばしの休息をとっていた時、このところの疲れもあったのだろう。つい、うとうととまどろんでしまった。
    夢を見た。
    八枚の葉を持つ蓮華の中に光り輝く仏が座している。引き寄せられるように近づいた。仏は優しく微笑む。
    「善哉、善哉。よくぞ参った」
    声が頭の中で響き、そして、目が覚めた。真魚は、ふと幼いころのことを思い出していた。五つか六つのころであったろうか。毎夜のように同じような夢を見た。八葉蓮華に座す諸仏たちとさまざまな話をしているという夢である。それを母に告げたところ、少し驚いたような顔をしたが、優しく抱き寄せると、微笑んだ。
    「母も夢を見たことがあるのですよ。あなたが生まれる前のことです」
    玉依は、暗闇の中に光る一筋の白い道を歩いていた。行けども行けども、道は続いている。疲れ果て立ち止まると、僧形の人物が目前にふっと姿を現した。自分は天竺の僧であると語ると、その姿は光の球へと変化し、彼女の懐の中に入っていった。
    「それから、しばらくして、あなたを宿していることを知りました」
    そういうと、母は再び、真魚を抱きしめた。
    そうしたことがあったためだろう。彼が出家の意思を伝えた時、父の田公は、怒り悲しみ、何とか翻意させようとさまざまに説き伏せようとした。だが、母は無言のまま愛児の顔を眺めるだけであった。あの夢のお告げの通り、わが子は仏法の道に進むことが定められていたのだと納得したからである。

    真魚が、和泉国槙尾の山寺に着いた時は、すっかり日が落ちていた。寺内に入ると、この寺の僧である勤操が堂宇に座し、一心に経を唱えている。背後に座り、自らも合掌して瞑目する。ややあって、勤操が振り向き対座した。
    「ようよう意を決したか。それがよい。全て仏のお導きであろう」
    真魚は、深く叩頭して、そのまま言葉を待つ。
    「もう夜も更けた。これからのことは明日にしよう。ゆっくり休むとよい」
    与えられた部屋で、結跏趺坐し瞑目して呼吸を整える。両手を膝の上に置くと、親指と人差し指で印を結ぶ。ゆっくりと真言を唱え始めた。
    「ナウポウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オムアリキャ・マリボリ・ソワカ」
    虚空蔵聞持の法の真言である。時を忘れ、一心不乱に行を続ける。ややあって臍下丹田から熱い気の塊のようなものが、体の正中を通って上りあがってきた。
    やがて、その塊が彼の頭にまで達して輝き、幾本もの光の筋となって広がっていくように感じた。その筋は、あるいは海山を越え、あるいは地を潜り、あるいは遥か天上の彼方へと伸びていく。
    それとともに意識は空間のみならず、時間をも超越して無限に拡大していった。彼はそこで感得した。世の誕生から終末を、果てしなく繰り返される命の輪廻転生を。過去の事件を、現世にあえぐ人々の姿を、未来のあてどなさを。
    一つ大きく息を吐き出して、彼は忽然と眼を開いた。

    翌朝、彼は勤操の手により、剃髪し出家する。与えられた法名は教海、後にそれは改めることとなるが、ともかくここから、彼は僧侶としての道を歩み始めることとなる。この後は彼の名を教海として話を続けていきたい。

    とはいえ、この出家は、官許、いわゆる公に認められたものではない。当時、正式な僧侶となるためには、宗派に属して修行を経たうえで、その年に限られた人員の範囲内、これを年分度者というが、その中で得度を受けるか、僧侶の死にともなう補充としての得度を受けるなどといった手続きが必要であった。
    教海の場合の出家は、そうした官許の埒外での、私度僧と呼ばれるものである。この私的な出家には、官許の僧と違い、何らの身分や地位もない。さらにいえば、将来のあてもない極めて不安定な立場である。それだけにある意味、純粋な仏への帰依といっていいかもしれない。

    「もしのぞむのなら、本寺の方に口添えをしてもよいが」
    勤操が、この新発の先行きを案じ、そう語りかけた。教海は微笑みながら首を振った。
    「まことにありがたいお申し出ではござりますが」
    「断ると申すか。そうであろうな」
    彼もまた、教海という新しい名を持つこの若者に対し、かねてから他の人間とはまったく違うものを感じていた。仏の道を志したいと言いつつ尋ねて来る若者が、それまでにも何人もいた。だが、そのほとんどが、僧になれば、官ともつながりができて出世の道が開けるかもしれないといった世俗の欲に毒されたものばかりであった。だが、教海は、初めて見知った時から、核心をつく質問を投げかけてきた。すでに、多くの仏典に親しんでいることが、その片言からもうかがいしれた。だからこそ、彼にかの秘法も授けたのである。
    「それで、これからいかがするつもりじゃ」
    「はい、師の教えを、わたくしなりに深めることができればと考えております」
    教海には、一つの考えがあった。かつて仏が為したことを自らも試してみようということである。山野を歩き、人々の中に入り、示す道を捜し求めること。それこそがまず必要なことではないかと思い為していた。
    「そうか。それもよかろう。その時がいたれば、必ず進むべき道にいたるであろう。愚僧もまだ見ぬものを、そちは見ることになろうぞ」
     
    槙尾を下り、教海がまず向かったのは、大和葛城山である。この山は、かの役小角が行場を拓いたと伝えられ、古くから霊場として知られている。小角は修験道の開祖ともいわれる人物である。その力を恐れたものの讒言で伊豆大島に配流となったが、鬼神たちを使ってまき割りや水汲みをさせていたという。また、時には、空を飛んで島から戻り、山野を渉猟したのちに島に帰っていったとも伝えられている。

    葛城山で受けた霊気を体中にみなぎらせ、教海は紀伊国加太の港から小船で島伝いに紀淡海峡を渡り、淡路島に到った。そこからさらに、生まれ故郷でもある四国を目指した。鳴門の渦潮を乗り切り、阿波の撫養に着いた時には、すでに日暮れ近くになっていた。一夜の宿を求め、浜辺の荒れ屋に入ろうとした時だ。そこに声がかかった。
    「おいらの家に何の用だい」
    見れば、十を少し過ぎたぐらいの童顔の男児である。
    「これは済まぬ。たれもいぬと思うたもので」
    「ご坊、とんだ挨拶だな」
    童らしからぬ口の利きように教海は少し驚いた。
    「見れば、新参の憂婆塞のようだが、何をお求めか」
    さらに驚愕する。憂婆塞とは、教海のような官許を得ぬ私度僧をいう。とても年少の者が口にするような言葉ではない。
    「いえ、とりあえずは一夜の宿を所望したいと存じて」
    「それだけかな。さらなる大願を持つようにもみうけるが」
    そこで、彼ははたと考え至った。葛城山で感じた霊気のようなものが、常に身近についてきているような思いがあったことに。
    「その通り。ぬしの思いは当たっておる」
    「それでは、あなたさまは、あの」
    「まあ、名はよかろう。すでにこの世とは縁の切れたものじゃ」
    童子は笑いながら、目の前の囲炉裏に手をかざす。不思議なことに、たちまち炎を上げ始めた。
    「日も暮れ果てれば、このあたりも寒さが身に染む。まずは体を温められよ」
    火に近寄り端座する。そこで奇妙なことに気づいた。童子の顔がほぼ正面にある。その胡坐を組んだ体がわずかに中空に浮いているのであった。
    「そもそも孔孟の教えを捨てた汝だが、老荘についてはどう論ずるのか」
    童子は、問いかけた。
    「はい。そのことにつきましては存念もござります」
    「さて、まずはそれを述べられよ」
    そこで、胸の内にある思いを語り始めた。それは、ただ「憤懣の逸気」とでもいうべきものである。心のうちにあるやむにやまれぬ迸りを、熱っぽく吐露していく。
    「かつて魏の梁王の世に径一寸の玉にして十二基の車を照らす玉があったと申します。しかし、その玉の光も琢磨あってこそ。同様に、人も切磋して励めば堅い犀の皮を穿つが如き才を得ることもできましょう。教えに従えば、すなわち低い身分の子といえども、三公の高位に上ることもできる。これこそが、孔孟の説くところです。ですが李耳、つまり老子はこれに異をとなえております」
    老荘を信奉する彼らが目指すものとは、現世での栄達ではなく、それを超絶した「仙者」の境涯である。心の任せるままに事を行い、恬淡として無欲であることで、天地日月と同じ寿を得ることもできる。しかし、秦の始皇帝も漢の武帝も内心には仙を願ったものの、その実は俗世に毒され続け、命を永らえることはかなわなかった。帝王も得られないものを、いわんや凡人の望むべくもないと、世人は、それを虚言とし、求める者を狂とする。
    「ですが、それこそが迷いのもとであり、憎むべきことと彼らは断じております。またそれも一理と考えておりました。しかし、孔・李の教えも釈尊の広大無辺な知恵には及ぶべきもないと気づいたのです」
    彼は、さらに、孔・李・釈の三つの教えについて、自らの信じるところを滔々と語り続け、そして、語り終えた。
    童子は、しばし沈思黙考し、教海に告げる。
    「ここから南に下ったところに一山がある。大滝岳という。谷を下り岩を攀じよ。さらに土佐国の室戸を訪れるがよい。そこにて、まず大願は成就しよう。だが、それで終わりではない。われにも関わり深い伊予国の霊山石鎚山を訪れるべし。汝にも前世よりの因縁のある地じゃ」
    さらに童子は、言葉を続けた。教海は、ただ叩頭したまま身じろぎもできない。
    「空と海を画すものは何ぞ。その果てはいずくにかある」
    童子は最後にそんな不思議な言葉を残すと、ふっと姿を消した。
    これは現実なのか。疲れ果てた中で見た幻であったのか。それにしてはあまりにも生々しい。何よりも、目の前には消えかけた火がくすぶっている。
    ただ呆然とするしかなかった。かの童子は、間違いなく、鬼神を使役し空を飛んだと伝えられる、かの行者の化身であろう。仏と法と僧の三宝の守護神といわれる「三宝荒神」は、またかの行者と縁の深い存在である。道を指し示すために、遣わされたのではなかろうか。彼は、そう信じた。今は、それに従っていこう。新たな決意に、心身ともにうち震えるものを感じ、彼は大きく息を吐いた。

    大滝岳で彼は百日の行を積み、さらに、童子の言葉通り、土州室戸岬に足を運ぶ。
    竜の舌のように海に大きく突き出した大地は、長い年月の間に悲しむがごとく吹き付ける風に晒され、怒るがごとく打ち寄せる波に洗われて、あるいは削られ、あるいは穿たれ、思いもかけぬ奇観を呈している。
    その岬の東の岸壁に並ぶように口を開けているのは、御厨人窟と神明窟である。教海は、その左の洞窟、御厨人窟に、とりあえずの修行の場を定めた。
    日の出前の星辰いまだ残る頃に起き出だし、真言を唱え続けて、昼にいたれば里に飲食の喜捨を求め、戻っては、再び三更を過ぎるまで真言を誦す。
    難行苦行の中、いつしか、彼の顔色は瓦のように薄汚れ、肌は脂気が抜け落ちてなめした皮のごとく、体は痩せ果て、長い足は鷺のように骨ばってしまっている。首には筋が浮かびあがり、目は落ち窪んでいる。手にした錫杖は既に金輪もなく、ささくれ立っている。だが、その眼光はいよいよ鋭く、燃えるようである。
    「岬の穴に変なのがこもっているようじゃ」
    「そうよ。施しをといって来おったが追い返したわ」
    「そりゃ、むごいわ。わしがとこでは萎れた青菜ぐらいは施したが」
    当初は薄気味悪がっていた里人ではあったが、とりたてて迷惑をかけるわけでもない、この若い行者の姿が、いつか当たり前のようなものになっていた。何よりも、その修行の様子を垣間見た者が、感に堪えぬように語ったことが噂となり、ひょっとすると若いが相当なお方ではないかという声まで聞こえてくるようになった。
    さらに、それを裏付けるような一つの出来事が機となり、この修行僧を聖扱いするような者まで出てきたのである。
    その日もいつものように里に出向いた時であった。浜近くに人が集まり、騒ぎ立てている。一人の男が声をかけてきた。
    「坊さま、死びとが出てしもうたわ。すまぬが経の一つもあげてはくれぬか」
     見れば、年老いた男が倒れている。
     「いきなり卒中のようになって息をひきとってしもうたのよ」
     これも仏縁であろうか、そう考えて老人の傍に近づこうとしたところ、十六ばかりの、雛にはまれの言葉通り、美しい娘が血相を変えて駆けつけてきた。
     「じさまっ、じさまぁ」
     老人の体に身を投げかけると、もだえ嘆き悲しむ。回りの者たちが、娘を引き離し、口々に慰めを言う。
     「可哀想に。たった一人の孫娘を残してのぉ」
     促がされ、合掌させようと老人の手をとった。すると妙な気持ちが込み上げてくる。いまだ、生気らしきものが感じられたのである。
     「少しお待ちください。まだ手の施しようがあるやもしれませぬ」
     「そんな。息もしておらぬのに」
     彼は、老人の脇の下のツボを強く押し、さらに鳩尾に手を当てた。すると、老人は一つ大きく息を吐き出した。見守る人の間からどよめきがあがった。
     「なんと、生き返ったぞ」
     「ありがたい、ありがたい」
     娘が老人の傍に座り込み、泣き笑いのような顔をしている。体を起こした老人は、なにがなにやら訳のわからぬ表情だ。
     「津沙よぉ、いったい」
    娘の名は津沙というらしい。
     「じさま。このお坊さまが助けてくださったのじゃ」
     津沙は、熱い眼差しで見つめている。
     「み仏のご加護があったのでしょう。ほんとうによかった」
     以来、津沙は御厨人窟に毎朝のように訪れては、供物を置き、修行を続ける教海の姿を遠巻きに見つめて、手を合わせて去っていく。さらには他の里人も、供物を持ってくるようになっている。それはそれでありがたいのだが、困惑もあった。それは、津沙の思いである。自分を見る目の奥に、感謝だけでなく、別のものがあるようなのだ。
     彼はようよう意を決して、訪れた津沙を呼び止めた。
     「ご喜捨のほどありがたく存じます。しかし、拙僧は修行の身であります。近くこの地を去らねばならぬと思っておりますゆえ、いまのうちに篤く礼を申し上げておきます」
     津沙とて、承知している。この若い修行僧がいつまでも、この地にとどまるはずもなく、まして自らの秘めた思いがかなうはずもないことを。だが、それでもよいのだ。
     「はい。ご修行がつつがなく成就いたしますよう」
     そして、慌てたように振り向くと、走り去る。なぜか涙が溢れ出してやまない。
     その夜、彼は、いつにもまして真言を誦し続けた。風の音が、それに唱和するように吹きすさぶ。一瞬、全ての音が消え果て、静寂が支配する。時が止まった。星辰すら動きを止める。突然一個の明星が煌然と燃え盛り、輝きを増した。
     「さてこそ、虚空蔵菩薩の応化であろうや」
     そして、確然として悟った。いまこそ、なすべきことに思いいたったのだ。さらに唱える真言に熱がこもった。やがて、東の空が明らみ始めた。洞の先に、果てしなく広がる空と海が見える。その二つを画す水平線の間から黄金色に輝く太陽が姿を現した。
     その光に照らされ、彼の姿もまた金色に輝く。心ある者が見れば、如来の化身とも覚えるほどに。しばらくして、彼は立ち上がると、洞を後にした。
     津沙は胸騒ぎがしていた。夜もまだ明けやらぬうちに、安らかな寝息を立てる祖父を起こさぬよう気遣いながら小屋を出る。御厨人窟に向かう浜辺で、日の出を見ながら、両手を合わせた。人の姿が近づいてきた。あの若い修行の僧であった。
     「お発ちなのですね」
     「はい。里の方々によしなにお伝えください」
     「はい」
     僧は軽く頭を下げ、先がささくれた錫杖を手に去っていこうとする。津沙は思わず声をかけた。
     「お坊さま、お名前は何と申されるのでしょう」
     名は、といいかけて、彼は思いとどまる。あの空と海の心打つ光景が浮かんだ。
     「くう、空海と申します」
     そして、海の彼方に目をやると、こう続けた。
    「その海と空の間に立つ一介の沙門でありますれば」
     「空海さま」
     津沙は、一言つぶやくと、去り行く僧の背後に額づいた。

     名を空海と改めた彼は、国境を越え、伊予国神野郡に入った。さらに一路、石鎚山を目指す。石鎚神の名にちなむこの山は、高く急峻な岩壁がそそり立ち、常人の立ち入りを拒むかのよう。一書には「凡夫登り到るを得ず、但浄行人のみ登り至り居住す」とあるほどである。
    空海が入山するはるか以前、ここで寂仙という名の僧が修行を続けていた。彼の僧は入滅の直前に弟子にこう言い残した。
     「我が命、終わりよりもって後、二十八年の間をへて、国王の子として生まれ変わる。名は神野たることで、まさに寂仙と知るべし」
     その言葉通り、二十八年後に生まれた皇子は神野親王と名づけられた。これが後の嵯峨天皇である。
     空海がこの山中で、いかような修行に没頭したのか。また何を得んとし、何を得たのか。ただ、すでにこの時には、進むべき道をはっきりと自覚していたことは確かであろうか。

    初めて目にする新たな都。その入り口である羅城門の前に立ち、空海はその豪壮な二重の楼閣を一瞥した。彼が知る平城京や長岡京の門よりも一段と立派さを増しているような気がする。同時に、この門を潜れば、再び市塵の洗礼を受けるであろうことが、やや厭わしくも思えた。だが、仕方があるまい。まずは、この地で為さねばならぬこともあるからだ。とりあえずは、既に都に移り住んでいるであろう叔父を頼るしかない、そう思い、人に尋ねつつ、館に向かうことにした。
    まだ真新しい朱雀大路を進み、左京側に歩みを進める。物売りの店が立ち並び、呼ばう声も賑やかである。新京にふさわしい若めいた活気のようなものがあふれている。
    ようやくに探しあて、中に入ろうとすると、十四、五のまだ稚気を残した若者が誰何してくる。空海はその顔に見覚えのある面影を見つけた。微笑みながら声をかける。
    「わたしだよ」
    若者は怪訝な表情を浮かべたが、それがたちまち驚きに変わった。
    「真魚さま、真魚さまでございますか」
    彼は後ずさりして、跪いた。
    「なんと、お懐かしい。お待ちくださいませ。今お知らせして参ります」
    彼が館の中に消えて、すぐに、数人の若い奴婢が近寄ってきた。中には涙ぐんでいるものもいる。彼らはかつての童たちであった。
    「真魚さま。どうなされていたのでございます」
    「こんなにおやつれになって」
    口々にいいつのる。
    「みんな、達者でなによりだ。こんな姿だが、心配しないでおくれ」
    そこに、叔父の大足が駆けつけてきた。
    「無事であったか。よい、よい。よくぞ戻った」
    裏庭で水をつかい、体の埃を落とすと、叔父の待つ奥へと向かう。
    「真魚、さていったいどこで、何をしておったのじゃ」
    「はい。それは後ほど詳らかに。遅れましたが、わたくし、いまは空海と申します」
    「空海じゃと。そうか、そうよの。その姿ならば、名が変わるのもしかるべきであろうが」
    その夜、二人は長い間にわたって、語り合った。そこで、空海はこれまでの次第を語ったのであろう。大足もまた人に知られた碩学である。この甥の並々ならぬ決意と、さらに厳しい修行によって不動のものとなった信仰の強さに、別の意味で、彼の未来を見たことであった。僧としての立身は、時に大宮人としての出世に勝ることもある。
    「それで、向後はどうするつもりじゃ」
    「はい、まずは、思うところもございますれば」

     空海は筆を握り、一気に思いの丈をぶつけ始めた。
     「文之起必有由。天朗則垂象。人感則含筆」
     文章が書かれるには必ずわけがある。空が晴れわたっていれば、さまざまな天文の事象がはっきりとそれを示す。人が心を動かされれば、すなわち筆をとらざるを得ない。
    若さの持つ勢いのまま、火を噴く如き言葉が紡ぎ出される。これまでの学問と厳しい修行の果ての、この決意の書「聾瞽指帰」は、後に「三教指帰」と改められた。その名の通り、孔・李・釈の「三教」について、「指帰」、つまり意のおもむくところを述べたものである。
     空海、時に二十四歳。だが進むべき道は見えたものの、いまだその根本に置くべきものに出合えないでいる。
     彼は自ら問い、そして自らその答えを考え続けていた。
    これまで、悟りにいたる声聞、縁覚、菩薩の三乗の修行をし、一切の経典である十二部経を学んできた。だが、果たせんかな、疑義は氷解しないでいる。唯一不二の教えとは何か。こい願わくば、それを示してもらえぬものか。
     ある夜、真言を唱え続けるうち、やがて夢ともうつつともつかぬ中で、彼は再び、かの童子の姿を見る。
     「これは、行者どの。お久しゅうござります」
     それに返すこともなく、童子はいきなりこう告げた。、
     「空と海の間にありしものこそ、汝の求めるものよ」
     空海の脳裏に、かつて室戸岬で見たある光景が浮かび上がった。
     「左様、その大なる日輪こそそれじゃ」
     童子は微笑んだ。
     なにを意味しているのか。空海は首をひねった。だが、「大いなる日輪」の言葉で一つ思い浮かべる経典があった。「大毘盧遮那成仏神変加持経」、一名、「大日経」ともいわれる。この経典の存在は知らなかったわけではない。だが、機会に恵まれず、まだ目にしたことはなかった。
     「大和国高市郡久米の道場に参れ。その東塔の前に望むものがあろう」

     久米の道場、後の久米寺は大和三山のうち畝傍山の南にある。聖徳太子の弟、来目皇子の開基といわれるが、言い伝えでは、かの久米仙人が開いたともいう。
     吉野の龍門寺の久米仙人は、長く厳しい修行の末、飛行の術をよくするようになったが、ある日、空を飛んでいるさなか、若い女人が久米川で洗いものをしているのに気づいた。仙人は、ふとその白いふくらはぎに魅入られ、それがため神通力を失い、地に落ちてしまう。その後はこの女人と夫婦となり、俗世の者として暮らしていた。時に、帝が京を遷すことになり、そのため人足として駆り出されたところ、彼を知る者に「術にて材を運ぶこともできぬのか」と揶揄される。
    一念発起して七日七夜、祈願を続け、再び力を得た彼は、空中に山の木を飛ばし、京に運んだという。いたく感じた帝は彼に免田を与え、それをもとに建立されたのが久米寺であるという。
     だが、これは後にあつらえられた伝承にすぎない。空海が、ここを訪れた時には、寺というよりは、簡単な堂宇のある修行のための道場にすぎなかった。
    だが、「大日経」は、確かに東塔の前に無造作に置かれていたのだ。
     「ありがい。これこそ行者殿の申されたもの」
     とはいえ、果たして持ち去ってもよいものか。そこに訪れた者があった。その年老いた男は寺僕のようであるが、空海は、手短に、この経典について尋ねた。
     「ここのものではありませぬな。お持ちなされてもよろしゅうござろう」
     しかし、それなりの立場にあるものの許しがいるであろう。重ねて尋ねるが、その男は首を振り、持ち帰るように勧める。
     空海は、幾たびも頭を下げ、経典を大切にしまうと、その場を去ろうとした。ふと、振り返ると、男の姿は影も形もない。さてこそ、彼もまた、み仏の使いに違いないと思いなし、京に戻った。
    その経典を紐解くにつれ、彼の頭の中に氷のように居座っていた疑念が、陽の光に照らされるように溶けていく。まさしく、この経典こそ、求めてやまぬものではあった。だが、なお、解けぬものも残っている。その答えを求めて、再び、旅に出る決意を固め、大足に暇乞いをした。空海の話を聞いた大足は、こう問いかけた。
    「おまえの悩みが、果たしてこの国で片付くものかどうか、それは難しいのではないか」
    空海もまた、そうした思いがないわけではない。
    「それではいかがしたらよろしいのでしょう」
    大足は、天を仰ぎ、しばらく考え込んでいる。そして口を開いた。
    「わしに一つ考えがある」
    そう言うと、大足は書状をしたため始める。しばらくして、書き終えたそれを渡すと、唐招提寺を訪ねるように告げた。
    「唐招提寺といいますと、鑑真和上のお開きになられた」
    「そうじゃ。そこに行き、この書を見せるがよい」
    鑑真は日本に戒律を伝えるため唐から渡海し、空海が生まれる十年ほど前に亡くなっていた。だが、鑑真の弟子たちの中には、まだ存命のものもいた。空海が大足の書状を渡したのも、その一人である。
    「なるほど、大足さまのおっしゃるよう、唐の言葉に通じたほうがよいのは確かです」
    その僧は、書状に目を通すと、独り言のようにつぶやき頷いた。
    「だが、悉曇梵語についてはどのようにしたものか」
    首を捻る。悉曇梵語とは、サンスクリット語のことだが、「大日経」を深く理解しようとすれば、必須といってもいいものであった。
    「空海どのは、菩提僊那導師の名をお聞きになったことはございましょう」
    「はい」
    「わたしどもでも悉曇梵語をご教授できますが、大安寺も訪ねられたほうがよろしかろうと思います」
    菩提僊那は、インドのバラモンの子として生を受けたが、唐で仏教の僧として名をはせた。日本に招かれた後は、東大寺盧舎那仏像の「大仏開眼」の導師をつとめた。彼もまた、空海の生まれる十数年前に奈良の大安寺で入滅した。西方を向き合掌礼拝した姿であったとも伝えられている。
    その大安寺は、空海の師である勤操にも縁のある寺である。
    空海は、念のため、この唐からの渡来僧に、「大日経」の中の不明な部分について尋ねてみた。しかし、予想していた通り、やはり確かな答えは得られない。
    それはともあれ、空海はここで唐の言葉の習得に入った。後に最澄の弟子であった真義も、この唐招提寺で唐の言葉を習ったという

    唐の言葉と悉曇梵語の習得とともに、空海にはいま一つ、なさねばならぬことがあった。

    前の遣唐使から既に二十年。再び派遣の機運が高まりつつある。そのことは、大足も知っていた。恐らくこの十年以内には、使節が整えられることになるだろう。大足が唐の言葉の習得を甥に命じたのも、それが裏の事情としてあった。遣使に加わり、帰国すれば、それなりの地位も用意されよう。大足は、この甥をその一員として加えるべく、持てる力を、人のつながりを、全て使う覚悟でいる。
    空海にとっても、残された時間を言葉の習得と、さらなる経典の解釈に当てるだけではすまない。何をなすべきか既に分かっている。だが、それをどのようにすればよいのか。

    この後、空海の消息を伝えるものは、ほとんど残されていない。彼の名が公のものとして出てくるのは三十歳の時である。
    江戸末期の本草学者、野里梅園の「梅園奇賞」には、石山寺に秘蔵されていたという度牒官符の写しが存在する。それには、「□学僧空海 俗名讃岐国多度郡方田郷戸主正六位上佐伯直道長戸口同姓真魚、右去延暦廿二年四月七日出家云々」とある。
    つまり、この時に空海は初めて正式な官僧として認められたというわけだ。
    だが、それから七年の間、空海がどこで何をしていたかについては、はっきりとしていない。

    伊予国の冠山を発し、阿波国三好で吉野川に合する銅山川という名の川がある。この川沿いに、仙龍寺という一寺があり、その本尊は弘法大師、つまり空海とされている。この寺の縁起によれば、弘化六年、四十二歳の空海は不思議な力に導かれるようにこの地を訪れ、山の神々を祀っていた法道仙人から、この地を譲り受けたという。法道仙人は、インドから日本に飛来したとされる伝説の人物である。呪術をよくし、空の鉄の鉢を飛ばせて供物を得たというところから、空鉢仙人との異名も持つ。
    だが、なぜ、空海はこの時期にここを訪れたのであろうか。唐から戻り、着々と「弘法」の大事業に取り組んでいたころである。翌年には、嵯峨天皇に高野山の下賜を請い、許された後に開山に手を着ける。そのような、先の事業に目処がついたという状況にあったことが、この訪れの謎を解く鍵ではなかろうかとも思われる。
    この銅山川は、かつては金砂川と呼ばれていた。古くから砂金の採取が行われていたことを示すものだ。何しろ、仙龍寺の山号も「金光山」というほどである。
    彼が遣唐使の一員として渡った時、膨大な量の砂金を手にしていたという説がある。何しろ、空海は使節に加わったとはいえ、最澄のように公の留学僧としてではない。唐での滞在の費用などは自前という待遇である。しかも、年限も二十年という長期であった。資金はいくらあっても困るということはない。だが、地方豪族の子にしか過ぎない空海に、果たして、どれほどの余裕があったのかは疑問である。
    ただ、最澄ら正式な留学僧に準ずる形で、空海らにも砂金が下賜されたという説もある。しかし、それでも、唐で写経のため多くの人間を雇い、また、さまざまな仏具を買い求めたといわれており、資金は、それで事足りたとは考えがたい。
    それが、空海と金にまつわる、さまざまな説が浮上してくるもとともなっている。
    空海は、かねてから、この伊予の山中を根城とするある一族の噂を耳にしていた。彼らは、この地に限らず、九州や中国、畿内にも、その仲間を抱えていた。いわゆる「山の民」と呼ばれる一族である。彼らは、さまざまな生業で世を渡っていたが、その一つが金や銅を始めとする鉱物の採取・採掘である。彼らは山中を巡りながら、その仕事により莫大な財を蓄えていたともいわれている。
     
    「確か、約束の場所はこのあたりであろうか」
    空海は深い森の入り口で、何者かを待つようにたたずんでいる。不思議な気配がしたかと思うと数人の男たちが姿を現した。
    「空海さまでございますか」
    空海は無言のままうなづいた。
    彼らの後に従い、森の中の道なき道を進む。その身の軽さは常人の及ぶところではない。山中での修行で悪路には慣れている空海でも、その後を追うのは、大抵のことではない。しかも、先行の連中は全く遠慮がない。いや、空海がついて来ることができるかどうか試している風さえうかがえる。やがて、やや開けた場所に辿り着いた。奥の山肌には洞窟らしきものが口を開けている。
    「ここでお待ちあれ」
    そこに、一人の人物が洞窟の奥から姿を現した。その風貌に空海は内心の驚きをやつとの思いで押し隠した。その様子に、かの人物はうっすらと微笑みを浮かべる。
    「驚かれたようでござるな」
    肌の色は黒く、鼻も高く彫りの深い顔立ち。どうみても、この国の人とは思えぬ。
    「われは、もとは身毒、つまり天竺の者。今は秦氏にゆかりがござる」
    秦氏は、空海の母方、阿刀氏と同じく渡来系の末である。だが、この秦氏も謎多き氏族といっていいだろう。定説としては百済系といわれているが、ペルシャ系や中にはユダヤ系という異説もある。さらには、さまざまな民族が混合した一族ではなかったかという見方もある。
    空海の師的存在である勤操も、またこの秦氏であったともいわれ、彼がいた大安寺の開祖は前にも述べたインドの菩提僊那である。秦氏ゆかりの人の中にインド出身の人間がいたとしても不思議ではなかろう。
    「あらかたのことは勤操さまよりお伺いしておる。必要なものは用意いたそう」
    「それはまことに申し訳ないことであります。その礼はいかようにすれば」
    「今すぐにと申しても、無理なことでござろう。いずれ時がくれば、こちらからお願いにあがるつもり」
    その人物は、そう言うと、さらに空海にいくつかの場所に赴くよう告げた。それらは、彼らの仲間が、やはり金の採取を行っている場所である。空海は、それらの地を訪ねることを約し、そこを後にした。
    後に、空海はここに一寺を建立する。何者かに対する礼を果たすかのように、である。
    こうして、空海渡航までの年月、「山の民」の一族は各地で砂金の採取を続けた。この希代の僧の大願を支えるために。その膨大な資金を手に、空海が遣唐大使とともに第一船に乗り難波津を出発したのは延暦二十三年皐月のことであった。
                                 了
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
        武蔵野ものがたり(むさしのものがたり)
     
    城の周りは既に紅蓮に染まり、本丸に向かって黒い一群が禍々しい雲のように押し寄せて来る。その様を眺めながら、あのお方は、しかし、口元に笑みすら浮かべていらっしゃった。
    「奥よ、もはやこれまでのようじゃ。わしは残った手の者と最後の死に花を咲かせるつもりよ」
    「わたくしめはいかがいたしましょうや」
    「落ち延びよ」
    「いえ、是非にもお供を」
    愛するお方とここで果てるのも、わが運命であろう。だが、あの方は、傍らに控える者に声をおかけになる。
    「頼むぞ。いかようにでもして奥のため血路を開いてくれ」
    「承知仕りました」
    そして、あの方は、わたしを抱き寄せると、耳元にささやく。
    「月影の 照らすかばねは 後の世の また逢わん日の よすがこそなれ」
    その歌をわたしは心に深く焼き付ける。
    そう、わたしたちは、また逢える。何度生まれ変わっても、どこかで必ず。
    「はい、お待ちしておりますれば」
    「これを持て。わしにはもう用のない品だ」
    渡されたのは、「古今和歌集」の一巻である。
    「これは、あの」
    「そうよ、覚えておろう」
    その書を胸に抱き、あの日のことを思い出す。
    それは、まだ、この辺りが平穏であったころ。父は隣国との和を保つべく、その国の領主の跡継ぎに嫁がせようとしていた。
    初めての出逢いの時、あの方は尋ねた。歌は好きかと。
    「不調法でございますが、詠みまする」
    「そうですか、わたしも、いたって下手な歌詠みですが、それのほうがよろしい」
    そして、いかにも大切なことを告げるように付け加えた。
    「鬼の目にも涙ぐらいならまだしも、天地が動いては大変ですからね」
    思わず笑いをこらえ、袖を口にあてる。
    それが、もとより、異つ国の「詩経」の序にならって書かれた「古今集」仮名序の「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」からの洒落であることは、自分の如き浅学の者でもわかる。
    一気にこのお方を好ましく思いなし始めた。家同士の思惑で、意に沿わぬ縁を無理矢理押し付けられるのは乱世の習いと、半分諦めに似た気持ちであったが、このお方の心根をうかがうことで、それが、喜びに変わっていくような気がしたものだ。
    「わたしの歌の師である方は、なかなかの御仁でして」
    そう言って教えてくれたのが、こんな一首であった。
    武蔵野の折べい草はおほけれど露すぼこくて折られないもさ
    もう耐え切れず、笑い声をあげてしまった。言葉の終わりに「べい」や「もさ」を使う、このあたりの訛りを詠み込んでの戯れ歌である。聞けば、かの師が上京の折、堂上人の前で披露したものであるという。
    「さすが、草深いあづま人の歌よ、と手を打って喜ばれたそうですよ」
    だが、師は、かようなものもございます、とさらにもう一首詠まれたという。
     
    露おかぬかたもありけり夕立の空より広き武蔵野の原
     
    「まずは、師にとっては、ほんの小手調べといった程の一首でしょうが、これにも堂上のお歴々は感心されたとか。都人と申しても所詮、本物の歌心のあるものはそうはいないということかな、と師は笑っておられました」
    そうした話に、心の中に温かいものが広がっていくのを感じた。このお方と添うことはさだめ、それも今の世よりも前から決まっていたことなのだ。
    だが、幸せな夫婦として過ごせたのも、そう長い時ではなかった。やがて、二つの国のさらに遠く、強い力を持った一団が、平穏な暮らしを奪うべく攻め寄せて来る。あのお方は勇ましく戦われた。しかし、敵の力はあまりにも強大であった。
     
    「奥方さま、お急ぎくださいませ」
    彼は、わたしを抱きかかえるようにして、抜け穴に押し込めた。狭く薄暗い道をたどり、城の裏手にある空井戸の縄梯子を上り、外に出る。
    「一刻も早う、ここを離れませぬと」
    その時だった。数人の影が取り巻く。
    「ちっ、遅れをとったか」
    刀を抜き放つと、わたしを背後にかばい、その影に対峙した。
    「奥方さま、申し訳ござりませぬ。もしもの時は、お覚悟を」
    無言のままうなずき、懐剣を手にした。影の一つが切り倒された。瞬間、もう一つの影が、彼にぶつかる。
    「奥方さまぁ」
     絶叫が聞こえた。同時に、刃を喉に突き立てた。
    うっすらと目を開ける。わたしを覗き込む人の顔が見えた。何者、叫ぼうとしたが声が出ない。喉に走る激しい痛みに再び気を失った。
     
    目が覚めた。
     
    丸太を無造作に組み上げただけの薄汚い天井が目に入る。わたしはどこかの小屋の床に転がされているようだ。
    「気がついたかい」
    声を出そうとしたが、息が漏れるような音がするだけ。
    「無理さ、喉がつぶれてるよ」
    そう言ったのは、安達が原の鬼婆のように乱れた白髪の、得体の知れぬ老女だった。
    「助けてやったんだから、お前さんにも稼業を手伝ってもらうよ」
    その仕事とは、鬼畜の所業であった。戦の場で倒れた男たちからの追剥、甲冑や刀や槍、あらゆるものを剥ぎ取っていく。老婆はそれを、知る辺の野武士たちに売って、いくばくかの銭を得ていた。
    だが、わたしにそのような事ができようはずもない。しかし、言葉を失ったわたしに、それを告げる術はない。
    やがて、いつか、わたしも鬼畜の仲間となった。
    せめてできることは、その骸に隠れるようにして手を合わせ、念仏を唱えるだけであった。
    野辺に無残に晒された骸を見るごとに、あの方を思い涙する。
    だが、それも時とともに涸れ果てていくような情けなさを味わうことが次第に多くなる。加えて、鬼婆の悪辣な仕打ちが、わたしを更なる無間の煉獄に陥れた。
    ある夜、何者かがわたしの体に圧し掛かってきた。必死に抗ったが、声を失ったわたしは叫ぶこともできない。やがて、思いを遂げた男は、下卑た笑い声を上げながら、立ち去る。
    「食わせてやってるんだ。その体でも稼いでもらうさ」
    鬼婆が無慈悲に言い放つ。それから、幾人もの見知らぬ男たちが、わたしを抱いて、その薄汚い情欲を吐き出すと去って行った。
    何故か、再び自ら死を選ぶことができなくなっている。生への執心など、とうにないはずなのに。あの方のいない、この世に未練などないはずなのに。
    夜明けにはまだ少し早い。さ迷うように野に出る。あてもなく歩き続け、気がつけば、既に日も昇り始めていた。戻らねば、あの鬼婆がうるさかろう。だが小屋に戻ると何故か異様なほど、その中は静まりかえっている。
    婆はまだ眠っているのだろう。物音を立てぬように、奥に行こうとして、いつもと様子が違うことに気付いた。あまりにも静か過ぎる。寝息すら聞こえない。傍に近寄って、そのわけが分かった。既にこと切れていた。凄まじい顔つきは、断末魔の苦悶がどれほどのものだったのかをうかがわせる。わたしは、手を合わせ経を唱えた。鬼とて仏になれば、恨みもなにもない。
     
    村の若者たちは、寄ると触ると、この尼僧の話で持ちきりだった。何しろ美しい。垣間見たという男が、感に堪えぬように口にする。
    「あれは、都の上臈であったに違いない。それはもう香らんばかりよ」
    「何か仔細があって尼になったのじゃろうか」
    「そうよのぉ」
    中には、夜這いをしかけた不心得ものもいたらしいが、その首尾を語るものはない。だが、洞に籠ったまま、日がな念仏を唱え続ける姿に、いつしか、奇妙な噂も語られるようになった。
    「あの尼さんは、少し変ではないか」
    「そうよの、何かを口にする様子もないが」
    「生きておるのが、不思議よの」
    そこから村人たちが囁きだしたのが、かの尼こそ、八百比丘尼ではないのかというものであった。人魚の肉を口にしたため、不老不死となった娘は、尼となって諸国を巡礼しているという。あの尼がそれだと、まことしやかに語られ始めた。
     
    わたしのことを村人らが何と噂しているのか、知らなかった。まさか、そのようなことを言っていようとは。だが、それも、もはやどうでもいい。既に世を捨てた身なのだから。ただ、朽ち果てる時を待つだけ。
    あの日、わたしは鬼の住処に火を放ち、立ち去った。身には墨染めの衣をまとった。行き倒れの尼が着ていたものだ。強欲な婆は、その衣すらいくばくかの銭に替えようとした。だが、そのようなものを購う者がいるはずもない。捨てようとしたそれを、わたしが隠していた。ひょっとすれば、いつか使うことをあらかじめ感じていたのかもしれない。
    そして、あのお方を始め、戦さにより無念の死を遂げた者たちの菩提を弔う旅へと出、諸国をさ迷い続けた。その果てに辿り着いたのがここだった。わたしは、この地で、旅を、そして命を終えるつもりであった。
    「あなたさま、わたくしも、そちらに参ってよろしゅうございましょうや」
    経を唱えながら、わたしは、あのお方に問いかける。
    突然、洞穴の入口近くに光が見えた。やがて、その光はわたしを誘うかのように、外へと出て行く。そして、行く道を示すかのように飛び去った。
     
    再び、この武蔵野に立つことになろうとは。見知らぬ地で土になるであろうと思いなしていた。だが、またここに戻ってくることとなった。
    目の前に広がる景色は、かつて愛しいあのお方と二人で眺めたあの日々のものと何ら変わりはないように見える。
    そして、あのお方が歌の師と仰がれた古の武将、太田道灌さまも、またこの同じ野を眺め、風をお感じになられたのであろうか。
    道灌さまも、わが愛しいお方も、ともに非業の死を遂げられた。だが、武蔵野はそのような人の世の事などを知るよしもなかろう。
     
    武蔵野は萱原の野と聞きしかとかかる言葉の花もあるかな
     
    ふと、ある歌を思い出した。道灌さまの歌を聞かれた時の帝が、お詠みなされたといわれる一首である。
    萱ばかりと見ゆる野にも、間違いなく花も咲く。残された日々を、その花をよすがに、この野で過ごしていこう。
    そういえば、ここに戻る途中の道すがらのこと。道灌さまゆかりの江戸に、徳川さまというお方が入られたと聞いた。山を削り、海を埋め、さまざまな大普請がなされているとかいう。
    さすればこの草深き野も変わっていくのであろうか。それはわからぬ。
     
    遠くで手を振る姿が見えるような。あれは幻であろうか。愛しいあのお方ではないか。
    そのようなはずもないことは承知している。だが、心が震える。初めてお逢いした、あの日のように。そして、ただ立ち尽くしていた。
    いつまでも。
    いつまでも。
                                了
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    師父の碑(しふのいしぶみ)
     
    「太夫は、まだまだお若い」
    周りの者たちは、半分世辞の如くに言う。だが、老いは例外なく万人に訪れるものだ。かのご仁とて、そうであったように。自らもまた、老い、そして死んでいく。
    それも、そう遠い先のことではなかろう。
    九州の要衝であるこの十五万石の藩で、譜代でも名家の出でない身が、四千石という禄を食み、筆頭家老としての重役を果たしてきた。その自らを、時折、不思議な思いをもって省みることがある。
    「よくぞ、ここまで来たものよ」
    庭の梅もぼちぼち終わりのようだ。
    風に散り行く花びらを眺めながら、ゆっくりと茶を啜る。
    「面白い時を生きさせてもらったのかもしれんか」
    目を閉じると、幾多の出来事が、頭の中を駆け巡る。
    「始まりは、やはりあの時よのぉ」

    師と仰ぎ、また父と慕うこの兵法者は、実に不思議なお方と思うことであった。
    故郷の出羽を去り、伴に旅を続けて、はや一年近い。その間に諸国を巡り歩く中で、その人となりに感服することもあれば、時に首を傾げる思いをすることがないわけでもない。
    剣をとっては扶桑に隠れのない達人といわれる武辺である。
    にもかかわらず、時に求めに応じて見せる、画や書といった技芸にも堪能であった。
    無策に見えて、余人の思わぬような智謀をめぐらす人物でもあった。
    実にとらえがたい、一筋縄ではいかないところがある。そのような師とのそもそもの出合いは、奇縁というほかはないものだった。
     
     
    糊口をしのぐため泥鰌を売り歩く。この営みもこれが最後。そう思えば、毎朝見慣れたこの景色もどこか懐かしい。今は既に心を決めている。ここを立ち去り、新天地で生きようと。かねてからのしがらみもなくなり、故郷を捨て去るに何の未練ももはやない。もう一度、ゆっくりとあたりを見回し、売り物の泥鰌の入った桶を担ぎなおす。
    その時である。一人の武辺が近づいてきた。相応の年配のようであるが、その体躯は、恐らく厳しい修業によるものだろう。叩けば音のしそうなほど引き締まってみえる。
    「それは、何かな」
    「泥鰌だよ。いるかい」
    「そうよのぉ。少し分けてもらおうか」
    武士は、小銭を渡し、包もうとして手拭いを取り出す。
    「いいよ。お侍。この桶ごと持っていけば」
    「いや、わしも旅の身、しかも一人じゃ、そう要るわけではない」
    だが、朗らかな笑い声とともに、桶を押し付けてくる。
    「いいさ。これも何かの縁。持っていっておくれ」
    さばさばした顔つきで、そういうとその場を立ち去っていった。
    「奇妙な童じゃ」
    兵法の道を志して、幾多の修羅場を潜り抜け、並みのことには驚かされぬが、この童の様子に、ふと心を動かされた。
    「世はさまざま、人もまたさまざまということか」
    自身がその泥鰌売りの童と同じ年頃のことを思い出していた。
    あれは十三歳の時である。初めての立合いで、相手を打ち負かした。名は、有馬喜兵衛といった。有馬豊前守の一族という触れ込みである。豊前は刀と槍の名手として知られ、その師筋は、天真正伝神道流の飯篠長威斎につながる。喜兵衛もまた、それなりの遣い手ではあったのだろう。
     
    「だが、わしが勝ちをおさめた」
    以来、故郷を捨て、兵法修行の旅に出た。
    さまざまな遣い手と立合い、その全てを倒してきた。
    あの最初の立合いから、既に長い年月が過ぎている。そして、四十を超え、なお、諸国を渡り歩く暮らしを続けている。その日々は所詮、剣を以って為しうることには限りがあると思い知らされるものでもあった。
    思えば、かの大坂の陣が、乱世、力と才覚で身を立てることのできた時、の終わりであったのだろう。
    それに先立つ関が原の、その前哨の城攻めでは西軍方についた。だが、まだ十七の若輩に、功名の機はなかなかに訪れるものではない。ただ、そこで見た西軍の攻めの無様さに、恐らくは、天下は西から東の主に移ろうとの思いだけがその胸に残ったのである。
    それゆえに、大坂では三河刈谷の水野勝成の客将として参陣した。関が原から、その大坂の戦までの間、命をかけた数度の立合いを経て、自らの武名が高まったのは確かであろう。それゆえの客将という名目である。だが、結果として何も得るものはなかった。
    もはや自分は、このまま一兵法者として終わるのであろう。あるいは、いずれ誰かに打ち負かされ、路上に果てることとなるのか。
    彼は、思わず天を仰いだ。
    「事において後悔せず」と胸の内で繰り返す。常にそうありたいと思えばこそ、だが、それは生易しいものではない。

    桶一杯の泥鰌を、着いた宿の亭主に手渡した。主は驚いたように声をあげる。
    「いかがなさいました。このように沢山の」
    「なに、思わぬことにな。わし一人ではまかないきれぬ。よければ他の者にも分けてくれ」
    亭主は、頭を下げながら、桶を抱えて奥に消えた。その夜は、泥鰌汁の大盤振る舞いで、宿の者だけでなく二人ほどいた同宿の客たちも堪能したようであった。
    翌日のことである。思いもよらず遅い出立となったために、彼は人家とてない山野で行き暮れていた。
    次ぎの宿までは、まだ十二、三里ほどはあろうか。だが、戻るにしても、五里はある。仕方なく、先を急ぐ。山陰に灯がかすかに見えた。とりあえず、それを目指して足を早めた。
    ようやくに行き着いたのは、いかにも粗末な草葺の小屋である。灯がもれている所をみれば、人が住んでいるのであろう。一夜の宿を求めようと、声をかける。
    「誰だい。今時分」
    意外にも幼い声が返ってくる。
    「旅の者でござる。行き暮れて難儀し申した。一夜の宿を拝借できぬかな」
    戸が開けられ、一人の童が姿を現した。
    その顔に見覚えがある。
    向こうも気がついたのだろう。
    「お侍は昨日、泥鰌を買ってくれた人じゃないかい」
    「そうか。ここはおぬしの住いであったか」
    「住いというほど立派なもんじゃないけど。とりあえず雨露はしのげらぁ」
    「親御どのに頼んではもらえぬか。宿を借りたいのだが」
    戸惑ったような表情を浮かべたものの、ややあって、承知したというように頷いた。
    「白湯ぐらいしかないけど、よければ入っておくれ」
    「親御どのに許しを得ずともよいのかな」
    童は無言のまま、首を振る。
    「この辺の夜は冷え込むから、火に当たっておくれ」
    囲炉裏端に腰を下ろし、それとなく様子をうかがう。確かに他に人の気配はない。
    「親御どのはどちらかな」
    「二人とも死んだ。ここにいるのは、おれ一人だよ」
    童は、こともなげに言い放つ。
    「そうか。それは、辛いことじゃな」
    その顔にふとした影が差す。童は、それを振り払うかのように努めて明るい声を出した。
    「お侍、腹のほうはどうだい。大したものはないが」
    そういうと、粟飯を持ち出してきた。強いて固辞することもない。彼は、白湯をかけると、さらさらと流し込んだ。
    「馳走になった」
    「夜具というほどのものもないけど、火があるだけで辛抱してもらえれば」
    そう言って、童は奥に引っ込む。囲炉裏の傍で横になり、眠ろうとするが、戸を叩く風の音と虫たちの喧しい鳴き声で、なかなかに寝付けぬ。
    その時、風でも虫でもない、もう一つの音が奥から聞こえてきた。刃物を研ぐ音のようである。
    さては、あの童、盗賊の仲間でもあったか。わしの寝首でもかこうというのか。そう思い、彼はわざとらしく大きな欠伸をする。
    すると、音がやんだ。
    「お侍、眠れないのかね」
    「いや、何か奇妙な音がするものでな」
    奥から、笑い声があがる。
    「おれがような小童に、何ほどのことができるものか。お侍、思いのほかに気が小さいな」
    そういわれて思わず顔がほころぶ。
    「だがいったい、何故に、このような時刻に刃物を研ぐ」
    戸が開けられ、童が彼のもとに姿をみせる。
    「お父が死んだんだ」
    長く患っていた父親が、今朝方、泥鰌売りに出かける前に息を引き取ったという。
    「だから、お父をおふくろさまの傍に埋めてやろうと思った」
    だが、子どもの力では、そこまで亡骸を運んでいくことができない。そこで、亡骸を切って運ぼうとしたという。
    「なるほど。さても気丈なことよ。ならば、わしが手伝ってやるがどうだ」
    「そいつはありがたい。ならば、お侍、お願いできようか」
    翌朝、二人で亡骸を運び、石を積み上げただけの粗末な母の墓の隣に葬った。しばらく手を合わせる。
    しばらくの間、少年は、この父親の事を考えていた。思えば、父も不運であったといえるかもしれぬ。数年前に致仕していた藩が改易となり、父は禄を失った。この地に逼塞して、当初こそは、戦でもあれば馳せ参じて手柄をたて何とか再起を図ろうとしたようだが、すでに、世は新たな天下人の下で治まりつつあった。思いはかなわず、間もなく、母が亡くなり、それからの父は腑抜けのようになってしまった。酒に酔えば、繰り言のようなものを呟き続ける。
    その酒が、その命を縮めたのは間違いなかろう。
    意を決し立ち上がると、兵法者が声をかけてきた。
    「これからどうするつもりじゃ。縁者はあるのか」
    「隣の村に姉ちゃんが嫁いでいるけど、行き来してはいない」
    「このまま、ここで暮らすつもりかな」
    「いや、旅に出ようと思っている。どこかで身を立てるつもりさ」
    「そうか」
    彼は、そういうと、睨みつけるように顔を見つめてきた。あたかも、立ち合いを挑むかのように。少年も、じっと目をそらさずに対する。
    「ともに来ぬか」
    「お前さまとかい」
    「そうだ。兵法も教えてやろうほどに、どうだ」
    その誘いにやや戸惑ったようだったが、やがて、真剣な顔つきとなる。
    「でも、おれは、お前さまのように諸国を巡って終わるのは御免だ」
    その正直な言葉に、苦笑いしながら、
    「なるほど。さてもわしとて、それなりの知る辺はある。いずれ、相応のところに奉公もさせてやろう」
    童はしばらく無言のまま考え込んでいたが、座を正すと、手を前に着いた。
    「では、お侍。いや、これからはお師匠さまでございますね。よろしくお頼み申します」
     いつの間にか、言葉つきまで変わっている。
    「よかろう。修業は厳しいかもしれぬぞ」
    「かまいませぬ。それでお師匠さまは、いったいどのようなご仁でござりましょう」
    「うむ、わしか、わしは…」
     
     
    「間もなく、ご登城の刻限でございますが」
    声をかけられ、ふと昔日の思いから、我に返る。
    「そうか。わかった。支度をせねばなるまいの」
    立ち上がると、庭の梅に再び目をやった。
     
    伴の者を連れ、城に向かう途中、前を行く藩士たちが、立ち止まり、会釈しつつ道を譲る。いつの間にか、ただ一人、二間ほど先を歩き、他の人間たちは、その後を一列になって付き従うという格好となっている。あたかも、後塵を浴びせかけては相済まないとでもいうかのようでもある。若くして藩の執政となり、二代にわたって仕えた主の信頼も厚い。そのような人物に対する当然の礼であるかもしれぬが、知らぬ者が見れば驕慢のそしりを受けぬものでもなかろう。だが、その佇まいを見れば、不思議とそうは思えぬ様子であるというのが、世人の評である。
    そうした世評を聞けば、苦笑せざるをえない。人は、えてして表にあるものしか見ぬものだ。だからこそ、形というものが時に肝要なものとなる。それを教えてくれたのもまた、かの師であった。

    「よいか、形もまた一大事よ」
    師は、剣の稽古の度に、そう諭すのが常であった。
    「わしも若い時分は、形などどうでもよい力任せだけだったがな」
    確かに、師の剣は、格別といっていいものかもしれぬ。
    師には、一つの流派を修業したというふしはない。おそらくは、自ら工夫を重ね、数多い立合いの中で、さらに、それを練り上げるという手だてによってその技を作ってきたのであろう。
    師にとって剣の技とは、ただ勝つためのもの。相手が一人ならその一人、十人ならその十人、目の前に立ちはだかる者を倒すことだけを目指して作り上げられたものだ。
    ただ、自らだけの技であった。
    それゆえに、その技を伝えようというような思いは、師の心の中になかったのではなかろうか。いや伝えようにも、その真髄は、あまりにも隔絶したものでありすぎた。だが、ある時から師の心の中に、その剣技を伝えていこうという思いが芽生えたのであろうか。そのために、一つの方便として形ということを言いだしたとも思える。そして、剣だけではなく、形というものは世過ぎにも通じるというのが、師の考えであったかもしれない。
    「兵法者にはそれらしき形がある。同じように商人には商人の、武家には武家の形がな」
    商人らしからぬ風体のものと商いをしようとは思わぬように、いかにも兵法者らしき人間にやみくもに勝負を仕掛けてくるものもなかろう。さすれば益のない役にもたたぬ勝負を事の前に避けることもできようではないか。
    藩の老職もまた、それに相応しい形というものがある。
    もとより、この藩とは縁も由緒もない身である。演じているというわけではないが、かくあれとの形を整えるべく自ら振る舞ってきた。
    それは島原一機の合戦でもそうであった。
    侍大将と惣軍奉行という役目を命じられ、兎も角も、それを形として万全に果たすことを心掛けた。そのことが、軍功抜群という評判を呼び、乱の平定後に加増という、ある意味で別の形がついてきたようにも思えた。
    この戦には、師もまた参陣した。自分の主君の甥の後見といった格である。
    だが、戦では、師にこれといった武功はなかった。しかし高名な兵法者が、その陣にいるというだけで、他の見る目は違う。やはり、それもある形であったといえようか。
     
    後のことである。風のうわさのように、参陣前の師の話が聞こえてきた。
    江都の遊郭である吉原に、以前から師はしばしば出入りしていたという。
    兵法一筋に世を送ってきた師には、妻と呼べる定まった女人はいなかった。師にとって「恋慕の情」や「思いよるこころ」は、兵法の道を極めるためには無用であったからだ。だが、女人とまったく縁がなかったというわけではない。
     
    吉原新町の河合権左衛門抱えの女である雲井は、局といわれる位の女郎であった。松の位とも太夫ともいわれる最上級、その下の格子に次ぐ、いわば下級の女郎である。
    太夫ともなれば、その美しさはもとより、歌道や茶道、芸能など諸芸に通じ、名妓というに相応しい趣がある。それだけに、ただ顔を見るだけ程度の遊びでも、その費えは並大抵ではない。畢竟、相手をする客も大名や大身の旗本といったところがほとんどである。しかも、太夫の気がそまねば、たとえ千金万金を積もうが、あっさり袖にされても、客に文句はいえない。妓楼の主も、松の位の言うことならば、と目をつぶる。
    だが雲井の格であれば、大抵の客ならば相手をせざるを得ない。ぽっと出の田舎親爺であろうが、小金持ちの商人であろうが、あるいは、何か胡散臭い男であろうが、それなりの金さえ持ってくれば、床を共にするしかない。これまでに、数えきれないほどの男たちの相手をしてきた。
    「一双玉手千人枕 半点朱唇万客嘗」
    この詩句は明代に編まれた詩作用の辞書『円機活法』の七言絶句に見えるものだ。
    前の二句は「二八佳人巧様粧 洞房夜夜換新郎」という。
    二八とは十六歳のこと。その若く美しい女が、さらに美しく化粧をしている。洞房とは寝所、転じて女郎の部屋をいう。その部屋に女は夜毎、新しい男を迎える。玉のような両腕は、千人の男の枕となり、唇にさした紅は万という客がなめとることになろう。
    ただ技巧だけの詩ではある。だが、そこには幾多の男たちと情を交わさざるを得ない女たちへの冷酷ともいえる思いがうかがえまいか。雲井も、この詩を知った時、わがことが詠まれているようで、無性に情けない気がしたものである。
    客の男たちの本音でもあろう。ここに来る男たちのすべてが、ここの女たちを、そうしたものとしか見てはいない。寝やでの睦言がいかに甘かろうと、そこに実やまことはかけらもない。だがそれは、客だけではあるまい。雲井とて、同じでことある。
     
    だが、その客は、どこかほかの男たちとは違っていた。幾たびか枕を交わし、馴染となったにも関わらず、たとえば、雲井が、この客にまこと惚れたとしても、その情をおそらく真底では寄せつけることはあるまい。情が薄いというわけではない。その情のありようが、常の男とまったく違うのである。
    「ぬしさまは、なにゆえに、こなたと馴染まれたのでござります」
    それでもある日、たまらず、そう尋ねたことがある。客は、しばらく黙然として顔を見つめていたが、
    「そちが、わしと似ているゆえかもしれぬ」
    そんな答えを返してきた。
    「なにが、でございます」
    雲井は首をかしげる。
    この客が高名な兵法者であることは承知している。京の名だたる道場の数十人の門人たちと一人で立ち合ったとか、西国一の腕前と噂のあった剣客を木刀の一撃で倒したといった話をも聞いたことがある。
    そんな兵法の達人と、自分のどこが似ているというのだろうか。怪訝な顔つきの雲井にこんなことを言い出した。
    自分は二十八、九までに諸国諸流の兵法者と六十余度立ち合ったが、一度も遅れをとったことはない。中には、名のある者もあったが、そのことごとくを討ち果たした。
    「だがな、それも兵法の道を極めたから勝ったのではない。もともと天から与えられたわしの力が強かっただけ、相手が弱かっただけかもしれん。そう思い、道を極めるべく朝夕鍛錬を続けたわ」
    男は、ふっと息をついだ。
    「二十年よ、二十年かかった」
    その眼が、何か思い返すかのように遠くを見つめる。
    「そして、もはや、わしに求めるべき道はない」
    男は、寂しげにも見える笑みを口の端に浮かべた。
    「雲井、そちにはわかるであろう。この思いが」
    この男は、いったいなにを見たのだろう。確かに、今の自分に求めるものなどはない。この苦界に身を沈めたのは、父と母、そして幼い弟のためであった。だが、時たたず、弟が病でこの世を去り、両親もまた相次いで身罷った。その報せを聞いた時、雲井は呆然とした。廓勤めの身では、その死も看取れなかった。悔しさ悲しさに、いっそ自分も命を絶とうとまで思いつめた。だが、それは結局できなかった。以来、ただ希みもないまま日々を送っている。幾人もの男たちと情を交わしても、ただそれだけのこと。
    「いえ、ぬしさまのお心など、思いもよりませぬ」
    雲井は、首を振る。男は、軽く頷いた。
    「まあよい。それよりも雲井、そなたに頼みがある」
    「なんでございましょうや」
    男は、間もなく、西国で起きた戦いに向かうという。その出陣の支度というのが男の頼みであった。 
    雲井は言われるがまま、男の指物のために縮緬で袋を縫い、裏に自らの紅鹿子の襦袢を縫いつけた黒繻子の陣羽織を誂えた。
    「ありがたい。もはや逢うこともなかろうが、達者で暮らせ」
    この武辺の出立を見ようと、かなりの人数が集まっている。その中には、弟子という二人の吉原の名主や柔術の手練れという名主などの姿もある。だが、大方の者は、珍しい見世物としか考えてはいないようだ。馬に跨り、肩をいからせたその恰好を指差して、こそこそとささやきながら、笑いあう姿もみられる。
    「あのお方は、何に向かっていらっしゃるのだろう」
    雲井は、その後ろ姿に、戦場に向かう雄々しさと異なる、言い知れぬ寂しさを見るような気がして、思わず目を伏せた。
     
    戦国の只中にあれば、師も一国の主の器であったやもしれぬ。だが、時世はすでに変わっていた。戦が終わり、武器を偃せた「元和偃武」から二十年余、太平の世を言祝ぎつつある中での島原の一揆ではあった。だが、それが再び大きな戦乱に結びつくものでないことを師とて承知のうえではなかったのか。
    師にも、亡き父と同じく、世に対しての言い知れぬ思いがあったことは確かであろう。だが、父がその自らの不運に、ただ手をこまねくにすぎなかったのに対し、師は、雄々しく挑み続けた。それゆえに、寛闊の世にあえて出陣の姿を敢えて見せつけたのであろう。その師の心に思いを致し、ため息がもれた。
    しかし、同時に、それをまた楽しまれていたのではなかろうかと忖度もする。そんな児戯めいたことをなす面も確かにあったからだ。
     
    あれは、確か、旅を続けて一年ほどのことであったろうか。
    遅い中食をとるため、頼み込んで百姓家の軒先を借り受けた。だが、その間、一匹のアブが師の周りを煩く飛び続ける。最初は手で追い払おうとしたが、一時は離れるものの、何が気に入ったのか、また近くに寄ってくる。幾度か、それを繰り返した後、師は無造作に手にしていた箸で、その迷惑者を挟んだのである。
    これには、眺めていた百姓の親爺が驚いた。その開いた口に放り込もうとするかのように、箸を持ったまま師が近づく。傍には、幼い孫息子が、天狗さまでも見るような目つきで立ちすくんでいる。
    「親爺どの。糸があれば頂戴できぬか」
    慌てたように親爺が家の中に飛び込み、糸を手に戻ってきた。その糸で命じられるまま、その小さな獲物の胴を結ぶ。びくともせぬが、潰れて死んだわけでもないようである。師は糸の反対の端を手にすると、箸を緩めた。すると、アブは再び宙に飛びたった。だが、糸で結ばれた身では、逃げることもできぬ。二寸ほどの小枝に糸を巻きつけ、師は、童を手招きする。
    「ボウズ、これをお前にやろう」
    その顔が輝く。その玩具を手にすると、駆け出していく。近所の遊び仲間にでも自慢するつもりであろう。
    「ありがとうございます。お礼と申しましても、ご覧のとおり貧しい暮らしでございまして」
    親爺が困ったようにいう。
    「いや、よいよい。じゃが、このままでは箸も使えぬ。洗うてもらえぬか」
    洗った箸とともに、頼みもせぬのに白湯と漬物が出てきた。
    「何もございませぬが、こんなものでよろしければ」
    「これは済まぬ。馳走になろう」
    百姓屋を後にして、間もなく、
    「いかがいたした。いいたきことがあるのか」
    水を向けられたことで、腹にあるものを吐き出した。
    先ほどの振る舞いは、何事でございましょう。かねてから、兵法は見世物ではない、との言に違いませぬか。
    その技の見事さに感嘆してはいたものの、そんなことを言い立てた。
    「その通りじゃ。見世物ではない。だがな、あの親爺の驚いた顔、見ものであったろうが」
    先ほどの親爺の顔を思い出し、つい吹き出してしまう。
    「左様ではございますが」
    「あの親爺の苦虫のような顔を見ていたら、ふと悪戯心がわいてな」
    そういうと、いつもは鬼神をも鬻ぐ眼光がゆるみ、腕白小僧のような目つきとなった。
     
    そんなことを思いだしながら、ふと微笑む。
    「太夫、いかがなされました」
    用人が怪訝な顔つきで尋ねる。
    「いや、何でもない。つい昔のことを考えていたのじゃ」
    「左様でございますか」
    「わしも年よのぉ。このところ昔のことばかり思い出しておるわ」
    師が鬼籍に入って、既に長い歳月が流れた。気が付けば、自らも、その享年を過ぎてしまっている。 
     
    「おい、お前。あの男をどう見る」
    師事するようになって間もないころのことである。夜もまだ明けぬうちに宿を発ち、出羽の国境を抜け、越後村上に入った時は、すでに日も高い。後ろから小走りに追い抜いていった者がいた。師は、その男が何者か、その存念を言えというのだ。
    自分には、近在の者にしか見えぬ。おそらくは百姓であろうか。そう告げると、師はからからと笑う。
    「それは、見えるものしか見ていない証じゃ。いや、見えるものすら見てはいないかもしれぬ」
    「どういうことでございましょう」
    「あの男、元々は侍であろう」
    師の言葉に首を傾げる。体つきもどちらかといえば弱々しい。武芸の心得があるようにも思えない。着衣も、その辺の百姓のものにしか見えない。師はどこから、あの男を元は侍だったなどというのだろうか。
    「左様でございましょうか」
    どうにも腑に落ちぬ。
    しばらく歩を進めていると、道沿いの茶店らしき葭簀張りのあばら家から先ほどの男が出てきた。主人らしき親爺と何か言葉を交わし、笑いながら去って行く。
    ふと思いついて、その主人のもとに駆け寄った。
    「ご亭主、お尋ねしたいのですが、よろしいかな」
    親爺は突然現れた奇妙な客に、少し驚いた風である。それも当然だろう。薄汚れた単衣を尻端折りにし荒縄の帯に短い木刀をぶち込んだ小童が、一人前の口を利いているのだ。どう応じてよいのか、その戸惑いがみえもする。
    「何かね」
    「先ほどご亭主が口をきかれていた御仁について、教えていただきたい」
    親爺は、ますます怪訝な顔つきとなった。
    「何故、そんなことを」
    そこで、師の言葉を伝えると、感心したように首を振る。
    「それは、お前さんのお師匠のいう通りだよ」
    先ほどの人物は、ついこの間まで、この地を治めていた主に仕えていた者であるという。今は、細々と田畑を耕して糊口を凌いでいるが、それも、ここ一月ほど前から、まだ野良仕事は素人同然であるとか、そんな余計なことまで口にする。。
    「じゃが、何故にお前さまのお師匠はそれがわかったのかな」
    その思いは、同じである。
    既に先に歩を進めていた師に、大慌てで追いつく。
    「おっしゃる通りでございました。しかし」
    「わしが、そう見たわけを知りたいのであろう」
    「左様です。いったいどこが、どう違ったのでございますか」
    「あの男の左肩が少し上がっていた。あれは長く帯刀していた者によく見られる。それに頭や手足がそれほど陽にやけてはいない。そこで少し前までは侍であろうと推し量ったまでよ」
    以後は、その師の教えに従って、見ることを心掛けた。不思議なことに、その身なりや立ち居、細かな部分にまで意を払うことで、しばしば、その前身が浮かぶが如き思いを味わうようになった。そのことを告げると、師は頷いた。
    「やはりな。おまえには常人とは違う勘働きがある」
     
    慶安のある年、自身が四十手前の頃である。城下で旅の行商人らしき男とその連れである二人とすれ違った。なぜか、一目見た刹那に胡乱なものを感じたのである。商人風を装っているが、どこか気に障るものがある。
    「あの者たちが、どこに逗留するか確かめて参れ」
    同道していた従僕に命じる。
    城下外れの宿に入ったことを聞くと、捕り手を配して向かうよう指図した。だが、一隊が着いた時には、何事かを察したのか、既に姿をくらましていた。
    後に、この男が、かの由比正雪であったとの噂が流れた。藩の人間たちは、「流石に太夫」と、その眼力に感嘆しきりである。だが、まこと、その者が天下の謀反人正雪であったかどうか、それは判然とはしない。あるいは盗賊であったかもしれぬ。並の人間ならば、まったく疑念を抱くことはなかったかもしれぬ。彼らの装いは、それほど板についていた。
    師の教えで、人を見ることを課してきたとはいえ、恐らく、それだけではその怪しさに気づくことはなかったであろう。
    だが、師ですら舌を巻いた勘の働き、それが、その余人ならばうかがえぬ不審な気配を察することがにつながったのかもしれない。
    その以前にもこんなことがあった。主の参勤に同道して、品川宿に入った時のことである。宿場で行き合う者たちをうかがっていると、得体のしれぬ思いにとらわれたのである。
    不穏の気とでもいうべきか、とんでもない事が起きるのではないかという不安が、心を苛む。
    「どうしたことか」
    心を静め、瞑目して念をこらす。すると、まざまざとある光景が頭の中に浮かんできた。
    呼び寄せた配下の者は、怪訝な面持ちながらも、命じられた通り、主君の寝所傍の殿居の者の数を増やし、本陣の主人に火伏のための用水桶を増やさせた。また、主人には、宿場の他の人間たちにも、とりわけ火の始末に心を配るよう伝えさせた。
    「でございますが、火につきましてはことのほか用心しております」
    そう答える主に
    「であろが、太夫は念には念を入れよと申されておる」
    その夜のことである。 
    宿場外れから上がった火が折からの風にあおられて、本陣近くまで延びてきた。だが、本陣だけでなく、他の宿の備えもあり、火消しは、迅速に行われてそれほどの大事には至らなかった。
     
    「それにしても、太夫はなぜお分かりになったのでござりますか」
    「そうよの。気の流れとでもいうのか。宿場を出入りするものたちからそれが伝わってきたのじゃ」
    と、でもしか言いようがない。彼にもまた、自らのその力の所以がわからぬためでもある。物心ついた頃から、彼には、時折、先のことがふと見えるようなことがあった。
    それは、大事というようなものではなく、せいぜい空模様が知れる程度ではあった。その勘に従って、雲一つない晴天の中で、菅笠を被り、蓑をつけて泥鰌取りをする姿に、最初は笑っていた村人たちも、彼がその恰好をしていると、必ず雨になるところから、いつか、「雨小僧が出とるで」と、あてにするようになったから面白いものだ。
    その力が、師との旅の間に、さらに強く確かなものになっていったのは、やはり師の感化によるものでもあろう。
     
    「よいか。物の見方には二つある。一つは観。今一つが見だ」
    「いかなることにございましょうや」
    師は、腰の脇差を抜くと、いきなり目の前に突き付けた。驚いて身を仰け反らせる。
    「肝をつぶしたか」
    そういうと、大きな笑い声を立てる。
    「お弄りなさるのでございますか」
    むっとして、語気も鋭くなる。すると、師は、
    「そうではない。ではこれならばどうじゃ」
    刃を納め、鞘ごと、再び突き出す。
    「なにほどのこともあるまい」
    訳も分からず、とにかくは頷いた。
    「同じ脇差であろうに、何が違う」
    抜き身であれば、相手が誰であろうと、傷を負わぬとも限らない。驚いて、それを避けようとするのは当然だろう。だが、鞘に入っていれば、とりあえずは、その心配もない。
    そんなことを申し述べると、師は、微笑みを浮かべた。
    「なるほど。お前の申すことには、筋が通っておるようにも思える」
    「左様でございましょう」
    「だが、その筋は、もののふのものではない」
    師は、そう断じると、
    「先ほどの橋を覚えておるか」
    と尋ねる。
    二間ほどの幅の小川に渡されていた橋のことであろう。
    「どう思った」
    「どう、でございますか」
    その言葉に首をひねる。村人たちが急ごしらえで誂えたものであろう。橋桁も何もない。二本の丸太に板を並べただけの、わずか二尺ほどの幅の橋であった。
    「どこといって、まずは、当たり前のものと存じましたが」
    何か変わったものではない。あの程の橋であれば、自分の生まれた村にもあった。
    「そうよな、だが、あのように狭い橋。もし足を踏み外せばと、恐ろしゅうはなかったか」
    「いえ、一尺足らずの高さ、落ちても何ほどのことがございましょう」
    またからかわれているのかと、口をとがらせる。
    「では、あの橋が千尋の谷の上に渡されていたらばどうじゃ」
    そうであれば、事は違う。落ちれば命はなかろう。足が竦み、渡ることなどできぬかもしれない。
    その答えに、師は頷いた。
    「そこにこそ見切りの極意がある」
    「見切り、でございますか」 
    抜き身であれ、鞘の中であれ、剣は同じもの。それが違うものに見えるのは、心でそれを見ぬためだ。心で見ることを「観」という。
    「観」によれば、浅瀬にかけられた狭い橋も、千尋の谷にかかる橋も、同じ橋。だが、それを違うと思い、渡ることを躊躇させるのは、「見」のみに執着しているからだ。
    「恐ろしい、という思いを払うのも、観じゃ。」
    「見」「観」二つの目を養うことも修業と、諄々と諭す師に、これまでとは違う思いを抱かされた。
    「いかがなさいました」
    「流石じゃな。やはり勘づいたか。だが、わしの申す観の修業を心掛ければ、お前のその勘も、より確かなものになることじゃろうて」
    それは、そろそろ播州・明石領に入ろうかというほどのことである。
    「あれから二年になろうかの」
    「はい」
    あの日、師とともに旅に出ることを決して、瞬く間に時が過ぎた。
    「ぼちぼち、お前の身の振り方を思案すべき時かな」
    「いえ、まだ早くはございませんか」
    「もう、旅にも飽きたであろう」
    「そんなことはありませぬ。わたくしはまだまだ修業が足りませぬ」
    まことは違う。このお方と、まだまだ共にいたい。このお方の奥にある名状しがたい、あるものをもっと知りたい。そんな思いがあるからだ。
    「そうよの、剣についてはそうかもしれぬ。だが、お前にはそれは、さして用のないものかもしれぬ」
    「なにゆえでございましょう」
    「お前には、わしと違う才がある。人心を読み取り、それを活かすという才がな」
     
    築城されてまだ数歳の新しい居所同様、その主もまた若々しい武将であった。
    「久しくご無礼を致しておりました」
    正面に坐した師は、一礼し、久闊を叙す。
    「いや、御身もつつがなき様子よ。ところでどうかな城下は」
    「は、よく治まっておるようにうかがいます」
    「そうか。それも御身が町割りにあれこれと知恵を出してくれたおかげ」
    その言葉に、驚く。師は、この城下の町割りにも関わっていたのだろうか。
    「いえ、長い旅暮らしの賜物でございましょう。あちこちの城下の様を見ておりましたゆえ、少しばかりの存念をあの時、申し上げただけでございます」
    若い領主は笑みを浮かべ、頷く。
    「ところで、その連れの者は」
    「はい。わたくしの遠縁の者にて、今はわたくしの一子でございますれば」
     
    それは、城に入る前日であった。
    「形じゃ。何か事をなすには、それなりの法と形がある」
    それが、養子という思いもかけぬ話であった。流石に、驚いた。
    「嫌か。前の名や家を捨てることになるわけじゃしな」
    何も言えぬまま、頭を振る。胸に熱いものが込み上げてきた。振り絞るように声を出した。
    「いえ、いえ。嬉しいのでございます」
     
    時日は矢のように流れる。新たな主のもとで、ともかくは一応の落ち着きを覚え始めたころであった。
    「もうよかろう。後は、お前の腕と知恵で処すればよい」
    「父上、どうなさるのでございますか」
    「わからぬ。だが、このまま子の世話になるわけにもいかんわ」
    「そのようなこと」
    「いや、まだ、わしはなすべきことをなしてはいないような気がしてならんのよ」
    「また、お目にかかれるでございましょうか」
    「恐らくな。いずれ様子を見にもどろうよ」
    「是非に。では領国境までご一緒させてくださりませ」
    「よい。見送りは無用」
     
    最後に会ったのは、肥後熊本であった。細川忠利公の招きに応じ、客分として、長い旅の終わりをその地で迎えることを父が決した後のことである。
     
    父亡き後、弟子と名乗る武士が訪れた。その残した書物や武具を渡すということであった。
    「お志はまことに忝い。ですが、父の兵法を受け継ぐべきは、あなた方こそ相応しい」
    そう告げた。
    父の術は、思えば、父だけのものである。弟子たちすら、その神髄を我が物としているとはいえまい。だが、自分は、それとは、まったく違うものを父から受け継いでいる。それこそが、父が後世に残したく思いなしていたものではないのか。
     
    父は、かく遺言したという。
    「われ君候二代に仕え、その恩寵を蒙ることすこぶる深し。願わくば、死せむのちも、大守が江戸表参勤の筋には、御行列を地下にして拝し、御武運を護らんと思うなれ。その故に、わが遺骸は街道の往還に向かって葬るべし」
    その言葉通り、江戸参勤の往還に面した場所に葬られた。しかも、甲冑具足をまとった姿で。父は、武人として生き、武人として終わることを希んでいたのであろう。
    元吉原からの出で立ちも、死してなおの甲冑姿も、その生き様に筋を通すためではなかったのだろうか。
     
    一日、城の東一里ほどの手向山に、久しぶりに足を運んだ。四十丈足らずの小山ではあるが、その頂からは関門の大瀬戸が一望できる。あの島もまた眼下にある。
    そこは師が、岩流と名乗る兵法者と雌雄を決した島である。自らが師と出会う遙か以前の事であり、無論、その立合を見てもいなければ、詳らかに聞いた覚えもない。だが、その立合が、京師での吉岡一門との死闘と並ぶ、畢生のものであったことに間違いはない。今、その生死を賭けた戦いの場をゆかりとするこの地に自らがあるのも奇縁というべきかもしれぬ。その思いが、師の没後、十歳を経てここに一つの形となった。師の事績を記した一基の石碑がそこにある。
    それを眺めながら、胸裏に去来するのは、あの旅の日々であった。
    「楽しゅうございました。あの時があればこそ、わたくしの今日があるのでござりましょう」
    師父が遺した「天仰実相円満兵法逝去不絶」の偈のもとに、千余文字をもって、碑文とした。
    天を仰げば、世の理は欠けたるものなどない。兵法は逝き去れども、絶えず。
    「兵法とは、武士つまり人の生き様にほかならぬ。いかに生きるか、それこそが古今不絶の兵法ではないのか」
    世の移り変わりを見る時、恐らくは、剣そのもので身を立てることは、ますます難しく、兵法そのものの扱いも変わっていくことになるであろう。だが、父の生き様はなお後人の心をとらえ続けるに違いない。その人としての生き様こそが、父の兵法の神髄ではなかったのか。
    それゆえに、「兵法天下無双」と題し、その下に、かの懐かしき人の名を記した。
    「新免武蔵玄信」と。
    世に、宮本武蔵と呼ばれた不世出の剣の達人である。
    その一子、宮本伊織貞次は、十五歳で播州明石藩の小笠原忠真の近習として出仕し、若干二十歳で執政となる。忠真が豊前小倉藩に移封された後は筆頭家老として、二代の藩主に仕えた。延宝六年を一期とし、幽明境を異にする。享年六十五。
    それは父である武蔵の死から三十五年後のことである。           了   
                                   了
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    台高尾の恋(せんだいたかおのこい)
     
     
    ジャランラン、ジャランラン。
    「おふれ」とよばれる鈴の音が響く。
    それに続いて、あちこちで三味線が景気よくかき鳴らされ始めた。合間に「白き馬にめしたるとのご」などといった小唄も混じる。清掻といわれる単調な繰り返しのその囃子は、だが何かを急きたてるような趣もある。それは、吉原の女たちが張見世とよばれる店先に出る合図であり、絢爛たる色街の長い夜の始まりを告げるものでもあった。
    女たちは、妓楼の通りに面した大座敷に腰を下ろし、格子越しに、その姿を覗き込みに寄ってくる漂客たちに媚を含んだ眼差しで、嫣然と誘いをかける。
    白粉で化け装い、目くらましに櫛笄を輝かせ、金糸銀糸の打掛で着飾った女たちが、嫣然たる笑みを浮かべながら、男たちの気をひく。妓夫と呼ばれる妓楼の男衆が、客の傍に愛想笑いを浮かべつつ近づいていく。
    時は春弥生、雪洞に映えた満開の桜の花が廓を飾る。この桜は朔日の朝早く植木職が総出で木を植えたものだ。四月には全てが抜かれ運び出される。根付かぬ桜はいっときの彩りのため。ここに暮らす妓たちと似ているともいえようか。
    三味の音が、男たちの欲望をさらに掻きたてるかのように一段と勢いを増した。廓中に音が流れる。
    それを聞こえぬとでもいいたげに、一人の若く美しい遊女が妓楼二階の奥座敷の中ほどに座り、そばの脇息にもたれかかりながら、物憂げな様子で思いにふけっている。
    「はて、どこかお加減でも」
    座敷の隅で片づけをしていた年増女が小さな声で問いかける。
    「いえ…」
    源氏名を高尾というこの遊女は、京町一丁目の三浦屋四郎左衛門に抱えられていた。だが、並みの女郎ではない。廓では松の位とも太夫とも呼ばれる最上格の女郎であった。吉原には、もっとも格下の端女郎、その上に局女郎、さらに格子女郎といわれる妓たちがいた。普段の客を相手にするのは、そうした遊女たちである。だが太夫となれば、その客も格違いであった。分限の商人や高禄の旗本、時には国持の大名が相手となる。それだけに太夫に求められるのは容姿の美しさだけではない。歌や書などの諸芸の才もまたそうであった。
    高尾と同じく太夫職を張る京町二丁目の山本芳順抱えの勝山などは、歌の道の上手との評判も高く、また書もよくした。だが、勝山の名は何よりも、その装いの傾きぐあいや気風とともに語られることが多かった。
    勝山はもともとの吉原育ちではない。以前は神田雉子町の岡場所の女であった。岡目八目や岡惚れというごとく、本道でなく傍流、公ではなく私という意を示す冠がついていることからも知れるように、お上の許しもなく女を抱えて客の相手をさせていたのが岡場所である。勝山は、紀国風呂という名の風呂屋で一番の売れっ妓であった。さらに、当時流行った小唄である丹前節の名手でもあり、丹前勝山ともいわれ、その芸達者ぶりが評判に拍車をかけた。
    この丹前節とは、紀国風呂を始めとする同業たちが、堀丹後守屋敷の門前近く、つまり「丹後殿前」にあったことで、この類の店を丹前風呂といい、そこで生まれた節回しということから、名がついたものだ。
    丹前節を口ずさみつつ、絹の裏付袴に玉ぶちの編み笠、腰には木太刀の大小を手挟んで、大道を闊歩する勝山の姿は、凛々しく美男の若侍を思わせるようで、素人女たちでさえ見惚れるほどであったという。特に、髪を片曲りの伊達にして白い元結できりりとしぼった髷は勝山風といわれて、町娘たちも競って真似をしたほどに流行った。
    ところが、ある時この風呂屋で、旗本と町人が入り混じっての大喧嘩があり、その不始末を問われて店は取り潰しの沙汰をうけた。このため、勝山を始めとする女たちは吉原に移ることになる。それも奴奉公という最も下の女郎としての勤めである。だが勝山は、もとより役者が違う。あれよあれよという間に吉原でも五指に入る名妓となった。
    高尾が、その勝山を初めて見たのは、道中でのその姿だった。高尾も同じだが、太夫ともなると、下位の女郎とは違って、妓楼では客の相手はしない。太夫相手の客は、吉原に入ると遊びのための店である揚屋に上がる。すると揚屋の亭主は、客が名指しした妓を抱える妓楼に差し紙を出し、「客は身元確かな御仁」と請け合い、太夫を呼び出すという寸法である。そこで、太夫は妓楼から待合の場である揚屋に向かう。そのさまを道中といった。
    一人前の妓になる前の禿という小女を従え、引手といわれる男衆の肩に手を置き、傘を差し掛ける妓夫や取り巻き女郎に太鼓持ちの男芸者など、多勢を引き連れて、廓の真ん中である仲の町の通りをゆっくりと進む、それが大名などの行列を思わせるとして道中の名がついたという。
    「兵さん、兵助さん」
    「これは、西田屋の旦那、旦那もご見物で」
    「ああ、何と言っても、勝山太夫の初めての道中だからな」
    「左様でございますよ。ですから、この人出でございます」
    「確かに、吉原五町あげての、という格好だな」
    勝山の道中には、京町一、二丁目、江戸町一、二丁目、角町の五町の女も男もこぞって見物に群がり、通りの両側を埋め尽くしている。
    「だが、これじゃ、とても見物できそうにもねぇかな」
    旦那と呼ばれた四十がらみの恰幅のいい男が溜息をつく。西田屋は、吉原遊郭の開祖ともいえる庄司甚右衛門ゆかりの妓楼である。甚右衛門は同業の輩をまとめ、お上に願い出て吉原を開いた。その功で、庄司家は代々、吉原の名主を勤めている。
    「この兵助におまかせくださいやし」
    胸を叩くと、目の前の群集をかき分け始める。
    「ごめんよ。西田屋の旦那だ。あけてくれ」
    おかげで、前に出ることができた。すると隣の女がその顔を見て、無言のまま会釈する。
    「おや高尾太夫か。三浦屋さんは一緒かな」
    高尾は首を振った。本来なら見物など思ってもいなかったのである。だが、三浦屋の主人から、抜けられぬ用があるのでぜひ道中の様子を見てくるようにと命じられたからだ。もとより気のすすむ見物ではない。高尾は少しうつむいた。その時、大きな歓声が上がった。勝山が妓楼から出てきたようだ。そこから、廓の玄関口、大門の傍にある多右衛門の揚屋に向かう。いよいよ道中の行列が近づいてきた。
    「さても、お手並み拝見というところか」
    西田屋の言葉に顔を上げると、勝山の姿が見えた。
    高尾は何よりも、その足運びに目をひかれた。道中での歩き方には、決まりがある。それは八文字といわれ、足の置き方が「八」の字に見えるということで言われるようになった。京・島原遊郭でのならいを吉原に持ち込んだもので、内側に踏み込む足運びが何とも優雅なもので、高尾もその足運びである。だが、勝山は、それを外に踏み込む形に変えている。優雅であるが同時に活発な趣もある。いっとき男装で風靡した勝山らしい工夫といえばいえようか。京以来の運びを内八文字というなら、これは外八文字ともいうべきものか。他の見物たちも、その新たな八文字に心を奪われたようだ。
    勝山は真直ぐに前を見つめ、あたりに人無きが如く堂々と歩を進める。そのたたずまいは、もはや吉原に並びなき太夫といわんばかりである。
    「いやはや、こいつは見事なもんだ」
    西田屋はそう言うと、はっとしたように付け加えた。
    「とはいっても、日の本に隠れもないのは吉原生粋の高尾太夫こそ」
    高尾は、その御愛想に軽い微笑みで返すと、人ごみを後にした。
     
    「太夫、ところで勝山さんの一件、ご存じで」
    勝山の初道中からしばらくしてからのことだ。年増の遣手が話しかけてきた。遣手とは年季のあけた女郎が廓に残り、あれこれとした差配をしている女のことだ。時には、色事の手練手管なども口を出す。そして、吉原に長く巣食うだけに、さまざまな裏話に通じてもいる。
    高尾が怪訝な顔をすると、得たりや応とばかりに喋り始めた。
    勝山と馴染との間でひと悶着があり、楼主の芳順が頭を抱えているという。勝山がへそを曲げ、客の呼び出しに何やかやと口説して首を縦に振らないとの話だった。訳はしかとはわからぬが、芳順の相談に他の楼の亭主たちも向後の仕法を立てているとかなんとか。そんなことを遣手女はまくしたてるとにやりとなにやら妙な笑いを浮かべた。
    それから二日ほどして、四郎左衛門が高尾の座敷にやってきた。
    「実は、太夫、一つ頼みごとがあるんだがね」
    「はい」
    だが、高尾には、その頼みが何であるかの見当はあらかたついていた。恐らくは、勝山の一件だろう。そして、それは間違いなかった。四郎左衛門は、事の次第をさまざまに語ったが、肝心の悶着のわけについては、口を濁す。だが、それは高尾にはどうでもよかつた。もとより心は決まっていたからである。
    「そうかい、そうかい。承知してくれるか。太夫、助かったよ」
    四郎左衛門は、ほっとしたようだ。形の上では、別の妓が袖にした客を回されるなど、端女郎あたりならいざ知らず、太夫が納得するとは、とても考えられなかったからだ。だが、廓にはどうしてもそうせねばならぬ裏があった。この客に、ともかく廓から抜けられぬほどの遊びを味あわせよ、とある筋から内々の下知があったのだ。高尾はもちろん、そのようなことは知りもしない。引き受けたのは、一つは勝山に対しての競争心めいた情。自分ならどうあしらうか見せてやりたいという気持ちである。だが、もう一つ、そちらの方が大きいかもしれない。それはよくわからぬ予感めいた、何かが変わるかもしれないという思いのためであった。
     
    みちのくの太守との話である。廓の建前とすれば、客の素性などの詮索は無粋である。だが、実際そんなものは隠し事でもなんでもない。
    「どうした。おれが顔に何かついてもいるか」
    高尾は無言で首を振る。馴染になってから、もう幾度か逢瀬を重ねている。そのくせ、いつも初めての時と同じ思いにとらわれるのだ。このお方をすでに知っている。何度も何度も出逢っている。そして、これからも出会い続ける。それは前世、現世、来世の三世にわたる定め。そのお顔を見れば胸の奥が苦しくなる。多くの男と枕を交わしてきた身が、乙女のように震える。
     
     君は今駒形あたり時鳥
     
    後朝の別れを惜しむ想い。廓から大川を舟でお帰りになる時さえいとおしい。情の赴くまま詠んだ句は、あのお方の心にどう伝わっただろうか。高尾は、これまでとは、まったく違う自らのありさまに戸惑うばかりであった。
    「どうだ、太夫、ともに陸奥に行かぬか」
    それが叶うならば、ほかに望みなどない。今のこのお方ならば、身請けなど容易いことであろう。高尾が首を縦に振れば、千金、万金と積み上げて、この身を廓から請け出してくださることであろうはず。話はあっという間に方がつくに違いない。だが、高尾にはすぐに返事ができない。出逢いの後の間もない頃から、常に言い知れぬ不安に怯えているからだ。何か避けられない恐ろしいことが起きるのではないかと。胸をふさぐ思いに、言葉が出てこない。
    「海も山も美しいところぞ。おまえに見せてやりたいのだ」
    その言葉に高尾はみちのくの景色を心に描く。歌に詠まれ、本に描かれた世界しか知らぬ自らにとって、その誘いはいかに胸弾むものだろうか。
    どこか行きたいところがあるかと尋ねられて、高尾はある場所を口にした。
    「松島瑞巌寺」
    その返答に、相手はやや訝しげな顔つきとなる。高尾は、既にこの話を承知しているかもしれぬ釈迦に説法と思いつつも、少し恥ずかしげに、そのわけを語り始めた。それは、ずっと昔に聞いた、ある言い伝えである。
     常陸国真壁に、平四郎という男がいた。真壁の領主に仕えていたが、ある寒い日のことである。平四郎は主人のため下駄を懐に入れて暖めた。だが、主人は平四郎が下駄の上に座っていたと邪推し、下駄で平四郎を打つ。平四郎は、自らの頭の血で染められた下駄を手に出奔する。人に軽んじられないためにと出家を決意し、後に海を渡り唐山で修行を続け悟りを得る。法心と名乗り奥州松島の海辺の洞窟で座禅を続けていた。その時、回国中の鎌倉執権北条時頼に見いだされ、瑞巌寺の中興の祖となる。時が過ぎ、真壁に戻った法心は高名な僧として、領主に招かれる。そこで、錦の袋から下駄を取り出し、かつて仕えていた平四郎であると告げる。そして、あの出来事があればこそ、悟りを得られた。さもなければ、従僕の平四郎のままであったであろうとして一詩を贈った、という。
    「なるほど、元是真壁平四郎、か」
     高尾は頷いた。やはりご承知であったかと思う。自分がこの話を知った時に思ったのは、一つの出会いが、それまでの全てを変えてしまうことがあるということだ。「もとこれ真壁の平四郎」と言わしめたのは、一つの出会いがあったからのこと。自らにも、一身を変えてしまうような出会いがあるのだろうか、そう考え続けてきた。廓の中の籠の鳥が、大空に飛び立つようなこともあるのか。あるいは、その出会いで命を落とすことも、しかし、ありえるかもしれない。それでもよい。今こそ長く抱き続けた思いが形となり、その出会いの時が訪れたのだから。
    「おまえと出会えたことで、わしもまた変わることができるかな」
    兄の死などによって、大藩を率いることになった。突然担うことになった重責に押しつぶされる思いもあった。偉大な祖父の名を汚してはならない。その一念が事をなすのに急きすぎたやもしれぬ。それが、藩内でおかしな動きを生んだもとかもしれぬ。だが、しばらくは少し様子を見てからでもよかろう。ともかく、今はこの時が愛おしい。
    「わしとても籠の鳥かもしれぬ。いつかともに飛び回れればよいがな」
    その胸に、高尾は顔を埋めた。心に広がる黒い影を振り払うかのように、強く、強く。
     
    だが、それから間もなく、案じていたことが大きな禍となって降りかかってきた。
    鬱陶しい梅雨も過ぎ、七月に入ると吉原の揚屋、妓楼の軒には切子灯篭が出される。一日から十三日までは揃いの灯篭、それ以降晦日までは、店それぞれが工夫した灯篭が飾られる。
    その月も半ばのことだ。仙台藩主の松平陸奥守伊達綱宗公に対して、不行跡という咎めで隠居の沙汰が下される。表向きは、酒色に溺れて政事を疎かにしたというものであった。
    仙台藩は公儀から小石川堀の普請を命じられていた。世にいう天下普請である。綱宗公はその検分にかこつけて廓に出入りし、遊興を重ね続け、叔父にあたる伊達宗勝一関藩主ら親族の諌言にも耳を貸さない。いっかな身持ちは収まらぬという具合。いつしか、それが公儀にも聞こえ、隠居という仕儀となった、というわけだ。
    家督は嫡子が継ぐことが許された。だが、新たな藩主はたった二歳。一関藩主が後見をするという形となった。そして綱宗公は品川の藩下屋敷でほとんど蟄居という格好に置かれた。さらに、藩主交代からわずかの間に公の側近たちが上意の名のもとに斬殺される。
     
    「ともかくは、この一件も落着ということか」
    「左様でございます」
    「かの御仁についても、京とのゆかりがなければ、ここまでなすこともなかったのだが」
    「綱宗様と帝は御従兄弟の間柄でありましたな」
    「そうよ。元和偃武から時が過ぎたとはいえ、何が起きるやしれぬ。万が一の種をのぞけるものならこしたことはなかろう」
    「時の帝に近い筋が目の上にあるとなれば、ご配慮なさるはしかるべしかと存じます」
    「廓の連中が、こちらの思いのままに立ち働きしことが一番よの」
    「御威光のたまものでございましょう。それに、廓とてそれなりの身入りもあったことでざいますし、何よりも向後への思惑もございましょう。」
    「宗勝殿もともかく、かねてからの思いが叶うたことで北叟笑まれておろうよ」
    「ですが、後見というお立場、幼君ご成人の際にはいかなることになりましょうか」
    「そうよの、また、なにやら事が起きるかもしれんて」
    「さすれば、いかがなさるおつもりで」
    「その折には、その折のこと。ただ、このたびの如くすげ替えですめばそれでよし。さもなければ」
    「改易でございますか」
    「大藩ゆえ、そうなりました、では只ですむとは思えぬが」
    「却って不穏なことにもなりかねませんな」
    「まあよい。それはそれ。しばらくはこのままで様子をみることにするがよかろう」
     
    愛しい人に降りかかった禍を高尾はまだ知らぬ。ただ、あれ以来その姿のみえぬことが心を痛めつける。
    八月となった。その一日は「八朔」といわれる。
    田舎では、古くから、この年の初穂を世話になった人間に贈る風習があった。
    稲は「田の実」ということで「頼み、頼む」とかけ、武家や公家の間でも世話になった人間や恩人に贈り物をするようになったともいわれている。
    この日は江戸城でも「八朔」の儀式が行われ、登城する武士たちは、白帷子に長袴姿で将軍に拝謁した。
    東照神君様が、この日江戸に入ったことを祝ってのものである。
    吉原でも、これにならったのであろうか。白い袷を着て、客の相手をすることがならいになっていた。
    高尾もまた白い袷をまとい、訪れぬ人をただ待ち続けている。だが、この日もその願いはかなわない。さすがに、三浦屋もこのままでは埒があかないと考えたのだろう。ともかく何とか高尾を納得させるしかないと意を決したようだ。
    「太夫、ちょいと伝えておきたいことがあって。聞いておくれでないかい」
    四郎左衛門は、件の客について、お家に騒動があり、そのため廓へのお出入りが難しくなった。だが、時がくれば、また顔をお見せになることもあろうなどと、さまざまになだめすかした。
    高尾はただ無言のまま俯いている。何があのお方の身に起きたのか詳しいことはわからない。尋ねたところで四郎左衛門が答えることはなかろう。ただ、お命に関わることではなさそうだ。それだけが、高尾には救いであった。
    「そんなことさ。太夫の思いも分からぬわけでもない。だが、ここは廓だからね」
    来もしない客をいつまでも待つのは許されることではない、ということだ。
    「しばらくはいいが、次の紋日ぐらいからは、勤めのほうも頼むよ」
    紋日とは、朔日、十五日、晦日のほか五節句などの日のことだ。「物日」が転訛した言葉ともいう。また、小袖の紋が五ヶ所にあることから、五節句を「紋日」というようになり、それが祝日も指すようになったというものもいる。正月二日の「初買い」に始まり、毎月のようにある紋日、次は十五夜である。
     
    「高尾太夫と月見の宴とは。わしもそれなりの客だと思うてよいということかな」
    鼻をうごめかすのは、日本橋の大店の主である。今を時めく高尾太夫の名指しで十五夜の客となったというのが、どうにも自慢でならぬようだ。もちろん、高尾の合い知らぬ話である。三浦屋の方でお膳立てしたに過ぎない。
    「いやはや、太夫が心は、前から旦那様に、というわけでございましょう」
    太鼓持ちが持ち上げる。三浦屋からは、ともかく上手く取り持ってくれと厳命されている。というのも、高尾の様子が以前とは全く違うからである。もともと、廓の女としては優しすぎるほどのおとなしい気性であり、口数も少なかった。だが、今ではほとんど話もせず、時には心ここにあらずといった風であった。
    「旦那、こうなれば十三夜もおねがいしますぜ。縁起ものでございますから。むろん、やつがれもお呼びくださいませ」
    八月十五夜の月を見たならば、翌九月の十三夜もともに月を見なければ縁起が悪いという。客をつなぐための廓の方便であろうが、どちらかだけでは片見月といって女郎たちも忌み嫌う。それだけに、客もそこが男気の見せどころというわけで、いつもよりは割高の勘定もものかわ、いそいそと出かけてくるという寸法だ。
    揚屋の大座敷では、芸者をあげての騒ぎの最中である。客は芸者に酌をさせ、山海の佳肴にご満悦の恰好だ。太鼓持ちが尻っ端折りで滑稽な踊りを披露する。その賑やかな景色の中で、ただ一人浮かぬ風なのが高尾である。そして、突然に三味線の糸が切れ、景気の良いお囃子が乱れた。それとともに高尾の心の糸も切れたのかもしれない。
    振り絞るような叫び声が上がる。場にいた面々が凍りついたように動きを止め、その声の方を見る。
    「太夫、太夫。どうなさいました」
    いきなり立ち上がった高尾。その身体が、脆くもくずおれる。慌ててその周りに人が集まった。
    高尾が気を取り戻したのは二日ほど後のことだ。だが、とてもだが勤めに出ることはできそうにもない。妓楼の片隅にある離れで、しばらく様子をみようということとなった。
    十月に入ると、妓楼では、最初の亥の日に大火鉢を出す。廓に冬の訪れを告げるしるしである。
    「三浦屋さん。いよいよ寒くなりますな」
    「こりゃ、西田屋さん」
    寄合後に慌てて帰ろうとする三浦屋を西田屋が引き止める。
    「太夫の具合はいかがで」
    「いや、それがどうにも」
    身体というよりは心から来る病ではないのかと四郎左衛門はいう。どんな医者も薬も効はない。食も細くなった。というよりは、ほとんど口にしないといってもよかろう。まるで自らの命を自ら縮めようとしているかのようだ。
    「まさか、このような仕儀になろうとは。三浦屋さんにはとんだご迷惑をおかけ申した」
    「いや、こちらも納得ずくのこと。それにしても、あの一件にうちの高尾を塩梅されたのは、いったいどんなわけありで」
    「特段どうとは…。ですがともあれご勘弁を。この埋め合わせは必ずさせてもらいますよ、三浦屋さん」
    あの日、勝山の道中を見ていた高尾の横顔。それに西田屋こと庄司甚之丞が抱いたのは名状しがたい思いだった。この女しかいない。件の客の敵娼には高尾太夫をおいてほかにない。それは以前より決められていたことであり、動かしがたい定めのように感じられた。その時の勘働きが果たして吉凶いずれに転んだのか、甚之丞はゆっくりと首を横に振った。
     
    高尾の具合はいっかな快方へとは向かわぬままである。
    それでも、相も変らぬ廓の日常は続いていた。
    十一月には、火伏せのため、仲の町の突き当たり水道尻にある秋葉権現の祭礼も行われた。銅で作られた灯篭の秋葉常明灯に祭られた権現は火防ぎの神であり、ここの火が消えると、廓に火事があると信じられていた。廓にとって火事は大敵。元吉原から新吉原に移されたのも、もとはと言えば、明暦のあの大火があったからだ。
    廓は二万坪を越える矩形の土地である。その周りを、忍び返しが植えられた黒板塀が取り囲む。塀の外にはお歯黒ドブといわれる幅二間あまりの堀がめぐらされていた。外界と隔絶された文字通りの別世界である。ここに出入りするには、大門と呼ばれる一所しかない。廓内で火が出れば、逃げるにしても思うにまかせないということとなる。それだけに、失火は命にかかわる大事だ。
     
    「みどり、火の始末だけはくれぐれもな」
    妓夫に声をかけられた下働きの小女が、振り向いた。まだ幼さの残る顔立ちだが、双葉より芳しといえる目鼻立ちである。
    「大丈夫よ、兄さん」
    そう答えながら小走りに離れ屋に向かう。つい半月前に三浦屋で奉公を始めてすぐから高尾太夫の身の回りの世話を続けている。
    「太夫、すみません。洗い物に手間がかかったもので」
    だが、それに高尾の返事はない。このところ、夢かうつつかわからないふうで、時折、床の上に身体を起こすこともあるが、ほとんど口を開かない。まるで、言葉を忘れたかのようだ。
    みどりは、高尾太夫の全盛を知らない。だが他人の噂でさまざまなことを耳にした。心ないことを口にする輩もいる。腹が立ってしかたがない。だが、言葉を返すこともできぬ。相模の片田舎から出てきたばかりの小娘に何が言えよう。ただ、太夫のために精一杯尽くすしかない。そう思っている。
    病の床にあるとはいえ、不思議なことに太夫の容色に衰えはみえない。紅白粉で粧さずとも何とも美しい。時折様子をみて、みどりは太夫の身体を拭き髪を梳った。そんな際には気分もよいのか、太夫から話しかけてくれることがあった。
    その中で、これからのみどりの身の振り方を尋ねられたことがある。
    「あたい、太夫さんみたくなりたいんです」
    すると、高尾は薄く微笑んだ。自分のようになることがいいとは思わない。だが、この娘が望むのなら、それはそれでよかろう。みどりに言って壁ぎわの棚から手文庫を持ってこさせる。開けるように促す。
    「これ、本ですよね。えっと、古今、新古今。ほかにもある」
    村では貧しい暮らしだったが、寺の住職から字を教わり、本を読むことが好きだったみどりにとっても、初めて見るものだった。これをどうするのか。首を捻る。
    「歌の本でございますか。えっ、お前のもの、って。どういうことでございます」
    くれるという高尾の言葉にみどりは戸惑う。だが、歌の道を知ることは、お前の先行きに役立つだろう、といわれ、みどりは本を捧げるようにして頂戴したことであった。
    高尾は歌を知ったことで、さまざまなことを学んだと思っている。歌で見たこともない場所に思いをはせ、古の人の心や今と変わらぬ情を知った。時に喜び、時に涙し、無聊を慰め、憂いを忘れた。歌の道は、みどりを導いてくれるだろう。そこがどこであれ。
    あの方も歌がお好きであった。高尾は先夜の夢を思い出す。いつの世だろうか、互いに歌のやり取りをする姿。それが見たこともない奇妙な衣服をまとって空を飛ぶ二人となり、やがて翼を並べ飛ぶ鳥に、そして、神仙の住む高山の樹の連なる枝となる。夢の中のいつの世でも、自分とあのお方は出会っていた。そして…。
    「また、お逢いできるはずですわ」
    声にせぬまま呟く。
     
    暮十三日は廓あげての煤払いだが、太夫のいる離れ屋だけは形だけで済ませた。
    「太夫、お加減が悪いようならすぐにやめますから」
    みどりがそう言うと、高尾は寝床に横たわったまま、顔だけを声の方に向ける。
    高尾の具合がこのところますます悪くなっているようだ。みどりは心配でならない。やがて、その不安が現実となった。新たな年を待たず、二十五日に高尾太夫はひっそりと息を引き取った。鏡台の引き出しの中に、いつしたためられたのか、辞世の句が残されていた。
     
     寒風にもろくも落つる紅葉かな
     
    品川の屋敷での隠居暮らしといっても押し込めに近い。先の松平陸奥守、伊達綱宗公は鬱々としていた。かつての側近たちの姿もなく、ほとんど外出もかなわない。年も明け、松が取れたにもかかわらず相も変らぬ。事が出来した当初は、やはり手を打つべきであったかと悔やみもし、「謀反」の面々に腹の底からの怒りも覚えた。だが、今となってはもはやどうでもよい。何より、高尾のことが心に懸る。どうしているか。おれのことを思い出しもしておらぬのだろうか。あの貰った文にあったように。
    「わすれねばこそ、おもひ出さず候」。
     
    「御前、只今戻りましたでございます」
    使いに出された庭番の老爺である。座敷から出て中庭に目をやる。踏み石の傍らで平伏している。
    「いかがであった」
    「これをお渡しするようにと」
    それは、三浦屋の亭主からのものである。
    目を通した綱宗は、思わず天を仰いだ。しばしあって、声を絞り出す。
    「いずれ逢えようぞ。次の世、そして、その次の世もな」
    隠居後の前仙台藩主は、その後長く品川屋敷で日々を送ったとされている。筆をとっては書画に没頭し、歌を詠み、蒔絵や刀剣の事を好んだ。世を去るまで風流の人として過ごしたという。だが、その後も紅燈青楼の地に足を踏み入れ続けたとの話は伝わっていない。
     
    二月に入りしばらくすると、寒さも峠を越し、梅のつぼみも色づき始める。春はそこまで来ていた。
    「みどり、手が空いたらお参りしといで」
    台所を預かる小母さんに声をかけられ、みどりの顔が輝いた。
    きょうは黒助稲荷の縁日である。黒助稲荷は九郎助稲荷ともいう。江戸開府のはるか以前、千葉九郎助なる人物が天から白と黒の狐が落ちてきたのを見たことで稲荷を勧進したとの言い伝えがあり、今は廓の南側、京町二丁目の隅にある。縁日は毎月午の日で小間物や植木屋などの露店が並んだ。とりわけこの二月の午の日は初午といい、多くの人出で賑わった。女たちにとって、このお稲荷様は信心の先というだけでなく、気晴らしという意味でもありがたい神様であった。
    みどりは、社前に蹲ると手を合わせ、懸命に祈りの言葉を小さく唱える。
    「お願いします。太夫さんのようになりたいんです。いえ是非にもお頼みします。高尾の名を継ぎたい。いや継ぎます」
    突然、境内に風が舞う。それは、拝殿の横に掛けられた絵馬をカラカラと鳴らして去って行った。願いを聞きどけたといわんばかりに。
    みどりは、空を仰ぐ。
    ゆっくりと雲が流れた。
                                   了
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    遠い太鼓(とおいたいこ)
     
     
    三田の中屋敷を出立したのは四つ過ぎだった。お上から直々御用を賜り、急遽、池上の本門寺まで向かうことになったためである。小者一人を連れ、午の刻近く、ようよう参道にかかろうかという頃であった。
    風に乗って、あの音が耳に届く。
    思わず足が止まる。
    「いかがなさいました」
    小者が怪訝な面持ちで尋ねるのに、
    「そうか、お会式も間近であったな」
    この池上の地で入滅なされた日蓮御聖人のため開かれたのが本門寺である。その御命日である十月十三日まであと半月ほどに迫っている。信者の中には、早くから寺周辺でその日を待つものもいる。聞こえてきたのは、その信者がお題目を唱えつつ打ち鳴らす太鼓の音だった。
    その音が、懐かしき、あのお方のことを思い起させたのだ。
    元禄十六年如月、二月三日を一期として今生の別れをなしたお方。
    あれから宝永、正徳、享保と時は流れた。
    「もう三昔も前のことになるのか」
    心の中でひとりごちる。武士としての身の処し方を思うにつけ、かの方ほど心に残る御仁はなかった。
    その影を追い、その言を糧として、おのれを律してきたつもりである。世にあれば、いかようにご覧めされたであろうか。
    「ただ微笑まれるのみやもしれぬ」
    そう思うと、自らの頬もゆるむのを覚えた。
    小者が、何事ならんとでもいうべき顔をする。
    「さて、少し急ごうかの。相手方をそうそうお待たせするわけにも参らぬであろう」
    太鼓の音が、前よりも強く、そして、大きく響いてきた。
     
     
    そこは、裏庭の少し外れということもあってか、ことに人気のない場所である。去年初めに屋敷に入ったばかりの頃、迷い込んだようにして至った所であった。それ以来、何かにつけ訪れている。特に、この時節にはひとつ楽しみなことある。
    小さな池の傍らに桜が一本、ぽつんと植わっている。その蕾がようやくに膨らみ始めている。
    「間もなくかな」
    その独り言を、たまたま聞かれてしまったようだ。
    「待ち遠しゅうござるか」
    少し驚きながら、振り向けば、あのお方が微笑みを浮かべて、こちらの顔を窺うようにお立ちになっていた。思わぬ人の姿を目にし、内心の動揺を押し隠す。
    このお方を始めとしたご一党が、ここでお過ごしになるようになって、既に一月余、当初こそはあの大変事の立役者を預かるにあたって、屋敷のお暦々もどこか構えたような様子ではあった。だが、その日々の立ち居振る舞いを見るにつけ、かの人々は今では賓客の如き扱いとなっている。中でも、このお方は、お仲間の信も篤く、また、事にあたっての行いに対する伝聞もあり、別格の風を漂わせておられた。若輩の身ゆえ、こちらから近づくことなどできようもない。それだけにむこうから声をかけられたことに、少しばかりの昂ぶりを覚えたのは確かである。
    「左様でございます。つい心にかかり申して」
    「なるほど」
    かの人は木に近づき、頭を上げると何かを懐かしむかのような素振りを見せる。かすかなつぶやきが聞き取れた。
    「今年は叶わぬやもしれぬ」
    「は、何でございましょう」
    「いや、戯言、戯言。ご放念くだされ」
    束の間の微笑が浮かび消えた。
    「さてもこれは、失礼つかまった。拙者は」
    名乗ろうとなされたことで、こちらの方が慌てた。
    「いえ、存じ上げております。身共の方こそ、ご無礼をいたしました」
    会釈とともに名を名乗る。すると、そのお方は、何かを得心したかのように頷かれた。
    「されば、貴殿が、新発田から見えたという」
    「はて、ご承知なのでございますか」
    「ご家中の方から名を伺っておった」
    越後新発田藩の勘定役を勤める家の次男として生まれ育ち、一年ほど前、元服とともに、伊予松山藩の江戸屋敷で右筆方として詰める叔父の養子となった。
    「当方も生まれは新発田でござるによって、懐かしく存じてな」
    そのことは、このお方がお見えになる以前から聞き知っていた。とある事で新発田藩を離れ、江戸で剣の修業をされた後、今の御家に致仕されたという。同郷の好もあれば、尚更に近づきを得たいとの思いは、かねてよりあったが、意にまかせず日が過ぎたというわけである。それがこのような形で叶おうとは、望外というものであろうか。
    何か言葉を返さねばと口を開こうとした時である。そのお方の仲間の一人が駆けつけて、こちらに軽く会釈した後、後ろを向いたかの御仁の耳元で何事かを告げた。
    「すぐに参るとお伝えくだされ」
    そう言うと、こちらに向き直る。
    「失礼申した。いずれまた、新発田の話でもできればよろしいな。どうでござろう」
    「願ってもござりませぬ。是が非にでも」
     
     
    部屋で書見の最中に、小者が叔父からの呼出しを伝えてきた。
    「父上、何か御用でございましょうか」
    その顔はどこか悩ましげである。
    「いよいよご沙汰があったようだ」
    「と、申しますと、あのお方たちに、でございますか」
    叔父は、無言のまま首を振った。表情はどこか堅い。その下知が厳しいものであろうことがうかがえた。
    「いかが相成りましたのでございましょう」
    「先程、お留守居役が戻られた」
    呼び出されて柳営に赴いていた留守居役が老中からの命を持ち帰った。それは、あのお方たちが自ら記した親類書を差し出すようにとのことであったという。
    「親類書でございますか」
    「そうよ。これで決まったということかな」
     親類書は、常であれば仕官や縁談などで相手方に差し出す習いのものだ。両親や妻子だけではない。祖父母に加え、喪に服すべき関わりのある親類、縁者は婿、舅、小舅までの姓名や年を書き連ねたものである。だが、時に罪を受けた者が刑を下される前に差し出しを命じられることもある。罪の連座の覚えとするためでもある。それは、厳刑、つまりは死を賜ることを窺わせるものであることは、武門の身であれば、かねて承知のものでもあった。
    「では、やはり」
    「いま少し、お慈悲の沙汰もあらんかと念じていたが」
    叔父の声には失望の色がありありとにじんでいる。
    その思いは、家中のほとんどの者が抱いていたことに疑いの余地はない。太平を謳歌する昨今であればこそ、武士としての一分を通したあの方々への称賛は強まっていたからである。
    「そしてご下知の日取りは」
    「わからん。じゃが、そう時は残されてはおらんだろうな」
    「左様でございますか」
    「兎に角、せめてもできることは、最期の日まで、方々に何事もなくお過ごし願うだけかのう」
    その溜息まじりの言葉に、こちらもただ無言で肯うしかなかった。
     
     
     
    全てが終わり一月ほどした頃、方々の世話を一身に委ねられていた波賀清太夫殿が叔父上の元に見えた。
     
    「ともあれ、お役目ご苦労でござりましたな」
    「いえ、果たして十全であったか、いま少し悔いも残っておるのですが」
    「左様でもござろうが、貴殿あればこそ、あそこまでの手配りも出来えたと存ずる」
     
    叔父が言うのは、あの驚くべき事をなし終えた方々のお預けが決まった際の話である。当初は方々を引取る場所が高輪の泉岳寺とされていたのであったが、それが愛宕下の大目付仙石伯耆守の屋敷に変わったことで、少なからぬ混乱があったことは確かである。だが、波賀殿は、預かりの命が下ったと聞くや、手早く二百人の手勢を率いて泉岳寺に向かわれた。そこで、やはり引き取りのため既に先駆けしていた岡崎藩水野家の面々と談判して、手勢の半分をそこに加わらせたという。
     
    それは、方々に対する襲撃を懸念したがためである。
     
    「貴殿のご存念、実に感服つかまつった」
    「いや、過分なお言葉。武士として当然の事を考えておっただけでござるよ」
    しかし、その遠慮は杞憂に終わる。
    「いざとなれば、一戦を辞さぬ覚悟でござったが」
    その声音に、どこか無念さが滲んでいる。叔父は、少し微笑みを浮かべた。
    「実は、ある筋から聞いたことですが、さらなる変事を抑えるべく、柳営にも動きがあったということでござるよ」
    「と申されますと」
    身柄を引き取る場所が急ぎ変えられたのも、万一の襲撃の矛先をかわすためであり、またそれを企図する方に対しても、兵を動かせばその責めが及ぶこともあるといった内意も伝えられていたという。
    「だが、この度のことで、一番頭を悩まされたのは、恐らくあの御老中」
    叔父は声を潜める。どこから仕入れてきたのか、柳営奥の内情にも話を及ぼし始めた。
    事の起きた年の暮れも押し詰まった頃、評定所の寺社奉行、勘定奉行、町奉行、大目付ら十四人の連署による「存寄書」が老中に献じられた。
    「それは寛容の色濃いものでござったと申す」
    叔父の言葉に、
    「それは、至極当然でござろう。武士たるもの、義を重んぜずして何の面目」
    膝を打って賛意を露になされる
    「ですが、それは老中首座の柳沢吉保殿には合点のいくものではなかったというわけでしてな」
    柳沢老中は幕閣が厳罰に納得しているとして、一件を決着させようとなされていた。だが、そこに出てきたのが、その「存寄書」である。そこで、さらに広く意を問うこととして、柳営の「芙蓉之間」詰の面々に対し、入れ札まで行われたというのだ。
    「御公儀の主だった方々にまで聞いてみようとなされたのは、余程のことでござろう」
    一体、叔父はどうして、そこまで裏の情に通じていたのかはわからない。だが、腑に落ちる話であることは確かだろう。波賀殿も興を持たれたのか、無言のまま聞き入られている。叔父はさらに話を続けた。
    「御老中も頭を抱えられた。ですが、どこでも知恵者がいるものでござるよ」
     家中の儒者が、忠孝をなそうとした者を悪逆非道の者同様に処断するのは如何。切腹を賜れば、法も筋もとおりましょうと献言したという。それが助命の流れを絶った。
    「成る程、それにて得心がいき申した」
    顔を見合わせ、ともにゆっくりと頷きあわれる。
     
    話が一段落した頃合を見計らって、かねてからの気懸かりを口にした。
    「波賀様、最期のご様子をお伺いできえますでしょうか」
    すると、一瞬怪訝な表情を見せられたものの、あることに思い至られたのであろう。
    「左様であったな。故郷が同じよの」
    「はっ、その通りでございます」
    「二番手で腹を召されたが、それは実に見事であったわ。そういえば、奇妙なことを申されておったな」
    「何でございましょう」
    「いや、座につかれる前に、太鼓が、とか」
    「太鼓とは。音がしたのでございますか」
    「せぬよ。何故にそのようなことを申されたのか」
    その時、あのお方と語り合った日のことがありありと甦ってきた。
     
    あの梅の前で偶然に顔を合わせた日から数日後のことである。内々に申し出があり、再び梅の木の前で、かのお方と出会うこととなった。近くの四阿に腰を下ろし、わずかの刻であったが、親しく言葉を交わすことができたのである。
    「お呼び立てして無礼つかまつった」
    「とんでもございませぬ」
    「故郷の話でもと申し上げていたでな」
    「当方でお話できることがあれば何なりと」
     
    新発田の思い出を取り留めなく語り合い、しばらくあってである。
    「寒行、は、ご存じでござろう」
     思わぬ言葉に
    年初めの寒中に故郷の松見山法華寺の僧や信徒たちが太鼓を打ち鳴らしながら城下を回る。それが「寒行」と呼ばれるものである。
    「幼い頃、あの音が恐ろしくてならなかったものでしてな」
    「えっ、あ、貴方さまが、でございますか」
    意外な言葉に、知らず驚きの色が出た。小石川天神下の堀内道場で直心影流を修業し、四天王の一人と称された達人である。この度の一件だけではない。その剣名を高めた高田馬場の獅子奮迅ぶりも伝え知っている。それだけに、そのようなことを聞き及ぼうとは思いもしなかった。
    「わが父が事の責を負い禄を離れた後のことでござる。ある夜、寒行の太鼓が聞こえて参った」
    二百石の家の長子として父の後をうけ、同じように日々を送っていくのであろうとの思いが、うたかたに過ぎぬと知れた。この世に常なるものはない。諸行無常、諸行無常。太鼓の音がそう聞こえた。この先も何が起きるかわからぬ。だが、だからこそ、己自らが変わらずあることが肝要なのだ。
    「浪人は身持ちの致しにくきもの。中には表店など出し、さまを変えた者もある。ですが、己はたとひ餓え死のうとも武士の形を変えることはすまい、とそう決し申した」
    その覚悟こそが、このお方を支え続けたものであったのか。武士として生き、武士として死ぬ。身内から得体の知れぬ熱いものが湧き上がるような思いがした。
    「大事出来、という節目には、いつも、あの時に聞いた音か耳に甦るように感じたものでござった」
    その言葉をこちらの心に残し、あのお方、堀部安兵衛武庸殿は、それから間もなく赤穂義士の一人として一期を終えられたのである。
     
    「いかが致した」
    叔父が心配げに声をかけてきた。
    「心、ここにあらずという風ではないか」
    「申し訳ござりませぬ。ついぼんやりと」
    「堀部殿のことで、何か存知よりのことでもあるか」
    波賀殿がふとそんなことを口になされる。
    「いえ、特段」
    あの日のことは、堀部殿と二人だけのもの。これから先、いつまでも、あのお方の影を追い続けていくのだろう。この世では二度と逢うことのない、あのお方の。
    「少し、頭を冷やして参ります」
    叔父たちに挨拶をして、表に出る。満開の桜の花が、月影に映えて美しく咲き誇っていた。ふと、遠くから、懐かしい音が聞こえてきたような思いにとらわれた。
    幼い日に心を震わせられた、あの太鼓の響きが。
                             了
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    羅生門の女(らしょうもんのおんな)
     
    目の前を遮る紅蓮の炎が、すっと二つに分かれ、そこからすらりと腕が伸びてきた。こちらの体を引き寄せようとするかのように。
    「おい、おい」
    背後から肩に置かれた手が、強く動かされ、幾野は、はっとする。
    「おや、主さん、いかがされやんした」
    「いやさ、おれよりも、お前さんのほうが妙に気がうせている様だから」
    確かに、一仕事終えた後、思いがどこかに飛んでいたようだ。少しまどろんでいたのかもしれない。
    慌てて立ち上がり、酒でも頼んでこようと、言い置いて、外に出る。
    この男、茂十が幾野の客になってからもう一年近くにもなるだろうか。月に二、三度ほどは通ってくる。
    年はすでに六十を過ぎているのに、この道は若いものと変わらぬほど。それだけに床の中では、ねちっこい。おまけに悋気も強く、どちらかといえばいけ好かない客である。だが、金払いだけはいいことで、ほかの女たちは、上客で結構じゃないかと、半ばうらやましげに噂している。
    幾野がここ、新吉原の羅生門河岸で商売をするようになって、もうどれほどの時が流れたろうか。
     
    吉原は二万坪を越える敷地の周り四面を、忍び返しが植えられた黒板塀が取り囲んでいる。その塀の外にはお歯黒ドブといわれる幅二間あまりの堀がめぐらされていた。
    外界と隔絶された文字通りの別世界である。その別世界への唯一の出入り口である大門をくぐると、吉原をまっすぐに貫く仲の町と呼ばれる大通りがある。その通りの右側に、江戸町一丁目、揚屋町、京町一丁目、左側に伏見町、江戸町二丁目、角町、京町二丁目という町割りがあった。それぞれの町の入り口にある木戸門を通って入れば、妓楼が道の両側に軒を連ねるという案配である。
    これらの町のほとんどの妓楼はその大、小はあれ、それなりの構えで客を遊ばせていた。だが伏見町や京町二丁目には切見世とよばれる長屋を薄い壁で区切った小部屋で春を鬻ぐ女たちがいる格下の所もあった。しかし、それよりもさらに安い金で遊女たちが客を引くのが、お歯黒ドブの左右に沿って並ぶ河岸見世と呼ばれる場所である。
    大門を入って右手の西河岸は、ここを開いた江戸町の名主の名を冠して浄念河岸とも呼ばれた。それでもまだこの西河岸のほうが、いくらかましというのが、口さがない客たちの言い草である。
    東河岸の通り名は羅生門河岸という。
    女たちは素見の客でもおかまいなく、その手をちぎらんばかりにして引き込もうとする。そこから源頼光の四天王の一人、渡辺綱が羅生門で鬼の腕を切り落としたという説話にかけての命名であるとか、その鬼の名である茨木童子と同じ「茨木屋」という名の店があったからともいわれていた。いずれにしても、鬼がらみの悪名を奉られるほどの、吉原という「地獄」のさらに底の、底の場所であった。
    それだけに、ここでの稼業は最悪といってもよかろう。
    ドブ沿いの細い道に面して、わずか一坪にも満たぬ部屋がずらりと並ぶ。女たちは、その狭い部屋で、日々の暮らしを送り、客の相手もする。
    ここの女たちは五十蔵、百蔵といった蔑みの名でも呼ばれた。それは、五十文、百文の銭でわずかな時間、その身を切り売りするためだ。
    そんな日々の暮らしも、今の幾野にとっては、慣れというより諦めに近い思いを抱かせるものとなっている。かつては吉原でも名の知られた大見世で最も上位の花魁をいう「御職」を張ったこともある。だが、ちょっとした行き違いが重なり、いつか、ここまで落ちてしまった。それからまた時が流れはしたが、その美しさにほとんど陰りはない。すらりとした背格好に加え、同輩の女たちが化けもののように塗りたくる白粉も控えめ。いや塗らずとも、その肌は抜けるように白い。
    「鳳凰の末切見世に舞い下り、とはいうが幾野という女はさすがだぜ」
    「そうよな。色香は、以前より増した格好かもしれんて」
    客が、そんな評判をするほどだ。鳳凰は鳥の長。そこから花魁の最上位になぞらえた。その果てが河岸見世で働いているというような意である。
     
    吉原雀がにぎやかに噂するだけに、幾野には、この客を始めとして馴染みも多い。
    小半時もして、夜見世の始まりの暮れ六つから居続けていた男を送り出した頃には、もうすっかり夜もふけていた。芸者や振袖新造と呼ばれる若い遊女たちが、その六つから引き続けている清掻き三味線の音が気怠く聞こえてくる。
    そこに、一人の若い侍が姿を見せた。こんなところには場違いなほど、爽やかな趣の持ち主である。年の頃は元服を終えて二年ほどというところだろうか。まだ前髪姿のほうが似つかわしいといった風情でもあり、何よりも娘と見紛うほどの美形の侍である。
    「お女中、ここは東河岸でこざいましょうか」
     下賎な女にさえ、そんな丁寧な言葉をかけることからも、この若い武士の人柄がうかがえよう。遊びのためにここに出向いてきたとは思えない様子だ。だとすれば、いったい何のために訪れたのだろう。
    「はい、左様ですが、何か」
    「実は、人を探しておりまして、ご存知よりであれば、お教え願いたいのですが」
    そうして、その名と人相風体を告げる。だが、幾野が知る客にも河岸の男たちにも、その心当たりはない。
    幾野の答えに、若侍は首を傾げる。そして、ふと思いついたように、問いかけてきた。
    「羅生門河岸というのは」
    「はい、ここでございます」
    幾野は顔を赤らめる。この場の悪名を若い侍も承知だろうかと思えば、何故か、いたたまれぬほどの恥ずかしさがわいてきたためである。恥など、とうの昔にお歯黒ドブの底に沈めてしまったはずだろうに。
    すると、侍は、突然、小声で謡の一節を口ずさんだ。
    「綱は騒がず太刀差しかざし」
    謡曲「羅生門」である。源頼光が四天王とともに大江山の酒天童子を屠り、京に戻った一堂が、頼光の家臣らとともに酒宴を開く。その宴の中で、羅生門に現れる鬼の話が持ち上がる。そこで、渡辺綱が退治すべく出向いた門前で鬼とにらみ合う場面の謡である。
    幾野は、思わず、後を続ける。
    「汝知らずや王威をおかす」
    その返しに、侍は少し驚いたような表情を見せた。そして、微笑みを浮かべると、
    「其の天罰は」
    二人の声がそろう。
    幾野の父は能楽師の末席に名を連ねていた。その父に幼い時に謡を仕込まれた。だが、父はあるしくじりで主家を追われ、やがて酒浸りとなり、博打に手を出したことで多大な借財を抱えた。それが、幾野が苦界に身を落とすことになったわけでもある。
    「お女中、見事なお声です。感じ入りました」
    「お恥ずかしゅうございます」
    河岸の女ならば何はともあれ、この飛び込んできた獲物を強いて連れ込まねばならぬところであろう。だが、幾野はもとよりそんな強引な客引きはしていない。それでも、どうしたらよいのか、心の中に奇妙な思いがわき上がる。
    若侍の顔に、戸惑ったような色が浮んだ。それを見て、幾野が口にしたのは、当人すら思いもしない言葉であった。
    「いかがでございましょう。ここは寒うございますし、中で点前でも差し上げたいと存じますが」
    その誘いに、若者は微笑んだ。
    「左様ですか。ご迷惑でなければ、ありがたく馳走になりましょう」
     
    その返事を、幾野はうれしく感じながらも、ふと自らの居場所を思って悔いの念も抱いた。後始末をしたとはいっても、前の客と交したつとめの名残りが漂う部屋である。
    だが、部屋に通された若者には毛筋ほどの戸惑いも見えない。
    「あまりに下賤なところで驚かれなされたことでしょう」
    若者は再び微笑む。それに、幾野は救われたような心持ちとなる。古座布団ではあるが、上布は洗いを欠かしたことはない。それを勧めると、彼は、ゆっくりと正座する。
    幾野は枕屏風の陰から、黒漆の箱を取り出す。これだけは、ここに落ちて来る前から大切にしていた。茶道具を入れた箱である。客に茶をふるまうなど、かつてないこと。月に一度ほど、道具の手入れとともに作法を忘れぬようにと、一人で点てるぐらいである。
    「何も揃ってはおりませぬがお許しくださいませ」
    「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点ててのむばかりなることと知るべし」
    若者が千利休の歌で返す。
    「そう仰っていただければ気も軽うなりまする」
    奇妙なことに、いつもであれば両隣から薄い壁を素通してくる嬌声も聞こえてこない。それが、何より気がかりであったが、幸いにも聞こえるのは表通りからの三味線の音ばかりである。
    幾野は礼法通り、茶を点てふるまう。若者は軽く一礼すると、それをゆっくりと喫し、美しい笑顔を浮かべた。二人ともに、何を語るわけでもなく、顔を見合わせたまま、しばしの時が流れる。
    「結構なものでございました」
    「ふつつかな点前、お恥ずかしゅうございます」
    月並みの礼辞の後も、ただ顔を見つめあう。やがて、若者が何かに気づいたように口を開く。
    「これは失礼いたしました。これにて」
    立ち上がり、帰ろうとする若者に、幾野は慌てたように声をかける。
    「わたくしは、里と申します」
    源氏名ではなく、もう、忘れてしまっていたような古い名である。若者は、一瞬、ためらったように見えた。だがすぐに、朗らかな笑みを浮かべる。
    「これはご無礼しました。わたくしめは」
     そして、少し息をついて、小さく、しかし、はっきりと一つの名を口にした。幾野は、自身も声に出すことをはばかるようにして、胸の奥に、その名を刻みつける。
    表まで若者を送り、その姿が路地の角に消えるまで立ちつくしていた。
    ふと一つ大きな溜息をつく。とたんに、それまで嘘のように静かだった長屋のあちこちから女たちの淫らがましい嬌声が響いてきた。いつもの河岸の有り様が戻る。内心、若者がいる間にそれがなかったことにほっとしながら、あのわずかな間だが、永久に続いてほしいと願った時を思い返す。
    もう今夜は客がなければいい。いや、いっそこのまま客をとることがなければいい。だが、幾野には、それがかなわぬことであることが分かっている。自分たちのような女たちを抱えている主や女たちの見張りのために雇われている男衆が、そのような我が儘を許すはずもない。何よりも、その連中が、あの夢のような時の間、姿を見せなかったことが不思議で、それが何かの力か差配のように思えてならなかった。案の定、部屋でぼんやりしていると男衆の中でもとりわけ女たちに毛嫌いされている常三が入ってきた。
    「幾野さんよ、やけにのんびりじゃねぇか。何もせずにおまんま食える身じゃねぇだろう。えっ」
    そんな厭味には慣れっこでもあるが、今夜ばかりは胸がふたぐ。あの若者の面影さえもが汚されたような思い故だ。
    「承知でありんす」
    「まだ松の位じゃなんてお思いじゃございませんでしょうね」
    薄ら笑いを浮かべながら揶揄してくる。その言い草が辛い。
    「けっして左様なことはありんせん」
    「だったらさっさと客でも引いてきな。安女郎の分際で、この常さんを舐めてくれちゃ、とんでもない目をみるぜ」
    ゲジゲシの常とかゲジ常とか、女たちに陰で呼ばれているような男である。脂っこい口調で言いつのる。この男が幾野に酷くあたるのは、その性根の悪さだけではない。かつて、言い寄られた幾野が、それを撥ね付けたことがあった。もとより、廓内で客でもない男と女が情を交わすことは御法度。だが、表はそうでも裏、ことに河岸見世などでは、男衆が女と密に通じるなどはよくある話でもあった。
    幾野とて、常の機嫌を損ねぬほうがよかっただろうとは思っている。所詮数えきれぬほどの男たちの慰み者となった身である。今更、どんな男と枕を交わそうが気になるものでもない。だが、銭で売り買いされる体だからこそ、それ以外のわけで肌を許すことが、どうしても納得できない。その頑なな拘りが、常三を袖にしたわけであった。
    「だがよ、お前さんが色よい返事をしてくれりゃ、こちらとて鬼でも蛇でもねぇ」
    言葉なく俯く幾野に、心変わりのないことをみてとったのであろう。
    「けっ、じゃ好きにしな。どうなっても構わねぇっていうんだな」
    そう、どうなってもよい。ただ一つ、突然のように湧いたある希みといえば、それは先ほど出逢った若者のことである。常三が、さらに何かと悪態をつきながら、立ち去って行く。その後ろ姿にほっとした思いを抱く。そして、小さく囁いた。
    「今一度、お逢いすることがかなうならば」
    思わず、中天に輝く月に向かい手を合わせた。
     
    若者が浅草花川戸の長屋に戻ると、彼よりも少し年嵩と思える武士が、待ちかねたかのように問いかけてきた。
    「首尾はどうだ」
    「はい。直ぐにでも落ち合えるとのことでしたが、相手の姿は見えませんでした」
    それで、といいながら懐から小さな包みを取り出す。
    「これはお返しいたします」
    「何だ。持ち帰ったのか」
    「はい。合えずば、渡すこともかないませぬので」
    「いや、そうではあるが。他にも誰かと会ったのではないか」
    「はい」
    「そうか、そうか。で、どんな、お」
    女、と言おうとしたのだろうが、彼は、そのまま言葉を飲み込んだ。若者は、その裏にある意を分かってはいたが、素知らぬ顔をする。
    「珍しき女人でございました」
    「女に会ったのだな。で、どうだ」
    「で、何てございましょう」
    さらに惚ける若者に、相手もそうと承知したのだろう。
    「わかった。もうよいわ」
    少し腹を立てたかのような顔つき。若者は笑い出したくなる思いを押し殺す。
    この年嵩の同志の心遣いがわからぬわけではない。彼とてまんざらの朴念仁ではない。指図されて向かった先がいかなる所であるかくらい知っている。だが、自分らには果たさねばならぬ大望がある。だからこその同志なのである。事をなした後は、どうなるやも知れぬ。重い仕置きが待つかもしれない。だが、事を起こすそれまでは何としても生きながらえねばならない。
    「ところで、事は進んでおるのでしょうか」
    「ああ、それよ。まず間違いないところまでにはな」
    「それで、何時でございましょうや」
    「それはまだ。だが、そう遠くはあるまい」
    年嵩の男は、そう答えながら、だから、と内心ひとりごちた。
    目の前の若者は、間もなく十八になろうかという年頃。二十半ばの自分とくらべても、なお若い。だからこそ、あの場所へやったのだ。彼も、盟約に加わった時から一命はなきものと思っている。貴奴もそうだろう。だが、いかにも若い。このまま、世のあれこれを知らぬままに死なせるのは不憫。ことに女の体もしらぬままというのは、あまりではないか。
    国元にあった時から、その美形ぶりに、武家娘といわず町娘といわず騒がれていたものだ。だが、色恋めいた話があったとは聞いてもいない。
    そこでのお節介であった。事もなく命あらば、奴とてそれなりの嫁をとり、それなりの暮らしをおくったことだろう。同じ女を買うにしても、あんなところの女を取り持つなどはもってのほかかもしれない。だが、そうはいっても吉原のそれなりの花魁と遊ばせるといった時の余裕もなければ、また金もない。
    あの場の悪評は聞いて知っていた。だが、それが却って、ただ女の体を知るだけという限りでは都合がよかろうと考えたのだ。こちらの身元の詮索もあるまいし、後腐れもなかろう。だが、それも当の本人にその気がないならば、何の意味もない。とんだ大きな世話であったようだ。
    彼は、苦笑いを浮かべながら、ふと先ほどの若者の言葉を思い返す。
    「はて、珍しき女人とか申しておったが、どういうことか」
     
    「幾野さん、いい月じゃないかね」
    隣で商売をする花紫が声をかけてきた。
    「ええ、ほんとに。きれいなお月さまだこと」
    客でもあたりにいれば、廓言葉を使うところだが、女たちだけだと町中と変わらないやりとりがほとんど。特にこの花紫は、河岸の主のような古株だけに、時に伝法な口もきく。
    「幾野さん、ところで何かいいことでもあったのかい」
    「えっ」
    幾野の様子が、以前と違ってきているようだと女たちが噂しているという。どちらかといえば心のうちを表にだすことのなかった幾野が、何かに付け笑顔を見せるようになったからだという。
    「まあ、あんたのことだ。いい男ができたなんてことはないだろうけどさ。もし気になることがありゃ、何でも打ち明けておくれよ」
    このあたりの女たちにも間夫という情人の一人や二人いないわけではない。だが、幾野にはそんな様子が毛ほどもないことは、この古狐が知らぬわけはない。それでも、どこか万が一を疑ってもいるようでもある。 
    幾野は無言のまま、少し微笑む。
    「ま、中には、少し気が、」
    といって言葉を飲み込む。気が違ってきたかといおうとしたのだろう。
    「なにはあれ、せっかくの女ぶり。愛想笑いでも仏頂面よりいいに決まってるさ」
    さてこっちももう一稼ぎと言いながら、若紫は、慌てたようにして自分の部屋に戻っていく。
    幾野は、だが、若紫の勘働きに少し驚いたのは確かなことだ。
    いいひとができた、というのは満更外れてもいないだろう。それが、あの一夜のわずかな時を過ごした、肌を合わせたこともない相手だとしても。その面影は幾野の心の中にしっかりと残っている。
    恐らくは二度と会うことのない、しかも名しか知らぬかのお方が、どこでなにをなさっているのかはわからぬ。だが、この空の下に、ともにあるということが、幾野には喜ばしくてならない。その名を心の中で小さくつぶやいてみる。その響きすらも喜ばしい。いつもながらに、知らず微笑みが浮かんでくる。これが、朋輩の女たちには、奇妙に思えたのだろう。少し気が違ってきたのでないかと疑われても仕方がないのかもしれない。そう思うと、笑い声さえ出そうになる。それに朋輩が気づけば、本当に狂ったのではと騒ぎになろうか。幾野は声を噛み殺しながら、部屋へと戻った。心の片隅に芽生えた温かさがじんわりと体中に広がっていくような奇妙な思いにとらわれながら。
     
    彼もまた、たまさかに心を交わしたかの女人のことが気にかかってならなかった。だがそのわけは承知している。ふと見せたその女人の面差しが、生涯忘れられないかのお方にうり二つといっていいほどだったからだ。
    元服を終えてすぐ、藩侯とお方様への目見得が行われた日のことである。平伏しているところに、面をあげよとの声がかかり、顔を上げた。正面に坐をお占めなされたそのお方を一目見た途端、体の芯を何かが貫いていくような思いにとらわれた。
    全身の血が沸き立つような気がして、そのまま見続けることなどとてもできない。耐え難いまま面を伏せる。だが、それが幸いした。お方様の顔を呆然と見つめ続けているようなありさまを回りに気取られれば、ただでは済まなかったことだろう。
    その思いは許されぬ、そして危ういもの。それは承知のうえ。決して表に出せぬもの。死ぬまで秘して秘し続ける。しかし、そのかなえられることのない、燃えるような、秘めた情が、彼の佇まいを同じ年頃の若者たちとは違うものにしていた。どこか思いをこらえた、考え深げな面持ちが、武家といわず町家といわず娘たちの溜息のもととなっていた。だが、彼にとっては、そんなことなどどうでもよいこと。自分はあのお方のためだけに生きていく。殿にお仕えすることは、あのお方にお仕えすることでもある。あのお方のためには死しても悔いはない。そう思い続けるうちに、突然のように、事は起きた。
    そして、間もなく、自分は、あのお方のために命をかけるという思いを果たそうとしている。
     
    「きのうは結構な雪だったけど、今夜はどうだかね」
    若紫が、首に手拭いを二重三重に巻き付けた格好で、声をかけてきた。昨夜のうちに雪はやみ、空模様は落ち着いているようだ。だが、大方の雪は降り積んだまま残っている。
    「もう降りはしないだろうとは思いますよ」
    「そうだといいけど。もう年の瀬も半ばだからね、稼がないと越せやしないよ」
    雪で客足が鈍るのが気にかかるのだろう。だが、空には月さへ顔を出している。幾野は、その月を眺めて、かの面影を心に浮かべた。同時に奇妙な胸騒ぎを覚え、思わず月に向かい両手を合わせて頭を垂れる。
    「おや、幾野さん。どうしたい。手なんか合わせて」
    「いえ、今夜も無事なおつとめをとお願いしたんですよ」
    「そうかい。あたしゃてっきり色男のことでも、と勘ぐっちゃってさ」
    以前もそうだが、若紫の勘の良さには驚いてしまう。無言のまま俯く。その様子に
    「おや、図星かい。と言いたいが、お前さんに、そんな色のいないことぐらい承知してるよ」
    そう言いながら笑い声をあげた。お追従のようにして幾野も笑顔をみせる。
    だが、先ほどの心のざわめきは何であったのか。それが吉兆であるのか、それとも凶事を告げるものなのかは判然としない。ただ、何かが起きるであろうことだけは間違いあるまい。これまでも、幾野には、そうしたことがあった。ことの良しあしは別として、自らや回りに何かが起きる前に、胸のざわめきを覚えたものだ。だが、河岸に落ちる前を最後に、そうした思いをすることはなかった。今度は何があるというのか、だが、わが身を見れば、これ以上悪くなることがあろうはずはない。地獄の底の底、さらにその下があるというなら話は別だが。そう思うと、幾野に苦い笑いが浮かぶ。そして、ふとある思いに至って、身を震わせた。あの方の身に何かあるのではなかろうか。さりならば、それが良きことでありますように。幾野は、今一度、月に向かって手を合わせた。
     
    すべてが終わった。
    彼は、同志たちの顔を見回す。その面に浮かぶのは、自分と同様事を成し遂げたことへの喜びの思い。だが、その思いとともに、彼は、ある戸惑いも覚えていた。あのお方がお喜びになられるであろうとは思いつつ、だが、心の中に現れた面影は、あのお方ではなく、ただ一度だけ、袖を摺り合わせたほどの出合いの相手だった。驚きながらも心の内でひとりごちた。
    「もう一度、茶を喫してみたかったが」
    そして、その思いを振り払うように首を振った。
     
    「いやはや、てぇへんなこと」
    昼が終わり、夜見世までにはまだかなりの間がある頃のことだ。河岸の端にある井戸で、数人の女たちとともに用を足していたところに、河岸の雑用や文遣いなどをしている定吉という爺さまが、そんな前口上とともに話を持ち込んできた。それを若紫が、促すように声をかける。
    「それがよ、とうとう赤穂のお侍たちがやったのよ」
    「何をだよ」
    若紫は、相手がこの爺さまではやはり廓言葉を使わない。いや、もっとぞんざいかもしれぬ。他の女たちもそれにならっている。
    「だから、吉良さまのお屋敷に討ち入ったということさ」
    「で、どうなったんだい」
    「まあ、待ちねぇ」
    そう言うと、爺さまは、その場にいたかのように、どこから仕入れて来たのか討ち入りの様子を身ぶり手ぶりよろしく話し始めた。
    女たちは、時に合いの手のような問いを挟みながら、その話を聞いている。だが、幾野は、少し血なまぐさい話にも思えて、立ち去ろうとした。その時だ、忘れもしない名前が、爺さまの口から飛び出したことで、その場に座り込みそうになるほど驚いた。
    それは、赤穂の面々の中に、女がいるという話の続きだった。
    「首尾をお伝えするため泉岳寺のお殿様の墓に向かわれる行列の中によ、優しげですらっとした美しい女が一人いる。なんで女がって話になってよ。だが、見てる連中の口から口に伝わったのが、いや、あれも赤穂のお侍で、名は」
    その名こそ、幾野があの夜聞いて、心の奥底に秘めていた名と同じもの。
    昨夜の胸騒ぎのわけはこのことだったのか。ともかくは、そのお行列の中に姿があるのなら、ご無事ではあるということだろう。幾野は、とりあえず胸をなで下ろし、思わず、定吉に声をかける。
    「それで、や、」
    思わず、その名を口にしそうになり、慌てたように問い直した。
    「いや、赤穂の皆様は、それからどうなさったのでございます」
    普段ならば、こんなうわさ話にほとんど耳を貸そうともしない幾野が乗ってきたことに定吉も少し驚いたようだ。だが、折角仕入れてきた話である。聞き手の興にうれしくないはずもない。
    「それがよ、ともかくは御上でも、まださてどうしたものかというところだろうさ。だがよ、なにしろ殿様の敵討ちをした忠義の士、侍の鑑だぜ」
     
    赤穂の一党は、泉岳寺に向かう途中、二士を遣って大目付の仙石伯耆守に事の次第を自訴させた。その報は、すぐさま柳営に伝えられた。
    だが、一件を早速、主に奏上した老中首座の柳沢吉保は、その思し召しを忖度して、少しばかり困り果てた。綱吉公は「亡君のために、事を起こした」というところに、いたく御心を動かされた風なのだ。土台、事の発端が、やや性急に過ぎたかつての処断にあったのは明らかな以上、今度はどう仕置きをすればよいのか。そこで、とりあえずは赤穂の連中の身を、四大名家に預かりという形にして即断を避けたのである。
    一方で、この一件はあっという間に江戸の街に広まる。伝えられるうちに、やがて、定吉爺さんがいみじくも言ったように、いつか「義挙」といわれ、赤穂の浪人たちは「義士」と呼ばれるようになっていった。巷間で流布する話でも、そんな「義士」たちを持ち上げるものが出て来る。それは武家たちの間でも同様だった。
    討ち入りから数日後のことである。
    評定所の寺社奉行、勘定奉行、町奉行、大目付ら十四人の連署による「存寄書」が老中に献じられた。その中身は、柳沢老中の思いをさらに乱すものであった。
     
    「いかがなさいました。お顔の色が優れぬようでございますが、赤穂の一件で何か」
    屋敷にもどった老中に、そう声をかけたのは、お雇いの学者である荻生徂徠であった。
    「いや、師の目は何事もお見通しのようですな」
    老中から事のあらましを聞いた徂徠は、大きく頷いた。
    「なるほど。確かに、情としてはそれもありえましょう」
    「左様。ですが、それに流されることになれば、また禍根のもとにもなりかねぬ」
    「それで、いかがなさるおつもりでございます」
    無言のままの老中を徂徠は、じっと見つめる。湯島聖堂を統べる林鳳岡大学頭を始めとして学者連の議も寛容論に傾いていることを徂徠は承知している。何よりも綱吉公が内心助命の意を抱いていることに、この老中が思い悩んでいることをも熟知している。
    「さて、何か師によき手立てでもありますれば」
    「されば一つござります。ご無礼いたす」
    徂徠は、老中の傍に伺候して、その耳元でしばらく話を続けた。
    吉保のやや青ざめていた面に、赤味が差し始め、表情が崩れた。微笑みが広がる。
    「成る程。それはよき思案」
     
    翌日、評定所だけでなく、芙蓉間詰の公儀の主立った面々に対しても、一件への仕置きに関しての入れ札が行われた。結果は寛厳両論であり、幕閣の間でも、とりあえずは暫時四家へ預けたまま、中身については議を続けてはどうかといった声も出始めていた。吉保も、これも当然のこととすでに腹をくくっていた。後は、あのお方の力を借りる。そう意を決していたからである。
     
    彼を含め九人がお預けとなった水野家の芝中屋敷での扱いは思いの外に厚いものであった。だが、三河岡崎の五万石の小藩である。公儀への憚りもあってか、藩主の水野大監物忠之と目見えたのは、屋敷に入って数日たってからのことだった。
    ある同志は、漏れ聞いたという肥後熊本藩細川家の応接に比べて愚痴めいた口もきく。重臣たちがお預けとなった細川家では、その日のうちに藩侯自らが内蔵助殿と会ったといい、部屋も立派なものだというのだ。しかし、水野家では、預かり人の家禄が低いということもあったのか、当初長屋に戸障子を打ち付けたような場所だった。後には、屋敷替えもあり、食事の扱いも良くなった。だが、そうした愚痴も、大望を果たせたが故のこと。そう思えば、それもまた座興のようなものだろう。
    そうこうする間に正月もあっという間に過ぎた。
     
    新吉原の初買いは正月二日からである。最上格の妓桜である大見世はもちろん、中見世、小見世まで、あらたまの初春の言祝ぎで賑わう。だが、幾野のいる河岸見世では、いつもと変わらぬ毎日。そんな中で、赤穂の一件も、すでに過ぎたものといった風であった。しかし、幾野にとっては、そうではない。
    「おじさん、今日はどうかしら」
    定吉を捕まえて、問い詰めるような口ぶり。
    「いや、これといったものはねぇよ」
    「瓦版はないのかしら」
    討ち入り後直ぐに、市中では瓦版が舞った。当初はあることないことも含めて、さまざまな話が流れた。
    「ねぇさん、すまねぇ。今日は」
    残念そうに面を伏せる幾野に、定吉爺さんは、不思議そうに尋ねる。
    「それにしても、ねぇさんはいっていどうして、そこまでご執心なんでぇ」
    そう問われ、少し慌てる。
    「そう、どうしてだか、わからない。妙だよね」
    いい加減な返しに、爺さんは、それでも納得したようだ。
    「そうだよな。騒いでる町の奴らだって、親類というわけでもねぇ。なんでといわれても、なんでかなと思案投げ首だろうぜ」
    幾野は懐から幾ばくかの銭を出すと、爺さんに渡した。
    「これで、何か温かいものでも、ね」
    「すまねぇな、いつも。また面白い話があれば、すぐに伝えるぜ」
    「お願い。籠の鳥のこちらには、おじさんだけが頼みの綱だから」
     
    年が改まって半ば過ぎ、柳沢吉保は、使いを出して訪れたき旨を伝えた。その相手とは上野輪王寺御門跡の公弁法親王である。後西帝のお子であり、今上の東山帝とは従兄弟にあたる。上様も、このはるかに年若のお方を人物と思し召されている。上野に赴かれることもしばしばで、表向きのことも何かとご相談ある間柄だ。吉保もまた、法親王を屋敷にお招きしたこともあるほどに昵懇である。
    「これは、柳沢殿。ご多用のなか、わざわざお訪ねとは何事でござろうか」
    「はっ。ご無礼をいたし申し訳ございません。ぜひとも内々にて申し上げたきことがござりますもので」
    それを聞くと、法親王は傍の者をお下がらせになられた。そして、小さく告げられた。
    「赤穂のことよの」
    吉保は、はっとした。さすがに英邁との声のあるご仁である。訪れてきたわけなど、とうに承知のようだ。
    「おそれいりまする」
    そして、吉保は、願いの趣を語り始めた。
     
    その日は朝から水野家の留守居役が、老中の呼び出しをうけ柳営に出かけたという。それをもれ聞いて、彼は、くるものが来たのであろうと感じた。
    留守居役は戻ると、預かりの面々を前に少し青ざめた顔で、老中からの申し渡しを伝えた。
    「親類書でございますか」
    彼も含め、一同は互いに顔を見つめあう。
    「左様です。支度をすぐにいたしますれば、方々自ら筆をおとりいただくようお願い申します」
    留守居役は、それだけを告げると、そそくさと座を立った。
    親類書は、常であれば仕官や縁談などで相手方に差し出す習いのものだ。両親や妻子だけではない。祖父母に加え、喪に服すべき関わりのある親類、縁者は婿、舅、小舅までの姓名や年を書き連ねたものである。だが、時に罪を受けた者が刑を下される前に差し出しを命じられることもある。罪の連座の覚えとするためでもある。それは、厳刑、つまりは死を賜ることを窺わせるものであることは、武門の身であれば、かねて承知のものでもあった。
    「これで決まりということでしょうか」
     彼は、誰かに尋ねるというわけでもなく口にした。引き取るように一人の同志が答えた。
    「もとより覚悟はしておったこと」
    一同が頷く。だが、
    「となれば、そうのんびりもしておられませんな」
    そういう彼の、そのくせどこかのんびりした口調に、思わぬことに、一同に小さな笑いの波が起きた。
     
    親類書の筆を進めながら、彼はそこに記した母の行く末、ことに妹たちのこれからに思いを巡らせる。父には先立たれ、そして兄までも失うことになる。だが、それも武門に生まれた者の定め。戦国の世であれば、それもことさらに珍しいことではなかったであろうから。
    年嵩の同志には、妻と子のいるものも多い。それが幼くとも、男児であれば連座の科は免れまい。その心痛に比べれば、自分ははるかに楽であるかもしない。
    筆を置いて、大きく伸びをする。久しぶりに書き物などをしたためだろうか。
    「少し、外の風に当たってまいります」
    水野家では、屋敷内であれば比較的身の自由はきいた。庭をぶらつく程度であれば、監視というほどの枷もない。
    中庭の片隅にある一本の梅の木を、お預けになって間もなく見つけ、気にかかっていた。遅咲きなのだろう、正月半ばを過ぎてもまだ蕾のままだ。今年は花を見ることはかなわぬかもしれないと、残念な思いもある。
    梅の木の傍には先客の姿がある。近づいて軽く黙礼する。慌てたように先方も、挨拶を返した。元服を終えたばかりの年格好である。
    「まだのようでございますね」
    そう声をかける。
    「左様です。今少し時がかかろうかと」
    だが、自分には、もう時はそれほど残されてはいないだろう。そのことを、相手が知るわけはない。
    「梅が香に昔を問へば春の月」
    ふと一節が口をついた。小声であったが、若者も気づいたようだ。
    「謡い、でございますか」
    「はあ。胡蝶と申す能の一節でござる」
    「ぶ、不調法ゆえ」
    若者は恥じらうように答える。
    夢のような幻のような物語である。
    旅の僧が都の古跡を訪ね、満開の梅を眺めている。そこに女が現れる。女は胡蝶の精で、四季折々の花と戯れても、梅の花だけは縁が薄いと嘆く。成仏を願う精のために、僧は経を読む。その夜、僧の夢に現れた胡蝶の精は、御仏の力で梅の花とも縁が結べたと喜び、舞い踊るというものだ。
    「いえ、拙者とて聞きかじりのようなものでござるよ」
    そう言いながら、あの女人であれば、どのように返すであろうか、とふと思う。
    「答へぬ影も我が袖に」と、当然のように謡い続けるのではなかろうか。
     
    「春とはいうものの、寒いったらないね。お月さんだって震えているようさね」
    花紫が、相変わらず首に手拭いを巻いた格好で声をかけてくる。
    幾野も無言で頷く。だが、その思いは、千々に乱れている。あのお方のことが心にかかってならないのだ。いったい、事はどう決着するのか。定吉爺さんに尋ねてみても、当然だが埒はあかない。
    「忠義の人間をまさか死罪ということはなかろうぜ」
    町の噂でも、それが大方のところだと爺さんは付け加えた。だが、幾野は、どうにも落ち着かない。
     
    月が改まったその日、法親王が拝謁のために入城なされた。いよいよだ。吉保は、ここが峠だと気を引き締めた。
    法親王に目礼をしたうえで、横に控え、上様の御成りを待つ。やがて、綱吉がゆっくりと座につく。互いに挨拶を交わしたうえで、取り立てて何というほどの話はない。綱吉の顔にやや不審な色が浮かぶ。赤穂の面々への助命の願い出があると考えていたためだ。帝につながる筋からの嘆願であれば、それを容れることで事は収まる。だが、やがて、宮様は、一件については何も申されず、場を後にされた。
     
    「人というものは面白きものでございます」
    徂徠はそう前置きして、吉保に策を献言した。拝謁のその場での宮様からの言上はご遠慮いただくようにという。
    「求めるものが、思いの外たやすく手に入ることになりますれば、また迷いのもと」
    もう一度、思案しなおすいとまを与えかねない。
    「俗に申す、ありがたみでございます。それなりの手間がかかれば、それが弥増すというもの」
    流石に、吉保のお雇いとなる前、市井にあって辛酸をなめた苦労人らしい言である。吉保は、微笑みを浮かべる。
    「承知した。お帰りになった後に、使いを輪王寺にやって、再度の言上を願うということか」
    「左様でございます」
    上野輪王寺から立ち戻った使番の言上を聞いて、綱吉は断を下した。赤穂の面々は切腹、吉良上野介の子である左兵衛は、討ち入りの際の「仕形不届」につき、領地召し上げのうえ、信州高島藩へお預けというものである。
    法親王の言は、義を貫いて餓死した周の遺臣を心に置いたまさに卓越というべきものであった。
    一同の者らは志をとげた以上、思い残すこともないであろう。公の刑に身をまかせたてまつらんと願い出ている以上、今更、その罪を許しても、二君に仕えることはない。あたら忠義の士を山林窮谷に飢餓せしめんより、死を賜ることが、その志もたち、天下の法も行われる、と。
    そして、これにより事は決した。
     
    割腹の申し渡しはその月の四日朝に行われた。前日の夜には内々に知らせもあった。後のことだが、細川家では、預かり人の世話役には、明朝花を出すようにと暗にその旨が伝えられたものの、それとは察せず、その夜催された預かりのうち若い面々による宴に出て楽しんだという話もある。また、十士を預かっていた伊予松山藩の久松家の屋敷では、面々が腹を召される直前まで奇妙な噂も流れていた。それは、御沙汰はあっても、御公儀の目付と使番の到着後に即刻赦免ということになる、というものである。そのために、当日の四つ時に申し渡しの奉書がもたらされ、八つ時に検使が着いた後も、何やかやと時を稼ぐような策もとられた。沙汰が遠島であった場合に備え、久松家では金五十分、小袖一重、夜着布団一揃え、米や味噌などを、それぞれに仕度しておいたともいう。
     
    水野家では、淡々と事は進んだ。預かりの九人それぞれに介錯人がつき、庭先にしつえられた場で次々に作法通りに自裁し果てた。
    中に一人の若い士もあった。その名を矢頭右衛門七教兼という。享年十八歳であった。
     
    赤穂の面々が腹を切ったという話は、あっという間に町中に広まった。無論、その知らせは、羅生門河岸の幾野のもとにも届いた。
     
    ただ一つの生きてある喜びさえ無くなった。この空の下のどこかにいるあのお方。その方と会うことはなくとも、今の世にともにある。それだけでよかった。それもない。
    幾野の心の中に一つの思案が浮かび、そして堅く形をとり始めた。こうなれば、もうなすべきことをなすまで。
    どうせ、失うものなどもう何もないのだから。
    「どうしたい。幾野さんよ。この常さんをお呼びだとか。いいご身分じゃねぇか。このおれを呼びつけるとはよ」
    いつものように厭味を並べ立てようとしたところで、幾野が口を挟んだ。
    「主には済まないことをしたと思ってありんす」
    突然の甘い口説にさすがのゲシ常も驚いた。
    「いや、なに。わかりゃいいのさ」
    「よく思案したでありんす。あちきも本心で」
    続く言葉に、最初は疑心を面に出していたゲジ常も、顔つきが変わっていった。幾野は、常三のことを前から思っていたという。だが、どうしても正直になれなかったと、かき口説く。時折、上目遣いに見る目つきの艶めかしいこと。さすがの常三も、でれっとやに下がっている。
    「そうかい。そうかい」
    もう、常三は意馬心猿、今にも幾野に襲いかからんばかり。幾野は寄ってきた常三の懐にぐいと体を寄せる。
    「今ここでというわけには」
    幾野は、吉原の玄関口である大門が閉まった後に、ゆっくりと、と持ちかけた。そのためには、今夜は客を取りたくないので、それをよろしく頼みたいと甘えたように囁かれ、常三はすっかり舞い上がった。
    大門が閉じたら、廓の南側、京町二丁目の隅にある九郎助稲荷の前で会いたいとの約定も妙だとは思わない。どうしてもその前に見せたいものがあるからといわれれば、いやとはいえない。
    吉原には、この九郎助稲荷のほか開運稲荷、榎本稲荷、明石稲荷があり、廓内の四隅に鎮座ましましていた。ことに九郎助稲荷は、毎年二月の最初の午の日、つまり初午には、多くの参拝者で賑わった。だが、その日は明後日。稲荷の狭い境内も、今夜はいつものように人気はないはずだ。
    「わかったぜ。今夜はお前さんの具合が少ししんぺぇだから大事をとるとでもしておこう」
    「主さん、うれしゅうありんす。今夜はしっぽりと」
    と、幾野はまた艶めいた顔つきを見せる。
     
    言われた通り、常三は提灯を片手に九郎助稲荷に赴いた。
    「ねぇさん。おい、どこだよ」
    稲荷の社殿の裏手から、ふらりと人影が現れた。
    「おどかすなよ。なんだよ。その姿、まるでゆ」
    幽霊のようだと言いたかったのだろう。確かに、幾野は髪をほどき、一重の白襦袢姿である。そのまま、常三の傍に寄ると提灯を奪い取る。
    「何しやがる。何だよ。この匂いは。油じゃねえか」
    「そうさ。油さ」
    幾野は、そういうと提灯を折りたたむようにして燃え上がらせた。炎はたちまち高く立ち上り、赤い舌が獰猛な勢いで油を染み込ませた襦袢を嘗め尽くしていく。
    「さあ、常さん、抱いておくれ」
    近づいてくる幾野を大慌てで避け、常三が大声を上げる。
    「助けてくれ、火事、火事だぁ」
    そのまま、逃げ出していく。幾野はもとより追うつもりなどない。はなから常三を道連れにしようとも思ってはいない。ただ、女たちに酷くあたる男へのちょっとした仇討ちの真似事のつもりだった。かの人たちの為された事と比べるなどは無礼至極である。、だが、幾野なりの義という思いであった。
    すると、赤い炎がすっと目の前で開けると、手が伸びてきた。その先には、忘れたことのないあのお方が白上下姿で、微笑みながら立っているのが、確かに見えた。
    「右衛門七さま」
    幾野は、その愛しい人の名を口にする。それが最初で、そして最後の呼びかけであった。
                                      了
     
      馬と猿(うまとさる)
     
    博多・呉服町の大店「筑前屋」の店先は、今日もまたひときわ賑わいを見せている。その商売繁盛の一端を担うのが、この店で扱う豪華な博多織とは違う、一見鄙びた反物であった。
    「ご主人、この頃、町の噂になっているものを見せてもらえましょうか」
    「これは、これは。いつもながらお世話になっております」
    主人の幸兵衛が、満面の笑みを浮かべて応対しているのは、藩の重職の縁者であろうか。奥の座敷に案内された女客は、主人に手渡された反物の手触りを確かめながら、見分している。
    「なるほど。これは、見事なもの。丁寧な仕事ぶりがうかがえます」
    「左様でございましょう。間もなく、上方や江戸でも評判になること請け合いの品物でございますよ」
    「それにしても、これだけのもの、どこの誰が作っておるのです」
    「実は、これにつきましては、一つの話がございまして」
    幸兵衛は、いささか得意気な顔つきで語り始めた。
     
     
     
    一番出会いたくない嫌な男の顔をそこに見て、佐和は、唇を噛んだ。
    「佐和どのではこざらぬか」
    そう声をかけてきたのは、伏見勝兵衛であった。次席家老、間部詮吉の懐刀と目されている男である。間部は先代に重用され、藩政をほしいままにしてきた。藩主が替わって一年近くになるが、なお、その権勢に陰りはみえない。それをいいことに、なにかと横車を押す間部一派の評判は悪いという言葉では間に合わぬほどだ。
    だが佐和が、この男を毛嫌いしているわけは、それだけではない。
    城代家老を勤める黒田大膳の次女である佐和は、二十二歳。嫁き遅れといわれかねない年頃ではあるが、浮世絵から抜け出たようだと噂されるほどの美しさには、いささかの衰えもない。
    それだけに、これまでに幾多の縁談が持ち上がっていた。しかし、そのどれもが、彼女の意に沿わぬものばかりである。あるいは、容姿のみにひかれたもの、さらに、藩の名家であることを頼みにするもの。そうした思惑がのぞき見られる話に、どうにも我慢ができなかった。ことごとく断り続けたが、娘を溺愛する大膳は、その我が侭ともいえる行為に何もいわずにいる。
    伏見もまた縁談を申し入れてきた有象無象の一人である。佐和は中でも、この男を蛇蝎の如くに思いなしている。とりわけ彼の回りから漂う獣じみた気配に、恐怖に近い悍ましさを感じるほどだ。
    「佐和どの、例の話はお聞き及びでござろう」
    「それは、お断り申し上げたはずでござります」
    「いや、拙者は、まだ得心がいかぬのでござるよ」
    同行していた取り巻き二人が、口々に、
    「良縁でござろうよ」
    などと言い立てる。
    そちらと添うぐらいならば、百足の女房になったほうがまし、そう心の中で呟きながら、硬い顔つきのまま、軽く会釈する。
    「わたくし、急ぎの用がござりますれば」
    小走りに立ち去る。
    背後で何か淫らな冗談でも交し合っているのだろうか、卑しい笑い声があがった。
     
    毛利大右衛門は、陰で他人が自分のことを「猿」と綽名していることは承知していた。それは仕方あるまい、と自ら認めてもいる。口惜しくないわけではない。だが、五尺に満たぬ小柄な身体つきに加え、手足が並よりもやや短い。以前、水に映った自分の姿を見て、なるほどと納得した覚えさえある。
    さすがに、面と向かって、その綽名を口にする者はない。しかし、町中で、若い娘が、口に片袖を当てて笑いを隠しているのに気づいたときは、さすがに気落ちしたものである。それも、度重なれば、それはそれよ、と諦念めいた思いに変わった。また、万が一、あからさまに自分を蔑む者がいても、立会いを申し入れて倒すほど、武術に心得があるわけでもない。けが程度ならば幸い、下手をすれば、自ら命を落とすことがあるかもしれない。だが、それでは、ある時期から、彼が抱いていた思いに反することになる。。
    そんな大右衛門にも、これだけはといえる得意がないわけでもない。それは馬である。五尺に足らぬ彼も、背丈と同じ高さの馬にまたがれば、いつもとは違う景色を眺めることができる。早駆けをさせれば、身に受ける風の感覚もまた心地よい。暇さえあれば、馬をひき、人目を気にせずともよいところまで出て、思う存分、走り回ることが、何よりもの楽しみとなっていた。
    その日も、馬を連れ、のんびりと、いつも馬場がわりにしている太刀が原まで向かっている時だった。春の日差しが降り注ぐ通いなれた道である。ふと目の先に、黄色いものがあることに気づいた。近寄ってみれば、それは、一輪の可憐な花である。どうしたことか、何の具合で、こんな道の真ん中に咲くことになったのであろうか。 大右衛門は、用心深くあたりを見回した。幸い人の気配がないようだ。彼は、馬を近くの立ち木につなぐと、花の傍らに膝をつく。脇差に付けていた小柄を抜くと、花の周りを丁寧に掘り返し始めた。傷つけぬよう心がけて根ごと花を掘り出すと、道の端の日当たりのよい場所に移しかえた。手の汚れを一、二度はたく。
    「これでよかろう。お前もせっかく美しく咲いたのに、あんな道の真ん中では、誰に踏みつけられ、蹴散らされるかもわからんからな」
    思わぬ大声でそう言ったことに気づき、慌てて、再び回りをうかがう。誰も聞いてはいないようだ。ほっとしたように、溜息をつくと笑みを浮かべ、再び、馬をひき、原の方に足を進めた。
     
    泰平の世も既に十代も続けば、九州の片田舎にあるこの小藩でも、ほぼ同じように日が昇り、同じように日が暮れるといった風で、特に何かがあるわけでもない。勘定方として勤める大右衛門も、その日常をともかくもこなしていた。やはり勘定方であった父は五年ほど前に他界し、今では母一人、子一人の暮らしである。
    その日も城から下がり、母と夕餉をとっている時だった。
    「大右衛門どの、母は申し訳なく思っているのです」
    箸をおいて、母の多恵がそんなことを言い出した。その口調に、大右衛門は、例の件に思い至った。つい一月ほど前に親類から持ち込まれた縁談のことであろう。また破談になったのであろう。
    すでに彼も三十近い。同輩のほとんどはすでに一家を構え、子もなしている者もある。だが、大右衛門の縁談はなかなかまとまらない。その原因が、彼の姿形にあろうことは、百も承知である。もちろん、表向きの理由は、さまざまに違うのだが。今回の縁談も、彼とほぼ同年。しかも、婚家から暇を出されたという、いわばいわくつきの相手であった。それでも、多恵は乗り気だった。大右衛門にしても、母の意に沿うのであれば、そんなことは問題にしていなかったのだが。
    「断りがあったのでごさいますか、母上」
    「先方が急な病とのことで、ご迷惑をおかけしてはと」
    そう言うと、多恵は目頭を押さえる。
    「しかしそれは違いましょう。お前さまをいま少し大丈夫に育てておれば、母が悪いのです」
    大右衛門は、月足らずで、この世に生をうけた。本来ならば、長生きはすまいと言われていたが、父と母の懸命な世話のおかげで、今では、小柄ではあるが病気一つしたことのない身体である。小さく生まれたため、名前に大を入れたことが、親の精一杯の祈りであったのだろう。
    「母上、何をおっしゃいます。わたくしは母上にここまで育てていただいたご恩は忘れておりません」
    それにしても、と大右衛門は苦笑いを噛み殺した。急な病という断りは何度目だったろうか。そういえば、娘に言い交わしていた相手があった、というのもあったな、と彼は思い返す。 もう少し、洒落た断りがあってもよかろうが。そう思うとどうにも耐え切れず、思わずくすりと笑いをもらした。
    「何がおかしいのですか」
    多恵が怪訝な顔をする。
    「いえ、何でもありません。さあ母上、飯をすませてしまいましょう」
     
    それから数日後のことである。城中で組頭に呼ばれ、折り入っての話があるので、城を下がった後で同道するようにと声をかけられた。
    組頭は父の朋友でもあったことから、かねてより親しい。時折、組頭の役宅に伴われ、なにくれとない話をすることもあった。しかし、この日は何とも奇妙な感じである。いつになく彼の顔つきが固い。怪訝におもいながらも後をついていくと、城下一の料亭である「秋月屋」に連れて行かれた。
    「瀬川さま、ようこそのお運びでございます。すでにお待ちでございますよ」
    五十がらみの恰幅のよい女将が玄関口で挨拶する。大右衛門は、その言葉に待ち人があることが知れた。こんなところで待ち合わせる相手とは、はて、一体何者ならんと首をかしげた。やがて奥の座敷に案内される。障子の前にピタリと座した組頭が声をかける。
    「瀬川庄内にござります。毛利大右衛門を同道いたしました」
    「そうか、入れ」
    どこかで聞いたような声である。座敷に入ると、一人の武士が待っていた。その顔を見て驚いた。老職の黒田大膳ではないか。
    「よう参った。瀬川、面倒をかけたな。そうか、そなたが毛利か」
    瀬川に促がされ、大右衛門は慌てて挨拶をする。
    「毛利大右衛門にございます。」
    「うむ。とりあえず、そこに」
    膳が並んでいる。前に腰を下ろし、料理をながめる。豪華というのは、これをいうのだろう。いわゆる山海の珍味というやつである。こんな馳走をされる覚えもない。食った後で、実は腹を切れなんてことを言われやしまいな、そう思うと可笑しくなったが、さすがに笑うわけにはいかない。神妙な顔で座っていると、黒田が、手を叩く。しばらくして女中たちが酒を運んでくる。酌をされるが、果たして飲んでいいものやらどうやら。
    「いけぬわけではなかろう。とにかく一献。瀬川もな」
    瀬川が杯を運ぶのを横目で見て、大右衛門も飲み干す。二度、三度、女中に注がれるままに口に運ぶ。
    「お前らは下がっておれ」
    やがて黒田に言われ、女たちが座敷を下がる。
    「瀬川、話はしたのか」
    「いえ、申し訳ございませぬ。まだ」
    黒田はうなずくと、いきなり切り出した。
    「毛利、わしの娘の佐和を知っておるか」
    知っているも何もない。一度、城下で見かけたことがある。その美しさに、みっともないが、しばらく我を忘れていたほどだ。
    「はい、存じあげております」
    「どう思う」
    そう言われても、なんと返事をしてよいやら。
    「はっ、お美しい方で」
    間の抜けた答えをしてしまう。それに、またも自ら笑いをこらえた。
    「世間ではそう申しておるようだが、ああ見えて気が強い。一度言い出したら梃子でも動かん」
    そういうと、黒田は苦笑いする。
    「今回も佐和が言い出しての。どうだ、毛利、佐和を嫁にせんか」
    さすがに、大右衛門は飛び上がらんばかりに驚いた。
    「なんと申されます。佐和さまをわたくしの嫁にと」
    「そうだ、嫁にもらってくれ。娘がどうしてもその方と一緒になりたいときかんのだ」
    大右衛門は、瀬川と目を合わせて、はてどうしたものかという顔つきをする。
    「願ってもない話ではないか。毛利、お受けしろ」
    「しかし、瀬川さま、わたくしには何が何やら。それに母上にも」
    「多恵どのには、わしからも話す。とにかく返事を」
    そう促がされて、彼の心は決まった。この先どうなるかは分からない。この船がどこを目指して、何をしようとしているのか。だが、面白いではないか。ともかくは乗ってみよう。
    「ありがたきお話でございます。佐和さまのお気持ち、大右衛門にとりましては身にあまるものでございます。よしなにお取り計らいくだされたく」
    「よし、これで話は決まった。瀬川、後は頼んだぞ。そうとなれば」
    再び、黒田が手を打った。女中たちが酒を運んでくる。しばらく宴は続いた。呼ばれて、大右衛門は黒田の前に座した。
    「毛利、その方、陰で何といわれておるか存じているか」
    「はあ、承知しております」
    「腹は立たんのか、どうじゃ」
    「幼少のころはそんな思いもございました」
    「今は違うと」
    「はい。腹を立てても、このわたくしが変わるわけでもございません。先方がそういい、そう思うのは、先の勝手。そんなことで腹を立て、自分も相手も損なうようなことがあれば本末を誤りますれば」
    「なるほど、では、その方が思う本とはなんじゃ」
    黒田は大右衛門の心底をうかがうように問いかける。
    「それは、ここではご勘弁くださいませ。その時がくれば」
    いよどむ、その顔を黒田は、じっと見つめる。
     「あいわかった。時がくれば、その心底みせてもらおう」
     
    それからは、話はとんとん拍子である。この縁談に、驚いたのは藩士たちだけではない。町の人間も、噂の美女の相手が、やはり噂の男であることに、これまた噂の花を咲かせてた。「提灯に釣鐘で釣り合わぬ」とかなんとか。しかし、噂の片割れの本人は、それを面白がっている。
     
    大右衛門には、一人、心を許しあった友がいる。藩校で共に机を並べた同じ年の森新之丈である。彼にだけは、胸の内を折に触れ語っていた。森も、この友の見かけとはまったく違う人間の大きさに心酔していた。その彼が訪ねて来たのは、間もなく、結納という時期のことだった。母の多恵に挨拶をし、部屋に上がるやいなや、こう問いかけてきた。
    「大右衛門、お主、よいのか」
    「何が、でございます。森さま」
    「またか、杓子定規な物言いはよせ」
    「そうは申しましても、森さまのお役目は馬廻組組頭、わたくしとは格が違います」
    「左様か、ならば上席のものとして申すがよいか」
    そういって、森は笑い出した。
    「わかった、わかった」
    大右衛門も笑い出す。この最初のやりとりは二人にとって、定番のようなものだ。藩校以来の朋友とはいっても、家柄に違いがある。おおやけの場では、それなりの言葉使いをしなければならない。だが、二人だけの場合は、こうしたやり取りの後、くだけた言い方に変わるのを常にしていた。
    「新之丈、お主が来たのは例の縁談のことだろう」
    「そうだ、いい話だとは思う。だが、中にはやっかむ奴もないではない」
    妬みまじりの噂話程度ならよい。だが、そうした跳ね上がりのような奴らが何か事をなすのではないか、そが新之丈の心配の種であるという。
    「しかし、ここまで来たら、乗りかかった船だ。それがどこに行くのか、確かめたいのさ」
    その言葉に、森は大きくうなずいた。
    「お主が一度、腹を決めれば、動かない男だというのは承知している」
    そうなのだ。大右衛門も佐和同様、そのような人間である。
     
     二人がまだ元服を終えたばかりのことであった。藩の道場で剣術の稽古をしていた最中、師範が突然、鋭い声をあげた。
    「毛利、どうした。慢心したか」
    大右衛門は、竹刀を置くと、上座の師範の前に平伏した。
    特に稽古に身を入れていないわけではなかった。だが、このところ、捕らえて離さぬ思いが、どこかで表に出てきたのかもしれない。それを師範に見咎められたのではないか。自分とて武士の子である。剣の修業が大切なものであることは承知している。その道の資質があるとは思えないものの、それなりに精進しているという気はある。師範からも、つい最近、上達ぶりを褒めるような言葉があった。だからこそ、「慢心」という叱責が出てきたのだろう。だが、大右衛門は、稽古をすればするほど、何が最も大切なことなのかが、だんだんに分からなくなっていることに、悩み続けてもいた。
    無言のまま、頭を下げ続ける弟子をしばらく見ていた師範は、新之丈を呼びつけた。
    「森、毛利と立ち合え」
     わたくしめでございますか」
    剣の腕は、彼の方が一段上である。だが、師範の命とならば仕方がない。兎に角、無茶はすまいと思いなして竹刀を交えた。数合の打ち合いの後、意外にも、大右衛門の太刀筋に手を焼いて、思わず知らず、本気になる。瞬間、鋭い突きを、大右衛門の喉下に決めてしまった。その小柄な体は後ろに飛ばされるようにして倒れ、ぴくりとも動かぬ。慌てて新之丈が駆け寄る。師範とともに抱き起こし、面を取る。喝を入れられ、蘇生した大右衛門は、覗き込む師範に向かってこう問いかけた。
    「先生、わたくしの死に顔はいかがでございましたでしょうか」
    師範は大きくうなずいた。
    「うむっ、見事であったぞ」
    その言葉に、森も瞠目した。この男は常に、自分の死に際を考えている。とてもではないが、自分には、そんな科白は口にできまい。
     
    その日の帰り道、大右衛門に尋ねた。
    「あのようなこと、よくも出たものだな」
    すると、やや照れたような表情で答えが返ってきた。
    「いや、まだやるべきことをやってはいない。だからこそ、最期だけは見苦しくないようにと思ったまでだ」
    新之丈は、首をひねった。
    「やるべきこととは何だ」
    大右衛門は、どうしたものかと少し考え込むような風をみせた。
    「これは、お前だからいうのだが」
    何事もないかのような、この小藩でも、近年の財政は苦しさを増す一方となっている。さまざまな殖産を手掛けたものの、これといった成果もない。
    「まずは、この藩の人達が、毎日を笑っておくれるようなやり方はないものかと、な」
    もちろん、おれのような軽輩が、おこがましいが、そういって、彼は明るい笑い声をあげた。
    以来、新之丈は、家格や見かけとは関係のない、この友の性根の確かさとでもいうものに畏敬の念を抱き続けている。
     
    「佐和どののことは妻からよく聞いておってな」
    三年前に嫁いできた森の妻、志津は、佐和とは幼馴染である。それだけに、彼女のことはよく知っている。その志津の話では、佐和は、昔から一風変わったところのある少女であったという。
    老職の家柄でありながら、佐和には、それを鼻にかけるようなところはまったくない。いや、かえって、そのことを持ち出されることを厭うふしがある。
    「わたくしは黒田大膳の娘ですが、黒田佐和でもあります。わたくしには、そのほうが大切なことです」
    誰に対してもにこやかで優しく分け隔てはない。その人柄に、屋敷の奉公人や出入りの人間たちの中には、お嬢様のためなら命もいらぬという者もいるほどだ。
     
    黒田は佐和が運んできた茶を、娘の顔を見ながらゆっくりと味わっている。長女はとうに嫁ぎ、三年前には妻も先立った。やがて、この娘も家を出ることになると思えば、今の時が惜しまれるものに思えてならない。
    「間もなく結納じゃのう。それにしても、これでよいのか」
    「父上、何が、でございますか」
    「いや、なかなかに面白い男とは思うがな」
    「父上は見栄えのよい偽物と、見かけは悪いが間違いのない本物のいずれをお選びなさいますか」
    佐和は、父の洗い終えた衣服を整えながら、そう問いかけた。
    「きゃつは本物と申すのか」
    「はい、佐和にはそう見えてございます」
    「何かわけがあるのか」
    「それは、それは時がくればお話申し上げます」
    その答えを聞いて、黒田は笑い出した。秋月屋での、大右衛門とのやりとりを思い出したからである。
    「さてもさても。存外、似合いの、似たもの夫婦やもしれぬぞ」
    「何ゆえにございます」
    「そうさな、時がくればわかろうよ」
    今度は佐和が口元を押さえた。
     
    結納も無事に済み、やがて、その当日を迎えた。祝言そのものは佐和の希みもあり、いたって質素なものであった。黒田側からは大膳と長女夫婦、大右衛門の方は、母の多恵と瀬川夫婦、さらに立会人の格好で森と妻の志津。ごく内々の者たちだけでの祝いの席である。盃ごとが終わり、ささやかな宴の後、ようやく二人だけの時を迎えることになった。
    佐和が大右衛門の前に座を正し、指をつき頭を下げる。
    「ふつつかな者でございますが、末長くお願い申します」
    「いえ、佐和さま。こちらこそ」
    「旦那さま。すでに夫婦でございますれば、佐和とお呼びくださいませ」
    「そうですか。では佐和、ひとつ尋ねたいことがあるのだが、よいかな」
    「はい」
    「何ゆえ、わたくしと添おうと」
    佐和はしばらく考え込んでいた。やがて、意を決したように語り始めた。
     以前、旦那さまが馬を引かれて、太刀が原に向かわれるお姿をお見かけしたことがございます」
     
    その日、佐和は、野に出て、かねてから試していた草木染めの材を探し求めていた。ふと気づくと、駒音が近づいてくる。なにやらんと土手下から眺めていると、一人の若い武士が馬を引き、歩いてきた。その武士の姿を見て、佐和は、あのお方が、と得心した。大右衛門の噂は、彼女も聞き知っていた。確かに、異形といっていいかもしれない。だが、世間がいうほどでもない、とも思う。と、男は突然立ち止まって、あたりを見回し始めた。佐和は、思わず草陰に身を隠す。ちょうど死角になっていたのだろう。意外に近くにもかかわらず、気づかれなかったようだ。しばらく、何事かをしていたかと思うと、「これでよかろう」という声が聞こえてきた。
    その姿が見えなくなると、佐和は土手に上がり、その跡を見て、なされた事を知った。突然、胸の奥から思いもかけぬものがこみ上げてきた。
    「あのお方こそ、待ち望んでいたお方かもしれぬ」
     
    「そうでしたか。あそこにいたのですか。ですが、あの程のことで、わたくしと添おうというのは、佐和も相当変わっていますね」
    「そうでございましょうか」
    佐和は、そういうと小さく笑い声をあげた。
    だが、彼女が大右衛門に心を惹かれたのには、今ひとつのわけがあった。彼との初めて「出会い」の後、不行儀とは思ったものの、太刀が原で様子をうかがったことがある。見事な騎馬ぶりに感心したものだが、何よりも、馬の心を読み取っているかのような扱いに心を動かされた。
    物言わぬ馬の気持ちを、あそこまで知悉できる殿方であれば、まして人の心、いや女人の心の内もお分かりいただけるのではないかと、考えたのだ。
    そして、それは間違いではなかった。
    傍も羨むほどの仲睦まじい夫婦として、しばらくは平穏な日々が続いていた。暇があれば、二人して馬を引き、原に出かけては、大右衛門は馬を走らせ、佐和は草木染の材を探す。以前ならば、馬を引く姿を見られることを少し憚っていた大右衛門も、今では、堂々と出かけていく。佐和の「馬は武士の嗜みでございます。何を憚ることがございましょう」という、至極当然な助言があったからだ。
    大右衛門も、なるほどと納得した。他人が自分のことを、どのように噂をしようと気にもかけていないつもりであったが、「猿」と「馬」では話が出来すぎていると、妙に遠慮をしているところがあった。古来、猿は馬の守り神という伝承がある。あの孫悟空が、天界で最初に得た役目が「弼馬温」、天界の馬の世話係だったというのも、それがもとになっているのだろう。
    「猿と馬ほど、武家にとってめでたい組み合わせはござりませぬ」
    佐和は、そういって朗らかに笑う。大右衛門は、その笑顔がたまらなく好ましかった。
    母の多恵も、縁談が持ち上がった当初こそは、喜んでいたものの、次第に心配が勝る時期もあった。何といっても、名家の息女である。毛利家とて、かつては藩の重職を勤めていたこともある。だが、数代前の当主が藩公の勘気を蒙り、お取り潰しこそされなかったものの、石高を削られ、以降は勘定方として仕えている。そんな家の嫁として、果たして辛抱できるのだろうか、と。ところが、それもとんだ杞憂であった。佐和は嫁として甲斐甲斐しく、何事にもまず多恵を、大右衛門を立てる。
    「不調法でございますれば、いろいろと教えてくださいませ」
    乳母日傘育ちであれば、台所仕事もどうかと考えていた多恵は、それが誤りだったことに、すぐに気づかされる。佐和は幼いころから、母親に家政一切を厳しく教え込まれていたからだ。
    「武門にあって、女の役目は、殿方が憂いなく勤めを果たされるためにお助けすることです」
    それが、佐和の母の口癖であった。
    「何も教えることなどない。まことに良い嫁を授かった」
    そうなると、多恵には欲が出る。一日も早く、孫の顔が見たい。だが、大右衛門にそれとなく告げると、こんな答えが返ってきた。
    「こればかりは、天の配剤でございますよ。母上」
    その通りであろう。だが、二人の仲睦まじさを見ていると、それも存外早くかなうのではないかと、思う多恵であった。
     
    森新之丈がまた、毛利家に顔を出した。彼はこのところ、よく訪れる。表向きは、妻から佐和に何やかやの届け物があるということだが、それを手渡すと、すぐに奥の部屋に大右衛門と引き籠もり、何かを話し合っている。
    「それで調べの方はどうだ」
    「うむ、ここまでとは思ってもいなかった」
    そう言いながら、大右衛門が書付を示す。それをしばらく検分していた新之丈が、
    「これは、まことなのか」
    そう言ったきり絶句した。
     
    藩では、長年にわたって、一つの懸念があった。間部一派の専横である。先代藩主が亡くなってからは、その傍若無人ぶりに歯止めがかかるかと思いきや、さらに酷さを増しているのというが現状であった。
    「これが勘定方に届けられた帳面の写し、そしてこれが地方の納めた年貢の額の写し。ざっと見積もって、年数百両ほどの差がある」
    大藩ならばいざ知らず、五万石の藩にとって、これは相当の額といっていい。
    「では、これが連中に流れているというわけか」
    「そうだ。百姓衆の血と汗で私腹を肥やすなど許されることではなかろう」
    「だが、どうすれば」
    「新之丈、耳を貸せ」
     
    その日、大右衛門が佐和とともに、いつものように馬を引いて、原に向かおうとしていた時だった。伏見がその取り巻きの二人とともに、あたりを払うように歩いてくる。大右衛門らを見つけ、三人で袖を引き合いながら、何事かをささやき、笑いあっている。
    「伏見どの、拙者の顔に何かついておりますかな」
    佐和は、自から揉め事を起こすような真似をする夫に、驚いた。
    それは、伏見らも同様だろう。いつもなら、そんな陰口にも知らん顔で通り過ぎる大右衛門が、思わず挑みかかってきたからだ。だが、人を人とも思わぬ専横の輩である。
    「猿がなにごとかを申しておるようだが、ご同輩おわかりになったかな」
    取り巻き連が嘲るような笑いを浮かべる。
     猿と申されるか。虎の威を借る狐どの」
    「無礼な」
    「先に無礼な物言いをされたのはそちらでござろう」
    「なにっ、身の程知らずに美しい奥方をもらい、増長したか」
    伏見も佐和の手前、後には引けない。取り巻きの二人も血相を変えている。
    今にも刀に手をかけようとする連中を大右衛門が一喝する。
    「お待ちあれ、私闘は藩の法度でござる。いかがでござろう。遺恨があると思し召しなら、この馬で勝負をなさらんか」
    伏見が怪訝な顔をする。
    「馬じゃと」
    「左様でござる。馬の早駆けで雌雄を決する。もしわたくしが負ければ、何なりと。腹を召せと申されるのなら、腹も切りましょう。委細は後ほど書状で」
    「うむっう、小癪な。その言確かに聞いたぞ。ご同輩もお聞きになったな」
    確かにきいた、面白い。腹を切らせろなどと、てんでに勝手なことを言っている。
    伏見がこの勝負を受けたのには訳がある。彼もまた、馬の扱いについては自信を持っているからだ。
    腹を切らせるのもおもしろかろうが、それよりも佐和どのを。この男、下卑た思いに、薄汚い顔をゆがめている。
     
    いつものように原に着いた大右衛門は何事もなかったかのように馬を走らせている。その横顔をながめながら、佐和も微笑んだ。何か、夫には思うところがあるのだろう。だとすれば、それは自らを利するものではない。夫はそんな人間なのだ。嫁いで、まだ日も浅いが、身近でその日常を見るにつけ、自分の見立てが間違いなかったことを、改めて思い知らされている佐和である。
     
    その日の夕刻、森が慌てて駆けつけてきた。挨拶もそこそこに、大右衛門の部屋に入っていく。
    「おい、とうとうやったのか」
    「ああ、後はお主に働きを頼む」
    「わかっておる。だが、勝算はあるのか」
    「さて、そればかりはやってみんとな」
    「なっ、なに」
    「冗談だ。申し入れるからには、ある。先方とて馬の扱いはなかなかものだ。こちらとそう変わらぬかもしれん。だが一つだけ違うところがある」
    「それは何だ」
    「そのうちにわかるよ」
     
    「驚きました」
    「済まなかった。つい腹の虫が騒いだようで」
    左様でございますか。旦那さまはそのような虫などお飼いになさっていないとばかり思うておりました」
     それは買いかぶりでしょう」
    そういうと大右衛門は笑い出した。佐和もそれに唱和するように小さな笑い声をあげる。隣室の多恵が、何事か、と腰を浮かせたが、こちらも微笑みを浮かべて、仏壇の方に目を向けた。
     
    そのころ、伏見とその仲間たち数人が秋月屋の一室に顔をそろえていた。
    「伏見どの、あの猿め、どうしたことでござろうか」
    「左様よの、突然牙を剥いてきおって。だが、いったい何の魂胆があるのか、拙者にもはっきりとは解せぬのよ」
    さすがに、間部の懐刀といわれる男。大右衛門の突然の申し入れの裏に何かあると感じているようである。
    「ひょっとして、例の一件と何か」
    そう問いかけたのは、一番の腰巾着、梅田五郎兵衛である。
     それはあるやもしれぬ。だが、何ほどのことができようぞ」
    「そうでござるよ」
     猿風情に何が」
    「勝ちに決まっておる」と取り巻きが口々に言い立てる。 
    そこに梅田が割って入った。
    「伏見どのゆえ、万が一にも遅れをとられることもなかろうが、一つ考えがこざる」
    梅田は伏見の耳元で何事かをささやいた。
    「なるほど、お主の手をそこまで煩わせることもないとは思うが」
    腹黒い悪巧みがまとまったようだ。二人が含み笑いを浮かべながら顔を見合わせる。
    「ところで、試合の後、猿はいかがなさるおつもりで」
    取り巻き連の一人が持ちかけた。
    「そうよのう。腹を切らせるか。じゃが奥方が身を捨てて命乞いでもすれば別」
    「それは、お楽しみですな」
    伏見と梅田は顔を見合わせ、下卑た笑みを浮かべる。
    「そうとなれば、今宵はその前祝でござる」
    梅田が手を打つと、部屋に女たちが入ってくる。祝宴は、その夜遅くまで続いた。
     
    城内、城外を問わず、ある噂が広まっている。近々、大勝負が行われるというものだ。あの大右衛門と伏見が馬の早駆けの一騎打ちをする。よるとさわると、その話で持ちきりである。
    「聞いたかね」
    「聞いたとも。あの話だろ。お殿様の御前で、というぜ」
    いつか、そんなことになっている。その裏には、馬廻役組頭の森新之丈の用意周到な根回しがあった。
    「殿、お耳に入っておりますでしょうか」
    「何か、森」
    実は、と一部始終を話し始める。とはいっても、遺恨云々というわけにはいかない。そこは、互いに馬の技量についての論から、それでは雌雄を決そうではないかということになった、ということにしてある。
    「馬も武士にとっては、一大事のものでございます。是非にもご上覧を賜りますれば、両名にとっても励みになろうかと。ひいては、藩内の人間にも尚武の気が弥増しましょう」
    と、うまいことをいう。
    そこで、一気にこの馬術試合が御前試合になってしまったというわけだ。
     
     明日は、いよいよその試合。だが前日というのに、大右衛門はいたって暢気なものである。佐和もまた、何もいわずにいる。
    「明日のお召し物はこれでよろしゅうございますか」
    「そうですね。下は白装束にしてもらえますか」
    「はい、ここにございます」
    佐和は別にしていた中から、糊のきいた純白の衣装を取り出す。大右衛門は、はっとした。すでに妻は承知しているのだと納得した。この度のことを何も話してはいない。だが、妻は夫の心底がすべてわかっているようだ。やはり、話すべきではないのか。
    「佐和、済まない。実は」
    だが、彼女はそれをさえぎった。
    「お話は、明日でよろしゅうございます。今夜はゆっくりとお休みくだされねば」
    「左様ですね。それでは明日にしましょう」
    「ですが、旦那さま。一つだけ佐和の我が侭をお聞きいただけますれば」
    「何でしょう」
    「明日は、たとえ美しい花が咲いていても、お気におとめにならぬよう」
    それを聞いて、大右衛門は、吹き出した。それが、やがて朗らかな笑いに変わる。佐和も笑い出す。隣室の多恵が、またも腰を浮かした。明日は大事な試合だというのに、一瞬顔が曇ったが、仕方ないという表情になる。
    「似たもの夫婦」。
    確かにその通りかもしれない。
     
    城内で高らかに太鼓が打ち鳴らされる。二頭の馬が馬上の人とともに、城門の内で合図を待っている。一瞬、人々のざわめきが静まり返った。大きく一度太鼓が打たれた。二頭がほぼ同時に走り出した。城の内外から歓声があがる。
    「おい、どうかね」
    「もちろん、おれは猿どのにかけるがな」
    「そうだよ、あんな鼻持ちならない奴に負けんじゃねえぞ」
    「あんな悪党が勝つわきゃない。神さまも仏さまもいらっしゃるはずさ」
    町の人間たちの好悪ははっきりしている。
     
    早駆けは城から太刀が原に設けられた見張り櫓を回り、城に戻るというものだ。道筋には藩士や家族だけでなく、町民や百姓までが詰めかけ、今か今かと待っている。やがて、大右衛門が先頭で、やや遅れて伏見が追うという格好で通り過ぎていく。見物の連中はもう大興奮である。
    「谷風、頼むぞ」
    大右衛門が馬に声をかける。言い忘れていたようだ。彼の愛馬の名は「谷風」という。戦国の傾き者として名高い、前田慶次の愛馬にあやかって名づけたものだ。大右衛門は、このけたはずれの武将に崇尊の念を持っていた。加賀百万石の開祖である前田利家の縁続きでありながら、その栄達のおこぼれにあずかろうというような下種な性根とは無縁な奔放ともいえる生き様に憧憬めいたものを抱いていた。何よりも、武門の一分のために、太閤秀吉に反旗を翻して、上杉家に馳せ参じ、槍を振るった男気に満腔の共感を抱き続けている。だが、その彼の愛馬は、普通の馬よりもかなり大きかったという。それに比べて、大右衛門の馬は、主人に似てやや小ぶりである。だが、おれが名にも、見かけによらぬ「大」がついている。お前も、見かけではないというところを見せてやれ、そんな思いで、名づけたものだ。
     
    太刀が原の櫓に一番乗りしたのは大右衛門と谷風である。遅れた伏見はめったやたらに馬を打ち叩く。だが、思いのほかの差がついている。見物も、ほぼ大右衛門の勝ちで決まりと、もう大喜びである。その陰には、彼の工夫したある秘策があったためである。それは鐙の位置である。従来の騎馬の方法では、鐙皮を長くとり、鐙を下に垂らすような形である。だが、速さを考えると、鐙を高く上げるほうがよいことに気が付いていた。そこで、今回の馬術試合では、それを試みたのである。
    「どうにも驚いたね。あの格好には」
    「ほんとうに猿が乗っているようで」
    だが、そんな見物の言葉も、彼を貶めようというものではない。あまりの速さに、驚きと畏敬をこめた真情の吐露といってもいいだろうか。
    だが、帰路に入って間もなくのことだった。道の真ん中に突然、幼子が突き飛ばされたかのように迷い出た。すぐそこには、谷風が駒音も高く迫る。
    誰もが目を覆った。
    大右衛門は強く手綱を引く。谷風が棹立ちとなる。すぐに体を直し、馬から飛び降りる。泣きじゃくる子どもを抱き上げると、やさしく道の端に戻した。その傍らを伏見の馬が駆け抜けていく。
    「馬鹿め、まんまと嵌りおったわ」
    そんな捨て科白を投げつけていく。梅田が、裏で手を回していたのはこの悪計であったようだ。何とも卑怯極まりない脂っこい奴らである。
    大右衛門は再びすぐに松風にまたがると、首筋を軽くたたく。
    「これからが見せ場じゃ、頼むぞ」
    谷風が返事をするように一声いななくと、駆け出した。早い、早い。大右衛門の手には鞭はない。ただ手綱を握り締め、時折、谷風の耳に何かをささやく。疾風のような速さに、沿道の見物たちはただただ喝采を送り続けている。あっという間に、伏見をとらえた。勝ちは先に城の門前に駆けつけた者が手にする。門までわずかに二、三丁というところで、ついに抜き去った。伏見は狂ったように鞭を振るうが、それが却って馬を怒らせた。ついに立ち止まって暴れ出し、乗り手を振り落とそうとする。やがて、太鼓が連打される。大右衛門が城門に辿り着いたのだった。門前に群れをなす人々から怒涛のような声があがる。母の多恵は、もう涙で顔をくしゃくしゃにしている。
    「殿のお許しが出た。立ち入っても構わぬ。じゃが騒ぐでないぞ」
    衛士が告げると、門前の連中たちが、表庭で遠巻きに、勝者の晴れ姿を見ようと固唾を呑む。
    「殿、お言葉を賜りますれば」
    黒田大膳が、言上する。
    「毛利、見事であったぞ。褒美をとらせる。何か望みがあるか」
    「お言葉まことにかたじけなく存知あげます。さすれば、お聞き届け願いたき儀がござります」
    「何かの」
     森が何かを大右衛門に手渡した。
    「殿、ご上覧たまわりますれば」
    再び、森がそれを受け取り、主人に取り次いだ。
    「それなる書付は、そこにおります間部らの悪行を記したものでございます」
    間部がものすごい形相で、大右衛門をにらみつける。
    「毛利、乱心いたしたか。たばかりを申すと承知せんぞ」
    「黙れ、奸賊。年貢米の横流し、覚えがないとは言わせんぞ」
    大右衛門は、自ら調べ上げた彼らの不正について弁じたてる。間部がわめきたてるのもかまわず、藩主を見つめたまま、悪行の委細を語り続けた。
    「間部、毛利の訴えはまことか」
    「殿、とんでもござりません。そのような覚えまったくもって」
     そこに、黒田が言葉を挟んだ。
    「いかがでござりましょう。まずは、事の真偽を糺すことが肝要と存じます。その間、間部殿を始めかかわりのある者には謹慎をお命じになれば。無論、訴えおります毛利も同様ということでは」
    「あい分かった。間部、毛利両人には謹慎を命じる。おっての沙汰を待て」
    「殿、あまりのお言葉。すべて偽りでございます」
    間部が怒りのあまり真っ赤になって抗弁する。主が言い放った。
    「間部、これが偽りでやましいところがなければ障りはなかろうが」
    黒田が後を引き取る。
    「間部殿、主命でござるぞ。お控えなされ」
    歯噛みをしながら、間部は一味のものに抱えられながら退いた。藩主もまた、黒田とともに何事かを語りながら、城内に引き上げていく。事の顛末を見守っていた連中からどよめきが上がった。「静まれ、静まれ」との命もかき消されてしまうほどだ。
    平伏していた大右衛門も立ち上がり、谷風を連れて、佐和の待つ我が家へと向かおうとする。そこに母の多恵の知り合いの女が近づいてきた。事の成り行きに、多恵が倒れたという。大事はないが、しばらく自分のところで預かるとの言伝であった。謹慎の主命をうけた大右衛門が、そのまま母のもとに駆けつけるわけにはいかない。くれぐれもお願いすると言うしかなかった。
     
    「いま戻りました」
    「お帰りなさいませ」
    現れた佐和は白装束姿である。大右衛門は、ふっと微笑んだ。やはり、すべて承知というわけか。佐和は試合の場には行かず、ずっと先祖の霊に祈り続けていたのであった。
    手短に母のことを伝える。大事ないと聞いて、佐和も安心したようだ。
    部屋に入り、仏壇に手を合わせる。後ろに控えていた佐和の方を向き、語りかけた。
    「佐和まで供することはないと思うが」
    「何を申されます。わたくしは、毛利大右衛門の妻でございます。夫の大事に参じるのも妻のつとめ、旦那さまお一人でということなどできませぬ」
    そういって、あの朗らかな笑顔をみせた。
    「仕方ないですね。こうと決めたら動かない佐和のことです。許さぬといっても無駄でしょう」
    「左様でございます」
    「佐和、短い間でしたが、いろいろと世話をかけました。まことに良き妻を得ました。わたくしは果報者です」
    「わたくしこそ。三国一の仕合わせ者でございます」
    「母上を残して先立つ不孝は心苦しいのですが」
     「それに谷風も」
    そう、佐和はいうと、何かを思いついたように首をかしげた。
    「旦那さま、今度はわたくしが、あの世では旦那さまの馬になりましょう」
    馬になって、大右衛門を乗せ、地獄の鬼たちをからかってやりましょう、と少しはしゃいだように告げた。
    今度は、という佐和の言葉に、以前、自らが語ったことを思い出していた。それは、「旦那さまは、谷風の心持ちがお分かりになっているような思いがございます」と尋ねられたことへの返答である。
    馬術の一流である「神流」の開祖、大坪康秀は馬の気取を知るため、神に祈って、一日、馬と化し、その心を得たという。それ故に、自らの術を「神流」と名乗った。大右衛門も、かつて、自らが谷風に化身して、走り回る夢を見たことがあった。それ以来、馬の心がどことなく分かるようになった。そんなことを言ったことがある。だからこそ、佐和は、今度は自分が馬に、と言い出したのだろうか。
    「それもいいですね。猿と馬、まことに似合いの夫婦になれるわけですね」
    思わず、大右衛門は笑い出した。死は覚悟していた。やむをえぬとはいいながらも、自らが為したことは直訴ともいえる。その責めは負わねばならぬだろう。
    「そうだ、忘れていた。実は佐和との約束、守れなかった」
    佐和が怪訝な顔をみせた。
    大右衛門は、突然飛び出してきた幼子のことを告げ、約束を守れず、すまないとわびる。
    「それは、よろしゅうございました。子は国の宝でございます。ほんとうにようございました」
     
    佐和が仕度を始めた。正座して足の下に細帯を通し、結ぶ。命を絶った後、見苦しい姿をさらさぬようにとの心配りである。
    「では、旦那さま。先に参って、お待ちしております」
    「はい。わたしもすぐに」
    佐和が懐剣の鞘を払い、胸に突き立てようとした時である。森新之丈が飛び込んできた。
     「待たれよっ、早まるな」
    佐和から懐剣をひったくるように奪いとると、大右衛門をにらみつけた。
     
     新之丈は、黒田に呼ばれ、できるだけ早く大右衛門らの様子を見てきてほしい、と頼まれたのである。それにはわけがある。二日ほど前に突然、佐和から便りが届いた。ただ、無沙汰を詫びるだけの文であったが、それが妙に気になった。すでに、森から、彼らの計略を聞いていたこともある。黒田にしても間部一味の専横ぶりには怒りを覚えていたが、自ら手を下しかねていた。若い連中が、敢えて、その困難に挑むのなら、その助けになるぐらいはなさねばならぬと常に考えてもいた。それに佐和の夫が深く関わっているというのは、あるいは宿命であったかもしれぬと思うのだった。
    佐和からの文には、夫については何も触れられてはいない。だが、別れを告げる「くれぐれも、くれぐれも御身をお大切に」という文字が滲んでいることで、娘の決意がうかがえた。事なれば、佐和は夫とともに命を絶つのであろう。しかし、それだけは防がねばならぬ。
    「おれも気にはなっていた。お前のことだ。事が決すれば、一身に責を引き受けるつもりではないかとな。だが、奥方まで道連れにすることはなかろう」
    新之丈は、詰問するように責めたてる。
     いえ、森さま、これは佐和が決したことでございます」
    「いや、しかし」
    そこで、新之丈は諄々と説き始めた。間部一味の悪行を訴えることができたが、まだすべてが終わったわけではない。事の行く末を見届けた上であれば、腹を切ろうとも構わん。だが、まだ早いと。
    大右衛門は、親友の心からの説得に、胸が熱くなった。
    「新之丈、わかった。わかった。お主の気持ちは痛いほどありがたい。とりあえず、ご沙汰を待つことにする」
     
     その沙汰は思いのほかに早かった。間部と伏見は流罪、その他のものも追放となった。大右衛門は御役御免の上、新しい郡奉行の預かり処分。しかし、その支配地は、元は間部一味の者が圧政の限りを尽くしていた土地である。大右衛門はそこにとっては救い主、地の者は、大右衛門の訪れを喜び待っている。まず、住みにくいことがあろうはずもない。
    「佐和、どうだ。黒田の家に帰って戻っては」
    「離縁なさると申されますのか」
    「いや、向こうに行けば、扶持もあるわけではない。幸いいくばくかの地はお下げ渡しになるとか。野良仕事もせねばなるまい。苦労は目に見えておる」
    「母上はいかがなさります」
    「わたくしも参ります。ですが、佐和どのは」
    「わたくしも毛利の人間でございます。嫁いだ日から黒田との縁は切れておりますれば」
    佐和は頑としてきかない。
    「母上さまも、是非に旦那さまにおとりなしくださいませ」
    「どうでしょう。大右衛門どの。母からもお願い申す。どうか佐和どのもお連れなさいませ」
    「わかりました。では皆で参りましょう」
    佐和の顔が見る間に明るく輝き、こぼれんばかりの笑顔となる。大右衛門は、思った。 確かに、この笑顔が見られなくなるのは、さびしくて耐え切れんだろうな、と。
    暮らしは、安楽というほどではなかったが、村人たちのさまざまな助けにより、思ったほどの苦労はなかった。大右衛門は、村の子どもたちに読み書きを教え、おおいに感謝された。だが、村人たちが、女神の如く敬い慕い、そして感謝したのは、美しい佐和の方である。佐和はかねてから、手につけていた織りと草木染の技を村の娘たちに惜しげもなく教えた。佐和が織物を覚えたのは、幼い頃のことである。先々代の藩主の頃、特産を作るべく織りの巧者を京から招き、その技を藩内に広げようとした。そこで、まず、藩士の妻女たちを選抜して、その技を教授した。武家の女が織物などとはと、訝るむきもあったが、藩主の強い意向で、教授は続けられたが、しかし結局は、取り立てて格別なところもない織りが特産となることはなかった。やがて、続ける者もいなくなっていったが、佐和の祖母と母は、その技を伝えてきていた。佐和にも才があったのだろう。教わった技に自らの工夫も加え、その腕前は名人といっていいほどにもなっていた。さらに、この地の者が「むらさき草」と呼ぶ草を試しに染めに使ったところ、思いのほかに素晴らしい布が出来上がった。
    その布を誰いうともなく、「まさる染」と呼ぶようになった。ま、は「馬」である。佐和が口癖のように、自分は生まれ変わったら、旦那さまの馬になりたいのですよ、といっていたからだ。さる、はもちろん「猿」だが、その説明は必要あるまい。だが「まさる」は「魔、去る」に通じると、それもまた、縁起をかつぐ輩に好評であった。その反物から上がる実入りのおかげで、村人たちの暮らしも以前とは比べものにならぬほど豊かになった。
    彼らが、佐和を神の如く崇めるのも当然のことであろう。
    二年後、大右衛門は許された。表向きは藩主に世継ぎが誕生したことによる恩赦であるが、内実は例の一件に対する論功行賞といってもよかった。黒田、森だけでなく、大右衛門にも加増と重職への登用の沙汰があった。無論、彼は固辞する。だが、森の説得もあり、受けることにした。それは、森が持参した黒田の書状に心を動かされたためだ。
    それには、こうあった。
    かつて、大右衛門がいった「本」とは、主君への忠義であり、民の幸せであることは、その為したことでわかった。その心底を確かに見せてもらったが、「本」はまだ完遂されたとはいえぬのではないか。それを知りつつ、我を通すことは、まさに、本末を誤る、と。
    だが、何よりも最後に書かれた、佐和の身を案じる思いのうかがえる一言に背中を押された。
    「ふつつかな娘ゆえ苦労をおかけあること、親としてまことに心苦しく、くれぐれも、きっとくれぐれもよろしく申し上げ候」
     
    村を去る、ことになった時は、人々の間で愁嘆場が繰りひろげられた。佐和の教え子である村娘たちは一塊になって泣きじゃくっている。手放しどころではない。年寄りなどは手を合わせ、拝む始末。佐和は、恥ずかしさに、いたたまれないような様子である。それが大右衛門には可笑しくてならなかった。
     
    大右衛門たちを迎えに来ていた森新之丈は、その村人たちの姿を見ながら、あることを思い出していた。
     
    沙汰が間もなく下るというころのことである。
    新之丈が、大右衛門に尋ねた。伏見との違いとは何だったのか、と。
    「おぬしが言っていたのは、あの鐙の工夫のことか」
    すると、大右衛門は首を振った。
    「いや、そうではない」
    新之丞が怪訝な顔をする。
    「それはな、伏見は馬を自分の役に立つただの道具としてしか見ていないということだよ。馬も人も、命あるものすべて、いや命なき道具でさえも、情をかけ、手をかけ、感謝の思いを持って付き合えば、とてつもない力を出してくれるものさ」
    新之丈は、この刎頚の友の言葉に、ただうなったことである。
     
     
     
    「というようなわけでございますよ」
    幸兵衛は、語り終えると、いかがというような顔を向けた。女客は鷹揚に頷いてみせる。
    「よき話を聞かせていただきました。では、これを頂戴することにしましょう」
    「ありがとうございます。では、早速、お誂えいたしまして」
    「さぞかし、若い二人の思いのこもったものとなるでしょう。楽しみなこと」
    女客は、そういうと、どこか遠くを見るように庭に目を向けた。柔らかな風が、遅咲きの梅の花を、少しだけ震わせた。
                             了
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
                                                                 

    #創作大賞2026 #エンタメ原作部門

     
     
    元大手新聞社の落ちこぼれ記者、出来損ないの出版編集者から、ニューメディアという鳴り物入りの寄せ場めいた職場で長く勤務。力はあるが上司の受けの悪い先輩や才能あるも認められない後輩らからは好かれていた、と思う。今は無職の前期高齢者。

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