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Photo byyukko_96

小説      6月の恋人 「水月」


    この小説はその月に合う名前とその月の雰囲気を合わせて描いた一編です。
    今回は6月の水無月からとった『水月』(みづき)。幼稚園児同士の可愛い恋です。

    *『6月の恋人』を創作大賞に出そうと思ったら、文字数が足りなそうだったので、
    以前書いて未投稿だったものを載せます。7月ですが、ごめんなさい。


     「雨やどり」

    いつもより早く梅雨が来た六月の夕方、
    幼稚園の窓ガラスは、雨の線でいっぱいだった。

    水月は、ほいくしつの窓ぎわに座って、
    外を流れ落ちていくしずくを見つめていた。
    白いカーテンのむこうで、グラウンドの線はもうほとんど見えない。
    びしょぬれのすべり台だけが、ぼんやりと形を残している。

     「みつきちゃんバイバイ、またあしたね」

    お迎えの時間が近づくと、
    ひとり、またひとりと友だちがいなくなっていった。
    玄関のドアが開くたびに、冷たい風と、
    雨のにおいが少しだけ入りこんでくる。

    でも、水月の名前は、なかなか呼ばれない。

     「電車が止まっちゃったんだって」

    先生が、職員室から戻ってきて言った。
    さっきから何度も電話をしているらしく、
    少しだけ髪がくしゃくしゃになっている。

     「水月ちゃんのママ、もうすぐ来るって。
      そうまくんのところは、少しおそくなるかもって」


    ほいくしつに残っているのは、水月と、そうまだけになっていた。

    入口のかさたてには、子ども用の傘が二本だけ揺れている。
    水月の小さな黄色い傘と、そうまの青い傘。
    その下には、並んだ長靴がぽつんと残っていた。

     「ねえ」

    そうまが、水月の前のいすを引いて座った。
    制服の袖口は少しほつれていて、
    膝には今日の砂場の土がすこしついている。

     「きょうからね、つゆって言うんだって」

     「つゆ?」

    水月が首をかしげると、そうまは得意げに窓の外を指さした。

     「さっきね、しょくいんしつのテレビで
      てんきよほうのおじさんが言ってた。
      “今年は、はやく梅雨がきました”って」


    言葉の最後を、少し真似をするように低くする。
    水月は、小さく笑った。

     「はやく?」

     「うん。いつもより、はやくあめのきせつがきたんだって」

    そう言われてみれば、六月に入ってからずっと雨が多い。
    洗濯物が部屋の中にぶらさがっていて、
    お母さんは「今年は梅雨入りが早いんだって」と言っていた。


     「……じゃあ、これが、つゆ?」

     「そう。あめがいっぱいのきせつ」


    水月は、窓ガラスに指先を近づけて、
    ひとすじのしずくを目で追った。
    上から下まで落ちていく水の線が、
    ガラスの途中でほかの線とくっついて、少し太くなる。

     「ねえ、水月ちゃんのなまえさ」

    そうまが、不意に言った。

     「なに?」

     「あめみたいだよね」

    水月は、ぱちぱちと目を瞬いた。

     「あめ?」

     「だって、“みずのつき”でしょ? み・づ・き」

    そうまは、指でひらがなを空中に並べてみせる。

     「このまえ、じぶんのなまえのいみ、のお話会あったじゃん。
      そんとき、先生が、六月のことは“ミナヅキっていうんだよ”
      って言ってたから。それにね、“みずがない月って書くけど、
      水をはる月っていういみもあるんだよ”って。
      だから、水の月で、水月ちゃんなんじゃない?」


     「うん、そう。……おかあさん、いってた」

    水月は、小さくうなずいた。

     「“六月の水の月から取ったんだよ”って。
      ろくがつのこだから、みづき」


    そのときの、お母さんの手のあたたかさを思い出す。
    テーブル越しに頭をなでられた感触が、
    まだ少し残っている気がした。

     「じゃあさ」

    そうまが、椅子の上で膝を組みかえる。

     「いま、みづきちゃんのきせつなんだね」

     「わたしの?」

     「うん。はやくきたつゆでしょ。
      六月でしょ。水の月でしょ。……みづきちゃんの月」

    そういうと、そうまは顔をふわっと赤くした。

    水月の胸の奥が、きゅっとなった。
    窓の外の雨音が、さっきよりも近く聞こえる。

     「じゃあ、そうまくんのきせつは?」

     「ぼくの?」

     「うん」


    そうまは、しばらく考える顔をした。
    窓の外、空と地面のあいだを埋めるように落ちていく雨の筋を見つめる。

     「ぼく、あめ関係ないもんなあ」

    そう言って肩をすくめると、水月がくすっと笑った。

     「でもね」

    そうまは、少しだけ声を落とした。

     「ぼく、あめの日すきだよ」

     「どうして?」

     「だって、“みづきちゃんがいつもいる日”ってかんじするから」

    その言葉は、とても小さな声だったのに、
    水月の耳にははっきり届いた。
    胸の内側で、なにかがぽっと灯る。

    窓ガラスを叩く雨音が、ふたりの間だけ、ほんの少し遠くなる。

    水月は、机の下でにぎっていた手を、そっとひらいた。
    さっき折り紙の時間にこっそり作った、
    小さなハートが、少ししわくちゃになって手のひらに乗っている。

     「あのね」

    ハートを見つめたまま、水月が言った。

     「これ、あげる」

     「なに、それ」

     「はーと」

     「なんで?」

     「……なんででも」


    うまく言葉にできないとき、水月はいつもそう言ってしまう。
    そうまは笑わずに、そのハートを両手で受け取った。

    ぐにゃりと曲がった折れ線を、指でそっとなでてから、
    自分のポケットにしまう。

     「ありがとう。うれしい」

    立ち上がったそうまは、玄関のほうへ走っていく。
    かさたての前でかがみこみ、長靴をちょこちょこと動かした。

    水月が様子を見にいくと、黄色い長靴と青い長靴が、
    ぴったりくっつくように並べ直されていた。

     「なにしてるの?」

     「みづきちゃんのながぐつ、ぬれないようにしてるの」

     「ぬれない?」

     「うん。ぼくのながぐつのとなりなら、へいきだから」

     「なんで?」

    そうまは、言葉を探すように一瞬空を見上げたあと、
    水月のほうを見た。

     「おむかえがくるまで、ぼくがまもる」

    その言い方は、どこかで覚えたヒーローの台詞みたいで、
    水月は思わず笑ってしまう。

    ちょうどそのとき、職員室のほうで電話のベルが鳴った。
    先生の「はい、はい」という声と、
    少ししてからの呼び声が聞こえてくる。

     「水月ちゃんのママ、玄関に、今ついたってー!」

    水月ははっとして、そうまの顔を見た。

     「……じゃあ、かえるね」

     「うん」


    そうまは、棚から水月の小さなリュックを取ってきて、
    ファスナーを少し不器用に閉めなおす。

     「また、あしたもあめかな」

     「わかんない」

     「またあめふったらさ」

    リュックのひもを肩にかけながら、そうまが言った。

     「また、いっしょにのこってもいい?」

     「え」

    水月は少し考えてから、首を横に振る。

     「おかあさん、しんぱいするもん」

     「そっか」

    そうまの肩が、すこしだけ落ちる。
    その様子がおかしくて、水月はすぐに続けた。

     「でもね」

    玄関の方から、ドアの開く音と、大人の足音が聞こえてくる。

     「“はやくきたつゆ”は、みづきのつきだから」

     「うん」

     「きょうみたいなあめのひは、
      特別にそうまくんのひにもしてあげる」

     「ぼくの?」

     「うん。特別だからね」


    そうまの顔が、ぱっと明るくなった。

     「じゃあさ」

    彼は小さく笑って言う。

     「水月のつきと、そうまのつき。ふたりのつきだね」

    水月は、少しだけ迷ってから、こくんとうなずいた。
    入口のドアのところで、お母さんが傘を持って立っていた。
    髪の毛の先に雨粒をつけたままの顔は、
    心配と安心がまじったような表情をしている。

     「ごめんね、水月。遅くなっちゃって」

     「ううん、全然大丈夫」


    小さな手を差し出すと、
    お母さんの手がぎゅっと握り返してくれた。
    傘の中に入ると、雨の音が少しやわらかくなる。

     「ねえ、お母さん」

     「なあに?」

     「きょうのあめ、“はやくきたつゆ”なんだって」

     「そうね。今年は梅雨入りが少し早いんだって
      ニュースで言ってたわね」

     「……水の月、水月のつきだよ」


    そう言うと、お母さんが驚いたように笑顔になった。

     「そうね。水の月、水月のつき」

    傘のふちからこぼれた雫が、
    足もとの水たまりに丸い輪を広げる。

     『ぽちゃん』

    後ろで水が派手に跳ねる音がした。
    黄色い長靴が一歩、音を立てて入っていた。
    園の入口で、そうまが青い傘をさして手を振っている。


    六月の雨は、まだしばらく続くらしい。
    でも、水月はすこしだけ楽しみになった。
    いつもは髪の毛がぐちゃぐちゃになるから
    あんまり好きじゃなかったけど。


    はやく来た梅雨のあいだだけ、ろくがつのあめのひは、
    水月とそうまの、小さな「ふたりのつき」だから。



    了

    「月の恋人シリーズ」創作大賞用『6月の恋人』抜粋マガジン↓

    https://note.com/05_kokotasa_cro/m/mfb87b835dda0



     
     
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