
珍しく、父親から電話があった。
「4月28日、茶摘みを手伝ってくれんか…」
明るくなったばかりの早朝。実家まで車を走らせる。
近頃は少しずつ気温も上がって暑くなってきたとはいえ、早い時間帯はまだ涼しさが感じられる。
「そこにジャージとTシャツがあるから着替えや。靴下も、はい」
実家に帰ると、母が畑に着ていくための服を準備してくれていた。
ただ今日は、汚れることは最初からわかっていたから、家を出る時点でそういう服を着ていた。
「いいよ、これで行く。ヤッケと長靴だけ貸してや」
お茶摘みといっても、最近は昔のように手で摘むということはせずに、畝(うね)ごとに一気に機械で刈り取っていく。
あっちとこっち。
腰の高さほどのお茶の木を挟んで、
父と二人、機械を持って歩幅を合わせて、ゆっくり進む。
刈った葉は、機械の後ろに取り付けられた大きな袋にどんどん入っていく。
母は、その袋が枝に引っかからないようにたくしあげながら二人に着いてくる。
山を昇る風の音と機械のエンジン音。
茶畑の匂いと混合燃料の匂いとが混ざる。
父と母と、三人だけ。
覚えている。
小さな頃はお茶の時期になると親戚総出、皆で籠や袋をもって大勢で茶畑に出かけていた。
幼い妹は籠のなかに入れられて、茶畑まで背負われて行った。
広大な畑でそれぞれに手分けをして、朝早くから日が暮れる寸前まで一つひとつ、手で摘んでいた。
子供たちは最初は手伝ってみたりもするが、すぐに飽きてしまって、谷から流れてくる冷たい水ではしゃいだり、枯れて落ちた茶の実を拾っては投げて遊び出す。
昼になれば、持って行ったお弁当を栗の木の陰に座って食べる。
もう、戻らない眺め。
刈り取ったお茶は、全部で100kgあった。
以前よりはずいぶんと規模を小さくした茶畑だったが
すべてのお茶の葉を、三人で刈りきることができた。
普段は使わない足腰の筋肉を酷使するから、刈っている間も本当に大変なのだが、どんどん上がってきた気温のなかで、いくつもの大きな袋に入ったお茶の葉を、乗ってきた軽トラックまでかついで急な坂を登る。
これがまた過酷な重労働だ。
なぜ断ってしまったのか。
母が用意してくれていた服に着替えておけばよかったと、今更になって深く後悔する。
流れ出す汗で服はドロドロになってしまっていた。
今はもう、お茶摘みの時期だからと集まることもなくなった。
呼びたくても、もう声も届かない遠いところへいってしまった人たちも多い。
気がつけば、昔に比べて周りの畑もずいぶん減ったように思う。
どこの家庭も同じようなものなのだろう。
栗の木の下で家族みんなでおにぎりを食べていた風景は、もうどこにも見られない。
あと数年。
両親がこの畑のめんどうをみられなくなったあと、それを継ぐことに前向きではないくせに、
どうしようもなく寂しい気持ちになる。
無責任だけれど。
