人のことは許せるのに、自分のことは許せない
友達が電車を一本乗り過ごして、待ち合わせに少し遅れてきた。「全然大丈夫、気をつけて来てね」と、私は迷いなく返信した。誰にでもあることだし、それくらいで機嫌が悪くなる理由もなかった。
でも、自分が同じように電車を乗り過ごしたとき。
ホームで反対方向の電車を待ちながら、頭の中で流れていたのは「なんでちゃんと確認しなかったんだろう」だった。友達に送った「全然大丈夫」は、自分には一度も向かなかった。
同じ「電車を乗り過ごす」という出来事のはずなのに、扱い方がまったく違う。
LINEの返信を送るのを忘れていて、友達に「もしかして怒ってる?」と聞かれたことがある。「ごめん全然そんなことないよ、ただ忙しかったの」と即答した。相手を不安にさせたことは気になったけど、自分を責める気持ちにはならなかった。
逆に、自分が友達への返信を2日も忘れてしまったとき。「忙しかったから仕方ない」とは思えなかった。「なんで忘れたんだろう」「ちゃんとしていれば返せたはずなのに」と、自分ばかり責めてしまった。
同じ「返信が遅れる」という出来事に対して、他人には理由を、自分には反省だけを渡している。
友達が体調不良で予定をキャンセルしてきたときも、「全然いいよ、無理しないでゆっくり休んで」と迷わず送った。それ以外の返信は、思いつかなかった。
自分が体調を崩して予定を断らなければいけないときは、「無理しないで」を自分に言えない。「せっかく約束してたのに」「もっと自己管理をしっかりすればよかった」という言葉が先に来る。
友達の「ごめん、無理そう」には優しくなれる。
自分の「ごめん、無理そう」には、なぜか申し訳なさだけが残る。
気づけば、人にはかけられる言葉がたくさんある。
「大丈夫。」
「そんなに気にしなくていいよ。」
「ゆっくり休んで。」
不思議なくらい、自然に出てくる。
でも、自分が同じ状況になると、その言葉だけがどこにも見つからない。
「最近、何も頑張れてない気がする。」
友達がそうつぶやいたとき、「そんな時期もあるよ、それでいいと思う」と、すぐに言えた。彼女を励ますつもりというより、本当にそう思っていた。
自分が同じように何も頑張れていない日が続くと、「そんな時期もある」とは思えない。「また何もできなかった」「これじゃだめだ」という言葉だけが、繰り返し浮かんでくる。
他人の失敗や停滞には「それでいい」と言える。
自分の失敗や停滞には、「それでいい」がどうしても言えない。
どうして、他人には自然に渡せる優しさが、自分には向かないんだろう。
答えは、たぶん今も見つかっていない。
友達に「大丈夫だよ」と送るたびに思う。
その言葉を、そのまま自分にもコピーして貼れたらいいのに。