コンテンツにスキップ

王文林

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
王 文林
各種表記
ハングル: 왕문림
漢字: 王 文林
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: おう ぶんりん
テンプレートを表示

王 文林(おう ぶんりん、生没年不詳)は、高句麗に帰化していた中国人の将軍[1]。官位は「西部将」[1]。高句麗に臣として死節を尽くした[2]。

人物

[編集]

十七世の祖の王烈は、中国後漢の将軍。曹操の招聘に応じず、戦乱を避けて遼東で暮らした。その後、遼東が乱れると、一族は東夷に散らばる[1]。

王文林の八世の孫の王楽徳は、渤海国で暮らしたが、遼太祖が渤海国を征服すると、息子とともに東丹王を奉じて遼陽に移住した。王楽徳の曾孫・王継遠は、東丹王に仕えて翰林学士となる。王継遠の後裔は王庭筠である[3]。

脚注

[編集]
  1. 1 2 3 전덕재 (2017年7月). “한국 고대사회 外來人의 존재양태와 사회적 역할”. 東洋學 第68輯. 檀國大學校 東洋學硏究院. p. 103-104. 2022年4月23日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ.
  2. ↑ “발해인 왕문림(王文林)에 대하여 논하다”. 東北アジア歴史財団. 2022年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  3. ↑ “왕문림(王文林)에 대하여 언급하다”. 東北アジア歴史財団. 2022年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ.

参考文献

[編集]