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恋愛小説    『君とこの秋見た月は』5 最終話


    第5章:六甲の月明かり


    函館から逃げるように戻ってからの神戸での日々は、
    色を失った映画のように灰色のまま過ぎていった。

    地元大手企業への入社を控えた最後の秋休み。
    友人たちからの飲み会の誘いも適当な理由をつけて断り、
    俺は自室に引きこもって、ただぼんやりと天井を見上げていた。

    目を閉じれば浮かんでくるのは、
    元町の急な坂道、大森浜の冷たい潮風、
    そして藤色の着物姿で切なく微笑むユキの姿だ。


     “俺はただの身代わりや。もう忘れなあかん。
      最初からそういう約束やったやろ、修二”

    そう自分に言い聞かせるたびに、
    胸の奥が焼きちぎられるような痛みに襲われた。



    あの函館山で見た、兄・慎一と抱き合うユキの安らかな笑顔。
    あの笑顔こそが彼女が八年間待ち望んでいたものであり、
    俺という身代わりが退場して本物が現れた、
    完璧なハッピーエンドだったはずなのだ。


    函館を去ってふた月ほどが経とうとしていた
    11月中旬のある日、
    俺宛に一通の封筒が届いた。

    差出人の欄には、
    あの達筆な墨文字で『月白 ユキ』と書かれていた。
    宿泊名簿に書いた俺の住所を頼りに送られてきたのだろう。
    震える手で封を切り、中に折りたたまれた便箋を開く。
    そこには、凛とした文字で短いメッセージだけが記されていた。



     『神谷修二様

      お元気でお過ごしでしょうか。
      函館山で突然いなくなったあなたを、私がどれだけ心配したか
      わかっていただけるでしょうか。

      小さな男の子から、メモを受け取った時、
      頭が真っ白になりました。
      「役目を終えた」だなんて、勝手に一人で納得して消えるなんて。
      私は、あなたにまだ自分の言葉で何も伝えていません。

      次の満月の日、神戸の六甲山頂で待っています。
      言いたいことが山ほどあります。
      絶対に絶対に、逃げずに来てください』

    手紙を握りしめたまま、俺の心臓は激しく鐘を打っていた。
    なぜ、今さら。
    なぜ神戸まで……?
    兄と再会を果たし、過去から解放されたはずの彼女が、
    なぜ俺を呼ぶのか。


    葛藤と恐怖で頭がどうにかなりそうだった。
    だが体は、
    次の満月の夜の日付を調べようと自然と動き出していた。



    11月15日満月の夜。

    六甲山頂へと続くドライブウェイは、
    標高が上がるにつれて刺すような冷気につつまれた。
    山頂の展望台「六甲ガーデンテラス」に立つと、
    眼下には「1000万ドルの夜景」と称される阪神間の眩い街明かりが、
    圧倒的な光の海となって広がっていた。

    しかし、俺の心は千々に乱れていた。
    ここに来るまでに、たまたま地元の悪友二人に会ってしまい、
    言い訳も思いつかず、なんだかんだと山頂まで一緒に来ること
    になってしまっていた。
    それでなくともぐちゃぐちゃな心内。
    その上こいつらがユキのことを知ったらなんていうか。
    いやそれ以上に、ユキに会ったらなんと言えばいいのか……



     「おい修二、お前さっきから心ここにあらずやぞ?
      内定決まって燃え尽き症候群か?」



    缶コーヒーを手にタケシが笑いかけてくるが、
    俺は生返事しか返せなかった。
    展望台を渡る風がコートの裾を激しく揺らす。

     「お、今日満月やったん。
      やっぱ、ええなぁ。夜景。たまには来んとな」

    タケシが隣で感慨深げに話し続ける。
    見上げれば、冬の気配を纏った透明な夜空に、
    息をのむほど真ん丸な満月が輝いていた。
    あの函館の夜と同じ、満月だ。


     「おい見ろよタケシ、
      あんなトコに女が一人で立っとるぞ。
      しかも着物姿やないか?珍しいな」


    ダイキの声に、俺は弾かれたように視線を向けた。
    少し離れた展望台の手すり際。
    夜景を見下ろす人込みから少し離れた場所に、
    一人の女性が立っていた。


    濃紺の長羽織を羽織り、風に髪をなびかせながら、
    じっと街明かりを見つめている。



     「うわ、めっちゃ綺麗やん。ちょっと声かけてくるわ」

    日常から離れて少し気が大きくなったタケシとダイキが、
    ニヤニヤしながら着物姿の女性へ歩み寄っていく。


     「お姉さん、一人? こんな寒いところで何してんの?
      俺らとドライブでも行かへん?」

    馴々しく肩を叩こうとするタケシの手。
    その女性は困惑したように身を引いた。
    俺の全身の血が、一瞬で沸騰した。


     「お前ら、やめろや!」


    俺は二人を突き飛ばすように割って入った。
    タケシたちの手元を強引に払いのけ、
    ユキを自分の背中に庇うようにして立つ。


     「ちょっ、こんなトコに、女の子が一人じゃ危ないやろ。
      しかもそんな格好して、何考えてんねん!

      あ、いや、……ごめん、こいつら俺の連れなんや。
      嫌な思いさせて——」


    謝りながら顔だけ振り返った俺の言葉は、
    最後まで紡がれることはなかった。


     「……修二さん。
      よかったぁ、会えた……」


    夜風に揺れる前髪、潤んだ大きな瞳。
    白く透き通るような肌。
    俺のコートの背中をギュッと掴んだユキの囁きだった。

    声が震えた。
    タケシが声かけようと言った時にはもう気がついてはいた。
    でも、本当にいるなんて信じられなかった。


    タケシたちが
    「え、何?お前の知り合い? 」「悪ぃ悪ぃ!」と
    空気を読んで去っていく足音すら、
    遠い世界の出来事のように聞こえていた。


    ハッと我に帰って、
    タケシたちの背中に向かって声を張り上げる。


     「お前ら!わりぃ‼︎俺……」


    その声を聞いて、「修二、これ貸しなー」と手をひらひらさせて
    離れていく2人を見送る。



    満月の光と、1000万ドルの夜景の輝きが、
    ユキの瞳に反射して美しく揺れている。

     「よかった。会えて。本当に、よかった。
      お電話しようかとも思ったのですが、
      聞いていた番号が繋がらなかったらと思うと怖くて、
      できませんでした。

      だから、台帳を調べて、修二さんに手紙を書いて……。
      ちゃんと届くかどうかも分からなかったけれど、
      私、来ちゃいました」

    ユキの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。



     「でもだって、どうして……。
      慎一さん、戻ってきたやないか。

      あの夜、二人が抱き合ってんの俺、見たんや。
      兄さんと八年ぶりに会えたんやろ?
      それに、最初からそういう約束やったんやからええねん。
      俺は……俺はただの身代わりで——」

    俺の言葉を遮るように、ユキは一歩踏み出し、
    俺のコートの胸元をギュッと両手で掴んだ。

     「違います! 全然違います!」


    ユキは一言話すごとにポロポロと涙をこぼしながら
    叫ぶように言った。


     「あの夜、兄さんは私に会いに来てくれたんじゃないんです。
      いや、正しくは……、会いにきてくれたのは本当のことですが、
      『長い間、お前を縛り付けていてごめん』って、
      お別れを言いに来てくれたんです。
      兄さんはもう新しい人生を歩んでいて……

      『まさかお前があんな約束をまだ覚えていたとは思わなかった』
      と言って……。
      最近まで知らなくて、人伝に聞いたらしいです。
      私がまだ待ち続けていたことを……。
      本当に、馬鹿ですね、私。

      慎一兄さんは、何度も何度も謝ってくれました。
      それから、私が修二さんのことを話すと、
      『過去にとらわれず、お前の目の前にいる人を大切にしなさい』
      と言ってくれたのですが。
       私も馬鹿ですけど、兄も……ちょっとひどいですよね。

      でも、そう言って、兄はあの後すぐに去っていったんです!」


    俺は息をのんだ。


     「だから、兄さんに会った後すぐに、
      男の子からメモを受け取って、
      私、そこらじゅうを走って修二さんを探しました!

      でもどこにもいなくて……ロープウェイにも乗れなくて……!
      修二さん、メモに『神戸に帰ります』なんて書くから……!」

    ユキは俺の胸に額を押し当て、子供のように声を上げて泣いた。
    着物の袖が、俺のコートを固く掴んで離さない。

     「身代わりなんかじゃない……!
      確かに最初は、最初は、そうお願いしました。
      途中で後悔し始めたけれど、もう戻れなかった。

      でも、赤レンガ倉庫で笑ってくれた時も、
      大森浜で手を握ってくれた時も……
      私が見ていたのは、慎一兄さんじゃない。
      神谷修二さん、あなただった。
      あなたが好きだから……どうしてももう一度会いたかった」


    胸の奥で、音がした。
    ずっと俺の心を縛り付けていた鎖が、一瞬で弾け飛んだ。
    俺を見つめていたのは、兄の影なんかじゃなかった。
    あの五日間、俺たちが重ねてきた時間は、
    確かに本物の恋だったのだ。

     「ユキさん……」

    俺は溢れる愛おしさを抑えきれず、
    彼女の華奢な身体を強く、強く抱きしめた。
    寒さに震えるユキの体温が、
    厚いコート越しに俺の胸へと伝わる。



     「ごめん……勝手に勘違いした。俺も怖くて。
      もっとちゃんと話していればよかったな。
      逃げ出してごめん……!」

     「ううん……ううん……っ!」

    俺の腕の中で、ユキは首を横に振った。
    抱きしめ合ったまま、俺たちはゆっくりと顔を上げた。

    視線の先には、満開の星空と、
    夜景を見下ろすように静かに輝く、黄金色の満月。
    二ヶ月前、函館の山頂で見た月は、
    過去の影を落とした切ない月だった。
    けれど今、神戸の六甲山頂で見上げるこの月は、
    未来へ向かう二人を、どこまでも優しく照らしていた。


     「修二さん」


    ユキが涙を拭い、照れくさそうに微笑んだ。
    その笑顔は、世界中のどんな夜景よりも眩しかった。


     「私と……この秋見た月を、この先も覚えていてくれますか?」
     「忘れたくても、忘れられへんやん」


    俺はユキの手を握り直し、指を絡ませた。


     「来年の秋も、その次の秋も……
      ずっと一緒に、この月見よう」
     「ん……」

    満月の光の下、二人の影がひとつに重なる。
    遠く離れた函館の港町から、
    神戸の夜景へと紡がれた、ひとつの恋の物語。


    『君とこの秋見た月は、未来を照らす、永遠の月』



    おわり。



    まずは、
    見出し画像にとても素敵な画像を使わせていただきましたこと、
    心より、感謝申し上げます。

    『君とこの秋見た月は』
    お読みいただき、ありがとうございます。
    私にとってはとても苦手な恋愛小説。
    王道ストーリーで頑張ってみました。
    いかがだったでしょうか。

    さて、一旦恋愛は脇に置き、

    次回からは「秋光堂」というテーラーのお話を始めたいと思います。
    テーラーといっても、
    主人公 秋人(26歳)が扱うのは“ネクタイ”のみです。
    亡き祖父のテーラー「秋光堂シュウコウドウ」を継いだ秋人が
    誠の職人へと成長していく物語です。


    よろしければ、またお目にかかれましたら幸いです。
    ではまた次回
    🍀ありがとうございました。

     
     
    お元気ですか。とらヴェるそssです。 noteで小説書いてます。(音、声の作品多め) オールジャンル、更新日時決めてません。 “優しさを根底に”を心がけています。 時々無駄話。エッセイ。 TALESは、色々応募用です。 よろしくお願いします。

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