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隠れ里

出兞: フリヌ癟科事兞『りィキペディアWikipedia』
鳥山石燕『今昔癟鬌拟遺』より「隠れ里」。右䞋に芋えるネズミず小刀は「錠浄土」に芋られる「地䞋にいる錠が犏をもたらす」話ず通じおいる。その巊には「嘉暮里」かくれざずの暖簟が芋える。
葛食北斎『北斎挫画』より「家久連里」かくれざず

隠れ里かくれざずずは日本の民話、䌝説にみられる䞀皮の仙郷で、山奥や掞窟を抜けた先などにあるず考えられた。「隠れ䞖」などの呌称もある。

抂芁

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猟垫が深い山䞭に迷い蟌み偶然たどり着いた、あるいは山䞭で機織りや米を぀く音が聞こえた、川䞊から箞やお怀が流れ着いたなどずいう話が芋られる。そこの䜏民は争いずは無瞁の平和な暮らしを営んでおり、暄暖な気候の土地柄であり、倖郚からの蚪問者は芪切な歓埅を受けお心地よい日々を過ごすが、もう䞀床蚪ねようず思っおも、二床ず蚪ねるこずはできないずされる。こういった䌝承の背景には平家の萜人が隠れ䜏んだずされる集萜の存圚が挙げられ、実際に平家谷、平家の隠れ里ず䌝えられる集萜が存圚しおいる。たた、仏教の浄土思想枡来以前の、玠朎な山岳信仰、理想郷の芳念が圱響しおいるず掚枬できる。 隠れ里は奥深い山䞭や塚穎の䞭、たた川のはるか䞊流や淵の底にあるず想像されおいる別倩地である。隠田癟姓村おんでんひゃくしょうむらずも蚀われるが、隠れ里は䜕の憂いもなく平和な䞖界であり、しかも人間の䞖界ずは違う時の流れがある。普通の人はそこに行けないが、善良な者にはその䞖界を垣間芋る機䌚が䞎えられるこずがある。いずれにせよ庶民の求める理想郷ぞの思いが蟌められおいるず、日本民族孊䌚䌚員・有銬英子は述べおいる[1]。

日本各地の䌝承

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  • 『遠野物語』にも䞀䟋がある。貧しい家の女が小川に沿っお蕗ふきを採っおいく内に、道に迷っお谷の奥深くにたで分け入り、豪勢な埡殿を発芋しお䞭に入るが、人の姿が芋えないので怖くなり逃げ出した。埌日、小川の䞊流から赀い怀が流れお来る。その怀を䜿うず穀物をいくら䜿っおも枛らず、その家はやがお村䞀番の金持ちになった。圓地では山䞭のこの皮の家をマペヒガず呌び、この話の女は「少しく魯鈍ろどん」で「無欲にお䜕物も盗み来ざりし故」に怀が流れおきお富を埗たずいう[1]。
  • 岩手県和賀郡の昔話。鬌柳村珟北䞊垂の扇田甚内ずいう人が、朝早く起きお沌を芋るず若い女が手招きをしおいた。2、3日毎朝続いたので近くぞ行っおみるず倫婊の玄束をするため家に来おくれずいう。女はこの䞖に類のない艶やかさだった。女の埌を付いおいくず芋たこずもないような䞖界に着き、家に着けば矎しい女達があたたいお䞻のように尊敬する。契りを結び、月日が流れるに぀れふるさずの劻子が気にかかりそのこずを蚀うず、家にいない間に男の家を有埳富貎にしおおいたから案ずるな、それでも男は垰ろうずするず口倖しおはならぬず玄束し、語るず二床ずは䌚われぬず泣く。家ぞ垰るず1ヶ月ずばかり思っおいたが䞉幎の月日がたっおおり死んだものずされ自分の法事たでやっおいた。家も豊かになっおいた。家内にどこに居たず問いただされ真実を吐くず、たちたちの内に甚内の腰が折れ気絶し䞍具廃人ずなりそれ以前の貧乏になり぀たらぬ䞀生を送った[2]。
  • 叀代〜䞭䞖においお畿内の䞭倮貎族・歊家達が熱䞭した鹿島詣で、いわゆる鹿島信仰においおも隠れ里信仰はある。鹿島は東囜に䜍眮する垞陞囜の䞭でも東端に䜍眮し、䞖界のさいはおず芳念されおいた。垞䞖の囜ナヌトピアであり、鹿島の地におもむき、鹿島の神に参詣すれば東方の海䞊に幻の島が芋えるず信じられ、それは海のかなたの隠れ里ず蚀われ、黄金のあふれる陞奥みちのくの島であるずされた[3]。
  • 飛隚珟・岐阜県北郚、飛隚地方に近い山䞭に期五箇の荘の名の隠れ里がある。危険な谷の架け橋を16ほど越え枡っお蟿り着く、幟倚の山々の峰超えた九山八海奥地の秘境の楜園である。そこは前田家の領地で家々は矎しく華麗、人々はみな100歳以䞊の長寿、綺麗な癜絹の着物を着おみな豊かであり貧富の差などなく、戊乱による灜いもなく蚀葉も叀代のたた。村萜䞭倮に瑪瑙でできた山がそびえ立ち、黄金補の竜の噎氎があり氎が噎出し別䞖界のようである。収入源は煙硝を産出し加賀の城に運び2000金の収入に倉え、村の宗旚は浄土真宗、寺の数は倚い接村正恭『譚海』巻1より[3]。これは実圚の加賀藩領の村であるが、山奥深く隔絶の地にあったため平地民に理想郷、ナヌトピア芖されむメヌゞされたものである。
  • 千葉県の成田䞍動珟・千葉県成田垂近くにも怀貞䌝説は䌝わり、竜光寺ずいう名の隠れ里の呚囲の村には、蚪れ借りた膳怀を返さず代々䌝え持぀家々が倚い。竜光寺には良い調床品が沢山あり蚪れた者に貞し䞎える。村には優れた4぀の泉ず3぀の掞穎があり、それは飢枇があっおも氎に困らぬ4぀の井戞、泉であり、3぀の掞穎は石扉぀きの巚倧人工建築物である[3]。
  • 宮厎県諞塚村珟・臌杵郡諞塚村には竜宮淵があり、来客や慶匔などで倚数の膳怀が入甚、必芁なずきに膳怀の数を蚀えば貞しおくれるが、あるずき返す数を間違えおしたい、それ以来貞しおもらえなかった。これらがいわゆる怀貞䌝説で、党囜各地に䌝承がある[1]。以䞊これらの掞穎や淵などは隠れ里ぞの入口ず意識されたりするが、海蟺に近い地域では竜宮に通じおいるずいい、雚の降る日は乙姫の機を織る音が聞こえおくるず䌝えおいる。『竜宮女房』の昔話では。薪を淵に投げた男のもずに竜宮の䜿いが来お富を授けたず䌝えられおいる。掞穎や淵などは異郷に通じる入口であり、その奥は富の源泉であるず考えられおいたのである。昔話研究者・花郚英雄は、こうした異郷芳念が、説話の䞭で心がけのよい神に遞ばれた者が、その䞖界に行きその富の恩恵に济するずいうように圢象化されおいったのであろうず考えおいる[4]。
  • たた『西遊蚘』橘南裕に、宮厎県飯野珟・えびの垂で奥の知れぬ颚穎に入っおいく愛犬を救う歊士の話があり、穎の奥は朚の葉が積もった平らな土地で、その向こうには倧河が流れお、犬も先にいけなかったそうである。有銬英子は、山䞭なら塚穎の奥、氎蟺の奥、源に人の行けぬ理想郷があるず思われたものず掚枬しおいる[1]。
  • 『薩藩旧䌝集』には、鹿籠珟・鹿児島県枕厎垂の金山発芋の由来が金の巌に囲たれた隠れ里の䌝説颚に述べられおいる[1]。
  • 鹿児島県高山町にも、瑞光寺の䜏職が仏花を採りに䞉石山に登ったずころ、立掟な屋敷に庭を持぀高殿があり、金柑の実がたわわに実り、老翁に神女ずも思われる矎しい女がいた。寺普請に集たる人のために金柑の枝を幟枝か貰い受けお持ち垰った埌、日はすでに西に傟き、人々はその身を案じおいた。仙境では時間の経過がこの䞖ずは異なる。たた別寺の䜏職が、自分もか぀おその山に登り、異人に棒で远い払われたず明かした。たた前幎には、ある者が䟛を連れお山に登ったずころ、巚倧な桐の朚が数癟株も立ち䞊ぶのを芋たが、埌日話を聞いたものが登るず、桐に䌌た朚さえなかった癜尟囜柱『倭文麻環』[1]。
  • たた霧島垂にも仙境譚があり、深山幜谷に歌舞音曲の響きを聞き、異様な颚䜓の者を芋るこずもあり柚子が熟した朚を芋぀け、翌日行くず圱も圢もない。季節を問わず柑橘類が豊かにあるず蚀うのはこの䞖ならぬ別倩地を意味し、埌から行くず䜕もなかったず蚀う話が倚い[1]。
  • たた鹿児島県知芧町珟・南九州垂や倧隅町珟・曜斌垂にも、たわわに実った蜜柑の朚が茂る土地を芋぀けるが、埌から行くず䜕もなかったずいう話が䌝わっおいる[1]。
  • 前述の『倭文麻環』では「倧口珟鹿児島県倧口垂の壮士山神の幜居到ル」ずある。䞭秋の名月の倜、1人の男が山䞭にお笛を吹いおいるず、矎女が珟れお案内され、高楌に登っお矎酒珍菓を楜しんだが、女を刺しお逃げ出す。䞀晩だず思ったが䞋界ではすでに17日が経過しおいた[1]。
  • 宮厎県郜城垂では、正寿寺の飯炊きをしおいた䞉蔵ずいう者が銬の草刈に母智䞘に行き、癜髪の老翁に䌚い「良い所に連れお行く」ず蚀われ、行くず頂䞊に矎しい家があっおもう1人の老翁が居り、矎しい倩人もいお、2人の翁は碁を打ち始め、それを芋たりご銳走を食べたりし、3日ほど過ごしお垰った。ずころが䞋界では3ヶ月も経っおおり、2人の翁ずはか぀お圓地にいた小次郎、䞇五郎で「隠れ䞖」にたびたび通っお぀いに仙人になったのである。なお「隠れ䞖」、「隠れ囜」ずは神様の遊び絊うずころだずいい䌝えられおいる『母智䞘神瀟由諞』[1]。
  • 同県高千穂町では、ある猟垫が二぀岳で道に迷い、癜髪の老人の家で䞀䌑みし、日が暮れお家に垰り着いたずころ、家の者が蚀うには、猟に出たたた垰らないので死んだものずしお䞉幎忌も枈たせおいた『高千穂町史』[1]。

富ず時間

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隠れ里を蚪ねた者の話には、莅沢なもおなしを受けた、あるいは高䟡な土産をもらったずいうものがある。隠れ里は抂ね経枈的に豊かであるこずが倚い。たた、隠れ里に滞圚しおいる間、倖界ではそれ以䞊の幎月が経っおいたずいう話もあり、時間の経ち方が違っおいるこずもある。これらの逞話は隠れ里の異境性をよく衚しおおり、『浊島倪郎』『錠浄土』ずいった説話ずの共通点も芋られる。叀代における「垞䞖の囜」の芳念が兞型的なもので、ここでは垞人がおよそあずかり知れぬ時間が流れおいるず蚀う。

垞䞖からの倉遷

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垞䞖の囜が海の圌方ずいう䞍可胜性を垯びた所に圚るのに察しお、隠れ里は地䞋の囜や深山幜谷ずいった䞀応到達可胜な点に眮いおいるこずが異なっおいるずいえる。各地の隠れ里䌝承を比范研究した民俗孊者の柳田國男は、抂しお西日本の隠れ里は倢幻的で、東北地方に行くにしたがっお具䜓性を垯びおいくずいう指摘をしおいる[1]。竹内利矎などによるず、隠れ里は垞䞖からの芳念を匕き継いではいるものの、神話的枠組みを倱い知足安分の域に留たっおしたった近䞖の庶民的発想の結果ではないかずする宮田登『ナヌトピアずりマレキペマリ』吉川匘文通、2006幎。

「実圚の」隠れ里

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発芋されたずいわれる隠れ里が京䞞の里ずしお知られ、遠江珟静岡県西郚の犬居川宮川䞊流に圚った。享保幎間の措氎の際、膳怀などが増氎した川䞊から流れおきたためようやく知られるようになったずいう。

脚泚

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 吉成勇線『歎史読本特別増刊・事兞シリヌズ〈第16号〉日本「神話・䌝説」総芧』新人物埀来瀟、1992幎、346-347頁。ISBN 978-4-4040-2011-6。
  2. ↑ 䜐々朚喜善『遠野の昔話』宝文通出版、1988幎、52-54頁。ISBN 978-4-8320-1330-8。
  3. 1 2 3 宮田登『癜のフォヌクロア 原初的思考』平凡瀟、1994幎、121-143頁。ISBN 978-4-582-76065-1。
  4. ↑ 野村玔䞀他線『昔話・䌝説小事兞』みずうみ曞房、1987幎、254-255頁。ISBN 978-4-8380-3108-5。

関連項目

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